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<ノベル>
1
「なんて美しい人なんだ」
王子は眠っている白雪姫の傍にひざまずくと、そっと、くちづける。
すると、どうだろう、姫がうっすらと目を開けたではないか。
「わあ、姫が目を覚ました!」
「生き返ったぞ!」
「ばんざい、ばんざい」
小人たちが口々に、喜びの声をあげた。
子どもたちの瞳が一心に、人形たちの動きを追った。
銀幕市自然公園の、片隅である。子どもたちの輪の中をのぞきこめば、人はそこに、時ならぬ人形劇の舞台を見ただろう。しかも、不思議なことに……人形は人形に違いないのだが、いったいどうやって動いているものか、どう目を凝らしてみても操り糸など見えぬことだ。機会仕掛けで自ら動くにしては動作が細かく、活き活きしている。
子どもたちは……そして付き添う親までも、ただもう、ぽかんと口を開けて、人形たちの舞台を見守る。
まるで、生きた人形が、そのまま演じているかのような劇を。
やがて物語は幕となり、小さな手の拍手がわきおこった。
後ろに控えていた黒子が、優雅に一礼すれば、まったく同じ動作で、一列に並んだ人形たちが礼をする。
そのときになってはじめて、人々はそこに黒子がいたことを思い出すのだった。
「……『森』、ですか?」
人形を片付けていた黒子が、ふとその手をとめて、言った。
子どもらの母親たちの立ち話を耳に止めたらしい。
「ええ。このあたりじゃ結構、噂になっているの」
年若い母親は、なかなかの事情通だったので、その噂については、詳細を聞くことができた。すなわち、真夜中の遊歩道から足を踏み入れることができるという、あやしい森のことを――。
「ほら……最近、いろいろなことがあるでしょう? 夜じゃないとあらわれないっていうけれど、ちょっと心配で」
「そうねぇ」
母親たちは曇った顔を見合わせた。
「…………」
その様子を、黒子はただそばに控えて、じっと聞いている。
水銀灯がジジジと瞬いた。
「すっかり遅くなったな」
ぼそりとひとりごちで、遊歩道を歩くのは続歌沙音である。
ようやく決まった新しいバイト先の仕事を終え、帰宅する彼女にとって、この公園を抜けてゆくのが早道だ。
決して明るいとはいえず、人気のない遊歩道は、この時間に女性がひとり歩きするような場所ではなかったが、そこはそれ、銀幕市に魔法がかかって騒動が巻き起こったとき、まず考えたことは「なにかこれで金儲けができないか」ということだったという歌沙音なのだ。
「ん――」
ふと気づけば……
しかし、そこは遊歩道ではなかった。
ホーゥ、ホーゥ、と、どこかでフクロウが」鳴いた。
歌沙音はまず足元を確かめたが、舗装された遊歩道はどこにもなく、湿った土の上を歩いている。
道の両側に樹木が茂っているのは今まで通りだが、それは、異様にデフォルメされた棘をそなえたイバラの蔓のからまりであったり、さしまねく骸骨の指のようなねじくれた枝を持つ木々であったりするのだ。
「困ったな。ムービーハザードに巻き込まれたか」
などと呟いてはいるが、さして困ったふうでもない。せいぜい、また帰りが遅くなってしまう、というくらいの考えなのだろう。
立ち止まっていても仕方ないので、歩き出す。
水銀灯はどこかへ消えていたが、不思議と真っ暗ではない。
月の青白い光が、冴え冴えと降り注いでいるからだ。
「こういう森……どこかで見た気がするけど……。白雪姫……眠れる森……」
そう――。
それはおとぎ話の森だった。
白雪姫が魔女によって城を追われて迷い込んだ、あるいは、眠り姫が糸まきに刺されて百年の眠りについた、深い森の風景なのだ。
「おいでなすったか」
盾崎時雄もまた、謎めいた真夜中の森に立っていた。
夜中の自然公園のジョガーそのままに、スポーツウェアに、ディバッグ。ポケットから煙草を出すと、一本くわえ、火をつける。
「さあ。確かめさせてもらおうか」
首からはカメラが下がっている。
「おまえが本当に……『あの森』なのかどうか」
2
夜風が、ざわざわと梢を騒がせる。
その森を往くものは、不思議と、風が冷たくないのに気づくだろう。それもまた、ここがすでに、現実の銀幕市自然公園ではないことの証左だった。
「やあ、こんばんは」
歌沙音に声を掛けられて、盾崎はぎくりと振り返った。
「いい夜だね」
「あー……ええと」
「夜のジョギングの最中にまぎれこんだ……わけではなさそうだね」
歌沙音は盾崎のカメラに目をとめて言った。
「これも仕事なんでね。……こんな時間に、女が独りだと危ないぞ」
「そりゃどうも。でもこれがムービーハザードなら、男女関係なく危険なこともあるかもしれないけど?」
「違いない」
盾崎はくわえ煙草のまま笑った。
「いただけないな、それ。メルヘンの森に、煙草なんて」
「どこかに禁煙の立て札があったかな」
そんなことを言いながらも、携帯灰皿に煙草をねじこんだ。
「……で? これは一体どういうことかな? ここから出る方法は?」
「今まで巻き込まれた連中の話じゃ、うろついていたらそのうち、出られるらしいが。……まいったね」
編集長はぼりぼりと頭を掻いた。
「厄介な連れができた、って顔に書いてあるな」
心外そうな歌沙音。
「つまりあなたの目的は、この森から抜け出すことじゃない。だから他人にかまっていられない。……やれやれ。手早くすむなら、すこしつきあってもいいけど」
「あのなあ……」
そのときだった。
がさがさ、と茂みの騒ぐ音が、かれらの注意を引く。
「おお、おーっほほほ」
頓狂な声。
「やっと男女のふたり連れが来たゾ!」
カエルだった。
身長は、歌沙音の胸くらいまでしかないが、二足で立ち、歩いている。そして、中世のヨーロッパを思わせるような、衣服に身を包んでいた。高い襟に、錦糸の刺繍が施された裾を引く上着、金の飾緒や、貴石のきらめく勲章。貴族めいた、華美ないでたちだ。
「カエル……?」
「いかにも!」
カエルはふんぞりかえって、いかにもエラそうに言った。
「我輩こそはカエル男爵。この『忘却の森』の番人なり」
「なんだと!」
盾崎が、ふいに色めき立った。
「何と言った! 『忘却の森』? やっぱりここは『忘却の森』なんだな!」
「こらこら、乱暴は寄せ! 我輩に無礼な態度をとると、森の奥への道を開いてやらんゾ。それでなくても、最近は、乱暴者が多くて困る」
「ちょっと待って。何の話か説明してほしいんだけど?」
「ムム。なんだ、そなた、自分の恋人に何も説明せずに連れてきたのか?」
「恋人ぉ?」
歌沙音が驚く番だった。
「あー、いや、これはだな、つまり……」
困り顔の盾崎。
そのとき――
ざわざわざわ……
風のざわめきの向こうに、地響きをともなう重々しい音を、かれらは聞いた。
「おおぅ、これはいかん! 退散、退散!」
カエルは……いや、カエル男爵と名乗った奇妙な生物は、ぴょこんと飛び上がって、近くの茂みの中へ消えた。
と、同時に、めきめきと、樹木をなぎたおし、それが巨大な異形をあらわしたのだ!
「!」
「ちょっ――」
歌沙音と盾崎が、とっさに飛び退いた場所に、そいつの鋭い爪が突き刺さった。
咆哮。
なんと形容すればよかっただろう。
大雑把に言えば、人型だが、爬虫類に似ている。長い尻尾や、背に尖った棘のならぶ様子は恐竜を思わせる。肌は艶のないゴムのようで、夜に溶け込むかのような黒色。そして、腕が長く、いくぶん前かがみになって歩き、その手からは異様に長い爪が伸びていた。
燃えるような赤い眼光を爛々と輝かせ、それが長い腕を振り上げた。
だが。
そのまま、月の夜空を背景にぴたりと静止する。
「あ……」
歌沙音は、そこに、ひとりの人物の姿をみとめた。
いわゆる黒子の格好をした誰かが、怪物に向き合って立っている。ちょうど腕を高くあげた、怪物と同じ姿勢で。
それはまったく似ていない鏡面の双児を見るようだった。黒子がゆっくり腕を下ろせば、怪物もそれに従ったのだから。
3
「わたくしは貴方様に敵意はございません。ですが貴方様が誰かに危害を加えるようであれば、こちらの容認にも限度がございます」
穏やかに、黒子が言った。
何の特徴もなく、しかし、不思議と聞き入ってしまうような声だった。
怪物からはいらえはない。ただ、威嚇の唸り声がかえってくるのみ。
「話し合いのできる相手じゃないんじゃない?」
歌沙音が声を掛けた。
「それは困りましたね」
黒子は言ったが、あまり困った様子の声ではなかった。もとより表情などわからない。なにやら黒子と歌沙音は、どこか似通った雰囲気がある。
「穏便にお引き取り願えないのであれば……、貴方様、バッキーをお連れでは?」
「残念だけど」
歌沙音はかぶりを振った。
「では、致し方ありますまい」
たん、と踊るようなステップ。そして手を叩くと、呪縛から解き放たれた怪物が、突進してきた。黒子は闘牛士もかくやの動きで、ひらりと、それをかわす。
どう、と怪物は木に激突する。
怒りの吠え声をあげ、腹いせにか、木の枝をへし折りながら、それが振り返った。
「多少なら、腕に覚えはあるけど」
歌沙音が、どこで拾ったのか木の棒を手に、それと対峙する。
「ムービースターなら何かないの? ええと……」
「わたくしは影。名乗る名も持たぬ、しがない影でございます。呼び辛いようでしたらどうぞ黒孤、と」
「黒孤、ね。……で、そいつはあなたのほうがお好みみたいだけど!」
のしのしと、真っ赤な眼光の怪物は、歌沙音ではなく黒孤のほうへ向っていく。彼をねめつけながら、それはむしりとった木の枝をばりばりと噛み砕いた。
「……そうか。ハングリーモンスター」
歌沙音が言った。
「こいつはハングリーモンスターだ。このムービーハザードの森を食べようとあらわれた。そして――」
ハングリーモンスターなら、ムービースターを補食する。
かッと、牙の並んだ顎を開けて、それが黒孤に飛びかかった。
―――と、見えた次の瞬間には、黒孤の姿はそこにはない。かわりに……
モンスターが悲鳴のような声をあげた。その巨体が、ずしん、と森の地面に臥せる。……いや、はりつけになったのだ。いつのまにか……ロープが怪物の身体を地面にはりつけにしていた。そして無数の小人たちが、そのロープの端を、地面に固定していく。それはまさしく、『ガリバー旅行記』の一幕。
その隙に、歌沙音は怪物の頭のほうへ回り込むと、ふりかぶった木の棒を、思い切り、振り下ろした。
「お見事でございます」
黒孤は、いつのまにか、歌沙音の背後に控えていた。
歌沙音は肩をすくめて、伸びた怪物を見下ろした。
「どうしたもんだろ、これ。……あ。そういえば」
歌沙音は周囲を見回した。
盾崎時雄の姿がなかった。
「やったか? やったのか?」
かわりに、カエル男爵が茂みから顔を出した。
「ここのところずっとそいつに付きまとわれてたいそう、迷惑であった。退治てくれたのなら礼を言う。……オヤ、男が代わっているな、そなた」
「前にいた人を知らないか」
「ムムム? やはりさっきの男がいいのか? いったいそなたの連れはどちらなのだ?」
「どっちでもないってば」
「わたくしのことはお気になさらず。わたくしはここにあってここに居ないもの。影に過ぎないものでございますれば」
「フム。……しかし、今はまだこの森を歩くといっても……やや、これはいかん」
突然、なにかに気づいて、ぴょこぴょこと走り出すカエル男爵。
しかたなく歌沙音が後を追えば……盾崎がその先にいた。
「ちょっと! 何してんの」
歌沙音が、盾崎に掴み掛かった。
そこから先には、背の高い、イバラがからみあってできた壁が道をふさいでいた。
盾崎は、その壁にとりついて、イバラをむしり、壁の向こうへ行こうとしているようだった。だが彼は素手だ。鋭い棘のはえたイバラの中に踏み込んだ彼のスポーツウェアのあちことに鉤裂きができ、手からは血が垂れていた。
「離せ。ここが『忘却の森』なら……この先には……」
「だから、それって何のこと」
「コラコラ、勝手なことをするな。物騒な怪物がいるので、閉じておっただけだ」
カエル男爵がそう言って、指のあいだに水かきのある手を、ぱん、ぱんと叩いた。
それが合図であったかのように……イバラの壁はひとりでに左右に分かれ、かれらに道を開く。
「おお……」
盾崎の口から、深い息が漏れた。
歌沙音もまた、その光景に息を呑む。黒孤さえ、かすかに、身じろぎをしたようだった。
「『封印の城』……」
盾崎がぽつり、と呟くまで、人々はその光景をただ見つめているばかりだった。
イバラの壁の向こうは、木々が途切れ、一気に視界が開けていた。そこに、月の架かった夜空を映す、鏡のような湖面がよこたわっている。そして、湖の中ほどには島が浮かび、月明かりに青白く照らされた城が、優雅な尖塔をまっすぐに、夜空へと屹立させているのだった。
*
「俺がまだ学生の頃の話だ」
24時間営業のコーヒーショップの片隅に、盾崎と歌沙音が坐っている。
「友人に、映画監督を目指して、自主製作の映画を撮っているやつがいた。……俺も自分の映画を撮ったりしていたが……お互いに手伝い合ったりしていたんだな。そいつが、最後に撮ろうとして、未完で終わった映画が『忘却の森と封印の城』だ」
「最後」
「そう。……結果的に、最後になっちまった、ってことだな。映画が完成する前に、事故で死んじまったから」
「……」
「『忘却の森と封印の城』はファンタジーだ。イバラに囲まれた深い森の奥、湖の浮島に城が建っている。その『封印の城』には、古今東西の恋人たちの追憶と物語が封印されている。……森に迷い込んだ旅人が、森の番人であるカエル男爵に導かれ、城へと渡る。そんな話だったが……その先はよくわからん。脚本は読ませてもらえなかったし、途中まで完成したものを観たはずだが、細かいところは覚えちゃいないのさ。だが……月明かりの下、『封印の城』がたたずむ風景だけは、目に焼き付いていたな。今でも思い出す……」
そう言うと、盾崎時雄は目を閉じた。
「つまりあのムービーハザードがそれだと……いや、ハザード、というのも何だな。別に災害じゃないわけだし……」
「そうだな。といって他に呼び名もないな」
盾崎は笑った。
「……もうフィルムがどこにあるのかもわからない……未完の自主製作映画だ。……まさか、こんな形で再会できるとは思わなかったな」
そう言ってついたため息には、万感の思いがこもっているようだった。
「おおぅ、これはいかん! 退散、退散!」
ユーモラスなしぐさで、ぴょこんぴょこんとカエル男爵が逃げ出していけば、子どもたちのあいだから笑い声があがった。
「仕方ない。……さあ、おいで、地獄を見せてあげるよ」
迫力ある台詞を吐くのは……歌沙音のようだ。傍の男性は盾崎か。
黒子の人形劇の、新しいレパートリィは好評だった。
それは不思議な森に迷い込んだふたりの男女が、怪物からカエルを助け、不思議な城へと導かれる物語。……もちろん、黒子はどこにも出てこない。当然だ。黒子はいつだって、裏方に徹するものだから。
*
後日。
リオネの予知によって、このムービーハザードは、一定期間の後に消滅してしまう一過性のものであることが判明する。危険なハングリーモンスターについてはその後正式に排除されたので、危険はないということになり、銀幕ジャーナルの記事で森について知った市民たちの中には、消えてしまう前にいちど出掛けてみようか、と思ったものも少なくないようだった。
12月の――聖夜にもほど近い、冬の日の出来事である。
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クリエイターコメント | ご参加ありがとうございました、リッキー2号です。 『真夜中の森を越えて』をお届けします。
すこし刺激的な夜中の散策、いかがだったでしょうか。 おかげさまで、ハングリーモンスターをしりぞけることができ、『忘却の森』への道が開かれました。もしよろしければ、森の中へも出掛けてみてください。どなたかをお連れになってもいいですし、カエル男爵もお待ちしておりますので(笑)。
それではまた、銀幕市のどこかでお会いしましょう。 リッキー2号でした。 |
公開日時 | 2006-12-16(土) 19:30 |
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