オープニング

▼0世界ターミナル、バトル・アリーナにて
 あなたにはまだ、闘う必要がありました。強さを求める必要がありました。
 理由は、人それぞれでしょう。
 ともあれあなたは自らの意思で闘いを求めて、ここ――『黄昏(たそがれ)のバトル・アリーナ』にやってきたのです。

 †

 ターミナルの一角に建造された、とある建物。まるでテーマパークのように広くて大きな建造物で、外観は壱番世界で言う近代西洋風といったところ。大きな劇場のようでもありました。
 そこは人形遣いのメルチェット・ナップルシュガーという人物が管理する、戦闘訓練用の複合施設です。中には様々な名を冠した戦闘施設がいくつも用意されており、用途に特化した闘いを行うことができます。
 今回、あなたが訪れたのは『黄昏』の名を冠する戦闘施設です。係りの者に案内され、広い部屋にたどり着きました。仮想空間を形成する魔法技術によってチェンバーが構成されているのか、そこは建物の中にも関わらず異質な空間が広がっていました。

 部屋の中には、寂しい風がやんわりと吹き付ける殺風景な荒野が広がっていました。どこまでも続く赤茶色の大地は、黄昏時の夕暮れ色に染まっています。建物に匹敵するほどの大きな岩が点在しており、足元の大地は乾ききって所々に亀裂が走っているのが目に付きました。
 ――哀愁の漂う赤き荒野。そんな言葉があなたの頭の中をかすめます。
 そこに佇む、一人の少女がいました。猫耳のあるフードが付いた、不思議なケープを羽織っているその小さな女の子。彼女が当バトル・アリーナを管理する人物、メルチェット・ナップルシュガーです。彼女の隣には、装飾のなされた木製の棺がひとつ横たわっていました。
 あなたが、赤と橙で彩られた景色の中を歩み寄っていくと。少女は俯いたまま、ささやくようにそっと言葉をかけてきます。

「ひとには、どうしても闘わなくてはいけない時があるわ。互いが背負うしがらみなんて関係ないの。勝つか負けるかの勝敗を、この手できちんと刻みたい、勝ち取りたい。泥にまみれても、笑われてもいい。あきらめたくない、抗いたい……そんな時があるものなんです」

 地平線では太陽が沈みかけており、ゆらゆらと陽炎のように揺らめいています。もの寂しい世界のすべてを、夕焼け時に特有の橙色で染め上げています。
 俯きがちの少女の顔には影が差し、その表情を見ることはできません。

「決闘とも呼んだりするわ。勝負とも呼びます。戦争とも言えますね。あるいは喧嘩だなんて言葉でも構いません。でもそれらはすべて、同じものを土台にしているの。その名は闘争心。ひとを闘いに駆り立てる宿命そのもの……」

 少女がゆっくりと顔を上げました。
 真剣で厳しそうで。けれどどこか穏やかさもにじませた眼差しを、あなたに投げかけてきます。

「今日和、バトル・アリーナへようこそ。あなたが、今回の挑戦者ですね。ここは黄昏のバトル・アリーナ。挑戦者にとっての〝宿敵〟と闘う場所です」

 そう、黄昏を冠するこの部屋で闘うのは、あなた自身の心に刻まれた最強のライバル、それを再現したものです。メルチェがこの黄昏のために製造した戦闘人形〝泡沫(うたかた)の宿敵〟は、あなたの記憶の中にあるライバルの姿や能力を、克明に模倣するでしょう。
 あなたが挑戦の意を表明すると、少女はこくりと首を縦に動かします。

「心の奥底に刻まれた記憶を読み取って、この人形は自在に姿形と能力を変えます。あなたにとっての宿敵……それは、物言わぬ魔物かしら? あるいはかつて憧れ、目標として目指した師匠や両親? 自分を裏切り陥れた、もとはお友だちと信じていた人物? もしくは、戦場で背中を預けられるほどにまで信頼していた戦友? 恐怖、憎悪、嫌悪、復讐心、対抗心、羨望――宿敵に抱く想いは、ひとによって異なるでしょう。そうして心に強く残っている、あなたが超えたいと思う最強の相手……あなたにはそんな人形と対峙して、心に潜む越えられない壁そのものと闘ってもらいます」

 メルチェは棺へと視線を落とし、愛しげにその蓋へと指を這わせました。

「――さぁ、行きませ。荒々しく心を昂ぶらせるきみ。雄々しく闘いを求めるきみ。今が争う、その時よ」

 物言わぬ棺を見下ろしながら触れ、ゆっくりとその周囲を歩き。愛らしい声音で、彼女は歌うように言葉を紡ぎます。

「主の言葉は空言にあらず。見せ掛けの虚ろうまやかしよ、幽玄なる輝きをもって泡沫の姿をここに現せ。仮初めの力を用いて、虚構なる戯れの糧となれ。今、偽りの命を玉響の真なる命に――」

 棺を指先でなぞりながら歩いていたメルチェが、足を止めると。棺を封印するかのように巻かれていた太い鎖の鍵が、ひとりでに解除されていきます。

「顕現する命、その名は――〝泡沫の宿敵〟」

 解かれた鎖が、重々しい音を立てて落ち。棺の蓋をどかし、中からゆっくりと体を起こす相手がいました。
 それは、あなたが夢にまで見た〝宿敵〟の姿をしています。少女の機巧仕掛けで製作されたとは思えないほど、それは巧みに宿敵の姿を再現していました。
 宿敵は、戸惑いの見えぬ堂々とした所作で立ち上がり、赤き荒野を踏みしめます。

(また、おまえと闘う日が来るとはな――)

 宿敵の視線は、そうした不敵な意思を訴えているようにも思えました。
 あなたと宿敵――二人の視線が交錯し、あなたの意地と情念とが見えない火花を散らせました。
 あなたは武器を構えます。あるいはトラベルギアを顕現させ、あるいは能力を発動させます。
 宿敵もまた得物を構えます。細かな動作も、全身から放たれる覇気も。そのすべてがあなたの記憶の中にある、宿敵そのものでした。
 数mの距離を挟んで。あなたは今、宿敵と向かい合っています。あなたが超えたいと願っていた、最強の敵。擬似的なものとはいえ、その力を再現した存在が目の前に。

 燃え上がる闘志のように、あるいは体に巡る血液のように、赤く紅く染まる二人だけの荒野。メルチェの姿は、いつの間にか消えています。そう、ここは誰にも邪魔されることのない、決戦のためだけの舞台。
 あなたと、宿敵との闘いが今、始まります――!

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※このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。
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品目長編シナリオ 管理番号3204
クリエイター夢望ここる(wuhs1584)
クリエイターコメント【シナリオ傾向タグ】
決闘、決戦、喧嘩、バトル、アクション

【大まかなプレイング方針】
・あなたの想う宿敵の姿と、その戦法は?
・宿敵とあなたの関係性は? 友人、師弟、家族? それとも戦場での敵同士?
・なぜその宿敵は、あなたにとって宿敵となったのでしょうか。 戦いで負けたから? 大事な人の命を奪われたから? 命を賭して大切なことを教えてくれたから?
・宿敵が持つ圧倒的な力。それを前にしても、あなたがくじけない・あきらめられない理由はありますか?

【情報その他】
・舞台となる場所は、黄昏色に染まる荒野です。足場になるような大きい岩がぽつぽつと点在している他は、いたって広々としていて見通しは良く、逃げ隠れするような場所はありません。
・セクタンは登場することのみ可能で、使用は制限されます。これは大事な決闘だからです。

【宿敵について】
・キャラクター特有の、この場限りの一発NPCとなります。故郷の世界にいた人物であったり、同じロストナンバーであったり等の設定は可能です。ただし既存の他PCや、他WR様が所有するNPCを指定することはできません。
・宿敵は戦闘方法、性格、口調なども克明に模倣されています。ただしその再現も一時的であるため、この決闘が終われば消滅する運命にあります。宿敵は、そのことも自然と受け入れています。
・基本的に、参加キャラクターよりも強いちからを持っています。苦戦は免れないでしょう。
・プレイング内に「宿敵の設定」に加え「シナリオでの行動や心理」まで書ききるのは難しいかな、と思います。なので、非公開設定欄を一時的に「宿敵の設定」を記せる場所として使用していただいて構いません。ただし、プレイング〆切後に記載の更新があったとしても、チェックしきれない可能性があります。ご注意くださいませね。

【補足】
 荒野での一騎打ちをイメージしたシナリオです。
 当シナリオでは、自分より圧倒的強さを誇る宿敵(のレプリカ)に対して決闘を挑みます。強敵との激しいバトルアクションの他、戦いの最中に言葉の応酬があることで、自分に欠けていた何かを感じ取ったり見出したり等、成長をテーマにしたバトルとしても展開できそうです。基本的に、流れは熱くなると思います!

【挨拶】
 今日和、夢望ここるですっ。ぺこり。
『黄昏のバトル・アリーナ』へようこそ!
 戦闘訓練といえば『無限のコロッセオ』がありますが、こちらは訓練というよりも「決闘・対決」といったものがテーマです。純粋な力のぶつかり合い、思想や考えの吐露など、雄々しく激しく荒々しいバトルの展開を想定しております。
 プレイングにつきましては「宿敵との対峙」「それによる影響・変化」を重点にした上で、色々と書き記してみてくださいませね。
 さあ、この『黄昏』で繰り広げられる決闘の行方や如何に。
 それではチケットを片手に、幻想旅行へと参りましょう。行き先は0世界! ごゆるりと、何卒よしなに。

参加者
飛天 鴉刃(cyfa4789)ツーリスト 女 23歳 龍人のアサシン

ノベル

▼0世界ターミナル、バトル・アリーナにて
 赤く燃えるような太陽が、乾いた荒野をもの寂しく照らしていた。
 沈みかけた夕日を背に、黒衣の人物が腕を組んで立ち尽くしている。銀のたてがみを長髪のようにはためかせている漆黒の竜人は、飛天鴉刃だ。黄金色の髭が、何かを感じ取るようにぴくりと蠢く。

「宿敵と相見える場所と聞き、やって来たが……よもや貴様が相手であろうとはな」

 鴉刃は、闘いを前に歓喜する戦士のように、笑ったり――は、しなかった。ただ腕を組み、目の前の相手を冷たく睥睨していた。
 旧めかしさが漂う前時代的な学生服に身を包み、同色で襟の高い外套を羽織っている痩身の男。学生帽のつばに隠されてその双眸は見えないが、片目には眼帯をつけているのが分かる。
 学生服姿とはいえ、清純な青臭さなどは微塵も感じさせない。老成し達観した空気を醸しながら、その果てで狂気に浸ったようなほの暗さを漂わせている。
 この男の名は百足兵衛。世界樹旅団との一件から、ロストナンバーの敵として何度も立ちはだかった人物。そして闘いの果てで死亡した人物。

「貴様に与えられた傷は、こうして醜態を晒す痕になっている。思い出すよ……貴様を追い求めていた、あの頃のことを。さて……何故かつての私は、貴様をひたすら憎んでいたのであろうな」

 鴉刃はかつて執念を燃やし、この男を追い続けていたのだ。彼と刃を交えるたび、心と命が喜びで震えていたのだ。それは、確かだ。

「確かに貴様は、私の宿敵だったのかもしれん。貴様の息の根を直接、私が止めたわけではないが……貴様を討ち取り、勝負に勝ったことは鮮明に憶えている。その時点でもう、私と貴様との因縁は終わった」

 男は何も反応しない。鴉刃を見ようともしない。ただ、帽子のつばの下に見える痩せこけた頬は、邪に歪んでいる。

「それ故であろうな……クク、不思議なものだ。おかしいものだ。今、貴様を見てもどうでもよく思えるのだ。貴様に打ち勝ったことも、貴様にトドメを刺せなかったことも」

 鴉刃は小さく首を振るった。呆れるような微笑みを浮かべながら。

「しかし、既に亡き貴様が目の前に顕現したということは、私の心の中に貴様の残滓が在るということだ。無意識の未練があるということだ。それはもう、今の私には必要ない。これからの私に必要なものは、もう見つけたのだ」

 愛しい銀色の彼の姿が、真っ先に脳裏を掠めて。
 自分の思考に思わずおかしくなり、鴉刃は肩を揺らして笑った。戦いだけが己の悦びと感じていた、冷たい暗殺者が。ひとの暖かみを愛しいと感じていることに、おかしくなる。
 そのとき。沈黙を守り微動だにしなかった相手が、動く。演技掛かったように、ゆっくりとじらすように。立てた指が、学生帽のつばを上げた。彼の目は歓喜で血走り、大きく見開かれていた。喜色に歪んでいた。

「私は生きていく。名も無き暗殺者ではなく、飛天鴉刃というひとりの人物として」
(なら、あなたはどうするの?)

 声が響く。聞き覚えのある幼い少女の声。促すようにそっと囁いてくる。
 鴉刃は一切の迷いを見せなかった。ただ静かに、右腕を前に差し出して。掌を向けて。

「決まっているさ。――百足兵衛。既に過ぎ去った因縁よ。貴様を未来の礎とするため、今、ここで。黄昏の虚構の中で――」

 鴉刃は告げる。静かに、厳かに。ゆるぎない決意を。

「貴様を、殺す」

 言葉と共に、鴉刃の体から炎が迸る。それは本来ならば、わき上がる過剰な怒りのエネルギーを魔力へと変換し、炎として噴出する能力だ。
 けれど、今は少しだけ、違う。顕れ方が、違う。
 燃え上がり、周囲に存在するものをすべて消し炭へと変えてしまうような負の感情に、鴉刃の心は支配されていない。
 今、在るのは闘志。それも限りなく落ち着いたものだ。僅かに揺れる水面の如く、闘争心の荒波は立てずに、冷静で、沈着で。澄み渡るような広い心が生じさせる炎は、蒼い色として顕現している。

「――」

 男はただ、にたりと哂う。
 乾いた風が通り過ぎるだけの、もの悲しい音しかなかった、荒野に。大量の何が蠢き集い犇き合う、厭らしい音が連なっていく、大きくなっていく。
 それは男の能力。男が使役するもの。男がその身に飼い、行使するもの。
 すなわち、蟲だ。蟲の鳴き声だ、蟲が集う音だ。そう、この男は蟲で出来ている。
 黒光りする殻を持った地虫が、彼の衣服の隙間から這いずり出て来た。大きさは人の指ほどある。1匹や2匹ではない。彼の周囲を黒で埋め尽くすほどに、溢れて涌き出る蟲、蟲、蟲。
 それが一斉に――身を弾ませ、宙に飛び、降り注ぐようにして襲い掛かってくる。粘液の滴る牙、獰猛に煌かせながら。

「相変わらず、おぞましいものを操る」

 呆れるような声音で、それを見据えて。差し出したままの右の掌を、そっと上へ向ける。
 体の輪郭で篝火のように揺らめいていた蒼炎が、瞬時に膨れ上がった。
 超高熱の火炎が宙を疾り、殺到する地虫を焼き払う。塵ひとつ残さない。例外はない。

「なるほど。確かに遮蔽物もなければ地形も平坦であり、隠れることもできなければ、不意打ちもできはしない。真っ向勝負は、お互いらしくもないが――良いだろう」

 鴉刃は不敵に笑い、わずかに身をかがめて。

「貴様とは正面から殺り合ったこともなかったな。丁度いい、ただ純粋に全力で、ぶつかり合うとしよう!」

 竜人が動く。速い。音も無く、瞬きをする間に男へと肉薄している。

 鴉刃が手刀を振るう。魔力を帯びた手袋は、腕に不可視の刃を形成する。振るわれた腕の一閃は、触れるものを容赦なく切り裂く。
 ただ怪しく立ち尽くしている相手の、外套の下。何かがもぞりと動いた。外套の前が開かれ、そこから何かが飛び出てくる。繰り出された鴉刃の鋭い手刀と噛み合った。固い衝突音が大きく響く。火花が咲いて儚く散った。
 男が取り出した得物もまた、己の腕。しかし四肢を含めた全身に潜む蟲が、体内で刃を生成している。それが男の皮膚を突き破って露出していた。手刀はそれと噛み合っていた。

(これは――)

 鍔迫り合いのような拮抗状態のまま、鴉刃は気がついた。
 今という光景、今という瞬間が、かつてこの男と刃を交えたときと全く同じであったということに。
 その際は鴉刃が男の腕を絶つも、仕返しとばかりに鴉刃は腕を貫かれた。さらには男の産み出した蟲に襲われ、苦汁を舐めさせられたのだ。
 あの時と同じように、今、鴉刃の手刀と男の有機質な刃が噛み合っている。男が邪悪にほくそえんでいる。
 この後だ。この後に男の刃から蟲が飛び出し、凶悪な口を開いて噛り付いてくる。

「同じ手は喰わんぞ!」

 もう片方の手刀を閃かせ、相手の腹部へ強引にねじ込む。そのはらわたにも大量の蟲が蠢いていることは、承知している。
 鴉刃はイメージする。己の内に感じる、どくどくと脈打つかのような力の流れ。それを、相手の内部へ濁流の如く流し込む様を。

「破内爪!」

 男の腹に突き立てた手刀から、男の体内へ。破壊をもたらす力の奔流が、一瞬して注ぎ込まれる。
 男が短く呻くような声を洩らすと同時、腹の内側からぶくりと大きく膨らんで、人型の輪郭が大きく崩れた。その歪な膨張は、すぐに男の四肢とその末端を侵蝕し、ただの膨れ上がった肉の塊のようなものと化す。
 鴉刃は肉塊にねじ込んでいた手を引き離し、跳ねるようにすぐさま距離を取る。
 間髪入れず、肉の塊が破裂した。濁った体液とわずかな内臓、そして形の様々な蟲を大量に飛び散らせながら。

「くっ……全く、汚い花火だ」

 腕や足に付着した粘液を怪訝そうに振り払う。
 爆発四散から僅かな間を置いて。唯一、膨張せずに人間の名残があった男の生首が落ちて来て、赤い土の上を無造作に転がった。
 血に染まった唇からは、蜜のような粘液らしき何かが漏れ出ている。人間のそれとは異なる異様な程に長い紫色の舌が、歯の間からだらりと伸びている。目はどこでもない場所を虚ろに見つめている。

「……こんなものか」

 周囲を見渡すと、肉片と体液に埋もれている蟲どもの死に損ないが、弱々しく震えていた。
 命はもはや風前の灯に思えた。後は蒼炎で火葬にしてやれば、決着はつきそうに思えた。
 けれど、けれど。
 鴉刃が頬についた体液を拭き取ろうとしたとき、背筋に冷たい戦慄が走るのを感じたのだ。
 考えるより先に体が動いた。弾むように横へ飛ぶと、液体のようなものが頬のすぐ近くをかすめ、一瞬前まで立っていた地面に降り注いだ。すると、地面は煮沸するように泡を飛ばしながら溶解したのである。

「これは……!」

 回避動作中の鴉刃の聴覚が、聞き覚えのある嫌な音を捉える。大量の何が蠢き集い犇き合う、厭らしい音だ。蟲の音だ。
 体ごと破裂させたが、どういうことだ。それを考える間もなく、また背後から戦慄を感じ取る。直感で回避行動を取りながら身を捻らせ、戦慄の正体を確かめるべく視線を奔らせる。

「まだ動ける蟲が残っていたのなら、焼き尽くしてくれる!」

 地面を溶かす強酸の液体が射出されてきた方向に掌を向け、蒼炎を放出するべく目を細めた。けれど、視界の隅を横切った物体を見て、鴉刃
は一瞬だけ思考が凍りついた。
 それは蟲だった。男が体内に飼っていたものだろう。しかし、その大きさが異常だ。あの人型のシルエットの中に、どうやっても収めきれないであろう程に巨大な蟲が、翅を震わせながら何匹も飛翔していたのだ。大きさは3m程度といったところ。目算でも10匹以上は飛び交っている。男の痩身の中にこれだけの質量が隠されていたなど、鴉刃は信じられなかった。
 蟲の形は一様ではないものの、光沢のある殻と透明な翅を持ち、そして湾曲した鋏を思わせる牙が生えていることは共通している。
 それらは縦横無尽に宙を駆け巡り、鴉刃の死角から強酸性の体液を飛ばしてくる。そして隙あらば歪んだ鋏のような牙を閃かせ、肉を引き裂こうとしてくるのだ。

(大きさのわりに、動きが速い……! く、目では追いきれぬ!)

 鴉刃は地面を疾走しながら蟲の挙動を窺った。けん制に蒼炎を放ち、一斉に接近されないようにする。
 蟲どもは縦横に飛び交いながらも、ただ闇雲に突撃してくることはなかった。慎重且つ狡猾に攻撃機会を窺い、翻弄してくる。そして少しでも鴉刃が隙を見せれば即座に包囲網を形成し、容赦なく四方八方から酸を浴びせてくる。
 今までの蟲とはわけが違う。まるで統率の取れた軍隊のような連携で、鴉刃を追い詰めようとしてくる。

(まさか……この蟲が、奴そのものか! 人型は擬態に過ぎなかったということか)

 それは機械を思わせる正確な攻撃行動の中に、蟲とは思えない粘着質な殺気や、痛みつけるのを愉しんでいるような厭らしさを感じたためだ。例えば肉薄だけして何もせず、からかうようにくるりと輪を描いて離れていくこともあったのだ。

(遮蔽物があれば、あの全方位攻撃も避けようがあったやもしれんが……しかし、ここは何も無い荒野。時間稼ぎをすればするほど、持久力のないこちらが不利となる……ならば!)

 宙に身を躍らせながら酸の攻撃を避け、上半身を捻りつつ蒼炎を放出する。大型の蟲どもがそれを最小限の挙動で回避する。狙った機会を見定めで放った炎は、ほんの刹那だけ相手の隙を作った。

(最大魔力で全身を行使……もって1分か。その間に終わらせる! 因縁を!)

 顔を覆うように片手を添えて、魔法発動のためのイメージを脳裏に描く。暗く沈んだ空間に縫合跡のような裂け目が走り、奥から魔力を象徴する紅玉がにじみ出る様をイメージする。
 そして弾けるように開いた隻眼の瞼。何も無いはずの眼窩に、血のような真紅の瞳が顕現し、爛々とした輝きを放った。
 それを通して、世界を見る。赫々の瞳が捉える世界は、ひどく緩慢ですべてがゆっくりと動作していた。目では追えない速さと緻密な連携で飛び交う大型甲蟲どもも、軌跡をじっくりと追えるかのように遅く見える。
 まるで、時間がぐにゃりと引き延ばされている感覚を覚える。そんな中で、鴉刃の体だけはいつもどおりに動くのだ。甲蟲の回避軌道を意識しながら、次々と蒼炎を連射する。
 しかし遅延した時の流れの中でも、蟲は巧みな制動で炎を避けてみせたのだ。

(ちっ、蝿のようにちょこまかと! ……何かこちらの攻撃を察知する力でもあるのか? だとすれば、闇雲にこちらから仕掛けても意味は無い。どうする? ただ攻撃するだけではいけない……何かを間に噛ませ、あの動きを阻害する方法は――)

 ふと、脳裏に小さな情報が走った。虫嫌いの友人が虫を駆逐するために虫に詳しくなり、虫というものの習性について恐る恐る、けれど詳細に語っていたことを。

(虫は光に集まる習性があると聞いた。無論、知能を持ちうるような動きをする奴らが、単純な光源に殺到するとは思えない。しかし、強烈な光を浴びせたら? 圧倒するような光、凄まじい熱量の光。強い光を生み出すものは何だ? 灯り、炎……いや、もっとだ、もっと強く、眩しいほどに輝くもの――)

 鴉刃が魔法を放つ際に重要視しているのは、魔法に対してどういったイメージを内包させるかだった。それは荒唐無稽な空想でも構わない。放とうとしている魔法に最も近いと思えるイメージであれば、そこに想いは自然と込められる。魔法は想いの強さに比例する。
 強烈な光のイメージを探すため、必死に考える。引き伸ばされた時間の中で。限りある時間の中で。
 そのとき、ふと視界の端に映ったものが在る。当たり前のようにそこあるものだから、気がつかなかった。しかし今、自分が抱く魔法のイメージに最も相応しいと感じたものが、そこにある。
 荒野を赤々と照らし、陽炎で幻のように揺らめくそれ。

(太陽――!)

 鴉刃はすぐさまイメージの固定化に意識を向ける。
 思い描く。イメージの土台は太陽だ。果ての見えない闇の彼方から昇る、赤熱化した鉄のような輝き。地平線にまで伸びる長い道筋を照らし、行くものの標となる灯火の輝き。闇夜に蠢く怪奇な蟲どもが、光から放たれる眩い輝きに包まれ、瞬時に燃え尽きる様を思い描く。
 イメージの中に意識を浸透させていく最中、隻眼の赤が明滅し始める。もう時間を引き延ばす感覚にも限りが見えてきた。蟲の挙動が目に見えて速度を増していく。世界の認識が本来の速度へと戻り始めている。
 しかし焦燥に駆られることはない。次の一瞬にすべてを掛けるため、慎重に確実に魔力を練りこんでいく。力を流し込んでいく。
 胸の前で向け合った掌、その間にかすかな光の球が形成される。魔力がそのかたちを保つように、出力が咄嗟に膨れ上がらないように、微細な力の流動を調整し続ける。
 生じた小さな光球を見て、敵も何かを察知したのだろう。蟲が我先にと争うようにして、鴉刃に向けて突撃してくる。
 鴉刃は魔力の制御に神経を向けながら、蟲の群れからも意識を離さない。蟲が放つ強酸性の粘液を、最低限の動きで避ける。歪曲した牙を竜鱗に喰い込ませるべく直接襲い掛かってくる蟲にも、体を触れさせない。
 銀の薄絹を思わせるたてがみを閃かせ、極細の鎖を彷彿とさせる髭を躍らせながら、舞う。

「この名乗りは、貴様に対してのものではない。これからの己が、ここに在るということを証明するためのもの」

 そして――準備は整った。機会も捉えた。四方八方に散っていた蟲が今、この瞬間だけは一箇所に集っていた。

「だからこそ紡ごう。あえて言おう。私の名は、我が名は――」

 これが、最後だ。これで、最期だ。
 竜人の乙女は汗のしぶきを散らせながら、掌の間にある光の球を、そっと群れの中心へと放った。

「天を飛ぶ、鴉の刃! 飛天鴉刃だ!」

 眩い閃光が奔流となって世界を白く染め、同じ魔力の波動を持つ術者を除く、すべてを。溶かして、焼いて、消滅させた。

 †

「これでもう未練はない。もはや、目を治さぬ理由も無くなった……礼を言うぞ、小娘」
「いえいえ」

 闘いを終え、一部が焦土と化した荒野から悠然と戻ってきた鴉刃は、猫耳フードを被った少女にそう声を掛けた。どこか爽やかで、重い何かを手放したように澄んだ表情をしていた。

「でもですね、鴉刃さん」
「なんだ」
「わざわざ治す必要は、ないと思いますよ。だってあなたはもう、しっかりと。未来を見据える希望の瞳を、そこに取り戻しているんですから」

 そう言われて、鴉刃は戸惑いがちにそっと右目に手を伸ばした。過去の戦いで、あの蟲の男に抉られて失った右目にはもう眼球はなく、ただぽっかりと空洞があるだけだったはずだ。だからずっと、瞼は閉じていた。
 けれど、けれど。右目が、瞼越しに太陽の明るさを認識していたのだ。少女に言われて、初めてそれに気がついた。
 ゆっくりと、慎重に。右の瞼を開いてみる。久方ぶりに外界の情報を目に入れた右の瞳は、しばらくぼやけた像を結ぶのみだった。けれどやがて、目の前で佇む少女の微笑みをはっきりと映して。

「はい、鏡をどうぞ」

 折りたたみ式の手鏡を受け取り、己の顔を映す。そこには、紅蓮のような赤の瞳と、生来の金色の瞳を持つ竜人・飛天鴉刃の顔があった。

「金の左目に、赤の右目か……ふ、笑わせてくれる」
「でも似合っていますよ」

 小首を傾げながら肯定の笑顔を向ける少女に、鴉刃は微笑み返す。
 そして、どこともない遠くへと目を向けて。

(過去の鎖は断ち切った。あとは何も無い荒野の未来へ向けて……歩き出すのみ)

 その隣に寄り添う銀色の存在を想いながら、鴉刃は黄昏の場を後にした。真紅と黄金の瞳には、誇らしげな感情がにじんでいる。

<飛天鴉刃の道は、どこかへと続く>

クリエイターコメント【あとがき】
 大変長らくお待たせしました……!(ぺこ)

 黄昏のバトル・アリーナの最初で最後の挑戦者は、漆黒の鱗に身を包む竜人の女戦士でした。
 いつかの闇黒とも合わせて、今回の新たな趣向にも挑戦してくださり感謝の次第です。むかでべーは私が直接扱ったことも触れたこともないNPCでしたが、彼の動いた記録のいくつかを拝見しながら、私が扱う彼ならどんな動き・行動・戦術をとるだろう……と、もやもした霧の中で正体を見据えていくような感覚が、ちょっと新鮮で愉しかったです。

 上記のリプレイが、好みに合えば嬉しく思います。
 当アリーナにお越しくださり、本日はまことにありがとうございましたっ。またの挑戦をお待ちしております!
 それでは、夢望ここるでした。これからも、良き幻想旅行を。


【教えて、メルチェさん! のコーナー】
「こほん。
 皆さん今日和。メルチェット・ナップルシュガーです。

 鴉刃さん。今回も挑戦、お疲れ様でした。
 左右の瞳の色が違うだなんて、ちょっとかっこいいですよね! ……それはともかく、あなたの思ったとおりに因縁を断ち切ることはできたでしょうか。清算を済ませたあなたのこれからは、まだ何が起こるか分かりません。でも大丈夫、闇と黄のふたつの試練を乗り越えたあなたなら、きっとどんな場所にでも歩いてゆけるはず。
 荒野の果てに、素敵な何か待っているといいですね。

 さ、それじゃあ今回も私と一緒に、漢字の読みかたをお勉強しましょ。

▼髭:ひげ
▼蠢く:うごめく
▼睥睨:へいげい
▼痩身:そうしん
▼百足兵衛:むかでべー
▼狡猾:こうかつ
▼赫々:かっかく
▼蝿:はえ

 皆さんはいくつ読めましたか? もちろんメルチェは大人ですから全部読めます、当然です(きぱっ)」
公開日時2014-03-30(日) 23:30

 

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