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<ノベル>
「被奪の愚心……この間の事件もこの神様が起こしたことなのね」
コレット・アイロニーは、銀幕市のホールを見上げて呟いた。その傍らに立つファレル・クロスがそれに応じるように口を開いた。
「ようやく尻尾をつかんだということですか」
ホールの入口の立て看板には、『アマチュア・シネマ・フェスティバル 〜自主制作映画を上映します!(名作もあるよ)〜』と書かれている。対策課からの依頼によれば、きっとここにダイモーンとアンチファンがいるはずだ。開場は後少し。本当は会場前に入りたかったのだが、どこも戸が閉じられてしまっていて穏便にという訳にはいきそうになかった。
*
「うーん、題名からしてこれは面白そうね」
いかにも手作りですと言わんばかりのプログラムを見ながら、藤田博美は考えるようにあごに手をあてた。今回の自主制作映画上映会は、少し前に宣伝を見かけてから気になっていたイベントだったのだ。自主制作映画などは当たり外れがあるものだが、意外に気に入る作品が現れたりもする。やっと会場が開いたので、良い席が取れればとホールの中を見渡した。もともと舞台のためのホールなので、座る位置を間違えるとうまく画面が見えないなんてことになりかねない。名作も上映されるとことなので、ここでミスをするわけにはいかなかった。ぐるりを見渡して、博美は微笑む。
「よかった。いいとこ座れそう」
*
開場早々、中に入ったメルヴィン・ザ・グラファイトは、『STAFF ONLY』の看板が立っているところ探してあたりへ視線を巡らせた。彼は市役所を訪れた人物がアンチファンに違いないと目をつけていた。話ではダイモーンがいないとはっきりとした断定はできないということだったが、万一彼でなくとも彼に近い人物なのは確かだ。話を聞いてみる必要がある、と彼は感じていた。その視線が、会場案内図から一本の通路に移る。
「あ、すみません、こちらは関係者専用なのですが……」
そちらへ向かった時、後ろから女性の声がかかった。振りむけばスタッフの名札を付けた女性が立っている。
「そうですか、これは失礼。――講演会をすると聞いたので、お祝いでも思ったのだが……」
「なんだ。翔さんのお知り合いの方ですか。……じゃ、本当はいけないんだけど、どうぞ。準備中だけど、講演まではまだだいぶあるし、多分突き当りの部屋が控室なのでそこにいると思います」
メルヴィンがちょっとぼかして言うと、意外とあっさり彼女は通してくれた。まぁ有名人などが来ているわけでもないので、そう警戒する必要もないのだろう。
礼を言って通路の突き当りまで進む。【控室】と張り紙のある部屋をノックするが、返事が無い。怪訝に思って戸を開けてみると部屋は空だった。
「あれ、スタッフさん……じゃ、ないですよね」
その時また後ろから声をかけられてメルヴィンは振り向いた。通路には、あまり似合わないスーツを着込んだ眼鏡の男性が一人、立っていた。片手に口が開いたままの黒い鞄を提げている。
「講演をする方とお話できればと思って……貴方が?」
「ああ……えっと。まあ、そうです」
やや気恥かしげに彼は微笑んだ。特にぱっと見たところ警戒すべき人物のようには見えないが、油断は禁物だ。彼は腕時計を見てまた奥……舞台裏だろうか? をしばし見やった後、朗らかに言った。
「講演会までまだしばらくありますし、僕もすること無いっちゃないですから、どうぞ」
開いている控室に通され、椅子をすすめられる。それは在り来りなパイプ椅子。
「ポスターにお名前が無かったのですが……」
「ああ、自分で作ったもので……僕は支倉翔と言います。たまにコラムなんかも書かせていただいているのですが」
その名前に、メルヴィンは心当たりがあった。雑誌の下四分の一面何かを使って連載をしている映画評論家の名前だ。彼は本を好んで読む。もちろん、雑誌にだって目を通す。そのことを話すと、彼は嬉しそうな、照れた表情で礼を言ってきた。
「正直な話、どんな方が読んでくださっているのかって全然見当がつかないんですよね。……あ、今日来てくださったのは、映画に興味がおありで――?」
頷いて、どこから入ろうかとあたりさわりのない話題を探す。今日の映画の中でお勧めを聞いてみると、案の定彼は乗ってきた。
「そうですね……結構今回はいいものが多いですよ。えーと」
彼は何かを探すように部屋の中を見ていたが、正面に視線を戻した。
「綺羅星のサークルのクオリティがかなり上がっているから、お勧めですね」
「そうですか。……サークルなども参加されているようですが、このイベントのきっかけというのは?」
「僕、もともと映画の仕事がしたかったんですよ。結局自分の都合で断念せざるを得なくなってしまったんですけど、こうしてなんとか評論家のまねごとみたいなことができるようになって、少しは映画に近づいてこられたのも何かの縁だと思いまして。昔の僕みたいに映画を目指している人たちを応援できたらっていう」
小さく微笑んで彼は答える。『映画の仕事がしたかった』とは、ムービースターに対する羨望につながるだろうか。考えながらメルヴィンはちらりと時計を確認した。講演までは、まだ時間がある。もう少し話を聞いてみようか。
*
十五分程のミニムービーを見終わって、博美は席を立った。あまりずっと座っていてはエコノミー症候群になってしまう。
「えーっと、どっちに曲れば良かったかしら」
ホールからロビーに出てあたりを見回していると、横合いから声が掛けられた。見れば少し下の年頃の少女がこちらを見つめている。ボブカットの黒髪。見ない顔だった。
「もしかして、藤田さん?」
何だろう。疑問に思いながらも彼女の挙動に変な雰囲気はなかったので、博美は頷いた。
「ええ。……私に、何か?」
「あたし、『夜叉』観て空手始めたんですっ。あの……憧れでした。会えて嬉しいです!」
「あ、ありがとう」
何と言っていいか困りつつも博美は答えた。ちなみに博美が身につけたのは空手ではないのだが、映画のヒロインへの憧れというのはそう言うものなのだろう、多分。
休憩を終えて席に戻ってから、博美は奇妙な感覚でスクリーンを眺めていた。自分の本当に知らないところで、自分……といっても映画の中のだが、その自分が誰かの人生に少なからず影響を与えている。生きている限り、きっと人は誰かに影響を与えるに違いない。でも、自分と遠く離れたところでそれが起こるというのを実感することは、わかっていても不思議なものだった。
*
「こっちかな?」
コレットは胸元に黒い鞄を抱えてあたりを見回した。そこは舞台裏で、彼女は隣にいるファレルの能力のおかげで不可視の姿になっていた。
「ここは舞台裏ですね……あれはスクリーンでしょう」
そこにはすでにスクリーン裏に演台がセットされているのがうかがえた。よく見えないが、マイクなどももうセットされているようだ。人の姿は見えないが、その向こうで上映が始まっているのだろう、たくさんの気配がある。
「なにか荷物などと一緒にダイモーンがまぎれている可能性が高いと思いますが――講演を行う者が一番怪しいですね」
「講演をする人と一緒にいると思うんだけど……控室、かしら」
コレットはすり替えるために持ってきた鞄を抱えたままきょろきょろとあたりを見回した。ファレルと連れだって通路の方に戻った。
「どこにあるんでしょう? 向こうの通路を見てみましょうか」
「ええ」
あたりを見ながら通路を進む。不可視になっているおかげですれ違う人を避けるのに苦労したが、おかげで誰にも見とがめられずにその部屋に辿り着いた。【控室】と書かれた貼り紙がされた部屋。中から誰か、人の話している話し声がする。
コレットはファレルの方を見て頷いて見せた。それにファレルは応えて彼女の周りでうまく透明になるよう調節していた屈折率を変えていたものを解いた。コレットは一つ息をつくと、ドアをノック。一拍遅れて、返事が返ってくる。
「どうぞ」
「失礼します」
中に入ると、メルヴィンと男性が話している最中だった。その顔を見てコレットは思わず声を上げる。
「……は、支倉先生」
綺羅星の非常勤講師。彼の映画史入門の講座は、いつも受講希望者で定員オーバー。あのひとムービーファンじゃないのが不思議なくらい、とはコレットの学友の弁だ。そっと触れてきた手で不可視のままのファレルが入ってきたのを確認すると、コレットはドアを閉じた。
「あれ、またお客さん。もう、彼女ドアマンをさぼってるな」
くすくすと楽しげに支倉が言う。
「先生、講演会おめでとうございます」
「ありがとう。ええと、カルチャースクールの生徒さんではない、よね?」
彼がまた椅子をすすめながら首をかしげる。幸い、それは鞄の近くだった。ファレルに後を託して祈るような気持ちで、コレットは鞄をその鞄のすぐ近くにおろした。
「綺羅星で公開講座に出ていらっしゃいましたよね」
「ああ……申し訳ない、学生さんはとにかく沢山来てくださるから」
メルヴィンの会釈に、コレットも会釈で返す。二人は市役所で顔を合わせていたのだ。
「あ、来てもらってすぐで申し訳ないんだけど、そろそろ講演が……」
「いえっ、私も押しかけてしまってすみません」
慌ててコレットが手を振りつつも、荷物を見下ろすと荷物は一つになっていた。ファレルがきっと見えないようにしてくれたに違いない。ドアを開け、外に出た。支倉は眼鏡を直しつつそれじゃと舞台袖に向かって行く。スタッフが準備に走るのとすれ違いつつ、メルヴィンとコレット、それに不可視の鞄をかかえたファレルは足早にロビーを抜けてホールを出ると植え込みの陰に向かった。そこなら人がいないと判断してだ。
屈折率の変化を解いたファレルが、鞄を床に下ろした。彼は能力を使って空気分子を圧縮し始めた。
「潰します。……ああ、コレットさん、危ないので離れていてくださいね」
*
ファレルの動作を見守りながら、メルヴィンは先ほどのやり取りを思い出していた。
「――ええ、結局自業自得とは分かっているんですけどね。それに今の職業についたことも後悔はしていません。……でも」
たしか、なぜ映画監督を志すのを諦めたのか、の件だ。彼が本当にアンチファンならどこかでその片鱗が窺えるだろうと思ったのだ。
「でも?」
「でも、それが本当の自分かってたまに思っちゃうんですよ。こんな思いは、いま煌めいた光を追っている人たちには、思ってほしくないんですよねぇ」
「……煌めいた光?」
「ええ。夢とか憧れ。……ムービースターなんて、映画に焦がれる僕らにとっては憧れみたいなものですよ」
「それはつまり、スターに対する羨望か何かかね?」
その問いにいいえと首を振った支倉の瞳に、ふと火が燈る。
「例えば、こう感じたことはないですか? 自分という世界の中心に、いつの間にか別のものが陣取っている。……いつしか世界がその人を中心に回ってるんですよ、恋みたいに」
「……恋ではなく?」
慎重に訊ね返すと、彼は眼鏡の奥の瞳をふいっと細めた。炯とした輝きが、圧縮されてメルヴィンをなめるように刺す。やはり彼が、アンチファンなのだろうか。
「そう、恋みたいに、愛情にかわっていくものではない。そしてもう、羨望でもない……憧れだったはずのその存在が、いつの間にか自分という世界を乗っ取ろうとしている、という感覚」
「なるほど、自分を見失ってしまうというわけか」
自己中心的ならぬ、他己中心的、だろうか。その感覚による、他者……ムービースターの排除行動と考えれば、その考え方は今までの事件に関して聞いた話と合致する。ふむ、と頷くと、支倉が微笑んだ。その表情の変化を、メルヴィンは逃さない。それは明らかに、さっきの瞳のような苛烈さを失っていた。それは、どこか自嘲めいた、笑み。
「本当に、『自分』って何なのでしょうね……」
なぜ露わになりかけていた攻撃性が影をひそめたのだろう。
しかしそこで、ドアが外からノックされた。
*
スクリーンが静かに巻き上げられ、暗く沈んだ壇上に演台が見える。いったん休憩をはさんで講演に移るというアナウンスを聞きながら、博美は腕を伸ばした。今のはなかなかおもしろかった。ストーリーは少し甘いが、勢いが観ていて惹きつけられる作品だったと考えつつ、ロビーに出る。すると、そこで小競り合いが起きていた。何事かと見れば、二人の人影が争っていた。スタッフも仲裁に入ろうとして巻き込まれ、手が出すに出せないような状況になっている。
「ちょっと、何が起こってんの?」
手近にいた人を捕まえると、彼はよくわからないんだと言って首をかしげた。
「なんか突然、俺の人生をお前にくれてやったわけじゃないとか言い出して……」
「それでこの乱闘騒ぎ?」
訳がわからない。きっと酔ってでもいるのだろうと思ったが見ればそうでもない。……と、突然片方……話によれば、先に襲いかかった方が突き飛ばされてよろけ、人々がとっさに避けたせいで床に転がった。頭を打ち付けてはいるが、大事ではなさそうだので、近くにいた博美は彼にこっそりとペン先を突き刺す。これで少しは落ち着くといいのだが。それはいわゆる鎮静剤で、なんでペンかというと某軍人時代のちょっとしたアイテムだったからである。
「大丈夫か?」
「ちょっと頭を打っただけだから、安静にしていれば大丈夫だと思うわ」
囲んでいた数人の人々で彼をロビーのベンチに寝かせる。が、そこからまた離れたところで騒ぎが起こっていた。人は違う。しかし周囲の人々の、困惑した様子は一緒だ。
「どういうこと……?」
気がついた男が、呻いて身を起こし、あたりを見回す。
「……なんだ? 何があったんだ?」
「な、なにも覚えてないのか?」
問われて彼は、眉根を寄せた。
「いや……何かが眩しすぎて、ぼんやりとしていて……」
周囲の人々と一緒に首をかしげながらその話を聞いていた博美は、ふとその人影に気づいた。ふらりふらりとこちらに近寄って来る、黒髪をボブカットにした少女。
「あなたは……」
博美が声をかけると、彼女は何かつぶやきながら唐突に蹴りを放ってきた。聞いた言葉に違わぬ空手の蹴りだが、容赦がない。
「えっ!? ちょっと、何っ?!」
慌てて身を捌き、避ける。詰められた間合いに、彼女の声が聞きとれた。
「あたしを……あたしを、返して」
何を? 聞く間もなく反射的に彼女を気絶させる。
「大丈夫ですか?」
尋ねてきた人に大丈夫だけど……と答えようとしたとき、ホールの内側で何か物音がした。気絶した彼女をその人に託すと博美はドアに駆け寄った。二重扉を押しあけて中を覗くと、ホール内でもあちこちで小競り合いが起きている。スタッフが奔走し、そして休憩時間がまだあるはずだが壇上に一人、誰かが立っていた。
目が合う。
かすかに笑っているその眼鏡の男は、壇上から何かを持ち上げると舞台袖から姿を消した。あれは……あれは深緑色のバッキーだった。でもバッキーに、そんなカラーはないはずだ。
「何が起こってるのよ!」
ドアを閉じて博美は駆けだす。ロビーを抜けたところで、やはり駆け込んできた三人組と鉢合わせた。お互い目が合った瞬間に、口を開いていた。
『何が起こってるの』
言葉は同時にして同じ。
「支倉先生を見てない?! 講演の人。眼鏡をかけた――」
三人のうちの一人、コレットが訊ねた。その言葉に、博美はさっきの男を思い出した。
「さっきの深緑のダイモーンを連れた男? ステージからどこかに逃げたの。ダイモーンがいるって、どういうこと? あの男がアンチファンなの?」
それにファレルが忌々しげに呟く。
「どうもおかしいと思ったら、あの鞄は囮か」
「普通見つからないように隠すと思ったが……」
メルヴィンも唸る。
「私たち、このイベントでティターン神族が動くということで来たの。ダイモーンを退治しようとしたんだけど……そのひと、どこに逃げたの?」
「ステージの横から、多分裏の方に」
三人はそれに顔を見合せて通路の方に向かおうとした。ロビーにはホールから逃げ出してきた人が増え始めていた。このままでは身動きが取れないなんてことになりかねない。
「私も行くわ」
言って博美も一緒に駆けだした。このままではいろいろ後味が悪すぎる。先を走るファレルが、呟いた。
「何にしても、ふざけた茶番はこれで終わりですよ」
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「こ、ここまで来たら、ちょっとは時間を稼げるかな……」
ぜいぜいと息をついて、支倉はあたりを見回した。そこはスタジオの林立するスタジオタウン。肩に乗った深緑の生き物が、なにしてるんだとでも言いたげにてしてしと彼の肩を叩いた。それに彼は手を振り、わかってるさと応える。
「わかってるよ。……ふふ、でも、まさかあんな風になるなんて、思ってもみなかった」
言いながら彼の視線は、外れの方にあるスタジオに向けられた。くすくすくすと、壊れたような笑みがその唇の端からこぼれる。
「ふ、ふふっ、あははははっ」
夕闇の迫った銀幕市に、笑い声が響く。
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クリエイターコメント | このたびはご参加いただき、ありがとうございました! 追い詰められたアンチファン。彼が次にとる行動は――
お楽しみいただければ、幸いです。 |
公開日時 | 2009-02-08(日) 22:00 |
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