クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-26437 オファー日2013-11-24(日) 23:51

オファーPC イェンス・カルヴィネン(cxtp4628)コンダクター 男 50歳 作家
ゲストPC1 ヴィンセント・コール(cups1688) コンダクター 男 32歳 代理人(エージェント)兼秘書。

<ノベル>

 ――ターミナルの空はいつも青い。
 それは季節の変化も、昼夜も、太陽と月すらもない、完全なる停滞の象徴だ。光あふれる青い空を模していながら、それはただの天蓋に過ぎない。花を育てるには向いていないと、イェンスは常々思っていた。
 0世界の自宅の庭、花畑を設置した一角に、季節と昼夜の変化を持つ小さなチェンバーを作り、彼は其処で花を育てるようになった。亡き妻がシアトルでそうしていたように。

 ◇

 アメリカへと引っ越して直ぐ、妻は自宅の庭園を用いてガーデニングを始めた。友人も、親族も居ない新たな国で、手持無沙汰になっていたのかもしれない。明け方に庭に出て、丁寧に花壇の手入れをしている姿をよく見かけた。
「何を育てているんだい?」
 まだ蕾も見せず、若い葉が揃うていた頃にそう聲を掛ければ、彼女は花へ如雨露で雨を降らせながら応えた。ひとつひとつ、手ずから説明を加えてくれる。
「これがフリージア、これがガーベラ、ネモフィラに、――」
 紫の暁窮に照らされて、その白い肌が神秘的な色に染められる姿を、イェンスは今もはっきりと覚えている。新天地での孤独や不安はあれど、其の頃は未だ、彼女も穏やかで優しい笑みを湛えていた。
 自らが手がけた花だけでなく、花壇の隅にひっそりと咲く、紫色の小さな野花にも彼女は分け隔てなく水を贈っていく。雫が束になり、弧を描いて落ちていく。その根元に、柔らかな色が咲いた。
「あら。ほら、虹が生まれたわ」
 鈴を転がすように、妻が笑って指し示す。紫色の花を起点にして、小さな虹がアーチを描いていた。
「本当だ」
 生まれた虹を殺さぬように水を降らせ続ける妻の隣で、イェンスは蹲って其れをよく見遣る。野花の葉に浮かんだ露が、虹と同じ色を反射して煌めいているのも見えた。
「まるで御伽噺への入り口ね」
 児童文学作家の妻らしく、夢をみる子供のような発想を口にする。イェンスもまた微笑み、そうだね、と頷いた。
 ――此の小さな虹から始まる物語は、どんな優しさに充ちているだろう。
 彼らの新たな生活を重ねながら、空想の翼をはばたかせる。

 ◇

 その日も、いつものように庭園へと向かったイェンスは、ふと先客がいる事に気づいて足を留めた。
 明け方の空のような深いブルーのスーツは、相変わらず一分の隙もなく着こなされている。イェンスのよく知る青年は、土いじりの似合わない怜悧で端正な面(おもて)を緩めて、小さな花壇の前で水を注いでいる。
「――何を、育てているんだい?」
 あの時と同じ声を掛ければ、青年は驚いたように如雨露を止め、振り返った。
「ミスタ」
 何処かばつの悪そうな表情に、首を振って、遠慮は無用だと示す。しかし青年は此方へと向き直り、小さく頭を下げた。親しき仲であっても礼儀を忘れない、律儀な男だ。
 其れはイェンスが未だ手を付けていない、花畑の片隅の小さな花壇だった。一見すると濃く栄養のある土が一面を覆っているだけだが、よくよく目を凝らせば、萌えるような緑の新芽が土の合間から小さく顔を出していた。
「前々からおかしいとは思っていたよ。土は耕されていたし、肥料も判らないように添えてあったから」
「――すみません。以前、知人に貰ったもので。育てる場所が思い当たらなくて、勝手に借りてしまいました」
 几帳面に、一週間の予定を読み上げるようにすらすらと。淀みない言葉で応える彼は、この回答を前々から用意していたらしい、とイェンスは微かな苦笑を噛み殺す。
「いや。元々ここまでは手が回らなかったんだ。何を植える予定もなかったから、好きに使ってくれていい」
 そう云って、あの時と同じように蹲る。淡い緑の新芽は既に可愛らしく双葉に分かれていて、今はヴィンセントの与えた雨に濡れて露をはじいていた。
「――それで、何の花なんだい?」
 もう一度問い返し、彼を見上げる。
 冷徹な代理人は静かに視線を逸らし、瞬間、言葉に詰まった。
「さあ……それが、私にも」
 如何なる時でも隙を見せず、淡々と仕事をこなす彼にしては珍しく、嘘が判りやすい――彼と長く付き合っているイェンスは、彼に気づかれぬよう幽かに笑みを零した。

 ◇

 ――その頃の記憶の中の彼女は、いつもわらっていた。

 初夏の風が吹き込む、晴れやかな日の朝だった。
 妻がはしゃぐ子供のように、寝室へと駆け込んできたのは。
「イェンス、見て!」
 枕元で夫を叩き起こし、その手を引いて窓際へと招く。カーテンのレース越しに忍び込む陽射しは横に薙いでいて、まだ朝も早い事を報せていた。
 どうしたんだい、こんな早くに、と問えば、いいから早く、と急かされる。
 窓際にイェンスを立たせ、妻が勢いよくカーテンを引く。やわらかな朝の陽が、まっすぐに彼らを照らし出して。
「ようやく花が咲いたの。貴方にも見てもらいたくて」
 そう云って笑う彼女の美しい黒髪が、光のヴェールを纏うように艶やかに靡く。その背後で、色鮮やかな花がさんざめいていた。
「――綺麗だ」
「ええ、とても綺麗」
 呆然と、そう声を上げれば、彼女は頷いて同調する。黒い髪を靡かせて、窓を開けて庭へと足を踏み出していった。
 庭へと駆け出していく妻の姿はあまりにも無垢で、幼い少女のように思えた。長く艶やかな黒髪が背中で跳ねて、翼のようにふわりと広がる。

 この国へ来て、初めての春。
 花と虹に囲まれて、蕩けるように微笑んでいた彼女の姿を、今も尚覚えている。

 ◇

 ヴィンセントの花壇の事が露呈してから、二人は協力して庭の手入れを進めるようになった。どちらかが依頼で居ないときはもう片方が水遣りや雑草抜きを任され、時には同居人の小さな騎士や大妖も面白がって手伝ってくれる。庭園の花をよすがに、奇妙な家族の絆はより深まっていった。
 そして月日は経ち、季節は壱番世界で言う初夏。毎年、シアトルの邸も花に包まれる時期になった。
 イェンスに促されるまま、ヴィンセントは玄関を回り込んで庭園へと向かう。
「ようやく咲いたんだ。君の花壇も」
 嬉しそうに報告する彼らの前に姿を見せたのは――庭園を埋め尽くすほどの、色とりどりの花々。シアトルの邸宅を思い起こさせる、フリージアやガーベラの花。そして、小さな花壇一杯に咲く、淡い青色。彼女が丹精込めて育てたのと同じネモフィラが、小さな花を咲かせていた。
 考える事は同じだな、とイェンスは幽かにわらう。妻が愛し、育ててきた花を、イェンスもヴィンセントも、確かに覚えていたことが嬉しい。――この青年にとっても、彼女との記憶は決して忌々しいだけのものではなかったのだ。
「綺麗だね」
 心からの賛辞を贈れば、青年は一瞬の動揺の後に煙るような笑みを浮かべた。
「シアトルの庭によく咲いているのを見かけましたので」
「よく、じゃないな。毎年、だ」
「ええ。毎年」
 そして、二人顔を見合わせて笑い合う。
 二十年の時が経って、ようやくこうして、あの頃の想い出を穏やかに語らう事が出来るようになった。彼らの記憶の中に生きる妻の姿は美しく優しい。あの頃の侭だった。

 ◇

 この家は鎖されている。

 ――否、イェンスが自らカーテンを全て閉ざして、光を呼び込まぬようにしているだけだった。
 妻の死の前後の記憶はない。手首を切り、バスタブに沈んでいたその様から自殺と処理されたが、同じ家にいた筈の自分自身がその時何をしていたか――情けない事に彼は思出せなかった。
 カーテンの隙間から浸み込んでくる紫の光にも、小さく蹲って其れに気づかぬふりをする彼の耳を、小さな音が揺るがした。
「――……」
 窓の外で、誰かの足音が響いている。室内の異様なまでの静謐ゆえ、幽かな土を踏む音であったとしてもそれはしっかりとイェンスの耳に聞こえた。のろのろと貌を上げ、窓辺へと近づく。何日も開けた覚えのないカーテンを引けば、その向こうには光に満ちた世界が広がっていた。
 ――花が、咲いている。
 妻を亡くして以来、足を踏み入れた覚えもない其の場所で、妻が生きて居た頃と同じ、様々な色の花が。露に濡れて煌めいている。
 思わず、駈け出していた。
 庭へと続く窓を開ける。靴を履くのもまだるっこしくて、裸足のまま外へ出た。夜中に雨が降ったのか、密やかに濡れた土の上で足跡が刻まれていく。

『これがフリージア、これがガーベラ、ネモフィラに、――』

 嘗て、イェンスに請われるまま妻が口にした名前の通りの花が、順に並んでいる。丁寧な主の手によって今朝も水を与えられたのか、土もまだ暗い色に湿っていた。まるで――まるで、彼女が今も生きて、花壇の手入れを欠かさないでいてくれるかのように。
 庭園を端から端まで歩いて、イェンスは膝を着く。
 花壇の片隅を間借りする紫の野花は、彼女を喪って尚、其処に存在していた。

「ミスタ?」

 声が掛かる。貌を上げる。
 庭の片隅から現れた人影。見慣れた、背の高いスマートな青年。
 心配とも虞ともつかぬ貌をした若き代理人が、其処に立っていた。
「ヴィンセント、君は」
「玄関先から、ミスタの姿が見えましたので」
 茫然と彼を見上げる主に、ヴィンセントは静かに応える。見慣れたブルーのスーツ姿は今日も折り目正しく隙が無い。
 ――だが、何故だろうか。その表情が、仕種が、何かを隠しているように見えたのは。

 ◇

「知っていたよ」
 二人、並んで花を眺めながら、イェンスはそう呟いた。ヴィンセントの青い鋼のような瞳が、静かに横へと滑る。
「花を、育ててくれていただろう」
「……何の話ですか」
 空とぼける青年の鉄面皮が、何処か微笑ましい。イェンスは聲を立ててわらった。チェンバーの密やかな風に、フリージアが優しく揺れる。まるで、穏やかな想い出を語り合うように。
「彼女が亡くなってすぐ。庭になんて出た覚えはないのに、花壇には去年までと同じ花が咲いていた」
「あれは――」
「あの時、君が居た方角は行き止まりだったじゃないか」
 笑みを殺しながら指摘すれば、青年は押し黙った。あれで自分では誤魔化せていると思っていたのだろうか。イェンスが何も言わないのをいいことに。

「ありがとう」

 ひどく穏やかな声音で、ひどく真摯な表情で、イェンスはヴィンセントに向き直る。
「君はずっと傍に居てくれた。僕と、妻の為に」
 萌えるような緑の瞳は、新しい生命の色。硬質な青い鋼をも揺さぶる、鮮烈な色彩。付き合い慣れているはずの主人の表情にヴィンセントは気圧されて、視線を逸らした。
「――代理人として、当然の事をしたまでです」
 常套句で誤魔化そうとするも、イェンスの視線はそれを許さない。
「違う。君は彼女の死に責任を感じていた。そうだろう?」
 ――息が詰まる。
 喉が堰き止められたように、言葉が出てこない。気づかれていたのかと、眩暈さえ感じた。浅ましい己の内面を。罪深い、己の所業を。
「……情けない話だが、僕も今日まで口にする事が出来なかったんだ」
 まだ、彼女の死と己の罪に心が揺れ惑っている、と。
 イェンスは照れたように笑いながら、自身の脆さを曝け出す。そのしなやかさが、羨ましいとヴィンセントは思った。二十年の時を経て、彼は妻の死を乗り越えようとしている。受け容れようとしている。ヴィンセントへの言葉も、その一環なのだろう。
「けれど」
 ――けれど、その視線は静かで、決して青年への怨嗟を宿してなどいなかった。想いもよらぬ反応に、ヴィンセントは再び言葉を喪う。何故、彼は今もそんな顔をしていられるのか。長年仕えてきたはずの主人が、今は得体のしれない怪物のように映った。
 緑の瞳が、穏やかに揺れる。
「苦しい思いをさせてすまなかった」
 そして、彼は唐突に首を垂れた。祈るような、敬虔さで。
「な、――何故あなたが謝るのですか、ミスタ!」
 彼女を自殺に追いやったのは、罪を犯したのは己だというのに。慌てふためくヴィンセントの前で、イェンスは俯いたまま貌を上げずにいる。
「君ではない。責められるべきは僕だ」
「そん、な」
 そんな筈がない。口にしようとした言葉は、眼前の彼の、指先の震えに気が付いて引っ込んでしまった。幽かな、しかしはっきりとした、畏れの証。
 ――彼もまた畏れているのだ、己の罪と向き合う事を。
「僕は君を許す。彼女もきっと」
 こんなにも罪深い僕にそれがゆるされているのなら、とイェンスは苦笑した。自嘲にも似た笑みは、しかし何処かで吹っ切れたような潔さがある。彼も、自分が許された事を知っているのだろう。
「だからもう、自分を責めないでくれ」
 二十年間。彼らのどちらもが、深い傷と、重い罪を抱えて生きてきた。一人の女を愛したが故に。
 それでもここから歩み出す事は出来ると、イェンスはそう云う。ヴィンセントの前に差し出された掌。二十年前よりも皺の多く、細くなってしまった指先。
「……はい、ミスタ」
 俯く事で表情を隠し、ヴィンセントは其れとだけ応えるのが精一杯だった。
 ――たとえ罪の意識から解放されたとしても、己は彼の隣に在り続けるだろう。
 我らが《グィネヴィア》からの頼みだけではない。今はもう、ヴィンセントは自らの意志で此処に居続ける。
 眼前に差し出された掌を、そっと両手で握り締め、ヴィンセントは祈るように頭(こうべ)を垂れた。

 水遣りをしようとするヴィンセントを遮って、今日は自分が、とイェンスは進み出た。そして如雨露を手に取り、細かい雨を降らせていく。ネモフィラの隅に咲く、紫の野花へも平等に。
 すっかりと枯れてしまったイェンスの手から降り注ぐ小さな雨。
 弧を描いて落ちる雫は花を濡らし、葉を濡らし、土を濡らす。

 そして――

「……ああ、ほら。見てごらん」
 子を導く親のような、柔らかい聲がヴィンセントを促す。
 釣られてよく目を凝らせば、如雨露から降り注ぐ雨の根元に、幽かな色彩が差していた。
「虹がうまれたよ」
 アーチを描いて咲く七色の光。紫の花を囲むように咲く、虹の根元も紫の色から始まっている。
 花壇の隅に小さく架かる虹の橋は、其処から始まる新たな物語を想起させる。あの日、シアトルの新しい邸宅で、夫婦が二人寄り添って眺めていた頃のように。
 如雨露の水がなくなって、イェンスはようやく身体を上げた。紫の花から生まれた小さな虹も、既に消えている。
「……さあ、戻ろう。アップルパイを焼いてみたんだ」
 まだ彼女のように上手くは出来ないけれど、と苦笑するイェンスの横顔を静かに見つめて、ヴィンセントは思い至る。今日の日付を。何故、彼がこんな事を言い出したかを。

 ひそやかなパーティを開こう。
 今日、この場に居ない彼女の誕生日を祝うために。

 庭園からの光射しこむリビングで、小さなパーティの準備が進められていく。庭の花を正面から臨める椅子を空席のままにして、二人はその両脇に座る。拙い手際で、それでも心を籠めてイェンスが焼いたというアップルパイを切り分けて、互いの罪を受け容れあった彼らは改めて向き直った。鋼の瞳は穏やかな色を湛え、緑の瞳は何処か幸福そうに細められている。
 ワイングラスの蔓を手に持ち、二人はおもむろに乾杯を交わす。グラスに注がれたワインの紅が、触れあって波を打つ。
 照明の光に照らされて、透明な赤紫の影をテーブルの上に落とした。
 イェンスがそっと空席に視線を向ける。何かを懐かしむように。其処に座る“誰か”を愛おしむように。
 ――愚かだったのは彼女だけではない。
 自分も、彼も、誰もが彼女と同じだ。もしかすれば今もそうなのかもしれない。
 それでも、自分は誰が何と言おうと、彼女を愛している。愛し続ける。
 全ての人に忘れられた時、人はもう一度死を迎える。
 ――だから、永遠に忘れない。新たな一年を迎え、イェンスは再びそう誓う。彼女への愛を籠めて。

「誕生日おめでとう」
「――Happy Birthday, Ms.」

 彼らの祝福を、聞き届ける者は居ただろうか。

 ――二人の歩む新たな旅路を、庭園の隅の菫の花が静かに見守っていた。

 <了>

クリエイターコメント二名様、大変お待たせいたしました。オファー、ありがとうございました!

今回ノベル中では言及しませんでしたが、ヴィオラ(菫)の花は『貞節』を花言葉に持ちます。
これまでに築かれてきたお二人の最後にして始まりの一歩を描く事ができ、光栄に思います。PL様のご期待に添えられていれば、幸いです。

今回は素敵な物語をお任せいただき、ありがとうございました。
罪と向き合う事が出来たおふたりの、これからの人生に、光在りますように。
公開日時2014-03-30(日) 20:40

 

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