/スレッド省略表示

«前へ 次へ»

1件みつかりました。

[88] 零の空は二度死ぬ
マスカダイン・F・ 羽空 (cntd1431) 2014-04-30(水) 21:57
間違っているなら殺せばいい。

自分の中での唯一の正義だった。







逃げて、
逃げて、
逃げた。


酷く永い時に思えた。
何も持っていなければ苦しまない筈なのに、
何も持っていない身体を 
中身を持たない骨組が風で崩れるように、  真空中で空気が膨張するように、 すべてが圧迫した。


もう疲れた。
もう疲れていた。
その疲れすら殺して、

逃げた。




切欠は些細な風評だった。

数多の業を背負った一世紀が終わる。
時代の黄昏、その年に全てが滅びると言うのなら、自分の命は皆より後に存在するべきではない。


-

樹木生い茂る道でもない道。
街の気配も擦れて遠く幾日経か。

人を忘れて遠く幾日経か。



初めこそ人の町が恋しかった。
人の心に触れることで寸襤褸になった人間性を糸のように微かに掴んでいる気がした。

罪行が隠れた卑怯さごと発見され処罰されたかったというのもあるかもしれない。
奪った事を返すのはそれ以上の苦行でなければならないと生きたのかもしれない。
しかし、何年の時が過ぎても断罪の追手は自分をつかまえることはなく、
廻り流れる時代や人の活気も戯曲の中の仮面のようで
穏かな街並さえも世の暴墜を知った経験には酷く虚ろで、

罪悪感が心を嘖む中で運命への不信に歪む。

思想を侵食する雑音が全てを疑心暗鬼に化え、
人としての精神を焼土の様に灼いて行った。


自分を堕とす呵責の言葉が現世の更新を拒絶する。
脳内に入る情報が嫌になって、人の声が気配が嫌になって、


気が付けば冷たい樹森の陰の中に包まれていた。



そうだ、お医者さんになろうよ
そうしたらさ? きっとみんなのことまもって、よろこんでもらえるよ
いたいのなおせるよね?



鞄には故郷を捨てる時に自分の生きた経歴を示すものを詰め込んできた。
後する世界に自分の痕跡を残したくはなかった。
重たく無い訳ではなかったが、械のように引き摺ってきた。


草を踏む足をとられ貧血に虚脱した体躯が倒れ臥した。
肉体は長いこと空洞のままで歩き続けていた。

泥濘みに顔面が叩付けられると共に、
草の匂りが腔を染める。

空腹。

反射的に引き千切って周囲の草を
無遮苦茶に口の内に押し込んでいた。


可食物の青臭い匂いに喰い付きながら
飢渇を満たすその時気付く


これは生物の血の匂いだ。

受け付けなくて吐き戻す。
噎込とともに朦朧する意識が愕然とする
まだ生に縋りついているのか。





湿り気を帯びた土壌に膝をつき、草が千切れる
青臭い香りが生臭い血の匂いと被る
こうして歩みを続けている間にも足元で数多の命を殺している。


反射的に出た嗚咽は押さえ続けた感情の内部へと還り
流すことのない涙は蓄積しその身体の全てを満たした。


 きっと誰もわかってくれないのだろう。



そうだ、弁護士になろう
そうすれば、正義を振い悪を裁く事が出来れば
もう同じ思いをする人が居なくなるように



自分は傷つく資格などない思っていた。
傷ついた為の理由など失ってしまった。


傷ついたことなどないと思っていた。
だから、何も感じなかったのだ。
目の前のモノがどんなに血を吹き上げても、酸化鉄の匂いを薫らせても、鮮紅の海に沈んでも。

血に染まった身体が、
臥せる無力な目と腕が、
あの日見た風景と被ったとき、
開いてしまったのだ、抉られた遠い日の傷痕が。

だから知ってしまったのだ。
その血が自分の中にも流れると—



 だってそうだろう?
 誰もわかってくれやしない、わかってくれやしない




そうだ、***になればいいじゃないか
そうすれば***を***して みんな***にしてやれる。
***になってしまえばいいんだ。どいつもこいつもぜんぶ******




空の胃臓から酸が込上げる。
その感覚を息を強く吸込み、歯を喰いしばり、殺す、 殺す

傀儡のように立ち上がり、薄い空気に噛りつき機械のように歩を進める。上へ。前へ。どこへ。 命の無い方へ。


そうだ、そうだ
忘れてしまえばいい、失くしてしまえばいい、捨ててしまえばいい
流れる血も、拍打つ鼓動も、人の心も

それじゃあ—


それじゃあ、自分は何だ?





悲しい世界が嫌で
殺した。
笑いを失った心が嫌で
殺した。


恨みを、憎しみを、呪いを、
押さえ続けて、縛り続けて、

もう、もう縛られるのが嫌で、
自分の中から故郷を殺した。


怒りのみに腕を振るう身体が嫌で—



違う。
違う。
間違っていた。

なにもない。
何故だ?
努力したじゃないか。戦ったじゃないか。がんばったじゃないか。ほしいものをてにいれるために。ねがいを叶えるために。
お前らが求めるものならぜんぶやったじゃないか。
声も、心も、身体も、捨てて、合わせて、ぜんぶやったじゃないか。
何故だ?

嘘だ。

本当は望んでいたんだ。
今と違う場所に行けば、きっと世界は変る。
今と違う場所に向かえば、そこに辿りつけば
本当の、

本当の…



獰猛で狡猾で卑俗な自分を
殺せなかった。

何故だ。
あたりまえだ、殺すことによってそれは産まれたのだから。










小さな、小さな望みだった
たったそれっぽっちの、たった一つの甚大過ぎて
矮小過ぎる望みだった。

そんなちっぽけな望みで


それすら死んでしまった。



螺旋階段の騙し絵のように、
どうどう巡って、
自分は自分が逃げていた魔物、そのものになっていたのだ。






ドコに向かえばいい?
そう、向かう場所なんてなかったのだ。
ボクにはこの世界の何処にも。


居場所なんてなかったのだ。






その言葉が浮かんだその時


思考が、タイピングを止め


長い、無。






失くしてしまった心は
その独白に、絶望的な解に、返答などしてくれなかった。



そんな答えを出すために自分はどれだけの命を—





この世界の何処にも居場所なんてなかったのだ。






闘うものすら何もない。
願うことすら、なにもない。
望むことすら、もうなにもない。


何故だ?


なにかを求めてここまで来たのに。


なにもない。嘘だ、
あるじゃないか、
鼓膜を通る雑音が、 肉体を苛む痛みが、 今なお恐怖し逃げ続ける忌しい記憶が
自分自身が。



そうか。
本当に殺したかったのは、 世界に何の色も映すことのなくなった、この目か。




 どうせ誰もわかりなどはしない。





脚がもつれ、
露出した岩盤に打ち突けられる身体を包む痛覚から多幸感を覚えた。
苛烈な外的刺激に囚われていれば、何も考えずに済む。

過酷な生活で鍛えられた身体は
反射的に受身を取っていたらしい、 衣服の膝が土埃で煤け染みただけだ。

逃げ続け、隠れ続け、誤魔化し続け、
血を流さなくなった身体が、逆に憎かった。

息が切れるが生を拒絶する感覚が自分のものと扱えない。
髪先から指の先まで存在する唯己の認識を呪っている。



知識を得るたび知りたくないことに気付くばかりで
命懸けで手にした真実は冷たく自分に刃を向いた。
憧れに縋りつく度いつも目の前で破壊されていって


擦切れた神経が摩耗して抵抗を失い
いなくなったものが魂をむちゃくちゃに引き千切る。
見えない世界が響音を上げる。


感情の残心が思考を道連れに理解を消滅させる。


燃え殻がまた自分になる。



白い世界に問掛けを止める。










本当に?










倒れた体躯を下から圧迫する石、その冷たい薫りに混じり
 涼やかな風の匂いがした。


斜面を見上げると、

—森林の植生の限界を超えた、岩盤の地の上


青い空が見える。


陰ばかりの世界に、 切れ間のように生まれた、色彩。


眩しかった。



清らかな空気が流れてくる、その方角へ。
感覚の空になった脚を起こし、歩を進める。
草の匂いを引き千切り、摑んだ巌を握登り、


樹原を抜けた身体が、
こう、と潮風を受ける。



 青い空、白い光。


 さり、と 足が  砕けた石の地面を踏む。
手にした鞄が凍風で冷えた。

温度のない外気が晒された体表を蝕んでいる、体中の感覚を支配するそれは、背負って来た何もかもを喰んで霞ませてくれる気がした。

剥出した岩盤の地面は一つの命も生えてはいない。
硬質の地面は高地の日に照され灰色の鋼の様に冷たく清んでいた。


生命に濁った感覚画面が無機の世界に洗われていく。

無機物。ただそこにあるだけの物。
ずっとそれになりたかった。
心をもたないものに。


そちらへと身体を進める。光に目指して飛ぶ何かのように。



灰色の世界を背中に足先が空を突く。


雲一つない空の下、
海だった。


切り立った崖の向こう、広がるのはただかぎりない青い世界ばかりだ。

風化した岩が蹴られ、遥か遥か下へとおちていった。

静寂と一人。




遠くに
優しいノイズ、意味を持たない旋律。
ここにはなにもない。

感じるのはただ風と青い世界と白い自分。

透明な日射しが、ただ果てに立つ存在を照らしている

死ぬにはいい日だ、そんな陳腐な台詞が浮かんだ。



鈴を鳴らすように硬質の地面が崩れた。

重心が揺れる。


浮遊感。
体躯を包む風が速度を上げゆく。

生命の危機を叫喚するみぞおちを抉る生理的恐怖心は一瞬で背中へと抜けていった。
もとよりそんなものに興味は無い。


 誰もわかってくれなくていい。

 解ってしまったら、
 きっと、 同じ場所に来てしまうから。


口を開けた古びた鞄から数多の荷物が空中へと散乱し
僅かを残して我が身と運命を共にしてゆくのを感じた。


四肢が重力から投出され耳が音を捉えるのをやめる。
髪をはためかせ、感覚のみが風を切ってゆく。



役命を終えた生命機能が落ちる。
脳が必要無くした記憶を捨てる。
小さな魂の純度が高まる。


そうだ、—空を飛びたかった
幼い頃、夢に願った風景だ。
—夢見ることを、願いを望むことを忘れていなかった頃の風景だ。


空を飛べたらいい。


鳥のように、

—いや、そんなぜいたくなどいらない


綺麗な翼などいらない、
自由ならば、ただ風に吹かれて、


ちっぽけな、


羽虫のようにでも、





飛べたら。




海と空二つの青が反転し
深遠の虚無を抱える地から足元が
離行き胎動する天に墜ちて行く

刹那の閃光とともに頭蓋が岩盤に触れる
思考-存在が空に溶け
肉体が叩き崩されるその寸前、



なにもない世界の夢をみた。

«前へ 次へ»

1件みつかりました。

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン