★ 盾崎編集長と岳夜谷温泉郷で露天風呂クリスマス ★
<イラスト/ピエール>


<参加者>

白神 弦間(cbbe7834) 岡田 剣之進(cfec1229) ティモネ(chzv2725) リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886)






 岡田剣之進(おかだ けんのしん)は、脱衣所から出ると、急激な温度の変化に身をひとつ震わせ裸の両肩をぎゅっと抱いた。
「心頭滅却すれば火もまた、と申すが、はてさて、寒さも同じでござろうか」
 見上げる黒瞳に月が映る。聖夜にふさわしく、煌々たる美しい月だ。
「なにはともあれ、こんなところでじっとしてたら凍えちまうぞ。もたもたしてないで、さっさと暖まろうや」
 剣之進の隣で、白神弦間(しらかみ げんま)が顎をしゃくった。彼らの前には、もうもうと白い煙が立ちこめている。
 二人は雲のようにたゆたっている湯気を全身にまとわりつかせながら、雨よけの屋根がついた板張りの廊下を小走りに進んだ。
 ほどなく、視界が白から黒へと転換する。靄のカーテンが開き、再び宵闇が顔を出したのだ。それは、二人が湯気を立てている大元へとたどり着いたことを示していた。
 大小様々な岩石が楕円形に並んでおり、その内側には濁り湯があふれんばかりに満ちており、外側は鬱蒼と茂る森だった。
 ちゃぽんと水音が鳴った。
「よぉ、遅かったじゃないか」
 楕円形の真ん中で、逞しい背中が軽く手を挙げるのが見えた。その手には徳利が握られている。
「待ちくたびれて、先に独りではじめてたぜ」
 銀幕ジャーナルの鬼編集長――盾崎時雄(たてざき ときお)は悪戯っ子のような笑みで白い歯を見せた。
「そいつはすまないことをしたな」
 弦間は手にしていた手ぬぐいを頭に乗せると湯船に足をつっこんだ。剣之進も同じようにタオルを頭に乗せて後に続く。
 二人はまずゆっくりと肩まで湯につかり、その心地よさを心ゆくまで楽しんだ。
「くぅ、骨の髄までしみるねぇ」
「まったく」
 極楽気分の弦間と剣之進を尻目に、盾崎は満足げに杯をあおった。
「どうだ? なかなか良いとこだろ?」
 このひなびた温泉宿を提案したのは盾崎だった。以前に別口の取材があった際に、偶然知った場所だったのだが、それ以来ちょくちょく利用している。いわば盾崎の、とっておきの秘密の場所だった。
「くりすますに温泉とは、いやはや、なかなか良いものでござるな」
 みずからの肩を揉みほぐしていた剣之進に、盾崎がお猪口を差し出した。「これはこれは」と丁寧に両手でうける剣之進。ちょろちょろと徳利の口から、透き通った液体が流れ込み、杯を満たしていく。酒があふれ出し、「おっとっと」と慌てて口をもっていった。
「すまないな。ちょっと酔ってるみたいだ」
「いえいえ、お気になさらぬよう」
 辛口の日本酒をきゅっと飲み干し、今度は剣之進が返杯する。
「ささ、盾崎殿も一杯いかがだろうか」
 盾崎もまた一息にそれを飲み下した。
「おいおい、二人だけで楽しんでないで、おっちゃんにも分けてくれよ」
 弦間が舌なめずりしながら間に割って入った。
「心配せずとも、まだまだたくさんありますよ」
 剣之進が徳利を振ってみせる。顔が曇った。景気よい音がするはずが、意外に響かない。
「調子に乗って飲み過ぎたか」
 ばつが悪そうに苦笑する盾崎の肩を、弦間が「まぁまぁ」と叩いた。
「ちょっくら調達してこようかね」
 弦間が剣之進の手から徳利を取り、立ち上がりかけたが、徳利を奪われた剣之進自身がそれを制した。
「いやいや、弦間殿に行かせるわけには参りませぬ。拙者が」
 徳利を取り返そうとする剣之進の手に、盾崎の手が重なる。
「俺が飲んだんだから、自分で行くぜ」
 いい年した三人の大人が空の徳利の争奪戦を繰り広げているうち、陽気な声が夜のしじまを震わせた。
「ハーイ! アルコールならここにあるわよ」
 三対の視線がいっせいにそちらを向いた。剣之進だけがあわてて顔を背ける。
「こいつぁ、眼福眼福」
 弦間が大笑する。
 脱衣所の方から歩いてきたのは、リカ・ヴォリンスカヤだった。今夜はその優美な肢体をオレンジ色のビキニに包んでいる。どこででも目にするような普通のビキニなのだが、彼女が身につけると途端にゴージャスな雰囲気を放ち始めるから不思議だ。
「遅くなってごめんね」
 ウィンクするリカが手にしているのは琥珀色のビンだ。
「リカ様、それはウォッカです。みなさん、日本酒はこちらですからね」
 半歩後ろからティモネが言う。お盆に乗せた徳利の数はちょうど人数分、五つだ。
 ティモネは、リカとは違いタオルを身体に巻いていた。混浴とは聞いていたが、まさかリカがやってくるとは知らない。少しうつむき加減で頬を赤らめているのは、コンプレックスからだろう。ティモネの胸はリカほど発達していない。ありていに言えば貧乳だ。
 しかし、ティモネはティモネで十分に美しい。真っ白な肌はまるで舞い落ちた雪のようだし、お盆を支える腕や、すらりと伸びた両脚はたおやかだ。リカを艶やかな美人と称するなら、ティモネは楚々とした美人といったところか。
 美女二人を加えて、露天風呂は一気に華やぎ、盛り上がることとなった。
「ダバイ!」
 リカがロシア語で乾杯を叫ぶと、残りの者たちも唱和する。
「こないだね、せっかく初の温泉体験だったのにファッキンな覗き野郎に邪魔されたのよ。ムカつくわ!」
 リカが大げさなジェスチャーを交えながら、先日別の温泉で自身に降りかかった災難を話し始める。話の要所ようしょで次々とウォッカ――ストリチナヤの入ったお猪口を空にする様は圧巻だ。
「お嬢ちゃん、気持ちの良い飲みっぷりだねぇ」
 弦間がさらに上機嫌になってみずからもウォッカに舌鼓を打つ。
「たしかに、あの時は大変だったみたいだな」
 盾崎が知ったような口ぶりなのは、さすがに銀幕ジャーナルの編集長だ。
ジャーナルに掲載された記事はすべて頭に入っている。
「そうなのよ、さすが編集長さんね」
 なにが「さすが」なのか少々微妙だったが、そのような些細なことなど誰も気に留めなかった。今宵は聖夜、みんな楽しむためにここにいるのだ。
「盾崎君はこの町で一番の情報通だからね」
 弦間の言葉に、盾崎が少しばかり仕事の顔になって「まぁな」と応えた。
「こういう仕事をしれてばな。嫌でもいろいろ見えてくるもんだ。ん? どうかしたのか?」
 問いはティモネに向けられたものだった。彼女はどことなくそわそわしながら、きょろきょろと周りを見回していた。
「あ、いえ、うちのアオタケがいなくなってしまって」
 アオタケというのはティモネのバッキーだ。
「またどなたかにご迷惑をかけているのじゃないかと、ちょっと心配に」
 アオタケは人の頭に吸い付くのが好きという変わった趣味をしている。主人が目を離した隙に、見ず知らずの他人の頭にくっついていたりするから性質が悪い。
「もしや、そのばっきーとやらは……」
 剣之進が湯船から漂流物をつまみ上げた。
「これのことでござるか?」
「まぁ! アオタケ!」
 ティモネが悲鳴に似た叫びを上げた。アオタケはだらしなく鼻血をたらしながらのびていたのだ。表情がうつろなのは湯に当てられたからか、それとも――
「女性陣の艶姿にやられたみたいだな」
 盾崎が大口を開けて笑う。ティモネは、みんなとバッキーとを交互に見比べて、すまなさそうにしたり、呆れたりと大変だった。
「どれ、貸してみな」
 盾崎がごつい手の平でアオタケを受け取る。肩にかけていたタオルをとると、それを岩の上に敷き、バッキー用の簡易ベッドにした。
「あ! すみません。ありがとうございます」
 ティモネが軽く頭を下げると、盾崎は気にするなとばかりに首を振った。
 そこで、ティモネがあることに気づいた。先ほどまでタオルで隠れていたのだが、盾崎の肩口に小さく丸い傷跡があるのだ。失礼かと思いつつも、目を離せないでいると、盾崎の方がそれを話題にした。
「これか?」
「いえ、別に――」
 さすがに触れてはいけないことだと、わたわたと手を振るティモネ。弦間に温泉事件の顛末を語り終えたリカが、彼女と盾崎の間に身をさしはさんだ。
「ふぅん、銃創ね」
 剣之進やティモネにはわからなかったかもしれないが、リカにとってそれは昔から馴染みのものだった。口には出さなかったが、使用された凶器のおおよその口径も、どれくらい前に受けた傷なのかも、だいたい分かる。
「日本人なのに珍しいだろ?」
 盾崎が杯をもてあそびながら、語り始めた。
「俺の親父は戦場カメラマンでね。まぁ、俺は戦争なんかより、もっと夢のあるものを写したくてな。映画監督になりたかったわけだが」
 ここで「でも、今じゃ映画監督ならぬ編集長だけどな」と肩をすくめる。
「まだ若かったころ、一度だけ親父について助手をつとめたことがあるんだ。何十キロもある撮影機材を担いで、砲弾の飛び交う中を駆けずり回ってなぁ。今でもたまに夢に見ることがあるよ」
 眉間にしわを寄せる盾崎に、誰もかける言葉を持たなかった。
「戦場カメラマンにとって一番大事なことはなんだと思う?」
 急に質問され、ティモネが口ごもる。リカはゆっくりと首を横に振り、剣之進は無言で腕を組んでいた。弦間が「逃げ足の速さか?」と場を和ませる。
 険しい顔つきになっている自分に気づいて、盾崎は肩の力を抜いた。
「事実をありのままに伝えるのが報道の仕事だ。カメラマンはそこにある事実だけをとらえる必要がある。できあがった写真から何かを判断するのは読者の仕事だ。だからこそ、心を凍らせなければならない。たとえば誰かが銃弾に倒れて助けを求めていたとしても、救いの手を差し伸べるべきその手で、まずはシャッターを切らなければならない。俺にはそれができなかった。事もあろうにカメラを放り出して、撃たれそうになった子供を助けて、このザマさ」
 もう一度、盾崎が肩の傷跡を指さした。
「ごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまって。でも、盾崎さんは間違っていないと思いますわ。その子には盾崎さんのように助けてくれる人がいて本当によかったと思います」
 ティモネが儚げな笑みを流す。彼女自身の幼児体験を、彼が助けたという子供に投影してしまったのかもしれない。
「守るために受けた傷は、男の誇りでござる」
 それまで黙っていた剣之進が、組んでいた腕をほどき、湯に浮いた盆からウォッカの瓶をひっつかんだ。透明な液体を、瓶を逆さにして豪快に喉に流し込む。
「すまない、湿っぽくなってしまったな」
 盾崎がぶるぶると顔を洗う。洗い流したのは汗か、それとも別のなにかだったか。
「あんたが謝る必要なんかないさね」
 弦間がにやりと笑い、リカも「そうそう」と相づちを打った。
「今夜はクリスマスよ、めいっぱい楽しまなきゃね。って、ちょっと! 一人で飲んじゃうつもり?!」
 剣之進がいまだに手放そうとしないストリチナヤを、すかさずリカが奪い返す。
「いやいや、これは、西洋の酒もなかなかの美味でござるな」
「武士殿はウォッカがお気に入りのようさね」
 そう言いつつ、瓶に伸ばされた弦間の手の甲を、リカがぺちりと叩いた。
「あなたはさっきたくさん飲んだでしょ? これは編集長の分」
 そう言って、切れ長の瞳をウィンクさせる。
「そんな殺生な……」
 未練たらたらの弦間に、ティモネも剣之進も盾崎も心の底から笑いがこみあげてくる
 清し、この夜。街の喧噪からほど遠いこの湯の里で、聖夜はゆっくりと更けていく。身体を芯から暖める温泉と酒、心を芯から温める互いの笑顔。五人は名残を惜しむように、いつまでも酒を酌み交わし、心ゆくまで語り合った。
 中天に輝く月だけが、最後まで彼らの談笑に耳を傾けていた。

<ノベル/西向く侍>





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