★ 【神さまたちの夏休み】騒がしき盗賊、海の喇叭と遭遇す。 ★
<オープニング>

 それは、何の前触れもなく、唐突にやってきた。

 銀幕市タウンミーティングがいったん終了となり、アズマ研究所の件はいまだ片付かないものの、あとはどうあれ先方の出方もある。
 そんなときである。リオネが勢い込んで、柊邸の書斎に飛び込んできたのは。
「みんなが来てくれるんだってー!」
 瞳をきらきらさせて、リオネは言った。嬉しそうに彼女が示したのは、見たところ洋書簡のようだった。しかし郵便局の消印もなければ、宛名書きらしきものも、見たことのない文字か記号のようなものなのだ。
「……これは?」
「お手紙ー」
 市長は中をあらためてみた。やはり謎の文字が書かれた紙が一枚、入っているだけだった。
「あの……、これ、私には読めないようなんだけど……」
「神さまの言葉だもん」
「……。もしかして、お家から届いたの? なんて書いてあるのかな」
「みんなが夏休みに遊びに来てくれるって!」
「みんなとは?」
「ともだちー。神さま小学校の!」
「……」
 どう受け取るべきか、市長は迷った。しかし、実のところ、リオネの言葉はまったく文字通りのものだったのだ。
 神さま小学校の学童たちが、大挙して銀幕市を訪れたのは、その数日後のことであった。


  ★ ★ ★


 寄せては返すさざ波を聞きながら、ハリスは星砂海岸を散歩していた。
 生来、水に属する彼は水が好きだった。盗賊団【アルラキス】は神出鬼没だが、大体は山で過ごす。ゆえに、泉や滝に逢うことはあっても、海に逢うことは滅多になかったのである。
 銀幕市は南側を海に抱かれているため、今まではなかなか逢えなかった海に、毎日逢える。時間が空くと、ハリスは決まって海に逢いに来ていた。

「あれ?」
 いつものように散歩をしていた彼は、いつもと違うものを発見した。
小さな、子供だった。ひと抱えもある貝を抱いて、じっと海を見つめている。その瞳は海の色をしており、海からの風に揺れる髪もまた海の色をしていた。
 子供にしては、匂いが変だ。
 人間にしては、ひどく近い感覚を覚える。
 そこまで思って、ハリスはああ、と思い出す。自分たちを銀幕市に召喚したリオネの友達が、夏休みとやらで遊びに来ているのだと、出掛けに聞いた。街中は子供だらけ、子供特有の甲高い声だらけで、人間よりも耳のいい彼は、決して子供嫌いではなかったのだけれどさすがに辟易して、いつも通りに星砂海岸へと足を運んだのだった。
 視線に気がついたのか、子供は一瞬びくりとして、それからぺこりと頭を下げた。そして海を見るようにじっとハリスを見つめ返す。その視線が悪いものではなかったので、ハリスは子供に足を向けた。
 近づくと、子供はちょこんと立って再びお辞儀をする。
「こ、こんにちは。トリリオンです」
「こんにちはー、僕はハリスだよ」
 笑顔で返すハリスに、緊張しているのか、トリリオンと名乗った子供はひっくり返るのではないかと言うほど背筋を立てる。もっとも、ハリスの腰にも背が届かないのだから、それも仕方なかったが。
 トリリオンの隣に腰を下ろすと、ハリスは海を見ながら口を開いた。
「きみ、海の子供なんだねぇ。いつもより波が楽しそうだから、どうしたのかなって思ってたんだよー」
 ハリスが言うと、トリリオンは小さく頷いた。
「みんなと遊ぼうかなって思ったんですけど……やっぱりほっとするから……。あの、あなたも、海のこどもなの……あ、えっと、なんですか?」
 言い直す子供が微笑ましくて、ハリスは思わず声を上げて笑った。
「そうだねぇ。近いかもしれないけど、ちょっと違うなぁ。海だけがお母さんじゃないからねー。だから、水の眷属っていう方が正しいかもしれないね」
 言って、へにゃりと笑う。首を傾げるトリリオンに笑って、ハリスは鱗の生える腕をすいと上げて、細い指をくるりと回す。すると、打ち寄せたさざ波が腕の動きに合わせてすいと持ち上がり、指の動きに合わせてくるりと回った。
 目を見張るトリリオンに微笑んで、ハリスは誘うように引いていく波に、誘われるように歩いていく。すいと腕を持ち上げると、応えるように波がはねる。足を踏み出すと、ぱしゃりと白波が舞った。
 それはまるで、海と戯れ舞を舞っているようであった。引いては寄せる青の間を、蒼い三つ編みが揺れる。鱗に水がはねると、光が受けて螺鈿のように輝いた。
 その様子に緊張も解けたのか、トリリオンはようやく子供らしい笑みを見せ、ハリスに駆け寄る。
「すごくきれいでした! ハリスさん、かみさまみたい!」
「あはは、きみが神様の子供なのに」
 笑って、トリリオンの柔らかな髪をなでた。
 その時。
 波が、ざわめく。
 はっとした次の瞬間には、大波が襲ってきていた。
 咄嗟にトリリオンをかばってその場からはね跳ぶと、数瞬前までいた場所に白い飛沫を上げて波が雪崩れる。砂を掻くように引いた波は、小さなうねりを繰り返して様子をうかがう。青かった空には黒雲が這い、優しかった潮風は凶暴になった。
 突然の出来事に顔をしかめていると、ふいに海面に三角の背びれが見えた。
「へー、銀幕市って大きいイルカがいるんだー。アルの兄貴の倍はあるかなぁ、あれは。 あれ、イルカでいいのかな、こっちとあっちじゃものが違うみたいだもんねー……あ、トリリオン、大丈夫?」
「は、はい……で、でも……」
 トリリオンは顔を青ざめさせて震えている。ハリスは宥めるように背中をなでた。
「そうだねぇ、いきなり襲ってくるなんて命知らずなイルカだよねぇ。海の子供に牙を向けたらどうなるか、海に住むものならわかるはずなんだけど」
 言い終わるか否か、再び大波が襲いかかる。ハリスは波の中に、鋭い牙をびっしりと並べた巨大な顎を見た。
 ハリスはトリリオンを抱えたまま跳ねる。少しばかり波を被ったが、水に属する彼は、ちょっとやそっとでは呑まれることはない。砂地に着地すると、波が唸りながら引いていく。と、トリリオンが声を上げた。
「海のらっぱが……っ!」
 見ると、波間にあの大きな貝が呑まれていく。トリリオンは青ざめた顔を更に蒼白にさせた。
「どっ、どどどどうしよう、大切な“かほう”なのに…っ…お父さまにしかられる……っ!」
 トリリオンは顔をぐしゃぐしゃにして泣き出す。波間に揺れる貝は、三角の背びれの周りでとどまっていた。どうやら、この嵐のような波は、あれが引き起こしているらしい。
「大丈夫だよ、トリリオン。僕がちゃんと取ってきてあげるから」
 ぐすぐすと鼻をすするトリリオンを優しくなでる。見上げてくるトリリオンに、ハリスはふわりと笑んだ。
「ここは危ないから、離れてて。大丈夫、きっと僕が取り返してくるから。……あ、ついでに誰か、呼んできてくれるかなー? ここまで来れたんだもん、大丈夫だよね?」
 真っ直ぐなまなざしに、トリリオンは小さく頷き駆け出す。その後ろ姿を見送って、ハリスは荒ぶる海に視線を戻した。
「さーて……海の子供を泣かせた責任、ちゃんと取って貰うからねー」
 暢気な声と裏腹に、眼には鋭い光が宿る。その先で、三角の背びれが激しく打ち寄せる波間で蠢いていた。

 街中には、悲鳴のような叫びが響いた。
「だれかっ……だれかたすけて……っ!」

種別名シナリオ 管理番号191
クリエイター木原雨月(wdcr8267)
クリエイターコメント前書きが長くなってしましました……木原雨月です。
イベントに乗っかって、シナリオのお誘いに参りました。

さて、此度は海を荒れ狂わせるイルカ?から、海の子供・トリリオンの喇叭を取り返してください。喇叭は、大きな法螺貝です。
海での戦闘ということになりますが、ハリスがサポートするので海の中で呼吸することはできます。
イルカ?は海洋パニック映画から出現したムービースターです。「アルの兄貴の倍くらい」ということですので、四メートル近くあります。
宜しければどうか、トリリオンがお父様に叱られないよう、助けてやってくださいませ。

参加者
長谷川 コジロー(cvbe5936) ムービーファン 男 18歳 高校生
黒 龍花(cydz9334) ムービースター 男 15歳 薬師見習い
レオ・ガレジスタ(cbfb6014) ムービースター 男 23歳 機械整備士
ヒュプラディウス レヴィネヴァルド(cmmt9514) ムービースター その他 20歳 邪神
<ノベル>

 青い海、白い砂浜、そして逃げ惑う者が約一名。
「ヒイィィィィィッ!! ナムアミダブツナムアミダブツ、蝶々サマ助けてぇええっ!!」
 オリンピック出場時のような素晴らしいスピードで、長谷川コジローは海の中から砂浜へと転がり出た。
 なんだなんだ、なんなんだ。オレはただ、海で楽しく泳いでいただけなのに。
 コジローは砂まみれになりながら、突然襲ってきた海を凝視する。
「きみ、危ないところだったねぇ。大丈夫ー?」
「ギャーッ! 半魚人ーっ!! 蝶々サマ助けてぇええっ!!」
 間延びした声に振り返り、コジローは叫び声を上げながら後退りする。そこには、蒼い髪を三つ編みにし、腕や頬に鱗の生えた男が立っていたのだ。
 男ははたりとまばたきをして、あー、とか、うーん、とか言いながら頭を掻く。それからへにゃりと笑った。
「うん、普通はそーゆう反応するよねぇ」
 きゃらきゃらと笑う半魚人を訝しげに見ていると、ふいに体が宙に浮いた。目の前では、高く立ち上がった大波が飛沫を上げて雪崩たところだった。一瞬前までいた場所は、ごっそりと波にさらわれていた。あの大波にさらわれていたらと思うと、さしものコジローもゾッとする。
「危ないねぇ、まったく。ところで、チョウチョウサマってなにかなー?」
 背中の方から聞こえる声で、ようやく半魚人の肩に担がれている事に気が付いた。見た目よりもずいぶんと力があるらしい。筋肉で引き締められているコジローの体を、軽々と持ち上げている。
「ち、蝶々サマはオレの守護神さまぁああああっ?!」
 突然、半魚人が飛び跳ね、コジローは情けないくらい叫んでしまう。しかし、そのすぐ後に大波が傾れ込んできたのを見て、文句は言えない。
「守護神かぁ、面白いねー」
 半魚人はのんびりとした口調でコジローを肩から降ろす。
 そこで、男がもう片方の手に白と黒のバッキーをつまんでいるのを見つけた。
「バタ子!」
 コジローが言うと、半魚人はバタ子をぽいと放った。
「きみのバッキーだったんだねぇ。一応、拾っておいてよかったー」
 半魚人は緊張感の欠片もなくへにゃりと笑う。バタ子は先ほどの跳躍で目を回したようだが、怪我はなかった。
「あ、ありがとうっス……」
「どういたしましてー」
 笑って、半魚人は波間に目をやった。
「さーて、あのイルカはどうしてやろうかなぁ」
 目に剣呑な光を宿して、半魚人は変わらぬ笑みを浮かべる。それが、コジローには恐ろしく感じた。
 しかし、コジローの耳がおかしいわけでなければ、今この半魚人は変な事を言った。
「……イルカ?」
 聞き返すと、半魚人はほら、と海を指す。
 そこには、三角形の背びれが波間で見え隠れしている。
「あのイルカが海の子供を泣かせてねぇ。どうやって責任を取らせてやろうかって考えてたところなんだー」
 コジローは思い出す。海の中で襲ってきた、鋭い牙を並べた巨大な顎を。
 肩を震わせ、力のかぎりに叫んだ。
「どう見たってサメじゃないっスかーっ!!」

◆ ◆ ◆

 泣き声が聞こえて、黒 龍花は駆けていた。泣き声に混じって、助けて、とも聞こえたからだ。
 海岸近くの通りまで来て、龍花は声の主を見つけた。海の色をした髪の、小さな子供だった。
 そういえば夏休みという休暇を利用して、リオネの同級生が大挙して銀幕市に訪れているのだった。ならば、この子供も神の子か。
 そう思い至ったところで、子供が龍花に気付く。と、同じく海の色をした瞳に涙をいっぱいにした。
「たっ…助けて、くだっ……くださ……う、海が……っ……」
 龍花は子供に駆け寄ると、背中を撫でながらラベンダーの香りがする匂袋を渡す。ラベンダーには、心を落ち着ける作用がある。薬師見習いである龍花は、常に幾つかの薬を持ち歩いているのだ。
「大丈夫です。ワタシ、アナタ、助けます」
 龍花がにこりと微笑むと、子供は鼻を啜りながらこくりと頷いた。
 それに頷き返して口を開こうとしたところで、龍花は素早く体を捻って後退した。子供が小さく悲鳴を上げる。
 先ほどまで龍花がいた場所に、2メートルほどの巨漢が立っていた。頭に巻いたバンダナから、赤い髪がこぼれている。
「こんな小さい子を泣かせるなんて、許さないよ」
 龍花は黒い瞳をまばたかせる。どうやらこの巨漢は、龍花が子供を泣かせたと思ったらしい。龍花は首を振った。
「違うです。ワタシ、泣く事、しない」
 今度は巨漢が銀の瞳をまばたかせた。しげしげと龍花を見やる。その後ろで、子供がわっと泣き出した。
「わわ、ごめん、ごめんね。怖かったね」
 巨漢はふわりと子供を抱き上げる。ゆっくり歩み寄る龍花に、巨漢はくしゃりと笑った。
「きみもごめんね。ええと……」
「黒 龍花、です」
「ヘイ ロンファさんだね。僕はレオ。レオ・ガレジスタだよ。……きみの名前は?」
 聞くと、子供は鼻を啜りながら海色の瞳をまっすぐに向けた。
「ト、トリリオンです……う、海がらっぱでイルカのハリスさんが波までもっていかれちゃって……っ!」
 喋りだしたら止まらなくなってしまったのか、支離滅裂のまま一息に続け、大きな瞳いっぱいに涙を浮かべる。レオがよしよしと頭を撫で、龍花が背中を撫でた。
「うんうん、ちゃんと聞くから、落ち着いて」
「さっき、言う、しました。ワタシ、アナタ、助けます」
 二人はトリリオンをなだめながら、決して急がずゆっくりと話を聞く。トリリオンはしゃくり上げながら、しかし落ち着きを取り戻しながら、事の経緯を話した。
「ええと、つまりその、ラッパを取り返せばいいんだね? イルカから?」
こくりと頷くトリリオンの頭を優しく撫でて、二人は頷き合った。
駆け出したところへ、間抜けといえば間抜けだが、切実っぽい叫び声が響く。
「どう見たってサメじゃないっスかーっ!!」

◆ ◆ ◆

 ヒュプラディウス レヴィネヴァルドは、夏だというのに黒尽くめの少女の姿で海岸線を歩いていた。
 目的は特になかったが、助けを求めるような声が聞こえて、なんとなく足を運んでみたのだった。チョウチョウサマとかよくわからない単語も聞こえたような気がするが、とりあえず助けを求めていることには変わりない。
 そんなわけで海岸を歩いてきたのだが、次に聞こえたのは間抜けたような叫び声だった。
「どう見たってサメじゃないっスかーっ!!」
 晴れていた海は突然、荒れだし、その砂浜では二人の男が何やら言い争っているようだ。
 ――大波が迫っているというのに、なんと悠長な。
 レヴィネヴァルドは少しばかり嘆息する。そして、自分と反対側から、小さな子供を連れた二人の男を見つけた。


「あー、トリリオン。助けてくれる人、連れてきてくれたんだねぇ。ありがとー」
 レオに抱きかかえられたトリリオンの海色の髪を撫でながら、ハリスはへにゃりと笑う。多少気心の知れた者に会えたからだろうか、状況は何一つ変わっていないが、トリリオンは安堵の笑みを見せる。
「それで、どうしたというのだ?」
 黒尽くめの少女、レヴィネヴァルドが聞く。
「うん、トリリオンの大事な喇叭をあのイルカが持って行っちゃってねぇ」
「だから、どう見たってサメっスー!」
「海豚……?」
 コジロー必死のツッコミをさらりと流して、レヴィネヴァルドは紫の瞳を荒れ狂う海へと向けた。
 白波の立つ波間に、三角の背びれと大きな巻き貝のようなものが見える。
「あれが、ラッパ?」
 レオが聞くと、トリリオンはこくりと頷く。
「大切な“かほう”なんです。もしこわれちゃったりしたら、お父さまにしかられちゃう」
 ぐすりと鼻を啜る子供をあやしながら、レオは周囲に目をやった。
 助けてあげたいのは山々だ。が、ちょっと困ったことに、レオは泳ぐことができないのだ。今までいた世界には、泳ぐ場所、ましてや海などなかった。銀幕市に来て初めて海という“自然”を目にしたのだ。
「鮫が云々という話はこの前見たが、海豚は無いな。いや、鯨が云々ならどこかで聞きかじったか」
「だからサメなんだってばーっ!」
「きみ、黙ってれば格好いいのにねぇ」
「どういう意味っスか! あああ、蝶々サマ、何笑ってるんスかー!」
「? 虚空、見る、何する、ですか?」
 コジローたちは未だにサメ談義で盛り上がっていた。いや、コジローの挙動を楽しんでいるように見えなくもない。
 しかし、荒波はそんな談義を静観してくれるはずはなく、トリリオンが高く喉を鳴らすと、龍花が前に出た。右腕を引き、津波に向かって掌底を突き出す。波は割れ、巨大な顎が牙を零しながら海に戻っていく。背びれだけを海面に出し、海の喇叭を囲むようにぐるぐると回った。
「わー、すごいねー」
 ハリスが言うと、龍花は微笑む。
「サメ、ワタシ、任せる、よろしいです。ラッパ、お願いする、です」
 それに頷きあって、海を見る。
 龍花の掌底で警戒心を強めたのか、サメはいまだに喇叭の周りを回っている。
「任せてください。こういう時、何をすればいいか、オレには分かってるんスから!」
 振り返ると、コジローは髪を掻き上げ、白い歯をきらりと輝かせた。
「蝶々サマに祈ればいいんスよ!」
 効果音が付くとすれば、どーん、といったところだろうか。次いでひゅるると冷たい風が吹く。
 ハリスはトリリオンを後ろに庇い、自分より前に出ないよう、促す。龍花は彼らの少し前に出て、姿勢を低く保つ。レヴィネヴァルドは何かぶつぶつと呟きながら、紫の双眸をじっと三角の背びれに向けていた。
 コジローはむっと凛々しい眉根を寄せる。
「信じてないっスね! いいっスよ、今証明してみせるっスから! ……ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。助けてください。蝶々サマ!」
 ばっと手を広げたところ、波がざっぱんとコジローに被さった。
 水も滴るいい男は、砂浜で白ゴマとなってばたりと倒れた。
「ええと……大丈夫?」
 レオがぽりぽりと頬を掻きながら聞くと、コジローは水泳で鍛え上げられた筋肉をバネのようにして飛び上がる。
「オレは、バラフライ・コジロー。あんな波くらい、大丈夫っスよ!」
 きらりと光る歯が眩しい。いろんな意味で、涙が溢れそうだ。
 ぐっといい笑顔で決めたコジローは、ふとレオの前に組み上がりつつある機械に目をやった。視線に気づくと、レオは笑ってみせる。
「僕、泳げないから。でも、これなら……」
 恐ろしいスピードで、レオはスクラップを組み上げていく。どこから取り出したのか、工具一式を砂浜に広げ、自在に操り、まるで機械と話をしているかのように、迷い無く手を動かす。そうして出来上がったのは水上バイクのようだった。
「即席だから、あんまり長くは使えないかもしれないけどね。これで近づけるよ」
 言って、水上バイクを波間へ繰り出す。
「水中で呼吸は出来るようにしておくよー」
 嵐の中、ふんわりとした声がしかし確かにレオの耳に届く。レオは片手をあげて、バイクにまたがった。
 それを見て、レヴィネヴァルドはふむ、と顔を上げる。
「水中戦の経験は無い。が、補助は出来よう。大蛸は……いや、やり難いな」
 言いながら、レヴィネヴァルドは荒れ狂う海へ飛び込む。
 トリリオンが見たのは、黒尽くめの少女ではなく、巨大な人魚だった。
「わー。あの子、変身できるんだー」
 間延びした声がちらりとコジローを見やる。コジローは対抗心を燃やしたようで、白波立つ荒波へ走っていく。
「呼吸、出来るようにしてあげようかー?」
「バラフライ・コジローに、そんなものはいらないっス!」
 うねる波に抗いながら、全身の筋肉を総動員してコジローは人魚とバイクの後を追う。ハリスはくすくすと笑いながら、トリリオンを背後に、龍花と海を見据えた。

「僕がここにいられるチャンスは一回だから、二人とも頼むよ!」
「わかった」
「任せ……るっス……よーっ!」
 レオは落ちないようバイクにしっかと掴まり、レヴィネヴァルドとコジローの後ろへ回る。三角の背びれはとぷりと波間に消えると、巨大なうねりと共に顎を剥いた。先ほど龍花の掌底をくらって折られたはずの牙は、すでに生え替わって鋭さを増していた。
 やっぱりサメじゃないか、と思いながらコジローはうねりに半ば流されるようにして体勢を元に戻す。レオも魚のように泳ぐコジローに倣い、うねりに逆らわずとにかくバイクを横転させないことだけを考える。後は、機械が教えてくれる。レオにとって、『機械』と呼べるものは友人だ。どちらへ向けば安全なのか、その意志のようなものを感じ取ることが出来る。
 レヴィネヴァルドは、その巨大なともすれば体をねじ切られるのではないかといううねりをものともせずに、サメが迫りくるのを待っていた。腕をすっと持ち上げると、からみついた輪がランス状に変形する。もう片方の手をつと添えれば、ランスの表面に“光の刃”を膜状に生成される。
 迫る鋭い牙に、刃を突き立てようと振りかぶったとき。
 小さな声が、吹き荒ぶ風と荒れ狂う波の間から聞こえた。

 ──ころさないで!

 一瞬の躊躇。
 鋭利な牙が、眼前まで迫っていた。
「レヴィネヴァルドさんっ!」
「喇叭を」
 小さく呟いて、レヴィネヴァルドはランスを腕輪に戻し、その腕をくれてやる。青い血が噴き出した。
 レオは前を向き、コジローの導く先を走る。手を伸ばす。
 レヴィネヴァルドは端正な顔を少しばかり歪ませて、押し寄せる波に逆らわず、ただ押し流されるままに巨大魚と絡み合う。下手に引き抜こうとすれば、真実腕を持っていかれる。しかし、いつまでもしゃぶらせてやるつもりはない。
 砂浜近くに来たところで、人魚は顎下に当たる部分を尻尾で叩き上げた。牙を細い腕に残しながら、サメは大きく宙に舞う。口元から赤い血を滴らせながら、サメはうねる海面に突っ込んだ。
 四メートルもの巨体が嵐の海に叩き付けられ、それで新たに生まれたうねりにより生まれた大波を、砂浜で龍花が断ち割る。砂浜で少女の姿に戻ったレヴィネヴァルドを、ハリスが波打ち際から抱き上げた。
「うわっ……!」
 レオはそのうねりに煽られ、為す術もなく飲み込まれていく。波に弄ばれ、海面がどちらなのか、すでに判断は出来なかった。ハリスのおかげで息は出来る。が、レオが泳げないことに変わりはないのだ。
 どうせなら、泳げるようにもしてくれたらよかったのになぁ。
 呼吸は出来るので意識ははっきりとしているが、体は思うように動かない。ぼうやりとした視界の中で、何かが自分に向かってきた。
「レオ!」
 海面上で息が出来るようになると、コジローがレオの脇下を抱えて頬を叩く。焦点がしっかりと合いコジローを認めると、コジローはほっとした顔を浮かべて、浜辺へ向かい出した。波に乗れば、泳ぐよりも早く浜辺へ着ける。

「ごめんなさいっ…ごめんなさい……っ!」
 牙が突き刺さり青い血が白い腕を伝うのを見て、トリリオンは泣きじゃくる。
 例えどんなに凶暴でも、海に住まうものは海の子供にとって家族のようなもの。海の喇叭を奪ったのは確かに彼の巨大魚だが、出来るだけその死は避けたかった。
「う、ごめんなさい……ごめんなさいっ……ら、らっぱ……らっぱを取ってもらえれば、ぼくがあの子を海へかえせるから……だから…っ……ごめんなさい……っ」
 レヴィネヴァルドは無造作に牙を引き抜き、血止めを龍花にしてもらいながら、じっと泣きじゃくる子供を見ていた。トリリオンは沈黙が怖いのか、言葉を続ける。
「…っけ、けがをさせてしまって……ほんとうにごめんなさい、いっ……いたい、ですよね……本当にごめんなさい……」
 ぼろぼろと大粒の涙を流す子供を頭を、レヴィネヴァルドはもう片方の手で撫でつける。じっと見つめる海色の幼い瞳を、紫の瞳で見返した。
「我は大丈夫だ」
 短い、言葉だった。しかしそれは、トリリオンの涙を止めるに十分だった。
 しゅるりと包帯を巻き終えて、龍花は顔を上げる。
「血、止まる、しました。不思議です。素晴らしい」
「我は、人では無い故な」
 不敵に笑うレヴィネヴァルドに、龍花は頷き微笑み返す。
 実際、レヴィネヴァルドの回復力は目を見張るものがあった。出血は多かったが、血止めの薬草を軽く当てただけでひとまず止まるは止まったのだ。それは龍花の薬草が、レヴィネヴァルドの治癒力を助けたということももちろんある。その点に関しては、不敵に笑いながらレヴィネヴァルドも驚いた。
「レヴィネヴァルドさん、大丈夫?」
 海から無事に上がってきたレオが、その後ろからコジローが駆け寄る。
「大事無い」
 頷き、レヴィネヴァルドはふらつくこともなく立ち上がる。再び旋回しだしたサメを一瞥して、一歩踏み出したところで、服の裾を掴まれた。振り返ると、トリリオンが自分を見上げていた。
 そっとその手を離させ、もう一度頭を撫でる。
「大丈夫だ。……殺さない」
 言って、レヴィネヴァルドは背を向ける。その背に、トリリオンは複雑な、申し訳なさそうな視線を向けていた。
 その小さな背中を、龍花がそっと撫でた。

「このままでは埒が明かない」
 レヴィネヴァルドに、コジローとレオは頷く。
「……落雷と大渦は周囲を巻き込む、氷結は無理。干上がらせるのは……」
「なに危ないこと言ってんだよ! アンタかわいい顔して怖いなっ!」
 すぱんと裏手ツッコミを入れて、コジローはキリッと三角背びれを見る。
「オレがラッパを取るから、二人はサメをどうにかしてくれよ」
 言い終わるやいなや、コジローは海へ走った。やれやれとレヴィネヴァルドは頭を振る。
「そなたは如何する」
「……銛打ち砲台でも作ってサメに隙を作るから、それで押さえておいて」
 いくら息が出来ても、泳げないんじゃ足手まといになるしね。そう付け加えて、レオは踵を返し、スクラップを組み立て始める。それに頷いて、レヴィネヴァルドは全長十数メートルの大海蛇──シーサーペントに変身し、荒れ狂う海へ悠然と泳ぎだした。
 コジローは波に逆らい、時に流されながら、確実に喇叭へと近づいていく。サメは喇叭から離れようとせず、向かい来るのを待っているようだ。
 サメのくせに、と内心思いながら、サメなんだよなぁ、とも思う。
「大丈夫だ、大丈夫だぞ。オレには蝶々サマがついてるんだ……」
 大荒れの海を泳ぐのは骨が折れるが、泳ぐことが生き甲斐とも言えるコジローにとっては新地開拓のようなものだ。どこかで、この荒れた海を泳ぐことを楽しんでいる。
「そろそろ参る。よろしいか」
 すぐそばで、レヴィネヴァルドの声がする。今度は巨大なウミヘビにでも変身したのかと、心の隅で壮絶にびびりながら、コジローは頷いた。それに応えて、レヴィネヴァルドはうねりを上げながら巨体をサメへと向けた。
 浜辺では、レオが銛打ち砲台を完成させ、その照準をサメと喇叭の間に合わせる。
「いくよっ!」
 レヴィネヴァルドの長い尾が応えるように海面を叩いた。銛を発射させる。
 吹き荒ぶ風に、銛は少し進路を変えたがサメに当たることなく、海面を叩いた。サメは驚き、その顎をコジローに剥く。その横から、レヴィネヴァルドが巨体を絡ませ動きを封じた。サメは藻掻き、凶暴な歯を鳴らす。
「……空と違って身体の重いことだ」
 一人ごちながら、レヴィネヴァルドはコジローがその手に喇叭を掴んだのをはっきりと見た。
 それで、気がゆるんだのだろうか。
 しっかと絡め取っていたはずのサメがすり抜け、喇叭を手にしたコジローを一のみにしたのだ。
「コジローさん!」
 浜辺から、驚愕の声が上がる。
 レヴィネヴァルドは小さく舌打ちをして、嘲笑うように大津波を引き起こすサメに向かう。その、巨大な顎の下。立ち上がる津波の真っ直中に突っ込み、その腹を叩き上げた。
 波の中から中空へ、サメの巨体が舞い上がった。その巨体は浜辺に打ち付けられびくりと体を痙攣させる。龍花がサメの腹を強打すると、鋭い牙に引っかかれながら、コジローが口から転がり出てきた。
「コジローさんっ!」
 トリリオンが駆け寄る。コジローは頭から血をダラダラと流しながら、根性で立ち上がり、一抱えもある喇叭を手渡した。
「もう離しちゃダメだぞ」
 爽やかな笑みを浮かべて、コジローはぱたりと浜辺に倒れた。血を流しながらでは、爽やかも何もなかったが。
 おろおろとするトリリオンに、レオはラッパを、と促す。はっとして振り返ると、レヴィネヴァルドが浜辺へ戻り、ハリスがサメを海へと担ぎ出しているところだった。
 ハリスが振り返り、頷く。
 こくりと頷いて、トリリオンは海の喇叭を吹き鳴らした。

 ◆ ◆ ◆

「あのあの、本当にありがとうございました!」
 星砂海岸に晴天が戻ると、トリリオンはぺこりと頭を下げた。
 レオはそんなトリリオンを微笑ましく見つめ、龍花はコジローの介抱をしながら微笑んだ。レヴィネヴァルドは元の黒尽くめの少女姿に戻り、無表情ながらもどこか優しげな視線でトリリオンを見つめる。
「でも、最後はトリリオンのお陰だから」
 レオが笑うと、小さな子供は顔を真っ赤にして手を振った。
 その様子がまた可愛らしくて、その場に和やかな空気が流れた。
 晴天が戻ると、濡れた服はあっという間に乾いた。日陰でもないのに語らっていられるのは、ハリスの魔術によるものだ。日差しは眩しいが、吹く風も空気も涼しい。
「やー、それにしてもさすが、海の喇叭だねぇ。波も収まったしー、あのイルカもちゃんと戻っていったし。やっぱり、海の子供が吹いたからだねー」
「雄々しい、素晴らしい、音色でした」
 ハリスに龍花も頷く。
「しばらく銀幕市にいるのか?」
 レヴィネヴァルドが聞くと、トリリオンははい、と頷いた。銀幕市の誰かの家に泊まらせてもらうことになっていると続ける。
「それなら、僕の家に泊まっていいよ。……機械だらけでびっくりしちゃうかもしれないけど」
 レオが言うと、トリリオンは目を輝かせた。
 ありがとうございます、と今日何度目になるか分からない礼を述べると、トリリオンは大きな海色の瞳で皆と視線を合わせる。
「あのあの、日が沈むまで、みなさん、時間はありますか……?」
 その先に続けられるであろう言葉を推測して、皆は笑顔で頷く。海色をした海の子供は、満面に笑みを浮かべて浜辺を跳ねた。
 波打ち際の波が、トリリオンに合わせてぱしゃりと踊った。

「うぅー……サメはイルカじゃないっスよー……蝶々サマ助けてぇぇ……」
 うなされ顔も絵になるバタフライのうなり声は、しばし浜辺に笑い声を響かせた。

クリエイターコメントこんにちは、木原雨月です。
トリリオンの海の喇叭を見事取り返して頂き、誠にありがとうございました。
今回は戦闘ということで、シリアスっぽい空気も織り交ぜながらのノベルとなりました。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
公開日時2007-08-23(木) 19:30
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