★ 【謎のキノコ騒動】恐怖! ホホエミダケの怪 ★
<オープニング>

 キノコである。
 不思議なキノコが引き起こした不思議な騒動は、リオネの予知によって、人々を、銀幕市郊外の山中へと導いた。マルパスが指揮する探索部隊は、霧の中で眠りについていた、巨大な白いキノコ状の怪物を発見する。
 怒りとともに目覚めたものは荒れ狂い、探索部隊は撤退を余儀なくされたという。
 騒然とした夜が、銀幕市を包んだ。落ち着かない夜は、しかし、思いの他、静かに過ぎていった。もっとも、嵐の前の静けさであったのかもしれないが。
 
 翌日、銀幕市のあちこちで、先日のカフェの騒ぎを思い起こさせる、奇妙な事件の数々が報告されることになる。探索部隊の、慌ただしい最後を思えば、それはあまりにも、安穏とした日常の延長に思えたかもしれないような、事件の数々だった。だがそれはそれで、居合わせたものたちにとっては深刻な事態だったり、迷惑であったりして……幾人かの人々を巻き込み、奔走させることになったのだ。

 ★ ★ ★

 銀幕ジャーナル編集部内は、朝から妙な緊張感に張り詰めていた。
 忙しく手を動かし働きつつも、記者たちは定期的にちらちらと編集長席を盗み見る。編集長の椅子に座る男、盾崎時雄はそんな部下たちに気づいているのかいないのか、鼻歌など歌いながら新聞の三面記事に目を通している。
 鼻歌。あの不機嫌が服を着て歩いているような鬼編集長が、鼻歌。
 普段ならありえないようなその光景に、全員が戦慄する。新人記者、七瀬灯里でさえその異常さには気がついていた。
 ふいに、盾崎が新聞から頭を上げた。
「おい、七瀬」
「はっ、はい!?」
「例の来月用の記事、順調か?」
「あの、そのぅ……まだ取材段階で……」
「んん、そうか。まあ、ゆっくりがんばりなさい」
 寛容に言ってのけ、盾崎は菩薩のように微笑んだ。
 とたん、編集部内の体感温度が摂氏10℃ほど下がる。
「せ、先輩っ。なんですか、あれ! あんなの編集長じゃありませんよ〜!?」
 隣で凍り付いていた中年記者の肩を掴んでゆすり、七瀬が問うた。中年記者は、困惑気味に首を横に振る。
「いや、それが……私にも、さっぱりわからないんだ。昨日はなんともなかったはずなんだがな」
「そんなぁ、編集長っ、どーしちゃったんですか?」
 さすがは新人である。周囲の”アンタッチャブル(触れるべからず)オーラ”をものともせず、直に尋ねてしまう七瀬。
「身体の調子でも悪いですか?」
「何を言っているんだ、七瀬。俺は絶好調だぞ」
 ははは、と快活に笑って盾崎。
 さわやかな笑顔の編集長。普段では絶対にありえないそのレアな表情を勇気ある記者が「記念に」とこっそりデジカメで盗み撮りし、他のひとりがハンディレコーダーで笑い声を盗み録る。
「ううう……何か変なもの食べちゃったんじゃ――」
 おいたわしや、と嘆く七瀬はハッと思い当たり息を飲む。
 ――変なものって。
「編集長、もしかして最近、変わったキノコを食べませんでしたか?」
 真面目な顔で尋ねる新米記者に、先輩記者は苦笑する。
「七瀬、バカ言うなよ。キノコで大騒動が起きてるときだぞ? 編集長に限って――」
「食った」
「――え?」
「変わったキノコ。いきつけの居酒屋でつまみに出されてな。食ったぞ」
 にこにこしながら「なかなか上手かった」と感想を教えてくれる盾崎を他所に、編集部所の全員がザッと壁際まで飛び退り、そして――叫んだ。

「食ったのー!?」

種別名シナリオ 管理番号31
クリエイター平岡アキコ(wbpp2876)
クリエイターコメント銀幕ジャーナル編集部にて起こった騒動――放っておけば、じきにキノコの効力は消えるらしいのですが、このままでは記者たち全員、仕事が手に付かないそうです。銀幕ジャーナルが休刊しないで済むよう一刻も早く解決してあげてください。
解決には『効力を止める何かを与える』、『編集長をわざと怒らせる』。むしろ、『自分が編集長になっちゃう』……などなど、ご自由な発想で挑んで頂ければと思います。

参加者
四位 いづる(chbt5646) ムービーファン 女 22歳 学生
薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
片山 瑠意(cfzb9537) ムービーファン 男 26歳 歌手/俳優
<ノベル>

 編集長が”正常”でない編集部はやはり”正常”に稼動していなかった。
 会議スケジュール、原稿チェックが先送りされ記者たちは皆混乱していた。そんな中、新たな混乱の種が舞い込んできたのだった――
「こんにちはー」
 恐る恐る、といった風に戸口から挨拶をしてきたのはメガネをかけた80年代欧米風な服装の青年であった。
「クラスメイトPさん?」
 いち早く気がついたのは取材に出かけてしまっていいものかどうか出入り口付近で悩んでいた七瀬灯里であった。
「Pさん、今日はどうしたんです? 誰か九十九軒に出前頼んでたかしら」
 Pの持ったおかもちに目を留めて七瀬は首をかしげる。
「この間のヒーロー事件で随分ご迷惑をかけてしまったから……これは、おわびです。みなさんで召し上がってください」
 そう言うPがおかもちの中から出したのは大きな皿にたくさん盛られたおいしそうなゴマ団子だ。
「編集長さんにもご挨拶しておきたいんですけど」
「え!?」
 ぎくりとして、つい大声を出してしまった七瀬。
「え?」
 なぜか驚かれてしまったことに驚いて、Pは「そういえば」とようやく編集部の妙な空気に気がつく。
「みなさん、どうかされたんですか?」
 なんとなく、フロア中の全員がそわそわと落ち着かないように見えた。
「ええっと……みんながどうかした、というか――編集長ひとりだけ、というか」
「編集長さんが、どうしたんです?」
「ちょっと体調がすぐれないみたいで」
「ええっ!?」
「でもね、たいしたことでは――」
 言葉を濁そうとする七瀬のびみょーな表情を全く意に介さずに、Pは力を込めて申し出た。
「何か困ったことがあったら僕に、この僕に是非手伝わせてくださいっ。今度こそ、みなさんのお役に立ちたいんですっ! 汚名挽回ですっ!!」
 がっと肩を掴まれて前後に振り回される。その力いっぱいの情熱を真正面から受け止めて、七瀬は思う。
 挽回するのは『汚名』じゃなくって『名誉』だと思うんだけど。
「……わかりました、Pさん」
 彼の好意を無碍にするわけにもいかず、結局七瀬は別室に隔離されている編集長の元へとPを案内した。
 そして、後に気がつくことになる。
 確かに、この心優しきトラブルメーカーの彼が宣言したとおりになるのだ。
 この先、彼が挽回できるのは『名誉』などではない。トラブルとトラブルの相乗効果――まさに、破壊と混乱の再来、である。



 Pが通されたのは看護室や保健室ではなく、なぜか資料がぎっしりと詰まった棚の並ぶ資料室であった。部屋の奥、壁に沿って置かれたテーブルを囲んで椅子に腰掛けるのは、ひとりの中年の男(ものすごい笑顔だ)と何かを相談している若い一組の男女(こちらはとても複雑そうな表情だ)である。
 開いたドアに気がつき、振り返った若い男女が、口々に声を上げた。
「あれぇ、Pさんやないの」
「あっ、マホガニー……じゃなくて、クラスメイトPさん! おひさしぶりです」
 それはかつてPが行動を共にしたことがあるムービーファン、四位いづると薄野鎮であった。
「四位さんに、薄野さん? どうしてここに」
「どうしてって、依頼を受けたんよ。キノコ騒動、あちこちで余波がすごいみたいやね」
 まさか銀幕ジャーナルにまで被害が及ぶなんて驚きやねー、といづる。
「僕も依頼で……」
 苦く笑って言う薄野鎮。実はキノコ事件が起こっていたことに気づいていなかった。今回の騒動は寝耳に水で、何気なく受けた依頼がキノコによるものだと聞き、最初は首を傾げるしかなかった。
 ――ホホエミダケって、何?
 無理もない反応であった。
 ちなみに『ホホエミダケ』という名前は今回の依頼を出したジャーナル記者がつけた、編集長が食べたと思われるキノコに勝手につけた仮称である。
「Pさんは依頼で来たんと違うの?」といづる。
「僕は、ちょっとご挨拶に……」
 そう言うと、Pは笑顔全開な中年の男に勢いよく向き直った。
「編集長さん、以前の事件ではご迷惑をおかけしましたっ!!」
「ん? 君はあのとき見学に来てくれたムービースターの……いやいや、君には何の責任もないさ」
 きらきらとまぶしい微笑みを浮かべ、編集長は首を横に振る。
「何も問題はないよ。うちには、責任感の強くて頼もしい記者ばかりだから、ヴィランズ襲撃の1回や2回……なぁ、七瀬」
「え、ええ。そーですね」
 資料室の開け放されたドアの向こうのフロアで、肩幅の広い大きな背中がぎくりと震えたのが七瀬には見えた気がした。
「とにかく、前回の分も今日見学していってくれたらいいよ、Pくん。七瀬、案内してあげてくれ」
「は、はぁ……」
 歯切れ悪くうなずいた七瀬がちろりと隣のPを盗み見ると、彼の肩がプルプルと震えていた。目には涙がたまっているではないか。
「……Pさん?」
「か、感動しましたっ!! 編集長さんが、こんなに心の広い方だなんて! 僕、精一杯皆さんのお手伝いをします。編集長さんは安心して養生してくださいね」
 失礼しますっ、と勢いよくお辞儀をし、部屋を出るP。慌ててそれを追う七瀬――が、はたと歩みを止めて振り返ったPにドシンとぶつかった。
「ところで七瀬さん。編集長さん、どこが悪いんですか?」
「…………」



 張り切るPの背中を見送って、いづると薄野は編集長へと向き直る。
「幻覚なし、吐き気や腹痛もなしっと……盾崎さん、寒気は?」
 いづるの問診に、編集長はキラリと歯を見せて親指を立てた。
「いつでも心はホットだゼ☆」
「少々、気分が高揚してるみたいやね」
 手元のカルテに黙々と症状を書き込み、いづるは「うーん」と唸った。
「アッパー系のヤバげなモンんも含有してたかもしれへんね」
「ヤバげって……」
 冷や汗を流す薄野に、
「あはは、私の口からはっきり言わせんといて」
 といづるはカラ笑いする。
「とりあえずは、このままでええんと違うかな。常用してるわけやないから禁断症状もそうないやろし、ホホエミ振りまいてるだけやもん。無害やん?」
 けろりと言い切るいづるの言に、反論の余地はない。しかし、責任感の強い薄野青年は一応、食い下がった。
「それは、そうかもしれないけど……依頼をもらってるわけだし」
「ふぅん。せやったら、とりあえずダウナーなアレでも処方してみよか」
 ――アレって、何?
 そこはかとなく、危険な香りがする。
「いや、その……もう少ーし穏便にできないかな」
「たとえば?」
「ええっと……たとえば、試しに怒らせてみるっていうのは? いつもの自分のキャラを思い出して、元に戻るかも」
「…………」表情も変えず、じーっと薄野をみつめるいづる。
「…………」え、何? とみつめかえす薄野。
 見詰め合うこと、数十秒。いづるが口を開いた。
「やらへんのん?」
「え? ああ、はい――」
 自分から提案しておいてなんだが、大のオトナをワザと怒らせるって……。
 数十秒悩んだ挙句、薄野青年は盾崎の前に立ち、とりあえず「すみませんっ!」と詫びた。そして、盾崎の両頬をみにょーーんと思い切り引っ張った。
「いだだだ……」地味に痛がる、鬼と呼ばれた編集長。
 十数秒後、ぱっと飛びのいて薄野は両手で頬を抑える中年の顔を覗き込んだ。
 ――怒った?
 が、期待もむなしく盾崎は清らかな笑顔のままだ。
「あっはっは、薄野くんはおちゃめだな。このイタズラボウズめ☆」
 ちょん、とひたいを人差し指で突かれてしまい、薄野はぞわりと背筋が寒くなり鳥肌が立つのを感じた。
「キャラっ、キャラが違うっ! 絶対オカシイ、このヒト無害じゃないよっ」
「……ホンマやね。今のは、確かにちょっと怖かったわ」
 いくぶん顔色が悪くなったいづるが隣でうなずいた。
 薄野はため息をついて望みの少ない提案をした。
「キノコの成分をバッキーに食べさせることはできないよね……」
「食べたのが昨晩やからなぁ……もう成分が体内にまわっとるやろ」
「けど、やってみるだけやってみよう」
 薄野はごそごそと懐から真っ黒なバッキーを取り出し「失礼します」と盾崎の手をとった。盾崎の腕の上に止まり木にとまる小鳥のごとく、ちょこんと乗った薄野のバッキー”雨天”。
 彼はかぷりと盾崎の腕に噛み付き――すぐに「ぺっ」と吐き出した。瞳が訴える。
『マズイ。食べられない』
 そんな雨天を、やはり怒るでもなく編集長は微笑ましげに愛で、
「こんなところにも、イタズラな妖精が☆」
 ちょん、と額を指先で突つく。雨天の軟らかなはずの体がビシリと石化する。
「……ご、ごめんね、雨天」
「せやな。コレは謝らなあかん」
 心底同情するように呟いたいづるの真っ白いバッキーが、いたわるように雨天の背中をそっと叩いた。



「こんにち……わぁー? なに、コレ」
 編集部の入り口、頭だけを扉からフロア内に覗かせて、男がひとりドン引きしていた。
 片山瑠意――歌手であり俳優である彼はスラリと背の高い美男子だ。銀幕ジャーナルのエンターテイメント欄に載る記事の件で打ち合わせに来た彼なのだが……フロア内は、阿鼻叫喚であった。
 ビーーッとけたたましく電子音がして、誰かが叫んだ。
「ぎゃああ!? なんで、受信メール全部文字化けしてるんだ!?」
 がっしょんがっしょんと機械音がして、誰かが叫んだ。
「おい!? コピー機から出てくる用紙、全部真っ黒だぞ!」
 ガッシャーーンと何かが割れる音がして、誰かが叫んだ。
「うわぁ!? この部屋、花瓶なんて置いてないはずなのにぃ!?」
 ありえないようなトラブルが、次から次に記者たちを襲っていた。
 そんな記者たちの間を縫うように、ふらふらと歩く男がひとりいた。
「あれって……Pさん?」
 キノコの討伐で面識のある片山は、声をかけようとして――留まった。
 Pは両手に重たそうなファイルをいくつも抱えていて――何かのコードに足をとられてつんのめり、盛大にファイルがぶちまけた。よろめいた拍子に脇に置かれた棚にドシンとぶつかり資料の雪崩が起きる。資料の山に押し流され、埋もれるP。
「……わぁ」
 あまりの惨状に、『助け出す』という選択肢すら思い浮かばずぽかんとみつめる片山。そんな彼に、
「あれっ、打ち合わせ、今日でしたか!?」
 いち早く気がついてくれたのは、心底困り顔の七瀬灯里であった。
「そうですよ。編集長さんは?」
「あの、それが……」
 歯切れの悪い七瀬の様子に、片山に同行してきていた所属事務所のマネージャーが耳打ちする。
「出直したほうがいいのでは?」
「うーん……芝居の稽古あるし、できるだけ用事は今日中に済ませておきたいんだけど」
 ――と、
 ガッシャーーン!!
 ひときわ大きな破壊音がして、窓ガラスの破片が室内に向けて飛び散った。窓の外から、何かがこちらにすっ飛んでくる。反射的に半身を引いた片山と硬直しているマネージャーをかすめてそれは壁にぶちあたる。
 ゴスッ!
 壁をすべり床に落ちたのは野球のボール……しかも硬球であった。
 片山はおもむろにそれを拾い上げ、窓の外をたしかめてみると、ひとりの少年がこちらに向かって大きく手を振っている。
「すみませーーん! キャッチボールしてたら、手がすべっちゃってー」
 少年はみたところ小学生くらいだ。ものすごい強肩だと感心するがしかし――子供が硬球って。
 不思議に思っている片山の脇で、同じく窓の外を覗き込んでいた七瀬がちょっと驚いたように言った。
「あの子、ご近所の子なんですよ。野球がとっても上手なんです。暴投なんてはじめて」
「ふうん? ……とりあえず、ええっと……これ今返しに行くからー!」
 少年に向かって片山がふりふりしている硬球をマネージャーがすばやく奪う。
「コレは私が返しておきますのでっ」
「……あぁ、うん。よろしく」
 記録物の素早さでフロアを後にするマネージャーの後姿を見て「あのヒト、もう戻ってこないだろうなー」と片山は思った。



 資料室へと通された片山は編集長の神々しいまでの笑顔を目の当たりにし、先ほどに引き続きドン引きすることになる。
「うっわぁ……編集長、ちょっと見ない間にずいぶん印象が変わりましたね」
「はっはっは、片山くんは相変わらず良い男だな」
「あはは、ありがとうございます。編集長さん、それってイメチェンですか」
「そんなもんかな」
 否定しない盾崎に、その場にいた全員が心の中でうめいた。
 ――どんなイメチェンだ。
 ひとしきり挨拶を済ませた片山がくるりと振り返って薄野鎮に微笑みかける。
「片山瑠意です」
 あわてて会釈を返す薄野青年。
「あ、どうも、薄野鎮です」
「四位さん、こんにちは。あなたは、どうしてここに?」
「こんにちは、片山さん。実は――」
 編集長の症状、そして依頼の内容をいづるはかいつまんで説明すると片山は「へーえ」と面白そうに相槌を打った。
「結局それって『体内毒素』ってことだよな。じゃあさ、『デトックス』すればいいんじゃないの?」
「デトックスって……ダイエットとか健康法の、ですか?」
 斬新でちょっぴりライトな発想に、薄野は目をぱちくりさせる。
「それそれ。今流行ってんじゃん、リンパ流して毒出しっていうの」
 そう言う片山に、いづるが「ふむふむ」とうなずいた。
「新陳代謝をアップして体内毒素を流す、か。案外イケるかも……ホホエミダケの効果が消えるの早なるかもしれへんね」
「よーし、さっそくやってみよう♪」
 にんまり笑って片山は携帯電話を取り出し、迷いのない指さばきで短縮ボタンを押す。
「もしもしー、こちら銀幕ジャーナル。至急、出前お願いします。トムヤムクンとレッドカレー、サワーカレー。全部辛さ3倍でね。うん、パクチー大盛り。領収書もよろしくー」
 ピッ、と電話を切ったかと思うと、再びどこかに電話をかける。今度はどうやら中国料理の店にかけたらしく、いかにも辛そうな料理を数品注文している。その電話をかけ終えると、片山は満足げに息をついた。
「これでよし。行きつけのタイ料理屋と中華料理屋なんだ」
 嬉しそうに教えてくれる。そして、ぼそっとつぶやいた。
「ちょうど昼飯食ってなかったんだよねー」
「え?」
「んーん、こっちのハナシ」
 本当に、これで盾崎の回復が早まればいいのだが――資料室の外では相変わらず、何かの破壊音、そして誰かの叫び声が響き渡っている。その叫び声の中に、定期的にクラスメイトPの声も混じっていることに気がついてはいたが、いづるも薄野もあえて指摘するのはやめておいた。
 なんとなく、火に油を注ぐような結果になりそうな気がしたからだ。
「ところで、編集長さん。エンタテイメント欄で載せていただく記事のことなんですけど」
 と口を開いた片山に、盾崎は笑顔で応じる。
「ふむ?」
「前々から思ってたんですけど、もーちょっと枠を増やしていただけないかなー、なんて」
「んん、そうか。わかった、考えておこう」
 普段ではありえないほど、あっさり頷く盾崎。片山の瞳がこれはチャンスだとばかりにきらりと輝く。
「じゃあ、じゃあ、こんなのどうですか? 次の号で付録なんてつけてみる、とか」
「ほう?」
「たとえば、ミュージカルのサントラCDとか、思い切ってDVDとか。なんなら、別冊で銀幕市の音楽と演劇に関する特別号を出しちゃうとか♪」
「ふむ、なるほど。なかなか面白いね」
 ぴかぴかの笑顔で頷く編集長。
「……四位さん。アレは放っておいてもいいのかな」
 薄野は冷や汗を流して、とんとん拍子で話を進めているふたりを指差す。
「ええん違う?」
 上の空で答えるいづるは、先ほどから興味深そうに棚に詰め込まれた資料を眺めて回っていた。背表紙をみつめるその目が、好奇心に光っている。
「そんなことより薄野くん」
「そんなことって、四位さん……」
「これ関係者以外が読んだらマズイやろか、やっぱりあかんかな」
「今は、編集長さんを――」
「だいじょぶだいじょぶ、イザとなったら睡眠薬ぷすりして強制入院☆」
「…………」薄野は、もはや言葉も無い。
「せや、そーいえば、そこの紙袋。さっき七瀬さんが置いていったんやけど、中身なんやろねー。『最終兵器』や言うてはった」
「…………」
 ――僕、何しに来たんだっけ?
 毎度の事ながら涙が出来てきそうな薄野青年。――と、そのとき突然、室内の電灯がぷつりと消えた。



 いづる、薄野、片山が慌てて資料室を出てみると、記者たちが窓辺にたむろしていた。
「どうしたんです? 停電ですか」
「ああ……どうも送電線がぶっ壊れたらしい」
 記者のひとりが指差す方向、電信柱の一本から煙が上がっている。
「これじゃあパソコンがつかえんな」
 記者たちからため息がもれた、その時、突然編集部の入り口が乱暴に開く。
 バッターーーン!!!
 十数人の男たちの一団がフロアになだれ込んでくる。彼らの先頭にいるのは――
「竹川導次!?」
「確か、彼もキノコ騒動で依頼が出てたような――」
 困惑する七瀬灯里らを他所に、ガラの悪そうな男たちはフロア内を駆け巡った。
「くぉらー、待たんかい、竹川ーー!!」
「逃げんなや、クソボケがー!」
 怒声を撒き散らして竹川導次を追う一団に派手に突き飛ばされ、クラスメイトPは過剰なまでに吹っ飛んだ。
「ぎゃーーーー!!」
 銀幕ジャーナル編集部内は混乱を極める。
 ――おかしい。これは、あまりにもおかしいぞ!?
 編集長のホホエミが、ここまで事態を発展させるなんて、考えにくい。
 竹川らが去った、砂埃の舞い散るそのさなか、薄野青年がぽつりと呟いた。
「何か、他の力が働いている?」
「他の力て――銀幕市中の事件巻き込んでパニック起こすなんて一体――」といづる。
「パニック……パニックぅ?」
 何かに気がついたような片山の呟きに、その場にいた全員がハッとした。
 よもや、と一斉に注目が集まる。細く煙をたなびかせ、倒れているひとりの青年に。
「……え?」
 皆の視線に気がついて、かの人物、クラスメイトPは「ぽっ」と頬を染める。
 ――みんながっ、みんながこの僕を見ているっ!?
 わけもわからずドキドキと胸を高鳴らせている彼に、勇気を出していづるが尋ねた。
「えーーっと……Pさん。最近、何か変なキノコ食べへんかった?」
「まさか、キノコで大騒動が起きてるときだぞ?」
 デジャブのごときセリフを編集部内の誰かが言った。
「食うわけないって、だってPさん討伐隊に参加したんだしー」
 あはは、と笑い飛ばす片山。
 するとトラブルに巻き込まれることが仕事の名もなきムービースターが一言。
「た、食べました……」
 しん、と静まり返るフロア。
「駅前の居酒屋で、食べました。変わった色形してたキノコ」
 ――嗚呼。
 電源が落ち真っ暗な編集部内、記者という記者たちは絶望に肩を落とした。
「もう……だめだ!」
「次号は休刊だぁ!!」
「編集長もあんな状態だし……」
 あんな編集長は、神々しい笑顔を浮かべ薄暗いフロアの片隅にひとり光を放っている。
 対照的に、真っ青になったPは錯乱にわめく。
「みーんな僕の所為なんですねっ!? そうなんですね!?」
「いや、ちょっと落ち着いて、Pさん」
「そーやよ、Pさん。いくらキノコで災害体質が増幅して、銀幕ジャーナルを巻き込んでもぉたからって――」
「うわぁぁぁん!! やっぱり僕のせいだぁぁ!! かくなる上はっ!」
 がっしとムービーファンたちのバッキーを3匹とも奪い、
「さぁっ、この僕を召し上がれ〜!!」
 号泣しながら叫んでいるクラスメイトP。もはややぶれかぶれだ。
 そんな最高潮の阿鼻叫喚の中で、
「チハー、毎度デース」
 場違いなカタコトの挨拶が編集部入口から聞こえて皆が振り向いた。
 入り口から顔を覗かせているのは東南アジア系の濃ゆい顔立ちをした若い男だった。ぽかんとみつめる一同を他所に片山瑠意だけが嬉しそうに「こっちこっち」と手まねいた。
「待ってたよ、ごくろーさま♪ あ、七瀬さん。このタイ料理、全部編集長のオゴリだから悪いけど立て替えといてもらえますか」
「は、はぁ」
「ほらぁ、みなさん。くよくよしてても始まらないでしょ。昼メシ食べて落ちつきましょ。出前のお兄さん、メニュー表もってる? ここの人たち全員に注文とってあげてよ」
 片山は歌うように明るい声で言い放ち、3匹のバッキーを抱きしめて涙に暮れるPを振り向いた。
「Pさんも。フィルムになってるヒマがあるんだったら、レッツ・デトックス! はい、これ食って」
 レッドカレー(パクチー大盛り)を手渡される。
「せやね。片山さんの言うとおりやわ。泣いてるヒマがあったら、みんなで日ごろの毒を流しましょ。水分補給も忘れんとね! ほら、編集長さんも、もりもり食べて」
 言うなり、いづるは元気に手を挙げて「濃ゆいお兄さん、私、生春巻きね〜」とぬかりなく注文する。
 真っ赤なタイカレーを手にして、とまどうPの背中をぽんと叩いて薄野青年が微笑んだ。
「たくさん食べて、早く治さなくちゃいけないね」
「……みなさん……」
 Pが流す絶望の涙が、感動の涙に変わってゆく。
「はいっっ、僕、食べます、吐くまで食べますっ」
「いや、吐く必要はないですから」
 苦笑する薄野青年の肩が叩かれた。振り向けば、紙袋を手にしている七瀬。なぜかとっても残念そうな顔をしている。
「いや、今回は必要ないですから」
 袋の中身は推してしるべし、ということで。



 急遽、『デトックス大会』もとい『激辛食事会』と化した銀幕ジャーナル編集部。いつもの活気が、そしていつもの鬼編集長の怒鳴り声が戻るまでには、そう時間はかかるまい。
 結局、大量の激辛料理の請求は誰に回るのか? 次回のジャーナル誌に付録は付くのか?
 ――判明するのは、もう少しだけ、先のお話。



クリエイターコメントこんにちは、平岡です。
みんなぁ、どこへ行くの!? と叫びつつ、いただいたプレイングとにらめっこしながら書かせていただきました。
……さて、紙袋の中身が消化不良でございます。
消化いただくには、たいへんお手数ですがわたくしの前作をご覧くださいませ。

いづるさん、ちょっぴりヤバキャラにしちゃってごめんなさい。楽しかったです(おい)
薄野くん、毎度毎度、ツッコミありがとう。雨天くん共々、苦労させちゃいます。
マホガニ……じゃなくてPくん、どちらかというとヴィランズ扱いしちゃいました(笑顔)
片山さん、デトックスは盲点でした。斬新なアイディア、ナイスです。

ご参加いだたき、本当にありがとうございました☆m(_ _)m
また、ネタ使用をご許可くださったライター様、無許可でちょびっと使用してしまったライター様に深くお礼とお詫びを申し上げます。
公開日時2006-12-10(日) 11:30
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