★ エピローグ ★
イラスト/ミズタニ



『おはよーございまーす!』
『さ、今日は2007年9月17日。えー、午前7時をまわったところですね』
『今日も一日、がんばっていきまっしょー!』
 テレビが、つけっぱなしだった。賑やかなジングルが流れ、画面には目覚まし時計や鳥のCGが大写しになっている。
 銀幕市の、何事もない9月17日が始まったのだ。
 住民たちは、一斉に……目を覚ました。16日の深夜まで、戦いの準備のために忙しくしていた者も、突発的に催されたコンサートに参加して熱狂した者も、いつの間にか……みんなみんな、眠っていたのである。そして、9月17日午前7時に目を覚ました。すべての住民が、血みどろの9月17日という悪夢を見ていた。
 夢は、羊の呑気なあくびによって破られ、人々は目をこすりながら、ベッドやソファ、会議室の椅子から、起き上がる。
 夢の記憶は、まるで現実に起きた災厄のように、鮮明に人々の脳裏に残っていた。誰がどこでなにをして、なんと言ったか。詳しく口述することもできるほどだ。
 柊市長も、市長室で目覚めた。ただ、彼を起こしたのは、羊のあくびだけではない。机上の電話もがなりたてていたのだ。外線だった。
「はい、もしもし、柊ですが……」
『ほ、ほ。トゥナセラの祖父じゃが』
「はあ。……はあ!?」
 柊の眠気は、あっと言う間に吹き飛んだ。オネイロスも、この騒動の始まりに、確か電話をかけてきたが……神の世界にも電話があるのか。
『よくぞ、羊の眠る間を堪えた。ほんの子供の手中にあったにせよ、儂の兵は『死』の数ある化身のひとつ。大したものじゃ。大陸、文明を滅ぼした兵が、街ひとつ落とせなんだ。夢の力に誇りを持つがよいぞ』
「……一時はどうなることかと思いましたよ」
『いやぁ、すまんかった、すまんかった。セーラは「ともだちにみせてあげたい」と言うとったから、てっきり自慢でもするのかと思うてのう。ほっほ』
 ほっほではない。神も人間同様、子より孫がかわいいと見える。柊は肩にのしかかった疲れが一瞬で倍増したような気がした。頭が痛くて重い。まるで眠れぬ一夜を明かしたようだ。
『――しかし、柊よ』
 不意に、
 好々爺の声に、神さびた鋭さが宿った。柊の皮膚が、勝手に、ぞわり、と、粟立って、  冷気が……。
『肝に銘じておくことじゃ。セーラがやりすぎだと言ったのは、わざわざ儂ら神が手を下すまでもなかったということよ。オネイロスと儂が見たところ、リオネの魔法はいましばらくそこに留まりそうじゃ。しかしだな、その分では……魔法が消える前に、




  銀幕市は、滅びるぞ。


 』


「え、……あの、それは、どういう……」
『これも何かの縁じゃ。その刻には、儂が出向いて死人の魂を導いてやるとしよう。神の不始末の結果ゆえ。安心せい。ほ、ほ』
「……、」
『では、さらばじゃ』


 柊は、市長室を出た。出た途端に、嬉し泣きやら勝ちどきやらで忙しい市職員が彼を出迎え、朝っぱらからすでにボロボロの植村が、泣きながら握手を求めてきた。フラッシュまで光っている。市役所は、明るい喧騒に呑まれていた。
 まだ時間は午前7時半。
 まるで今が朝だということを忘れているかのように、銀幕市はかつてない活気に満ちていた。
 勝った。
 自分たちは勝った。
 脅威を退けたのだ。
 死なずにすんだ。
 9月17日を、やりなおせる。
 会議室では、喧騒を背中に受け止めるマルパス・ダライェルが、市長を待っていた。

★ ★ ★


 黒いオーロラがうねる、黒い星空の中心。
 もしくは、淡く黒い光に照らされるビロードの部屋。
 黒いローブをまとった人影が、その中心の丸テーブルで、黙々と、人差し指ほどの大きさの人形を盤に並べている。チェス盤に似ているが、盤目は明らかに63以上あった。数百はあるだろう。そして、色分けもされてない。黒曜石を磨いたと思しき正方形の盤は、いちめんが漆黒であった。
 こトリ……、こト。
 無言で、ローブの者は人形を並べていく。
 人形は、大理石を彫ったもののようだ。すべて、均整の取れた筋肉美をさらす、兵士を象ったものだった。中には翼を持つ者や魔道師風のものもあるが、ほとんどが、槍と盾とマントを身につけた歩兵である。
「……」
 ひとつの盤目にひとつの兵士像。
 無言のまま駒を並べていた存在が、盤目が残りひとつとなったとき、大きく、大きくため息をついた。

 ことり。

 兵士、兵士、兵士……。
 大理石の兵団の中に、たったひとつ、異質な駒。
 それは、翼を折られ、鎖に絡め取られ、他殺体のように目を見開いた、6歳の少女の彫像だった。


 やがて、部屋からは、誰もいなくなった。
 音すらも、消えた。





(『タナトス兵団襲来』――了)





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