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<ノベル>
■ 餅でもつきやがれ ■
竹川導次の顔色というか表情というか面持ちは複雑だった。安心しているのか何らかの事故を懸念しているのかわからない。彼自身、気持ちをどちら側に傾けるべきなのか見当がつかないのだろう。
マルパスの呼びかけに応じて銀幕広場に集まってくれたのは、「お祭り騒ぎが好きな連中」というよりも、むしろ「お祭り騒ぎ」そのものと言ったほうがよさそうな10名だったからだ。無論、中には落ち着いて黙々と作業している者も――たとえばそれは取島カラスや来栖香介だ――いるのだが。来栖はいやいややっているか。彼は準備に参加するつもりがなかったのだが、早く来すぎて結局手伝うはめになっている。
カラスと来栖が仮設テントで餅つきの準備を整えていると、汗を拭きながら犬神警部が歩いてきた。
「いやあご苦労さん」
「警部もお疲れ様です」
「ムービースターは馬鹿力が多いだろう。やり方が荒っぽくて危なっかしいから避難してきた。普通の人間の設定だとこういうときに損だ。しかし、ああいう作業に使える力を持っているやつは結構いるもんだなァ」
「あんたの力使ったら逆に作業止まっちまうもんな」
「何とでも言え。俺はやれるだけのことはやった」
「じゃあ警部、餅つきのほう手伝ってくださいよ。米、蒸しあがるまでまだ時間ありますから……クロノ君のところでお茶でも飲んでてください」
カラスが仮設テントの後ろを指した。犬神警部がその先を見ると、仮設テントの一角が、簡素なカフェの様相を呈していた。
来栖は作業の手を休め、テントの外に出て、やぐらの様子を見ることにした。
一瞬言葉を失った。
「……マジかよ、15分前まで盆踊りレベルだっただろ……」
餅まきのためのやぐらは物凄い速さで組み上がりつつある。しかも増築に増築を重ねているため、悪役会が当初予定していたものよりもはるかに大規模なものになりそうだった。
『おらおらおら! 30分でやったるぞおらああああ!』
「いいネいいネ! やっぱりタイムリミットがあると燃えるヨネ!」
がこーん、ヅガーン。ウゴゴゴゴずごごごご。
巨大な木材を押したり持ち上げたりしているのは、クレーンとダンプを足して2で割って無理やりまた足したかのような、奇妙な重機だ。しかもその重機は喋っていた。喋る重機のそばでは、恐ろしい形相の白衣の男が血塗れのハンマーを振るっている。
重機はタヌキの太助が化けたもので、ハンマーの不審者はクレイジー・ティーチャーだった。ふたりの横を、材木を抱えた刀冴が通る。彼は自分の身長よりも大きい材木を、異世界の鼻歌混じりでひょいひょい運んでいた。
「お」
刀冴が唐突に足を止め、
「あ」
線の細い、白い少年と目を合わせた。
「なんだ、お前も来てたのか。悪いな、気づかなくて」
少年はアルだ。刀冴とは近頃かなり親しい。刀冴が額の汗を拭いながらからりと笑うと、アルは首をすくめてはにかんだ。
「いえ、僕は皆さんに年始の挨拶をしていたものですから」
「そんなの酒の席でまとめてすませりゃいいのに。……ま、お前らしいわ。挨拶終わったんなら、力仕事手伝えよ」
「え……、まあ……、僕でよければ」
「ほれ」
刀冴は巨大な材木をぽいとアルに投げよこした。アルの体躯では、その材木の下敷きになってどこかの骨を折るのが関の山に見えたが――華奢な少年は、きょとんとした表情で材木を受け取った。
仮設テントは蒸しあがった餅米の湯気に包まれた。その湯気を縫うようにして、かすかな紅茶の香りがゆらめいている。作業に疲れた者に紅茶(と自分の店のフライヤー)をふるまっているのは、にゃにを隠そうクロノ様であった。
そして特に作業をして疲れたわけでもないのにクロノの紅茶をがぶ飲みしているのは、他でもないノリン提督閣下である。
「嵐の前の静けさアル……」
ふー、とカップから立ちのぼる湯気がたなびく。ノリと勢いのみで何事も押し通すノリン提督が落ち着いている。クロノは提督の独り言には何も反応せず、大きな目をすがめてヒゲをいじった。提督の現在の姿を見なかったことにしようかどうか迷っていたのだ。ノリン提督が『充電』『チャージ』『気合溜め』『ゲージ溜め』しているのは間違いにゃい。
ふみゅう、とクロノがため息をついたそのとき――
「う? なんだ? これ、メシ? 変わったにおい!」
獣の唸りが混じった片言の声が、クロノの背後で起きたのだった。振り向いたクロノは、毛を逆立てて、短く猫の悲鳴を上げた。白い、大きな狼が、クロノの荷物に鼻先を突っ込んでいたのだ。
「ぎゃにゃー! それは新年会に出すとっておきですにゃ、まだ食べちゃいけませんにゃー!」
「あ。そか。ごめん」
狼はあっさりと引き下がった。いや、彼は狼ではなかった。狼の頭を持った巨漢、と言うべきか。クロノやノリン提督をひと呑みにしそうな迫力を持っていた。
「見ない顔ですにゃ。悪役会のお手伝いに来たのですかにゃ?」
「そう。メシ食える、聞いた。おれアトラス・バスタード。猫、よろしく」
「我輩はクロノですにゃ。あ、こちらはノリン提督――」
アトラスに提督を紹介しようとして、クロノはお約束にはまった。振り向いたところにノリン提督の姿がなかったのだ。
「……始まったにゃ。未曾有の混乱の幕開けにゃ――」
「クロノ。ノリン、どれ? それ、食える? ノリン、うまい?」
シリアスに決めるクロノの後ろで、アトラスがよだれを拭いていた。
真冬だというのに、仮設テントの前では汗が飛び散っていた。
「よいしょオー!」
ぺたし。
「あ、よいしょオー!」
べたし。
犬神警部にはハチマキが似合いすぎていた。来栖はいまや要領よく準備をサボり、ムービースターやムービーファンの餅つきを眺めている。仮設テントでは、カラスが黙々とつき上がった餅をちぎって丸めていた。彼の計らいで、餡入りの餅も作られている。カラスが丸めた端から少しずつ餅が消えていくのはご愛嬌だ。恐らく餅まきまで残っている餅は全体の8割程度だろう。
ぱりぱりという音や香ばしい匂いに、カラスは時おり手を止め、無言で背後を睨みつけた。
「やっぱり餅にはノリアルね!」
カラスが振り向くたびに見るものは、餅を磯部巻きにして堪能しているノリの妖精だった。
「……寒い……」
ほとんど無意識に呟き、カラスは作業に戻る。以下繰り返し。
「よいしょオー!」
ぺたし。
「……」
餅という食べ物もそうだが、餅つきという行為は日本独自のものだ。海外で生まれ育った者には物珍しく映るだろうし(あのロイ・スパークランドがニヤニヤしながら――もとい目を輝かせながらハンディカムを回していた)、映画の中にしかないような世界から来た者にとってなど、言わずもがなだ。
犬神警部や任侠たちの雄姿を、穴でも開ける気かというほど凝視しているのは、アルだった。
「面白ェなー、力とタイミングの作業だな。……アル、なんだお前、やりたいのか?」
「え! いえ、そんな――」
「おぅい、ちょっとコイツにそれやらせてやってくれよ!」
やぐら組みの作業を終えた刀冴が現れ、いつものようにアルの世話を焼いた。それはひょっとしたらお節介だったかもしれない。興味深々ではあったものの、アルは餅つきをやってみたいなどとは一言も言っていないのだ。
「なに、あのモヤシみてェなガキが? おめェがやるんじゃねェのかよ」
「ひとを見た目で判断すんな。アル!」
「……はあ……」
「おいモヤシ、おめェ思いっきりやれよ!」
杵は任侠から刀冴へ、そしてアルへと行き渡った。道に迷った子供のような足取りで、アルは臼に歩み寄る。
「アル? ……あいつに餅つきなんかさせたら――」
傍観していた来栖が、そこでようやく、ちょっとした事故の予兆に気がついた。嫌な予感に虫の報せ。来栖はそっと立ち上がり、餅つき会場から若干の距離を取った。
吸血鬼が思いっきり杵を振り下ろし、ぺったんとかぺたしとかそんなほほえましい擬音ではすまされない轟音(ずっどぉぉんぬ)が銀幕広場に響きわたったのは、その直後だ。
刀冴と犬神警部とひと休みしていた太助と任侠数名が衝撃波で吹っ飛んだ。餅と臼と杵は四散した。クレイジー・ティーチャーは目を見張った。
「先生知らなかったヨ! モチツキってあんなにアグレッシブなゲームだったんだァ……!」
ちがいます。
■ シューティングスター ■
結論から言おう、餅まきは血で血を洗う闘いだった。
七瀬灯里は、餅まきに関する記事をその一行でまとめるところだった、とのちに語る。
しかしそこはまさに地獄だった! 映画に描かれるベトナムやスタリングラードもかくやという規模の戦場だった! 戦いが終わったとき、死屍とプレミアフィルムが累々と転がっている光景を、遠ざかる意識の中で見た者もいるという噂だ。
「盆踊りのやぐら4個分はかたい」と来栖が見積もったやぐらからは、流星のような勢いで餅が投げられた。餅は撒かれたのではない、ブン投げられたのだ。やぐらに上がったムービースターに豪腕自慢が何人もいた上、そのほとんどが餅まきの何たるかを知らなかったのが原因といえよう。
「あけましておめでとー! いやーめでてー! 今年もよろしくなー!」
真新しい裃と袴という正装で正しく餅をまく者がいなかったわけではない、少なくとも太助はそうしていた。裃と袴は居候先の心優しいおばーちゃんが夜なべして作ってくれたのだ。泣かせる話じゃねえか。
彼の近くに集まっていた市民は非常に運がよかった。大吉だった。たぶん今年はいい年になるだろう。いやひょっとすると一年分の運をここで使い果たしたかもしれないが。
「あけましておめでとうッ! あけましておめでとうッ!」
太助の横では犬神警部が、なぜか眼下に凶悪犯でも見出したかのような勢いで餅をまいていた。彼の餅を顔面に食らって泣く子も現れた。だがこれでもまだましなほうだ。次第にやぐらの周囲からは悲鳴が上がるようになっていた。
「おらおら、受け止められるモンなら受けてみやがれ、おらおら!」
「と、刀冴さん……」
「アル、いーからお前もまけって!」
「いいのかな……いいんですよね……じゃ、行きます……」
大きな被害と悲鳴が出始めたのはこのふたりの周辺だった。刀冴は飛ぶ鳥も落とす投石の勢いで餅を投げつづけ、先ほど餅つきで事件を引き起こしたアルも、まるで加減をせずに投げつづけた。生身の人間は危険を察知し、早々にこのふたりの前から逃げていたが、多くの気絶したバッキーが取り残され、飴のように転がっていたという(銀幕ジャーナル・盾崎時雄談)。
だが地上にいる者も黙ってはいなかった。都合の悪いことに(というべきか)、クレイジー・ティーチャーが刀冴の正面にいたのだ。
「どりゃ!」
「ぶご!」
餅まきの何たるかをよく知らず、それまで人ごみでやぐらを見上げて『観戦』しているだけだったクレイジー・ティーチャー。その顔に、刀冴の放った餅がめりこんだ。
その餅は『当たり』だった。中に500円玉、周りに金粉という、悪役会が用意したものである。太っ腹だと思わねえか。
「イぢぢぢ……、そーか、そーいうルールなんだネ。OKOK。先生理解したヨー」
へんな色の血と涎を口の端から流しつつ、彼は頬にめりこんだ餅をぬちゃりと引き抜いた。
「こういう勝負ならァア、ボク、むぁああけなぁぁぁいから、ネッ!!」
クレイジー・ティーチャーの豪腕も常識外だった。ルール(そもそも餅まきのルールってあったか?)をぜんぜん理解していない彼が投げ返した当たり餅は、亜音速で飛んで空を裂き、刀冴の額にディープインパクトした。
「がッ!!」
「と、刀冴さんッ! ……いたッ!」
仰向けに倒れた刀冴を気遣ったアルも、次の瞬間には吹っ飛んでいた。クレイジー・ティーチャーの間違った餅まきルールが、他のムービースターにも伝染したらしい。無論日本を舞台とする映画出身のスターはべつだが、外国人さんや異世界人さんは盛り上がってきてしまった。そ、そうかそういうルールだったんだ餅まきって! じゃあオレも投げます! なんかみんなノッてきてるぜ!
「まだまだまだまだ! ノリが足らねぇアルよー! もっと投げるアル! そうだサンバアル! サンバのノリで投げ返すアルよー!」
1月の寒空にじょうねつのサンバが響きわたる。誰も彼もテンションが上がってきていしまっているのは、このサンバのリズムのせい――ではなくて、ノリン提督がまき散らすノリのせいだったようだ。小柄な提督がこの場をうろつくのは自殺行為であるようにも見えるが、弾丸と化した餅や市民の手足は、すいすいとノリン提督の体をすり抜けていた。
投げられる餅と投げ返される餅。遠巻きから見るとそれはさながら玉入れのようでもある。
「テオナナカトルのLSDがまだ体内に残っていたようだ。私にはどうも餅まきというイベントが全面戦争に見える」
「……これが餅まきだなんて思ってないみたいでよかったよ」
仮設テントで戦場を見守るマルパスの呟きに、来栖は思わずそう返した。導次は腕を組んで仁王立ちしたまま銅像のように動かない。……もしかしたら硬直しているのかもしれない。
「ああ、せっかく地道にちぎって丸めたのに。何百個も作ったのに」
カラスも仮設テントから阿鼻叫喚の会場を眺め、悲しいため息をついていた。
「何か飛んでるし」
彼が丸めた餅は今や流星と雹だった。やぐらからではなく、空から降る餅まで現れ始めていたのだ。巨大な鳥とプテラノドンが空から餅を撒いているのである。来栖はぽかんと、異形の爆撃隊に目を奪われていた。やぐらの上でまっとうに餅を撒いている太助と犬神警部の脳天を、空飛ぶ魔獣が落とした餅が直撃していた。
「あれはアトラスですかにゃー。彼も餅まきを勘違いしてしまったようですにゃ」
「ま、このメンツでまともな餅まきになるとは思ってなかったけどな。……クロノ、一杯くれよ」
来栖はまるで言葉がわからない国の映画でも観ているかのような態度だ。かたわらのバッキーの首からは、『あきれてものもいえん』と殴り書きされたプレートが下がっていた。
■ 俺たちの戦いはこれからだ ■
夏草や 兵どもが 夢の跡
ちがった今冬だった、訂正。
銀幕や ああ銀幕や 銀幕や
先生、違う句になってます!
ともあれ気絶している人々や半壊しているやぐらをそのままに、ノリで餅まきは新年会へともつれこんだ。時おり小雪が舞っているのだが、今日はほとんど風もなく、かなり温かい。雪はムービーハザードによるものなのだろうか。
春にも似た温かさの中に、酒が持つ花のような香りがただよう。これで参加者がごくごく普通の日本人だけであったなら、新年会もつつがなく進み、数時間後にはお開きになっていただろう。
しかし言うまでもなくここは魔法がかかったあとの銀幕市であり、新年会の参加者の多くはごくごく普通ではなかった。皆、あの餅まきを乗り越えたつはものどもなのだから。
太助は準備と餅まきで気力と体力を使い果たし、仔ダヌキの姿でほぼダウンしていた。丸くなって眠っている姿はカワイイもの好きの心をガッチリ掴んだ。女性に撫でられ、アルに撫でられ、アトラスにつつかれて、太助はすでにひとやすみどころではなくなっていたが――彼は得意の狸寝入りを決めこんでいた。
「かわいいなあ……子供だからよけいに……」
「タヌキ、モチ食え。うまい。寝る、損」
――もー、ほんと、ほっといてくれよぉ……。
必死の狸寝入りだ。眉間にしわが刻まれつつある。
「ぃやっハーーー!! ドウジくーん、あけましておめでとーA Happy New Yeaaaaaaaaah!!」
不意に耳もつんざく恐ろしい咆哮が上がった。宴が始まる前からすでにテンションが頂点に達しているクレイジー・ティーチャーだ。一度挨拶しようと思っていた導次がようやく落ち着いて酒を飲み始めたところを発見、彼は大きく両腕を広げ、親分に向かって突進した。それは紛れもないラリアット。彼の軌道上に立っていたり座っていたりした者は不幸にも轢かれてはねられて全身を打った。
危うし竹川導次! だがしかし!
「――親分ッ!!」
「危ねえ!!」
「させるかーッ!!」
導次の目が危険を察知するや否や、どこからともなくヤクザやチンピラが現れ、導次の前に結集した! 三下も積もれば壁となる。これが竹川導次の能力か。さすがのクレイジー・ティーチャーも肉の壁に阻まれ、導次の眼前で転倒した。ヤクザの壁もまたきれいに玉砕していたが。
「ああン、ひどいヨみんな、ドウジくんハグして挨拶しようと思っただけなのにィ」
「お前に抱きつかれたら身体ちぎれるやろが」
導次は渋面で盃をあおった。酒でも飲まないとやっていられないのか、それとも彼なりにこの新年会を楽しんでいるのか。ともあれ、酒は宴を否応なしに盛り上げるもの。そこかしこから笑い声が上がっていたし、(危険を察知したのか)餅まきへの参加を見合わせていた者がちらほらと新年会に顔を出し始めていた。
ロイ・スパークランドは餅の直撃を受けてしばらく気絶していたらしい。作品に生かせないかと、餅まきの様子を撮影した際の事故だった。彼をいたわっているのは柊市長とリオネ、マルパスだ。
「あ、の……マルパス閣下」
「ん?」
ロイを見送るマルパスに、刀冴がおずおずと話しかけた。話しかけてから、自分が酒入りの紙コップを持っていたことに気づき、彼は慌てて両手を後ろに回す。怪我の功名か、その体勢は司令官を前にした士官にふさわしいものになっていた。彼はもともと姿勢がいい。
「あ、あけましておめでとうございます! 本当に、いつもお疲れです! ……その、えっと、キノコ騒ぎのときなんか特に、見事な指揮で、俺は感服しました!」
「随分堅苦しいな。今日という日にかしこまる必要はあるまい」
マルパスは刀冴を見上げて苦笑いだ。しかし、彼もまた背筋を伸ばして、いつもの堅苦しさを捨ててはいなかった。
「さきのキノコ騒動では、きみの剣が多くの道を切り開いてくれた。直接きみの力を讃える機会を得られ、私も嬉しい」
ぴし、とマルパスは敬礼し、ぐら、と刀冴は感激のあまり傾いだ。いや、急に餅まきの傷が痛んだということにしたかった。刀冴は慌てて、体勢を立て直しがてら仮説テントを指さす。
「あっと、あのですね、なんつーか、犬神警部が閣下になんか、スープ作ってるらしいですハイ」
「スープ? ……そうか、ボルシチだな」
あざやかにターン・レフトしたマルパスは、つかつかと足早に仮設テントに向かっていく。刀冴は「かあッ」と息をついて頭をかいた。
――なに追いやってんだ俺は! まだ話したいことあったのに!
「む、司令。男が作るボルシチですまないな」
「いや。私が謝罪するべきだ。私のわがままなのだから」
警部(花柄の割烹着を着ている……)がかき回しているボルシチの鍋から、マルパスは目をテントの内部に移す。人影がまばらだった。確か、大きな寸胴に余った餅を入れ、雑煮を作って、集まった市民に配る算段だったはずなのだが。
「妙に静かだ」
「皆、俺のこの格好に引いていたが……それだけが原因ではないな。何かがあるはずだ。何かが足りない」
「サワークリームかな」
「いやそうではなくて」
ボルシチをゆったりとかき回しつつ、警部は推理した。なぜ静かなのか。何が足りないのか。何か減ったものがあるはずだ。
「警部、クロノとノリン提督見ませんでしたか?」
酒でほんのりと頬を赤らめ、しかしちょっと心配顔で、カラスがテントに入ってきた。それを聞いて、犬神警部はあッと手を打つ。
「それだ、あいつらが犯人だ! じゃなくて、原因だ! クロノが持ってきた大荷物ごと消えてる」
「ええっ、ちゃんと見ててくださいよ」
「……俺はボルシチを作っていたし、あいつらの保護者じゃないぞ……」
「美味いな、いい味だ」
「コラ、その年でつまみ食いとは許せん!」
「……何だか嫌な予感が当たりそうで怖い……」
ほのかな酔いも醒める、静かな恐怖。悪夢はまだ、終わってはいなかった。それどころか、これから始まるのかもしれない――真の恐怖が!
拾い集めた餅を抱えて、酒と一緒にもぐもぐ食していたアトラス。はたから見ると獲物をむさぼり喰らう猛獣のようだったが、彼の頭の中は純朴な幸福でいっぱいだ。
「これ、金ピカ。味、ちがう?」
当たり餅もぱくりと大きな顎の中に放りこみ、ガリゴリ咀嚼した。そう、ガリゴリ。彼の牙は中身の500円玉なぞものともしない。
「……はずれ。まずい。これ、銅の味」
顔をしかめ、アトラスは噛み砕いた500円玉を酒で喉に流しこんだ。ヤクザも裸足で逃げ出す形相だ。
「……う?」
アトラスは、ふと表情を一転させた。耳を立て、すんすんと虚空の匂いを嗅ぐ。
「なんだ、やな、におい……」
彼の鼻は、正確にヤバい物体の位置を嗅ぎ当てた。
しかし、アトラスにはそれが何なのかまではわからない。ただ、とにかく、ヤバくてマズくてとんでもないもの、ということは、わかっていた。
彼の金の視線の行き着くところに、大きな鍋があった。
■ 始まるよ、闇鍋ロードショウ ■
「はいはい、遠慮なく食べてってくださいにゃ。とっておきのお鍋ですにゃ。美味しい素材を厳選して何日も何日もグツグツドロドロ煮込んだんですにゃー。美味しくないはずがないのですにゃ。秘蔵のマタタビ酒もあるですにゃー、どうぞどうぞ」
「ノリアル! ノリで食べれば何でもできるアル! そーれ、いーち! にーい! さーん! ノリダーーーッッ!!」
普通――普通の状態だったなら――誰も、クロノが持参した鍋を口にしなかっただろう。あやしげな色と未知の香りは、普通なら、生命体の本能が拒絶していたはずだ。それがノリン提督にノせられてしまえば一巻の終わり。
はじめに、ノロウイルスの危機を乗り越えた悪役会メンバーが、ノリでそれを口にした。つぎに、ヤクザのノリにノせられた罪もない市民の口に入った。
「ン? あっちから心躍るスクリームが……」
クレイジー・ティーチャーが振り向く。
「何だ、何の騒ぎだ? まさかコロシか!」
犬神警部が割烹着姿のままテントを飛び出す。
「ああ……何か起きたな……何もできなかった、俺……!」
取島カラスは絶望に打ちひしがれる。
「俺は知らねェ、やってらンねェ」
あまり飲めない来栖だが、酒を飲んで忘れようと思った。
闇鍋を口にした者はほぼ死体のようなものと化した。ぴくぴく痙攣しながら紫色の泡をふいている。究極の悪食である刀冴も酔った勢いとノリで一口食べてしまい、テンションを下げていた。
「何でお前らこんなもん持ってくるんだよ……もう生きていたくねぇよ……俺、なんか悲しいよ……」
「うーん、かわいいなー、なんでこんなにかわいいんだろう、太助くんって。ふかふかだね。もふもふだね。くすくすくす」
「ぐえ、くるし、ぐえあ、うげぐえげ」
刀冴と周囲に酒を飲まされたアルが、テンションガタ落ちの将軍の横で、太助を絞め殺しかけている。アルはどうやら、酔うと抱きつき魔になるらしい。いつもなら刀冴が止めていただろう、いつもなら。
「コレ食べたら切なくなるネ、飲まれて飲みたくなるネ。飲み比べで勝負しないといけないよーな気分ダヨ、ヨヨヨ」
クレイジー・ティーチャー、おまえもか。
「ドウジくーん! てコトで勝負しようヨー、勝負ダヨー!」
紫の煙を吐きながら、殺人理科教師は再び導次に突撃した。導次は折り畳み椅子に座ったまま、ぎらっとクレイジー・ティーチャーに目を向ける。しかし親分は退かない。媚びない。省みない。
「ちょっとあなた、よけるとかしなさいよ!」
どこからともなく颯爽と現れたのは、和服を着こなした金髪の美女! 悪役会が全滅したので導次のガードはガラ空きだったが、横合いから飛び出した美女が彼を突き飛ばした。レディMだ、と気づけた者は果たしていただろうか。
目測を失ったクレイジー・ティーチャーはけつまずいた。倒れた。導次は頭を打った、美女が仁王立ちした。
「それじゃ、あたしは初詣に行かせてもらうわ。次からは自分で何とかしてちょうだいね、親分さん」
「……オンナに押し倒されるってェのも、悪くねェわ……」
にやり、と渋く決めようとした導次のそばに、
「フラグアル! 恋愛フラグたぶん成立アル! ここでノリで一発漢を見せるアル! 闇鍋一気飲みなんかどーアルかっ、親分どーすかッ、どーなんすかッ!」
サンバのリズムと闇鍋のニオイをまといながら、ノリン提督が現れた。身体を起こした導次が、渋面のままうっかりノせられそうになった、そのときだ。
いろいろあって闇鍋がひっくり返っていた。
整理するとこうだ。刀冴は座りこんでいた。その横でアルが太助にさば折りを極めていた。太助は根性でアルの腕から飛び出した。それとは関係なく、酔っ払った誰かが闇鍋の犠牲者にけつまずいた。導次にふられたクレイジー・ティーチャーにぶつかった。よろめいたクレイジー・ティーチャーの進む先を、アルの魔の手から逃げ出した太助が走っていた。ぎょっとした太助は慌てて方向転換した。『あきれてものも言えない』のプレートを下げ、冷ややかに会場を見つめていた来栖のバッキー、ルシフがいた。勢い余って太助はルシフに頭から激突してしまった。ルシフはゴムボールのように吹っ飛んだ。アトラスの鼻先にぶつかって飛ぶ軌道が変わった。その先に鍋があった。鍋がひっくり返った。
というわけだ。
「うにゃー! 我輩のマタタビ酒がー!」
クロノの悲鳴がこだまする。鍋はマタタビ酒の瓶を倒してしまった。慌ててクロノは瓶を立て直したが、すでに相当量がこぼれて、闇鍋のあやしい中身と一緒くたになっていた。
「ルシフ。おいおい、大丈夫――」
酒が入った来栖の足取りは危なっかしい。
「か、よ……」
その千鳥足が、凍りついた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……、
ムラサキの煙は膨れていく、広がっていく、集まってくる。
不安を誘う音を立てて。
肉体的な意味でも精神的な意味でも満身創痍の参加者たち。彼らの目の前で、ひっくり返った闇鍋の中身と煙は、いくつもの怪物に姿を変えていく。虎のようなもの、龍に似た怪物、恐ろしい狼、牙を持つヒヒ。咆哮を上げながら歪んでは消える。
地面が揺れているのは錯覚か。
「逃げろ!」
来栖の叫び声が広場に走る。
「逃げろォ――――ッ!!」
彼の言葉に突き動かされて、放心していた者も我に返る。だが、逃げるいとまがあったかどうか。そのときには、闇鍋の中身と煙は爆発し、身体に悪そうな色合いの巨大な猪が飛び出してきていた。
「逃げられるかよ、メシがこんなにマズいんだぜ……どうしろっていうんだよ……」
猪の陰が頭上を覆っても、刀冴のテンションは低いまま。脅威の闇鍋を食べてほぼ死体化している者も、立ち上がる気力はないようだ。
闇鍋と酒が反応してなぜ魔獣が誕生するのか、その原理などこの場ではどうでもいい話だ。理不尽の化身は銀幕広場をくまなく暴れまわった。半壊していたやぐらはとどめを刺され、人がはね飛ばされ、倒れていた人は踏まれ、仮設テントが吹っ飛んだ。
「誰か! 誰かロケーションエリアを!」
カラスの的確な判断は混乱に呑まれかけた。
「動きを止めるんだ! あれが広場から出たらまずい!」
「わかった!」
しかし、カラスの声に答えた男がいたのだ。花柄割烹着の犬神警部だ。彼を中心にして、冷気が走った。晴れた空と陽気は吹き飛ばされた。
吹雪だ。
どことも知れぬ吹雪の山中からは、主人公も犯人も容疑者たちも逃げ出すことができない。突然の吹雪と景色の変化に、猪は戸惑ったようだった。
がうっ、と狼のような声が、猪の足元で上がる。猪はその声にたじろいだ。アトラスだ――魔獣使いの彼が、使役を試みたのだった。
「う。だめ、言葉、ちがう。使えない」
猪はアトラスのものにならない。だが、怯んではいる。アトラスは恐ろしい形相で、あきらめずに吼えつづけた。猪の突進はひとまず止まった。しかし、いつアトラスの戒めを逃れるかはわからない。長くもたないのは確実だ。
「この騒動の原因を作った犯人はあいつだな!」
警部は自信たっぷりにマルパスを指さす。なんでだよ! あの人ついさっきまであんたの目の前でボルシチ食ってただけだろーが!
「ちがいますクロノ君です」
きっぱり手短に、カラスが否定した。
「おい、どうすんだ?」
「クロノ君に責任を取らせる!」
来栖の問いに咬みつくような答えを返し、カラスは雪の中を走った。ひっくり返った鍋のそばで、クロノが雪に埋もれている。カラスは怒りもあらわに、黒猫を雪の中から掘り出した。
「クロノ君! 時間を元に戻すんだ!」
「……にゅっふっふ……ウジ虫どもめ……神の手のひらの上で踊るがいいにゃ……」
「何だ、酔っ払ってるのか? こんなときに」
「ノリアルよ! その場のノリで一気飲みしたアル!」
ノリン提督が胸を張り、空っぽになったマタタビ酒の瓶を指さした。
「ったくもう……、クロノ! 起きろ! 起きろ早く起きろ起きろ起きろ!」
「にゃががががが、揺らさにゃいでぇ、逆流するにゃあ……もう食べられにゃーい」
「起きろ!」
雪に足を取られながら走ってきた来栖が、クロノの耳元で一声叫んだ。
力ある一声だ。クロノはぱちりとオッドアイを見開いた。彼がはじめに見たものは、吹雪く漆黒の空と、怒りの形相の取島カラスであった。
「にゃ、にゃんですかにゃ?」
「時間の神さまだろう。闇鍋がひっくり返る前まで時間を戻すんだ」
「か、神を脅すにゃんて、恐ろしい人ですにゃ。にゃんか、キャラ変わってますにゃよ、カラスくん……」
「早く! このままだと誰か死ぬ!」
「あ!」
その瞬間、猪はアトラスを飛び越えて、また走り始めていた。
ばふぉおおおお、という異形の咆哮が上がっている。吹雪の中で、化け猪が怒り狂っているのだ。白い鼻息は蒸気のように噴き出し、みなぎる力は機関車に等しい。破壊の音と悲鳴の中で、クロノはモーニングの胸ポケットから懐中時計を取り出すと、たどたどしい手つきで針を元に戻し始めた――。
「うお、お、おおおおおお!?」
犬神警部に向かって突進していたはずの猪が、突然後ろ向きに走り出した。彼が蹂躙していったテントややぐらの残骸は唸りを上げて空を舞い、数分前にあった姿を取り戻していく。倒れている人は吹っ飛ばされた軌道を逆戻り。空から吹雪は消え、陽気が戻る。
ひっくり返った闇鍋はコンロの上へ。こぼれたマタタビ酒は瓶の中へ、鍋の中身は鍋の中。ピンボールと化したルシフも、クレイジー・ティーチャーのよろめきも、太助のよそ見も、始まる前に戻っていく。
「ここまでですにゃ……! これ以上戻したら、時空が歪んでしまいますにゃ!」
クロノの声は、時間の中から聞こえてきた。
かち・り!
■ やっぱり兵どもが夢の跡 ■
「ぐえ!? あがっ、そ、そうか、こっから始まるのかぁぁぁあッ」
「かーわーいーいー、かーわーいーいー」
自分の骨が軋む音で、太助は我に返った。へべれけアルは猪騒ぎがあったことも知らず、太助にさば折りを極めている状態に戻っている。
「ちょっ、折れる落ちるちぎれる! はなせよ! もう、腹なでさせてやるからぁ!」
「ほんと!?」
アルが赤い目を輝かせ、太助をようやく解放した。その横にいた刀冴は、ノリで受け取ってしまっていた闇鍋を、無言でゴミ捨て場に捨てに行った。
「なんとゆーことアルか! せっかくノリにノッてきたのにまたやり直しアル! ――そーかッ、ロケーションエリアで一気に挽回アルよー!」
「もうやめてくれ、マジで! こいつの餌にするぞ」
ノリン提督がロケーションエリアを展開する寸前、来栖がうんざりした表情で言った。彼は手にぶら下げたルシフを、ノリン提督に突きつけた。ルシフの首から下がっているプレートは、やっぱり『あきれてものもいえない』と語っている。
「クロノくーん、この闇鍋、ボク理科教師として非常に興味あるナァ。もし何かあってもボクが責任もつヨ。だからギブミー。いいよネ?」
「うんにゃ、それはちょっと」
「――ネッ?」
「わ、わかりましたにゃ。だから、こ、殺さにゃいで」
クレイジー・ティーチャーがまともな対応に出ているという狂った展開だ。ハンマーを振り上げて闇鍋を所望する彼に、クロノはぷるぷる震えながら快諾した。もとい、壊諾した。ともあれ闇鍋はこうしてコンロから下ろされ、クレイジー・ティーチャーが上機嫌で持ち帰った。
昼下がり、闇鍋による被害も起きず、怒涛の新年会は幕を下ろす。
だが、起きなかった闇鍋事件の記憶は、参加者の脳裏にこびりついて離れない。さながら鍋の底の焦げつきのごとく。カラスと犬神警部はぐったりと座りこみ、アトラスは餅を抱えて寝ていた。太助は腹を上に向けたまますやすや眠っている。アルが今度は優しく撫でてくれたので、ようやく安らかな眠りにつけたのだ。そのアルも、酔いは醒めずに太助と添い寝してしまっている。
「そういうわけで、皆さん……今年もよろしくお願いします……」
憔悴しきった顔の柊市長(あんたまだいたのかよさっさと逃げるべきだろ一番偉いんだから、と来栖は小さく突っ込んだ)が、覇気のない言葉で閉会の辞を述べた。彼のかたわらに立つリオネも微妙に疲れて飽きている。新年会を企画し、名目上運営した悪役会竹川導次は――渋面で腕を組み、相変わらずの仁王立ち。これは完全にノーコメントの構えだ。
風が少し、冷たくなってきた。まだ日は短い、太陽は西にだいぶ傾いている。導次は後片付けを明日にするという判断を下し、銀幕広場には祭りのあとの静けさが訪れた。
初っ端からとんでもないことになった銀幕市の2007年――。
先が思いやられる、と誰もが思った。
まさか「本当の波乱はこれからだった」などという結びになるんじゃないだろうな、とついでに思った。
……2007年、銀幕市の本当の波乱は、これから始まるのだった。
〈了〉
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クリエイターコメント | 松の内に間に合った!
……もう2007年も始まってから2週間が経ってしまいました。以前担当させていただいたテオナナカトルのお話とはまったくベクトルが逆方向なノベルに仕上がりました。こんなものもノリで書きます、諸口正巳です。よろしくお願いします。 某PCさんのプレイングで気づいたのですが、女性PCさんがひとりもいないですね……(笑)。ある意味諸口正巳作品らしいと言えるでしょう。もちろん女性を書かないと言うわけではありません、女性PCさんもウェルカムですよ。 先行き不安な銀幕市の年始、笑っていただけたら幸いです。 それでは、またお会いしましょう。 |
公開日時 | 2007-01-14(日) 20:00 |
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