★ Evening party of Queen of the Night ★
<オープニング>

 もえる。
 もえる。
 まっかにもえる。
 しろいやかたがもえてゆく。
 まっかにそまったくらやみがてんまでこがせとわらってる。
 まっかにそまったしろばながじごくのそこでないている。
 もえる。
 もえる。
 まっかにもえる。
 くらやみまっかにもえあがる。
 まっかにもえてめがさめる。


「……―――っ!」
 リオネは飛び起きた。
 心臓の音が、耳の奥で響いている。
 額には玉の汗が浮かび、体中が強張る。
 喉が、焼け付くようにひりつく。
 小さな手をぎゅっと握り、リオネはベッドから降りた。

 ★ ★ ★

「……招待状?」
 植村直樹は突然の来訪者に聞き返した。
 来訪者――赤銅の肌に黒い髪を持つ盗賊団【アルラキス】の一人、セイリオスは面倒くさそうに頷いた。
「多分、な。水を汲みに山へ出掛けたら、持っていってくれ、って頼まれた」
 セイリオスが言うには、声が聞こえたと思い振り返ったという。人はおらず、しかしそこには一枚の手紙が落ちていたとの事だった。声は細い女のようで、なにか変わった甘い香りがしたそうだ。
「なるほど……リオネちゃんも気になる予知をしていました。何か、関係があるかもしれませんね」
 神妙な顔で招待状を見つめ、はたと赤い瞳に視線を戻した。
「……で、なぜこちらに?」
「困ったときは対策課、なんだろう。ちゃんと“すとまらいざー10”とやらも持ってきたぞ」
 さも当然と言わんばかりに、むしろお前は頭が悪いのか、と言わんばかりにセイリオスは植村を睨め付ける。……いや、彼の場合は単に目つきが悪いだけだが。
 植村は肩を落とし溜め息を吐き、しかししっかりとストマライザー10を受け取った。
 セイリオスは踵を返す。
「セイリオスさんは行ってくださらないんですか?」
 てっきり彼も同行してくれると思っていた植村の声に、セイリオスはやはり面倒くさそうに振り返った。
「ベラが倒れて、――バカも茹だりやがって、それどころじゃねぇんだよ」
 セイリオスは懐から箱を取り出して植村へ投げる。慌ててそれを受け取り、顔を上げたときには赤銅の少年は姿を消していた。
 植村は溜め息を吐き、手元を見やる。
 小さな箱には、ストマライザー10と大きく書かれていた。


――突然のお手紙、無礼をどうぞお許しくださいませ。
 今宵、我が庭に甘き月の麗人が舞い降ります。
 その折に触れ、質素ながらも夜会を開こうと思い至り、筆を執った次第でございます。
 そう、まさしく一夜限り。
 新月の今宵のみ、麗人は咲き誇るのでございます。
 お時間ございましたらば、是非にいらしてくださいませ。
 誠心誠意、饗応させていただく所存でございます。
 しるべは、純白たる甘き芳香。
 それでは、ご来館を楽しみにお待ちしております。

                                月光館主 覇王

種別名シナリオ 管理番号206
クリエイター木原雨月(wdcr8267)
クリエイターコメントこんにちは、当シナリオをご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
木原雨月です。

此度のシナリオは既にご覧頂きました通り、月光館の夜会へ行っていただきます。
月光館は、杵間山付近にあります。
そこで何をするかは、皆様次第。プレイングによって、内容・結末、全てが変わります。
一応ほのぼのっぽいシリアス路線を想定しておりますが、やはり皆様のプレイングによって様子は変わることでしょう。そういった路線にしなければならない、と気になさる必要もありません。
どうか思う存分ご自由にプレイングをお書きくださいませ。
ちょっと欲張って、枠を多めにしてみました。宜しければご来館の程よろしくお願いいたします。

また、諸事情により募集日数が短く、執筆日数を長く取らせていただいております。ご注意くださいませ。

参加者
ルイーシャ・ドミニカム(czrd2271) ムービースター 女 10歳 バンパイアイーター
クロス(cfhm1859) ムービースター 男 26歳 神父
エンリオウ・イーブンシェン(cuma6030) ムービースター 男 28歳 魔法騎士
<ノベル>

 秋の虫の声が聞こえ始めた、夏の夜。
 柔らかな金の髪を丁寧にまとめ上げ、薄桃色の夜会服、肘まである長い手袋を身に纏った少女、ルイーシャ・ドミニカムは銀幕市役所へと向かっていた。
 凜と歩く姿に、道行く人が振り返っていく。見た目には十歳とはいえ、ルイーシャの大きな紫の瞳や可愛らしさの中に見える気品、また首元は美しい項が惜しげもなく解放され、妖艶ですらある。目のやり場に困った通行人は視線を彷徨わせて足早に立ち去っていった。
 そうした視線には頓着した様子もなく、ルイーシャは銀幕市役所の扉を開いた。
「これはこれは……美しいお嬢さんのお出ましですね」
 闇色のスーツに身を包んだ長身の男は、実に物腰丁寧な様子で緑の瞳を細ませてふと微笑んでみせる。それに、ルイーシャも微笑む。
「クロスさま、お待たせいたしました」
「いいえ。お嬢さんをお待たせするわけには参りませんから」
 クロスと呼ばれた男は、柔和な笑みを崩さぬまま答える。
 二人が知り合ったのは、つい先頃のことである。銀幕市役所に一通の招待状が届いた、と聞いて立ち寄った。先にいたのはルイーシャ、植村から話を聞いているところにクロスが入ってきたのだった。白い招待状、リオネの予知。それぞれの思惑は交差せぬまま、同じ依頼を受けるということで待ち合わせをした。その時、クロスは黒い神父服にロザリオを首から提げていたが、今はその影はどこにもない。
 クロスの抱えている品に、ルイーシャはあら、と首を傾げる。それに気付くと、クロスは笑ってそれを両手で持った。
「夜会の余興にでもなれば、と思いましてね」
言って、クロスは膝を折る。目線をルイーシャに合わせ、そっと手をさし伸べる。
「普段は神父の仕事をしているのですが……今夜はただの客として、……男として。エスコートさせてください、美しいルイーシャ・ドミニカム」
 クロスの言葉にルイーシャはにっこりと微笑み、その小さな手を長く細い指をした手に、重ね合わせる。
「もちろんですわ、クロスさま」
 その様子は、それこそ映画のワンシーンのようで、市役所内のあちこちから吐息がもれた。
 二人は微笑み合い、白い招待状を手に銀幕市役所を後にする。クロスはさり気なく一歩先を歩いて夜の闇へ溶けていった。

 エンリオウ・イーブンシェンは、宵闇の散歩を楽しんでいた。
 夏の終わりに近づきつつあるとはいえ、さり気なく一分の隙もなく覆われた190センチの巨体は、見た目には暑そうだが本人はまるで気にする様子もなく、時折すれ違うおじいちゃんやおばあちゃんと親しげに挨拶を交わしていた。
 涼やかな蒼い髪に密色の瞳、一見して美形な青年だが、ほんわりとした笑顔や言動はおじいちゃんそのもの。そのギャップに苦しむものもいたが、今や慣れた風景である。
「んん?」
 そろそろ帰ろうかと足を向けた先で、市役所から出てくる二人組を見つけた。私服ではなく改まった服装に、エンリオウは対策課へと寄ることを決めた。

「ああ、エンリさん。ご無沙汰してます」
「んん、久しぶりだねぇ」
 エンリオウに声を掛けたのは、植村だった。ほんわりとした笑顔に、植村も思わず微笑みを返す。
「今、正装をした人たちが出て行ったけど、何かあるの?」
 植村は少しばかり逡巡して、招待状のことをかいつまんで話す。
 新月の今宵、月下の麗人が咲き誇る。そのため、夜会を開こうと招待状を書いた。しるべは、純白たる甘き芳香――。
「月下の麗人かぁ、んん……お花なのかなぁ」
 相変わらずほわほわとした笑みを浮かべて、エンリオウはふと遠くを見るような目をする。
 綺麗なお花なんだろうねぇ、と独り言とも取れなくはない声量で呟く。
「それから、実は気になる予知がありまして……」
 言葉を濁す植村に、エンリオウは続きを促すように視線を向けた。
「実は――」
「……もえちゃうの」
 声に振り返ると、そこには青いウェーブした髪を結うこともせずに立つ、リオネの姿があった。大きな紫の瞳を今は伏せ、俯いている。小さな手はスカートの裾を硬く握りしめて、小刻みに震えていた。
 エンリオウは膝を折ると、いつものほんわりとした微笑みをリオネに向けた。
「んん、詳しく教えてくれるかなぁ」
 微笑みと同じく優しい声に、リオネは顔を上げる。不安や恐怖をそのまま表情に乗せて、リオネはじっとエンリオウの密色の瞳を見つめる。
 首を傾げると、わずかに安堵の色を確かに示して、リオネは口を開いた。
「あのね、白いおやしきがね、もえていくの。にかいももえるの。まっかになってくらくなっても、もえるの。いやなのに、おきちゃうの」
「起きる……?」
 リオネは再び俯く。
「いやなの。いやなのに。いやなのにおきちゃうの。……すごく、こわいの」
 ぽつりぽつりと呟くリオネに、エンリオウは頷きながら、続きを促す。
「かなしくてつらくて、でもどうすればいいのかわかんないの。どうすればいいのかわかんなくて……。……り、リオネ、も……なんにも、できない……ど、っどうすればいいのかも、わ、わかっ…わかんな――」
 大粒の涙が、ふいに紫の瞳からこぼれ落ちる。それは、恐ろしさ故かそれ以外のものなのか。エンリオウには、判断しかねた。
 ただ、ぽんぽん、と頭を軽く叩いてやる。しゃくり上げながら上目使いに見上げるリオネに、エンリオウはほんわりと笑った。
「んん、たまにはちょっと足を伸ばそうかなぁ」
 立ち上がり、エンリオウは呟くように扉へ目を向ける。
「僕は映画を探してみます。招待状が来てから探してはいたんですが、まだ見つからなくて」
 植村に頷き、リオネにもう一度微笑んで、エンリオウは対策課を後にした。
 腰に下げた長剣に、軽く触れながら。

 ◆ ◆ ◆

「まぁ……」
「これは見事なものですね」
 杵間山の麓。微かな香りを頼りに足を進めると、何かが少しずつ割れるような音を聞きつけた。その音は徐々に数を増し、軋むような音になっていく。
半ば小走りになりながら行くと、ふいに視界が開け、飛び込んできたのは純白の原だった。それと同時に、むせ返るほどの芳醇な甘い香りが広がって、二人は思わず足を止めた。
 純白のそれは、一面に広がる花だった。まだ開花しきっておらず、頭を垂れているものが多いが、それも近いうちに顔を上げるだろう。ルイーシャは溜め息を吐いて見惚れている。そしてその奥には、荘厳と言うには質素な、麗美と言うには素朴な擬洋風建築の館が佇んでいた。白を基調とした左右対称の二階建てで、下見板や窓枠にはよく見ると凝った彫り物がされている。中央の大きく造られた窓にはバルコニーが、その上には塔が備えられている。
 そこに至って、ようやく二人はなぜ、純白の花が新月の今宵、はっきりと浮かび上がって見えるのかがわかった。
中央の塔に、満月のように光り輝く大時計。その光が、純白の原を照らし出していたのだ。
「……すごい」
「んん、すごいねぇ。月下の麗人っていうからどんなお花なのかと思っていたけれど」
 思わず漏らした声に、肯定の頷き。二人は驚いて振り返った。
 そこには、灰と緑の色調の騎士服を身に着けた長身の青年が、ほんわりとした笑顔を浮かべて立っていた。二人の視線に気付くと、青年は密色の瞳を細めて微笑む。
「追いついて良かったよ、わたしはエンリオウ・イーブンシェン。今回の依頼にご一緒させていただくことになったから、よろしくね」
 恭しく、優雅すぎるほどに一礼するエンリオウに、ルイーシャは思わず軽く膝を折って礼を返す。
「わたくしはルイーシャ・ドミニカムと申します。夜会は人数が多い方が楽しいものですわ。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたしますね、エンリオウさま」
「んん、エンリと呼んでくれると嬉しいな」
「では、エンリさま」
 微笑むルイーシャに、エンリオウは満足げに頷いてクロスを見やる。クロスは口角を歪めてゆるりと一礼してみせた。
「クロス、と申します。惜しいですね、お嬢さんのお相手は私一人と思っていたのですが」
「それは申し訳ないことをしたねぇ。んん……では、お二人をお守りするナイトとしてお供させていただきたく存じます」
 緑の瞳と密色の瞳がかちりと合う。
 思わずルイーシャが声を上げようとしたところで、鈴を転がすような笑い声が聞こえた。
 視線を滑らせると、花と同じく純白の夜会服に身を包んだ女性が、純白の中に佇んでいた。
 細身というより痩身と言った方が的確である体を純白のマーメイドラインが包み、漆黒の髪は纏め上げ一房だけを流した姿は、純白の花と同じく妖艶さを醸し出している。ふうわりと微笑む瞳は琥珀色、塔の大時計と同じ光を宿した瞳だった。
「笑ってしまって申し訳ございません。仲がよろしい様子でしたから、つい」
 高くもなく低くもない透き通った声が、甘い香りの中で響く。
「ようこそ、お三方様。私はこの月光館の主、覇王と申します。ご来館いただき、誠にありがとうございます」
 言って、ゆったりとした、洗練された動きで覇王は礼をする。頭を上げた覇王の顔には、婉然とした微笑みが浮かび、思わずどきりとする艶やかさだ。
 しかしそこは貴族のたしなみ、ルイーシャは膝を軽く折って同じく礼をする。
「わたくしはルイーシャ・ドミニカム。今宵はお招きに預かり、誠に光栄ですわ」
 続いてクロス、エンリオウと恭しく礼をし、覇王は微笑んで頷く。
「改めまして、ようこそおいでくださいました。ルイーシャ様、クロス様、エンリオウ様」
「覇王殿、どうかエンリとお呼びください」
 ほんわりとした笑みではなく、騎士として、エンリオウは真っ直ぐな視線を向ける。それを真っ直ぐに受け、覇王は再び微笑む。
「それでは、エンリ様。……皆様、どうぞお上がりくださいませ。夜会の用意は、既に整ってございますゆえ」

 覇王が三人を案内したのは、中央二階にあるバルコニーだった。外観と同じく白を基調とされており、白いテーブルクロスが掛けられた円形のテーブルには陶器の食器が並べられている。
 三人が着席したのを確認して、覇王は一度退席する。
 振り仰げば月のように輝く大時計、見下ろせば純白の原。まるで幻想世界にやってきたかのような感覚を覚え、ルイーシャはほう、と息をつく。
「美しい館ですわね」
「ええ、本当に。……ですが、奇妙な感もします」
 クロスの言葉に、ルイーシャが首を傾げる。小さく微笑んで、クロスは言葉を続けた。
「人が、いません。この広い屋敷に、覇王殿はお一人でお住まいなのでしょうか」
 言われて、ルイーシャははっとした。確かに、屋敷へ足を踏み入れてから、覇王以外の人に出会っていない。これだけの花を管理するのも、一人ではとても無理だろう。
「そうだねぇ……んん、あのお花、なんていうのかなぁ」
 思わぬ口ぶりに、ルイーシャは思わずエンリオウを見つめた。密色の瞳を純白の花に向け、エンリオウは良い香りだよねぇ、とか、広いお庭だねぇ、とか、どう聞いても青年らしからぬ言動である。
 それは彼が身に宿す膨大な魔力に起因したが、それを知る由もないルイーシャはただ目を丸くした。口を開こうとして、しかしそれは覇王によって遮られた形になった。
「お待たせいたしました。……お見苦しくて申し訳ございません」
 覇王はカートを押してやってきた。一人一人にオードブルらしい皿を置いていく。
「こちらは、覇王さまが……?」
「僭越ながら。お粗末ではありますが、皆様のお口に合えば良いのですが」
 中央にはスライスされたフランスパンのバスケット、深鉢にはビーフシチュー。テーブルに並べられたのは、それだけである。
 はにかみ微笑む覇王が席に着き、夜会はいよいよ始まるのであった。

 招待状に“質素ながらも”とはあったが、まさに言葉通りの夜会にルイーシャは困惑を覚えていた。豪勢な夜会を期待していたわけでもないのだが、夜会というには少々規模が小さすぎると思ったこともまた事実であった。
 しかし、ビーフシチューを一口味わうと、そんな考えは吹き飛ぶ。
 あっさりとした、けれどコクのあるデミグラスソース。それが野菜と肉の甘みをしっかりと包み込んでおり、口の中に旨さが伝わる。また、柔らかく煮込まれた肉は噛みしめるとコクが広がり、手間が掛けられていることを知る。
「美味しい」
 思わず漏らした言葉に、覇王は嬉しそうに微笑んだ。クロスやエンリオウも頷く。
「本当に美味しいねぇ。んん、これならいくらでも食べられそうだよ」
「ええ。こちらのフランスパンも、素朴な味わいがシチューと良く合っています」
 にこりと微笑み、クロスは覇王を見つめた。視線に気付いた覇王がふうわりと微笑み返す。
「そうですわ、覇王さま。招待状にあった“月下の麗人”とは、やはり月下美人のことでしたのね」
 覇王はゆったりとした動きでルイーシャに向き直り、微笑む。
「ええ。なぞなぞめいた書き方をして、申し訳ありませんでした」
「いいえ。失礼ながら、これほどのものとは思いもいたしておりませんでした。……とても美しいですわ」
 うっとりとしたように見やるルイーシャに、覇王は微笑んだまま自身も純白の原に目を向ける。
「んん、あれは月下美人っていうのかぁ。綺麗だねぇ」
 挨拶時の凛々しい騎士はどこへやら、今やすっかりおじいちゃん口調となったエンリオウに、覇王は変わらず微笑んだ。
「覇王殿お一人では、世話が大変でしょうに」
「先日まで、使用人と共に世話をしておりましたから」
「んん……今日はその使用人さんたちはいないのかい?」
「はい。先日、暇を出しましたので」
「せっかく月下美人が咲き誇るというのに?」
 緑の双眸を細めてクロス。覇王は困ったように微苦笑する。口を開く気はないようだ、と判断し、クロスは話題を変えた。
「月下美人も素晴らしいですが、あちらの大時計も見事ですね。月光館と呼ばれる由縁は、やはりあの時計ですか」
 手を休めて、振り仰ぐ。今、ここに照明らしいものは一切ない。このバルコニーは大時計に照らされて、十分な明るさを保っているのだ。
「はい。どれほどの時に造られたかは定かではありませんが、悪魔が魅入り盗もうとした程の大時計、と伝わっています」
「悪魔が魅入るほど、ですか」
 クロスは思わず苦笑する。まさかここで悪魔という単語が出るとは思わなかったのだ。
「もしくは、悪魔が造った大時計だ、と」
「それは、なぜですの?」
 ルイーシャが問うと、覇王は大時計から視線を外す。
「新月の夜に、このように光り輝くからでございましょう。祖父がこの館に住んでいた時分、名工と知れた時計職人に見てもらったことがあるそうですが、なぜ光り輝くのか……ついに判らなかったそうです」
「んん……光源がわからなかった、っていうことかなぁ」
 のんびりとしたエンリオウの声に、覇王は頷く。
「この大時計は、新月の夜にはこのように光り輝きますが、満月の夜には新月のように真っ暗なのです。月とは逆になるように造られているのですよ」
「それで、悪魔が造った大時計、と呼ばれるようになったわけですね」
 続けたクロスに、覇王はそのようです、と微笑んだ。

 食事が終わり食器が下げられると、月下美人の花が浮かんだガラスの器が中央に、透明な液体に満たされたグラスはそれぞれの前に置かれていく。
「これは?」
「焼酎に月下美人を漬けたものです。ルイーシャ様には月下美人を浸した清水をご用意させていただきました」
 グラスを口に近付けるとなるほど、ほのかに月下美人の甘い香りがする。口に含むとさらに芳醇な香りが広がった。
「おいしいねぇ。んん、持って帰りたいくらいだよ」
 殊の外気に入ったらしいエンリオウが言うと、覇王は微笑んで頷く。
「では、後程地下へご案内しましょう。数はございますから、お好きなだけどうぞ」
「本当? 嬉しいなぁ」
 エンリオウが微笑み返すと、静かに流れていた風がふいに強く吹き付けた。
 甘い芳香に混じって、黒い臭いがする。
「月下美人が……っ!」
 覇王はさっと顔を青ざめさせる。視線の先では、純白の原が真っ赤に染まっていた。覇王が手摺りに縋り跨ぎ越そうとするのを止めたのは、クロスだった。
「危ないですよ、落ちる気ですか」
「でも花がっ!!」
 覇王は完全に取り乱していた。クロスの腕から逃れようと、必死に体を捩る。
「落ち着いて、大丈夫だよ」
 言って、エンリオウが口の中で何事かを呟くと、たちまち水が逆巻き雨のように降り注いだ。風になびいて勢力を増していた炎は見る間に力を無くし、黒い一画を残して消え去った。
 覇王はへたりとその場に座り込み、エンリオウを振り仰ぐ。ほんわりと微笑む彼の肩口には美しい女が絡みつき、くすくすと笑っていた。女はエンリオウに何かを耳打つと、くすくすと笑いながらぱしゃりと見えなくなった。
「今のは一体……?」
 聞いたのはルイーシャだ。
「んん……精霊、かな。ウンディーネと言うんだ」
 エンリオウは答えると、覇王に手を差し伸べた。
「大丈夫かい? お花を全部守れなくてごめんね」
 覇王はしばらくエンリオウの顔と差し伸べられた手を交互に見やって、かぶりを振り手を取った。
「いいえ。ありがとうございました」
 ふうわりと笑う顔に、先ほどのような乱れはなかった。エンリオウは微笑んで立ち上がらせると、覇王を椅子へと誘う。
 席へ着くと、覇王は三人を見て、深々と頭を下げた。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「そのようなことはございませんわ。突然火の手が上がれば誰しも驚いてしまいます。わたくしなど、一歩も動くことができませんでしたもの……。あの、大切なお花なのですね」
 ルイーシャの声に、覇王は顔を上げる。
「名前も、覇王さま、とおっしゃいますし。サボテンのことですわよね?」
 今度は微笑んで頷く。その笑顔はどこか淋しそうに見え、ルイーシャは敢えて聞くこともしなかった。
 風が吹くバルコニーに、静謐な音が響く。
 見やれば、クロスがハープの弦を弾いていた。
「……仙人掌の名を冠した覇王殿に感謝をして。儚く、かくも美しい一夜の夢を見せてくれたことを。お耳をお借りいたします」
 クロスの細く長い指が爪弾いて、儚くも美しい旋律が流れた。
 覇王は瞳を閉じて聞き入っている。ルイーシャも、うっとりと目を細めて静かな旋律を楽しんでいた。
 ――高く、切ない旋律に、なにか禍々しいものを感じたのはエンリオウの勘違いだろうか。

 最後の旋律が殷々と流れ、それを受け継ぐようにさわさわと月下美人が揺れる。
 小さな吐息と共にぱらぱらと拍手が起こった。
「素晴らしい音色でした。クロス様、ありがとうございます」
 ふうわりと微笑むと、クロスは目を細めて一礼する。
 月下美人の芳香と風の音。
 しばらく会話もないままそれらを楽しみ、最初に動いたのは覇王だった。
「それでは、最後に地下へご案内して、……名残惜しくはありますが、お開きにさせていただきとうございます」
 そろりと立ち上がり、優美に一礼をし、覇王は三人を促すように大きな窓に手を掛けた。頷いて三人は覇王に続く。
 始めに上がってきたときと同じに、三人が並んでゆうに歩ける廊下を少しばかり進んで、すぐに中央のゆるやかなカーブを描いた大階段を降りていった。その大階段を右手に曲がると、白壁の中でぽっかりと浮かぶようにある素晴らしい彫り物が成された両開きの木の扉を開く。その先には壁の両脇に洋燈がぽつぽつと灯された暗い廊下が続いていた。こちらのもまた三人が並んで余裕がある広さを保っていた。しばらく行くとまた美しい彫り物の木戸があり、それを開くと暗い階段が続いていた。高い天井を見上げながら階段を降りていくと、再び扉が現れる。これは煉瓦色に塗られた、やはり木の扉だ。
「……ずいぶんと厳重な地下ですね」
 鍵は付いてはいないものの、地下へ続くためだけに造られた廊下があるとは驚きを隠せない。さらに、階段の先にまた扉だ。
 クロスの言葉に、覇王は小さく笑ったようだった。
「元々は地下牢だったそうなのです。鍵は、祖父が酒蔵にするために外し、鉄の扉も現在の扉に変えたそうです」
 きぃ、と軽い音がして扉が開かれる。そこはまさしく酒蔵というのに相応しく、酒樽やワイン樽が所狭しと並んでいた。
 その中で、ひときわ美しい棚が一つ。そこには、月下美人が沈められた瓶が並んでいた。
 焼酎に浸された月下美人は、花弁が透き通り妖艶な姿をひときわ美しくしている。
「こちらが、月下美人の焼酎になります。どうぞ、お好きなだけお持ちください」
 覇王が微笑み、エンリオウは感心したように瓶を手に取る。
「あ、あの、わたくしも頂いてよろしいでしょうか……?」
「もちろんです。インテリアとしてお楽しみください」
 それに頷いて、ルイーシャは数ある中から最も花開いた一つを手に取る。
「クロス様も、いかがですか?」
 振り返ると、壁に背を預けたクロスは静かに首を振る。
「一応、聖職者ですからね。先ほどの一杯で、十分ですよ」

「皆様、本日は誠にありがとうございました。どうぞ、お気をつけてお帰りくださいませ」
 月下美人の庭を抜け、覇王は出迎えの時と同じように微笑む。
 その笑顔にそれぞれ礼をして、名残惜しく振り返りながら月光館を後にした。

 ――しかし。
 密かに来た道を戻る男の姿があった。闇の中を、まるで猫のように進む男は口角を歪めた。
 そこは、黒い一角。
 夜会の最中、小火が起きたその一角だ。
 何かを探すようにかがんだ男は、それを見つけて目を細める。男が拾い上げた、黒いぼろぼろのそれは、おそらく小火の時に燃えたのだろう。それが、二十、三十とある。
「んん……証拠隠滅、というやつかねぇ」
 突然の声に、男は振り返る。そこには、騎士服に身を包んだエンリオウの姿があった。
 エンリオウはほんわりと微笑んでみせる。
「やあ、クロスくん。どうしたんだい、そんなに驚いて」
 クロスはふと笑って見せて、ぼろぼろのそれをエンリオウに渡す。
「突然、声を掛けられれば誰しも驚きますよ、エンリオウさん。あの小火がどうにも腑に落ちませんでしたのでね。少々手荒くはありますが、忍び込んできた、というわけです」
 黒いそれを見ながら、エンリオウは目を細める。
「……フィルム、だねぇ」
「おそらくは、ムービースターの」
 クロスが続けると、エンリオウは頷く。密色の瞳に、光が走った。
「覇王殿のところへ、行ってみようかな」
「なんのために?」
 嘲りの瞳を向けて、クロスは口角を歪める。エンリオウはただほんわりと笑った。
「リオネくんの予知が気になったから、わたしは来たんだ。だから、もしもこれが関係あるのなら、聞かなきゃいけない」
「聞くことがありますか? あの女に?」
「……君は、なんのためにここへ来たんだい?」
「質問に質問で返されるのは、気に入りませんが……そうですね。少なくとも、話をするために来たわけではありませんよ」
 クロスの緑色の瞳がゆらりと揺れ、はっきりと歪んだ笑みを浮かべた。
 エンリオウが口を開こうとしたとき、ふいに教会の鐘のような、梵鐘のような音が響いた。眉をしかめて音を聞くと、それはどうやら時計の鐘の音らしい、と気付く。
 ざわりと空気が震え、クロスとエンリオウは駆け出した。その、庭の、中央へ。
 ――月光色に輝く大時計。
 その針が示す時刻は深夜零時。
 その、針の上。
 二人は目を剥いた。
 純白の服。黒い長い髪を振り乱した女が、逆さに縛り付けられていた。細い腕はだらりと垂れ下がり、長い髪の先端からはぽたりぽたりと赤い血が滴る。輝く時計の逆光となってはいるが、それは確かに覇王であった。
 しかし、二人が絶句したのはその姿のせいばかりではなかった。
 その、覇王の表情。
 まるですべての幸福が舞い降りたかのような、恍惚の顔。
 あまりに美しいそれが、鳥肌が立つほどに恐ろしかった。
 二人が動くことも、呼吸すらも忘れて立ちすくんでいると、ふいに白い館が燃え上がった。轟々と逆巻く炎はあっという間に館を包み込み、月下美人の庭を飲み込んでいく。
 我に返ったエンリオウは口の中で何事かを呟き、手を放つ。それに応えるように、水は炎を消すべく踊った。
 しかし、炎が揺れたのはほんのわずかの間。直ぐさま元の場所へ戻ってきた炎は舐めるように二人に迫った。エンリオウは驚きを隠さなかった。
 二人は駆け出す。
 エンリオウが先に立ち、剣を走らせ、言葉を紡ぎ、道を作る。その後を、クロスが追った。
 振り返る余裕は、なかった。

 その頃、ルイーシャは何の気もなしに対策課へと足を向けていた。
 時間が遅いのはわかっていたが、灯りも点いていたので誰かしらいるだろうと思ったのと、もしかしたら月光館がなんの映画か、わかっているかもしれないと思ったのだ。
 扉を開くと、頭をぐしゃぐしゃとかき回す植村の姿があった。
「植村さま?」
 声を掛けると、植村は赤くなった目をこすりながら振り返る。
「ああ、ルイーシャさん。夜会はどうでした?」
「とても楽しかったですわ。……それより、映画は見つかりまして?」
 聞くと、植村は苦笑する。
「見つかっていたら、こんな時間まで残業していませんよ」
「そうでしたわね。お疲れ様です」
 いいえ、と植村は疲れ切った顔を無理に笑わせる。
 自分がいては邪魔になるだろうと、ルイーシャは対策課を後にした。植村が送ろうか、と申し出てくれたが、丁寧に辞退してお身体をお大事に、と踵を返した。
 ルイーシャは腕の中の瓶を見やる。
「……どうか……」

 純白の原が炎に包まれ、暗闇に染まるまではそう、時間は掛からなかった。木造の美しかった屋敷は、見る影もなくなっている。
 二人の息が整う頃には、燃えた屋敷も大時計も、すべてが消えてなくなり、辺りにはただ闇が広がっていた。
「……どう、お考えになりますか」
 クロスがぽつりと零す。
 エンリオウはちろりとクロスを見やって、それから屋敷があったはずの場所を見つめた。
「冗談を言うのなら、覇王殿の言っていた悪魔が炎で大時計を盗んだ、とかかなぁ」
「それは、笑えますね」
 くつ、とクロスは力なく口角を歪める。
「……ただ、一つだけわかることは」
 クロスは自分より幾分か高い位置にある彼の顔を見上げる。エンリオウは、ただ静かに、何事もなかったかのように揺れる木々の葉を見つめた。
「ただ、一つだけわかることは、わたし達はリオネくんの予知を回避できなかった、ということだよ」
 楽しかった夜会。
 不吉な予知もわかっていた。
 けれど、まさか、こんな幕切れになるとは思わなかった。
 守りきれなかった。
 エンリオウは、拳を握ってただ立ち尽くしていた。



 ――後日。
 対策課が総出で覇王と屋敷が変じたであろう、フィルムを探したのだが、見つかることはなかったという。

クリエイターコメントこんばんは、木原雨月です。
長く、また最後は少々陰鬱としたものになってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
お楽しみ頂けたのならば、幸いと思います。

また、このお話しにはもしかしたら続きがあるかもしれません。
その時にはどうぞ、お相手くださいませ。

最後に、当シナリオへ参加してくださったお三方様、そして読んでくださった皆様。
本当にありがとうございました。
また、何処かで。
公開日時2007-09-22(土) 01:10
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