★ Doggy Panic!? ★
<オープニング>

ん、ああ、あんたらか。
なんや、面倒なことになったみたいやな。

『天獄聖大戦』てファンタジー映画から、地獄の一部が実体化したらしいんやが、現世と地獄とをつなぐ門を守っとる番犬のヤツが逃げ出したんやと。
そいつがおらんと現世から普通の人間が地獄に迷い込む恐れはあるわ、地獄の住人が現世、つまり銀幕市に出ていってまう恐れはあるわで、門番の連中もほとほと困り果ててるらしいわ。まぁ、地獄の門番なんて強面どもが困り果ててるっちゅうのも間抜けな話やけどな。

そんなわけで、あんたら、なんやったら捕獲を手伝ってやってくれへんやろか。
地獄の門なんてご大層なモンを守っとる犬や、悪いモンを引き寄せて騒動を起こしとるかもしれんし、おまけにちぃっと気は荒いかもしれんけどな。

種別名シナリオ 管理番号9
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
クリエイターコメント有り体に言うとワンコ捕獲シナリオです。どうやら邪魔が入りそうなので、腕に覚えのある方は是非。もっとも、地獄の、などという修飾はされていますが、ワンコはワンコ。恐ろしげに思えますが、実は、力尽くなんて方法は必要ないのかも……?

参加者
椿 一(cszf9776) エキストラ 男 29歳 便利屋
取島 カラス(cvyd7512) ムービーファン 男 36歳 イラストレーター
桐原 和雄(cerx9713) ムービーファン 男 15歳 高校生兼探偵
七海 遥(crvy7296) ムービーファン 女 16歳 高校生
久賀美 りん(cmnx9572) ムービーファン 女 23歳 大手デパート販売員
<ノベル>

 銀幕市の南端で、黒々とした威容を見せつける大きな――どことなく有機的な印象を与える――門の前には、何とも珍妙な顔をした五人の男女の姿がある。
 五人の視線は、皆一様に、男泣きに泣く番人へと向けられていた。
「ええと……それで、番人さん」
 滂沱たる涙に加え、鼻水すら垂らしだした番人に向かい、困ったように声をかけたのは椿一(つばきはじめ)だ。中肉中背の、どこにでもいそうな青年だが、理知的で穏やかな顔つきは好感を抱かれやすいだろう。
「事情を教えていただけるとこちらとしても助かるんですが」
「情報は多い方がいいしな」
 同意したのは取島(とりしま)カラスだ。肩ほどまでの黒髪を無造作にくくった、やはり中肉中背の男だが、その双眸は穏やかながら力強い。ジャケットのポケットには真っ黒なバッキーが詰め込まれていて、そこから黒い門を見上げている。
『はい……ここ数日、『天獄聖大戦』内の登場人物が一気に実体化してしまった混乱で、地獄全体がパニックに陥っているのです。昨日、地獄の住人の一部が起こした暴動の鎮圧中、誤って門が開いてしまいまして』
「……ああ、それで逃げ出しちゃったんですか」
 大きく頷いたのは七海遥(ななうみはるか)、私立綺羅星学園高等部の制服を着た少女だ。表情豊かな黒瞳が魅力的な彼女は、何故か手にサイン帳らしきものを持っている。彼女の肩に陣取ったバッキーは、物珍しそうに門と番人とを見ていた。
「そりゃ、千載一遇のチャンスよね。外には珍しいものもたくさんあるし、私だって逃げ出したかもしれないわ」
 凛々しいと表現するのが相応しい久賀美(くがみ)りんが溜め息とともにそう言うと、番人はまたしてもよよよと泣き崩れる。
 犬を溺愛している飼い主といえば聞こえはいいが、額から三本の、牡羊のそれを髣髴とさせる凶悪な角が突き出た、身の丈二メートルを超えそうな赤銅の肌の巨漢にやられると、微妙な表情をせざるを得ない。
「でも、簡単なことっスよね? ワンちゃんを捕まえて、ここに連れてきてあげればいいんスから」
 その微妙さにもめげず、のんびりと言い放った少年に、顔を見合わせた椿と取島が苦笑してから頷いた。
「桐原さんの言うとおりですね。難しく考えても仕方ありません」
「ま、言ってしまえばそういうことか。桐原は大物だな」
「こうしてここに来たのもご縁だし、お手伝いしちゃう。何をしたらいいかな? ねえ、シオン?」
「何せあのドウジさんに頼まれちゃったんですもの、そりゃもう張り切ってやるしかないわよね」
 四人がめいめいに頷くと、桐原和雄(きりはらかずお)が嬉しげに笑った。ハーブカラーのバッキーが、肩の上でふんふんと周囲の匂いを嗅いでいる。
『あ、ありがとうございます……!』
 ごつい、恐ろしい顔を希望と喜びに輝かせた番人が、ゴツゴツした拳で涙を拭って立ち上がる。
『ええと、では、外見的な特徴などを……』

 ――そこから一時間後、そろそろ正午に差しかかろうかという辺りで、行動は開始された。
「さて……では、始めましょうか」
 何でも屋を営んでいる椿が、素早く自宅のパソコンで『迷い犬』のチラシを作ってきたので、取島がケルベロスの特徴をイラストにし――何せ、地獄には写真など存在しなかったのだ――、それをコピーしてめいめいに配る。
 自称イラストレーターだけあって、取島の描いたケルベロスはちょっぴり歪んでいたり漫画的タッチだったりしたが、それでも、猟犬を彷彿とさせる鋭い顔立ちの三つ首と、竜の頭部の形をした尻尾という、見間違いようのない特徴はしっかりと描写されていた。
 これをワンちゃんなどと可愛らしく言っていいのかは微妙なところだが、少なくとも、捜索に加わった五人の認識は『迷い犬』である。『飼い主』の番人の態度がそれに拍車をかけている、というのもあるかもしれない。
 だが、これでケルベロスが捕まらないと、地獄の住民たちが銀幕市に溢れ出したり、銀幕市の市民たちが地獄に迷い込んでしまったりする可能性もあるということだから、責任は重大だ。
「二手に分かれた方がいいかしらね。そう遠くまでは行っていないだろうといっても、銀幕市は広いから」
「あ、そうですね。どうしましょう? それと皆さん、荒事の方はどのくらいお得意ですか? お恥ずかしながら、私はあまり。体力には自信があるんですけどね」
「俺は……まぁそこそこってとこか。無駄な争いは避けたいけどな」
「私は全然ダメですねー。だって普通の女子高生だもん。桐原君は?」
「僕っスか? そうっスねー、時と場合によるっスよ。でも、全然、からっきしダメってことはないっス」
「へえー、桐原君ってすごいんだぁ。久賀美さんはどうですか?」
「私も弱くはないと自負してるけど。――そうね、じゃあ、私と桐原君と遥さんで組みましょう。何かあっても、私と桐原君で遥さんを守ってあげられるわ。殿方ふたりなら、何とかなるわよね?」
「なるほど、そうですね。じゃあ取島さん、お願いしてもいいですか?」
「判った。まぁ、『悪いもの』とやらに出くわさないことを祈ろう」
 取島が滑稽な仕草で肩をすくめてみせると、あちこちからかすかな笑い声が起こった。
 ちなみに、何故彼ら五人が、迷い犬の捜索でここまで腕っ節にこだわっているかというと、ケルベロスという番犬の性質について番人から説明を受けていたためだ。ケルベロスは、気性こそ荒いものの、無益な争いや残忍な行いを好まない、誇り高い精神の持ち主であるらしい。
 しかし、地獄の門を守るという性質上、瘴気をその身に帯びやすく、それゆえに、地上ではあちこちから悪しき存在を引き寄せてしまうかもしれない、とのことだったのだ。
 ムービーハザードを食べてしまうバッキーの飼い主が四人いるとはいえ、ムービースターたちのような異能力とは無縁な彼らが、その『悪しきもの』を警戒するのは当然のことだったが、
「ま、当たって砕けろ、案ずるより産むが易しっスよ! 行ってみましょう!」
 あっけらかんと桐原が言うように、五人に緊迫感というものはないようだ。彼らは、めいめいに他愛ない会話に花を咲かせていた。
「私、あとで番人さんとケルベロスさんにもらいたいなー。コレクションが増えるから」
「番人さんはともかく、犬にどうやってサインもらうの?」
「え、肉球のハンコでも全然問題ないですよ?」
「それは案外可愛らしいかもしれないな。それなら俺もほしい」
「へえ、桐原さんは高校生なのに探偵もやってるんですか。すごいですね」
「いやあ、それほどでもないっスよー」
 そうして一行は、ケルベロスなら騒ぎになることを避けて人通りの少ない静かな場所へ行くだろうという番人の言に従い、静かな――といえば聞こえはいいが、要は少々寂れた――住宅街、山に近い所為か空き地が多く、妙に閑散としているように感じられる地域へと入り込んだ。
 昼時だからなのか――昼時にしてはというべきか――、周囲はシンと静かで、人通りはほとんどない。
「じゃあおふたりさん、私たちはこの通りを真直ぐ行くわ」
「了解です。我々はこの三つほど向こうの通りを同じ方向に向かって進みます。定期的に連絡は取り合うようにしましょうね」
 久賀美が手を振ると、笑って手を振り返した椿と取島が、きびきびした足取りで件の通りへと歩いてゆく。
「じゃあ、私はこのチラシを電柱に張る係やりますねっ」
 椿と取島の背中を見送ったあと、三人はチラシを電柱に張ったり、時折出会う住人たちに事情を説明してケルベロスの行方を尋ねたりしたものの、そこから小一時間経っても有効な情報は得られなかった。
 ただ、明け方近くに帰宅した住民のひとりが、大きな黒い影と、それを追うようにまとわりつく、不気味な形をしたいくつもの影を見ていた。
 では方角はこちらでいいのだと、気を取り直した一行が、目撃情報の交換をしつつ、更に同一方向へと進むこと二時間。
 その辺りになると、かなりの数の住人が、三つの首を持った大きな犬が沢山の怪物と一緒に走り去るところを目撃していたが、奇妙なことに――そして幸いにも――、ケルベロスや怪物たちによる被害はまだ一件もない。
 久賀美が取島からの電話に応対し、桐原が通りかかった老人にチラシを渡して事情を説明し、情報収集しているのを横目に見ながら、近くの電柱にチラシを貼りつけていた七海は、桐原の話を熱心に聞いていた老人が、屋根の上を見遣るや唐突にぽかんと口を開けたのを見た。
「あ、あああ、あれ……!」
 皺だらけの指が震えながら自分の背後を指差すに当たって、振り返った桐原が目を瞬かせる。
 それに気づいた久賀美が言葉少なに携帯電話を切った。
「ケルベロス……じゃ、ないわね……」
「どう観ても犬じゃないっスもんねー」
「わー、すごーい。あれって確か、『モンスター・ゲーム』のガーゴイルと、『海棲』のアハ・イシュケじゃない? わーわー、サインほしいー!」
 興奮する七海の言うように、屋根の上には、竜と人と鳥を融合させたような奇妙な怪物と、毛並みのいい馬の姿をした生き物の姿があった。
 それらは、明らかに一行を見ていた。
 その、人ならぬ目に浮かぶのは、
「……何か、殺る気満々っスね」
「本当に。桐原君、どっちがいい?」
「久賀美さんはどうっスか?」
「ガーゴイルの方が蹴りやすそうかなって思うけど」
「じゃあ僕は馬の方でいいっスよ」
 敵意、殺意以外の何物でもなかった。
 岩が軋むような声で宣戦布告さながらに吼えたガーゴイルが、灰色の翼を大きく広げると、特に気負うでもなく戦闘体勢に入る桐原と久賀美向かって跳躍する。馬の蹄で一体どうやってバランスの悪い屋根の上に立っていたのかはさておき、アハ・イシュケもまた高らかにいなないて跳躍した。
「アハ・イシュケは背中に触ると離れなくなっちゃうから気をつけてね!」
 映画マニアの七海の言葉に軽く頷いた桐原が、常ののんびりした動作からは想像もつかないほど素早い動きで、地響きを立てて着地した馬の懐へと入り込む。人好きのする笑みに彩られているはずの顔には、今は好戦的な表情が浮かんでいた。
「雑魚に構ってる暇はないっスもんねぇ」
 身体をひねって体勢を変えた桐原が、ひょいと伸び上がるやアハ・イシュケの首を両手で鷲掴みにし、
「いっせーの、っと」
 気楽な言葉とともに思い切り捩ると、ごりっ、という生々しい音がして、馬の首が奇妙な方向に曲がった。馬の喉がごぶりと鳴る。
 よろよろよろめいて倒れたアハ・イシュケが、ゆっくりとプレミア・フィルムに戻るのを、桐原は晴れやかな表情で見下ろした。
「ちょろいっスね。手応えがないってゆーか」
「あらら、やるわね」
 ガーゴイルと対峙する久賀美にも緊迫感はない。これらの騒ぎが日常茶飯事だということもあるが、何より、アクション映画を愛し日々実践もする彼女の胆(きも)は恐ろしく据わっている。
 しゃああっ、と鳴いたガーゴイルが、双眸を禍々しい黄色に輝かせながら飛びかかってくる。硬そうな質感の肌は、まるで石のようだ。
「まぁ、的がしっかりしてる方がやりやすいしね」
 淡々と嘯(うそぶ)くと、久賀美は目を細めて怪物の突進をひょいと避けた。
 体勢を崩したガーゴイルの意識が久賀美からそれたほんの一瞬の間に、彼女はその美脚を振り上げ、怪物の後頭部に踵落としを食らわせていた。鋭く空を切る音とともに、ごつり、という鈍い打擲(ちょうちゃく)音が響く。
 確認するまでもなく、ガーゴイルは地面に落ちてバタバタともがいていた。
「そいつ、食べちゃって!」
 久賀美の言葉に従って、彼女の連れていたサニーデイカラーのバッキーが、ガーゴイルへとにじり寄り、もそもそと食べ始める。
 ものの数分で、ガーゴイルはプレミア・フィルムへと戻っていた。
「ふたりとも、すごーい!」
 七海の賞賛の言葉に苦笑した久賀美が首を横に振ったとき、ものすごい咆哮が周囲を震わせた。逃げるに逃げられず硬直していた老人がひっと息を飲み、照れていた桐原の表情が引き締まる。
 はっと見遣った先には、道路の真ん中を駆け抜けてゆく巨大な三つ首の犬と、それに追いすがる沢山の怪物たちと、更にそれを追う椿と取島の姿があった。
 一瞬、じゃれあっているかのような印象を受けたものの、よく観ると、怪物たちはケルベロスに執拗な攻撃を加えているのだった。
 ケルベロスが鬱陶しげに唸り声を上げるのが、何十メートルも離れたところからも聞こえる。
「すごいっ……『オシリスの聖裁』のアメミットに『幻想博物誌』のアンフィスバエナ、『ニーヴルヘイム』のガルムに『新説西遊記伝』の九頭?馬(きゅうとうふば)、『日本怪異行』の鵺(ぬえ)に『アトランティスの落日』のペリュトンまで!」
 七海が、マニア向けで知られるファンタジー映画の、主に敵役として登場したモンスターたちの名を軽々とそらんじてみせる。
 一般人には、名前を聞いただけでは何のことかさっぱり判らないような連中ばかりだが、ライオンの身体に鰐の頭、カバの後足を持っているのがアメミット、身体の両端に頭がついた奇妙な大蛇がアンフィスバエナ、胸に血を赤くこびりつかせた大きな狼がガルム、トンボのように透きとおった羽を持つ九ツ頭の大蜥蜴が九頭?馬、頭が猿で尾が蛇、手足が虎の姿をした怪物が鵺、鳥の胴体と翼、鹿の頭と脚を持つのがペリュトンだ。
 日常生活で知っている必要性の一切ない連中ばかりである。
 どれも様々な神話や説話などで聞かれる怪物たちだが、それがこうして一堂に会している様などは圧巻ですらある。
 また、ケルベロスの咆哮が響いた。
「私たちも、行きましょう!」
 久賀美の言葉とともに走り出した三人がモンスターたちに追いついたのは、距離が離れていたこともあってそこから十分ほどが経ってからだったが、ちょっとした広場になったそこでは、取島が九頭の大蜥蜴と向かい合っていた。
 物陰に隠れた椿が、ひっそり取島とケルベロスに声援を送っていたが、突っ込んでいる場合ではないので桐原も久賀美も無視を決め込む。戦うすべを持たない七海だけが、彼と同じ物陰へ身体を滑り込ませた。
「あの怪物たちみんな、ケルベロスの瘴気が呼び寄せちゃったのかな?」
「そのようですね。彼らは、異端者を排除しようとして襲いかかってるんじゃないかと思います」
「助けてあげないと、番人さんがまた泣いちゃう」
「……じゃあ、一緒に応援しましょう」
「了解ですっ。シオン、お前も応援してあげてね」
 ふたりと一匹がこそこそと応援するまでもなく、ばっちり戦闘モード突入中の三人に躊躇や逡巡はない。
「あのな、俺は本当は平和主義者なんだぞ……? その俺にこんな暴力を揮わせるからには、覚悟しろよ、お前」
 淡々と――飄々とした言葉のあと、鋭い呼気とともに繰り出された取島の蹴りが、九頭?馬の腹部を強かに打ち据えると、蜥蜴は忌々しげな声をあげて地面を転がった。
 そこへ追いすがった取島が、固めた拳で頭のひとつを強打する。蜥蜴はギャッという悲鳴を上げ、殴られた頭から血を流しながら逃げて行った。
 取島が息を吐く。
「はいはい、怪我したくなかったらとっとと逃げてほしいっス〜」
 まったく緊迫感のない声は桐原のものだ。彼は、不気味な叫び声とともに飛びかかってきた鵺の巨体を危なげなく避け、時間差で突っ込んできたアメミットの背中を踏んづけて笑いながら逃げる。
「僕を倒したかったらもっと本気で来なきゃ駄目っスよ」
 鵺が唸った。アメミットがぬらりとした燐光を放つ目を殺意で輝かせる。
 しかし桐原には堪えた様子もなく、彼は、再度飛びかかってきた鵺の額を正確無比に拳で一撃し、更に流麗な回し蹴りで吹っ飛ばした。
 飛び起き、怒りに目を燃え立たせた鵺が甲高い鳴き声とともに突っ込んでくると、巧みに身体の位置をずらし、ちょうど同じように突っ込んできたアメミットと鉢合わせにさせてしまった。
 思い切り頭突きを食らわせ合ってしまった二頭の怪物が、泡を吹いて引っ繰り返る。
「莫、それ食っておくっスよ。腹ごしらえっス」
 桐原に言われたパステルカラーのバッキーが、ふんふんと鼻を鳴らしながら怪物の身体によじ登り、もぐもぐと咀嚼し始める。少々量が多く、完食には時間がかかりそうだったが、それでもその二体がプレミア・フィルムに変化するのも時間の問題だった。
「あ、久賀美さん、そのアンフィスバエナっていう蛇は毒を吐きますから注意してくださいね!」
「そうなの? 判ったわ、気をつける」
 桐原の背後の久賀美は、七海の忠告に従って、双頭の蛇アンフィスバエナが吐き出した猛毒を軽く避けると、その胴体の真ん中を思い切り踏みつけた。足元から踏んづけられた蛙のような悲鳴が上がって、久賀美が更に力をこめて踏み躙(にじ)ると、ついに蛇は真ん中から千切れてしまった。
 ぴくぴく痙攣するそれをバッキーに食べさせると、久賀美は、現在取島と交戦中の、鳥と鹿を合体させたような怪物へと向かって行った。
 椿と七海は、ちょっとしたアクションファンタジー映画を観ているような気持ちで、暢気に拍手をするばかりだ。
 無論ケルベロスも黙ってはいなかった。
 身の丈二メートルを超えようかという彼は、自分と同じくらいのサイズのある大狼ガルムに飛びかかり、首筋に喰らいつくやその巨体を地面に引きずり倒したのだ。
 キャン、という情けない悲鳴はガルムのものだろうか。
 どうやら殺すつもりはなかったらしいケルベロスが首筋を解放すると、ガルムは黒っぽい血をこぼしながらほうほうの態で逃げて行った。
 更に、取島にぶん殴られ、久賀美に蹴り飛ばされたペリュトンが鳴きながら逃げていくと、周囲には沈黙が訪れる。
 戦闘に加わった三人が深呼吸とともに背伸びをし、応援ふたりは盛大な、惜しみない拍手を送る。
 ケルベロスは血のついた足を舐めたり毛づくろいをしつつ、五人を警戒の眼差しで見ていたが、さてどうしようかと思案する面々の中、にっこり笑った七海が、
「ねえねえねえっ、おなか空いてない? おやつにしようよ!」
 底抜けに明るく言うや、鞄からビーフジャーキーやチーズ、骨ガムなどと取り出すに至って、ルビーのような真紅の眼を瞬かせた。
 そこに敵意はない。
「あ、準備がいいですね七海さん。かくいう私もこんなもの持ってきました」
「わぁ、新作のチキンビスケット!」
「あら、私はグルーミングブラシを持って来たわよ。やっぱり基本はスキンシップよね」
「僕はフリスビーを持って来たっス!」
「俺はボールだ。しかしなんだ、犬好きの夢みたいなことになってきたな」
 準備のいい、まさに迷子の犬を探すつもりで来た面々が、それぞれのアイテムを取り出すと、不意にケルベロスが身じろぎした。ドラゴンの頭部という恐ろしげな形をした尻尾が、犬と変わらぬ動きでパタパタと動いたのを、五人は確かに見た。
 そのあとケルベロスは、上体を低くし、お尻だけを高く上げる仕草をする。尻尾が忙(せわ)しなく動いた。頭が三つあることなど何の関係もなく、それはまさに犬の動作だった。
「……これって遊んでほしいポーズですよね。以前他の迷い犬探しをしていたときも、こんな恰好してましたし」
 椿が注釈をつけるまでもなく、全員が、ケルベロスが何を望んでいるかを理解していた。
「……早く連れて帰ってあげた方がいいとは思うけど、でも、退屈してたのに無理に連れ帰っちゃ可哀相よね?」
「うんうん。せっかくオヤツも持って来たことだし」
「僕、おっきいワンちゃんとフリスビーやりたいっス!」
「まだ日も高いことですし、いいんじゃないですか? 地獄の番犬と遊ぶなんて、いい記念になりますよ」
「じゃあ、決定だな」
 すっかりその気になっている一行に笑った取島が、ケルベロスに向かってボールを投げると、彼は大きくジャンプしてそれをくわえ、器用に一回転してから着地した。
 七海と久賀美が歓声を上げ、ケルベロスの元へ走り寄った。
 その背後に桐原と椿が続く。
「僕も触りたいっス〜」
「私もあの胸のところの毛をさわさわしたいです。というか、皆さんのバッキーさんのおなかももにもにしたいです」
 取島は携帯電話のモバイルカメラを起動させ、色々なオヤツをもらい、ブラシでグルーミングしてもらって、久賀美の膝に頭の一つを預けてうっとりしているケルベロスの様子を撮影していた。
 やがて、桐原がフリスビーについて自己主張を始めると、誰ともなく立ち上がって距離を取る。
 すぐに、盛大な歓声と楽しげな笑い声が弾けた。
 それはどこにでもある、平和で穏やかな日常の絵だった。

 ――心配のあまり身を細らせかけていた番人の元へ、ひどく満足した様子の愛犬が戻ってくるのは、そこから実に五時間が経ってからのことである。

クリエイターコメントご参加くださった方々、どうもありがとうございました。いかがでしたでしょうか。
PCさんたちをそれぞれに魅力的に書けるよう努力したつもりですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

地獄の方々はこれからも色々やらかしてくれそうな予感。そのときはどうぞよろしくお願いします。
公開日時2006-10-15(日) 19:20
感想メールはこちらから