イラスト/ minne(imzv3289)

クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-11826 オファー日2011-09-04(日) 21:20

オファーPC 東野 楽園(cwbw1545)コンダクター 女 14歳 夢守(神託の都メイムの夢守)
ゲストPC1 魔王(cfdr1663) ツーリスト 男 100歳 魔王(世襲制)
ゲストPC2 ヌマブチ(cwem1401) ツーリスト 男 32歳 軍人

<ノベル>

 絹糸のような黒髪が華奢な肩から零れ落ちる。髪に飾った白百合の香りがふわりと降る。大輪の百合の匂いはどこか艶かしく、甘く鼻に纏わりつく。
 ――我々は、そりゃあ、助かるが……
 領主の次の花嫁となることを申し出た途端、街の顔役達は安堵を露わにした。領主側から余程急かされていたのだろう。花嫁の輿入れは、楽園が申し出たその日の夕暮れとされた。
 領主の花嫁となる楽園を乗せた輿が、担ぎ手である街の男達の肩で揺れる。結いつけられた金銀の鈴が森中に鳴り響く。
 東野楽園は琥珀の色の眸を厭わしげに顰める。髪に幾つも挿し込まれた白百合は花嫁の純潔を示すのだと、身支度を整えてくれた街の女達が言っていた。
 ――領主さまは花嫁の美醜を問わない
 ――求めるのは花嫁の純潔
 ――でも、あなたはとても美しい
 女達の媚びるような視線が花嫁衣裳に未だ染み付いているような気がして、楽園は豪奢な刺繍の施されたスカートの裾をきつく握り締める。
 ――だから、今度こそきっと幸せな花嫁になれるわ
 励ますように言った女は、楽園に見詰められた途端に眼を伏せた。
(花嫁が次々に失踪、ね)
 白百合と純白のドレスに半ば埋れ、楽園は小さな息を吐く。
 街の人々の自己保身に塗れた眼に、覚えがある。自分以外の誰かを犠牲にしても生き延びようとする眼。それを自分ではない誰かの所為とする眼。仕方のないことなのだと、自分は悪くないのだと信じている眼。
(快楽殺人に淫する領主、なんて噂まで立っているというのに)
「ねえ」
 輿に詰められた花嫁の視界を奪うような幾重もの紗を、純白の手袋に覆われた腕で押し退ける。白と金の紗の向こうには、夕朱の色に染まるヴォロスの森がある。
 輿を担ぐ男の一人がぎくりと振り返る。
「顔を出すな」
 脇を護る馬上の騎士に低く叱り付けられても、楽園は冷たく顎をそびやかせるばかり。
「どうして領主の城に踏み込まないの」
「何?」
 いっそ無邪気に問われ、馬上の騎士は兜の中の眼を剥く。楽園は澄んだ声で言い募る。
「そんな立派な鎧のくせに、花嫁一人護れないのね」
「貴様……ッ!」
 馬上槍を閃かせようとする騎士を、
「よせ」
 輿を担ぐ男の一人が止める。楽園を振り返ろうとはしないまま、
「俺達は、そういうものなんだ」
「許してくれ」
 男達に口々に言われ、楽園は顔を顰める。唇を噛み、紗の奥に引き篭る。
「そういうものって、何なの」
 苛々と眉を寄せる。白い首筋に爪の痕が付くのも構わず、うなじに爪を立てる。苛立ちにきらきらと輝く黄金の眼で、視界奪う紗を睨む。
(前の花嫁達も、そう思っていたのかしら)
 殺されるかもしれないと知っていて、花嫁衣裳に縛められたのか。輿に押し込められたのか。そういうものだから仕方が無いと瞳を閉ざしたのか。
 遥かな頭上で、深い森の樹々が夕風にさざめく。
 ――楽園殿
 風の音に、ヌマブチの声を思い出す。
 ヴォロスに至るロストレイルに揺られながら、領主の花嫁となり疑惑の領主の懐に入り込むことを提案した楽園に、旅の同行者であるヌマブチは気遣わしげな声をあげたのだった。叱られるかしら、と思いながら、楽園は言葉を重ねた。
 ――ヌマブチさん達も城へ侵入し易くなるわ
 軍帽の下から覗く、普段は無表情な紅の眼が心底心配そうに顰められていたのも思い出し、楽園は桜色の唇を噛む力を緩める。
 ――その役は我輩が
 黒鱗で覆われた蛇の半身を不安げに揺らしながら、こちらも同行者である魔王が意を決したように重々しい口調で提案しかけて、
 ――その顔では無理であります
 ――領主が逃げちゃうわ
 ヌマブチと楽園に同時に却下された。
(あの時のしょんぼりした顔)
 魔王の名に相応しい、威風堂々とした髭と厳しい顔の持ち主のくせに、あの魔王はどこか世間知らずな少年のよう。楽園はくすりと小さな笑みを零す。笑うと肩から力が抜けた。首を掻き毟る手が止まった。
 乱れた髪を整える。幾重にも襞の重なるスカートの裾を撫でる。
(私は、殺されたりしないわ)
 白と金の紗に覆い隠された視界と重なる、もうひとつ別の景色がある。
 深緑重なる陰鬱な森の空を飛ぶ、オウルフォームセクタンの毒姫の目を通した景色だ。
 森を分けて続く白い石畳の道は、丘の中腹に建つ領主の城へと続く。その道を行く花嫁を乗せた輿、輿を護る馬上の騎士。騎士の兜が、輿を飾る金銀の鈴が、夕陽にぎらぎらと輝く。
 宿主である楽園と視界を共有しながら、毒姫は翼を羽ばたかせる。
 森の道を外れた草叢の端に、黒鱗の蛇の尾が覗いているのに気付いて、楽園は悪戯な子猫のような笑みを零す。
(見つかっちゃうわよ)
 輿が揺れる。毒姫の視界の中で、楽園は己の乗った輿が領主の城の門を潜ったことを知る。唇を引き結び、固く瞼を閉ざす。
「出てくれ」
 輿が下ろされ、男達の手によって幾重もの紗が引き上げられる。楽園は眼を開く。差し伸べられた騎士の手を優雅な仕種で取り、輿を降りる。
 玄武岩を連ねた無骨な城を、色鮮やかな花々が埋めている。門から城へと至る小路の両脇には、白百合の鉢が並び、華やいだ香りを撒き散らす。白百合の路を、楽園は騎士のエスコートで進む。
 沈みかけの夕陽に染められた白百合はまるで、
「花嫁の死体みたいね」
 呟く楽園の手を、騎士は咎めるようにきつく握る。花嫁と騎士は、城の扉の前で並んで待ち受ける城の使用人達の前に立つ。使用人達が手に手に持った蝋燭の灯で、扉の前だけが燃えるように明るい。
 騎士が馬上槍を掲げ、しきたりに従った口上を述べる。執事長が蝋燭を掲げてそれに応じて、簡素な婚礼の儀式は終わる。どの使用人の顔にも、疲れを押し殺したような無表情が貼り付いている。
 騎士と別れ、楽園は執事長の案内に従う。
 メイド二人の手で開かれる黒樫の扉を潜る。玄関広間は、クリスタルの欠片連ねたシャンデリアの光で眩いほどに煌々と照らし出されている。
「領主様がお待ちで御座います」
「ねえ」
 古くはあるが、丁寧に磨かれ使い込まれた調度品の並ぶ廊下を進む。陰気な執事長の伸びた背筋を眺めながら、楽園は問う。
「貴方は領主の噂を知っているのかしら?」
 執事長は、疲れ果てた眼で痩せた肩越しに振り返る。楽園の真直ぐな瞳にぶつかり、
「存じております」
 小さな吐息と共に前を向く。
「我々は、そういうものなのです」
 楽園の更なる問いを封じるように、白百合の紋章が彫り込まれた大きな扉が立ち塞がる。執事長が脇に退き、扉を開ける。蝋燭の揺れる光が零れだす。
 扉の向こうに、領主が居る。
 恐ろしい噂を持つ領主と対峙する為、楽園は胸に空気を満たす。眼をしっかりと開き、背筋を真直ぐに伸ばす。
「よく来てくれた」
 蝋燭が幾つも輝く大仰なテーブルの奥ではなく、扉のすぐ傍で、領主は花嫁を迎える為に立っていた。
 整えた口髭にも、灰色の眼にも、ただ穏かな笑みが浮かんでいる。
「手を、取ってもいいだろうか」
 中年に達していながら、どこか少年のようなはにかんだ仕種で白手袋の手を差し出す。
「ええ、いいわ」
 楽園は花のような笑みを浮かべ、領主の手に手を重ねる。
(この人が『快楽殺人に淫した領主』……なの?)

 月に照らされた城の影が降る花園に、ふたつの影が走る。
 ひとつは人間の形。ひとつは半身が蛇、半身が人間の形を持つもの。
「身を屈めろ」
「……こうか」
 ヌマブチの指示に従い、魔王は人間の形した上半身を伏せる。黒蛇の形した下半身が地を這う。屈強な両腕を地につける形となる。羊の角を持つ頭をもたげれば、橙色に光る眸が闇に光る。
「……些か恐怖映画のようでありますな」
 軍帽の下、ヌマブチは呻く。それでも、黒鱗に黒衣纏った魔王の姿は夜闇に易々と溶ける。目立つ巨躯ではあるが、潜むは容易い。ヌマブチはそう思い直す。魔王を伏せさせたまま、花陰から城を窺う。
 城に灯された明かりは僅かだ。どの扉の前にも警備の人間は居ない。廊下を行き来する使用人達は必ず燭台を手にしている。あちらが気付くよりも先にこちらが気付く。侵入は思っていたよりも難くない。
 ヌマブチは紅の眼を巡らせる。城の上階、煌々と光溢れる一角に僅かの間、眼を留める。花嫁を迎える晩餐が執り行なわれているのはあの光の下と見て間違いない。
「魔王殿」
 行くであります、と魔王を振り返って、ヌマブチは瞬く。魔王が居ない。あの容姿にあの雰囲気にその上あの名前、もしやと思っていたが矢張りなんらかの魔法を使うのか……! 無表情ながらその実大興奮で周囲を見遣って、ヌマブチは見た。
 月下の花群を、恐怖映画の魔物の如く魔王が這い進んで行く。姿からは想像も付かない猫撫で声で呼んでいるのは、死に物狂いで逃げて行く白猫。
「……猫……」
 ヌマブチの普段変わらぬ顔色が、音を立てて青褪める。軍人然として滅多と怯まぬ軍靴の足が思わず竦む。
 ヌマブチが猫に怯えて立ち竦んでいる間に、猫と魔王は花園を突っ切って城へと向かう。
「いかん」
 ありったけの勇気を奮い立たせ、ヌマブチは花群に身を潜ませて魔王を追う。柔らかな葉に降り始めていた夜露が跳ねる。萎れかけた花弁が散る。
「魔王殿」
 開かぬ扉の前で途方に暮れたように地に伏していた魔王の傍らに膝を付く。壁に背をつけ、周囲の気配を探る。人の気配がしないことを確かめ、詰めていた息をゆっくりと吐く。
「猫が居たのだ」
 気まずげに身を起こそうとする魔王の頭を押さえつけ、再度地に伏せさせる。紅の眼で見下ろせば、魔王はすまん、と呟いた。
「だが、猫はその隙間に入り込んでしまった」
 ヌマブチは魔王の示した壁へと身を屈める。地面に半ば埋もれたような箇所に、小さな空気窓のようなものがあった。地面に頬を付け、内部を探る。人間も猫も居ないことを確かめる。魔王の巨躯では窓につかえてしまうだろうが己の身ならば、と考え、思わず小さな舌打ちを零す。それでも素早く窓へと身を滑り込ませる。
「ヌマブチ」
「黙れであります」
 地面よりも低い石床に、ちょっぴり分厚い軍靴の底で着地する。古びた階段の上にある扉の鍵を開き、魔王を引き込む。
 狭い廊下の左右には、鉄格子に閉ざされた幾つもの小部屋。
「地下牢か」
「そのようでありますな」
 暗闇に眼を凝らす。足音を殺して石床の廊下を進む。低い天井には錆びた燭台、鉄格子の中には打ち捨てられた鎖に足輪。黴臭い空気の中に微かな腐臭を感じて眼を顰めれば、鉄格子に縋りつくようにして息絶えた何者かの白骨が闇に白く浮き出している。行方不明の花嫁かと身構えるが、それにしては古過ぎる。身に纏っている衣服も、朽ちかけてはいるが男のもの。古に城に侵入した賊のものか。
 ヌマブチは闇の先に視線を遣る。にゃあん。どこかで猫の声が響く。喉の奥で悲鳴を上げて、ヌマブチは足を止める。魔王が嬉々としてヌマブチを追い越す。
「待……」
 引き止めようと伸ばした腕が、ふと凍りつく。にゃあん。猫の鳴き声がするのは然程遠くではない。否、むしろすぐ傍。首を捻じ曲げれば息の掛かる隣で、
 ――にゃあ
 ひ、とも、う、とも取れるような奇声を発して、ヌマブチは飛び退る。背中を反対側の鉄格子にぶつける。怯えながらも眼だけはしっかりと鳴き声のした方を見据える。
 くす、と小さな笑い声が鉄格子の中から零れた。あどけない少女のような笑い声に眼を凝らす。雲に覆われていた月が現れたらしい。小さな窓から月光が流れ込む。
 その光に照らし出されて、月と同じ色のベールを被った女が立ち上がる。長い裾引く藍色のドレスの下には、白百合の彫られた重厚な椅子。女の腕には魔王の追っていた白猫が納まっている。
「そこに居ったのか」
 魔王が鉄格子にしがみつかんばかりに近付く。
「猫、お好き?」
 ベールから僅かに見える紅い唇が、侵入者を恐れるでもなく艶やかに微笑む。銀の指輪の嵌った細い手が、腕の中の猫を撫でる。
「魔法の灯とか出せんのか」
 壁に貼りついたヌマブチが問うても、魔王は振り返らない。一心に白猫を見詰めたまま、
「魔法は小難しくて好かぬ。ESPでは灯は出せぬ」
 魔王の名を持つ者とは思えないような返事を寄越す。
「ESPか」
 つまらん、とヌマブチは口の中で小さく呟く。
 ヌマブチと魔王の会話を聞いているのかいないのか、女は笑みばかりを溢れさせる。
「どうしてこのようなところに居るのだ」
 白猫に聞いたのか、女に聞いたのか。魔王の問いに、白猫は欠伸を返す。女は笑みを消す。
「私は醜いのです」
 世にも悲しい声を出す。白猫を撫でる指に力が籠もる。白猫が苦しげに身をよじる。女の手を掻き、毛を逆立てて女の腕の中を抜け出す。手を伸ばす魔王を一顧だにせず窓の外へ走り去ってしまう。ああ、と魔王が嘆き、ヌマブチが安堵の息を吐く。
「どのような事情があるのかは分からぬが」
 白猫を追いたげにしながらも、魔王は壮年男性とは思えぬ不思議と幼い仕種で女を見遣る。
「脱出を望まれるのであれば手を貸そう」
「いいえ!」
 女は激しく首を横に振る。ベールが落ちる。
「此処に、居ります」
 金の巻き毛が細い肩を覆って揺れる。抜けるような白く肌理の細かい肌は少女のよう、蝶の触覚のように長い金の睫毛に縁取られた大きな眼は深い森のよう、艶やかな唇だけがひどく大人じみて魅惑的な、――どう見ても醜いとは言えぬ女の容姿に、ヌマブチは不審げに眼を細める。
 遠い晩餐の席で、花嫁を歓迎する為の弦楽器が奏でられ始める。地下牢にまで響いてくる華やかな楽音に、女が熱にうかされたような潤んだ瞳を瞬かせた。細い顎をもたげ、悦楽に溺れる者のような甘い歓喜の声を洩らす。
「――今宵もまた花嫁が死ぬ」
 女の言葉に、ヌマブチは撃たれたように眼を見開く。魔王は楽園、と呻く。黒鱗を鳴らして駆け出す。
 魔王の背を眼の端で一瞬追い、ヌマブチは鉄格子に拳を叩き付ける。
「どういうことで、ありますか」
 低く、怒鳴る。女は動じない。濡れた唇を桃色の舌で舐め、妖艶に微笑むばかり。
「貴殿は、誰か?」
 紅の眼で睨み据えられ、女はむしろ背筋を正した。豊かな胸を誇るように張る。凛と告げる。
「私は、領主の妻」

 夜の静寂に閉ざされた寝室で、どれほど領主を待っただろうか。
(初夜、ね)
 楽園は老獪な魔女のように笑む。花嫁のドレスの裾を捌いて立ち上がる。
 腰を下ろしていた天蓋付きの古めかしい寝台に、白百合の髪飾りを投げ捨てる。髪をかきあげ、視線をテラス付きの窓へと向ける。高く昇った月を背に、セクタンの毒姫がテラスに翼を休めている。
「おいで」
 手を射し伸ばして毒姫を呼ぶ。肩に止まらせ、柔らかな羽に頬を寄せる。足首まで埋まる絨毯を踏んで、扉の前に立つ。金色の取っ手に指を這わせる。厚い扉に耳を付け、扉の向こうに人気のないことを確認する。
 扉を開ける。長く続く暗闇の廊下に灯はひとつも無い。
 暗闇に慣れた琥珀の眼を瞬かせ、楽園は廊下に出る。石の壁に刻まれた花の装飾を指先でなぞりながら、領主を探す。
(あの人が、本当に花嫁を殺すのかしら)
 実際に顔を合わせ、言葉を交わした限りではとてもそうは思えなかった。快楽殺人に溺れるような狂気は感じ取れなかった。
 天井を彩るのは偽りの青空。老人の顔した太陽が輝き、老女の顔をした三日月が暗闇の衣で太陽を包もうとする。
 古い神話を描いたらしい、不気味ささえ感じさせる天井に楽園は眉を顰める。悪趣味ね、と唇だけで呟く。
 本に埋れた書斎にも、巨大な寝椅子の置かれた休息室にも、翼ある神がそれぞれ支える柱に囲まれた中庭にも。どこを捜しても、領主の姿はおろか使用人の姿も見当たらない。
 楽園は吐息を零す。空を確かめた部屋の扉を両手で閉ざして、ふと、背後に人の気配。振り返るよりも早く、後頭部に衝撃が襲う。
 悲鳴を上げるよりも先、膝が折れる。視界に霧がかかる。遠退く意識の端に、廊下を飛び去る毒姫の姿が見えた。
(置いて、いかないで、)

「待っ……」
 腕を伸ばそうとして、繋ぎ止められたように動かなかった。割れるように頭が痛んで、楽園は呻く。血が腐ったような、ひどい臭いが鼻を突く。咳き込む。胸さえも鎖のようなもので押さえつけられているらしい。
 身体が、動かせない。
(なに?)
 漸く焦点の合った瞳を巡らせる。胸を手を、足首を、鎖が縛めている。固い石の寝台に横たえられた身体はほとんど動かすことが叶わない。傍らに背の高い燭台が置かれている。蝋燭の放つ熱が頬を焦がすほどに熱い。
 蝋燭の火の向こう、赤黒く汚れた壁に何かがぶら下がっている。蝋燭が音立てて煤を上げる。楽園は悲鳴を呑む。
 逆さ吊りにされた花嫁衣裳の女達。首を落とされ、手首や腿を、乳房を深く裂かれ抉られ、身体中の血と言う血を絞り出された、幾つもの死体。女達の死体の下は夥しい血の海。血と肉の腐った臭いが鼻を刺す。凄まじい光景と臭いに眼を開けているのも辛くなる。
 目眩さえ覚えて眼を歪め、傍らに立つ女に気付いた。
「貴女は……」
 掠れた声で問う楽園に、女は無垢なほどの笑みをその顔に浮かべる。夜色のドレスを纏ったその肌は艶かしく、白い。その白い手に、ひどく不釣合いな赤錆びた手斧。
「私は、領主の妻」
 誇らしげに微笑む女を支えるように、その傍らには一切の表情を殺した領主が立っている。
(……ああ)
 楽園は理解する。妻に乞われるがまま、領主は花嫁を娶り、差し出し続けて来たのだ。まるで残酷な神に生贄を捧げ続ける忠実な神官のように。
「どうして」
 生贄の花嫁を殺める刃を手にする領主の妻を、楽園は見詰める。
「貴女、とても美しいのね」
 女は笑う。
「彼女達も美しかったのよ」
 くるり、舞うように踵を返す。手斧の刃が蝋燭の光を凶悪に反射させる。
「そしてとても若かった」
 女が翻した刃は、天井から吊り下げられた死体のひとつの腹を抉る。
「私はとても醜くくて、その上老いてゆくばかり」
 腹から溢れる腸ごと、女は花嫁の血を掌に受ける。
「でもね、こうすると」
 腐臭放つ血を自らの頬に塗りたくる。
「私は美しく若く居られるの」
 女は狂気に憑かれた凄絶な笑みを浮かべる。
 楽園は琥珀の瞳を嫌悪に歪める。鎖に自由を奪われ、今しも女に殺されようとしながらも、恐怖より侮蔑が勝った。女に対しても、それに諾々と従う領主に対しても。
「貴女の血も、くださいな」
 血みどろの女が楽園の細い手首目掛け刃を振り上げる。楽園は身体中に力を籠める。閉じそうになる黄金の眼を渾身の力で開き続ける。女を見つめ続ける。
 青い羽が散る。女の悲鳴が上がる。女の顔に毒姫が飛び掛る。女の手を、軍服の手が掴む。
「楽園殿!」
 女の腕を後ろ手に捻り上げ、強引にドレスの膝をつかせ、毒姫と共に部屋に押し入ったのは、ヌマブチ。部屋中に大音声を響かせる。
「妻を、――」
 領主は見えない力で縛られたようにその場を動けずに居るらしい。悲鳴だけが楽園の耳に届く。
「楽園」
 部屋の入り口から、魔王の声がする。魔王のESP能力が領主だけでなく女をも見えない力で縛る。両手の空いたヌマブチが楽園を縛める鎖を解く。
「怪我は」
「ないわ」
 短く言葉を交わすヌマブチと楽園を安堵の眼で見て後、魔王は己の力で動きを奪った領主とその妻へ橙の眼を向ける。
 妻を侵すのは美貌を求むるが故の狂気。では、正気に見える領主をここまでさせたものは?
 ESP能力を更に発現させて、魔王の双眸が怪しい光を孕む。魔王は見えぬ手を伸ばすが如く、領主の心の奥底を攫いにかかる。
 狂った妻に無辜の女達を捧げ続け、凄惨な拷問を妻の隣で眺め続け、領主の心は泥のように濁って凍りついている。己はそういうものなのだとするその心の底の底、
 ――どこまでも澄んだ深い淵のような、哀しみがあった。愛する妻への哀しみ、領民である女達を贄とする哀しみ、それでも妻を喜ばせたい、どうあっても、己が悪に堕ちようとも妻に喜んでもらいたい、笑顔が見たい、――
(かなしい)
 そう思ったのは魔王か領主か。
「領主」
 慈悲に近い哀れみで以って、魔王は領主に言葉を掛ける。裁きを受け、妻と共に罪を償え、と静かに語りかけようとする。
 刹那。
 領主が吼えた。怯む魔王の束縛を振り払い、己の妻をかき抱く。手が焼けるも構わず燭台を燭台を手に取る。妻と自身の衣服に火を掛ける。
「領主!」
 魔王が悲鳴を上げる。ヌマブチが楽園の視界を掌で奪う。細い腰を片手で抱え上げる。呆然とする魔王をもう片手で殴る。怒鳴る。
「行くであります!」
 焔はありえないほどに激しく燃え上がる。犠牲となった女達が望むのかのように、凄まじい速さで惨劇の部屋を焔に包む。領主夫妻を、女達の遺体を焼く。部屋の外へ広がる。
「此方へ」
 焔に追われて走る旅人達を、執事長が待ち受ける。外への脱出扉を示す。
「貴方は!」
 ヌマブチに抱えられたまま叫ぶ楽園に、そっと頭を振る。
「我々はやはり、そういうものなのでございます」
 領主に仕える執事長は、旅人達を外へと出す。迫り来る焔を背に微笑む。
 城を炎上させるのは、殺された花嫁達の怨念か。城は油を浴びたように赤い炎に包まれる。噴出す血のような激しい焔の中で黒い影となる。
 風上の丘の上向け、草生い茂る坂をヌマブチは楽園の手を引いて走る。先を行く魔王の巨躯が草を分けて路を作ってくれる。
 焔熱が届かぬ丘の上に辿り着き、旅人達は必死に駆けた足を止める。夜空を焦がさんばかりに噴き上がる巨大な炎を眺める。
「領主は、」
 乱れた息の中、楽園が零す。
「幸せだったのかしら」
 ヌマブチは炎上する城をその紅の眼で見据える。
(妻を大切に思っていたのなら、何故、……)
 生きる事、生かす事を第一とする兵士は理解を薙ぎ払うように顎を引く。分からん、とひとこと呟く。両手を祈りの形に合わせる。
 魔王は哀しみを隠しもせず、凶悪な形した爪のある両手で顔を覆っている。楽園の問いに、魔王は答えられない。ただただ、悲しげに首を横に振る。
「幸せとは、何であろうか」
 楽園は炎に照らし出された魔王を見つめる。
「愛する人が、――」
 言いかけて、そっと首を横に振る。黒髪が細かく震える。華奢な身体が萎んでしまうような、悲しく切ない息を吐く。
「……わからないわ」


クリエイターコメント お待たせいたしました。
 血の惨劇な城での一幕、お届けにあがりました。
 ゴシックホラー、っぽいもの、です。

 色々と楽しく捏造してしまいましたが、……ほんの少しでも、お楽しみ頂けましたら幸いです。

 おはなし、聞かせてくださいましてありがとうございました。
 またいつか、お会いできますこと、楽しみにしております。
公開日時2011-09-30(金) 23:50

 

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