オープニング

「そろそろインヤンガイは如何でしょう?」
 相変わらずどこからともなく現れた世界司書は、僅かに眉を顰めたまま導きの書に目を落としている。多少血腥いですが、と表情の割には熱心でもない前置きをしてから、誰にともなく呟くように始める。
「詳しいことは現地の探偵に丸投──一任しますので、あらましだけ。どうやら自分を失った暴霊が、街を徘徊しているようです。姿を見かけて生きている者は、まだいません。その暴霊が殺すのは一度に一人、毎回同じメッセージを壁に残していきます」
 言って司書は用意してきたのだろう紙を懐から取り出し、無言で差し出してきた。そこには血にも似た深い赤で、一言。

 ──わたしはだれ──

 渡された紙には機械的な文字が並んでいるが、実際には被害者が自分の血で書き綴っているらしい。
「挑発とも悲鳴とも取れますが、どんな意図で綴られているかは本人に聞くしかないでしょう。これまでの被害者は、多分五人です。とはいえ根拠は壁に残されたメッセージですから、それを残さず殺された人もいるかもしれません。因みにその街では、他に自然死とも殺人とも知れず亡くなられた方が三人います」
 言って導きの書を捲った世界司書は、ようやく顔を上げて書を閉じた。
「まあ、詳細は現地で探偵から聞いてください」
 できれば次の被害者が出る前に、と呟くように言い置いて、世界司書は踵を返した。



 痛い、苦しい、と遠くから嘆く音がする。可哀想だねと、他人事みたいに呟いた。
 否、実際に他人事なのだ。それらを請け負ってもらうために、代わりを捜したのだから。
 だから自分は、小さく小さくなっていればいい。いつか誰かが言った、お前は貝なのだから小さくなって殻を閉じれば何も感じずにすむ、と。
 あれは、誰だっただろう?
「分からない……、知らない。でも怖いのはいやだよ……」
 怖いのは嫌だ。寒いのも寂しいのも嫌だ。
 代わりは最初は温かいけれど、段々と冷えて嘆き出す。そうしたらまた代わりを捜さなくてはいけなくなる。
「いやだよ……、怖いよ。助けてよ。かいのむこうは、どこにあるの……?」
 誰に聞けばいいのだろう。何を捜せばいいのだろう。最初が一番近かった気もするけれど、それももう分からない。
 痛い苦しい怖い寂しい痛い。怖い。
「助けて……、助けて。だれかとめて……!」
 ちりん、と小さな音がした。近く聞こえる鈴は、その音が聞こえる時だけそっと心が凪いだ。



 殺された連中のリストだ、と会うなり渡された何枚かの書類には、五人分の被害者の名前と略歴、交友関係が記されていた。関係図には赤く丸された相手がいて、捲っていけばそれは前回被害者の名前だった。
「どうやらその暴霊は、被害者の親しい人間を狙って殺している。親兄弟、友人、恋人。場合によって、まちまちだが。ただ最初の被害者だけは、どうしてそいつだったのか分かってない。周りで人死にがあったわけでもないらしいしな」 
 特に興味もなさそうに話した探偵は、渡した書類と同じ物を捲りながら説明を続ける。
「そしてその最初の被害者だけ、抵抗した跡があった。後の連中は、何故か無抵抗に近いな。何があれば、殺されてやろうと思えるのかね」
 死んじまったら終わりじゃねぇか、とぽつりと呟いた探偵は捲っていた手を止めて一枚目を示した。
「最近の被害者は、ユァン。幸いなことに、こいつの関係者は絞られてる。家族はなく、友人も少ない。その内の一人が前の被害者だ。後は恋人が一人。次に狙われる最有力候補だな」
 淡々と説明した探偵は、非難がましい視線に気づいたように不敵に唇の端を持ち上げた。
「だから俺の側をうろついてりゃ、何れ出てくるだろうさ。助けてくれる必要はないぜ、ユァンを殺した相手だけどうにかしてくれりゃそれでいい」
 敵討ちだ何だと気負うつもりはねぇしなと肩を竦めた探偵は、自分が持っていた書類を持て余したようにまた押し付けてきた。
「生身の人間だったなら殺すまで殴りたかったかもしれねぇが……、暴霊相手じゃ分が悪い」
 奴さんは何がやりたいのかねと苦く呟いた探偵が離れ際、ちりんと小さな可愛い音が届いた。見れば足元に小さな貝のキーホルダーが落ちていて、気づいた探偵が取り上げるとまたちりんと小さな音がした。
 視線に気づいたらしい探偵は僅かばかりばつが悪そうに顔を顰め、乱暴にそれをポケットに突っ込んだ。
「ユァンの形見だ。どこぞのガキを助けた礼に貰った一つを、押し付けられたのさ」
 似合わねぇのは承知の上だと照れ隠しのように吐き捨てた探偵は、肩を寄せて丸めた背を向け、
「死んでやる気はないが、俺が死んだらユァン以外に縁者なんぞない。被害が無差別に広がるかもしれねぇな」
 そうならないように暴霊を止めてくれよと、あまり気の乗らない声で言い添えられた。

品目シナリオ 管理番号388
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
クリエイターコメントインヤンガイから、こんにちは。今度は暴霊の暴走を食い止めるべく、お力を貸して頂けませんでしょうか。

暴霊は自分を失って、助かる術を探して彷徨っています。対話が可能かどうかは、本人(霊)の気分によって微妙です。
落ち着いていれば、話くらいはできるかもしれません。正気づいている時に呼んであげると、色々思い出せるはずです。
他にも強制排除する方法はありますので、そちらの手段を取ってもらっても構いません。
探偵の安否については、さほど気にして頂かなくて大丈夫です。

暴霊へのアプローチの仕方、強制の場合はその方法を教えてください。

それでは、インヤンガイで彷徨いながらお待ちしております。

参加者
二階堂 麗(cads6454)コンダクター 女 30歳 売れないカメラマン
アルティラスカ(cwps2063)ツーリスト 女 24歳 世界樹の女神・現喫茶店従業員。
岩髭 正志(ctdc3863)ツーリスト 男 22歳 書生
枝幸 シゲル(cvzc7873)コンダクター 男 16歳 綾織職人

ノベル

「タオフー」
 柔らかな声がどこからともなくそっと届けられ、窓辺に座ったまま動こうとしなかった探偵がはっと顔を上げた。
 さっきまでぼんやりと眺めていた窓の外、潰れた雑居ビルのせいでぽかりと空いた空間。夕闇が迫り出した空から、辛うじて残光が届く場所。
 そこに探偵がいる窓を仰ぐように立っている人影を見つけ、探偵は即座に部屋を飛び出した。一緒に残っていた岩髭正志も慌てて飛び出したが、外に出た時には既に探偵は長い黒髪の女性と対峙していた。
「ユァン……!」
 探偵が悲痛げな声で呼びかけた名前に、思わず探偵を窺ってからそこに立つ女性を確かめる。
 笑顔になれば優しげな空気も満ちるのかもしれないが、今は眉根を寄せて苦痛そうに顔を歪め、苦しげに恨めしげに探偵を見ている。
 ユァン、と繰り返すしかできずに立ち尽くしている探偵に下がるよう促しながら、正志はやっぱりと唇を噛んだ。
(暴霊は、殺した相手の姿を取っていたんですね)
 最初の被害者以降、抵抗した跡がなかったと聞いて、親しくしていた被害者の姿をしていたのではないかと予想していた。ただ先に探偵に確認したところ、遺体は既に埋葬されているらしい。身体を乗っ取って動いているのではなく、どうやら記憶ごと姿を真似ているのだろう。
 けれどこんな風に冷静に受け止められるのは、正志が第三者だからだ。つい先日殺されたばかりの恋人がそこに立っていれば、動揺する。相手を大事に思っていた分だけ、偽者だと分かっていても騙されたいと思ってしまうのではないだろうか。
 暴力は得意ではないし、本当は自分が守ってほしいくらいだと思うが、こんな状況では言っていられない。ギアを取り出すほどの覚悟は定まらないが、今にもユァンに駆け寄りかねない探偵を身体を使って押し留める。
「待ってください、あの方はユァンさんでは、」
「あれがユァン以外の何者だってんだ!? ユァン、ユァンだろう!?」
「タオフー」
 泣き出しそうな声で繰り返す名前は、探偵のそれだろう。ユァン、と叫んで手を伸ばしかねない探偵にしがみつくようにして、正志は必死に止める。
「お願いですから落ち着いてください、あれはあなたの恋人を殺した暴霊ですよ!」
 ひどいことを言っている自覚はあったが、それでも探偵を止めるにはそう告げるしかなかった。聞いた途端にふっと探偵の身体から力が抜け、恐る恐る正志も身体を離した。
「ああ……、ああ、そうだな、あれはユァンじゃねぇ……、暴霊だ……」
 俺は何をトチ狂ってるんだと自嘲気味に笑ったが、タオフー、とまたも名前を呼ばれた探偵は逆らい難い様子で視線をやった。
「お願い、タオフー。私を助けて」
 苦しいのよと縋るように手を伸ばした暴霊に、やめろと探偵は小さく抵抗する。
「ユァンの姿でそんなことを言うんじゃねぇ! あいつはもう、」
 振り切るように探偵が拳を作った時に部屋に残してきた枝幸シゲルのオウルフォームのセクタンが飛来し、暴霊と探偵の間を遮るように舞い降りた。その一瞬、暴霊の姿がセクタンの起こした風に揺れたのは気のせいだろうか。
 ひょっとして実体がないのかと正志は眉根を寄せたが、タオフー、と探偵を呼ぶ声は確かに彼の耳も打った。
「タオフー。ずっと一緒にいてくれるって言ったじゃない……、守ってくれるって言ったわ。お願いよ、苦しいの……怖いの。タオフー。一人は嫌。私を助けて……!」
 助けてと、震える声で、指先で乞われ、探偵は苦痛そうに顔を歪めるとそちらに向かって手を伸ばした。
「探偵さん!」
「あれはユァンだ……」
「違います、あれは、」
「いいや、ユァンでいい。あいつが寂しがってんなら、最後くらい聞いてやりてぇんだ」
 どうせ俺にはもう何もねぇしなと口の端を持ち上げた探偵は、止めようとした正志を押し退けて暴霊に向かって手を伸ばした。
 実体がないと思った暴霊は、けれど触れた探偵の右腕に強く巻きついたと分かる。ぎしぎしと服越しにも骨が軋むような痛い音がしているのに、探偵は逆らおうともしない。
「探偵さん!」
「離れてください、岩髭さん」
 僕が止めますと、少し離れた場所から情報を集めに行っていた枝幸の声が聞こえた。振り返った先にーでは、枝幸が万一のためにと持っていた和弓を構え、ユァンの姿をした暴霊に狙いを定めている。
 無理やり祓うのは本意ではないだろうが、ここで迷っていては探偵の生命が損なわれる。迷いを断つように固く閉じた目を開けた枝幸は、暴霊を見据える。
「気持ちは分かるけど、こんなの認めていい筈がない」
 探偵さんを殺す気なら僕が止めると泣き出しそうに言いながら、枝幸は番えた破魔矢を放った。
 正志は咄嗟に目を瞑りたい衝動に駆られたが、見届けろと響く自分の声に従って矢の行方を追うように顔を巡らせた。
「ユァン……!」
 攻撃に気づき、悲鳴じみた声を上げたのは暴霊よりも探偵だった。咄嗟に目の前にいる暴霊を抱き寄せ、庇う。
「っ、……!」
 声にならない悲鳴は、正志と枝幸のどちらが上げたか分からない。けれど枝幸の放った矢が確実に探偵の背に突き刺さると思った瞬間、何かに阻まれたように矢が弾き飛ばされた。




「大きく気になる点は二つ。最初の被害者に他の被害者との共通項が少ないこと。最初の被害者は、本当に最初だったのかということ」
 探偵が面倒そうに案内した、自分の事務所。五人も入れば一杯一杯だが、探偵は四人に席を譲って窓辺に腰かけていた。話に参加する気はないらしく、口火を切ったのはまだ十代らしい線の細さと女性然とした容貌の枝幸だった。
「ええ、他にも三人ほど亡くなった方がいらっしゃるとか。その方が被害者でない保証もありませんね」
 柔らかく同意したのは、枝幸の隣に座る神秘的な雰囲気を纏った美女。アルティラスカと名乗った彼女は、細い指先で資料を捲った。
 膝に乗せたフォックスフォームのセクタン──カブトを撫でながらアルティラスカが捲る資料を睨むように見下ろした二階堂麗は、もう一つと控えめに手を上げた。
「ユァンさんの形見のキーホルダー。それをあげた子供が気になるんだけど」
「僕もです。所持品のリストを見せてもらいましたけど、最初の被害者」
 麗の隣に座った、緊張したような面持ちでどこか肩身が狭そうにしていた岩髭は断わりを入れるように片手を上げ、被害者リストの一番後ろに記されている女性を示した。
「被害者だと思われている一番最初の、この人の所持品。キーホルダー、とありますよね。どんな形かまでは書いてませんけど、気になります」
 同じ物だとすれば子供の存在は重要そうですよねと岩髭が付け加え、枝幸も頷いた。
「探偵さんが持っているのは、貝の形をした鈴だったよね。あれは量産品には見えなかったけど」
 確認するように振り返ると、部屋を占拠されて窓辺でぼんやりしていた探偵は、顔も向けてこないまま答える。
「あれは確か、助けたガキの手作りだったはずだ。優しい人が貝の向こうに行けますように、って渡されたらしいな」
「貝の向こう?」
 何それと目を瞬かせて麗が尋ねると、探偵はあんたらは言わねぇのかと苦笑するように説明する。
「貝は龍の眷属で、虹を吐くだろう。その虹を渡った向こうには、神々がおわす幸せの国があるんだそうだ」
 ただの夢物語だがなと呟いた探偵は、また口を閉ざして窓の外ばかりを眺める。アルティラスカは気遣わしげに探偵を見たが口を噤み、麗も何となく見ていられなくて視線を逸らしながらカブトを撫でた。
 岩髭は沈黙に耐えかねたように資料を捲り、血文字で綴られたメッセージで思わず手を止めている。枝幸もそのメッセージを見つけて、そっと息を吐いた。
「そのメッセージは、まるで自分を見失ってるように見えるよ。記憶を失ってるのかなぁ……」
「自分が何者か分からないというのは、とても怖いでしょうね」
 それで人を襲っているのなら尚更悲しいですと憂いた様子で溜め息をついたアルティラスカは、詳細を調べに行きませんかと提案した。
「そうだね、被害者リストに載ってない三人についても知りたいし」
「鈴を作った子供もね」
「その鈴を他に持っている方がいらっしゃらないかも、知りたいところです」
 早急に必要そうな情報はそのくらいかなと確認した麗は、黙って資料を眺めている岩髭に声をかけた。
「岩髭さんは、他に気になることがありますか?」
「あ……、いえ。多分、それで僕の知りたい事も分かりそうですから」
 緩く頭を振られ、何か想像がついてます? と尋ねたが、困ったように笑った岩髭は表情を隠したげに眼鏡を押し上げた。
「僕のは、ただの勘ですから……。あまり役に立てるとも思えませんけど、僕はここで探偵さんと一緒に待ってます」
「ガキじゃねぇんだ、見張ってなくても逃げ出しゃしねぇぞ」
 今のとこ出かける予定もねぇよと探偵が嫌そうに口を開いたが、麗は呆れた顔で駄目と指を突きつけた。
「狙われると分かってる人を、一人にできるはずがないでしょう」
「勿論、僕もプシュケは置いていくよ。プシュケの見ている風景は僕に伝わる、何かあったらすぐ戻れるようにね」
 頼んだよとオウルフォームのセクタン──プシュケを撫でた枝幸に応えるように、二度三度嘴が動いた。
 便利機能! と思わずプシュケを眺めていると、アルティラスカもそれではこれを、と何かを取り出した。
「この種を、しっかり持っていてください」
 取りに来そうにない探偵に近寄って手渡された小さな種に、それは何? と思わず尋ねるとアルティラスカはにこりと微笑んだ。
「光の魔力を封じた種です。襲われた時には瞬時に私を召喚して頂く事もできますし、一度であれば防御結界が発動します」
「すごい、便利ですね」
 へえと頻りに感心した麗は肩に上ってきたカブトが落ちないように支えながら、そんな特技は持ち合わせてないなぁと頬をかいた。
「でも、地味に聞き込みくらいはできるから。情報収集くらいは役に立とうと思うけど、何かあったら助力よろしくね、少年」
 お姉さんは戦えませんと情けないことを堂々と言い切ると、枝幸は子供扱いか頼りにされているのか分からないんだけどと複雑そうな顔をしたが、嫌だとも言わずに苦笑した。





「貝の鈴?」
 何だいそれ、とさっきからもう何度も繰り返し聞いた応えに、写真を見せていた二階堂はがっかりした様子で笑った。
「ご存知ないならいいんです、ありがとう」
 さすがに探偵から形見を取り上げるわけにもいかず、二階堂のカメラで撮らせてもらった写真を見せて聞き込んでいるのだが。ユァンの家近辺から捜索を開始したが、ここまで空振り続きだと子供の存在さえ疑わしいねと二階堂が写真を揺らした。
「この近くに住んでたなら、そろそろ誰かが反応してくれてもいいのに」
「その子がたった一度助けられたくらいで、お礼をしたくなるはずだね」
 ここまで無関心でいられたら堪らないよと肩を竦めたシゲルは、ふと核心に触れた気がして眉を顰めた。
「枝幸君?」
「……ひょっとしたら、その子はもう、」
 二階堂の問いかけに答える事もできないまま、探偵と一緒に残った岩髭はその可能性に気づいていたのだろうか、と考えを巡らせる。
 問うまでもなく、答えはきっと応だろう。彼らが調べると言った内容だけで、辿り着けると判じられたのだから。
 そうかと痛ましく目を伏せたが、どうかしたの? と心配そうに二階堂に声をかけられて我に返った。どう説明すべきかと言葉を探していると、リストに載っていない三人を調べに別行動していたアルティラスカが戻ってくるのを見つけた。
 憂いた顔をしている彼女を見て、自分の予測が正しかったのだろうと苦い思いで声をかけた。
「三人の内の一人は……、子供だった?」
「え?」
 切り出し難そうにしているアルティラスカに水を向けると、驚いた顔で二階堂が彼女を見る。アルティラスカは長い緑の髪を揺らすように頷いて、握っていた手を開いて半分に割れた鈴を見せた。
「最初の被害者が出る数日前、道端で凍死した少年が発見されたそうです。所持品は、これだけ。……探偵さんがお持ちのキーホルダーと、同じ物ですね」
 割れてしまっていますけれど、と手の中の鈴を眺めて呟いたアルティラスカに、二階堂は息苦しそうにして自分のセクタンを抱き締めた。シゲルは黙祷するように少しだけ黙った後、改めてアルティラスカを見た。
「その子の名前や、住んでいた場所は……」
「何方もご存知なかったらしく、引き取り手もなかったのでもう弔いも済ませたそうてす」
 困りましたねと沈痛な面持ちで呟いたアルティラスカに、わたしはだれ、の書き残された血文字が鮮烈に頭を過ぎる。二階堂もきっと同じことを考えたのだろう、暴霊は、と小さく呟いた。
「暴霊はその少年だとして……、自分を失ってるその子に何を言ってあげたらいいの?」
 何の情報もなくてどうやって止められるの? と戸惑ったように、誰にともなく呟かれる。
 枝幸も答える術を持たなくて、ただ思い当たる悲しい事実を言葉にする。
「もしかしたら生きてる頃から、誰にも呼んでもらえなかったんじゃないかな。この鈴を見せても誰も反応しない、まるで最初から……、その子はいなかったみたいだ」

 ──わたしはだれ──

 死んだという理由だけではなく、死ぬ前から少年は自分を失っていたのかもしれない。
「暴霊は、誰かに呼んでほしくて彷徨ってるのかしら?」
「……この街に、まだ彼の名前を知る人がいるかもしれません」
「でもここまで聞き込んで、知り合いと言えばユァンさんくらい、」
 しかいなかったと溜め息をつく前にはっと思い当たり、顔を上げた。他の二人も同様らしく、もしかしたらと二階堂が口を開いた。
「最初の被害者が持ってたキーホルダー、ユァンさんと同じ物じゃなかったのかもしれない。ユァンさんにあげた物と間違えたとか」
「可能性はありますね。人違いと気づいたかどうかは分かりませんが、呼んでくれると期待した人に怯えられて……、咄嗟に殺してしまったのかもしれません」
 悲しい事ですねと目を伏せて唇を噛んだアルティラスカに、二階堂もぎゅうっとセクタンを抱き締める。シゲルは確かに同情の余地はあるけれどと流されそうになるのを堪え、緩く頭を振った。
「でもどんな理由があっても、人を殺すのは賛成できないよ」
「ええ。この悲しみの連鎖を断ち、暴霊を鎮めましょう」
 多分、少年の名前を知るのは既に一人きりだ。彼まで殺されてしまう前にと、三人は急いで踵を返した。




「よかった、間に合いましたか……!」
 枝幸の放った破魔矢が先ほど渡した種によって阻まれたのを確認すると、アルティラスカは羽衣型のトラベルギアを外した。そのままそれで暴霊を拘束し、探偵から引き離す。
「ユァン……!」
「離れてください、貴方が殺されるのを黙って見ているわけにはいきません。例え、それが貴方の望みでも」
 それを叶えるわけにはいきませんと強く断言すると、探偵は唇を震わせたが結局言葉を見つけられないようにぎゅっと噛み締めた。それでも縋るように拘束されている暴霊を見て今にも手を伸ばしかねない探偵の服を捕まえ、引き摺り戻した格好でしゃがみ込んでいるのは二階堂だった。
「だいじょうぶ、カブト、ありがとう」
 流されないからと囁くように自分のセクタンに頷いた二階堂は、絶対に行かせないと探偵を強く睨むように見上げた。
「死ぬなんてだめ、恋人に殺されてあげるのだって優しさの形じゃないのに、暴霊に惑わされちゃだめ!」
 絶対にと震えそうな手で服を捕まえたまま訴える二階堂に、探偵も戸惑ったように視線を揺らしている。けれどまたすぐにでも振り向きかねない探偵を留めるように、岩髭が声をかけた。
「彼は、ユァンさんを探していたんじゃないでしょうか」
 当たらずに済んでよかったと震える手で自分の和弓を握り締めている枝幸を慰めるように背中を何度か叩きながら近寄ってきた岩髭は、大体の情報を聞いたのだろう。
「本当は、その暴霊も大事な人達を殺したくなかったんじゃないかな。ただ、呼んでほしかったんだ」
「そう。一人で生きていた少年にとって、名前を呼んでくれる心当たりはきっと、自分の作った鈴をあげた人だけだったんでしょう。でも死んだ時に、ますます自分を失ったんじゃないでしょうか」
 岩髭が話している間にギアで拘束している暴霊は、離してと叫んで暴れ出す。咄嗟にアルティラスカは少年が持っていた壊れた鈴を取り出し、思い出してくださいと見せるように手を伸ばした。
 壊れてあまりいい音はしないが、ちり、と小さな音が掌にする。それを聞いた暴霊はびくりと身体を竦ませて、何かを探すようにきょろきょろし始めた。
 それを見た二階堂がちょっと失礼と断って探偵のポケットから鈴を引っ張り出すと、ちりん、と優しい音が場違いなほど響いた。
「最初の被害者は、ユァンさんじゃなかった。彼を呼んであげられるはずもない。でも凍え死んだという彼は寒くて怖くて悲しくて……、その人に縋りついたんじゃないかな。そして、思いがけずその人の生命を奪ってしまった」
 許される行為じゃないけれどと枝幸は項垂れ、恐る恐る顔を上げると暴霊を真っ直ぐに見つめた。
「彼はそこで、殺してしまった相手の記憶を見たんでしょう。そうして確実に自分を呼んでくれる相手を捜し、……また間違えてしまった。自分と殺した相手を、混同してしまったんでしょうね」
 親しい相手の前に姿を見せれば、呼んでくれると思ったのだろう。けれど相手が呼ぶ名前は、彼の物ではない。助けてほしいのに叶わず、どうすれば助かるのかも分からず、さっき探偵にしたように助けてと縋るしかできなかったとすれば。
 ちりん、と二階堂の手で鈴が鳴るたび、アルティラスカが鈴を揺らすたび、暴霊は暴れるのをやめてゆらゆらと揺れている。
「彼の名前を知ってるのは、もう探偵さんしかいないと思う。今なら聞いてくれそうだ……、呼んであげてよ」
「呼ぶ……、呼ぶっても、名前なんざ」
 聞いてねぇぞと枝幸に促されて戸惑った探偵は、鈴の音で大人しくなった暴霊を見て、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。
 ここで探偵が名前を呼べなければ、暴霊を鎮めるためにも無理やり祓うしかないだろう。ただ、とアルティラスカは羽衣で拘束している暴霊を見る。
 確かに動きは止められているが、何となく手応えがない。このまま破邪の弓矢で祓おうとしても、失敗に終わる気がする。
 どうすべきかと考えている間にも、探偵が唸りながら記憶を辿っている。
「何か言ってた、……か? そのまま、だって笑ってた、ような……? 鈴……」
 うーんと唸った探偵の言葉に、暴霊がそろりと顔を向けた。探偵はどこに反応したんだと慌てたように考えを巡らせ、やがてああと拍子抜けしたように肩から力を抜いた。
「ベイリン。そうだ、貝の向こうの話の時だ。虹を吐く貝の鈴。それがお前の名前か」
 そうだろうと探偵が確認するまでもなく、暴霊の姿がぐにゃりと歪んだ。瞬きほどの間の後にはほっそりとした女性から痩せた小さな少年に変わり、羽衣から抜け出してひどく嬉しそうに笑った。
「呼んで! 呼んで、僕の名前……!」
 僕の名前だとはしゃぐ暴霊に、二階堂が鈴を持ったままベイリン君? と呼びかけた。ひょっとして抱きついて惨事を繰り返さないかと警戒したのは一瞬、少年──ベイリンは嬉しそうにしたままその姿をぼやけさせた。
 ちらりと視線を交わした岩髭と枝幸もふと口許を緩め、ベイリンさんと優しく呼びかけた。アルティラスカもベイリンさんと呼ぶと、僕の名前だと嬉しそうにしたベイリンの姿が完全に消えそうになった。
 ああ。こんな風に、彼は名前を呼んでほしかっただけなのに。たった一人で凍え死んだベイリンを、せめて誰かが看取っていればこんな悲劇は起こらずに済んだのだろうか。
 否、考えても詮のない話だ。ベイリンは一人寂しく死に、五人もの人を殺し、探偵を独りにした。それは変わらない。ただ、ここでベイリンが安らかに眠れるのなら、続く悲劇は終わる。連鎖は断てた。
「もう、怖くないよ。安らかに、貝の向こうで眠って」
 枝幸が目を細めて囁いたそれを聞いて、ベイリンは視線を巡らせるとひどく幸せそうに笑ってそのまま消えた。ちりん、と小さな音を立てて、そこに残っているのは貝の鈴。きっと彼が最後に閉じ篭った器だろう。
「ああ。ユァンの姿も……蜃気楼か……」
 どこまでも貝だったなと息を吐くように笑った探偵は、けれどその場に座り込むと額を押さえたまま俯いた。
 アルティラスカはベイリンの残した鈴を拾い上げると、ちりん、と鳴らした。それを合図に、緩く吹く風に鎮魂歌を乗せる。この事件の被害者と、幼すぎたベイリンのために。残された、愛すべきを喪った人たちに。

 二階堂は斜め前に座り込んだ探偵の背中を眺めてから、そっと空を仰いだ。少し離れた場所に立っている岩髭と枝幸も、それに習うように空を見上げる。



 仰いだ空には雨が降ったわけでもないのに、薄っすらと虹がかかっている気がした。

クリエイターコメント暴霊の浄化にご協力くださいまして、誠にありがとうございました。お陰様で新たな犠牲者が出ることもなく、少年も無事に成仏できました。

バッドエンドでも~と囁く声は聞こえないではなかったですが、暴霊が子供ではないかと当ててくださった方がいらっしゃいましたので無事に名前まで辿り着けました。
流れによって拾い切れないプレイングもありじたばたしましたが、皆様のお気遣いはしかと頂戴しました。
探偵も今は俯いておりますが、機会があればまたインヤンガイでもシナリオ提示できそうです。改めて、ありがとうございました。

因みに蛇足過ぎますが、一つだけ。今回は貝というざっくりした括りで眷属云々言いましたが、大分アレンジが入ってます。ので、まるっと信じないでくださいね。
この探偵が住む街区ではこんな風に言うんだなー、どこまでほんとかなー、程度の認識でいてくださいますと幸いです(逃げ)。

助けて頂いた暴霊、探偵ともども、ご参加に心から感謝致します。ありがとうございました。
公開日時2010-03-20(土) 12:20

 

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