★ 【謎のキノコ騒動】映画を撮ろう! ★
<オープニング>

 キノコである。
 不思議なキノコが引き起こした不思議な騒動は、リオネの予知によって、人々を、銀幕市郊外の山中へと導いた。マルパスが指揮する探索部隊は、霧の中で眠りについていた、巨大な白いキノコ状の怪物を発見する。
 怒りとともに目覚めたものは荒れ狂い、探索部隊は撤退を余儀なくされたという。
 騒然とした夜が、銀幕市を包んだ。落ち着かない夜は、しかし、思いの他、静かに過ぎていった。もっとも、嵐の前の静けさであったのかもしれないが。
 
 翌日、銀幕市のあちこちで、先日のカフェの騒ぎを思い起こさせる、奇妙な事件の数々が報告されることになる。探索部隊の、慌ただしい最後を思えば、それはあまりにも、安穏とした日常の延長に思えたかもしれないような、事件の数々だった。だがそれはそれで、居合わせたものたちにとっては深刻な事態だったり、迷惑であったりして……幾人かの人々を巻き込み、奔走させることになったのだ。

 ★ ★ ★

「ありがとうございました!」
 冴木梢は、頭を下げると、元気良くそう言った。そして、テーブルに近寄ると、食器を片付け始める。
 今日は高校も休みで、特に用事もなかったため、梢は、母の経営するカフェ、『木漏れ日』を手伝っていた。テーブルをダスターで拭きながら、今帰っていった客の二人とも、バッキーを連れていたのを思い出し、溜息をつく。
「あ〜あ。こないだのオーディションも落ちたし、あたしにはバッキーもいないし……つまんないの」
「いいじゃないさ、あんなヘンな生き物なんていなくても。大体オーディションだって……」
「あ〜っ! もうお母さん! いくらあたしの心の声が聞こえるからって、いちいち反応しないでよ!」
 梢が膨れっ面でそう言うと、母の美加は盛大な溜息をついた。
「ここまで頑固なのも凄いよねぇ……いったい誰に似たんだか」
 梢には、頭の中で考えていることを、つい声に出して言ってしまうという癖がある。しかし、本人にその自覚はなく、自分は周囲から心を読まれる特異体質なのだと思い込んでいるのだ。いくら違うと言っても納得しないので、彼女と近しい間柄の者は、もう諦めている。
「え? お母さん、何か言った?」
「……いや、何でもない。……あ、そうそう梢、ちょっと、買い出しに行ってきてくれない?」
 美加がそう言うと、梢は片付けた食器をキッチンに運びながら頷く。
「うん、いいけど……何か足りないものあったっけ?」
「いや、もうキノコの美味しい季節じゃない? 新しいメニュー、出そうかと思って。パスタとか、サラダとか……でも、何のキノコにしようか迷い中。市場に珍しいキノコでもあると面白いんだけどね」
「ふーん。珍しいキノコ、かぁ……」
 梢が考えていると、美加は赤い財布を手渡し、微笑んだ。
「まあ、あんたに任せるから、お願いね!」

 ■ ■ ■

「珍しいキノコ……そんな大雑把なこと言われてもね……。まあいっか」
 梢は、そう呟きながらも、市場への道を進む。すると、前から長身の女性が、デジタルカメラを持ちながら歩いて来た。
「わぁ……綺麗な人。モデルさんかな?」
 すると、女性は足を止め、こちらを見やる。
「ありがとう。まあ、モデルもやってるけど、基本的に女優かな」
「ああああああっ! ごめんなさい! 今のは心の声です! あたし、特異体質なんです!」
 梢は、顔を真っ赤に染めると、手をぶんぶんと振る。
「ああ……またやっちゃったよ……でもこの人、見たことないなぁ……新人さんかな? それにしても女優さんかぁ……羨ましい」
 それを聞き、女性は明らかに怪訝そうな顔をしたが、次の瞬間、ぷっと吹き出した。
「面白い子。あたし、脇役ばかりだから、知らなくても仕方ないかも。……ああ、このデジカメ?」
 梢の視線が、デジタルカメラに向けられたので、女性はそう言うと、微笑む。
「あたしね、ゆくゆくは、映画も撮れる女優になりたいの。でも、今は女優業をどうにかするので精一杯だし、勉強するお金もないから、独学って感じ」
「へぇ……凄いなぁ。あたしも、そういう女優になりたいな……」
 梢の言葉に、女性は、目を瞬かせた。
「君も女優なの? どこの事務所?」
「ああああああっ! 今のはまた、心の声なんですけどっ! ……えっと、とにかくそうじゃなくて、あたし、女優になりたいんですけど……オーディションに全然受からなくて……」
 それを聞き、女性は梢をまじまじと見ると、「へぇ……」と呟いた。
「君、可愛いから、頑張ればそのうち誰か拾ってくれるよ。あたしも、最初はずっと落ちまくりだったもん」
「そうなんですか?」
「うん。大丈夫。……あ、そろそろ行かなきゃ。じゃあね。いつか現場で会えるのを楽しみにしてるね!」
 そう言って、女性は足早に去っていく。その後ろ姿を見送りながら、梢はひとり、呟いた。
「映画も撮れる女優、かぁ……」

 ■ ■ ■

 市場は、活気に満ちていた。
 梢は人ごみをすり抜けながら、ひとつひとつ店を回り、キノコを見ていく。しかし、どこに置いてあるのも、一般に出回っているキノコばかりだった。しかし――
「あ! そこのおじさん! ちょっとストップ!」
 梢が、思わず声を上げ、駆け寄ると、ゴミ袋を持った四十がらみの男性が、不思議そうな顔で足を止める。
「……ん? お嬢ちゃん、何か用?」
「そのキノコ、捨てちゃうんですか?」
「ああ……これ?」
 彼の持ったゴミ袋には、梢が見たこともないキノコが、ぎっしり詰まっていた。
「売れないからですか? それとも、腐ってたとか? ……もしかして、毒キノコ?」
 梢の矢継ぎ早な言葉に、男性は頭をかき、困った顔をした。
「いや……そんなんじゃないんだけどさ……」
「――お前さま!」
 その時、辺りに響くような大声が上がり、ぼろぼろの和服を身にまとった三十代くらいの女性が、はらはらと涙を流しながら、こちらに近づいてくる。
「お前さま! あちきを……あちきをお捨てになるのでございますか!?」
 そう言うと女性は、しなっと崩れ落ち、潤んだ瞳で、男性を見上げた。
「いや……ちょっと、ゴミ出しに行くだけだから」
「あああ……良かった……あちきとお前さまは、いつまでも一緒! あ、い〜つ〜ま〜で〜も〜!」
 その途端、どこからともなく琴や太鼓の音が聞こえ、これまた、どこからともなく季節外れの桜吹雪が舞い散る。
「ほら……うちの女房、このキノコ食ってから、こんなんなっちまってさ……売れねぇだろ? 流石に」
「ください」
「……は?」
「そのキノコ、ぜーんぶください!」

 ■ ■ ■

 帰り道。
 梢は、渋る男性を何とか説き伏せ、「どうなっても知らねぇぞ!」という言葉とともに、キノコを無料で譲ってもらった。
 映画を撮るには金がかかる。
 役者、スタッフ、機材……。
 しかし、このキノコは、普通の人間を役者に仕立て上げ、なおかつ、演出まで可能にするのだ。たとえ、デジタルカメラで撮ったとしても、それなりの作品に仕上がるだろう。
「これであたしも、映画の撮れる女優になるのよ!」
 そう叫びながら奇妙なステップで踊る梢に、声をかけられるものなど、誰一人としていなかった。

種別名シナリオ 管理番号25
クリエイター鴇家楽士(wyvc2268)
クリエイターコメント梢が持ち帰ったキノコは、題して、『昼メロキノコ』です。ご参加PCさまには、カフェ『木漏れ日』にて、このキノコ料理を食べていただきます。食べた方は、もれなく昼メロの登場人物のようになってしまいます。

プレイングには、『どんな役を演じたいか』、をお書きください。基本的にノベルで描かれるのは、PCさまのデータではなく、そのご希望の役柄をもとにしたもの、ということになります。ただし、どんなにカッコいい役柄を希望されても、『昼メロキノコ』の作用により、どこかおバカな描写になります。ご了承ください。

皆さまのご参加、お待ちしております。

参加者
沢渡 ラクシュミ(cuxe9258) ムービーファン 女 16歳 高校生
エディ・クラーク(czwx2833) ムービースター 男 23歳 ダンサー
<ノベル>

「うふっ。うふふふふふふっ……」
 カフェ『木漏れ日』の店内に、不気味な笑い声が響く。
 店主である美加は、友人と温泉旅行に行っていて不在。
 店は、梢に託された。
 あの後、梢は適当に買ったキノコを美加に渡し、『珍しいキノコ』を部屋に隠した。
 チリン、チリン。
 ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ〜!」
 梢は、満面の笑みで迎えた。
 客――いや、『獲物』を。

 ■ ■ ■

「うーん……中々面白かったけど、竜頭蛇尾って感じだったよね。でも、衣装とかメイクは素敵だったな」
 沢渡ラクシュミは、そう呟きながら、肩に乗っているバッキーの頭を撫でる。
 今日は、友人と映画を観に行く約束をしていたのだが、友人は急用が出来たとのことで、ひとりで観ることになった。その後、天気も良かったので、街をぶらぶらと歩いている。しばらくそうしていると、ひとつのカフェが目に入った。
「へぇ。なかなかカワイイお店。……喉も渇いたし、ちょっと入ってみようかな」
 そう言うと、彼女はドアをそっと開けた。

 ■ ■ ■

「う〜ん」
 エディ・クラークは、遠い青空に向かって、大きく伸びをする。今日の仕事は、予定よりも早く終わったので、彼は、街を散策していた。ムービースターとして銀幕市に『出現』してから、大分時は経ったが、まだ知らない場所は沢山ある。何より、アルバイトで忙しい。
 普段は通らない道を通り、色々な店があるものだと感心しながら歩いていると、視線の片隅に、ひとつのカフェが映った。
「ちょっとコーヒーでも飲んでいくか!」
 彼はそう言うと、店内へと進んだ。

 ■ ■ ■

「きみ、この『木漏れ日ブレンド』っていうのくれる?」
「はい……あーっ! エディ・クラークだ!」
 エディがメニューから目を上げ、注文すると、梢が大声を上げた。
「俺をご存知とは、いいシュミしてるね」
 そう言って片目をつぶるエディに、梢は顔を赤くして、トレイをぶんぶんと振る。
「いや、今のは心の声でっ! ……とにかく、かしこまりました! ……ふふふ……これなら大成功よ!」
「何が大成功なんだい?」
「今のも心の声です!」
 そう言ってキッチンへと向かう梢を見送りながら、エディは小さく肩をすくめ、首を振った。他の客も、不思議そうにそれを見ている。
(面白い子。あたしと同い年くらいかな?)
 ラクシュミはそう思いながらも、メニューに目を落とし、何を注文しようか、迷っていた。
(そういえば、お腹も空いたけど……ここは食べ物はないのかな?)
 少し遅いが、今はランチタイムといっても差し支えない時間ではある。しかし、渡されたメニューを裏返してみても、ドリンクしか載っていない。そういう方針の店なのだろうか。
 すると――
「皆さ〜ん! 今日は、スペシャルメニューがありま〜す! とっても美味しい、旬のキノコを使ったリゾットで〜す! サービス期間中なので、無料で食べていただけま〜す!」
 梢の明るい声が店中に響き渡った。
「何だぁ、メシあんじゃん。俺、それもらう!」
「ああ、俺も俺も!」
 二人組の男性客が、真っ先にそれに飛びつく。
「あ。あたしもお願いします」
「俺もせっかくだからもらおうかな」
 ラクシュミとエディも手を挙げる。他にいた客も、欲しいという旨を示した。

 しばらくして、それぞれのテーブルに、リゾットが運ばれてくる。鼻腔をくすぐる匂いに、店内が沸いた。
 そして、皆、スプーンを口に運ぶ――。

 □ □ □

「……お嬢さま。旦那さまと奥さまがお呼びです」
 家政婦にそう声をかけられ、ラクシュミは目を瞬かせた。
「分かった。すぐ行くわ」
 ラクシュミは、礼をして去っていく家政婦の後姿を見送り、自室を出る。階段を降り、リビングへと向かう。
 そこには父と母、そして、みすぼらしい姿をした、見慣れない少女の姿があった。
 訝しげに思いつつも、ラクシュミは優雅に一礼すると、口を開く。
「お父さま、お母さま、何の御用でしょう?」
「まあ、座りなさい」
 父にそう促され、ラクシュミはソファーに腰を下ろす。
「ラクシュミ。この方は、今日から我が大奥家の家族になります」
 母にそう紹介された少女は、まるで、捨てられた子犬のようにおどおどとしながら、頭を下げた。
「お嬢さま。私は彼岸花と申します。宜しく……お願い致します」
 ラクシュミは、そう言って頭を下げたままの少女――彼岸花を値踏みするように見ると、父の方に視線を移して言った。
「お父さま。何故突然このような方が、我が大奥家に?」
 すると、父は葉巻を吹かし、微笑む。
「彼女は知り合いのお嬢さんでね。生活が苦しいから、安定するまで、我が家で預かることにしたのだよ」
「あなたと年も同じ。姉妹だと思って、仲良くして差し上げてね」
 母の言葉に、ラクシュミは、不服ながらも頷いた。

 それからの生活は、予想外に楽しいものとなった。
 彼岸花は大人しく、ひたむきだった。一人っ子で、これといって親しい友人もいなかったラクシュミにとって、一番近しい存在になった。
 ――しかし、この出会いが、悲劇の始まりだった。

 □ □ □

「おい、エディ! いつまで皿洗ってんだ! これをお客さまにお出ししろ!」
「はい! い、今すぐ……」
「エディ! 掃除はまだかよ!」
「で……でも、これをお客さまに……」
「言い訳してんじゃねぇよ! ……ったく、てめぇはトロくせぇんだよ!」
 街の小さなレストランのキッチンで、口々に浴びせられる罵声に耐えながら、エディは働いていた。とりあえず、頼まれた料理を、フロアへ運ぼうとする。
 ――と、足に何かが引っかかり、彼の身体が宙に舞う。それと同時に、料理も手を離れた。
「――っ!」
 必死で手を伸ばしたが、届かない。
 そのまま料理は床に落ち、皿が割れる音がした。エディも、床に無様に投げ出される。
「あ〜あ、何やってんだよエディ」
 嘲笑が、周囲を覆いつくす。
「エディ! またお前か! そんなにクビになりたいのか!」
 物音を聞きつけてやってきたマネージャーの怒鳴り声が響く。エディは、慌てて首を振り、口を開こうとしたが、彼の足を引っ掛けた張本人は、心底困ったような顔をして、マネージャーに訴える。
「ホント、こんな役立たずを、何でオーナーは雇ったんですかねぇ……また料理の作り直しだ」
「とにかく、早くしてくれ。お客さまがお待ちだ。今回のことも、私からオーナーに報告しておく」
 マネージャーの一言で、皆、持ち場に戻った。エディが掃除用具を取りに行こうとすると、先ほどのコックに前を遮られる。
「おい。てめぇが落としたんだから、手で片付けろよ」
「そんな……」
「あ? 何か文句あんのか?」
「……いえ」
 エディは、小さくそう言うと、手で、料理を片付け始める。
「――っ」
 途中、皿の欠片で手を切って、血が流れたが、そんなことはどうでも良かった。黙々と、片付け続ける。
 エディには、役者になるという夢があった。それで、この街へと出てきた。しかし、オーディションにも受からず、職も見つからず、空腹と疲労で、行き倒れてしまった。そんな彼を救ってくれたのが、この店のオーナーだった。自宅に居候をさせてくれ、役者になる夢も応援してくれると言ってくれた、そのオーナーに報いるためにも、この店で揉め事を起こすわけには行かない。
(僕は……このままで終わったりはしない……)
 エディは、ぐっと、拳を握り締めた。

 □ □ □

「素敵よ、彼岸花。良く似合ってるわ」
「でも……ラクシュミさん、こんなに高そうなお洋服、私にはもったいないです……」
「何言ってるの、彼岸花。あなたは大奥家の一員なのよ。それに、わたくしのことは、ラクシュミ、と呼んで頂戴と、あれほど言っているのに」
「はい……ラクシュミ。ありがとう」
 そういって恥ずかしそうに微笑む彼岸花の頬を、ラクシュミはそっと撫でる。
「このお洋服、全部いただくわ」
「ありがとうございます。お嬢さま」
 そう店員に微笑むラクシュミを、彼岸花は夢でも見るかのように、眺めていた。

 屋敷に帰ってからも、二人は鏡の前で着飾っては、笑いあっていた。
「彼岸花には、やっぱり黒が一番似合うわ」
「ありがとう。ラクシュミには、やっぱりサリーね」
「ありがとう……彼岸花はちょっと待っててね。わたくし、この秋新作のサリーを、早くお父さまとお母さまにお見せしたいの」
 そう言うと、ラクシュミは、父と母がいるであろうリビングへと向かう。
「お……」
 ドアを開けようとした時、ラクシュミの手が止まった。中から、母のすすり泣く声が聞こえる。
(お母さま……? どうして泣いていらっしゃるの……?)
「ああ……どうしたら良いのでしょう……十六年も経ってから気づくなんて……あの時、病院で取り違えがあったなんて……」
(取り違え……?)
「ラクシュミが……ラクシュミがわたくしたちの娘ではなく、彼岸花が本当の娘だったなんて……!」
 ラクシュミに、衝撃が走った。
(嘘……嘘よ……!)
「何故……何故気づかなかったの……? 肌の色が、明らかに違ったのに!」
「仕方がないだろう! 肌の色で人を差別してはいけないんだ!」
「あああ……」
(そんな……じゃあ、わたくしの実の両親は、彼岸花の両親……わたくしは、お父さまとお母さまの娘じゃない……)
 その時、ラクシュミの胸に悲しみとは違う感情が灯った。――それは、憎しみの炎。
(許さない……実の両親も……あの女も!)

「あらラクシュミ、お帰りなさい。どうだった? きっと、おじさまもおばさまも――きゃっ!」
 彼岸花の目が、驚きに見開かれる。
 ラクシュミが、手に持ったレトルトカレーをかけたのだ。
「何で……どうしたの? ラクシュミ……いきなりレトルトカレーをかけるなんて……しかも、中途半端に温めたやつなんて、酷い……」
「うるさい! 黙れ!」
「ラクシュミ……」
「お前はブタよ! 彼岸花じゃなくてブタよ! わたくしとお前では格が違うのよ! これからはラクシュミさまとお呼び!」
 ラクシュミに罵声を浴びせられ、冷たい視線で見下ろされ、彼岸花は、髪からレトルトカレーを滴らせながら、恐怖に打ち震えた。

 □ □ □

 シャッ。シャッ。シャッ。
 すっかり暗くなったキッチンに、ブラシの音が響き渡る。スタッフはエディひとりに掃除を押し付け、全員先に帰ってしまった。
「次はホールか……」
 彼は、額の汗を拭うと、溜息をつく。
 オーナーは、エディの現状を知らない。帰りが遅いのも、芝居の稽古か何かだと思っているだろう。いずれにしろ、彼も忙しいので、別段気にしてはいないはずだ。
「セロリ〜♪ ジャガイモにニンジン〜♪」
 エディは、ワンフレーズ歌ってから、また溜息をつく。
「出たいなぁ……『ピッグス』……」
 『ピッグス』とは、世界で最も有名なミュージカルのひとつだ。個性的なブタたちが、都会のごみ捨て場を舞台に、踊りと歌を繰り広げる。
 エディも、オーナーの好意で、念願叶って観ることが出来た。舞台の上を生き生きと動き回るブタたち。その中に自分もいる……想像するだけで、ワクワクする。
 その時、ホールの方で音がした。エディは、一瞬ドキリとしたが、恐る恐る、様子を見に行く。
「トムさん……どうしたんですか?」
 そこには、この店のスタッフのひとり、トムの姿があった。彼は、何となく気恥ずかしそうにしている。
「あの……オレも、手伝おうと思って」
「え……?」
 エディが小さく声を上げると、トムは、うつむきながら申し訳なさそうに言う。
「エディ、ごめんな。オレ、一番下っ端だから、お前と関わると、今度は自分が虐められる……そう思うと、怖くて、何も出来なかったんだ。でも、やっぱりそういうの、嫌だと思ったから……」
「トムさん……」
「トム、でいいよ。……あ、オレ、あっち掃除してくる!」
 その姿を見て、エディは涙がこみ上げてくるのを感じた。自分を見てくれているひと、気にかけてくれているひとは、ちゃんといる。
「頑張らなきゃ……」
 そう自分に言い聞かせると、エディはまた手を動かし始めた。


 トムと別れ、家路につく頃には、既に空は白み始めていた。でも、清々しかった。
 初めて友達が出来た……その嬉しさで、いっぱいだった。いつも通る橋から見える汚い川も、今日は、別世界のように綺麗に――
「……あれ?」
 橋の上で、人影がうごめいている。良く見れば、橋を乗り越えようとしていた。
「ちょっと待って!」
 エディは、慌ててそちらへと駆け寄る。橋から身を投げようとしているのは、少女だった。
「いやっ! 死なせてください!」
「何があったか知らないけど、早まらないで!」
「だって……もう、こんな屈辱的な生活に耐えられない! ブタ、ブタと罵られ、中途半端に温められたレトルトカレーをかけ続けられ、コロッケの中にはタワシを入れられ、バレエもやっていないのに、トゥシューズの中には画鋲を入れられ……」
「何を言ってるんだ! ブタは『ピッグス』の主役だし、レトルトカレーは温めなおせばいいし、コロッケは美味しいし、タワシは掃除に使えるし、バレエをやっていないなら、トゥシューズを履かなければいいじゃないか!」
「え……?」
 この時、初めて二人の視線が合う。
 これが、エディと彼岸花の出会い――そして、恋の始まりだった。

 □ □ □

「気に入らない……気に入らないわ」
 ラクシュミは、苛立っていた。
 ここのところ、彼岸花がどことなく嬉しそうにしている。
「ブタという呼び方に慣れたのかしら……? それなら牛? 馬? 羊? ヒポポタマス? ……いや、レトルトカレーが中辛なのが生温いのかも……でも、わたくしはレトルトカレーは中辛と決めているし……温度が悪いのかもしれないわ。……そうよ、今度は人肌くらいの温かさにして……コロッケにはヘチマタワシ、画鋲を入れるのは小学校指定の上履き……ふふふ……でも、何か他にも秘密があるに違いないわ……」
 今、彼岸花には、わざとワンピースだけ抜いたジグソーパズルを完成させる、という嫌がらせをしている。その間に、ラクシュミは彼岸花の部屋を探った。
「あった。これだわ……」
 見つけたのは、芝居のチケットとパンフレット。
 ラクシュミは、ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべた。

「ねぇ、彼岸花。今夜、付き合って欲しいのだけれど」
 ラクシュミの猫なで声に、彼岸花はピクリ、と身体を震わせた。
「こ……今夜は、駄目です……」
「あら。あなたも好きなはずだけど……? 『もりのおんがくかい』っていうお芝居」
「え……?」

『彼岸花、聞いてくれ! 今度僕、主役に抜擢されたんだ!』
『凄いわエディ! どんな役なの?』
『それは、来てのお楽しみだ! 絶対、観に来てよ!』
『もちろん、必ず行くわ!』

 エディとの約束。
 それは、絶対守らねばならない。
 たとえ、どんな屈辱を受けようとも。

「きょうは、もりの、おんがくかい♪ とりさん、くまさん、きつねさん〜♪」
(エディ……あなた、とても輝いてるわ……誰よりも。でも、私はもう、あなたとは会えない……こんな屈辱的な姿を晒してしまったから……)
 エディは、堂々と、ステージに立って歌っていた。
 木の、着ぐるみを着て。
 その姿は、他のどの子供たちよりも輝いていた。
(ふぅん……中々いい男じゃない……)
 恥ずかしさに震える彼岸花と対照的に、ラクシュミは満足気に微笑んでいた。


「彼岸花〜! 彼岸花〜! どこだ〜!」
 舞台が終わってすぐ。
 エディは、子供たちの保護者会にも参加せず、彼岸花の姿を探した。
 辺りは、どんどん暗くなっていく。
「彼岸花なら、探しても無駄よ」
 エディの目の前に、突然立ちふさがった人影が、そう言い放つ。
「あなたは……?」
「わたくしは、大奥家の長女、ラクシュミよ」
「大奥……あの有名なお金持ちのお嬢さま?」
「えらく大雑把な物言いだけど、その通りよ」
 驚きに目を見開くエディに、ラクシュミは艶然と微笑んだ。
「あの娘の姿……見たでしょう?」
「見たさ! 間違いなく、『ピッグス』のピンクブタの着ぐるみだった!」
「そう……だって、わたくしが超特急で買い取ったんですもの。あなた、あの着ぐるみを着たいのでしょう? 『ピッグス』に出たいのでしょう?」
「そ、それは……」
 うろたえるエディに、ラクシュミはボリウッド女優並みのしなやかな腰つきで歩み寄り、耳元で囁いた。
「わたくしのバックアップがあれば、『ピッグス』に出られるわ」


 その頃、ピンクブタの着ぐるみを着たまま、泣きながら歩く彼岸花の前にも、人影が歩み寄っていた。
「あなたは……?」
「オレはトムだ。いきなりだが君のことが好きだ」
「え……?」
 あまりの怒涛の展開に戸惑いながらも、傷ついた彼岸花は、トムの腕に抱きしめられるがままになる。
「君がエディのことを想うならば、オレと付き合った方がいい。そうすれば、エディも夢が叶う」
「エディの、夢が……?」
 彼の夢が叶うのならば、自分は身を引いた方が良いのだろうか……彼岸花は、そう思った。彼は、彼岸花のために、この街に来たのではない。夢を、叶えるために来たのだから。

 □ □ □

 それから、一年の歳月が流れた。
 結局、トムは彼岸花にすぐ飽き、彼女の元を去っていった。
 彼岸花は、大奥家に戻り、失意のまま日々を過ごした。トムと一緒にいたところで、エディのことが頭から離れるわけではなかった。それならば、どこにいたところで同じだ。
「たらいま〜」
 玄関から、ラクシュミの声が聞こえた。彼岸花は、慌てて階段を下りると、ぐったりと倒れこんだラクシュミを受け止めた。
「ラクシュミ……また、チャイをがぶ飲みしてきたのね……」
「うるはい! わたくひがチャイをいくらがぶ飲みしようが、かってらら!」
「何を言ってるの!? チャイをがぶ飲みしすぎたら、シナモン臭くなるじゃない! おじさまも、おばさまも、とても心配されているのよ! ……とにかく、部屋に入りましょう」
 そう言うと、彼岸花は、ラクシュミを二階へと引きずり上げ、何とか部屋のベッドに寝かせる。毛布をかけ、部屋を立ち去ろうとすると、ラクシュミが、彼岸花の腕を握った。
「エディは、いつもあなたのことを考えてる……わたくしといるときも、わたくしは存在しないのと同じ……お父さまも、お母さまも、チャイをがぶ飲みするわたくしを、腫れ物のように扱う……結局、わたくしといつも一緒にいてくれるのは、彼岸花、あなただけなのよ……どうして……? どうしてずっと酷い仕打ちをしてきたのに、あなたはそんなに優しいの……?」
 ラクシュミは涙を流していた。
 彼岸花が、初めて見る彼女の涙だった。
 彼岸花は、穏やかに微笑み、ラクシュミの手をそっと握る。
「それは……友達だからよ」
 それを聞いた途端、ラクシュミは堪えきれなくなったように、大声で、子供のように泣きじゃくった。
 そして、ようやく、真実を話した。
 二人の、両親のこと。
 二人が、生まれた時、病院で、取り違えられたこと。
「そう……だったのね……」
 そう呟くと、彼岸花も、静かに泣いた。

 □ □ □

「ラクシュミ……ごめんなさい……」
「すまなかった……ラクシュミ……」
 後日、ラクシュミは、実の両親と再会した。
 あれほど憎いと思っていたのに、会ってみると、何だかとても懐かしかった。
「本当は、明らかに肌の色が違うから、おかしいと思っていたの……なのに、ごめんなさい……」
「肌の色で、人を差別してはいけないと思ったんだ……許してくれ……」
 ラクシュミは、父と母の手を握り、ゆっくりと頷いた。
「お父さん……お母さん……」
 その光景を、エディと彼岸花が肩を寄せ合って見守る。

 ――そしてここから、皆の新しい人生が始まる。

 ■ ■ ■

「……ここは……? ああ、カフェ――って、もう夜!?」
「……あたし、何をしてたんだっけ……? ダメだ……思い出せない……」
 エディとラクシュミに続き、周囲から、戸惑いの声が次々と上がる。
「皆さ〜ん! お疲れさまでした〜! 閉店のお時間で〜す! お帰りはあちらで〜す! またお越しくださいませ〜!」
 その中で、梢だけが陽気だった。
 一同は顔を見合わせながら、それでも仕方なしに、ぞろぞろと出口へと向かう。
「もし、賞とか取っちゃったりしたら、ご連絡しますね〜!」
「賞……って何?」
 エディの言葉に、梢はパタパタと手を振る。
「いえいえ! こっちの話ですから!」
「そう……じゃあ、ラクシュミちゃん、またね」
「あ、エディさんも……って、あたし、エディさんに名前言いましたっけ?」
「うーん……」
 二人は、暫しの間考え込んでいたが、どちらからともなく溜息をついた。
「まあいいや。何か、すんごい疲れちゃったし……さようなら」
「そうだね。バイバイ」


 後日。
 編集をしようとして、梢がデータを見直したところ、随所に、彼女による『ツッコミ』が入っていた。
 ――よって、編集不可能。
 この作品が、世に出ることはなかった。
 梢は、「あたしの心の声は、デジカメにまで読まれるのね〜!」と嘆いたという。
 彼女の勘違いは、果てしなく続く。

クリエイターコメントこの度は、ご参加ありがとうございました!
大変お待たせ致しました。『【謎のキノコ騒動】映画を撮ろう!』をお届けします。

ええ……色々な意味でごめんなさい(土下座)。

少しでも、楽しんでいただけることを祈るばかりです……。
それでは、またご縁がありましたら、どうぞ、宜しくお願い致します。
本当に、ありがとうございました!
公開日時2006-12-09(土) 21:00
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