壱番世界にある大型図書館と同じように、世界図書館には関係者以外立ち入り禁止の場所がある。修繕の必要な書物が一時的に集められる部屋や、異世界より持ち帰った物の保管部屋、反省部屋、日々なんらかの形で使われている部屋の他、物置になっていたり、中には何の部屋かもわからないまま閉ざされ続ける部屋もある。 窓から温かな日差しが差し込む廊下をリベルが歩いてる。威勢よく靴を鳴らして歩く廊下にはリベルの足音しか響かない、はずだった。ふと、リベルは何か聞こえたような気がして足を止め、あたりを見渡す。しんとした廊下と等間隔に続く木漏れ日は、いつもと変わらない風景だ。 気のせいかと思った時、また、リベルの耳に微かな音が届く。ざわざわとした、小さな物が動く様な音が聞こえ、リベルは耳を澄まし、音のする方へと歩き出す。ゆっくりと歩き音がだんだんとはっきりしてきた頃、その音が誰かの、女性が声を殺しすすり泣いているようだと気がつくと、リベルは一つの扉の前にたどり着いた。何の部屋かを確認したリベルがドアノブに手をかけると、ぴたりと声が聞こえなくなる。不思議に思い、リベルが扉をあけようとするが、扉には鍵がかかっている。「誰か、いるのですか」 扉越しに声をかけてみるが返事はない。リベルはポケットから鍵を取り出し部屋の中へと足を踏み入れるが、やはり誰もいなかった。そもそも、鍵がかかっている時点で中に人がいないはずだ。鍵をかけて部屋の中に籠る、というのはサボリか悪戯相談かと考えられるが、どちらにせよ廊下に声が漏れ聞こえるような事はしないだろう。「気のせい? ……そういえば、何か報告があったような」 首を傾げ、リベルは先日聞いた不思議な話を思い出しながら鍵をかける。扉には【竜刻保管室】のプレートが付いていた。 シャカシャカ、シャカシャカと何かを振る様な音が聞こえ、シドは足を止めた。リベルを含め数人が女のすすり泣く声を聞いた、という話が司書達に通達されたのを思い出し、シドはふむ、と顎に手を当てて考え込む。確かリベルが言っていたのは【保管室】だし他の者たちもその辺りだったと言っていた。しかし、シドが今いるのは【竜刻保管室】のある階より一つ下の廊下だし、何より今の音を女のすすり泣く声だと聞くのは、無理がある。とはいえ、報告もあり実際聞こえてしまった異音を放っておく事もできず、シドは音の聞こえる方へと歩き出すと、シャカシャカという音に加え、トトトン、トトトン、という音も聞こえ出した。「なんだか、聞き覚えのある音だが……あぁ、太鼓のような音だな」 シドはリベルの報告と同じ行動を繰り返すかの様にドアノブに手を伸ばし、音が止まるのを確認すると鍵のかかっている扉を開け室内を見回る。異世界より持ち帰った品々を保管する【物品保管室】には武器や日常品を始め、触れてしまうとちょっと面倒な事になる曰く付きの品々が並んでいるが、やはり、誰もいない。「ふぅむ、ここまで来ると手の込んだ悪戯、じゃぁないな」 扉に鍵をかけ、シドは足早に歩き出した。 女のすすり泣く声とは別に異音が聞こえる、という不思議な出来事の次に起きたのは、誰もいない筈の部屋に影が走る、という物だった。今の所、怪我や紛失といった被害はないものの、気味が悪い事に変わりはなく、こういった現象が苦手な司書達は精神的にぐったりとし始めている。 リベルとシド初め、実際に音を聞き、影を見た数人の司書達が話し合っていると、悲鳴を轟かせながらエミリエが駆け込んできた。涙をぼろぼろと零し自分の後ろを指差すエミリエは口をパクパクと動かして 「か、影が、影が」 と、繰り返し呟いた。余程驚いたのか、その場所や姿かたちを伝えようとするエミリエだが、その両手はただせわしなく動いているだけで何もわからない。どうどう、と馬でも扱うようにエミリエの背を撫で、落ち着かせていたシドは、エミリエの足元に落ちていた一冊の本に目が留まり、それを拾い上げる。「エミリエが影を見たのは【第十三書庫室】みたいだな」「……エミリエが何の要件でその書庫に行っていたのかは別として、これで三つの部屋で異変が起きている事は明白ですね」 女のすすり泣く声が聞こえる【竜刻保管室】 異音が聞こえる【物品保管室】 影が現れる【第十三書庫室】 実害はありませんが、と前置きをし、リベルは言葉を続ける。 「今後も害がないとは限りません。各部屋の調査をしましょう。担当はいつもどおり、AMIDAで決めます」 司書達の中にも、得手不得手や興味のある物事は存在する。この様に、いつもの業務と違う事が発生する場合は、基本、第一発見者や関わった者に一任されるが、今回は多数の司書が関わっている。そして、今回のような不思議な現象に興味を持つ司書も複数いるのだが、誰が行くかを決めるのに揉めないよう、かつ、迅速に決められ、全ての司書が公平になるよう、AMIDAが実行されるのだ。 AMIDAによって選別された司書は、いかな理由があろうともこの仕事を全うせねばならない。のだが。『聞いてない聞いてない! なにそれ聞いてない! ていうかなんで夜になる日に調査させんだよ!』「いえ、AMIDAの前に説明しました」『平気なヤツがいけばいいじゃないかー! やだー! おっさん怖いの嫌いーーー!』 不運にもAMIDAによって選ばれたアドの看板にはヤダヤダ行きたくないという言葉がびっしりと連なっている。「お前さん魔術師じゃなかったか?」『関係ねぇし! 理解不能意味不明な存在は無理!』 シドの言葉にアドの看板には大きく字が浮かぶが、その文字は指先で摘んだ筆先で書いたかのように震えていた。あの看板は持っている人の恐怖も伝えるらしい。 同じく選ばれた無名の司書もまた恐怖で身体をぷるぷると震わせ、へっぴり腰でエミリエに縋り付き泣きながら訴えかける。「ねぇねぇ、エミリエたんの悪戯なんでしょ、ねぇ、そうだといってお願いだからそうだといってぇぇぇ」『そ、そうだ! いまなら一緒に正座するから! 反省部屋にもはいったげるから!』「エミリエ楽しくないイタズラしないよー」「いやゃぁぁぁ! ルルーさんルルーさん! ルルーさんだって嫌で……」 最後の砦、とAMIDAによって選ばれた三人目ヴァン・A・ルルーに同意を得ようと縋るが、もっふりとした丸い手が祈るように胸元に添えられ、プラスチックの瞳が意志を持っているかのようにキラキラと輝いている。「ミステリー……」 どうみても全力で楽しんでいるの事がわかり、無名の司書とアドの身体がくず折れた。『ろ、ロストナンバーの同行を、希望する!』「……必要ですか?」『必要! 超必要! 見に行って俺たちが帰らなかったら、二度手間! 一度で済ませる! 合理的!』 リベルに向けられた看板の字は大きく、アドの叫びを伝えているがその文字は震えたままだ。小さなアドの身体を両手で掴み、コクコクと頷く無名の司書も交え、体全体をぷるぷると震わせる二人にリベルはそうですねぇ、と声を漏らす。「確かに、一度で済ませ方が合理的です。よろしい、特別にロストナンバーの同行を許可しましょう。ただし、司書も同行、関係のない部屋には入らない、備品破損は各自実費で弁償、以上が条件です」 かくして、司書以外が訪れる事の滅多にない、世界図書館奥地への道は、開かれた。 ★ ★ ★ 無名の司書は、AMIDAに大当たりした瞬間から涙目で腰を抜かしていた。ずるずると這って、リベルの足にすがりつく。「ああああのぉ〜、リベル先輩。これ、竜刻が暴走してるとかなら、けっこーヤバい状態じゃないんですか? 調査じゃなくて暴走を押さえるための協力者募集依頼を出したほうが……。そうですよそうですよそうしましょう。この世には不思議なことや怪奇現象なんて何もないんですようんうんうん」 怪談関係が超苦手な司書は、せめてもの寄りどころとして、合理的な落としどころを探る。 だが、リベル先輩は非情にも、希望を絶望に変えて行くのだった。「ロストナンバーにより回収された竜刻は適切な処置が施され、厳重に管理されています。暴走の可能性はありません」 回収済の竜刻は、すべて【竜刻保管室】に収納され、扉には特殊な措置がほどこされ、鍵が掛けられる。 竜刻保管室のマスターキーは3本だけだ。所持しているのは、アリッサ館長と後見人レディ•カリスと、世界司書リベル・セヴァン――「わかった。わかりました。アリッサ館長のお茶目ですよ、きっと」「鍵の解錠・施錠の記録は自動的に残る仕様になっていますが、最後に竜刻が収納された後、館長が保管室に出入りした形跡がないことは調査済です」「……あ。やっぱリベル先輩もアリッサたんのイタズラを疑ってたんだ」「一番疑わしいのはエミリエでしたが、彼女が館長から鍵を借りた形跡もないようですし」「じゃあ、意表をついてカリスさまだったりして……!」「レディ・カリスはイタズラをなさるメンタリティの持ち主ではありません」「わっかんないよ〜〜? あの美しすぎる外見に騙されるけどああ見えてアリッサたんの叔母さんなんですよぉ〜?」 「カリスさまの出入り記録もありません」「わかった。謎はすべて解けた! 犯人はリベル先輩です! あたしを怖がらせようとしてるだけなんですよねそうですよねそうだといってくださいぃぃぃぃぃ〜〜〜」「私の狂言であれば、一応、筋は通りますが……」 リベルは、あくまでも冷静である。「私が、自分で自分の仕事を増やすようなことをすると思いますか?」!注意!『戦慄世界図書館』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『戦慄世界図書館』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
ACT.1■HELP ME! 「山本さん。ご相談があります」 世界図書館ホールでリベルに話しかけられて、山本檸於は、それはそれは驚いた。そして、一歩ニ歩、いや七歩くらいは後ずさった。 なんとなれば、先ほどから、ヴァンやアドが協力者を募っているのを見聞きしたからである。 【物品保管室】からは、シャカシャカ、トトトン、トトトン、という正体不明の異音が聞こえ、【第十三書庫室】では、謎めいた影が目撃されたそうではないか。 「な、なんですか、リベルさん?」 「今、お暇ですか?」 「え? あ?」 「お暇ですか?」 「暇ですッ!」 何か怖そうな依頼みたいだから、聞かなかったことにしてそっと立ち去ろう。そんな檸於のはかない願いはあっさり打ち砕かれた。リベルさんがあなた暇でしょと仰ったからにはそらもう鉄板で暇なのである。 「では、担当司書の調査依頼に同行ください。誰もいないはずの【竜刻保管室】から、女性のすすり泣きが聞こえたことを確認しております。その原因究明をお願いいたします」 「それは……」 もしかして幽霊だろうか。こわい。幽霊こわい。しかし、そんなことをカミングアウトするわけにはいかない。 「は、あははは。それってきっと、何か原因があるんだと思いますよー。判明してみれば『なーんだ』って思うんじゃないかなぁ」 「その可能性は高いと、私も考えています。竜刻保管室の担当は無名の司書さんなのですが、情けないことに恐怖の度が過ぎて、腰を抜かしてしまって」 司書はまだ、こわいよー、こわいよー、行きたくないよぉー、やだやだー、と、目幅泣き状態で近くの柱にしがみついてぐずっているらしい。ロストナンバーへの協力依頼すらままならないため、リベルがフォローしているのだそうな。 わかるよわかる。司書さんの気持ち、すっごくよくわかる! 「や、やだなぁ。幽霊なんているわけないよねー。全ての現象には、合理的科学的説明がつくに決まってる!」 「冷静なご判断、頼もしく思います。山本さんでしたら、真相の解明が可能でしょう。成果を期待していますよ」 「え?」 がーーーーん。 そうなの? そうなっちゃうの? 檸於くん、内心のガクブルを悟られまいと必死に頑張ったのが裏目に出てしまいました。 コクコクと頷いて、竜刻保管室に続く通路へ赴くことになってしまいました。 理性の力だけで動いているものだから、レオカイザーが二足歩行してる的にカクカクしております。 幽霊は怖い。 けれど、依頼を失敗してリベルさんに「はぁ……」とため息をつかれるのは、違う意味で怖いのでした。 「これこれ。まるで子どものようじゃぞ?」 「大丈夫だって。気楽に行こうぜ」 「そんなに怯えて泣くとは……。何とも可愛らしいものだな」 竜刻保管室の前では、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノと、坂上健と、アマリリス・リーゼンブルグが、代わる代わる、司書をなだめすかしていた。その様子を見る限り、どうやらこの三人は怪奇現象を恐れていないらしい。 ビバ、頼りになる同行者! 檸於は心の中でガッツポーズを取る。 「さあ、涙をふいて。可愛い顔がだいなしだ」 シャープな青い瞳を心もち細めて、アマリリスはふっと微笑む。片膝をついて、美しい白銀の翼を広げているさまは、中性的な容貌とも相まって、勇ましい天使のように見えた。 「アマリリスさぁん〜〜。ぐしっ。えぐっ。でもでも〜」 「安心しなさい。私がついている」 「アマリリスさん……」 「何も恐れることはない。たとえどんな異変が起ころうとも、私が貴女を守ろう」 「うれしい……」 そっと頬を撫でられて、無名の司書はあっさり泣き止み、目をハート型にした。 実はアマリリスさん、息するように無意識に男女不問で口説いちゃう、お茶目さんな一面があるのだった。しかしながらそれは、可愛かったり綺麗だったりするロストナンバー限定で発動する特殊能力(能力……?)のはずなので、今のコレは非常事態ゆえのサービスと思われる。 「ふむ」 その効果のほどを見たジュリエッタは、大きく頷く。 (司書殿にはボディタッチが効果的なのじゃな!) 「ではわたくしは、イタリア式の挨拶をしてしんぜよう。特別サービスじゃ」 言うなり、ジュリエッタたんは、司書の首に両腕を回した。 つまり、抱きついた。 さ ら に 頬にキスをする。 えっ、なにこれ。恋愛ゲー? そんなフラグ立てた覚えないのに! ハーフ美少女からの、不意打ちのハグ&キス! ……ぶっっっしゅうううううーーーーー!!! 無名の司書の鼻血噴出量は、今日はひと味違っていた。 世界図書館の一角に、血の海が広がる。 「きっとここは天国ね……。天使の翼をつけたヴァンさんとアド先輩の姿が見える……」 「司書さん、しっかり!」 このまま遠い世界へ旅立たれたらいろいろ困る。 放心状態の司書の肩を、檸於はがくがくと揺さぶった。 「が、がんばりましょう! あ、あのそのっ。やっぱり、一度引き受けた以上、ベストを尽くすべきだと思うんです、司書として。そうそ、司書として!」 だって人数多い方が安心できるし、というのは心の声である。 ジュリエッタはハンカチを差し出した。そして、駄目押しをする。 「のう、司書殿。ちゃんとわたくしたちを先導してくれたら、お礼にデートしてやろうぞ?」 「ででででデーートぉぉぉ! ホントですか本気ですかジュリエッタたぁぁぁーーん!?」 「そうとも。おぬし好みの美男美女の友人を各種取り揃えようではないか! てんこ盛りじゃ!」 「美男美女!」 「うむッ」 「てんこ盛り!」 「うむッ」 「あたし頑張ってお仕事します。もう、何も、こわくない。美男美女のために命賭けます!」 司書は目に炎を燃やし、両手を握りしめた。 態度急変。ものすごい食いつきようである。 まだ若いので今はその片鱗しか見えないが、ジュリエッタたんて、魔性の女の素質十分だと思うがどうか。 「よし。司書さん、元気になったな」 じゃあ、これ、持てるよな、と、健は、持参の大荷物の中から懐中電灯を取り出し、司書に渡した。 竜刻保管室には窓がなく、室内は暗い。基本的には「夜」の存在しない世界ゆえ、照明設備もないだろうと予測して用意してきたのだ。 「これも渡しとく。遭難者用の笛」 「……笛?」 「うん。俺は、オウルフォームのポッポのおかげで明かりはいらないけど、司書さんはいるだろ? それに、ないとは思うけど、もし、皆とはぐれて迷子になったら」 「ま、迷子〜〜。まいご〜〜〜。そうよねそういうこともあるわよねイヤぁぁぁ〜〜!」 「大丈夫。そのときは動かないで、笛吹いてくれ。絶対、そこまで迎えに行くからさ」 「ううう、健くん、やさしぃぃぃ〜〜」 「ほう。そなた、頼りになるばかりか、なかなかに心配りが細やかなのじゃな」 ジュリエッタが感嘆した。健とジュリエッタは、去年の秋、大発生したセクタンがロストレイルを占拠したときの、どこもかしこもぷるぷるだらけ事件にて、面識があるのだった。 「あはは」 照れくさそうに頭を掻き、健は、司書の頭もちょいと撫でる。 「そういや、竜刻って、空間記憶を固定するとかいう噂があるの、知ってるか?」 「不思議な力を秘めている物質だから、そういうケースもあるかもね」 「だったらさ。司書さんが好きそうな美男美女の悲恋ストーリーが、三次元映像で見られるかもしれないだろ、ってこと」 「そっか。怖いことばっかり考えてたけど、案外、楽しかったりするかも!」 司書は勢いよく立ち上がろうとした。 ……が。 また、へなへなと床に座り込む。 「……どうしよう。やる気はばっちりなのに、足に力が入らない……」 「じゃあ、こうしようか」 大荷物をほどき、健はあるものを取り出した。『背負子』と『座布団』である。 「健くん……」 「使わないかもって思ったけど、一応持ってきたんだ。リベルさん、司書さんが腰抜かしたって言ってたし、それだと、しばらく自力じゃ歩けない可能性あるなって」 背負子に座布団をセットし、座るように勧められて、司書は涙ぐむ。 「ありがと……」 「いや、司書さんさえ良ければおんぶしてもいいんだけど、それだと何かセクハラっぽい気がして」 「そんなことないけど……。むしろラッキーというか大歓迎というか待ってましたというか……」 たしかにセクハラっぽい。この場合、被害者は健のほうであるが。 「これなら俺も両手使えて動きやすいしさ。それに、背中合わせに人がいると、怖くないだろ?」 「くうう……! なんてジェントルなのかしら〜。おねーさん感激!」 かくして、というか、いつまでじらせるんねん、というか。 そんなこんなでようやく、竜刻保管室への扉は開かれたのである。 ACT.2■竜刻幻想 静まり返った室内は、古い教会の、聖遺物が置かれた一角を思わせた。 さまざまな形態の膨大な竜刻が、半透明の特殊な匣に納められ、ぎっしりと並べられている。ひとつひとつに、回収場所と回収時期、回収に至る経緯、その依頼を受けたロストナンバーの名を記したプレートが添付されており、すべてを確認しようとすると、どれだけの時間がかかるか、見当もつかない。 「広い部屋だな……。迷路みたいだ」 匣と匣の間の空間が、そのまま通路になっている。司書つき背負子を軽々と背負った健が先頭を歩き、司書は懐中電灯で健の足元を照らした。 その後ろを、アマリリス、ジュリエッタ、そして檸於が続く。 檸於くんとしては、入るのは怖いけど、ひとりで帰るのはもっと怖い。それなら、ごっめーん用事思い出した、俺、先に帰るわ、と言えばいいわけだが、生来の生真面目さゆえ、そーゆーことも出来ないタイプなのであった。 「…cdcmづおぉぉう…mcだぁcdksげほっ」 ふと前を見た檸於くん、ちょうど懐中電灯の向きを変えようとした司書が、下から自分の顔を照らしたのを目撃してしまった。なんという恐怖。あやうく絶叫するところだった。 なお、司書に全然悪気はないので、自分自身がホラー状態になってるとは気づかず、きょとんとしている。 「どうしたの、檸於くん?」 「げほごほっ。や、ちょ、ちょっと、埃っぽいかなって」 「そうねぇ……。ひとの出入りも少ないし、頻繁にお掃除するわけにもいかない場所だものねぇ……」 司書はあっさりと誤摩化され、小首を傾げた。 「竜刻はどれも、美しいな」 アマリリスが、照明の代わりにと翼を輝かせた。一行の周囲が白銀の光で包まれ、匣の中の竜刻がくっきりと浮かびあがる。 崩れた神殿の煉瓦。呪われた伝説を持つ剣と盾。崩壊寸前の古い王冠。半分に割れた手鏡。ひしゃげた指輪。 もう、竜は滅びたというのに。 その遺骸は強い魔力を宿したままに、今もヴォロスの人々を支配している。 (この膨大な力……。『恐怖』の対象であるともいえようか) 「今のところ、不安定になっている竜刻は見当たらないようだな。実際に泣いている女性がいるのなら、慰めたいところだが……。さて、本物の女性かな?」 検分を続けるアマリリスに、 「げ、原因がなければ、結果は表れない。つまり、ゆ、幽霊が出るとしたら、それなりの理由が必要なんだと思うけど……」 めいっぱい勇気を振り絞り、檸於が言う。 「この部屋でかつて、竜刻の暴走による犠牲者が出た……、とかいう事実はないんだよね? だったら」 ここに幽霊なんて出るはずがない、と続けようとしたのだが、檸於くんのガラスハートを知る由もないアマリリスさんは、クールな推理を展開する。 「世界図書館で亡くなった女性の幽霊ではないとしても、竜刻回収の際に亡くなったひとの幽霊かもしれない。無難なところでは、集まった竜刻の力により生みだされた女性の幻影。もしくは、0世界に転移したばかりの幽霊系ツーリストかな」 「あぁ……。竜刻って、すげぇ念とかこもってそうですもんねー……。ですよねー……。それに、幽霊系ツーリスト……、ああ、うん、やっぱり幽霊」 少しずつ追いつめられていく檸於くんに、ジュリエッタたんの救いの手が差し伸べられた。 「わたくしは、竜刻なり幽霊なりが原因ではなく、建物の内部そのものに穴が空き、空気が入って異音を発するのではと考えたのじゃが」 「あっ、それ。きっとそれだ! その通風孔がどこかの部屋と繋がって声が聞こえたとか! よし終了!」 「怪異など、恐れるに足らぬ。何かの恨みを持つ幽霊がいたのなら、この部屋にある竜刻を使い、とっくに全ターミナルを破壊しておろう?」 「だよね!」 「ここは真実を確かめるのみじゃ! 壁や天井をくまなく調べてみようぞ」 ジュリエッタのマルゲリータと健のポッポが、羽音を響かせ、飛び回った。 オウルフォーム特有の視覚を用いて、竜刻保管室の隅々を、まるで、そう、事件現場の鑑識課員のように調査したのであるが。 「……空気穴は、ないみたいだな」 健が言う。 「うむぅ。この部屋の壁は、ことさら厚く作られておって、ひび割れひとつない。ロストナンバーによる結界まで張られて、セキュリティは完璧じゃ」 「そんな……」 これで帰れると思っていた檸於が、がっくりと肩を落とす。 「映像の再生現象が起こったら、手がかりになるんだけどなぁ」 比較的大きな竜刻の前で、健は腕組みをした。プレートによれば、とある神殿の煉瓦として使用されていて、暴走寸前のところをごく最近回収されたらしい。澄んだ薄紅色の、ピンクサファイアのような輝きを放つ竜刻である。 「だけど、こんなに守りが堅いなら、外部からの侵入者のセンはなさそうだな。世界樹旅団の関与を、疑ってたんだけど」 「なるほど。世界樹旅団であれば、動機は持っている。しかし彼らは、0世界にはまだ……」 アマリリスが考え込む。 「うん。これは、あるひとから聞いた噂だから、なんともいえないけど……。ハンス以外の世界樹旅団関係者が、0世界に来たことがあるらしいって。なら、一番狙われるのはここだろ?」 「それはどうであろうか。世界樹旅団は、荒っぽい印象があるがのう。0世界の場所を知ったなら、侵入などまだるっこしいことはせずに、全面攻撃を仕掛けてくるのでは……、む……?」 ジュリエッタは、言葉を切った。 すすり泣きが、聞こえてきたのだ。 出して……。出して……。 ここから、出して……。 わたしは、恋人たちを……。 ACT.3■小さな恋のメロディ ――その映像は、突然、現れた。 健の目の前に映し出されたのは、幼稚園時代の小さな自分と、隣席の、かわいい佳乃ちゃん。 さらさらのおかっぱ頭に天使の輪。おしゃまな笑顔。小さな口元からのぞく八重歯。大好きだった佳乃ちゃん。佳乃ちゃんがいるから、幼稚園に行くのが楽しみだった。お遊戯。積み木遊び。毎日がとても、しあわせで……。だけど。 (ごめんね、けんちゃん。もう、けんちゃんとあそべないの) (なんで? おれ、なにか、わるいことした?) (ううん、けんちゃんはわるくないの。だけど、そらくんが、ぼくいがいのおとこのこと、もう、あそんじゃだめって、いうの) (そらくんが……) (そらくんのこと、だいすきなの。そらくんに、きらわれたくないの。だから……、ごめんね) 反転。 入れ違いに現れたのは、昨年の烙聖節に行われた宴の一幕。 あれはヴォロスの辺境、『栄華の破片』ダスティンクル。ゆらめく七種類のランタンの炎。 あのとき、タキシードで盛装した健は、D嬢に手を差し出したのだ。 (Dさんとは何度か一緒の依頼になったよな。ほら、ブルーインブルーのお祭りも……。俺、さ。Dさんのことが気になるんだ……とても) (ごめんなさい……ちょっと、休憩) 「うぉぉぉ、つれぇ~」 健は悶絶した。 「誰だよぉ、こんなKIRINの記憶再現しやがってぇぇーーー。そういや俺から佳乃ちゃんを奪ったのは、宇宙と書いて「そら」と読む、つまり宇宙(そら)くんだった、とか、ものすごいどうでもいいことまで思い出したぞぉぉぉーーー!!!」 「おちついて健くん! 強く生きるのよ! あたしも今、ふわもこロストナンバーさんにプロポーズして振られるシーンを108回連続でリピートされたけど、明日という日は明るい日と書くのよ!」 司書のいうことは、まったく何の慰めになっていないわけだが。 アマリリスの前に現れたのは、20代のころ、同僚であった将だった。 すらりとした立ち姿、隙のない身のこなし、すばらしい剣さばき。 強い男だった。美しい男だった。表情の変化のひとつひとつが、さりげない所作が、好ましかった。 そう、アマリリスは、彼と恋をした。 だが、彼は、異種族だった。 ……そして、種族の壁は越えられなかった。彼は、家同士が決めた女性と結婚した。 「ふふ、懐かしいな。久しぶりに思い出したよ」 しかしアマリリスは、傷ついたふうでもなく、微笑む。 「あの当時は、それは悲しかったが……。今となっては、とても懐かしい、遠い想い出だ」 感謝したいくらいだ。 本当に……、懐かしい、と、アマリリスは繰り返す。 「ふむ。どうやら皆、過去の悲恋の記憶を見せられているようじゃな」 ジュリエッタは冷静に分析する。 「これは、すすり泣きと関連があるのかのう?」 「ジュリエッタたん。そんなに落ち着いてるってことは、もしや、振られたことがないのね?」 「いや、それなりにあるぞえ。何やら2、3、記憶が蘇ったが、わたくしは、振られたことはまったく気にしない主義なのじゃ。細かいことにとらわれていては前に進めぬではないか」 「まー! おとこまえなのね〜」 ちなみに檸於くんは、幼稚園の頃、好きな子に「さんばんめにすき!」と無邪気に言われたそうです。 だ け ど ちゃんと彼女さんがいるリア充の檸於くん的には、そんな甘酸っぱい過去映像よりは、すすり泣きの恐ろしさのほうに翻弄されるわけで。 出して……。 出して……。 ここから、出して……。 わたしは、恋人たちを……。 しあわせに、したいのに……。 「は、ははははは。誰に迷惑をかけてるわけでもないし、思いっきり泣かせてあげればいいんじゃないかな!?」 恐怖のあまり、爽やかな笑顔でまとめに入っちゃう檸於くんだった。 「ベストを尽くす=解決ではないと思うんだ! それに、謎は謎のままの方が美しい……、って、誰かが言ってた。うん言ってた!」 「あの……。はじめまして。しあわせな恋をなさっているかたと、お見受けいたします」 「ん? まあね……、って、誰ーーーーーー!!!!!」 薄紅色の竜刻から、ゆらり、と、現れた女性に、いきなり話しかけられて―― とうとう。 とうとう……! 檸於くんは、世界図書館中を揺るがす大声で絶叫した。 ACT.4■しあわせのピンクサファイア 消え入りそうに白い肌。ほっそりした身体を覆う、薄紅色の長い髪。 どうやら、彼女が、怪異の原因であるらしい。 髪と同じ色の薄紅の瞳に涙を浮かべる彼女の手を、アマリリスはしっかりと握った。 「ここにいるのは、何か、深い事情があるのだね?」 「はい……、実は」 彼女はヴォロスに転移した、ロストナンバーであるそうだ。 精霊のような存在の、彼女の本体は『石』。ピンクサファイアに似た鉱物だという。 たいへん不運なことに、小さなピンクサファイアは、同色の大きな竜刻に密着するように転移してしまった。 それゆえ、竜刻ともども回収されて、ここに保管されたということらしい。 暴走しかけた竜刻の影響でずっと気を失っており、目覚めたときには匣の中だったので、ひどく驚いたそうな。 彼女を連れ、一行は世界図書館ホールに戻った。 檸於くんは恐怖のあまり気絶しちゃっててアマリリスさんが肩を貸しているし、無名の司書も同様に健くんの背中でエクトプラズムを吐いているが、それはそれとして、報告かたがた、リベルに引き合わせたのである。 「お騒がせして、申し訳ありません……」 わたし、ドーリスと申します、と、彼女は深々と頭を下げる。 「こちらこそ、回収と同時に保護依頼をだすべきところを、気づかずに失礼いたしました」 報告書をしたためようとして、リベルはふと、その手を止める。 「恋人たちをしあわせにしたい、と、仰ったそうですが?」 「はい。わたしたちの種族は、しあわせな恋を守護する立場にあるのです」 「そっかぁ! ピンクサファイアってあれだよね、美の女神ヴィーナスの石でラブチャンスを導いてくれて遠距離恋愛も守ってくれてグレードの高い恋愛を呼び込む力があるパワーストーンだものね!」 司書が現金にも、がばっと起き上がる。 「……異世界の鉱物のことは、存じませんが……。恋の守護もままならない状態を嘆くあまり、皆様の悲恋の記憶を喚起してしまい、申し訳ありません」 おわびにこれを、と、ドーリスは、手のひらに薄紅色の宝石を4粒、出現させた。 「皆様の恋が、しあわせでありますように」 宝石を手に、アマリリスはふっと笑う。 例の将との悲恋から五十年を経たころ、彼の孫にあたる青年が「一目惚れしました。俺と結婚して下さい! 祖父の果たせなかった願いを叶える為にも!」とやってきたのだ。思わず吹き出してしまい、諭したけれども、彼は納得しなかった。そして、懲りずに何度も何度も口説きに来たのだ。 ……アマリリスが覚醒するまで。 (根性のある、美しい男だったが、今ごろどうしているかな……) ジュリエッタは、ずっとスタンバっていたトラベルギアを、そっとしまい込む。 以前、このギアで、竜刻使って竜を出しちゃったスペクタクルな過去があり、うっかり竜刻保管室で使用するとなにが起こるかわからないので、よほどの緊急時でない限りはと、自粛していたのだった。 ――もっとも。 使用したとしても、無名の司書にだけ雷が命中するとか、建物が破損したら司書が弁償するとか、そんなオチになったかも知れないのだが。
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