オープニング

 ターミナルの『夜』――
 夜は、あったほうがいい。ターミナル全体が、安らいだ眠りにつける気がする。
 ずっと、そう思っていたのだけれど。
 今日は、なかなか眠れない。
 なぜだろう。
 記憶の海に沈んだはずの、『あのこと』を思い出すからか。
 セピア色の風景の中の、『あのひと』を思い出すからか。

 何度目かの寝返りを打ったあと、あきらめて外の空気を吸うことにした。
 この店の前を通りがかる気になったのは、今が営業時間外だと知っていたからだ。
 今なら、おせっかいなギャルソンに、強引に店内に引っ張り込まれることも、待ってましたとばかりに、親しげに話しかけてくる黒衣の司書に困惑することもない。
 くつろぐための場所なのだとは、わかっている。
 だが、あまりにもにぎやかで、くったくのない笑顔があふれる場には、長居しづらいときもある。

 かまわないでほしい。
 放っておいてほしい。
 そんなときもある。

 日中、さんざめく笑い声が絶えなかったカフェは、蒼い夜に包まれた今、まったく違う様相を見せている。
 ガラスと鉄骨でできた建物は、緑を閉じ込めた氷の城のような、冷ややかさ。
 窓越しに見えるのは、たったひとつ灯されたテーブルランプと、グラスを手に、ひとり何ごとかを考えている店長のすがた。
 ほのかな灯りが照らし出すのは、営業時の緊張を解いて普段着になった、素の横顔だ。

 声をかけるでもなく、扉の前に立つ。
 店長がふと、顔を上げた。

品目ソロシナリオ 管理番号1900
クリエイター神無月まりばな(wwyt8985)
クリエイターコメントこんな時間に、どうなさいました?
ああ、眠れないんですね。
無理もありません。このところ、気がかりな事件が多発しているようですし、そうでなくとも、出身世界のことなどがご心配でしょうから。
……失礼、閉店後のことでこんな格好で。
よろしければそちらの席に、お掛けになりませんか?
私ひとりですので、あまりおもてなしもできませんが、飲み物くらいでしたらお出しできますし……、お話の聞き手にはなれるかと思います。

 * * * 

夜のターミナルで、気がかりなことを思う、あるいはご自身の過去のワンシーンを思い出すなどのシチュエーション向けです。
シリアスな内容のほうが適していそうですが、そのへんはお好みで。
※ラファエル以外は登場しません。

→椅子に腰掛け、話をする。
→誰かに話す気にはなれず、その場を去る。

どちらかをお選びください。
カフェに入った場合は、会話の応酬を交えた内容として構成いたします。
入らない場合は、あまり会話は発生せず、お店を後にしながらの、過去描写、心理描写となります。

※「ターミナルナイト期間中」かどうかはわかりません。臨時の「夜」かも知れませんので、時期の整合性はお気になさらず。
※非公開設定の描写の可否をお書き添えくださればうれしいです。
※プレイング受付日数は3日となっております。

眠れぬ夜、あなたは何を想うのでしょう?

参加者
ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)コンダクター 男 35歳 ミュージシャン

ノベル

【副題】Magenta ―不可視の審判―

 今宵の空は、秘密めかした春の夜が演じられている――ように見えるのは、いささか穿ち過ぎだろうか。
 思うさま湾曲した三日月は、死神が振りかざす冷酷な鎌の切っ先にも似て、街路を彩る花水木の可憐な薄紅を蒼ざめさせる。
 ふいと姿を消した気まぐれなセクタン、ザウエルを、気まぐれに探していたムジカ・アンジェロが、クリスタル・パレスの前で気まぐれに立ち止まったのと、店長がグラスを片手に席を立ち、扉を開けたのは、ほぼ同時だった。
「……なるほど。ムジカさまでしたか」
 ムジカと視線が合うなり、店長は大きく頷いた。これで気が済んだとばかりに、あっさり、扉を閉めようとする。
「納得いたしました。散策のお邪魔をして申し訳ありません。では、良い夜を」
「おいおい」
 ムジカはさらりと腕を伸ばし、扉を押さえた。
「何がどう、納得なのかな?」
「さきほどから、音楽が聞こえてきたような気がしておりまして。シューベルトの『魔王』のようでもあり、あるいは、荘厳な聖歌でもあるような」
「『魔王』と聖歌は相容れないと思うが」
「ムジカさまの内なる音楽を、私の空耳がそうとらえたということです」
「だったら、気まぐれで落ち着きのないセクタンが、今どこにいるかも感知できるかい? 横に肥えたマゼンタ色のセクタンなんだが」
「さあ、そこまでは私には。マゼンタは『見えざる色』だそうですから」
「たしかに、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、そう言ったらしいけれども」
 虹の七色は赤・橙・黄・緑・青・藍・紫であるのだが、端と端の色、赤と紫を繋ぐ色は、虹の光のプリズム内にはない。その色こそが赤紫――マゼンタだ。ゲーテはそれを「見えざる色」と表現した。
「はたしてそれが、セクタンの性格にまで適用できるものかどうか」
「気まぐれなのは、天使の名を持つ旅人に属しているからかもしれませんしね」
「それをいうならあんただって、癒しを司る大天使の名前を持っているだろう?」
「名前負けですよ。せめて、どなたかの癒しになれれば良いのですが、なかなか難しいですね」
「お互い、天使ではないからね」
 他愛のない世間話のような、それでいて、無味無臭の猛毒をひとしずく、クリスタルの小瓶に閉じ込めたようなやりとりは、そこで終わった。
 ムジカは微笑を崩さずに、扉を押さえていた手を放す。そして、風を受け流す若木さながらに歩き去る。
 それではまた、とも言わずに。
 店長も、よろしければ営業時間内にお越しを、と言うでもなく、夜に溶ける長身を見送るだけだ。

  † † †

 ムジカは、そのまま帰路に着く。
 懐におさめていた写真を取り出し、静謐なまなざしを落としながら。
 想いびとの記憶が焼きつけられてでもいるかのように、丁重に指先に挟まれた写真には、黒く焦げた焼け跡があった。
 うすら寒い“死”を感じさせるそれは、ある写真家の作品だ。
 とても近しく感じる男だが、親友という表現も相棒という表現もそぐわない。そのありようは、共犯者と呼ぶのが一番しっくりくる相手である。
 彼の眼は、それ自体が無情なレンズのように、冷酷な客観で裏打ちされている。彼が隣に在るだけで、ムジカはひどく落ち着く自分を自覚する。それは情緒や感傷をそぎ落とした諦観に近い。
 不意に――
 ほのかな水の匂いが、鼻腔に広がる。 
 女の吐息のような湿り気が、珊瑚色に染めた髪を濡らして絡みつく。
 ようやくムジカは、自分が今、水路にかかる橋のうえを通り過ぎようとしていることに気づいた。
 水路が張り巡らされた閑静な区画は、壱番世界が夏の盛りの季節には水遊びの場となっていた。はじけるような明るい笑顔と、輝く飛沫と、じゃれてはしゃぎあう声がよく似合う一角だ。
 だが、この水路の全貌を知るものはいないだろう。誰が作ったのか、どこに繋がっているのか、暗渠の中に何が潜んでいるのか。
 世界図書館は、聞かれてもいないことを自ら開示はしない。
 たとえ聞かれたとしても、不都合なことには答えない。
 アーカイヴ遺跡を調べるものがいなければ、チャイ=ブレの存在さえもおぼろげであったように。

 ジェロームポリスの一件以来、ムジカは、世界図書館に虞を抱いている。
 果たして、あの作戦に参加した何人がアンドレイ・ロウへの非道を知っていただろう?
 無知の恐怖に震えるものや、自らの残酷な優しさを自覚するものがいなかったとは、思いたくないけれど。
(ベンジャミン・エルトダウンは、リタイアして正解だった)
 だが、自分が他世界への再帰属を望んでいるかと問われれば、迷わず首を横に振る。
 戻るなら壱番世界――弟の生きた世界へ戻りたい。

 水面に映りこんだ月は反転し、魔女の笑みをかたちづくる。
 あでやかに紅を引いた唇がほころぶ。
 甘やかな秘めごとめいて囁いてくるのは 獣皮を切り裂いて骨をまさぐり、関節に差し込んで筋を断つ、ハンティングナイフを思わせる非情な提案。
 黒く焦げた写真には、ごくわずかに、人の形をうっすら残した部分があった。
 そっと口づけてから、写真に火をともす。
 ゆらり、と、燃え上がるさまに、炎上する都市が重なった。塵となって、水路の流れに消えて行く。

 彼のことは、決して嫌いではなかった。
 それどころか、好意さえ抱いていた。

 遥か水平線を焦がして沈む太陽。豊かな生物相と恐ろしい海魔。荒くれ男たちの怒号。嵐の海に翻る海賊旗。血と硝煙と陰謀の海を、鮮やかに潮風が吹き抜ける、あの世界。
 しかし――

 “海原に、皇帝など必要ない”
 自由を謳う王こそが、相応しい。

 塵となった写真はさらさらと、水路の流れに消えて行く。
「おやすみ、好い旅を」

 それは、旅人であるがゆえの、別れのことば。

クリエイターコメント【店長よりひとこと】
ムジカさま、その節は、たいへん失礼いたしました。
あの後、セクタンは見つかりましたか? 気まぐれなセクタンのことですから、いつの間にか戻ってきているかもしれませんね。
ところでマゼンタは「ケアするひとをケアする色」でもあるそうです。
ムジカさまは、もしかしたら、ひと知れず何ごとかに深く関わりケアしていた――かどうかは、私にはわかりかねますが、そう考えますと、セクタンこそが、ムジカさまにとっての癒しの天使……?
(なんかいいこと言おうとして、しかしそこまで言い切るのもちょっとどうかと思って口ごもった)

いいそびれてしまいましたが、よろしければまた営業時間中に、あるいは、営業時間を過ぎてもかまいませんので、お訪ねいただければうれしく思います。
……いえ、あの、営業トークというわけではなくてですね……(やはり口ごもった)
公開日時2012-05-11(金) 23:30

 

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