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<ノベル>
■前夜から決戦の瞬間まで■
ちょこまかと背の上で騒ぎ立てていた者は、いなくなった。
巨大な怪物はとりあえずの充足感を得て、足を止める。しかし、再び土の中に潜ることはなく、かれはその場にうずくまった。霧笛のように響いていた怪物の声はやみ、地響きも止まった。
銀幕市の住人たちは、不安な視線を、あるいは好奇心に満ちた目を、茂霧山の中腹に向けていた。怪物はその夜の間はもう動かず、次第に、銀幕市は落ち着きを取り戻していく。
だが、緊張感は否が応にも高まっていった。
あの大怪獣は人を喰う、という噂が広まっていたからだ。
夜の間、市役所の明かりが絶えることはなく、山腹の怪獣を見つめる視線も途切れることはなかった。
「司令、頼みます。旗艦〈黒い雌鳥〉の主砲〈エロヒム〉で吹っ飛ばしてください、あの怪獣」
「シーズン2の19話を見なかったのか。あれは最小出力でもタイタンを消し飛ばせるぞ。私が力を使えば、銀幕市が地球上から消滅するだろう」
市役所の光の中には、市長の柊と、マルパス・ダライェルの姿があった。マルパスは眉間を揉みながらコーヒーを飲み、柊はため息ばかりついている。
「……どうしましょう」
「迎撃部隊を編成する。すでに参加者は集まっているし、今は自主的にテオナナカトルの監視を行ってくれているようだ。私が指示するまでもない。みな、銀幕市のために動いてくれている」
フォローに対する柊の返事はため息だった。
「……どうも、ついてないことが続きますよ……」
「ふう……」
柊のため息に、べつのため息が加わった。マルパスが振り返る。
「八之君」
「見張りを交代してくる」
「君は少し休んだほうがいい。ベースキャンプでも働きづめだったろう」
「……行かせてくれ。やらせてほしいんだ」
マルパスはそれ以上何も言わず、八之銀二の白い背中を見送った。銀二のため息は重かった。そして、その顔にも、鉛のように重い苦渋が浮かび上がっていた。
「このままで、終わらせてたまるか……」
茂霧山から逃げ去ることになってから、彼は、何度もそう呟いている。
撤退と怪獣騒ぎの、肌を刺す熱気は去っていた。茂霧山は再び霧に包まれ、白々と明けていく朝の光を浴びて、ぼんやりとその姿を浮かび上がらせていく。
山麓で身を隠しているのは、来栖香介と太助だった。ふたりとも真顔で、微動だにしない白い怪物を見つめている。
「……おい」
「……なんだよ?」
「噂は聞いてるぞ。どさくさに紛れてオレをタヌキにすんなよ」
「しねーよ!」
「しっ!」
「……おれだってトキとバァイを考えるっての」
「なら心配がひとつ減った」
「おまえ、バッキーどこやったんだ?」
「あいつはいつも勝手に動くから」
「俺の心配がふえたじゃねーか」
「……しっ!」
来栖の目つきが鋭くなった。彼は太助の頭を押さえつけ、草むらに伏せる。
朝日が出てから、風向きが変わっていた。山から下りていた風は消え、街から強い風が吹いてきていた。
怪物は――テオナナカトルは――その風に、目を覚ましたのである。風が運んできたのは、美味そうな匂いだ。人間たちの匂い、餌の匂い。数時間前に叩き起こされたかれは、空腹を覚えていた。
山は再び震え上がり、空気は胞子混じりの声を伝える。
「……来たな」
来栖の口元に、どうしてなのか、余裕の笑みがあらわれた。
マ――――――――――ッ!
■テオナナカトル及び迎撃部隊動く!■
再び悲鳴と喧騒に呑まれていく、早朝の銀幕市。茂霧山から少しでも離れようと逃げていく人々。しかし、逆に茂霧山に向かって――いや、テオナナカトルに向かって歩いていく者も、少なからず、存在していた。
ククククク。ずりずりずり。ケヘヘヘヘヘ。ずずりずりずり。
しかし、笑っている者はあまりいない。笑っているのは、クレイジー・ティーチャーだ。右手に短いオーソドックスなハンマーを持っていたが、左手は土木工事用の巨大なハンマーを持ち、ずるずると引きずっていた。さらには腰にチェーンソーを帯びている。
「あれは解剖しがいがあるよネ。そう思うだろ、マイク。ブライアン。あんなに大きいんだモノ。ネェ、ボク張り切っちゃうヨー。ヒヒヒヒ……」
ず・ずん。
テオナナカトルの足音は、確実に、近づいてきている。
マ――――――――――――ッ!
あの、声とも音ともつかない咆哮も。
ハンマーを引きずりながら歩くクレイジー・ティーチャーの凶相は、白い怪物に近づくにつれ、狂気によって歪み、期待によってねじれていく。しかし、そんな彼の鬼気にひるむこともなく、あまつさえその腕を掴んだ者がいた。
「待って! CTさん」
取島カラスだ。
一介のイラストレーター――バッキーを飼育する身ではあるが――にすぎない彼だったが、その顔からは白い怪物に対する恐怖など微塵も感じられない。
「あっれー、カラスくぅん。何だい、ボク邪魔する気ィ?」
「まさか。あの怪物のフジツボみたいな部分、あれをふさぐものを作ったりできないか? ガムみたいな、トリモチみたいな……」
「粘着質の物体でってことカナ?」
「そう」
「んー、難しいヨ。ホラ、突起はたあっくさんあるし。大量のものを作るにはそれなりの時間が必要だからネ。でもー……あッ、そうだ、いーコト思いついちゃった! アイディアありがとー、カラスくぅん」
クレイジー・ティーチャーは恐ろしい御面相をぱっと輝かせて、ハンマーを振り回しながら(カラスに手を振ったつもりらしい)あさっての方向へ走り出した。常軌を逸したすばやさだ。あの俊足が、「先回りして犠牲者を待ち構える」というホラーのセオリーを可能にするのだろう。
「……さて、と……」
クレイジー・ティーチャーを見送ったカラスは、ポケットから取り出したサングラスをかけ、マスクをつけた。サバイバルナイフのエッジの鋭さを確かめて、肩に装着した鞘に戻す。
そして、近づいてくる脅威に向かって走り始めた。
――八之、あいつは……どこ行った?
刀冴は、傍目から見ると、すっくと立ち尽くしているだけのように見えた。逃げまどう人々の中で、彼は背筋を伸ばし、ゆっくりと辺りを睥睨している。彼は探していた。八之銀二を。
彼が逃げるはずはない。必ずテオナナカトルに挑むはずだ。
このままでは終わらせない、と彼は刀冴に言っていたのだから。
――ぶっ倒れてやしねぇだろうな、こんな肝心なときに。
「……まさか」
にやりと口の端に笑みを浮かべて、彼はずらりと大剣を抜き放つ。ホームラン予告のように、切っ先は白い怪獣に向けていた。
「あのデカブツの足元まで行きゃ、どうせ会えるさ!」
「まっすぐ街を目指してる!」
マ――――――――――ッ!!
「足止めしとくからな!」
ばきっ、めきっ、ごががががが!
来栖の連絡が、市役所にいるマルパスにちゃんと届いたかどうかはさだかではない。何しろ凄まじい轟音だ。地響きと山の悲鳴、そして怪獣の咆哮は、来栖の力ある声もかき消しかねなかった。
「俺も足止めるぞー! おまえ、失敗すんなよ!」
「うるせぇ、タヌキ! おまえこそミスんな!」
一瞬、明るい笑みを交わして、太助と来栖は離れた。太助が森の終わりに向かって走っていく。テオナナカトルの動きはひどく緩慢だが、その歩幅は太助の数十倍だ。走る太助の姿は、そのうちタヌキになっていた。まだ幼い牙を向いて、太助は叫ぶ。
「とぉぉおまれェぇぇえええええッ!」
そのとき、太助の小さな絶叫に、強いシャウトが重なった。
山の終わり、舗装された道に脚を下ろしたテオナナカトルが、一瞬、その声に気を取られたようだった。
あれは、来栖の声だった――
ぴくりと足を止めた怪物の足元が、突然、森になった。太助のロケーションエリアだ。鬱蒼と茂る緑が、茸の怪物の太い脚に絡みついていく。
マ――――――――――ッ!!
明らかにそれは、怒りの咆哮だった。怪物はぶちぶちと緑を引き千切りながら、どすんと前へ、一歩進む。
「ちっくしょう! どんだけバカ力だよ!」
「オレの声と……あのタヌキ……ふたりだけじゃダメってか……!」
太助と来栖は、べつべつの場所で同時に歯噛みした。
テオナナカトルの突起物から、煙のように、霧のように、白い胞子が噴き出す。白――太助と来栖の視界の中で、テオナナカトルとその胞子は、鮮やかに色づき始める。
「んがぁあああ――――ッッ、やってやるーッッ!! 俺と30分すもうとれえッ、こンのキノコ野郎おおおぉぉぉぉ――――ッッ!!」
どろん、と胞子にも負けない大きな煙が上がった。太助が、
ピンチに陥った特撮の敵役よろしく巨大化したのだ。
「あのタヌキ、なんて無茶すん……」
来栖はキノコ怪獣とタヌキ怪獣のプロレスを横目に、走りだしていた。走って森を抜けて、その後どうするかは考えていなかった。ただ夢中で走った。ふたりの力でどうにもならなかったのだ。ひとりではもっとどうにもならない――!
ふと、来栖の肩に白いものが飛び乗った。
「……ルシフ」
獰猛にして自由奔放な、来栖のバッキー。ルシフはぎろんと来栖に目配せをしていた。連れて行け、と言っている。
どしッ!
映画のエフェクトそのままの、それは人が殴られた音だった。
「駄目だ……」
額から血をにじませて、八之銀二がゆらりと立ち上がる。
「駄目だ駄目だ、俺がいちばん駄目だ!!」
テオナナカトルの姿は極彩色に見える。茂霧山の探索部隊ベースキャンプで、銀二はずっと、部隊のために動いていた。その疲れのせいなのか、それともぎりぎりまでベースキャンプにとどまっていたためなのか。白い胞子は誰よりも強く、彼の身体と脳を蝕んでいる。自分がまっすぐ歩けているのかどうか、先ほどまでの銀二には自信がなかった。
だが、気合を入れた今の彼は違う。
――俺が……! 俺が、『下手に手ェ出すな』って言っておけばよかったか? 『そんなフジツボ怪しいからほっとけ』って言っとけばよかったか……? お前をずっと眠らせとけばよかったか? ……わかるか! 俺ァ、予知なんざできないんだ。後悔しててもどうにもならんだろうが! それよりも『今』だろうが! 今、何もしなかったら……俺は今以上にグダグダ後悔することになる……!
タヌキ怪獣に組みつかれ、怒りの咆哮と胞子を撒き散らす極彩色の怪獣。
八之銀二は走っていた。
その横を、取島カラスが無言で走っていく。彼は胞子の対策をしていたから、銀二よりも気づくのが早かった。
「……!」
テオナナカトルのフジツボのような突起物から、ぼふっ、と胞子ではない何か――塊が、いくつもいくつも飛び出したのである。
森に落ちたその白い塊は、めきめきと音を立てながら、身体を起こした。
「くそぉぉおおおああッ、ふ ざけやがっ てぇええええッ!!」
しゅアっ、とサバイバルナイフを引き抜くと、カラスは雄叫びを上げながら踊りかかっていった。テオナナカトルが生み出した、白い、キノコ怪人に。
そして、銀二の視界は極彩色にふさがれていく。
「……、く、この……!!」
「お るァッ!!」
ザしん、とここでも映画の効果音!
銀二の前に立ち塞がった怪人たちは、残らず胴を断ち切られ、それぞれ2つのパーツになって転がった。ぶゅん、と銀二の視界を横切るのは、巨大な剣。
刀冴の〈明緋星〉!
「行けよ!」
「――おう!」
銀二は再び走りだす。視界の極彩色は、並走する刀冴が斬り伏せる。彼らの背後に迫る怪人は、カラスのナイフが引き受けた。
視界をさえぎらんばかりの怪獣大相撲は、どうやら、テオナナカトルがオオダヌキを押してきているようだ――。
■ 倒 れ る ぞ ■
『ぅぐぐぐぬぬぬぬ、ま、負けるもんかあああ……!!』
牙を食いしばって土俵際で踏ん張る太助だったが、テオナナカトルは疲れを知らない怪獣らしい。怒りと苛立ちまかせに、ぐいぐいと太助を押していた。
『ま、負け、られ、ねえんだああああああ……!!』
「おーいおーい、タヌキくぅーん、おーい」
『んぁっ!?』
がっちり怪物に組みつきながら、太助は足元から聞こえる声に、何とか目を落とした。
クレイジー・ティーチャーの、嫌でも目につく姿が見える。トラックから下りて、陽気にハンマーと手を振っていた。
荷台に詰まれたドラム缶からは、何やら怪しげな、緑色の液体が地面に流れ落ちている。
「こっちこっち! こっちまでそのキノコ野郎、寄り切って! つっぱって! スモウレスラーバンザーイ!」
『か、簡単に言うなよォ……』
だが、投げ飛ばすことはできなくても、テオナナカトルの進路をずらすことくらいなら。
太助は力を振り絞り、怪物に向かって倒れこんだ。
マ――――――ッ!!
ぼふぼふと胞子を噴きながら、怪物はよろめいた。
クレイジー・ティーチャーが、奇声のような歓声のようなものを上げながら退避する。テオナナカトルの足の一本が、トラックを踏み潰し、緑色の液体を踏んだ。
マ――――――ッ!! マ――――――ッ!!
『お……!?』
太助は目を丸くする。
クレイジー・ティーチャーが撒いた液体は、まるで接着剤だった。ねばつく物質がテオナナカトルの自由を奪っていた。
『や、やったぁ……っ!』
太助はその場に大の字になって倒れた。時間切れだ。彼の姿は小さな子ダヌキに戻り、森は消えていく。
「イエ――――ッ! うまくいってよかたヨー! カラスさん、やっぱ、ナイスアイディィィィィィイ――――……あ゛ッ!?」
ハンマーを振り回して喜びに浸るクレイジー・ティーチャーが、吹っ飛んだ。彼の背中に、キノコ怪人が突進したのだ。クレイジー・ティーチャーの背後にぼんやりとたたずんでいた人魂もひとつ、巻き添えを食らって、ぽてりと地面に落ちた。
「あいたたた……後ろから襲っていいのはボクでしょ……って、ま、マイク!?」
まったくの無傷で起き上がったクレイジー・ティーチャーだったが、彼は、血相を変えて落ちた人魂に抱きついた。人魂は人で言えばぐったりした状態で、クレイジー・ティーチャーはかれをガクガクと揺さぶった。これでもかと揺さぶった。
「マイク! んマァァァァアアーイクゥ!! ダメだよっ、もう二度と死なないって言ったじゃないかァアア!!」
人魂はやっぱり動かない。人魂を抱きしめて、狂気の理科教師はふるふると震え始めた――。
「……、て、……テメェらあああああぁぁああ……!」
キノコ怪人も思わずといったふうにたたらを踏む。ゆっくりと立ち上がったクレイジー・ティーチャーは、
これ以上ないくらいクレイジーな方向にエボリューションしていた。
ハンマーが唸った。
テオナナカトルは動かない。動けない。
ねばつく緑の謎の物質から逃れようと、胞子や怪人を吐きながらもがいている。八之銀二は、その巨大な怪物の前で、ようやく足を止めた。肩で息をしながら、とても堅気のものではない目つきで、極彩色を睨みつける。
意識は遠のき、喉の奥から吐き気がこみ上げてくる。テオナナカトルがもがけば、原色も激しく動いた。
それを見すえながら、銀二は歩く。自分の足が届くまで、怪物に近づいていく。
「恨むなら、俺だけ恨めよ」
今や怪物は、彼の視界と行く手をさえぎる、派手な色の『壁』だった。
「銀幕市に……皆に……手ェ、出すなァ!!」
ず どォ ん!!
銀二お約束のヤクザ蹴りは、信じられないほどの轟音を生んだ。巨大な脚の一本が、完全に粉砕された。ぐらりと傾ぐその巨躯が、銀二の頭上に影を落とす。
「……!」
しかし、その影の中に飛びこみ、銀二のスーツの襟を掴んで跳躍する男がいた。
刀冴だ。
銀二は彼の笑みを見た。
怪物は、倒れていく。
「ルシフ!」
テオナナカトルが倒れゆくのを見て、走りつづけていた来栖は足を止める。すると、その肩から白いバッキーが飛び降りて、脇目も降らずに走り始めた。
「ルシフ、待てよ! 危ねぇぞ、まだあのデカイやつ――」
しかし、バッキーは止まらない。来栖は思わず、大声を上げていた。
「ルシフ! ひとりで行ったって無駄なんだよッ!!」
その声は、駆けていった。来栖よりもバッキーよりも速く、どこまでも!
凄まじい地響きと土埃。多くのものの顔に光が射す。しかし、まだ何も終わったわけではない。
「まだ死んじゃいない」
カラスが吐き捨てた。
そのときだ、彼の気まぐれなバッキーが、とてとてと何かに向かって走り出したのは。
ざ・ざ・ざ・ざ・ざ……!
音が、銀幕市郊外を目指していく。倒れたテオナナカトルに向かっていくのだ。
それは、街中のバッキーが走る音だった。飼い主の肩や腕の中から飛び降りて、バッキーたちは走っていく。途中でキノコ怪人に出くわすと、それに食らいつく。だがそんな例外を除けば、すべてのバッキーは、ただひたすらに、テオナナカトルを目指していた。
『本部より迎撃部隊! 全バッキーはテオナナカトル捕食を目的としている模様!』
街に響いたのは、バッキーの足音だけではない。マルパスの声が、銀幕市上空から降りてきた。彼の能力のひとつだろう。劇中、ブリッジでマイクに吹き込まれる彼の叱咤激励は、宇宙を渡る戦艦の全区域に必ず届くのだ。銀幕市全体に降り注いでもおかしくはない。
『茸怪人を殲滅してくれ! バッキーを1匹でも多くテオナナカトルのもとに行かせたい!』
マルパスの指示が終わるや否や、迎撃部隊は動いていた。バッキーの足音が近づいてくる。カラスのナイフは、彼らの道に立ちふさがる怪人を切り裂いた。彼は言われなくとも殺すつもりだった。彼の目に映る茸どもは、みんなみんな、腹が立つほど白かった。彼の目の前では、すっかりキレたクレイジー・ティーチャーが怪人を虐殺している。あの狂気の教師もまた、怪人に腹を立てているのだ。
そして大移動するバッキーたちは、腹を空かせているのかもしれない。
わしわしわしわしわしわし、と奇妙な音が響き始めた。それは、バッキーがテオナナカトルに群がって、その白い巨躯を食べている音だった。狂気の極彩色であり、空恐ろしい白でもある怪物の身体は、夢のようなパステルカラーに覆われていく。
マ――――――ッ!! マ――――――ッ!!
はじめのうち、怪物は暴れていた。夢の掃除人から逃れようとしていた。
その抵抗は、長くは続かなかった。
マ――――――――ッッッ!!
刀冴と銀二、来栖、太助、カラスが見守る中、テオナナカトルは断末魔の叫び声を上げて、ぼふん、と霧散した。パステルカラーの飴玉――いや、満腹になったバッキーが、ころころと地面に落ちていく。
クレイジー・ティーチャーだけが、バッキーの動きにもテオナナカトルの消滅にもかまわず、キノコ怪人を撲殺しつづけていた。上品とは言えない罵詈雑言を吐き散らす彼の、大きく裂けた口には歪んだ笑みが張りついている。
「テメェはあとで解剖だァァァアアア!!」
彼のハンマーが、十数人目の獲物の首をとらえる。
「アアアアアァ、あ!?」
ハンマーは、くしゃりと怪人の首を叩き潰したが――その手ごたえはあまりに軽かった。クレイジー・ティーチャーの衝動も一気に醒めた。首を失ったキノコ怪人は、かさかさに乾いていた。倒れたその死骸は、まるで灰のように崩れ去る。
「……あれ? あれれ? ……なんで首フッ飛ばしただけで枯れちゃうノ?」
「テオナナカトルが……『親』が死んだからだな」
サングラスを外し、カラスがため息をつく。彼の顔に、マスクはなかった。怪人を相手取っている間に取れてしまったらしい。それほど、無我夢中だった。
「ああー、残念だナァ! 解剖楽しみにしてたのにぃ」
カラスが倒した怪人の死骸も、すっかり乾いて、風に壊されていく。
『本部より銀幕市全域へ。現時刻をもってテオナナカトルの消滅を確認。茂霧山で捕獲した怪人、及び対策課に届出があった各種菌類の崩壊の報告も続々と入ってきている』
静寂の中を、再びマルパスの声が走った。深い安堵と、抑えた歓喜が入り混じった報告だ。
『諸君の尽力と勇気に敬意を表する。脅威は去ったのではない、諸君が退けたのだ。ご苦労だった……すべて終わった。
諸君! 我々の勝利だ!』
街中で歓声が上がったのは、マルパスのお約束の勝利宣言によるものか。違うだろう。誰もが自分の意志で拍手をしていたし、笑っていたし、勝ちどきを上げていた。なぜか、どこからか感動的なオーケストラの演奏が聞こえてきているような気がする。
太助は大の字になって大笑いしていた。
来栖はふくらんだ腹を抱えて転がっているルシフを抱え上げ、
銀二と刀冴はがちごちと笑いながらどつき合う。
クレイジー・ティーチャーは、朝日をバックに喜びのチェーンソーダンス。
取島カラスは、ようやく微笑んだ。彼もまた、満腹になって腹をさすっている自分のバッキーを抱えていた。
午前中に幕を下ろした地獄のキノコ騒動は、夕暮れにはすでに、銀幕市の人々の華々しい思い出となっていた。来栖のバッキーが代表したのか、のちにかれだけが、テオナナカトルのプレミアフィルムを吐き出した。
漂うキノコの匂いも消えた。しかし銀幕市各地の食料品売場では、しばらくキノコの売上が激減するだろう。
〈了〉
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クリエイターコメント | こんばんは、諸口正巳です。 まるで最終回のような雰囲気になってしまった特別シナリオ『テオナナカトル降臨』をお届けしました。熱いバトルを楽しんでいただけたなら幸いです。参加者の皆さまには心からお礼申し上げます。 もう少し参加者枠を増やすべきだったと後悔しました……。またこのような特別シナリオを担当させていただく際には、より多くのPCさまと、よりにぎやかなノベルをご提供したいと考えております。 では、またお会いしましょう。 |
公開日時 | 2006-12-01(金) 18:00 |
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