オープニング

 ――5年後:ターミナル・『とろとろ』

 カレーとスープの店『とろとろ』は5年前と変わらない場所にあった。強いて変化を上げるならば、店の広さが1.5倍になったぐらいであろうか?

 店に入ると、エルフっぽい世界司書のグラウゼ・シオンがにこやかな笑顔で出迎える。店内では数名のロストナンバー達が働いていた。
「いらっしゃい。ああ、バイトも増えてお店も賑やかだろう?」
 グラウゼが楽しそうに笑っていると、店の奥から若者の声がする。そっちに顔を向けると……『ネコノテ』のメンバーが食事をとっていた。
 まとめ役の青年、イェンは大盛りカレーを食べながらにっ、と笑った。
「時々俺達でこの店手伝ったりしてるんだ。ま、今日は違うけどさ。普段は仕事したり、依頼受けたりして世界を飛び回ってて充実しているよ」
 イェンがそういえば他のロストナンバー達も其々楽しい生活を送っている、と言っていた。
 折しも、0世界大祭の準備の真っ最中。今年も様々なイベントが用意されているらしく、連日話し合いや会場整備と、最近のターミナルはとても賑やかなようだ。
 話によるとナラゴニア側にも会場があり、共に盛り上がろうと楽しい熱気に包まれているという。
「世界司書の仕事もちゃんとしてるけど、最近は祭の準備で厨房に立つ割合が増えたかもな。……っと、俺の事よりも」
 厨房から顔を覗かせたグラウゼがそういい、にこっ、と笑いかけた。
「もしよければ、君の事について聞かせて欲しい。ここんとこ、どんな調子だい?」
 貴方がグラウゼに誘われるがまま色々と話せば、グラウゼは楽しげに瞳を細め、相槌を打つ。そして、穏やかな声で感想を述べつつ美味しい料理を振舞ってくれる。
 一時期ではあるが少々落ち込み気味だったグラウゼだが、今はもうすっかり元気になっているようだった。
「ま、今年も無事に0世界大祭が終わればいいんだが……」
「そういえば、アーカイブ遺跡に潜り込もうとしている人がいるって噂に聞いたぞ」
 イェンがカレーのお替りを催促しながら言えば、グラウゼは少し考えるような顔になる。それが真実か虚実かはさて置き、と呟くと彼はアルバイトから受け取った皿にカレーを大盛りにしつつ
「ま、トラブルがあればみんなで対処すればいいんだしな」
 とからから笑ったが……ふと、真面目な顔で何かを考える。その様子を見つつイェンは「相変わらずだなぁ」と苦笑していた。

 ――ナラゴニア。

「今年もいよいよ0世界大祭か」
「ナラゴニアもいつになくそわそわしているみたいですね」
 十三委員会の一人、リオードル・ヴルフェンデュークが街の様子を見て呟き、傍らでは黒髪をツインテールにした少女、ルゥナが頷いている。彼女は暫定政府発足時からリオードルの手伝いをしていた。今も公務の帰りである。
 ターミナルとナラゴニアの間で通商が自由になって以降、人々はより活発に交流を重ね、今では概ね友好な関係を気づいている。
「……まぁ、今の状態が安泰なのかもしれないな」
「まるでおもちゃ箱をひっくり返したような感じですけれどね」
 リオードルがため息混じりに呟けば、ルゥナが苦笑した。
 暫くゆっくりと見回っていた2人だが、1件の店の前に来た。それは『とろとろ』のナラゴニア店で、グラウゼに教えを請うたナラゴニアのツーリストが暖簾分けして作った店だった。時々ルゥナもそこで食事をとっている。
「リオードル様、今日のお昼はここにしませんか?」
「もう、そんな時間か。……そうだな、たまにはいいだろう。」
 2人はそう言って店の方へ歩き出す。ドアを開けると、赤毛の女性が「いらっしゃい、お二人さん」とにっこりわらった。

 そんなこんなの日常が、ターミナルとナラゴニアでは続いていた。貴方の日々もまた、その中に溶け込んでいるのだろう。それこそ、暖かなスープのように。



<ご案内>
このシナリオは「ロストナンバーたちの後日談」を描くものです。

プレイングでは、みなさんの「その後の様子」をおしらせ下さい。
このシナリオは便宜上0世界が舞台として表示されていますが、どの世界の出来事でも構いません。

例:
・3年後、ヴォロスに帰属した。冒険者相手の酒場を経営している。
・数年後、○○さんと結婚。今もターミナルで暮らしている。
・冒険の旅に出た。新たな世界を発見し、探索を続けている。
・10年後、故郷の世界に帰り、再帰属を果たす。○歳まで生きて天寿を全うした。
※「○年後」という表現があれば、北極星号の帰還の年から数えます

相手のある内容の場合(結婚等)、お相手の方も同じシナリオにご参加のうえ、互いのプレイングに明記をお願いします。
帰属済みであるなどしてシナリオに参加できない場合、設定欄等に同意があることをわかる記述をお願いします(納品されるまでそのままにして下さい。ライターが確認したタイミングで書かれていなければ参照しません)。

なお、このシナリオの結果として、帰属や死亡が描写された場合でも、ステイタス異常にはなりません。

!重要な注意!
このシナリオのノベルに関しては、どのような理由であっても、納品後の修正依頼は一切受け付けません。

「故郷の世界」や、「新たな世界」を描写する場合、担当ライターにその設定も含めて一任していただくものとします。

複数のエピローグシナリオへの参加について、制限はありません。ただし、ライターは別のライターが執筆するシナリオの内容については関知せず、両者の内容について整合性を保つ義務は負いません。

シナリオに参加したことをもって、上記の点をすべてご了承いただいたものとします。

品目エピローグシナリオ 管理番号3259
クリエイター菊華 伴(wymv2309)
クリエイターコメント菊華です。
とうとうエピローグシナリオと相成りました。
寂しい思いをしつつ送り出させていただきます。

概要
こちらは5年後のお話です。
「5年後、自分がどんなことをしているか」
など色々やりたい事を盛り込んで頂けると嬉しい事です。OPとずれたものでも大丈夫!

舞台はターミナルかナラゴニア。
『とろとろ』での食事の場合【ターミナル側】か【ナラゴニア側】かの記入もお願いします(未記入の場合【ターミナル側】の描写になります)

また共に行動する人がいましたらプレイング冒頭に相手の名前とIDの記入をお願いします。複数名いらっしゃる場合は【チーム名】でも構いません。

因みにこのシナリオでは
・『とろとろ』でグラウゼやイェン達【ネコノテ】メンバーとおしゃべりする
・ナラゴニアでルゥナやリオードルとおしゃべりする
事も可能です。「5年後」の『とろとろ』で一緒にわいわいやりましょう。

 ちなみに、『とろとろ』のアルバイトをしているって人もOKですよ(ターミナル側のみですが)。

プレイング期間は7日間です。
それではよろしくお願いします。

参加者
カグイ ホノカ(cnyf6638)ツーリスト 女 27歳 元クノイチ
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)コンダクター 女 16歳 女子大生
スカイ・ランナー(cfnn1844)ツーリスト 男 18歳 環境テロリスト
仁科 あかり(cedd2724)コンダクター 女 13歳 元中学生兼軋ミ屋店員
脇坂 一人(cybt4588)コンダクター 男 29歳 JA職員
鮫島 剛太郎(cenb9446)ツーリスト 男 35歳 漁師
夕凪(ccux3323)ツーリスト 男 14歳 人造精神感応者
新月 航(ctwx5316)コンダクター 男 27歳 会社員
樹菓(cwcw2489)ツーリスト 女 16歳 冥府三等書記官→冥府一等書記官補
金町 洋(csvy9267)コンダクター 女 22歳 覚醒時:大学院生→現在:嫁・調査船員

ノベル

前奏:苦い夜に

 ――北極星号・帰還前夜

 珍しくターミナルに夜が設定されたその日、樹海のどこかで紅蓮が巻き起こる。そして、暗闇に呆然と立ち尽くす赤い瞳の女性がいた。

 時を同じくして、金色の瞳の若者がターミナルを走っていた。胸騒ぎを覚えた彼は友達の姿を探して走っていた。
(……樹海か?)
 予感のままに樹海へ赴けば、どこかで上がる煙。若者はそれを目指して走ったものの……、着いた頃には僅かな消し炭しか残っていなかった。
「まさか、こいつは……!?」
 駆け寄り、消し炭に手をかざす。再生能力を持つ彼は居てもたっても居られずその力を試行したが、何も起こらなかった。溜め息を付きながら辺りを見渡すと、地面に僅かな血の跡が残っていた。それを辿った彼は、ターミナルへ戻り……小さな確信を得た。
(間に合わなかったか……)
 彼は、自然と手を握り締めていた。

 一方、その頃。とある地下の部屋では白いワンピースを纏ったテディ・ベアを抱えてベッドに座る男の姿があった。その顔は少しやつれているようにも見え、どこか哀しげだった。
「なぁ、……。彼女がどこかの世界で生きてる、と思うだけでいいんだよな……? たとえ……」
 そこから先の言葉は涙に潰れて聞き取り辛かった。彼はただただ声を押し殺して泣いていた。テディ・ベアは、ただ静かに男に寄り添っていた。

 あの日預かったカトラリーは、結局使わないまま大切に保管されている。
 娘も同然に思い、慈しみを覚えた2人の乙女は、もうターミナルにいない。


起:ある『とろとろ』の日常

 ――北極号帰還より5年後・0世界大祭前

 今年も0世界大祭が行われるとあり、ターミナルもナラゴニアもとても賑わっていた。人々は準備に追われてはいたが、どの人もとても楽しそうである。

 その賑やかさから少しはなれたとあるチェンバー。空を飛ぶ魚の棲家となっているそこで、イタチザメの獣人青年が漁を行っていた。様々な魚を捕らえながら、今日も大漁だと満足げに瞳を細める。
(さて、このぐらいか?)
 鮫島 剛太郎は魚の量をみて判断し、運び出す準備を始めた。そうしながらもふと思ったのは、世界の絞込みの事である。彼は出身世界である【浮遊世界ソル・マーニ】(浮遊諸島の世界)を探しているのだが、何故かモフトピアが検索に引っ掛かってしまうのである。
「この間も上手く見つからなかったしなぁ。何時になったら見つかるのやら」
 そんな事を溜め息混じりに呟きながら、彼は愛車である飛行軽トラで魚を運ぶのだった。

 あちこちに卸しているうちに、最後となった。剛太郎は届け先を確認し、1つ頷く。
「今日は、『とろとろ』で最後だったな。丁度飯の時間だし、渡りに船ってモンだ」
 飛行軽トラを店の裏手に用意された駐車場に置き、彼は『搬入』と書かれたドアをノックする。と、サングラスと長い髪が特徴的な若い女性が現れる。剛太郎の記憶が確かならば、世界司書の一人である無名の司書だった。彼女は嘗て『とろとろ』でアルバイトをしていた2人のコンダクターとも交流があった事もあり、時折グラウゼと思い出話をしたり、店を手伝ったりしていたのだ。
「こんにちは、剛太郎さん! グラウゼさん、呼んできますね」
「わかった。取次ぎ頼むよ」
 剛太郎が頼めば、無名の司書は笑顔で頷き店の中へと消える。暫くしてエルフっぽい男が顔を出し、明るい笑顔を見せた。
「よぅ、グラウゼ。待たせたな」
「今日もありがとうな、剛太郎さん。いいタイミングで持ってきてくれて助かるよ」
「そう言ってもらえると嬉しいね。さぁ、シーフードカレーには勿論スープにも最適な採れたての魚介類だ!」
 そう言いながら発泡スチロールの箱を取り出せば、様々な食材が出てくる。0世界大祭の前ならば在庫が足らなくなるだろう、と多めに持ってきてくれたそうだ。グラウゼはその1つ1つを吟味する。
「今日もいいのが揃ってるな~」
 そう言いながらグラウゼは食材を選ぶ。そして、彼は海老の盛られた笊を見て満足そうに笑う。それを見ながら剛太郎は漂ってくるカレーの匂いに空腹になっていた。
「ああ、それとだ。俺にもカレーを頼むよ」
 と、グラウゼに頼めば、彼は笑顔で頷く。
「ならお店の中にどうぞ。そっちのドアから入れるから。好きなだけ食べてってくれ」
「恩に着るよ」
 剛太郎はそう言うと別のドアから店内へと入っていった。

 剛太郎が店内に入った頃。店の一角ではコンダクターの少女と青年が向かい合って話をしていた。少女は仁科 あかりで、青年は脇坂 一人である。そしてよく見ると、あかりの頭上には壱番世界の真理数がちらついていた。
「帰属前にいっしょに食事がしたい」
 そういったあかりの願いもあって2人はそこに居たのだが……今回はもう一人、ここで合流する人がいた。しかし未だ来ていないようだ。
「何かあったのかしら?」
 不安げに一人が呟き、、あかりが首を傾げながらノートを手に取れば『少し遅れる』と連絡が入っていた。
「先に食べててって連絡があったけど、どうする?」
「もう暫く待ちましょ」
 一人にそう言われ、あかりは小さく頷く。その様子に、赤い髪の女性が近づいた。彼女は開いたグラスを見せて御冷のお変わりを問う。2人とも頷けばライムの薄切りと氷の入ったポットを傾け、涼しげな音を立てつつ水を注いでくれた。
 赤い髪のホールスタッフ……カグイ ホノカは13号帰還直後から『とろとろ』のアルバイトとして働いている。確かな料理の腕と丁寧な接客がグラウゼの目に留まり、採用された彼女は、今では料理上手で下ネタもそこそこついていける陽気な店員さんとして親しまれていた。
「あら、今日はデートかしら? 妬けちゃうわね」
「んもー、違うよ~。後から友達も来るし」
 ホノカにそう言われ、あかりはくすくす混じりに答えているとドアが開く。ホノカが直ぐで迎えたのは、黒髪と葡萄色の瞳が特徴的な若い男性だった。その姿を見、あかりが手を振る。
「待ってたよ、ノユゥさーん!」
「ごめん、遅れてしまって……。ちょっと司書さんへのレポート、今日が締め切りで慌ててたんだ」
 さっき出してきたから、と苦笑しつつも一人の姿を見れば真面目な態度を取る。そんな姿に一人は苦笑した。挨拶を交わすと、ユノゥと呼ばれた青年もまた席に着いた。
 ノユゥ・トーノ。彼は嘗てあかりをターミナルへと導いたツーリストであった。彼はその後もあかりを見守っており、気に掛けていたのだった。

「さっきのお客様。すっごい慌てようでしたね」
「そうじゃな。まぁ、司書殿へのレポート提出じゃったらしょうがなかろう」
 ホノカの言葉に相槌を打ったのは、ノユゥの次に入店したジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ。彼女は最近まで壱番世界・イタリアの各地にて料理修行に励んでいた。それが一区切りが着いたので久々にターミナルへと訪れたが、ふと思い立ってここへ来ていた。
 ジュリエッタには、とある世界司書たる恋人がいる。彼女は将来ターミナルに店を構え、ロストメモリーになる事を希望している為、料理の腕を磨いていたのだ。
「久しぶりじゃないか、ジュリエッタさん。最近見かけなかったけど、元気だったかい?」
「修行中の身であったため、こちらに訪問するのは久しぶりになるのう。……グラウゼ殿も息災で何よりじゃ」
 ジュリエッタが笑顔で答えれば、グラウゼは嬉しそうに瞳を細める。ターミナルへ戻ってきたばかりの彼女は、これから他にも行く所があるという。そのため、少し辛さ抑え目あっさり風味のシーフードカレーを……と注文をすれば、グラウゼは「あいよ」と笑顔で応じてくれる。手際よく調理する姿を見つめながら、ジュリエッタは真面目な顔で彼を見つめた。
 ジュリエッタは、アーカイブ遺跡の不調によってグラウゼが昏睡した際、『壺中天』を解して彼の記憶の中へと入った事がある。その際に妻と仲睦まじく過ごすグラウゼの姿や、現在の苗字が本来は妻の名前であった事を知った。そして、おぼろげながら彼が覚醒した理由も予測している。そして今も、たおやかな笑顔が印象的な【彼女】の姿が脳裏を過ぎって、切ない気持ちがちょっと沸き起こった。
(グラウゼ殿は……、どんな思いで旅を終えたのだろう?)
 当時はただただその事が哀しかったジュリエッタだったが、愛する者の記憶を封印してまでも旅をやめ、司書となった彼の心を素直に尊敬できた。
(どういう経緯で決意したのか、問う事はできまい。けれども、きっと強き意思で臨んだのじゃろう)
 胸の奥に僅かな寂しさを覚えていると、グラウゼがにこやかな顔で口を開いた。
「そういえば、ジュリエッタさんは修行していたって言ったが……」
「イタリア料理の修業じゃ」
 ジュリエッタの目が楽しげに細くなり、淡い桜色の唇が楽しげに囀る。グラウゼは調理しつつも静かに耳を傾ける。
「実に有意義な時間じゃった。好みの味は人それぞれじゃが、効率よく作るにはやはり技術を磨くのが一番である、と感じておる。中々難しい物じゃが、コツは掴めて来たのじゃ」
「へぇ~、それはいいじゃないか。もしかして、ターミナルか帰属先に店を開くのかい?」
 興味があるのだろう。自然と目を輝かせるグラウゼに、ジュリエッタは顔を赤くしつつ口を開く。
「その通りじゃ。将来はここ、ターミナルに店を構えたいと思ってのぉ。まだまだグラウゼ殿と比べるとヒヨッコじゃが、いつか実現させてみせるのじゃ!」
 最後は気合いの入った声でそういえば、グラウゼは1つ頷く。そして、より楽しげに瞳を輝かせて笑うのだ。
「そのやる気、いいじゃないか。そうだな、店を開くに当たって相談したい事とかあればいつでもおいで」
「かたじけない」
 照れ交じりにお礼を言えば、丁度カレーが出来上がる。ほかほかのご飯に少しさらっとしたルー、剛太郎が持ってきた新鮮な魚介類がふんだんに使われたシーフードカレーはジュリエッタの食欲をそそった。1口食べてみれば、程よい辛さと程よい旨みが舌に広がり、顔を綻ばせる。
(この味は変わっておらぬ。いや、より美味しくなっておるかもしれぬ)
 心の奥から温かく蕩けそうな気分になりながら、ジュリエッタはそんな事を思うのだった。

 ジュリエッタが食事を楽しんでいると、ドアが勢いよく開けられる。訪れたのは赤い瞳と青白い肌が特徴的な少年だった。
「カレー屋のおっさんかー。元気してっかー?」
「ああ。おかげさまでね」
 夕凪の言葉にグラウゼが苦笑交じりに答えれば、アルバイトの一人が彼をカウンター席へ案内する。椅子に座ると足をぶらぶらさせながら、彼はカレーの大盛りとクリームソーダーを頼んだ。
(このおっさん、そういやぁ司書だっけ?)
 なんて思ったのはココだけの話だが最近は厨房に居る事が多かったため彼が口に出したとしてもグラウゼは苦笑を強めるだけだっただろう。
 顔を上げると、グラウゼがにこやかな顔で夕凪を見ていた。勿論、調理の手は止まっていない。
「随分と調子が良さそうだな。君は最近、どうしてるんだい?」
「ん、おれ? 気が向いたら依頼受けて面白おかしく刹那的にっつーの?」
 片目を瞑って答える夕凪。彼は懐を押さえて言葉を続ける。その仕草が外見の年齢より彼をちょっと幼く見えさせた。
「まぁ、調子がいいっちゃいいな。機嫌も良いし。ってーのは、ま、これでさ」
 そういって取り出したのはメモ帳。びっしりと書かれているがその内容は読めない。グラウゼは暗号か何かかと考えたが……実は夕凪が悪筆(というより、書きなれていない?)だけである。それが何か、と興味深々な目で問いかければ、夕凪は楽しげに趣味で集めた情報のメモだと教えてくれた。
「それと機嫌がいいのは関係があるのかしら?」
 お冷をグラスに注ぎながら無名の司書が問えば、夕凪はにっこにこと頗る機嫌がよい顔になった。
「へへっ、これを本にして売ったら結売れててさー、懐あったけーんだよ。『カレー・シチュー編』もなかなか好評だったんだぜ?」
 そういって何処からとも無く取り出されたのは一冊のちらし。タイトルは「独断と偏見によるターミナル・ナラゴニアの美味い店本『肉料理編』」である。
「こういうのを出してたんだなー。壱番世界の料理評価ガイドみたいだがそれよか楽しそうだな」
 グラウゼが読んでみたいな、と呟けば「それ、持ってますよ~」と答えるバイトの一人。それに少し嬉しさを覚えながらも、夕凪は出された大盛りのカレーを受け取って、満足そうに食べるのだった。
「けっこう食べるんですねぇ。あ、クリームソーダーお持ちしましたー」
「ん~、サンキュー」
 無名の司書からクリームソーダーを受け取ってこちらも楽しげにごくごくと飲む。こうしてみると無邪気な子供とした感じの夕凪だが……、グラウゼはどこか修羅場の匂いを覚えた。
(危ない橋、渡ってなきゃいいんだがな)
 内心で呟きつつも顔に出さず、彼はおいしそうに食事をする夕凪を暖かな目で見つめていた。


 ――医務室。

 黒い羽毛と鋭い目が特徴の鳥人青年が、クゥ・レーヌによって診察を受けていた。彼女はカルテに色々書き込みながら彼を診察し、表情を曇らせる。
「残念ながら、これはもう……手の内どころが無い。先ほど君が話した薬が手に入れば話は別だが」
 彼女にそういわれ、青年は納得した表情で頷いた。
「どのぐらい、持つだろうか?」
「1ヶ月とみていいだろう。義肢の拒絶反応はそれほどに進んでいる。もし、症状が軽いうちに来ていればまだ助かったかもしれないが……」
 クゥは何時になく苦々しい顔で答えながらも、脳裏で考える。青年はサイボーグ化されているのであって、別世界の技術があれば延命が出来るのではないか、と。
「予想はついていた。今更足掻いても遅いだろう」
 青年が頷きながら言い、席を立とうとしたが、上手く立ち上がれない。クゥは彼をさせながら真剣な顔で言った。
「君がいた世界のモノではないが、免疫抑制剤はある。それを飲んで症状を和らげる事は出来るかもしれない。鎮痛剤と共に処方しておこう」
「ありがとう、ございます」
 そう、礼を述べつつも……青年、スカイ・ランナーはこの『期限』が延びる事は無いな、と思っていた。

スカイは樹海の中に偶然見つけた桜の咲く場所の近くを切り開き、庵と畑を作って生活していた。そして、故郷での出来事を振り返りつつも穏やかな生活を送っていた。嘗て求めていた緑溢れる世界、そして思い出深い桜のある場所を手にした彼の中で、過酷な記憶は徐々に緩やかな痛みへとなっていく。
「……よく出来てるな……」
 畑で出来たカボチャに触れながら瞳を細めたスカイは、1つ選び収穫する。そして甘辛く煮ようと思った矢先、体に違和感を覚えた。立ち上がろうとしたのだが、義足の間接部分が強張って上手く立ち上がれないのだ。
(これは、どういう事だ?)
 不思議に思いつつも、彼はどうにか立ち上がる。最初のうちは疲れが出たのかと思っていたが……、その日を境に、スカイの体は調子を崩していった。
 初めは一週間に1、2度ぐらいだったがやがて感覚は狭まり、気付けば1日に2、3度突発的に『義肢が一時的に機能しなくなる』という症状に見舞われるようになった。
(もしや……あれを飲んでなかったからか……?)
 スカイには、その原因が何かおぼろげながら予測が出来ていた。彼はロストナンバーに覚醒してから、免疫抑制剤『ニューロフレンティックス』を飲んでいなかったのである。クゥに診察してもらった際にも説明したが、彼女はそれを聞いて表情を少し曇らせたのを覚えている。
(残り1ヶ月か……)
 何故だろう、改めて余命について考えると心が落ち着いてきた。やりたい事が見えてきた、と言うべきか。スカイは心の強張りが取れていくのを覚えると急に空腹になってきた。
「腹が減ってはなんとやら、か」
 彼は何気なく『とろとろ』へと入り、ベジタブルカレーを注文した。

 スカイが食事を終えて出て行く頃、入れ違いに金色の目と青い散切り頭が特徴的なイェンが『とろとろ』にやって来た。彼は最近、友人のコウ・S・水薙が「女神の解放」の為に『時計を抱く破滅の・イゾルデ』に残っている為、関係する依頼があれば積極的に向っている。今日もそうだったようで、「コウもたまには戻ってくればいいのにー」と呟いた。
 その他、これまた友達のシオン・ユングが『フライジング』に帰属した為か時折そこでの依頼を受けては彼の元へも遊びに行っている。先日もそこからの土産を持ってきてホノカやグラウゼ達を労ったりもしていた。
 そんなイェンをホノカは出迎えるなり、甘えるような笑みを向ける。
「あら、イェン。今日は暇そうじゃない? 添い寝してくれるなら今日の夕飯と明日の朝ごはん奢るけど、どう?」
「そんな冗談ばっか言うなよ。俺よりいい奴なんて沢山居るだろ?」
「そんな事ないわよ~」
 苦笑するイェンの腕に抱きつき、ホノカはクスクス笑う。思わず赤くなる彼に、ホノカは上目遣いで
「襲ってもいいのよ? その程度には好きだし」
 と小声で囁けば、イェンはちょっとどきっ、としたような表情で
「そ、そういう事は滅多に言うもんじゃねぇ」
 なんていう。こんなやり取りが続いている訳だが、グラウゼと無名の司書はにやにやと見守っている。ホノカが『とろとろ』でのアルバイトを始めた頃からこのやり取りは続いているのだが、傍から見れば『ホノカはイェンに気があるが、イェンは気付いていない?』というような雰囲気である。ホノカのアタックに対し突っ込むイェン。それが、よくターミナルなどで見られる光景である。
「それにしても、あの2人見ていて飽きませんね~。同じようなやり取りなのに」
「まぁ、それだけ仲がいいみたいだよ」
 無名の司書とグラウゼは顔を見合わせて笑いあった。


承:帰る者と見送る者

 その日は、いつになく『とろとろ』は賑わっていた。0世界大祭の準備中というのもあっての事で、『とろとろ』も例外ではなかった。

 注文したカレーが出来上がり、あかり達もまた早速食べる。ここ最近の事やあかりの壱番世界への帰属についてで話が盛り上がれば、ノユゥがあかりと一人の分も払う、と胸を叩く。
「え? 奢ってくれるの? なんか悪いや……」
「そうよ。ここは割り勘でいきましょ?」
「いいえ、今日はあかりさんの帰属祝いですから。それに、一人さんにもお世話になりましたし」
 と、にこにことノユゥは言う。一人とあかりは「ごちそうさまです」と頭を下げれば、彼は笑顔のまま気にしないで、と笑う。そうしながらも辺りを見渡し……1つ頷くとカバンからなにやら機械めいた物を取り出した。一見オルゴールっぽいそれに、一人は眼鏡を正す。
「あら? これは何かしら?」
「とある世界で入手した、秘密の品物です」
 ノユゥは真面目な顔で、この機械が一度だけ願った分の時間を戻してくれる装置である事を教えてくれた。
「経過した分の記憶は消えないけれど、一度だけなら時間を撒き戻せるんです。勿論……あの、3年前にも」
 その言葉に2人の目が丸くなる。彼は言葉を続ける。
「記憶に関しては君自身の分だけじゃなく、周辺の人たちの記憶も改ざんされない。そのまま、『やりなおし』が出来る代物です」
 ノユゥは赤黒い瞳を細め、そっと慈しむような眼差しであかりを見つめる。瞳が重なった刹那、彼はにっこりと微笑んでその機械をあかりへ差し出す。
「……え?」
「貴女は北極星号の旅でも頑張っていましたし、何より他の誰かの為に頑張ってましたから。そのご褒美ですよ。もし、無為にこの世界で生きていたのならば考えませんでしたが……コンダクターになってからの貴女をみて、どうしても渡したくなりましてね」
 優しく語りながらノユゥはあかりの手に機械を乗せて、握らせる。あかりは、彼の言葉に身を震わせ、顔を上げた。何故だろう、胸が急に熱くなってくる。突然の言葉に混乱しそうになったが、意味を理解すると喜びが溢れそうになった。
「頑張れた……? ほ、本当に?」
 ぽたり、とテーブルに雫が落ちた。次々に溢れ出る感情を抑え切れないあかりに一人はハンカチを出し、優しい目で頷く。鼻水も出てしまえばそつなくティッシュを一人が提供する。
 あかりは、受入れてくれた人々への恩返しとして旅を続けてきた。自分と同じ気持ちの人達が、少しでも元気出せるように、と願いながら、色々な依頼に立ち向かっていた。勿論、失敗した事もあった。挫折しそうになった事もある。それでもここまで一生懸命に頑張れたのは、受入れてくれた人達への感謝の気持ちがあったからだった。
「今まで有難うございました。貴方が家族との別れの時間もくれたから、わたしはここまでやってこれました!」
 貰った機械を包み込むように握り締め、胸に抱いて頭を下げる。ノユゥが静かに頷くと、一人がそっと声を掛けた。
「トーノさん、私から1つ言わせて欲しいの」
 不思議そうに首を傾げるノユゥに、一人は心から感謝を込めて頭を下げる。
「仁科をここへ導いてくれて、ありがとう。……本音を吐かせてくれて、うれしい」
 一人は思う。あかりが捻くれたり、引きこもらずに行動できたのは、ユノゥのお陰に違いない、と。暖かな眼差しのツーリストが、手を差し伸べてくれたからだ、と。その言葉に、ユノゥは少しだけ頬を赤く染めた。
「僕は、ただ、あかりさんに……悔いを残して欲しくなかっただけですから」
 そんな彼を見つつ一人はあかりへこっそりと呟く。
「中身だけなら、グッときたかも。私がフリーじゃなければね?」
 あかりは小さく頷いて、もう一度ノユゥを見た。彼は静かに優しく微笑みかけた。

 その後、3人は揃って壱番世界へ向う。そして、あかりは貰った機械を起動させた。全てやり直す為に。そして……世界は緩やかに変化を始めた。

 あかり達が店を後にしたのと入れ違いに、ギベオンで研究に勤しんでいるフラン・ショコラが『とろとろ』へと遊びに来ていた。過去にここでアルバイトをしていた一人とフランは仲が良かったので時折グラウゼと思い出話をしている。
「今頃どうしているのかしら……」
「今も旦那さんと一緒に幸せな家庭を作っているんだろうな。……想像するだけでなんか和む」
 マッシュルームがたっぷり入ったハッシュドビーフを食べながら、ほんわかとした笑みを浮かべるフラン。そしてグラウゼは紅茶を飲みつつ相槌を打つ。
 暫くの間、思い出話に花を咲かせていたグラウゼたちだったが、お客様の到来に無名の司書が素早く対応する。「いらっしゃいませ」とドアを開けば、明るい笑顔の青年が見せに入店した。グラウゼはその顔を見るなり、表情を和らげる。
「おや、新月さんじゃないか。久しぶりだな」
「! 憶えてたんですか? うれしいなぁ!」
 新月 航はグラウゼの言葉に照れ混じりに笑う。彼曰く、ターミナルへ来るのも久々で、最近、依頼も受けていなかった為忘れられていてもしょうがない、と思っていたのだという。その分、覚えられていた事がとても嬉しかった。
 お土産に、と彼の故郷で作られたフカヒレを渡せば、グラウゼは感謝しつつスープにしよう、とホクホクとした笑顔を見せる。それにフランと和んでいた航だったが、彼は少し寂しげな顔をしていた。
 そんな彼がグラウゼの得意とするカレーとスープを注文している際、フランは彼の頭上にちらつく物に目が行った。
「あら、貴方……」
 フランが呟けば、グラウゼも「そうか」と小さく微笑む。航には何を見て2人がそんな反応をするのか、理解していた。彼の頭上には、壱番世界の真理数がちらついていたのだ。
「帰属の兆しが、でたのか。おめでとう」
「ありがとう、ございます」
 航はそう言いながらも、寂しげで暖かな顔になる。けれども決断した意思は揺るがず、瞳に曇りは無い。
「北極星号が帰って来てから、この先どうしようか色々と考えましてね。その結果、やっぱり地元のために働こうと思ったんですよ。カルートゥスさんの依頼が元で宇宙飛行士にも憧れましたが、この年齢では……」
 最後は苦笑に変わりつつも、航は静かに頷く。フランとグラウゼが見守る中、彼は穏やかに言葉を続ける。
「僕、今度結婚するんですよ。それと同時に壱番世界に帰属しようと考えています。そして……僕が無理でも、子供が宇宙飛行士になってくれたらなぁ……って」
 勿論意思は尊重しますけれど、と付け加えて笑う航を、グラウゼとフランは暖かな眼差しで見つめる。こうして夢を語る姿を覚えておきたくて。帰属してしまえばもう彼と会うことも無い。だからこそ……。
「あ、でも、ヴォロスでの冒険譚は子供にも、孫にも……語り継いで行きたい。あの『星の海』での出来事は……」
 航は自然と掌を見つめ、静かに思う。あの場所で、彼は星神の一柱から、大切な人を守る『盾』を生み出す力を貰っているのだ。
「ああ、そうしてほしい。きっと、カルートゥス博士も喜ぶさ」
 グラウゼが静かに頷けば、航は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 オーソドックスなビーフカレーと、具沢山のチャウダー、ほかほかのパンを食べた航はぎりぎりの時間までグラウゼ達と話に花を咲かせた。そして、時間が来ると楽しげに笑って駅舎への道を歩いた。もう、二度とこの場所には戻らないが記憶はずっと残っていく。幾つもの思い出と、少しの荷物と共に、航は顔を上げた。

「航さんの人生が素敵なものになるといいですね」
 フランの言葉に、グラウゼは静かに頷いた。

 ――ターミナル・駅舎

 カフェテラスでは、明るい茶色の髪をした金町 洋がオレンジの髪の女性、樹菓と共に色々話していた。樹菓の樹上にはふわり、と彼女の故郷たる世界に刻まれた真理数が浮んでいた。
「最初、プラネタリウムに来てくれたんだったよね。それで、初めて一緒にいったのがチャイ=ブレの中っていう……」
「あ、でも他にも一緒にお出かけしましたよ! 洋さんの故郷である壱番世界にもいったじゃありませんか!」
「お寺で地獄絵図みたんだったよね~」
 洋が思い出しつつ言えば樹菓はフォローするように相槌を打ち、さらに洋がその時の絵を思い出す。2人は笑い合いながら他愛も無い話や思い出話に花を咲かせていた。
 そうしながらも洋は、ちらり、と樹菓を見た。一見、年下に見えそうな彼女ではあるが、その正体は神様の一柱である。けれども、壱番世界のとあるお寺を訪問した時。帰属できるか不安だと言っていた。
(その時に……凄い存在とかじゃなくて、あたしの仲良しな女の子なんだって……)
 仲良しな友達を不安にさせたくない。だから洋は安心させてあげたい、と心から思った。あの夏の日を、彼女は決して忘れないだろう。

「それにしても、故郷が見つかってよかった」
「ありがとうございます、チヒロさん」
 洋が、嬉しそうに言えば樹菓は少し照れくさそうに言う。彼女の故郷――冥府――は、彼女の完全記憶と手元にある死者の名簿を元に検索した結果、見つかった。共にワールドエンドステーションへ赴き、検索に立ち会った洋はその瞬間を今でも覚えている。
(あの時の樹菓さん、とても嬉しそうでした。だから、寂しくても笑顔で見送ろうって決めたんです)
 その時の事を思い出していると、樹菓がお茶を勧めてくれた。丁度注文していた桂花茶が届いたようだ。ふわり、と漂う金木犀のお茶と食欲をそそる飲茶の匂いに瞳を細めながら、樹菓がとある事を思い出す。
「そういえば、チヒロさん、合コンにいらっしゃったんですよね。 どなたか素敵な方がいらっしゃいましたか?」
「うん」
 洋は頬をうっすらと赤く染めながら答え……、左手を見せる。薬指を見れば、シンプルだがとても上品な印象を与える指輪が嵌められている。
「それにしても、恥ずかしい事突っ込んでくるねぇ。……あの時、相談して『友達以上恋人未満でいくっきゃない』って結論になったんだけれども……その相手と結婚したのは自分でもホント驚いているのよね」
 言いながらも耳まで真っ赤になる洋の姿に、樹菓は思わずくすくす笑ってしまう。けれども、心からその事を喜んでいる自分に気付いた。
「相談できる相手があっちには居ないし、そもそも出会いが出会いだったし……。樹菓さんに聞いてもらえて良かったよ。ありがとう」
 洋は照れ交じりにそういえば、樹菓も「そんな……」と僅かに赤くなって俯いてしまう。けれども、心の中では幸せそうな洋の姿に安堵し、同じように幸せを覚えている。
(私は冥界の神。新しく生まれる事には最も縁遠い者。だけど……)
 彼女は、そっと洋の手を取って、笑顔でこう告げた。
「ご結婚、おめでとうございます。どうか大切な人と幸せな家庭を築いてください」
もちろん今のご家族も、と付け加える。樹菓は、洋が家族を大切にしている事を知っているし、洋自身から話で聞いている。
洋は心から祝いの言葉を述べる樹菓の手を、感謝を込めて握り返す。大切な友達だから、そうした。大切な友達だから、この瞬間も覚えていたかった。
「あたしたちは未だ帰属の兆候はちょっと、出ないけど……さ。樹菓さんの故郷が見つかって、良かった。樹菓さん……これで家に帰れるね……」
 優しく、勤めて笑顔で言う洋の姿に、樹菓は首を横に振る。こうして見つかるまで、いろんな人に助けられた。そして、洋にも。だから、樹菓は信じている。
「チヒロさん。貴方がたご夫婦はきっと壱番世界に再帰属できます。そして健やかに年を重ねてゆかれますよ」
 そういってニッコリと笑えば……アナウンスが聞こえる。そろそろ冥府行きのロストレイルが乗車可能となるようだ。それに気付いた二人は勘定を済ませてホームへと歩いていく。後少しで別れだと思うと寂しくなるが、二度と会えなくなるが……。
(これは死別ではない。二度と会えなくなるだけ)
 樹菓は心の中で呟く。笑顔で別れたいから、何度も呟く。けれども、それでも泣きたくなるのは、どうしてだろうか?
 ロストレイルの前まで来て、樹菓は泣きそうになるのを堪える事しかできず、言葉を押し殺す。そんな彼女の肩を叩き、洋は精一杯微笑んで見せた。
「おめでとう、樹菓さん。いってらっしゃい」

 ――もう逢えないけど、忘れちゃう訳じゃない。
   だから、笑い合おう。

 その言葉に、思わず樹菓は洋を抱きしめた。力いっぱい抱きしめて、声を押し殺して泣くのも堪えて。洋はそっと樹菓の頭を撫でて落ち着かせると、2人は握手をした。
「私、……私、チヒロさんとお会いできた事、プラネタリウムでお話しした事、絶対に忘れません!!」
 お元気で、と頭を下げてロストレイルへと乗り込む樹菓。洋は「私もだよ」と答えて頷けば、ドアが音も無くしまる。そしてゆっくりと走り始めたロストレイルを追いかけ、樹菓に手を振る。
「あたしは、あたしたちは忘れない! 繋げた縁を覚えてるよ! 樹菓さんが、冥府に来たヒト達のことを覚えててくれてるのと同じように……あたしが、覚えてるから!!」
 そう叫びながら追いかければ、樹菓も涙ながらに頷く。やがて洋とロストレイルとの間はどんどん伸びて……ついにロストレイルは虚空の彼方へと走り去ってしまった。洋は完全に見えなくなるまで、手を振った。
(行ってらっしゃい、ありがとう、ね!!)

 暫くして、壱番世界行きのロストレイルに乗ろうと思った洋は、ホームでばったりと航と出くわした。2人は嘗て、ヴォロスでの依頼で一緒に『星の海』へと向っている。久々に会った2人は、列車が来るまでの間並んでベンチに座って待つことにした。
「そういえば、今日は依頼の帰りか?」
「今日、友達が故郷の世界に戻っていったんです。真理数が点灯して、遂に帰属できるって……。それで見送ってきたんです」
 そう言って洋はちらりと航の頭上を見た。彼の頭上には壱番世界の真理数がちらついている。
(……いつかは)
 航に今後について聞かれ、洋は主人と共に壱番世界に帰属したい、と語る。と、彼もまた笑顔でそうなるよう、祈るといってくれた。
(俺にできるのは、これぐらいだが……)
 それでも、嘗て共に大きなプロジェクトに関わった仲間の幸を、祈らずにはいられなかった。洋は静かに「ありがとう」と微笑んだ。

 壱番世界に戻ると、停留所で洋の夫が待っていた。彼は夕食の買い物がてら迎えに来たらしい。洋は嬉しくなって手を伸ばし、夫と手を繋いで家まで帰った。何時の日か、二人揃ってこの世界に帰属できると信じて。

 ――壱番世界

 旅立った筈の娘が帰ってきた事に両親は多いに驚いた。けれども自然と受け入れ、出立した時のように抱きしめてくれた。涙ながらに『帰宅』を喜び、ホームパーティーが始まった。
 両親に「おかえり」と受け止めてもらった事が嬉しくも照れくさいあかりの頭上に、壱番世界の真理数がはっきりと浮かび上がる。その瞬間を見た一人は、ノユゥの目に涙が浮んで居る事に気付く。
 ホームパーティーではあかりの好物が並び、ジェリーフィッシュタンのモーリンとフォックスタンのポッケが楽しく遊んでいる姿にみんなが和む。そして、歌って踊って騒げば気分は最高だ。
 あかりがスケードボードでアクロバッドを披露すれば拍手喝采になり、一人の手品がうまく行けば歓声が上がる。その上それとなく世話焼きスキルを発揮しつつ彼は、両親と笑い会うあかりを見つめて思った。
(こうして、皆で笑い会える日が来てよかった。……本当に、本当に……)
 彼は、あかりの両親のことを考えて娘と違い、成長した姿を見せないようにしてきたのだ。けれど、もうその心配もないだろう。一人は口元を綻ばせ、あかりの父に促されるまま泡盛を口にして微笑んだ。因みに、ノユゥは酒が一滴も飲めずあかり同様ジュースで付き合っていた。

 別れ際。あかりは、ノユゥに元気が出るような曲の入った記録媒体を手渡す。そして、一人もコンポートの詰め合わせを渡してくれた。
「……これからどうするの?」
 一人の問い掛けに、ノユゥはうーん、と少し考える。夕焼けが3人の影を伸ばし、赤々とした世界の中で、ノユゥは寂しげに微笑む。
「帰属したい世界はあります。ただ、受入れてもらえるか自信はありません」
「大丈夫だよ!」
 あかりはぎゅっ、とノユゥの手を握って笑いかける。そして、しっかりと目を見て言葉を紡ぐ。
「だって、ノユゥさんが頑張ってるの、知ってるから! きっと、その世界に帰属できるよ!!」
「そうよ。だから、自分を信じてみなさいな」
 一人も頷き、肩を叩く。信頼できる人には、やはり笑っていて欲しいから。
 2人の言葉にノユゥは顔を紅潮させ、嬉しそうに「ありがとう」と言うのだった。


 ――ターミナル

 あかりを見送り、一人と共にターミナルに戻ったノユゥはその足で『とろとろ』へと戻った。彼を出迎えたグラウゼはある事に気付く。
「おかえり、ノユゥさん。……君は、壱番世界に根付きたかったんだな」
 そういって頭上を指差して、漸く壱番世界の真理数がちらつき出した事にノユゥは気付く。彼はそれをまじまじと見つつ……静かに顔を赤くした。
「解ってるんだ。あの子が……、あかりさんが妹とは違うって事ぐらい。でも、彼女が壱番世界に戻ったとしても……3年前に戻ったとしても、僕は彼女のそばに居たいんだ。ずっと、ずっと、彼女の頑張る姿を応援したい、そう思っただけなんだ」
 もしかしたら恋なのか? だったらかなり年下だし……と悩むノユゥの姿に、グラウゼは少し苦笑する。
(これでも……出身世界ではそこそこ有名なヒーローだったって言うのが信じられないな……)
 グラウゼはくすりと笑う。依頼から帰る途中であかりの事を知ったノユゥが、失った妹と瓜二つだった彼女を「なんとなく」放って置けなかった事を思い出して。

(本当に、楽しかったわね)
 帰宅した一人は、まず相棒のポッケに美味しいものを一杯食べさせてあげた。そして、一緒にお風呂に入った。体を優しく洗ってあげれば、ポッケは嬉しそうに尻尾を振る。一人はそっと頭を撫でながら、優しく囁く。
「こんな小さな体に、元気が一杯詰まってる。ポッケちゃん、本当に頑張りやさんね」
 そういえば、ポッケは不思議そうに首を傾げる。けれども一人は優しい目で笑いかける。コンダクターとして旅立って以降、小さな体で一人をサポートしてくれたポッケ。見守ってくれていた相棒は、愛らしい顔を少し曇らせて……一人の頬を舐める。くすぐったそうに笑えば、ポッケも頷いた。
(……でも、もう、決めたのよ)
 一人はポッケの毛づくろいをしてあげると、一緒に図書館へと向った。一人は、相棒を図書館へと帰す事を決めていたのだ。
 手続きをすると、世界司書が少しの間時間をくれた。一人は寂しげな顔で見上げるポッケを涙ぐみながらも抱きしめる。別れ難い親友。だけども、決意がある。
「今まで有難う、ポッケちゃん。また、誰かを導いてあげてね……?」
 抱きしめていた一人に、「ありがとう、ひとりさん」と、ポッケは一度だけ頬にキスをし……自分から世界司書のもとへ跳ねる。暫く見つめあった2人だが、やがて、頷き合って互いに背を向けた。



転:旅終える人と、惑いながらも続ける人と

「――様っ!!」
 ホノカは髪を振り乱し、寝台から飛び起きた。額には汗がびっしょりと浮かび、息は荒い。彼女は何度も深呼吸をし、ゆっくりを首を回す。
(同じ夢……)
 5年前から、一人で眠ると嘗て仕えた相手が惨殺される光景を夢に見る。敵対していた忍軍の少女を殺した夜、彼女からもたらされた《結果》が、ホノカの心に深い傷を負わせていたのだ。
(私は……あの方を守れなかった……私は……私は……)
 息を震わせ、顔を覆って、声を殺して泣き崩れる。あの夢の後はいつもこうだ。暫く泣き続けたホノカは、深い溜め息とともにのろり、と起き上がった。
(イェン……)
 何故だろう、あの太陽みたいな笑顔と金色の瞳を持つ青年のことが、恋しくなった。

 その日、ホノカは非番だった。彼女はターミナルのお店を回って材料を買い込む。一緒に回るのは『ネコノテ』メンバーの一人であるマーイョリス・オディールである。
「どう? アタックの方は。順調かしら?」
「んー、イェンったら時々来てはくれるけど……食事は食べるのに私は食べてくれないのよね」
 マーイョリスが楽しそうに問えば、ホノカは溜め息混じりに呟く。すると「あらあら、イケナイ子ねぇ」なんてイェンの事を思いつつ彼は言う。そして料理の材料を見ながら、少し考える。
「でも、いいのかしら? アタシ達も一緒で。どうせならイェンだけよんで2人でいちゃいちゃすればいいんじゃない?」
「いいの、いいの! 鍋は大勢で囲む物じゃない♪」
 とホノカは買い物メモに目を落としたまま言う。マーイョリスは黒鳥の翼を一度羽ばたかせて「そういうものかしら」と呟いた。

――『ネコノテ』のみんな、グラウゼさん、今日イェンをうちまで引き摺ってきてくれるなら夕飯御馳走するわ。急にお鍋が食べたくなっちゃったんだけど、独りで食べると寂しすぎるのよね――

 ホノカは、朝食を軽めに取るとこんなメールを送っていた。そして全てのメンバーからOKと連絡があり、更にグラウゼが「差し入れする」なんて連絡があり、鍋パーティーは賑やかになった。
 因みにイェンを引き摺ってきたのは銀髪の双子マリィとホリィで、彼らは『イゾルデ』での依頼をこなした後、そのままイェンを(文字通り)引き摺ってホノカの家へ来た事を付け加えておく。
 蛇足だが、この双子、事あるごとに『イゾルデ』へと足を運び、縁があったのかそこの真理数がちらつき出していた。

「で、俺は今皆と鍋を囲んでいる……」
「何をモノローグ言ってるんだい」
 イェンは肥前屋 巴に突っ込まれながらもホノカからお酌されていた。ミンチの詰まった巾着や餅巾着が入った、辛み抑え目(子供でも食べ易い)麻婆風鍋と醤油仕立ての海鮮鍋(海鮮の提供:鮫島 剛太郎)はぐつぐつと煮え、グラウゼが差し入れにと持ってきた餃子数種類もとろりとして美味しい。いい具合に酒の入った肥前屋は煙管をくるくる回しては割ったグラスを元に戻したり、ただのゴミをオブジェに変えたりと調子が良い。
 一心不乱に鍋を食べるマリィとホリィの面倒を、おさげ娘のクーラン・ダンが温かい眼差しで見る。彼女はそうしながらも餅巾着を幸せそうに食べていた。
「ほっぺた落ちそうですね。私、このお鍋気に入りました!」
 普段はナラゴニアで働いているルゥナも今日は着ていた。十三委員会の一人、リオードル・ヴルフェンデュークの使いでターミナルへ来ていたのだが、運良くホノカと会い、今ここに居る。彼女は意外にも酒豪で、顔を赤くすること無くすらすらと飲んでいく。
「ホノカさんは本当に料理上手だな……」
 グラウゼが感心しつつ料理を口にすれば、ホノカが照れて肩を叩く。そんな光景にどこか安堵していると、手が滑って普段持ち歩いている記録媒体を起動させる。そして浮かび上がったのは嘗て慕ったリーダー、ショウの自立思考型ホログラム。
『……なんだ、この状況は』
「あーっと……これは……」
 不思議そうに首を傾げるショウにイェンは苦笑しつつ事情を説明すれば、ショウも楽しそうに笑う。食事は取れずとも、雰囲気だけで楽しめるのか、彼は暫く起動したままで居てくれ、と願う。
(なんだかんだ言って俺、ホノカの事、嫌いじゃねぇな。というか……。でも、なんだろ。妙にしこりがあるんだよな)
 イェンはちらりとホノカを見つつも食事をし……、胸の中のもやもやを整理しようとする。けれども、それが何か解った時……小さく呟く。
「いつかは、決着つけないと、な」

 それから、数時間後。宴はお開きとなり、食器は片付けられ、ホノカはベッドで眠っている。イェンはそっと手を握ってやりながら様子を見ていた。
(痛い……)
 鈍痛で目を覚ましたホノカは、ぼんやりとした意識の中で僅かな温もりを覚える。そろそろ御開き、という頃。皆を見送ろうとしたホノカは飲みすぎたのか、玄関先で撃沈してしまったのだ。
「目、覚めたか? 今、水持ってくるから」
 寝ていろ、と穏やかな声がする。ホノカはそれで自分が酔い潰れて彼に介抱されていたのだろう、と漸く解釈する。
「みんなは?」
「それぞれの家に戻ってるよ。さっき肥前屋の姉さんからメールで連絡があった。ああ、そうそう。グラウゼの旦那に後でお礼言っとけよ~。片付けしてくれたからさ」
 イェンがそういえば、「そう……」とホノカは相槌を打つ。それから暫くは奇妙な静寂が続き……、じれったくなってホノカは気だるそうに赤い髪をかき上げる。
「ねぇ、聞きたい事あるんじゃないの?」
 自然と、ホノカはそんな事を聞いていた。脳裏に浮んだのは、自分が骨まで焼いた相手の事だった。なぜだろう、口が妙に渇き心拍数が僅かに上がる。
「……もう、知ってるんだ。お前が生きてるって事は、彼女は死んだって事だろ」
 イェンが溜め息混じりに答える。「そうね」と相槌を打ったホノカは、もう一度赤い髪をかきあげ、悪戯っぽい笑顔を向けた。
「……私が死んでいた方がよかった?」
「馬鹿言うな」
 イェンは冷たく吐き捨て、手を握り締める。ホノカは黙ってイェンを見上げ、表情を曇らせた。彼は、何時に無く真面目で厳しい顔をしていた。
「結局、こうするしか無かったのかよ……」
「ええ。それが、最後の勤めだもの」
 イェンが何か合点の言ったような顔つきになり、ホノカはくすり、と笑った。けれども、曇った表情は変わらない。彼女は頭を押えながらぽつり、と呟く。
「最初はね、彼女を殺して……懲罰を受ける覚悟で出身世界に戻ると決めていたの。でも、その理由も無くなった。私も、彼女に殺されたのよね」
「……ホノカ……」
 イェンはどこか虚ろなホノカの言葉に、息を飲んだ。彼女は、5年前から徐々に変わった。初対面の頃のどこか「剣」を心に隠し持っていた彼女はもういない。そして、添い寝を強請る彼女の目に宿っていた何かを、イェンは漸く理解した。一方、ホノカはどこか寂しげな眼差しで、彼に笑いかける。
「いいわよ、私を殺しても。彼女は貴方の恩人なんでしょ?」
 その一言に、イェンの目が鋭くなった。彼は素早くホノカに詰め寄る。

 ――本気だ。

 ホノカはシノビの本能から、どこか安堵した心地でその瞬間を待った。けれども、彼女の予想は外れる。本来ならば交わせる筈の攻撃を、ホノカの体は弾かない。気が付いた時、彼女はベッドに押し倒されていた。
「いいのよ。私は全て受入れるわ」
「俺は……」
 金色の目が揺れる。そして、ぽたり、とホノカの頬に雫が落ちた。ぽたり、ぽたり、と次々に彼女の頬を濡らしていく。
「俺は、俺は……アンタも、彼女も、笑ってここに居て欲しかった。そっちの都合なんてしらねぇけどさ、ここじゃ関係ねぇだろ」
「でも、こうしなければ……」
「解っている、アンタの主の仇だろ! でもよ、俺にとってはアンタも彼女も友達なんだよ! だから、気付く前に全て終ってたってのが悔しいんだ!」
「自分勝手よ、イェン」
 ホノカは、何故か戸惑った。そうしながら、自分の横に転がり、声を押し殺して泣くイェンの頭を抱きしめる。酒の匂いと柔らかな花の匂いがイェンの鼻を擽った。
 暫くして、落ち着きを取り戻したイェンだったが、ホノカの横から動く気配は無かった。ホノカが様子を伺っていると、瞳を閉ざしたままのイェンが、口を開く。
「……してやるよ、添い寝」
「え?」
「添い寝してやるよ。……ホノカが、悪夢なんて見なくなるまでさ」
 突然の言葉に、ホノカは目を丸くする。確かに添い寝を強請ってはいたが理由までは一言も言っていない。それなのに、イェンは彼女の現状を言い当てた。
「一緒にいてくれるの?」
「まぁな」
 ホノカは甘えた声で囁き、イェンは、小さく笑って彼女の髪を撫でた。ふと重なった瞳が、互いの距離を測り……、そっと寄り添った。
「襲ってもいいけど?」
「……今は遠慮しとく」
 そんな冗談を言い合っているうちに、2人は何時しか眠りに付いた。

 この日を境に、イェンはホノカと共に行動する日が増えた。確かにホノカは今までどおりイェンをからかったり、誘ったりしているし、イェンもとぼけたりからかい返したりしている。けれども、こっそりとイェンはホノカを甘えさせるようになり……『友達』よりも親密で『恋人』と言うには何かが足りないような関係が暫くの間続くのであった。

 そんな二人の終着駅がどこなのか、二人だけが知っている。

 *   *   *   *   *

 半月前に余命宣告をされたスカイは、以後桜の木の下で過ごしていた。そして、穏やかな心地のまま、自然に身を任せていた。静かに降り積もる花びらが、彼を薄紅へと染めていく。
(そういえば、あの場所は春になると本当にいい眺めだったな)
 脳裏に過ぎったのは、故郷の桜だった。春の訪れを告げる花は、村の人々の心を和ませていたし、何より宴となれば笑顔の花が咲き誇って、とても楽しかった。
(お袋が作ってくれた弁当、美味かったな。親父が酔っ払いながらも何度も俺の自慢話をするのは恥ずかしかったけど、嬉しかったっけ……)
 今は亡き両親を思えば、わずかにめがしらが 熱くなる。そうしながらも、自分が今どれだけこうしているのか、判らなくなっていた。

 ――余命宣告前日。

 違和感を覚え出してから日に日に弱っていく体を感じつつ、スカイは庵で過ごしていた。最近は、早く眠ってもかなり深く眠り込んでいる事も増えていた。
(そういえば……、こんなに眠ったのは何時ぶりだろうな)
 欠伸をしながら呟きつつ身を起こす。ゆっくりとしか動けない時も増えたものの、まだ動く事が出来る。その事を実感しつつ、スカイは遅めの朝食を取る。そうしながら、彼はふと庭を……外を見た。桜が美しく咲き誇る光景に、彼は何時に無く穏やかな気持ちになる。
 嘗ては残り少ない自然を守ろうと命を削り、しのぎを削っていた。大切な故郷を奪われ、その怒りと憎しみを糧に企業へと立ち向かっていた。そんな殺伐とした世界で生き残る為に、戦い抜くために体を改造してきた。けれども、こうしていると、全てが夢だったような気さえする。
(だが……全て現実だ)
 鈍い痛みが、彼の思考を現実へと引き戻す。思わず箸を落とすも、拾うのに時間が掛かる。それでも、まだ生きている事をスカイは静かに確認する。
「もしかしたら……」
 スカイは静かに頷くと、診断してもらうためにクゥ・レーヌの元へと赴いた。

 ぼんやりしているうちに、余命宣告をされる前の日々を思い出し、我に帰る。それでも、直ぐに桜へと目が行き、スカイの瞳が細くなる。
「あと、どれぐらい見ていられるかな」
 そんな呟きが、静かに零れた。

 *   *   *   *   *

「……また、モフトピアが引っ掛かったな」
 剛太郎はがっくりと肩を落としながら道を進んでいた。漁をしつつも世界の検索を行っているが、順調ではないらしい。彼は溜め息を付きながら『とろとろ』へ入店し、メニューを貰う。今日は込んでいたのか、ホノカに「相席でも大丈夫?」と問われ、彼は頷く。
「ふーん? 辛気臭い顔しちゃってー。まあまあこれでも飲んで元気だしなよ」
 相席となった夕凪がメロンソーダーを差し出せば、彼は苦笑して断る。「美味いのに」と肩を竦めつつも夕凪は自分の料理が届くまでメロンソーダーを楽しげに飲む。
「そっちは楽しそうだな」
「まー、最近懐が温かいし美味いものにもありつけるし」
 剛太郎の問いに夕凪は楽しげに応えてにこにこするも、ちらり、と外を見る。表向きは食べ歩きをしているような彼だが、本業は情報屋である。情報だけではなく、後ろ暗い理由で医務室行けない者向けのもぐり医者や使用目的問わず何でも誰にでも販売する薬屋、かなり危険な武器販売している店等の情報……と、警察には知られたくないモノも扱っていたりするのだ。その為懐も暖かいのだが……。
「ま、ぼちぼち探す。……と、やっと来たな」
 相槌を打ちながら届いた料理を受け取る剛太郎に夕凪は小さく笑い、様子を見る。彼がどんな世界を探しているのかは知らないが、いつか見つかればいい、とそれとなく願う。
「肉じゃがも、いけるな。ん、なんだ、同じメニューだったのか」
「まーまー。それにしても、やっぱりこうして話しながら食うと美味いなー」
 偶然相席になったものの、こういうのもたまにはいいのかもしれない、と思う剛太郎と夕凪は、その後も何気ない会話で盛り上がりつつ食事を取るのだった。

 *   *   *   *   *

 春になれば桜が咲き誇り、宴の灯りが仄かに夜闇を照らした。夏は川のせせらぎに青葉のそよぐ音。子供たちが遊ぶ笑い声に、渓流釣りを楽しむ大人たち。秋になれば紅葉した木々に、豊作となった作物、祭囃子に神輿の掛け声。そして、冬は静かに降り積もる雪にそり遊び、暖かな囲炉裏を囲んでの団欒。確かに、その光景は当たり前だった。そして、続いていて欲しかったモノだ。

 余命宣告を受けて1ヶ月。スカイの体はもう、殆んど動かなくなっていた。痛みも感じず、ただ四肢が重い。目は霞み、薄紅色の光景だけが滲んで見えた。それでも、彼の顔に悲壮感はなく、悟りにも似た……そう、咲き誇る桜のように穏やかな笑みを湛えている。
 脳裏に浮ぶのは、故郷の四季。その移り行く光景が、ゆっくりと流れていく。こうして、故郷では人々の営みが繰り返され、自然では自然の営みが繰り返され、調和して1つの流れを作っていた。その中に自分も居て……家族も仲間も居て、幸せだった。
(叶うことならば、もう一度みんなと……)
 スカイは瞼を閉じ、小さく溜め息を付いた。耳を澄ませば、暖かな家族や仲間の声が聞こえる。彼はいつの間にか、小さな声で呟いていた。
「……俺も、《そっち》へ往くよ」

「おーい、ケイタ! そんな所で眠ってたのか?」
 ふと、風鳴 ケイタは目を覚ました。顔を上げると、友達が苦笑している。手につけた時計を見てみれば、かなり眠っていた事を知る。
「そろそろ帰るぞ」
「ああ、今いくよ」
 友達に呼ばれ、ケイタは頷いて立ち上がる。そして、桜の木から離れると短い釣り橋を渡って友達の元へと走った。よく見れば両親も傍におり、母親は手に重箱を持っている。それを受け取ると、ケイタは両親や友達と共に家路を辿った。

「ごめんなさい、スカイさん。ちょっと取れすぎちゃったから林檎を……」
 少し離れた所で農業を営む一人が彼の元を訪れたとき……、既にスカイ・ランナーは事切れていた。桜の木の下で、彼は柔らかい微笑を浮かべて眠っている。最初は呆然となってしまった彼だが、すぐさま人を呼んできた。
 見知った物達で葬儀を行うと、彼の遺体はターミナルの墓地ではなく、桜の咲く場所に埋葬された。そこに墓石を置き、祈りを捧げる。
「……君は、君の故郷に戻れたのかい?」
 葬儀の後、グラウゼは一人墓の前に立った。そして、一組のカトラリーを取り出すと墓の近くに埋めた。
 ふと、振り返るとクゥ・レーヌが立っていた。彼女は小瓶を取り出すと、そっと墓の前に置いた。不思議そうに見るグラウゼに、彼女は小さく苦笑する。
「彼が望んだか否かは、もう解らない。けれど間に合って、彼が望めば、今もここで花を愛でていた筈だ」
「そうか……」
 グラウゼとクゥは肩を並べて桜を見上げる。この花を愛した戦士は、今、漸く安寧の中に居る。それはそれで、幸せなのかもしれない、と寂しい温かさを感じていた。

(嘗てこの花の名を持った君は、あの場所で笑っているだろうか)
 グラウゼは帰り際、もう一度だけ振り返って思う。そして、墓に目を落とし会釈してターミナルへと戻った。

 *   *   *   *   *

(シルバー・テイルのおっさんも故郷に帰属できたし、あきも好きな人を追って『挽歌の都市・レクイエム』に帰属したらしいし、どんどん寂しくなるな)
 イェンはそんな事を呟きながら、ロストレイルを見上げていた。自分は、いつか誰かと帰属するかもしれない。その『誰か』がホノカなのかはさておき、その時の事も考えたいな、と真面目に思うのだった。


結:とある帰属者達の日常?

 ――北極号の帰還から約15年後

 祖父を看取ったジュリエッタは、0世界に拠点を移し、壱番世界の依頼を中心に行動していた。
 今日もまた、とある依頼の為に壱番世界へと赴いていた。目の前にはイェンとホノカが座っている。2人が真面目に依頼について話しているのを聞きながら、ジュリエッタは何気なく見えてきた壱番世界の景色を見つめながら、将来の事を考える。
(やはり、いずれはあの人のそばに居るためにも……)
 彼女の恋人は世界司書である。それ故に、いつかはロストメモリーになる為の儀式に参加するつもりだった。それを知ったグラウゼは「世界司書もやってみるか? 向いていると思うぞ」と言っていたがそれについては悩んでしまう。
 色々と考察に耽っていた彼女だが、アナウンスで我に帰る。
「? ジュリエッタさん、そろそろ降りますよ」
 ホノカの言葉に、ジュリエッタは1つ頷いた。

 その頃、洋は既に夫と共に帰属を果たし、子を生み母親になっていた。帰属したのは数年前である為か、『若々しい』印象が周囲にはあった。
 洋はちょうど非番であった夫と共に買い物に来ていた。その最中、彼女は聞き覚えのある汽笛を耳にし、思わず辺りを見渡す。
(あれは……!)
 彼女がみたのは、ロストレイルが止まる瞬間。そして、そこから降りてきたのはジュリエッタとイェン、ホノカを含む数名のロストナンバー達だった。
「おっ、洋さんじゃねぇか! へぇ……、洋さんの旦那さんってこの人だったんだ!」
「イェン殿!」
 ジュリエッタに突っ込まれるイェンを見、洋は夫共々笑ってしまう。けれども、依頼の事を思い出したイェンが慌てて懐から懐中時計を取り出す。
「色々話したい事はありますが、私達はこれで。依頼がありますので」
「な、何だか大変そうだけど……気をつけてね」
 洋に見送られ、彼らは走っていく。苦笑する夫の傍らで、洋はどこか懐かしい気持ちでその背中を眩しそうに見送った。何かを感じとったのか、夫が優しく彼女の肩を抱く。僅かなぬくもりに瞳を細め、洋は小さく微笑んで幸せをかみ締めた。

 樹海農園での事を仲間に任せ、一人もまた壱番世界に帰属していた。そこで彼を待っていたのは美しく成長し、途上国のインフラ整備に関わる仕事に就いたあかりであった。
 先に帰属していたあかりは、旅での経験を生かして大学でも精力的に学び、念願の成人式も行え、概ね順風満帆な人生を送っていた。
 あかりは日本へ帰国すると、必ず一人の元を訪れて、土産話をしてくれた。そして、2人で0世界や旅人時代の思い出を語り合った。一人はあかりにとってずっと導……『北極星』であり続け、2人は友情で固く結ばれていた。そうして元気を貰って、再び海外へ向う彼女の姿を、一人は無事を祈りながら見送っていた。
 その日もアフリカのとある国から帰ってきたあかりが、一人の家にお土産を持って遊びに来ていた。
「じゃーん! また変なお土産見つけちゃったよ~!」
 そういって彼女が取り出したのは、奇妙なお面。妙にごつくて重いが魔よけらしい。ありがとう、と一人が受け取れば、あかりは嬉しそうに瞳を細める。
「そういえば仕事は順調なの? 体壊さないでよ?」
「もぅ、お母さんにそっくりだなぁ、そーいうトコ! 大丈夫だよ~、暫くはこっちでの仕事だし、5時上がりだし、食事もちゃんと取ってるし」
「一人暮らしなんでしょ? 炊事とかしてる?」
「勿論。あっちでがんばってたら慣れたもの!」
 一人が気になった事を口にすれば、あかりは明るい声で笑い声を上げる。そんな仕草は子供の頃と変わっていないが、重ねた年齢の分だけ、思量深い一面を覗かせる。
 そんなこんなで話を弾ませていた2人だったが、ふと、あかりが空を見上げる。透き通るほど青い空を見、あかりはポツリと呟いた。
「色々あったけどさ……、ロストナンバーとして彼方此方回れて、本当に愉しかった」
「人の倍くらいの経験をあそこでしたわね。……ん? あかりは戻りたいの?」
 一人が頷きつつもそんな事を問いかければ、あかりは苦笑して首を振る。彼女曰く「今は遣り甲斐のある仕事と楽しい仲間が居るから冒険どころではない」のだそうな。
「そういうかっちーはどうなのさ?」
「ふふ、馬鹿ねぇ。懐かしいだけよ」
 あかりが茶化すように問えば、一人は大人の笑みでおでこをちょん、と指で押す。くすぐったそうに笑いあって、2人は再び空を見上げる。
「……ロストレイル、見えるかな?」
「そうねぇ、見えるかもしれないわね」
「見えたら、それはそれで嬉しいけどね」
 そんな事を言っている2人に、聞き覚えのある声が聞こえた。窓を開けると……黒髪と赤黒い瞳の男が一人、そこにいた。その姿に、思わずあかりが声を上げる。
「の、ノユゥさん?!」
「やぁ、あかりさんに一人さん。ご無沙汰しています」
「ご無沙汰していますって……、どうしちゃったの?」
 一人の言葉に、ノユゥは優しい笑顔で口を開く。
「僕も、壱番世界に帰属できました」
 そういいながらよっこいしょ、と靴を脱いで窓から侵入するノユゥに思わず首を傾げる2人。けれどもノユゥはカバンから菓子折りを取り出して頭を下げる。
「今後も、友達として……よろしくお願いします」
 突然の訪問とお願いに、2人は目を丸くする。けれども、ノユゥが望む世界に帰属できた事を、素直に喜び、歓迎したのだった。
 この後ノユゥとあかりの関係がどうなったかは……2人と一人だけが知っている。

 そして、一人は……生涯独身を貫き、83歳でこの世を去る。多少色々あったものの、彼にとっては納得の行く人生だった。あかりを初めとする多くの人に見守られ、その死に顔はとても穏やかだった。

「これからも、宜しくね」
「『離れても一緒』って言ったもんね。こちらこそ」
 遠い先の事までは解らない。けれども、あかりと一人は笑い合い、ノユゥもまた頷く。3人で空を見上げれば、うっすらと列車が虚空を走っていく姿が見え……思わずあかりは声を上げる。
「わたし頑張ってるよー! 皆も頑張れー!」
 手を振るあかりを、温かい眼差しで見守りながら一人とノユゥは頷く。
(私達は漸く一区切りついただけ。何も終わってないわ)
 一人は顔を上げると、そっと唇を綻ばせる。
「お楽しみは、これからよ」

 航は海辺の町で、愛する妻との間に生まれた娘と一緒に遊んでいた。その日、妻は同窓会で家には航と娘の2人きりである。
「ねぇ、お父さん! 『不思議な冒険』のお話して~!」
「そうだな。今日はどんな話をしようか……」
 航はそういいながら記憶を辿る。彼は、ロストナンバーとして旅をしていた日々を、『お伽話』として娘に語っていた。妻はそんな航を『創造力豊かな人』と認識しているし、『お伽話』を止めるような事もしない。そして娘は、楽しいお話を聞かせてくれる父親が大好きだった。
 一通り話し終わると、娘は嬉しそうに顔を綻ばせる。今日話したのは、嘗てヴォロスで体験した『星の海』へ向うまでの話と、そこでの出来事。少女は、この話が大好きで何度も聞きたがる。
「本当に『星の海』の話が好きなんだな」
「うん。わたしも、行って見たいなぁ……」
「そうだな……、行けると、いいな」
 航は優しく娘の髪を撫でながらヴォロスのオアシスにある『玩具箱』のような街を思う。彼が出会った老博士・カルートゥスは、『星の海』の旅から2年後に病気で亡くなった。けれども、彼の研究は息子・ウェズンに引き継がれている。その話をグラウゼから聞いた彼は、静かに思う。
(きっと彼ならば……)
 どこか遠い眼差しで空を見上げれば、白い月が青空に浮んでいる。航は娘を膝に乗せたまま、思いを馳せる。
(いつか、この子がロストナンバーとして覚醒したら……、ヴォロスに行くだろうか)
 そして、ウェズンと共に『星の海』へ向う事になったら、それはそれで面白そうだ、とくすりと笑う。

 ――冥府

「……様、樹菓様」
「は、はい!」
 部下に肩を揺さぶられ、樹菓は我に帰った。彼女は書類に判子を押すと、部下に指示を出して、部屋を後にした。

 ツーリストとして覚醒し、長い間無断欠勤していた樹菓は一応報告書を製作し、提出した。が、当初は信じてもらえず……「何らかのトラブルに巻き込まれた」ふうに捕らえられていた。だが、後にロストナンバー達が冥府で冒険するようになると上司たちも信じるようになり、樹菓は冥府を訪れたロストナンバー達のサポートもする事になった。
 それからどれだけたったか。気がつけば、当初の地位よりかなり出世していた。無断欠勤した分必死に働いていただけだったが、これには彼女自身も驚いている。

(あんなに戻りたかった場所なのに)
 樹菓は冥府の空を見上げ、ぽつりと呟く。忙しくも充実した日々の中、帰属して間もなくは洋の事を考えてしまっていた。ふと、彼女の魂がいつかここに来て……と考えては首を振る。
「不謹慎ですね。チヒロさんには、お元気なお姿こそ似合っていますから」
 楽しい思い出を胸に秘め、樹菓はまた顔を上げる。壱番世界で、彼女は楽しい家庭を築いているだろう。もしかしたら帰属し、子供もいるかもしれない。
(私も、私のやるべき事を)
 樹菓は背筋を伸ばし、道を行く。その背中を追いかけて、あどけなさを残した部下が走ってくる。振り返った彼女は、にこっと微笑んで部下を窘めるのだった。


後奏:そして、日々は続くよ。

 ――『北極星号』の旅から約35年後

 ジュリエッタは久しぶりにヴォロスの依頼を受けようと、世界図書館を訪れていた。そんな彼女の傍らを歩くのは、新米コンダクターの新月 乙女。嘗てコンダクターとして活躍していた航の娘である。
 彼女は、宇宙飛行士である。宇宙ステーションの船外活動中、漂って地球の美しさに感動した途端真理を悟った為覚醒し、導かれるようにロストレイルへ乗り込んで行方をくらました(実の所、ターミナルへ導かれた)。その2日後には何事も無かったかのように戻り、壱番世界では結構なニュースになっている。まぁ、ごく一部の者には『何が起こったのか』判っていたのだが……。
 ジュリエッタは相変わらず短期間の依頼と壱番世界での依頼を中心に活動している。時折グラウゼがアドバイスをしているようで、料理の腕も上がっているらしい。
「そういえば、そなたはヴォロスでの依頼を希望しておったようじゃな」
「うん。私は、お父さんが行ったヴォロスの『星の海』に行って見たいの。だから、そこを希望したのだけれども……」
 ジュリエッタが問いかければ、乙女は少しはにかんだように答える。すると、背の高い男が、2人の言葉を聞いたのか顔を向ける。
「今、ヴォロスが如何こうとか言わなかったか?」
「ああ、グラウゼ殿! ちょうど良かったのじゃ。こちらは新月 乙女殿と言って新米のコンダクターじゃ。彼女がヴォロスでの依頼を受けたいと言っておった所なんじゃ」
 ジュリエッタが説明すれば、グラウゼはにっ、と笑って「渡りに船って奴だな」と呟くと、二人に司書室まで来るように伝える。そして、乙女と目を合わせ……穏やかな気持ちで向き合った。
「新月……という事は、君は航さんの娘さんかな?」
「! はい! 父を知っているんですか?」
 乙女が驚いたような表情で問えば、グラウゼは頷く。
「これも何かの縁なんだろうな。これから色々な旅に出向くと思うが、気をつけて向う事だよ。それじゃあ、司書室で待っているよ」
 彼はそう言うと一礼して去っていく。その背中を2人は暫く見つめていた。
「お父さんの事……覚えていてくれたんだ……」
 乙女が感動しつつグラウゼが去った方向を見つめていると、ジュリエッタが相槌を打つ。2人は頷き合うと司書室へと向かった。

 二人が司書室へ入ると既にグラウゼがそこにいた。その他、数名のロストナンバーが顔を揃えている。グラウゼは人数を確認すると、1つ頷いた。
「それじゃ、今回の依頼について説明するぞ」
 そういいながら『導きの書』を開けば、依頼の内容が刻まれている。グラウゼがロストナンバー達へと目を向ければ、彼らは皆わくわくした様子で待っている。
「今回の依頼は、ヴォロスのデイドリム。ウェズン博士が『星の海』へ向うのだが、そこで覚醒したばかりのロストナンバーと遭遇し、トラブルになる、と予知された。そこで、君達の出番となる……」
 注意点などを説明している中、ふと乙女の様子を見る。彼女は瞳を輝かせ、俄然気合の入った表情を見せていた。この様子ならば大丈夫だろうと思ったグラウゼは笑みを強める。
(憧れていた場所に、行けるのね! 嘗てお父さんが行った場所に……!!)
 乙女は瞳を輝かせて拳を握る。そうしながらも、宇宙へ旅立つ前に行われた打ち合わせのときのように、真剣な眼差しで内容を把握する。
 グラウゼは説明を終えると、懐から何も書かれていないチケットを取り出す。そして、スッ、と『導きの書』に翳せば音も無くヴォロスの情報が刻み込まれた。全て情報が行き渡ったのを確認すると、彼はロストナンバー達にそれを渡す。共に渡されたのは人数分のお弁当。こうして旅人たちを励ます姿は今も変わっていない。
「君達の活躍、楽しみにさせてもらうよ。成功を祈って」
 グラウゼの言葉に、乙女とジュリエッタは笑って頷いた。他のロストナンバー達も其々声を掛けるなり、サムズアップするなりして旅に出て行く。その背中を見送りながら、世界司書の男は『導きの書』を腰のフォルダーへと仕舞った。
「俺はこの命が続く限り、旅人たちをフォローし続けよう。帰る場所を、生きる場所を守っていこう」
 そっと呟きながら、彼は暫くの間瞳を閉じる。耳を澄ませば、ロストレイルの汽笛が聞こえ、人々の喧騒が脳裏に響く。思い浮かんだ幾つもの顔に微笑を浮かべ、静かに瞳を開くと彼は楽しげにその場を後にした。

 *   *   *   *   *

 今日もまた、ロストナンバーたちがターミナルから各世界へと旅立っていく。そして、旅から帰ってきたロストナンバー達を、グラウゼは『とろとろ』で美味しい料理を作りながら待っている。カウンターに飾られたオイルランプや見るたびに景色の変わる桜の絵などが飾ってある店内は、今日もお客様でいっぱいだ。
 そこへ、また一人のロストナンバーが店を訪れる。今から依頼へ赴くのか、それとも依頼から戻ってきた所か。それはさておき……グラウゼは客に気付くと、にっこり笑ってこう言った。
「よう、いらっしゃい」

(終)

クリエイターコメント菊華です。
お待たせいたしました、エピローグシナリオ、お届けいたします。

今回はつめるだけ詰めてみました。
ここで多くを語るのは野暮なので短く行こうと思います。

・カグイさん
こんな具合です。イェンの心は揺らいでます。
落とすなら……今だ!

・ジュリエッタさん
恋人さんと御幸せに!!
お店にグラウゼも行きますんでサービスしてください。

・スカイさん(風鳴さん)
ご冥福をお祈り申し上げます。
彼らしく、けれど切ない気持ちでいっぱいです。

・仁科さん
旅人さん判明。あと、あんなオチです。
一体どうなるんでしょうかね~?

・脇坂さん
大往生でしたね……。
素敵なお爺さまになった事でしょう!

・鮫島さん
大将と呼ばせてください。
あと、世界が見つかるといいですね……。(ほろり)

・夕凪さん
書いた本欲しい、とガチで。
色々と気をつけて過ごして欲しいものです。

・新月さん
このプレ読んだと同時にエンディングが決まりました。
親子二代で旅人っていいですね!

・樹菓さん
こんな結果です。出世おめでたう!
って事は神様としての地位も上昇……?

・(旧姓)金町さん
旦那様と御幸せに!!
幸せな家庭を築いてください!!!

と言う訳で、皆様有難うございました。
 これにて、菊華が担当する旅の物語は全て『おしまい』でございます。
 またどこかで会いましたら、それは縁と言う事で宜しくお願いします。
公開日時2014-03-25(火) 21:20

 

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