『雨』が上がったあとのターミナルは、空気が洗われていて、一種独特だ。 思い切り泣いたあとのような、不思議な晴れやかさを持っている。 相沢優は、珍しくひとりきりでターミナルを歩いていた。特に行くあてはない。 もしかしたら、新しい依頼が出ているかもしれないけれど、今日は、図書館ホールへ行く気にはなれないし、リトル・コヴェント・ガーデンのお気に入りの店で、面白グッズを探す気にも、なれそうもない。 トラベラーズ・カフェへ出向いても、気晴らしになるかどうか。 考えなければならないこと、気がかりなことが多過ぎる。 ――館長公庭のオープンガーデンでの、あのとき。 公邸の裏手にあった『妖精の庭』。暗い森のようなあの場所に、優はそっと忍び込み、木立の中に古めかしい扉を見つけた。 扉を開けてみれば、その先にあったのもまた森。じわりと湿った空気の森。 おもちゃの兵隊に阻まれて、優の探索はそこで終わってしまったが……。 赤の城の宴で、ロバート卿に示された謎掛けの答は、まだ見つからない。 そして、ベイフルック邸で、アリッサが言ったあの言葉――真なる契約。 あのとき優もまた、薔薇を一輪、摘んだ。(それに――) そう、優には、その心の多くを占めていることがらが、まだある。『彼女』が拉致されて以降、ブルーインブルー特命派遣隊を経ての、ジェローム・ポリスでの一連のできごと。 何とか『彼女』を救出することは出来た。 だが、お互いの課題はまだ、残っている。 気づいたときには、プラットホームへ向かっていた。 チケットを持っているわけでもないのに、ロストレイルの発着するところを見たくなったのだ。「ねーねー。さっき、乙女座号から、ロバート卿が降りてきたよ」「へー、珍しいね」「なんか、館長に用事があるみたい」 行き違うロストナンバーの少女たちの会話を、聞くともなしに耳にしたとき。 仕立ての良い白のスーツを着こなした紳士が、遠目に見えた。 気品のある、印象的な立ち姿。少し癖のある金髪。見間違いようがない。「ロバート卿……!」 優は思わず、駆け寄っていた。 何も、そんなに息を切らさなくても、と、ロバート・エルトダウンは笑う。「だ、だって、このチャンス、を、逃がしたら、お話する機会、ないじゃない、ですか」「神出鬼没なのは、きみも同様だと思うけれどね」「あ、あの、今、お忙しいですか? 館長とお約束とか?」「ああ、そんなに急ぎではないよ。ブルーインブルーでのことについて、少し聞いておきたかっただけだから。アリッサでなければ、という内容でもない」「俺が知っている範囲でよければ、お話できますけど」「……なるほど。それもいいね」「よろしかったら、お茶しませんか? ロバート卿にはいつもお世話になっているので、今日は俺のおごりです!」「きみが?」 とても意外なことを聞いたふうに、ロバート卿は目を見張ったが、それは一瞬のことで、すぐに、その口元に笑みが戻る。「はい。どんなお店がいいですか? どこか行きたいところとか、ありますか?」「ターミナルの店舗には、あまり詳しくなくてね。ではせっかくだから、きみのおすすめのカフェへ案内してもらおうかな」 その提案を受けて、優はロバート卿を、クリスタル・パレスへいざなう。 ちょうど客足の切れ目にあたっていて、店内に他の客はいなかった。 ふたりを迎え入れた店長は、気づかれないように外へ出て、そっと「本日貸切」のプレートを下げる。「アフタヌーンティーは、アンナ・マリア・ベッドフォード公爵夫人が、夕食までの時間をこらえきれなかったのが発祥だそうだよ」 席につくなり、そう言ったロバート卿は、いささか上機嫌に見えた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>相沢優(ctcn6216)ロバート・エルトダウン(crpw7774)=========
:-:+:-Sandwiches 「ずいぶんとクラシックな、アフタヌーンティーセットだね」 優のオーダーを受け、艶消し銀のティースタンドと、アンティーク・ウエッジウッドの、アルトナバードのティーカップ&ソーサーが運ばれてきた。 ロバート卿がクラシックと言ったのは、その調度のことではない。三段重ねのティースタンドにセットされた、これも古いウエッジウッドの、手描きで鳥が描かれた皿の上に乗っていたサンドイッチが、新鮮なきゅうり「のみ」を使用したものだったからだ。 「所持する農園から収穫したばかりの、旬の野菜をサンドイッチにし、アフタヌーンティーを楽しむというのは、一部の階級にのみ許された、大変な贅沢であったそうで」 店長が言葉を添え、ロバート卿は頷く。 「たしかにね。現代人はもう、きゅうりのサンドイッチにステイタスを見いだしたりなどはしないけれども」 きゅうりのサンドイッチをつまみあげ、ロバート卿は、おや、という顔をする。 「これは、館長公邸の、キッチン・ガーデンのものかい?」 「そういうわけにもいきませんので、同じ品種を、裏口付近のささやかな菜園で育てております」 「へえ。ここ、ミニ菜園ができたんですね」 優は、勝手知ったる裏口方向を見やる。 「じゃあ、モリーオさんが通いで手入れしてたりして」 「よくおわかりで」 「……美味しい!」 サンドイッチを口に含むなり、優は目を見張った。 「……え? これ、本当にきゅうりですか? みずみずしくて甘くて、フルーツみたいですよ?」 『みどりの手』を持つ世界司書の仕事ぶりは、優に、オープンガーデンが開催されたときの、庭師たちを想起させた。 「そういえば……。アリッサ館長にオープンガーデンの提案をなさったのは、ロバート卿でしたね。あのときはありがとうございました」 「御礼を言われるほどのことは、していないけれどね。楽しめたかい?」 「はい。見ごたえがある庭ばかりでした。それに」 優は、少し声を落とす。 ――非公開の庭も、少しだけ、見ることができました。 謎かけの答には、たどりつけなかったけれど。 いつか必ず、到達してみせる。 だが、その決意を今は、言葉には出さない。 :-:+:-Scone 焼きたてのスコーンは、プレーン、チョコチップ、いちじくと胡桃の、三種類が用意されていた。なめらかなクロテッドクリームとヴィンテージマーマレード、シャンパン入りストロベリージャム、マスカットと白ワインのジャムが添えられている。 二つ割りにして、たっぷりのクロテッドクリームを塗りながら、優はふと言った。 「スコーンはぱさぱさしてて好きじゃない、っていうひともいますよね」 「それは、クロテッドクリームを少なめに塗っているからじゃないかな。スコーンはそのままでは未完成で、クロテッドクリームとジャムで完成させる、とは、よく言われるところだ」 ロバート卿がプレーンのスコーンをひとつ、食べ終わったころには、優は、ブルーインブルーとジェロームポリスにおける、自分が関わった一連の出来事のあらましを、『彼女』との関わりも含めて、ほぼ、語り終えていた。 「なるほど。よくわかった。きみは、説明が巧いね」 「――そんなことも、ないと思いますけど」 「それにしても、炎の弾丸のように破天荒なお嬢さんだ。……非常に、惜しい」 「惜しい、ですか?」 「ああ。彼女が誰とも連携せず、徹底した単独行動を貫いたことが。そして、一連の行動が、プライベートの域を出ない動機に裏打ちされていたのであろうことがね。この特出した行動力に、ほんのわずかでも、きみの思慮深さが加わっていたら、そして、ほんのひとかけらでも、沈没大陸の謎に関心を持ってくれていたらと思うと、残念でならない」 「彼女なりの覚悟に裏打ちされてのことだと、俺は思っています」 「いや――優。それは、覚悟ではないよ。自分の命を賭すだけなら、誰にでもできる」 年若い弟を諭すかのような、どこか哀しみのこもった呼びかけに、優ははっとする。 「だがその結果、護るべきものを失ったり、思わぬ犠牲が出る事態は、ことを起こす前に当然、想定しておくべきだ。イレギュラーな行動を行えば、甚大な被害が出る可能性は高い。たとえば、自分の行動がきっかけで、罪もないひとびとを死に追いやることになったとき、どうするか。行動の結果として受け止めることができるのか。最悪の事態の中で、最良の判断をすることができるのか。それが覚悟だと、僕は思う」 「辛辣ですね」 「これでもかなり、表現をやわらげたつもりだよ。何といっても僕は、活動的で大胆なお転婆娘に弱いし、甘いのでね。エヴァしかり、アリッサしかり」 ロバートはふっと笑い、優もつられて緊張を解く。 「レディ・カリスは、その、お転婆娘だったんですか……?」 「今のアリッサのほうが淑やかなレディに見えるくらいにはね。手綱なし、鞍なしで馬を乗りこなすくらいは朝飯前、やんちゃで生意気で、ひとところにじっとしているのが大嫌いな少女だったよ。僕も若かったので、それがとても好ましいと、思っていた時期もあったのだが」 ――悪いんだけど私、あなたのことが苦手なの。あまり、一緒にいたくない。 「そんなことが」 「……ひどいだろう? 『嫌い』ならまだしも『苦手』ときた」 「どうしてでしょうね。俺は、ロバートさんのことを嫌いじゃないし、むしろ、好きですけれど……」 正義感の強い真面目な女の子だと、どこか反発を感じる部分があるのだろうか。ロバート卿を敬遠している友人の顔が、ふと思い浮かんだ。 「僕の話はともかく、きみの恋人のことだが」 「はい。綾とは覚醒直後からの付き合いで、今までに色々なことがありました。彼女はパスを手放して、ブルーインブルーに向かい、もう帰って来ないつもりです」 「パスの返却、ね。それが可能かどうかは微妙なところだが、気持ちの問題ということかな」 「俺がどんなに言っても、綾はきっと止まりません。そして俺は、綾と一緒には行けない。綾と同じように俺も、自分の目的を、綾のために捨てることはできないから」 「優」 ゆ、う。――と、ゆっくり、ロバートは呼びかける。 「残酷なことを、言うようだけれども」 「かまいません。言ってください」 「きみから聞いた話を総合すると、すでに彼女の中では揺るぎない結論がでているようだ。きみのいうとおり、誰がどう懇願しても引き止めることは不可能だろう。それならば」 青い双眸が、まっすぐに優を見る。 「きみたちの恋は、もう終わっている」 「……!」 「つらいだろうけど、認めなければ、きみがかわいそうだ。自らが招いた悲劇と向き合うために果敢に旅立つ彼女ではなく、残されるきみが」 言葉を返さずに、優は、窓を見る。 その視線を追い、ロバートは呟く。 「虹が、見えるね」 「ええ。綺麗ですね」 雨上がりのターミナルの空に、しかし今、虹の演出はない。 だがたしかに、優は、虹を見た。 目尻に浮かんだ水滴が、七色のプリズムを、形づくったのだから。 :-:+:-Pastry 「薬蜜」を使用した、優しい甘さのパウンドケーキを食べ終わったとき、優の気持ちはかなり落ち着いていた。 カフェの緑を改めて眺めることができたのも、観葉植物のひとつが、ロバート卿の弟と同じ名の「ベンジャミン」であると思い至ったのも、その余裕からだった。 「この前、偶然に――本当に偶然だったんですが、ロバートさんの弟さんに会いました」 「そのようだね。苦笑しながら報告書を読ませてもらったよ」 意味ありげな笑みを浮かべるロバートと、螺旋飯店の支配人の含み笑いが重なる。 よく似ている、ともいえない兄弟なのだが、何故か、そんな表情には共通項があった。 「失礼でないようなら、少し、ベンジャミンさんのことを聞きたいんですが」 「かまわないよ。彼はもう『ファミリー』ではないのでね」 「ときどきは会ったりとか、してたんですか?」 「いいや。会おうと思えば可能だったが、もう20年近く顔も見ていない。だから、僕の記憶の中のベンジャミンは、天使さながらの容貌で、悪魔のように口の悪い、18の少年のままだ」 ――僕は小さなころから、ずっと、弟か妹が、ほしくて、ほしくてね。 実母を亡くしてからも、母親は誰でもかまわないから、弟も妹もたくさんほしいからなんとかして、と父に言って、ひどく怒られたことがあったくらいでね。 「17年も待たされて、やっと、弟という存在に恵まれたものだから、それはそれは可愛がったものだよ。弟のほうは、兄の過干渉にうんざりしていたようだが」 「ベンジャミンさんは、どうして、インヤンガイに再帰属を?」 「それについては、成るべくして成った、としか、言いようがないね」 ぼくは、そこに謎があれば、解かずにはいられない。 ここにいたら、すべてを明るみにしてしまう。 あなたたちが隠しておきたい世界図書館の謎を何もかも、すべて暴き立ててしまう。 だからぼくは、何も知らない今のうちに、ターミナルを離れたい。 ぼくが悪趣味な探偵でいられる世界へ、帰属しようと思うんだ。 「本人の適性や嗜好も大きいが、両親や僕と距離を置きたかった、というのもあるかも知れない」 アスコットタイを緩め、ロバートは首筋を指し示す。 なめらかな皮膚に咲く、紅薔薇の刻印にも見えるそれは、鋭い刃物の切っ先が幾度も交差したかのような、古い傷痕だった。 「それは……!?」 「なに、昔の話だよ。ベンジャミンの母親が、生まれたばかりの彼を、手にした花鋏で殺そうとして、それを止めたときのね」 (この子には、あのひとの亡霊が憑いている。だからほら、こんなにあのひとに似ている。わたしには少しも似ていない) (二度とこんなことをするな。もし、この子を殺そうとするなら、そのときは僕が、貴女を殺す) 「花鋏を奪い取り、平手打ちを喰らわせたあたりで、間の悪いことに、外出中だった父が帰ってきてね。何があった、と聞かれたけれど、義母も僕も、何も答えなかった。僕は血まみれだったし、義母の頬は腫れ上がっていたしで、おおよその察しはついただろうけど」 ――もともと、父とはあまり折り合いが良くなかったのだけれど。それ以来かな、お互いを避けるようになったのは。 息を呑んでうつむいた優に、何でもない世間話のように、ロバートは言葉を重ねる。 「ところでベンジャミンは、報告書を読んだ限りでは、いい年をしてまだ独身のようだが?」 「あ、はい。そうだと思います」 「こう……、特定の恋人がいるとか、インヤンガイの不特定多数の女性と関係を持っているとか、そういう形跡はなかったかい?」 「うーん? そんな感じは全然しませんでしたけど」 男女の情愛などを超越した、生活感のまったくない、孤高の名探偵の横顔が思い浮かぶ。 「……そうか。残念だ」 ロバートのあからさまな落胆ぶりに、優のほうが驚いた。 「何がですか!?」 「僕を『おじさま』と呼んでくれる存在は、当分、増えそうにないね……。ベンジャミンは可愛くなくなってしまったが、彼の子どもなら、さぞ、可愛いと思うのに……」 「……あの、ロバートさんって」 「うん?」 「ベンジャミンさんには、普通の、お兄さんなんですね」 「どうだろう? 元気でやっているのなら、それでいいのだけれども」 好きなように、生きるがいい。 元気なら、それでいい。 きみがいなくて、さびしいけれど。 :-:+:-Darjeeling tea ダージリンが紅茶のシャンパンといわれるその理由がしみじみわかる、上質の紅茶を堪能したところで、雨上がりのお茶会は、終焉を迎えつつあった。 「ごちそうさま」 ふたり分の会計を済ませた優にそう言ったあとで、どこか面映そうに、ロバートは店長を見る。 「……といえばいいのだろうかね? 誰かにおごってもらったときには」 「よろしいのではないかと思いますよ。――相沢さま。いつもご贔屓くださいまして、まことにありがとうございます」 バトラーさながらの礼を、店長は執った。 「おつきあいくださって、うれしかったです――あの」 席を立ちながら、優は言う。 「機会があれば、またこんなふうに、お茶を飲みませんか?」 「もちろん」 ロバート卿の返答は、澱みがなかった。 「アンナ・マリアの誘惑を拒むような、無粋な男ではないつもりだよ」
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