幽霊屋敷と呼ばれる場所は、どこにあってもおかしくはない。 夕日を背負い、窓枠にほんの少し残ったガラスに光を反射させるそこも、周辺の住民からは「幽霊屋敷」と呼ばれていた。 庭には元観賞用とも単なる雑草ともつかぬ草花が生い茂り、郵便受けには雨風でぐしゃぐしゃになった新聞紙がそのまま残っている。異臭はしないが生活臭もない。玄関の扉には鍵がかかっていたが、割れた窓から入り放題のようで、内部には荒らされた跡があった。 しかしよくよく見れば荒らされているのは入ってすぐの吹き抜け近辺のみで、奥に伸びる廊下や上階への階段は埃こそあれど綺麗なものである。「うわぁ、すげー」 そんな屋敷の中に、何日かぶりの人間の声が響く。 十か十一前後の少年少女五人だった。彼らはカメラを片手に窓から侵入し、辺りを見回す。 夕日が外から射し込むため玄関周りは明るいが、奥に行くに連れ床と壁は闇色に染まっていた。「本当に出そう……」「出てくれなきゃ困るんだって!」 幽霊屋敷には肝試しに来る若者が付き物だ。彼らもまた、そんな無謀な者の一人だった。 ぎしり、ぎしり、と音をさせながら壁沿いに進む。 入ってすぐの場所だというのに殺風景なもので、絵画もなければ花瓶や水槽の類もない。ただ一つ、壁の高い位置に取り付けられた振り子時計だけがいやに目についた。「あれ、止まってるのかな?」「……うん、止まってる」「ここが幽霊屋敷になったのって何年も前って話だぜ、時計なんか止まってるに決まってるだろ」 リーダーと思しき少年が溌剌とした声で言う。 少年も怖いものは怖いが、今は好奇心と名誉欲……幽霊を写真に撮って友達に見せる、というものが恐怖心に勝っていた。シャッターチャンスを逃さないようカメラに手をかけたまま先を急ぐ。「あっ、さっきの時計、一枚だけ撮っとかない? 不気味だし」「え? ……仕方ねーなー」 この奥には更なる恐怖スポットがあるだろう。早くそこへ行きたいという気持ちを抑えながら、少年は仲間の助言通り振り子時計を写真におさめた。「さて、行――」 撮り終わり、振り返ると仲間の様子がおかしかった。 皆、同じ方向を向いて同じ表情をしている。「ど、どうした?」 少年も同じ方向を見る。 そこにはくすんだ絨毯が敷かれた階段。その脇には裏庭側に続いているのであろう長い廊下が見える。廊下を見るのは五人の位置からだと階段の手すり越しになるのだが、そこに何かが立っていた。 つい先ほどまで何も居なかったのは確認済みだ。「え?」「え、……えぇ?」「なに、あれ」 “なにあれ” 口に出して確認することにより、それが何度確認しても訳のわからないものであると再認識し、彼らはほぼ同時に息を呑んで我に返った。 人の形をしている、ということまではよくわかった。 しかし髪も肌も服も、うっすらと発光しているのかと錯覚するぐらい白い。青白くはないが、その純白さが相手を生き物と思うことを阻害している。 手すりにゆっくりとかけられた手は第一関節からのみ異様に長く、きちんと整えられた爪がアンバランスだった。 近づくたびに揺れる白髪は太ももほどまであり、少年達を誘うように揺らめいていた。「……」「……」 少年達は知らず知らずの内に互いの様子を窺う。 得体の知れないものが近づいている。皆はそれに気が付いているのか。現実離れしているせいか、なぜかそこだけ気になって冷静だった。 だが恐怖心を呼び戻す光景は唐突にやってきた。 がくん! 一歩進むごとに、白い何かの腰が気味の悪いほど折れ曲がり、頭部が床につく。下半身は直立したままもう一歩踏み出す。 がくん! 先ほどとは逆の方向に折れ曲がる。 がくん! がくん! がくん! がくん! 左右に上半身のみを振りながら、それは呆然とする少年達に近づき、ついには左右に曲がりながら奇怪な両手を差し出すように伸ばした。「う……ぅ、うわああああぁぁぁぁっ!!」「やだああああ――ッ!!」 渾身の拒絶をし、五人は荷物を放り投げて入ってきた窓から飛び出すように逃げ出した。「……」 白いそれは放り投げられた荷物で顔面を強打していた。 白髪の向こうから覗くのは瞼のない女の顔。亀裂のような皺を刻んだ顔を歪ませ、白いそれ――女性はほんのり赤くなった額をさする。 そして呟いた。「何か悪いことしたかしら」●「ロストナンバーの保護をしてもらいたい」 世界司書ツギメ・シュタインは集まったメンバーを見回す。「ところで皆は幽霊というものに耐性はあるだろうか」 不思議そうな顔をする皆を前に、ツギメが説明を始めた。「今回の保護対象は……一部の者と壱番世界の者から見ると、かなり奇異な存在に映る女性だ。名前はサウラという。しかしいくら奇異な存在に見えたとしても、サウラにとってはそれが当たり前だということを覚えておいてほしい」 ツギメは予言で見た光景を思い返し、ほんの少しだけ黙ってから続ける。「……まあ、苦手な者にはかなり怖いかもしれないな。頑張ってほしい」 移動方法や顔についてはやんわりと伝えておくことにした。 詳細を聞いたら聞いたで怖いが、初見であれを見てしまうよりはましだろう。「彼女は現在、とある人が住まない屋敷を根城にして息を潜めている。現地の住民に激しく拒絶されたのが効いたのか、自分は他人に近づかない方が良いと思っての行動だ。……が、それゆえ侵入者が居るとあの手この手で追い返そうとするらしい」「あの手この手?」「傷つけたくない相手を無傷で追い返すのに最適な方法だ。つまり、能力を駆使して怖がらせようとしてくる」 サウラの能力は手に触れていないものでも動かすことが出来たり、無からちょっとした有を生み出せること。透過やすり抜けも出来るのだという。 そして最大の特徴は、自分のテリトリーである場所の状況を瞬時に理解出来る力。「以上。屋敷のどこかに潜んでいるサウラはこれらを使い、我々を追い返そうとしてくるだろう。その内容は……もう説明は不要だな。さあこれをやろう」 ツギメは『悪霊退散』と書かれたお札を皆に配った。「これは私からの餞別――いや」 珍しく少し笑う。「気休めだ」
● 未だ残暑の蒸し暑さが残る中、夕日で薄い影を作りながら9人はそこに立っていた。 目前で待ち構えているのは話に聞いた幽霊屋敷。まだ日の光に照らされているというのに、そこに漂う雰囲気は酷く陰鬱だ。 「いや、札とか餞別とかツギメさんもドSだろー」 手のひらに乗せたお札を見下ろして虎部 隆が片眉を下げる。 お札に効果という効果は期待出来ないだろうが――これを渡す時の、あの世界司書の心境を考えると少し面白い。 「うぅぅ、ナンか遊園地の悪夢再びな気がする~。隆はやりそうだけど……ユウはまさか、脅かさないよね?」 怯えを欠片も隠さない日和坂 綾は過去のトラウマを振り返り、目の前の屋敷を見上げ、友人二人を見た。 そんな様子の綾を見兼ねて相沢 優は優しく頭に手を置いた。 「暴走して物を壊すんじゃないぞ、こんなことで怪我するのも嫌だろ?」 「そ、そうだけど~」 「それに、サウラさんも綾と同じくらい不安かもしれない。早く迎えに行ってあげようぜ」 それでも綾が不安げなのは隣に居る隆がすごく、とっても、しっかりと、何かを企んでいそうだからだろう。 綾は怖がっているが、優はついつい面白そうという感想を抱いてしまうのだった。 そこへ響くのはギー、ギギギー、ギュイーという音……声。怖がりならば飛び跳ねてしまいそうなものだが、車内で耳にし慣れた皆は驚かない。まあ、最初は神経を尖らせた何名かが反応したのだが。 『保護デスネ。頑張りマスヨ』 ニヒツ・エヒト・ゼーレトラオムがくにゃり、と尻尾を動かす。 その丸みを帯びた身体にはぺったりとお札が貼られていた。悪霊退散というよりは何かが封印されているように見えてしまうのは形のせいだろうか。 ギュイーという鳴き声を発しながら、ニヒツはトラベルギアを通して会話する。 『……? メルヒオールさん、何を書いているんデスカ?』 「ああ、メモ用紙に丁度良かったからな」 メルヒオールが手に持つメモ用紙。それは正しく出発前に渡されたお札であった。 『良いんデスカ? イザという時に持っておいた方ガ……』 「俺は幽霊など怖くはないからな、それならこの方が有効活用出来るだろ?」 幽霊と聞くだけで怯える者も多いが、メルヒオールはそんな幽霊よりも怖いと思えるものを知っている。知っているからこそ恐怖心は湧いてこなかった。 ならば手元にある無駄なものは有効になるよう作り変えなくてはならない。メルヒオールは札に呪文を書き、それを破ることで魔法を発動させる事が出来るため、こうして一枚でも多くストックしておけば後々役に立つのだ。 「あれっ、そういえば……」 「どうしたのです?」 不思議そうな顔をするサシャ・エルガシャをシーアールシー ゼロがきょとんと見上げる。 「えっとね、今回依頼を受けたのって10人……だったよね?」 「そうなのです。司書も10人募集していて、満員になったのです」 「……1人足りなくない?」 サシャの言葉に首を傾げ、ゼロは周りを見た。 ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん、ろくにん、ななにん、はちにん、そしてゼロを含めて、くにん。 「は、はっははー! 皆、メットやトレッキングブーツは用意したかい?」 怖いことを考えてしまう前に、鹿毛 ヒナタがそう勢い良く声を張った。 「とれっきんぐぶーつ、なのです?」 「そう! 廃墟は魅惑的な反面、いつ何処が崩落するか分らない危険な場所だ……安全に楽しく廃墟美を堪能する為にも、万全を期して挑むべきさ!」 廃墟萌えを嗜むヒナタはそう熱っぽく語る。ゼロとサシャは興味深げにふむふむと頷いた。 「勿論、建造物や内外の物品を荒らすのは御法度だぜ?」 笑みと共にそう締めくくり、ヒナタは再度屋敷を見る。 ヒナタは廃墟のよく出てくるホラーゲームをプレイする事が多いのだが、この屋敷はそんなゲーム中に出てきても差し支えない雰囲気をしていた。むしろ既視感さえ覚える。どこで、どんなタイミングで、何が出てくるのか――それらが容易に想像出来てしまい、一瞬だけ背筋がぞくりとした。もちろん想像そのままという事はないだろうが、ゲームをするのと自分が体験するのとでは天と地ほどの差がある。心の準備だって必要だろう。 「……幽霊ね」 レナ・フォルトゥスがぽつりと言う。 もしも本当にそんなものが居たならば、レナは迷いなく全力で滅するだろう。もちろん恐怖心からではなく、任務を遂行するためだ。 しかし今回は幽霊ではなくロストナンバー。保護対象である。 「特殊能力が厄介よね、さて……どう切り抜けようかしら」 その言葉に他の8人も各々に考えを巡らせる。 脅かし逃げてもらおうと向こうは仕掛けてくるのだから、怖がらずひとつひとつ冷静に処理していくのが一番だろう。しかし。 「……」 「……」 「……」 一部の者は、ちょっぴり自信がなかった。 ● 足音が思っていたより響く。 足を踏み入れた瞬間にサウラはロストナンバー達の存在に気が付いただろうが、今はまだ何かを仕掛けてくる様子はない。 それにホッとすると同時に不安を孕みつつ、綾はぎゅうっと懐中電灯を握った。そのせいで丸い光がぶれ、少しびくっとする。 「おいおい、どこへ行くんだ?」 思わず元来た道を戻りそうになった綾を優が呼び止める。 「ほ、ホラ、たくさんのヒトで押しかけたら、サウラさんビックリして外に出てくるかもしれないし。だ、だから門のところで待ってようかなって……ダメ?」 「ダーメ!」 「た、隆が答えてどうするの!」 綾は自分に気合を入れ直し、額にハチマキを力強く巻いた。 (……なのに頼りなさげに見えるのは、腕の中のエンエンのせいかな) 若干苦しげなセクタンのエンエンを見、思わず笑ってしまう優だった。 屋敷は各自気になる場所を重点的に探すこととなった。怖がらせてはくるが、危害を加えてくる事がないのならば、ここは色んな場所を一気に調べた方が良いだろうという事になったのだ。 「どこにいるのでしょうね? あたしはまず二階の大部屋から調べようと思っているのだけれど」 「俺は食堂と厨房を見て回ってから、子供部屋へ行ってみる予定だな」 レナにメルヒオールはそう答える。他の面々も見てみたが、どうやら大部屋へ向かう予定の者は居ないらしい。 「……仕方ないわね、先に行くわ。時間が余ったら三階の客室にも行ってみるわね」 次の瞬間、レナの体はアニマルシェイプ:ウィーゼルによりイタチに変化していた。そのまま素早い動きで器用に階段を駆け上がっていく。後姿はすぐ見えなくなってしまった。 「よし、俺達も行くとするか」 隆の一言により、残ったメンバーも思い思いの場所へ向かって移動を開始し始める。 ――それを狭い場所で感じ取る者が居た。 (こんなにいっぱい……?) 思わず身動ぎする。しかしやらなくてはならない、と自分に渇を入れた。瞼の無い目にきゅっとやる気が満ちる。 全てに対応するのは大変だが、他人の迷惑になるのは真っ平御免なのだ。ここは早くお帰りいただかなくては。 「……」 それとは別に気になる者も居る。あの9人より一足先に現れ、どう脅かそうがびくともしない謎の存在だ。サウラは動きや状況をその場に居るかのように感知する事は出来るが、対象が何を考えているかまでは分からない。 (しばらく歩き回った後、じっとしていたようだけれど……あの人達が現れてから、また動き出したみたい……) サウラはことりと首を傾げる。 (何なのかしら) 黒く裏地のあるマントを翻し、青い髪を規則正しく揺らし、ひとりっきりの最初の侵入者――最後の魔女は廊下を進んでいた。 「くっくっくっ……楽しみだわ、どんな顔をして驚いてくれるかしら」 この先の事を想像するだけで今からとても楽しみだ。 最後の魔女は「驚かされる側」ではない。自ら強制的に「驚かせる側」に立っている。他にも自分と同じように周りから怖がられる存在が居れば、サウラも親近感を持つのではないか……そんな考えに基づいての行動である。 もちろん、 「それに、折角のお化け屋敷だもの。脅かし役は多い方が盛り上がるし……何より楽しいわ」 ……個人的楽しみも大いに含んでいたりするが。 と、そうこうしている間に前方の曲がり角から人の気配がした。歩みが遅い。怯えているから、というよりは何かをしながら進んでいるらしい。 「剥がれながらも所々残った壁紙! くすんで光の点らない蛍光灯! まさしく廃墟という感じだな、良い感じだぜ」 それは数歩ごとにシャッターを切っているヒナタだった。玄関ホールから応接室まで余すところなく撮りまくり、経年劣化に身を任せるソファに興奮し、柱に残った背比べの跡に感じ入り、時間をかけながらここまで来たところだ。 自然光の効果を活かすことを考えるともたもたしていられないのだが、ここは魅力的すぎた。歩く度にする細かな粉塵を連想させる埃の香りなど最高である。 「あぁ……豪勢な造りは、繁栄と凋落のギャップが諸行無常のワビサビだな」 じーんとしながら呟いたところで、セクタンの舟がつんつんと手をつついた。 「ん? 何だ? ……部屋か」 廊下の壁沿いに古びたドアと曲がり角が見える。 曲がった先に何があるのか気になるが、まずは部屋……を調べる前に、何枚か撮っておくことにした。 ドアを半開きにし、部屋の窓から差し込む夕日と廊下の暗さのコントラストを効果的に撮る。 「……」 依頼の目的を考えるならば、中も見ておかなくては。 ヒナタはしばし考える。廃墟は好きだ。しかし何か居ると分かっている場所ならば、相応の恐怖心はある。もちろん仲間にそれを悟らせるつもりはないが、とりあえず体が細かく震えているように感じる言い訳を考えておかなくてはならないだろう。 「舟、斥候頼む」 考えた末、ヒナタは舟を部屋の中に送り込んだ。 その瞳越しに部屋の中を見て回る。 「よし、何も――」 冷たい。 そう感じた時には総毛立っていた。 首筋に触れる冷たく、弾力がある、つるんとしたもの。 ヒナタが口を開いた瞬間、真後ろから最後の魔女の嬉しそうな笑い声が響いてきた。 「――?」 二階の大部屋を見て回っていたレナが顔を上げる。そう遠くない場所から何か聞こえたような気がしたのだが、気のせいだろうか。 と、異音の主ではないが、おかしなものが目に入った。 (シーツ? あんな所にかけてあったかしら……) 出入り口の真横の棚に真っ白なシーツが引っ掛かっていた。見ようによっては中に人が入って棒立ちになっているように見える。その端が風も無いのにひらりと動いて、レナはそれがサウラの起こす怪現象のひとつであると瞬時に悟った。 「随分と大胆に出てくるのね、驚くタイミングを失っちゃったわ」 変身を解き、いつもの女性の姿に戻ったレナは臆することなく歩を進めた。 自ら歩み寄ってくるレナに、シーツは戸惑うように揺れて横移動した。しかし追いつけないものではない。 レナはポケットからお札を取り出した。 「……効くのかしら?」 ぺたり 何気ない動作で宙に浮くシーツへお札を貼り付けてみるも、ただただシーツが戸惑うだけで変化は見られない。効いていないようだ。 「やっぱりね」 肩をすくめてお札ごとシーツを掴み、勢い良く引っ張る。 しかしその場には何も無く、手の中のシーツは突然活動を止め、ふにゃりと重力に従って垂れてしまった。 張り合いのない怪現象ね……とレナは出入り口の扉に手をかける。入る時も思ったが、この扉の軋む音は背筋を這い登ってくるかのようで気持ちが悪い。先ほどのシーツより何倍も怖いなと思っていると……それが隙を生んだ。 「うらめしや~!!」 扉を開けた暗い廊下の低い位置。 本来人が立っていたならばありえない位置から光を反射する白い顔が現れ、大きな声で叫びながらレナの顔へと急接近してきたのだ。 「うわっ……!?」 不意打ちは相応の恐怖心を呼ぶ。ほんの一瞬であったが、レナもその恐怖心に襲われ半歩下がった。 すぐに冷静さを取り戻すも、更に厄介なことが起こった。 真っ暗だ。手足の動きも制限され、自由に動けない。壁の中に居る――レナは状況を把握し、眉根を寄せた。 「ちょ……よりにもよって、こんな時に……」 もしもの事を考え、事前にかけておいたテレポートの魔法が先ほど驚いた時に発動したのだ。 つまり、転移先がとても悪かった。 「……くっくっく」 人を驚かすことの何と容易いことか。 最後の魔女は顔を照らしていた懐中電灯を切り、ヒナタに使ったコンニャクをタッパーに戻す。また活躍の時が来るだろう。 「さぁて、他の人の悲鳴はどんなものかしら?」 口元に笑みを浮かべつつ、最後の魔女は大部屋から出て行った。 ● 「相手はお化けって事だよね……」 使用人部屋を目指しつつサシャは呟いた。 サウラは肉体を持つれっきとした生物であるため幽霊ではないが、お化け、という括りで言うならば違うとは言い切れない。 そんな者が、この屋敷の中に、確実に居る。 「……だっ、だめよサシャ弱気は損気強気に行かないと! 伊達にゴーストの本場英国出身じゃないって見せてやらなきゃ!」 両頬を叩き、サシャは背筋を伸ばす。 (それに、何かあっても大声で叫べば王子様が迎えにきてくれるよね!) ちなみに候補は四人しか居なかったりする。 使用人部屋に着くと、そこは埃の巣窟だった。 「ゆ、幽霊屋敷って言われるだけあるなぁ……でも! うー、メイド心が疼く!」 湧き上がる衝動に任せ、サシャは持参したハタキを手に取った。タオルでしっかりと口と鼻を覆い、窓を開け放つ。弱々しい夕日の射光で室内を漂うおびただしい量の埃が見えた。 「ガネーシャもお手伝いしてね」 セクタンをぽふぽふと撫で、サシャは掃除を開始した。その勢いたるや幽霊すら追い出しそうな快活、颯爽としたもので、あっていう間に使用人部屋をぴかぴかにした彼女は廊下、玄関にまで手を伸ばす。 掃除をしていた時に見つけた花瓶に庭から摘んできた花を挿し、玄関に飾った後は台を引っ張ってきて時計を綺麗に磨いた。 「んっ?」 邪魔をするように宙に浮いた食器がサシャの頭をこつこつと叩き、ひんやりとした表面を頬に押し付ける。しかしサシャは怯えた様子を見せない。 「ムダムダムダ! メイドたるものお掃除をやり遂げるまで絶対動きません!」 コップがくるんと回転してスプーンと箸を呼ぶが、サシャは片手でそれを払った。 「ほらどいて、邪魔だよ。まだお部屋はいっぱいあるんだから!」 (サウラさんはゼロと色がお揃いで髪型も似ているそうなのです。仲間からゼロがサウラさんと間違えられるかもしれないのです) そうしたら親近感を持ってくれるかもしれない。そんな考えをめぐらせながら、ゼロはトコトコと廊下を歩いていた。 階段を見つけ、軋む音を楽しみながら三階へと上がってゆく。 ゼロの外見は見る者の種族・知覚手段・審美基準に関わらず、全く同じ印象を与える。故にサウラと直接会ったとしても、警戒はされないだろう――おそらく、だが。少なくとも他の者よりは接触に有利かもしれない。 (空気のような存在感を活かして、素早くサウラさんをゲットするのです) 白い髪を揺らしながらゼロは一段一段上る。 踊り場でターンし、上り切るとシーンとした廊下がゼロを出迎えた。天井から回線のようなものがぶら下がっている。 「ここは物置……なのです?」 廊下に出てすぐの戸にゼロは興味を示す。 奥に見えるドアとデザインが明らかに違う。トイレはもっと向こうにあるようなので、物置に間違いないだろう。 えいっ、と開けてみると何かが詰まっていた。 「……?」 『ン?』 「おぉ……」 その何かが突如振り返って、ゼロは声を漏らした。恐怖からではない。知り合いだったのだ。 「ニヒツさん? 挟まったのです?」 『誰かと思ったらゼロだったのデスネ。……その通り、ジャストフィットしてしまいマシタ』 ごとん、と揺れると上の棚から消臭剤が落ちてきた。当たると結構痛い。 ゼロは短い毛の生え揃ったニヒツの胴体に手をかけると、一気に引き抜いた。転げるように出てきたニヒツはギィーギーと声を出しながら猫尻尾で体に付着した埃や汚れを叩き落とす。 『助かりマシタ……もう物置を壊すしかないかと思っていたところデス』 「無事でよかったのです。三階……ゼロは一緒に探すのも良いと思うのです」 ニヒツはこくんこくんと頷く。効率を考えるなら、目的地が一緒だったならば一緒に行動するのも良い。 『それデハ、客室から見ていきまショウカ』 「行くのです」 ごんっ 『そういえば、ゼロもこの依頼を自分で受けていたのデスヨネ。怖くはいなんデスカ?』 「ゼロは怖くないのです、サウラさんにも怖がってほしくはないのです」 ごんっ 「ニヒツさんは怖くないのです?」 『ワタシは魔物ですカラ』 ごんっ 高速移動するたびにニヒツが壁に衝突する。ツッコミ役不在というのも困ったものである。 と、一番手前の客室から奇妙な音……音楽が聞こえてきた。 何かとドアを開けて覗き込んだ瞬間、ホース部分がボロボロになったピアニカが凄まじい勢いで接近しながら最大音量で「シ」を発してきた。 『……ダメ、ダメダメダメ』 接近された分と同じくらい一気に後退し、ニヒツの体毛と尻尾がぶわっ!と膨らむ。 幽霊に恐怖心はないが、不意打ちと大きな音には弱いのだ。冷静さを取り戻そうとあくせくしながら屈辱のようなものを噛み締める。 『魔物たるワタシが……』 「大丈夫、やっつけたのです」 ゼロが地面に落ちたピアニカを見下ろす。サッとドアを閉めたら勝手に激突して落ちたのだ。 「……それにしてもサウラさんは芸達者なのです! すごいのですー。ぱちぱちーなのです」 感動しながらゼロはほんの少し、目を輝かせた。 「サウラさんを保護したら、もっと芸を見せていただくのですー! ゼロにもできないか、やりかたも教えていただくのです」 『……大きな音の出るモノは、遠慮してくだサイネ』 言わずにはいられないニヒツだった。 「くっ、あと少しで出れそうなのに」 壁に埋まったレナは未だに脱出を試みていた。手を軽く動かせるスペースは確保出来たが、まだ自由には動けない。 ……コンコン 「な、なに? 外に誰か居るの?」 小さなノック音にレナが反応する。 ……コン 「ちょっと、ここから出るのを手伝……ねえ? 聞いてるの?」 ……。 それから一度もノックの音は聞こえなかった。 ● 優のセクタンがランタンを抱えてたかたかと歩いている。 その後ろに続きながら、綾は両耳を固く固く押さえていた。原因は…… 「それ以来、あの屋敷には誰も近づかない……ウン十年前に本当にあった話だ……」 明らかに、隆のこのホラートークである。 「ほらほら、ヒントになるかもしれないんだから聞いてなきゃダメだろー?」 「無理なものは無理っ!」 拒絶の体勢を崩さない綾はもうふらふらだ。早く探索を済ませてしまおうと、進んで間近にあったドアに手をかけた。ちゃっかり一番綺麗に見えるドアである。 「さ、サウラさ~ん。迎えに来たんですけど、居ますか~?」 「サウラちゃーん!」 弱々しい綾の声に続いて、隆がロストナンバーのことを説明しながら声をかける。どこかで聞いていることを願いながら言葉を続けた。 「君がどんな素敵な子か知らないけど、きっと図書館が気に入るから出ておいで~」 少しだけ反響し、壁に吸い込まれてゆく声。 数秒経ったところで綾が頭のハチマキをズルッと下ろした。 「おい、それじゃ見えないんじゃ……」 「こ、これでいーの。見るから怖くなっちゃうんだもん。でもそれ凄く失礼だと思うから……見ないっ」 初めから見ない、という選択肢を選んだ綾は手元にエンエンを引き寄せ、壁に背を預けるとずるずる座り込んだ。 つまり、一番綺麗な部屋での篭城である。 「お前なぁ~」 「まあいざとなったらノートがあるし、ちょっと俺達だけで先に見て回らないか?」 優の言葉に隆は考えるように頭を掻き、仕方ないか、という結論を出して部屋を出て行った。 静かな空間に残された綾はホッと息を吐く――吐いたところで、靴音に気が付いた。 「……サウラさん?」 思わずそう呟いたのは、靴音が廊下ではなく室内から聞こえたからだった。 コツコツコツコツ! 「サウラさんサウラさんサウラさん、助けてサウラさんっ」 返事でも何でもない靴音が部屋に充満し、綾は絶叫するように言う。 「く、暗いの怖いから、見るの止めたの。ゴメンなさい」 靴音は止まない。 「私たちはサウラさんを迎えに来たの。サウラさんも私たちと同じ世界の迷子になっちゃったから、みんなで帰る方法探したくて……!」 コッ…… ……突然静けさが部屋に戻る。 綾が震えるエンエンを抱きながらハチマキを解くと――そこには、何も居なかった。 「ヒイイイィィッ!?」 隆の奇妙な叫び声と共に、凶悪な顔のぬいぐるみがぶつかってきた。 「これは、物量に、任せてる……なっ」 「ヒギャァァァァ!」 「さっきから叫び声の方が怖いぞ!? って、痛!」 客室を見て回ったのはいいのだが、行く先行く先でポルターガイストの洗礼を浴びていた。 ツッコミを入れる優の後頭部にコーヒー缶が直撃して悶える。よりにもよってスチールである。 「次! 次行こう! ここには居なさそうだし!」 首の反転した猿の人形に追われながら一足先に廊下へと出る隆。優も走ってその後を追う。 元々の目的のせいか、相手が怖がる程怪現象は激しさを増す。空飛ぶ人形や缶もしつこく追って来ていたが、食堂近くまで来た頃には姿を消していた。 「お、おい隆、それ……」 「へ?」 一息ついたところで優に指摘され、隆は服を見下ろす。そこは真っ赤に染まっていた。 「な、なんじゃこりゃー!」 両手をカッと広げ、オーバーリアクションに叫ぶ。 「ち、力が抜ける……俺はもうダメみたいだ……」 「ちょっと待て、それは鼻血だって!」 「い、今まで言えなかったけど……」 何やら切なげな良い笑顔を浮かべ、演技がかった動きでがしりと隆が優の腕を掴む。 「愛してたゲブラッ!」 「性別を考えろ! そして鼻にこれを詰めるんだ!」 優は急いで詰め物を作る。……もしかしたら、幽霊に会うよりも怖い展開になっているかもしれない。 「騒がしいな」 一足先に食堂に着いていたメルヒオールは扉の向こうから聞こえる声に肩をすくめる。一体何をしているのだろうか。 ひゅんっ! 飛んできたのは銀色のフォーク。彼は念動でそれを止め、じっと睨みつける。 壁紙に落描きのような顔が浮かび、何かを話し始めたのでフォークをそこへ投げて黙らせた。 「俺らばっかり驚かされるのは割にあわねーな」 彼はお札を咥えて二つに破いた。揺れ落ちる紙片から魔法が紡ぎ出され、唐突に大きな音が響き渡る。 爆発ではないため火は伴わない。しかし轟音は確実に食堂を、否、屋敷を揺らした。 ごつん、と何かぶつかる音が下からした。 「……」 メルヒオールはゆっくりと近づく。床下収納。よく見ればその周りだけ埃がない。 蓋を開けると、そこには目を回す真っ白な女が居た。 ● 「どうしてこうなったとか、私の置かれている状況は理解したわ……」 日の暮れた屋敷の中で、サシャによりすっかり綺麗にされた食堂に介した9人とサウラ。 サウラは気絶した時にぶつけた頭をさすりながらそう言う。虚空に向かってした説明はしっかりと伝わっていたらしい。 「このままここに居るのも迷惑になるわよね。……連れて行ってくれる?」 「もちろん!」 ヒナタが勢い良く答える。コンニャクにコンニャクと気付かず叫びかけたり虚勢を張ったり写真に変なものが写り込んだりと散々だったが、目的を達成できるのなら喜ばずにはいられない。 その隣でレナが体についた埃を叩き落とす。壁からは轟音の衝撃を利用し、なんとか脱出することに成功していた。その結果大穴が開いてしまったが不可抗力としておく。 「ねえ、私が埋まっている時にノックしたでしょう?」 ふと気になってそう聞くと、サウラはぐにゃりと首を傾げた。 「奇妙な所に留まって居るのは分かっていたけれど、そこにはちょっかい出していないわよ」 「え……?」 しん、と静まり返る食堂。 『まさか……』 その時、そっと隠れていた最後の魔女が大きな声で言った。 「屋敷の魔法を解こうと思ったけれど、その子が気絶したら全部霧散してしまったわ。けれどね」 くくっと喉の奥で笑う。 「その後も色んな存在感だけ、そこらじゅうに漂っていたの」 ロストナンバー達は真っ白な新しい仲間を連れ、ロストレイルで帰路につく。 その内何人かはチーターもびっくりな速さで全力疾走していたという。
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