オープニング

 郭に憚り二重の小袖。情の剥く儘夜毎舞い、怨み辛みに夜伽襲い、恋に煩う逢引千切り、契った殿方探し求む。誰(た)が水差した、誰が止めた。彼(か)は海に帰依、彼は町に消え。呼べど詠えど逝ったきり、泣けど叫べど迎えに来ぬ。

 今宵呪おか城の犬。明日は縊(くび)ろか墨の鬼――。


  ※ ※ ※


 其の日、主を失して未だ然したる間も経ていない骨董品屋『白騙』の前座敷には、似ている様で対照的な二人の男が共に煙管から紫煙を昇らせていた。
 片や紫を、片や朱をそれぞれ羽織る彼等が向かい合う様を見て、恰も二色の紫陽花が並んで居るよう――等と洒落た云い回しが想い付く程、二人を呼びつけた雀斑女の機知は磨かれていなかったし、懼らくこれからも磨かれる事は無いが。
「実は菊絵から連絡があったんですよう」
「ほォ。達者にしとるんか」
 ガラの口から近頃見掛けなくなった娘の名が出たので、灰燕が視線も遣らず訊ねる。
「うん。なんかね、お役目って云っても殆ど只居るだけだから、毎日食べて寝てばかりで暇なんだって」
「おー……羨ましい話だねぇ」
 見知らぬ迄もそれと無く話題を察し、アラクネが妙にしみじみと零す。
「けれど若い娘さんには少しばかり毒じゃあ無いのかい?」
「細い娘じゃけェ、誂え向きじゃろ」
 ちィとばかし太るぐらいで丁度ええ――灰燕がくっと笑えば、アラクネも成る程なぁと間延びした生返事を返しがてら煙管を返して火鉢に吸殻を落した。
「でも、今ちょっと困ってるみたいなの」
 ガラはそう云うと、導きの書を開く。
「アラクネは初めてですよね。んと、西国の花京――って都なんだけど――で、なんか着物が大暴れしてるとかで」
「大暴れ?」
「そう、大暴れ」
「……付喪神か」
 懼らく多分に語弊のあるこの世界司書独特の表現に目を丸くするアラクネに知らせる意図もあるのか、灰燕は端的にそれだけ云った。

 付喪神とは、朱昏に遍く存在する感情の力『朱(アケ)』が歳月を経た器物や長生きした動物等に作用して、それらが怪異に変じたものの総称だ。着物も又例外では無い。

 さて、ガラの話に拠れば、この処花京の茜宿(あかねやどり)――特に茜八(あかはち)と呼ばれる傾城町の界隈で、夜毎殺人事件が出ているらしい。
 被害者は何れも男性。何処かの郭で一夜を過ごしている最中、或は意中の女性との逢引の最中『着物』に襲われ、或る者は狂い死に、或る者は絞殺されている。
「どんな着物だい?」
「それなんだけど、違う柄の小袖が二枚重なってるんだって」
「二重の小袖、か。妙だねぇ……柄は?」
「見た人――一緒に居た女の人――の話だと、上が…なんか良く判らない珍しい柄の白い着物で、下は羽ばたく燕模様の黒いけど派手な着物、だったかな?」
「上の柄が気になるけれど……普通そんな紬合わせはしないなぁ」
 少しは手掛かりをとアラクネが問うてもガラの説明は今ひとつ要領を得ない。せめて着物の由来が質せれば原因究明の糸口が紡ぎ出せるかも知れぬのに。
「後は直接往ってみて何とかするしかないですねえ……行ってくれます?」
 ガラが機嫌を窺う様に上目遣いで二人の顔を交互に見比べた。そも、二人を此処に呼んだのは仕事の話である旨を今初めて明らかにした訳だが。
「――まァええじゃろ」
 灰燕がふーっと紫煙を吐いてぞんざいに頷く。
「往くのかい」
「どがァ小袖か一目見とォなった。そんだけじゃ」
「そうさなぁ……じゃあ俺も」
 アラクネも然して悩むでも無く気軽に乗った。
 共に付喪神と然程違わぬ怪異に類する者なれば、畏れや衒いとは縁遠き故。
「何とか出来るのかは往ってみないと判らないけどねぇ」

 斯くして稀代の機織と刀匠は、肩を並べて朱の地へ――。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
アラクネ(cbew8525)
灰燕(crzf2141)
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品目企画シナリオ 管理番号3196
クリエイター藤たくみ(wcrn6728)
クリエイターコメントリクエストありがとうございます。藤たくみです。
朱昏は西国より、茜八の連続殺人事件をお届けにあがりました。


さて、どうやら小袖に何者かの情念が染み付いて悪さを働いているようです。しかも、ややこしい事に二着重なっています。ひょっとすると、宿った情念もまた、重なっているのかも知れません……。

プレイングでは捜査方法や小袖の処遇、本件に対する想いなどに触れて頂ければと思います。これまで西国で起きた出来事を元にして頂いても、OP情報のみから類推して頂いても構いません。

茜宿は、端的に言ってしまうと江戸時代の浅草に酷似しています。
(宜しければ『【穐原に咲く京】茜宿に通人来たる』もご参照下さい)
事件は同街区に存在する色町『茜八』で起きていますが、お二人のお考え次第では茜宿、引いてはお城を含む花京全域が行動範囲となり得ます。将軍家や菊絵に働きかける事も可能です。

他、何かお考えなどございましたら、どうぞ御心のままに。


それでは――最後となる【朱妖白語】、アラクネ様と灰燕様の手で是非紡いで下さいませ。ご参加心よりお待ちいたしております。

参加者
灰燕(crzf2141)ツーリスト 男 28歳 刀匠
アラクネ(cbew8525)ツーリスト 男 35歳 機織

ノベル

 二人が穐原城を訪ね、通されたのは城の中心に位置する、白虎を祀る部屋だった。襖も障子も無いが、呪符の吊るされた注連縄で囲われ、何重と結界を施されているというこの城においても、特に厳重に扱われている場所の様だ。
 将軍は生憎多忙で面通りが難しいとの事だったが――そして当人は其の事が非常に不服らしいが――アラクネと灰燕としては余計な手間が省けて何よりである。

「おっちゃんっ」
 陰陽珠を据えた祭壇の前にて煙管をふかして居ると、後ろから聞き覚えのある、併し記憶のどれより随分と明るい声に灰燕が振り向けば、年頃の娘が黒髪を揺らして駆け寄る様が認められた。其の頭上には豊葦原の真理数が浮かんでいる。
 間近迄来ると――心成しか少し背が伸びただろうか、面立ちや体つきも仄かに女性らしさを帯び、前にもまして母親――彼の女妖に似て来ているのが見て取れた。
 だが、先に想起するのは白虎では無く――、
「まさか灰燕のおっちゃんが来てくれるなんて、思わなかったよ」
「何、あんたの顔を見に来ただけじゃ」
「嬉しい!」
 娘――菊絵は飛びつかんばかりに喜色を体現する。中身は未だ子供の様だ。刀匠は菊絵に、彼女の抜け殻とも謂うべき童女の――そして主の為にそれを動かし続けた付喪神の姿を重ね、薄らと笑んでみせた。人懐っこいとどちらが犬か猫か判った物では無い、等と埒も無い事を思い乍ら。
 実際灰燕の目的は半ば以上言葉通りで、この娘の安寧を願い、それを彼に託した白犬の望みが叶っているかをひと目確かめたかったと云うのが主だ。
 ――達者でやっとるようじゃの。
 そしてそれは懼らく最良の形で掬ばれているからこそ、灰燕は笑った。

「あっ、こんにちは、はじめまして!」
 菊絵はもう一人の旅の匠に気付き深々とお辞儀をした。
「菊絵さんだね。色々と噂は聴いてるよ」
 アラクネは屈託の無い笑顔で応え、娘が羽織る見慣れぬ柄――聞けば遥か北の民が着るのと同じ魔除けの紋だとか――が縫い込まれた白い衣をそれとなく窺い、灰燕と視線を交わす。刀匠が受け流す様に紫煙を吐いたのは合図だろうか。
 兎も角機織は話題を変えた。
「そうそう、噂と云えば、茜八界隈で着物が悪さを働いてるとか謂うけれど?」
「西国の守として、何かしら見得るもんがあったりはせんか」
「――うん」
 菊絵も元よりその話題に触れる気で居たのだろうか、男達の用件に幾分声を落として語り始めた。

 菊絵に拠れば、不穏な氣を感知したのは龍燈祭を終えて少ししてからとの事だった。併し、如何にも実態が掴み難いのだとか。
 朱と古物が交わり陰に目覚めるは常、故に平時であれば怪異について西国を見通す金の宝珠で見通せぬ事など無い。処が――
「おかあさんがみやこに来たときの事が関係してるみたい」
 穐原城に単身――と云うべきなのだろう――攻め入ったレタルチャペカムイ――その強大な妖気にあてられた古物の一部が共鳴し出したのでは、と。
 この地を治める宝珠と同質、同等の陰気が重ねて波及している為に、未だ其の扱いが不慣れな菊絵には個々の識別が難しい様だった。


  ※ ※ ※


 アラクネと灰燕は、二手に分かれ、観光がてら情報収集する事にした。

「んー、白虎の一部、か」
 城下に下りて雑踏に紛れたアラクネは何とは無しに呟いた。縁無き事故委細は知らぬものの、またしても白か、と思わずには居られない。彼は白い小袖の側を調査するつもりで居り、それに該当する品は既に目にしている。
 菊絵の纏う丈の短い着物は、まさしく『珍しい柄の白い小袖』そのものだ。北の民と西国の関係が長きに渡り抉れていたのなら、あれに類するものがそうそう花京にあるとも思えない。あるとするならそれは――
「矢張り芸能……かねえ」
 西国――征夷軍と神夷の戦は凄まじく、数多の英傑をも生み出した事だろう。史実が色をつけて語られる場――即ち劇場を求めて、アラクネは歩き出した。
 此処に来る前は能で女役が身に着ける『摺箔』では無いかとみていた事もあり、何れにせよ向うべき場所、訪ねるべき相手に変わりは無かった。
 ――あちらの首尾はどうかな。
 刀匠に預けた己が同胞――蜘蛛の一匹の意識を確かめてみると――


 懐からもぞもぞと顔を覗かせた蜘蛛を隠そうともせず、灰燕は染物屋の主と話していた。主は露骨に戦いていたものの、別に蜘蛛が悪さをする訳で無し、客が涼しい顔をしているものだから、辛抱して会話を続けているようだった。
「白い小袖と云うと、ここの処岐を騒がせている……あの?」
「おォ、小耳に挟んでのォ。どがァ恐ろしいもんか見てみとォなった」
「それはまた随分と酔狂な事で」
「生まれついての性根じゃけェ、どうもならん。――何か聞いとらんか」
「そうですね、あたくしは買いませんので、詳しい事は存じませんけれど、」
 曰く、界隈の被服関係、特に茜八に衣類を卸している同業者間で屡話題に上っているらしい。何しろ、普通そんなものを着る遊女は居ない――と。
 郭女だけでは無い、夜鷹ですら、物珍しさよりかは色香を選ぶ。そうで無いと恒常的に客が取れないからだ。彼女達にとっては死活問題である。
「ですから……小袖のお化け、で御座いますか? もしもそういったモノが本当に居て、夜な夜な人を襲っているのだとしたら」
「元は素人か」
「まあ、判りませんけれどね。黒の小袖と重ねているとも聞きましたし」
「ややっこしいのォ」
「全くで」


「――御同業がそう云うならそうなんだろうねえ」
「何か?」
「いんやぁ、こっちの話」
 既に劇場に到着し、ずらりと飾られた着物を眺め乍ら役者の話を聞いていたアラクネだったが、離れている仲間と染物屋の会話に反応したものだから、相手は怪訝な表情を浮かべた。
「で?」
「はあ」
 アラクネに先を促され、役者――シテの当代らしい――が首を傾げ乍ら続けた。
 『白い小袖』について複数の心当たりがあると云うのだ。
「ひとつは貴方様の見立て通り『摺箔』仕立ての袖です。但し此方は物が物です故、管理も重く厳しい。そうそう失せは致しませぬ。併し――もうひとつ。御城中の、巫女様であらせられますか、其の方が纏っておられる魔除けの着物――アットゥシですな。私共の演目に征夷を題材とした物があり申して」
「」
「鬼――神夷の事を昔はそうも呼び慣わし申して――要するに敵方の演者が扮する際、それを纏います。と云っても多くは模造品に過ぎず、又演目の所作の都合上、小袖にする事が儘あります。……唯、」
「ただ?」
「唯、一着。真物との触れ込みで質屋が売りに出して居た事が、随分昔にあったのだそうで。何でも相当位の高い鬼女――否、巫女が着ていたと、そう耳にしております」
「どれぐらい昔の事?」
「確か、五十年前だとか」
 ならば質屋で裏を取ろうとしても徒労に終わるか。せめて所在を知りたい。
「其の一着は今何処にあるんだい」
「それが、その……」
 饒舌と云うよりは冗長なシテは演技の時と同様に朗々と語っていたそれ迄とは打って変わって、云い悪そうに妙に小振りな口をもごもごさせて目を逸らした。
「無くなったんだねえ」
「………………如何にも」
 最前に管理が厳重だとかうそぶいていたから口篭ったのだろう、併しアラクネは泣き所は突付かずに、それは何時頃の事かと訊ねた。
「時期と致しましては極最近――龍燈祭の後、となりましょうか」
「おー……」
 ――偶然じゃあ無さそうだ。
「善ぉく判ったよ、有難う。稽古の邪魔して悪かったね」
 機織屋は場違いを詫びて踵を返した。

「……?」
 シテの男はせめて見送ろうと機織屋を眼で追って、瞠目した。
 長い黒髪を束ねた男の後ろ姿が、珍客の背にちらちらと重なって見得たから。



 刀匠は茜八界隈をぶらついていた。
 此処に到る迄にも書画、織に関する店を幾つも廻り冷やかしてみたが、目の保養にも些か飽いて来た処だった。
 只、其の最中でひとつだけ気になる噂を耳にした。

「茜八を騒がす怪は無念に果てた太夫の怨念」
「指切りを交わした男を探しているのに違い無い」

 何でも、其の太夫に縁のある燕柄の黒い小袖を見た者が居たらしい。
 何処かで聞いた話だった。単に有り触れているというのでは無く、其の様な出来事が昔あったと、報告書か何かで知った様な気がする。確か、茜八随一の――
 ――骨董屋が居れば早かろうにのォ。
 だからと云うのとも違うが、灰燕は或る太夫の元へとのんびり向った。
 花京一の器量持ちと名高い燕(つばくろ)太夫――買ってみるのも悪くは無い。


「折角の色町だ。それも好いさね」
 アラクネもまた、茜八堀の内側に足を踏み入れ、客引きや茣蓙を抱えた夜鷹をのらりくらりとかわし乍ら、ゆらゆらと歩き回っていた。
 適当な郭の前を通る度にしれっと蜘蛛を放ち、潜り込ませておく事は忘れない。何せ閉鎖された環境の事、外部では聞けぬ様な情報が囁かれているだろうから。
 こうしてアラクネは灰燕に貸した蜘蛛を併せ四箇所と自身の目、計五つの視点と感覚を同時に得乍ら、傍目には飄々とした佇まいで傾城町を闊歩した。
 既に日は傾き始めている。
 小袖の怪――そしてアラクネにとっては動き易い夜闇が、刻一刻と迫っていた。


「――、」
 藍と朱の狭間に染まる巷間、灰燕の前に聳える大きなつくりの料亭は、軒先からも窓からもぼうやりとした灯が滲む。併し――腰に差した愛刀の鞘と柄との狭間に漏れる白焔は、其の妖性を主に警告した。
「判っとる」
 胡散臭いのは中に潜むモノか、或は此処自体か。後者ならば案内の引き手茶屋――引いてはこの場所を知る総ての者が化かされているのかも知れない。
 刀匠は半身たる妖に応え、それでも鷹揚な足取りで開け放たれた戸を抜けた。
「ふん」
 郭の中から、さ――っと湿った微風が歓待し、白髪と朱い羽織を揺らせた。


  ※ ※ ※


「わっちを据えて大姉を買おうだなんて――じれったい」
 灯火でぼう――と赤らんだ暗い部屋で、真っ黒な小袖の女が白い手を添え酒を注ぐ。
「逆じゃな。あんたの事を聞いて、一杯やりとォなった。……肴は先代の方じゃ」
「ほんに?」
「さてのォ」
「もうっ」
 杯に満ちて膨らんだ、室内の色の総てを映す吟醸の中で、涼しげな女の頬が膨らんだ。灰燕はそれごとぐいと飲み干し、柔らかくもきつい辛味を愉しむ。
 今度は自身の杯へ音も無く酒を注ぐ女は、「語るも何も外で謂われてる事で全部でおざんす」と、一見相手に事情通にしか判らぬ言を吐いた。
「尾ひれもついとらんちゅう事か」
「へえ」
 先代の燕太夫は、書道家との駆け落ちに失敗して掴まり、折檻される最中自害した事で知られる。又、その亡骸は葬られて間も無く何者かが持ち去ったのだとも。
「なら男は何処に消えた」
「消えちゃあござんせんしょ。『隋明』の御主人でありんすから」
「聞いた名じゃの」
 隋明と云えば、確か以前花京で遊んだ旅人が墨を買った、四友売りの屋号だ。
「それはもう。何しろ花京一の――」
「あばら屋か」
「はははっ、そうそう、」
「墓暴いたんもそやつの仕業か」
 けらけらと哂っていた女の聲が、ぴたり――止む。
 灰燕は「ん?」と眠たげな眼を女に向け、答えを促した。
「……わっちには。なんの事やら」

 ちり。

 空気が湿る。肌を冷やす。
 傍らに置く半身が、かたかたと揺れた。
 ――急くな。
「まァええ。――話は変わるがよ。あんた、白い小袖の遊女を知らんか」
「しろ」
「おォ、白じゃ」
「真っ当に――なんて一等似合わぬ生業だけれど――自分を売って生きてく女は先ず選ばない、いろ。もし、どうしても纏うのなら。その時は、」

 ちり。

「その時は?」

 きちり。

「生きて郭にゃ戻らぬ覚悟、」
 澱んだ風が起こる、渦巻いて――女を囲む。刀匠の朱い羽織が舞い上がり――何方より出でたか――入れ替わりで白い、灰燕自身一度は目にしたのと寸分違わぬ色柄の着物が、ゆらゆらと舞い降りる。けれど容は小袖織。
「ほうじゃろな」
 灰燕は尚身動がぬ、金の眼差しは僅か鋭く細め、臆面無く顛末を待つ。
『なのに』
「なのに」
 既に灯火の消えた部屋に響く二重の聲は、燕太夫と――――白虎のそれ。

『「あの人とうとう来なかった」』

 白い小袖が灰燕の視界を遮り――過った、直後。


 真っ白い手が刀匠の首目掛け、するり、伸びた。


「行け」
 灰燕は抵抗するでも無く誰かへ云う、懐から黒い手の如きモノが跳んで、二重の小袖に取り付く、存外重いか――黒手ことアラクネの蜘蛛を捲き込んだ小袖は畳へずるりと摺り下ろされ、さっと床を撫でて。
 同時に鞘から白焔が飛び出し、それを威嚇する風に、主を守る風に空をひと薙ぎする。白手は火に臆したか、こそこそと、まるで蜘蛛の様に袖口へ引っ込んだ。
「白待歌、もうええ」
『御意』
 白焔は命じられる侭、元通り鞘へと吸い込まれた。
 二重の小袖は今尚薄く朱色が明滅している。
「――いやいや、危なかったねえ」
 言動の割には何とも暢気な調子の、機織屋の聲がした。
 視線を送ればアラクネは開いた障子戸の縁に凭れ、煙管をふかしている。何時から其処に居たのか、機見ていたのか、或は直で見物に来ただけか。
「それ程でも無かろ」
 背に再び羽織が舞い降りるに任せ、灰燕は小袖の方を見遣る。
「女、何を求めとる」
 首を絞めんとした両の手は、殺意というよりは縋りつく動作に近かった様に思う。だが、其の心中を推し量るには刀匠は人の心が視得ぬ。だから問うた。
 まるで一人の女にそうする様に。
「悪戯に見知らぬ男を手に掛けて、それでええんか。満足なんか」

 あのひとは
『あのひとは』

 どこ。

「……? 店には居らんのか?」
「んー、そうさなあ」
 小袖の聲に怪訝な顔をした灰燕に応えたのは、アラクネだった。
「余所の店で聞いたんだけれどねえ」
 郭に忍び込ませた蜘蛛のうち一匹が聞いた話だ。
「俺も小袖の探し人が隋明の主人って聞いてね。なら引き合わせれば簡単だと思ったんだよ。でも……龍燈祭だっけね。其の頃に、どうも死んじまったって」
 二重の小袖が幽かに揺らぐ。驚いた様に。
 想い人を捜し求める情念。其の男は逝き……本当に何処かで聞いた様な話だ。
 同じ様な念が重なり、同じ意思を以って別々の相手を求め――けれど、幾ら呼べど叫べど、来てはくれない。何故なら、彼等は既に居ないのだから。
「……知らんかったんじゃな、あんたは」


  ※ ※ ※


 二人――否、二重の小袖も入れれば四人は、夜明け前に『隋明』を訪ねた。
 無人と化して久しい故か元より傾いだ佇まいなのか、聞きしに勝る荒廃振りで今しも倒壊せんばかり。中では、物盗りの仕業か、売り物は粗方喪われており、棚やら台やら家財道具やら、一切が散らかっていて、当に廃墟と云う外無く。

「あー、あったあった」
 白待歌の焔に照らされる中、アラクネが土間の枯れ井戸から桶を引き上げると、鎮座するかの様に骨が整い、央に形の好い小振りな頭蓋が置かれていた。
「間違い無いかい?」
 アラクネに問われ、小袖の内黒の側のみ、燕が滑空する様にして桶の頭蓋に覆い被さる。それを見た灰燕は遺されたアットゥシとも小袖ともつかぬ白衣をむんずと掴み、燕黒の上に乗せた。
「此奴も一緒じゃ」
「なんでまた?」
「男共は同じ場所で待っとる。……懼らくの」
 勿体無い等と云い乍ら不思議そうにするアラクネに、灰燕は判る様な判らない様な事を云った。
「ふうん、往く処も同じって訳だ。じゃあしょうがないねえ」
 アラクネもまた、適当に頷いた。

 縄を断ち、戸外へ桶を持ち出すと、灰燕は白待歌でそれを取り巻いた。
「焔は情けよ」
 冷暗所に置かれていた故幾分か湿って居た侭の桶は、併し鉄をも容易く融かす白焔に拠って瞬く間に燃え上がる。
「綺麗なもんだ」
 煌々と揺らぐ光景を前に、アラクネがぽつりと呟く。
「彼岸で達者に暮らすがええ」
 灰燕の聲がくべられた薪の如く、朱がけぶり、焔の上に燕太夫の顔が浮かぶ――重なる様に、矢鱈長い髪を垂らした女の姿が顕れ――又太夫になって。女達は喜びとも哀しみともつかぬ表で瞑目し――其れを抱きすくめる様に、白焔が一層燃え上がった。
 彼の中に人の情と呼べる物が遺されて居るのなら、それはきっとこうなのだ――と、アラクネは特に根拠も無く想った。
「おんやぁ?」
 ふと、アラクネの身からするっと何かが抜け出でた。どうやら人の姿をしているが、其の顔は鬼の面でも着けているのか、後姿に鋭い角が見て取れる。
 其れは一度だけ幽かに振り向いて、自らも焔の中に進み、消えた。
「勝手なもんじゃ」
 徐に灰燕が語散る。
「なんのことだい?」
「なんもない」
 事態の飲み込めぬ機織屋がきょとんとしても、刀匠は何も云わなかった。


 夜明けを待たず燃え尽きた女達の遺灰は、二人の手で近くの寺に奉られた。


(了)

クリエイターコメント度々お待たせして申し訳ございません。
花京は茜宿茜八堀より小袖の怪異をお届け致します。

古い道具や衣類には相応の歴史があるもので、本件における小袖もまた、これまでの出来事の積み重ねがあっての事なのでした。

アラクネ様、もしかするとぽかんとさせてしまったでしょうか。
ですが……この企画オファーを頂けた事で、シリーズで描き切れなかった面を幾つか落ち着ける事ができました。能に触れて下さった点も嬉しい誤算でした。本当に感謝です。

灰燕様白待歌様、最後に菊絵と会って下さり、また、いつもながら過去に基いたプレイングをお寄せ頂きありがとうございます。
五十年前~朱妖白語~瓊命分儀の顛末とも云うべき出来事、このような着地となりました。お付き合い本当に感謝です。

とても楽しく書かせて頂きました。
お二人にとってもお楽しみ頂けましたら幸いです。

この度のご依頼ご参加、まことにありがとうございました!
公開日時2014-03-25(火) 23:10

 

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