マンハイムからプラハに繋がる古城街道と、ヴュルツブルクからフュッセンまでをルートとするロマンティック街道は、『中世の宝石』ローテンブルクで交差する。 城壁で囲まれたかつての帝国自由都市は、今もなお中世の面影を色濃く残している。古い石畳の上に連なる木組みの家々を眺め、入り組んだ路地を歩いていると、時間を遡行してしまったような錯覚に囚われる。 峡谷や低い山々、盆地、広大な森林地帯など、地形が起伏に富むドイツでは、ロストレイルの停車場所に事欠かない。 ふだん、仕事や、仕事以外のあれこれに何かと苦労の多いラファエルをねぎらうために、エレナはこの地域を選んだのだった。 ネッカー河沿いの非公開の城、ツヴィンゲンベルク城。葡萄畑の丘の上にそびえるホルンベルク城。バート・ヴィンプフェンの『青の塔』と『赤の塔』など、古城街道を織りなしている旧い城を観賞し、ときには街道から外れ、『いばら姫』の舞台と云われるザバブルク城――ドルンレースヒュス・シュロスホテル・ザバブルクを訪れるなどして、ローテンブルクに至ったわけである。 おりしもドイツは、薔薇の季節だった。 ザバブルク城の薔薇園も見事であったが、ローテンブルクの光景もまた、街中が薔薇で満たされているかのように幻想的だ。 古い様式の家の壁を覆うツルパラはどこを見ても満開で、家々のどんな小さな庭にも、隠された宝石のように、丹精された大輪をいくつも見出すことができた。 マルクト広場に面した市庁舎の、からくり時計が時を告げる。 美しい木組みの家々が石畳沿いに軒を連ねるメインストリートの、十五世紀の建造物を使用したカフェで、エレナとラファエルは向かい合っていた。 磨き抜かれた飴色のテーブルには、ショコラーデトルテと焼きたてのアップルパイ、紅茶とザクセン風コーヒーが、アンティークマイセンのカップ&ソーサーで並べられている。「……これはまた、素晴らしい食器ですね。それに、アップルパイの焼き上がりが絶妙で」「エルちゃん」「はっ、申し訳ありません」 忙殺される日々をひととき忘れるための観光旅行中だというのに、どうしてもふだんの業務を思い起こしては収斂してしまうラファエルを、エレナは可愛らしくたしなめる。「ゆっくりしてもらおうと、思ったのに」「そうでしたね――少々、お待ちを」 席を立ったラファエルは、カフェの店主に意向を告げる。このカフェを構築する赤煉瓦にも、薄紅のツルバラが咲き誇っていたので。「お願いなのですが、薔薇と、薔薇のつぼみを少し、お譲りいただければと思いまして」 快く応じた店主は、惜しげもなく薔薇を摘み、薄紅の花束を渡してくれた。 それを用いて、手際良く花冠を編んだラファエルは、そっと、エレナの髪に乗せる。 淡いピンクのコントラストは、アンティックドールのような少女に新たな華やぎを加え、おとぎの国の小さな王女に変えた。「ありがとう、エルちゃん」「よく、お似合いです。……ところで」 ラファエルはエレナに向き直る。 ここに至るまでの道行きに、いささか、謎めいたできごとがあったのだ。 そう、それは、ザバブルク城での――「ご解説を、お願いしたいのですが。あのとき、ザバブルク城で何があったのか。あれが『事件』であるならば、私は、どんな役割を果たしたのでしょう? それともまったくの部外者だったのでしょうか?」「あれ?」 エレナは小首を傾げる。「エルちゃん、わかってなかったの?」「残念ながら。ふがいないワトソン役で申し訳ないのですが、なにぶんにも、記憶が欠落しておりまして」 † † † 十三世紀の古城は半分をホテルに改装しているが、半分は廃墟のまま残されていた。それがいっそう、異国の旅人たちの心を捉えたとみえて、ザバブルク城を訪れる観光客は引きも切らない。 古城ホテルのフロント近くには、そのいわれにちなみ、古い『糸車』が展示されていた。 そして、糸車はなぜか、ふたつ、あった。(……?) ツルバラが絡まっている片方に、思わずラファエルが手を伸ばした瞬間―― そばにいたエレナが、かすかな悲鳴を上げた。 そして、ラファエルの記憶は、そこで途切れる。 廃墟を照らす三日月。 エレナを包み込んで増殖していく、色とりどりの薔薇。 どこまでが夢で、幻想で、どこからが現実のできごとであったのか、それさえもおぼつかない。どれほどの時間が経過したのかさえも。 気づいたときには、薔薇に満たされた廃墟のただ中で―― エレナは眠っていた。 魔女の呪いを受け、百年の眠りについた、いばら姫のように。 立ちすくむラファエルの前で、エレナはゆっくりと目を開き、言ったのだ。 だいじょうぶだよ。 心配かけて、ごめんね? † † † ハニーブロンドをゆらりと広げ、眠りについた少女が発見されたのは、薔薇庭園とは離れた場所の、十三世紀の城の廃墟部分の中だった。 ――すなわち。 古い石柱しか残っていない廃墟には、薔薇は一輪も存在しないはずなのだ。 ならば。 無数の薔薇がたゆとう海に包まれ、眠る少女、というこの状況は、いかなる理由で実現し得たのか。「あとで確認いたしましたところ、その前後に、観光客等の出入りはなかったそうです。ザバブルク城の薔薇園のバラに、摘み取られた形跡もありませんでした。としますと」 ――廃墟をあれほどに満たした薔薇は、誰が、どこから出現させたのでしょうか。 そして、エレナさまをさらい、眠らせた動機は?「あのできごとにおいて、あなたは被害者で、証人で、目撃者で、そして探偵足り得るのでしょう。しかし、犯人ではありえない」 ご説明いただけますか、と、ラファエルは生真面目に言い、 エレナは紅茶を、ひとくち飲んだ。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>エレナ(czrm2639)ラファエル・フロイト(cytm2870)=========
Howdunit:::*:::これが魔法でないのなら ローテンブルク市庁舎のからくり時計には謂れがある。 かつて、ある軍隊がローテンブルクを陥落したとき、「街に火を放ち、掠奪を行う」と脅迫しながらも、奇想天外な提案を行った。それを避けたければ、ビールの飲み比べで勝て、と。 そして市長は受けて立ち、見事に勝利した。 そのときの光景を、からくり時計から現れる人形かちが再現している。この街を護ったのは、奇跡や魔法ではなく、突出した英雄でもなく、市長だ。どんなに脚色されようと、それは史実に基づいている。 また、グリム童話は、ごく普通の女性が伝承を語ったものを編纂したものだ。グリム兄弟は、ザバブルク城近くに住む婦人の話を数年に渡って聞き取り、『眠りの森の美女』としてまとめた。 百年眠り続けた王女の逸話は、まったくの創作ではなく、古くから語り継がれた民話だった。ひとからひとへ伝えられた物語は、圧倒的な力をもって時を超え、旅人のこころを絡めとる。 「その瞬間、何が起きたのか、ってことだよね」 紅茶の香りに、薔薇の芳香が重なった。 「まず前提として、これは魔法じゃない」 おごそかな神託のように、エレナは告げる。まるで、迷路めいた街路からなる石造りの都市の、夢の守人でもあるかのように。 だが、ここはヴォロスではない。竜刻のちからは及ばない。ドラゴンも魔法も呪いも、大いなる奇跡を秘めた剣も、いにしえの神話や幻想の物語のなかにしか存在しない。 「では、どのような?」 「それは、意識の不連続性によって可能になるの。糸車はふたつ、あったでしょ?」 「はい。ですから、不思議だったのです。ザバブルク城には、その伝承に基づいて、糸車がディスプレイされているとは聞き及んでおりました。ですが、それは『ひとつ』だけであったはずなので」 「どうして、ふたつ、だったのかな?」 「思えば」 記憶を失う前の状況を、ラファエルは懸命に思い起こす。 「糸車はどちらも非常に古いタイプのものでした。宿泊客が間違って刺されて百年の眠りにつかぬようにと、紡錘(つむ)を取り外してあるところまで同じでした。ですが、一点において、相違がありました」 「薔薇、だよね」 「そうでした。片方の糸車にだけ、ツルバラが巻きついていたのです。何かの、メッセージのように」 ――ですから、私は、手を伸ばして。 ラファエルは、はっとした。 「あれは、本当にメッセージだったのですか? それも、伝えたい相手は、私たちではなかった……?」 「うん。薔薇の糸車は、《もうひとつの城》を示唆していると思うの」 † † † こんな小説があるんだよ。 まったく瓜二つの屋敷の片方で、殺人が起きるの。 そして、もう片方では、日常が紡がれていた―― † † † 「何もない廃墟と、薔薇で埋め尽くされた廃墟。そのふたつの間を、あたしたちは移動させられた」 「同じ場所が、もうひとつあったと? しかし」 納得しかねて、ラファエルは考え込む。 「裕福な個人の邸宅ということであれば、そのトリックもあり得るでしょう。ですが、私たちがいたのは、マインツの大司教によって建設され、十六世紀からは貴族たちの狩りの城として使われた、ドルンレースヒュス・シュロスホテル・ザバブルクです。すべてのゲストルームには動物の名前がつけられ、部屋ごとに室内装飾も調度品も違います。仮に、瓜二つの偽物の城を造るにしても、あのような建築を再現するのは不可能です。現実的ではありません」 それこそ、魔法を使わない限り。 しかしエレナは、なんということもないように、にっこりと覆す。 「んー、何もかもそっくりにする必要はないの。十三世紀あたりの建築で、個人所有の非公開の城で、修復していない廃墟部分があるものなら、ダミーとして使えるはずだから」 Whydunit:::*:::薔薇園の罠 ラファエルは、虚をつかれて、まじまじと少女探偵を見つめる。 「何と……」 「だって、あたしがいたのはどこだった?」 「……廃墟。ああ、そういうことですか」 「うん。夜のことだったし、あの日は三日月。だから光源もとぼしかった」 これは、あとでわかったことだけど、と、前置きをして、エレナは語る。 「あそこでは、誘拐事件が起きようとしてたのよ。あの糸車には、犯人から共犯者へのメッセージが仕込まれていたの」 標的となったのは、奇しくもエレナと同じ年頃で背格好の、あるドイツ企業の令嬢。 大切な取引をする場所に、エレナとラファエルは知らずに入り込んだ。 「ということは」 「うん、エルちゃんは共犯者と間違えられちゃったの」 「そう言われるとたしかに……。私は、エレナさまの連れとしては怪し過ぎますから……」 壱番世界へ赴くときのつねとして、ラファエルは翼をたたみ、コートをはおっていた。人目を忍びながらも人目を惹いてしまうその風体は、いかにもわけありに見えたのだろう。 彼らは、ふたり揃って、取り違えられた。 幼いドイツ企業家の令嬢と、彼女を言葉たくみに家から連れ出し、取引の場に臨んだ誘拐犯の一味だと。 ラファエルが糸車に手を伸ばした瞬間、それを合図に、エレナは攫われた。 いや、『取引成立』として、偽の城の塔へと、移動させられた。 「あたしを探して、エルちゃんは塔の最上階へ上ったの。そして、犯人からあたしを奪い返して抱きかかえ、塔の窓から飛び去ろうとしたの。だけど」 「翼を使うことはできなかったのですね。コートに阻まれて」 そして、真っ逆さまに落ちた塔の下は、薔薇園だった。 「運よく、薔薇のしげみがクッションの役割を果たし、命に別状はなかったけれど、そのとき頭を打ったので、私は一時的に記憶を失った、と」 Whodunit:::*:::眠り姫の冒険 ですが、もうひとつ疑問が、と、ラファエルは続ける。 「エレナさまが眠っていたあの場所は、たしかにザバブルク城でした。あの薔薇の海は、いったいどこから……」 「あたしたちも、間違えちゃってたの。《もうひとつの城》と、ザバブルク城を」 「……え?」 「深夜のラインハルトの森に停車したロストレイルから降りて向かった城は――ザバブルク城だと思っていたあの城は、取引場所として指定された、非公開の城のほうだった」 「ああ、なるほど。すると私たちは」 「何も知らずに堂々と、誘拐犯たちのアジトに観光にいっちゃったってこと。間違いがふたつ発生したおかげで、全ての事件は未遂に終わったの」 「……それは……。誘拐犯のかたがたは、さぞびっくりしたでしょう」 「そう、だから、薔薇園に落ちたとき、言ったのね」 誘拐はもう、中止して。 気を失ったこのひとを、ザバブルク城に運んで。 罰として、この薔薇園の薔薇も全部、ぜんぶね。 そうしたら、なかったことにしてあげる。 眠りの森で、糸車に刺されて見た夢だと、思うことにしてあげる。 † † † ため息をつくラファエルの顔を、エレナがそっと覗き込む。 「エルちゃんは、眠り姫のお話、知ってる?」 「それは、はい」 「お姫様は王子様のキスで目覚めるの。だけど、それまではいろんな人が茨に阻まれ倒れていったの。 それでね」 いったん言葉を切って、エレナは、薔薇の花冠に触れる。 「エルちゃんは、王子様の真実の愛がお姫様の呪いを解いたと思う? それとも彼はたまたま百年の約束が成就される瞬間に訪れることができた、幸運なだけの人?」 「……私には、何とも申せませんね」 「どちらであっても、結局、その王子様だけが、お姫様の運命の人になれたってことに変わりはないんだけど」 そして、少女探偵は、ふふ、と、笑う。 「エルちゃんの存在が、あたしを護ってくれたのよ?」 Would you like a cup of tea?:::*:::あなたに紅茶を ――そうだ。紅茶、淹れてあげるね。 ラファエルが、ザクセン風コーヒーを飲み終えたのを見計らい、エレナは立ち上がった。カフェの店主に可愛らしく耳打ちをする。 店主は頷いて、エレナを厨房に案内し、ほどなくして。 銀のトレイに載ったティーセットを、エレナ自身が運んで来た。 ヴィンテージ・パヴァリアの繊細なティーカップがラファエルの前に置かれ、ティーポットから、明るい真紅色の紅茶が注がれる。 英国式の「ゴールデンルール」にのっとって淹れたらしく、カップの内側には、見事なゴールデンリングができている。 「あたし、エルちゃんに美味しい紅茶を淹れてあげたくって練習したんだよ? ゆらめく湯気から立ち上るのは、甘い薔薇の香り。 「これは……。あとからフレーバーをつけた、というわけではないのですね」 「ウバは、花の香りがする紅茶なの」 そしてラファエルは、最高の紅茶を、ローテンブルクで飲むことになった。
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