● たくさんの人々が行き交っている。 背の高い人、低い人。太った人、痩せた人。 女の人、男の人、どちらかわからない人……どちらでもある人も、どちらでもない人もいるんだろう。 ロストレイルの発着場所。 普通の駅よりもっとたくさんの人が行き交う。 その様子をぼんやりと眺めている一人のツーリストがいた。 彼は人型。男性。たくさんの種類の中の、ほんの一つ。 彼の故郷とは全然違う光景。 彼、ニワトコが生まれて育った世界は森の世界だった。 その場を動くことのない樹木がほとんどで、動き回るのは言葉を話してくれない動物ばかり。 人間と呼ばれる生き物はいなかった。 ――歩き回る樹木なんていない。自分のような者は別として―― こうしてると、自分に近い姿の者の方が世界には多い気がする。 故郷の樹木達よりも、人間の方に自分は似ている。 遠く飛ばされた場所での方が、自分の姿は馴染んでいる。おかしな話だ。 どうして、あの場所でぼくの姿はこうだったのだろう? こうして、世界を旅する為? 似た姿の者達。興味深くもあり、戸惑いもあった。 何が同じで何が違うのか。 ロストレイルに出会って間もない彼は、そんな事を考えてぼんやりしていた。 「ちょっと!」 「……」 「おねーさん!」 「……」 女の子の声がする。誰かを呼んでいるようだ。知り合いにでも会ったのかな。どんどん強くなる大きな声。 「そこのお姉さんってば!」 うわ、ちょっと怒ってないかな。ちゃんと返事をしてあげて、お姉さん。 「ちょっとあなた! 子供を無視するなんて酷いんじゃない!」 不意にぐいっと腕を引っ張られる。 「え?」 びっくりして、ぼくは腕を見ると、小さな手のひらが服の袖を掴んでいた。 髪を白いひらひらのリボンで二つに結んだ女の子がぼくを睨み付けていた。 にんじんみたいに真っ赤な髪の毛をしたその子は、ほっぺたはりんごみたいに真っ赤にして両手を腰に当てた。 「もう! 一度で気付きなさいよ!」 「あの、えっと、ぼくを呼んでいた?」 ぼくだったのか。お姉さんなんて言うものだから、自分だとは思わなかった。 「……男?」 あぁ、この様子は勘違いみたいだ。 一人称と声でぼくの性別を悟ったらしい彼女は、眉間に皺を寄せて呟く。 「うん」 「そんな長い髪にお花をつけて、ややこしいわね! どっちかはっきりしてない顔だし!」 そんな事言われても困ったな。だけど、女の子は眉を吊り上げている。怒らせた。謝らなくちゃ。 「ごめんなさい」 「まあ、間違ったのは私が悪かったわ! ごめんなさい」 「……」 謝ったら、謝られた。この子はクルクルと表情も言うことも変わっていく。 「許すわよね? 女の子が謝っているんですもの」 「……うん」 追いつかないだけで、許さない程に心が狭いわけじゃないのだけど。 「お兄さん、暇人?」 ずばっと言う。確かに僕は忙しくはない。 「人をみてたんだ」 「それだけ?」 「それだけ」 「ずっと見てたの?」 「うん」 「それなら、こんな人見なかった?」 これくらいの背丈で、と一生懸命に背伸びをしてぼくよりちょっと低いところを示す。 髪はこれと同じ色と自分の髪の毛を一房つまんで見せながら、長さはあなたと同じくらいあるわねと言う。 「見てない、と思う」 たぶん、こんな赤毛の女の人はみてないと思う。 見落とした可能性はゼロではないけれど、こんなハッキリした色の人が通ったら気付くと思った。 「そう……」 女の子はとてもがっかりした様子だ。 おかしいなと気付く。この様子はひょっとすると…… 「きみ、迷子?」 「違うわよ!」 即答だ。緑色の宝石みたいな瞳が、キッとぼくを睨み付ける。 「でも、お母さんとはぐれたんだよね?」 迷子じゃないのかなぁ。 「ここがどこだか私はちゃんとわかってるもの。迷ってなんかいないわ。お母さんが勝手にどっかいっちゃうのが悪いのよ」 迷子だと思うんだけどなぁ。 「あなた、暇ならお母さんが見つかるまで付き合ってくれないかしら?」 「……いいよ」 ぼくは少し考えてみたけれど。 小さな子をほったらかしにするのはよくないだろうし、彼女に付き合う事にする。特に予定もなかったし。 すっと女の子が片手を僕に差し出した。 握手かな。 故郷ではやった事がなかったけれど――だって、みんなには大体、枝はあっても手がなかったものだから――ツーリストになってから覚えた事だ。 新しく会う人がぼくの手を掴んで何度が手を上下させて放した。仲良くしてくださいの合図みたい。 覚えて間もないから上手に出来てるかはわからないけど、握手をしてみる。 「よろしくね」 「違う!」 「え、間違えた?」 「エスコート!」 「え?」 エスコート? ぼくの顔に、はてながたくさん浮かんでいたらしい。女の子はぼくの手をぎゅっと握って言った。 「もう。手を繋いでくれないとはぐれちゃうでしょ」 なるほど。 お母さんとは手を繋いでいなかったのかな。だからはぐれてしまったんだろうか。 その手は不思議とひんやりしていた。ひょっとすると、思っているより心細かったのかもしれない。 ● たぶん、お母さんもこの子を探してると思うから、動かない方がいいのかなとも思ったけれど、女の子は行くわよと言ってぼくを引っ張っていく。 人混みを歩くのは慣れてないので、ぶつからないか心配になるけど、女の子はぐいぐい進んでいく。 一人ならとっくにぶつかってたかもしれない。だけど、彼女は的確に人をかき分けていく。すごい。 「暑いわね」 「いい日差しだよ」 光合成日和だ。 「……気が利かないわね」 彼女はすっと先にある水色と白のしましま模様の屋根を指さした。 「アイスクリーム?」 「女の子にアイスをおごるカイショウもないのかしら?」 「甲斐性? ないのかな?」 「あるのならアイスを買ってくれるわよね」 甲斐性があってもなくてもいいかなと思ったけど。女の子はどうやらとってもアイスクリームが欲しそうな目をしている。 お金はもらったけれど、そんなに使ってないし。この子の為に使ってあげるのがいいのかな。 「いいよ」 「ありがとう」 この子はちゃんとお礼を言う。色々言うけれど、いい子なのかな。 「私は、ストロベリーがいいわ!」 屋台に並ぶたくさんの丸い筒。筒の中に入っているのがアイスクリームらしい。 女の子はその中でも、ピンク色のものを指さしてストロベリーと言った。苺はもっと赤い気もするけれど。 「あなたは?」 「え、ぼくも?」 「一人だけ食べるのなんて気分がよくないわ」 「でも、どれにしろって言われても……」 困った人ねと女の子は呆れ顔だ。 ぼくも困っている。だって、はじめて見るアイスクリームは随分と種類があるのだ。 ピンク色のストロベリー。あとは白いの、茶色の、オレンジ色の、水色のに茶色がツブツブしてるの。 これで絵でも描けそうだけれど、そうではなさそうだ。 「嫌いなのある?」 「ううん」 さっぱりわからない。 「じゃあこれしましょう」 女の子は白に茶色のツブツブがあるものを指さした。 「ストロベリーとチョコチップだね」 お店のおじさんがにっと笑って言う。 「コーンとカップ、どっちがいい?」 「コーンが好きだけど……落としたら嫌だし、カップにするわ!」 コーン? カップ? また何だかわからないけれど、女の子がてきぱきと答える。 だから、僕はお金だけ差し出す。すると、おじさんは小さな入れ物にアイスクリームを入れて渡してくれた。 こういうものなんだ。今度、コーンってなんだか試してみようかな。 「いただきます」 アイスのカップを近くに並んだテーブルに置いて、手を合わせて彼女は言った。 「……」 「いただきますは?」 「え?」 「何かを食べる前には手を洗っていただきます。食べた後はごちそうさまでしょ!」 そんな事も知らないの?大人のくせにという。 「手、洗ったっけ?」 「……こういうところでは手を拭けばいいのよ。へりくつ言わないの!」 あぁ、この濡れた紙ナプキンはそういう事だったのか。 ごしごしと手を拭いてみる。そして、女の子のまねっこをして手を合わせてみた。 「いただきます」 女の子は満足げに頷くと、おもむろにそのアイスクリームをスプーンですくってはぱくんと口にいれた。 「おいしいっ」 「……」 女の子は幸せそうな顔をしている。よかったなぁとぼくは彼女をぼんやりと見つめる。 「ちょっと、何してるのよ! 溶けちゃってるじゃない!!」 女の子はしばらくアイスクリームをすくっては口の中に入れていたけど、ぼくが黙って見ているのに気付いて声を荒げた。 「え?」 「……食べたことないの?」 女の子は驚いた顔だけど、アイスのない世界もあるのねと呟いている。 「うん、食べたことないんだ」 人間は、何かを食べないといけないようだけど、ぼくは食べるということが必要ない。 「仕方ないわね……」 「スプーンで一口ずつ食べるの。すくいすぎて大きな口を開けるのはみっともないわ」 でも、食べられないって事もないと思うので、女の子のまねっこをしてみる。 アイスクリームは彼女のいう通り、でろっとしてる。溶けてる。アイスは溶けるもの。 スプーンですくえたアイスを口の中へと放り込む。 「冷たい」 アイスは冷たいものなんだ。 「いっぺんにたくさん食べたらきーんとなるわよ」 だから、気をつけなさいよと彼女は言う。きーんってどんなだろ。ちょっとなってみたい気もしたけど、せっかく注意してくれたのでやめておく。 「……」 はじめての感覚に黙々とアイスを口へと運んでいると、女の子が渋い顔をしていた。 「どうしたの?」 「何でずっと黙ってるの? おいしくないの?」 「え?」 「おいしいならおいしいって言いなさいよ」 よくわからなかったけれど、おいしいって言わないと怒られるような気がした。それに、彼女がアイスクリームを食べた時、それは幸せそうな笑顔をしておいしいと言ったから、ぼくもおいしいと言えばいいんだなと思った。 食べ物を食べたら、おいしい。 はじめてのアイス。はじめての言葉。 「……おいしいよ」 ぼくがそう言うと、にこっと彼女は笑った。 そうか。人間ってこうやって物を食べて、おいしいって言って、そして笑うものなんだ。 胸の辺りがほんのりあたたかな気持ちになる。冷たい物を食べたのに不思議だ。 ● 「リエラ!」 不意に女の人の叫び声。 「お母さん?」 女の子が勢いよく振り返った。 「もう、こんなところにいたのね」 「お母さんってば何してたのよ」 「何してたのよじゃないでしょう」 女の人は呆れた顔をした。女の子とよく似てる。 「すみません。この子がお世話になっていたようで」 「いいえ」 「貴方ったら! アイスまで買っていただいてたのね!」 カップを目にしたお母さんは額に手を当てると、ぼくに謝った。 「いえ、ぼくも色々な事を教えてもらったから」 お母さんは見つかった。これでお別れだ。 「しゃがんで」 女の子がそう言うので素直に従った。 すると、女の子はぼくの頭の花をぐいっと引っ張った びっくりして飛び上がる。 「な、何するの!?」 「これ綺麗だからひとつくらいちょうだいよ!」 「これはちょっとあげられないんだよ」 引っ張られただけで痛いのに。ひとつ取れたら大声で叫んでしまうかもしれない。 「何でよ? 花冠くらいまた作れるでしょう?」 そうだ、この子には花が生えないんだ。 「あの、これはぼくには大事なものというか……えっと、髪を引っ張られたら痛いよね?」 「……それ、ただの花じゃないの?」 「うん。だから、ごめんね」 「それなら仕方ないけど……」 女の子はとても寂しそうな顔をした。 「花はあげられないけど……また、何か一緒に食べにいかない?」 そう思いついた事を告げると、女の子は素敵な笑顔でこう言った。 「付き合ってあげてもいいわよ!」 女の子とお母さんが手を振って去っていく。 今日は色々な事をした。アイスを食べたり、花を引っ張られたり。 ただ、黙って人を見ていたらわからなかっただろう。食べることも、おいしいということも。 (見た目は似ていてもだいぶ違うんだなぁ) でもその違いは嫌いじゃない。 異形と言われていた時とは違う。そう思う。 頭の花にそっと手をやる。女の子と手を繋いだその手、触れあってわかった事。 そんな事を考えながら家路につくのはなかなか悪くない気分だった。
このライターへメールを送る