● 根を詰めて研究していたら、気づいたらメルヒオールは倒れ伏していた。まあそれなりに慣れたことであったからどうってことはなかったのだけれど。 ただ、今回は周囲の人間に怒られまくり、しまいには本を取り上げられてゆっくりしてきなさいとモフトピア行きを勧められた。断れば本の角で殴られんばかりの勢いだったので大人しく彼はモフトピアにやって来ていた。 ふわふわとした空間。 この世界の法則は色々と興味深いものである。そもそもなんで島が浮いているのかもよくわからないし、どうして雲に乗っていられるかもわからないし、大体アニモフだってどういう原理の生き物なんだという話である。 突き止めようとすれば、一生研究材料に困らなそうな世界ではあるが、今日のメルヒオールは羽休めにきたのだ。のんびり散歩と決め込む。ぶらぶらとあてもなくふらついていると、大きな木の下でアニモフたちがわいわいとにぎやかに何かをしているのが見えた。興味を引かれたので近づいてみる。 「こんにちわー」 「にちわー」 「お客様だお客様だいらっしゃい!」 メルヒオールに気づいたアニモフ達がわっと押し寄せる。次々と歓迎の意を示すアニモフ達にメルヒオールも片手を挙げて挨拶する。 「おーこんちは……どうしたんだ? そんな机と椅子を並べて」 木の下にはたくさんのテーブルや椅子が列をなしている。妙に几帳面にきちっと縦と横が揃っていた。何か既視感を覚える。 「きれいに机を並べる競争をしてたんだよー」 「きれーい」 「どういう遊びなんだよ……いや、楽しいならそれでいいけど。てっきり学校でも始めるのかと思ったぜ」 「がっこう?」 「ガッコー?」 ずらりと並べられたテーブルと椅子の様子は、ここが野原であることを除けばまるでどこかの教室のようであった。大きな木はさながら黒板といったところか。 「学校だよ、学校って……ないのか。ひょっとして」 そう言ってみてから、のんきなアニモフ達が学校で真面目に勉強している図というのも酷く想像し辛いなとメルヒオールは思う。むしろ、そういう物事の対極にいる存在かもしれない。 でも、そんな事を思うメルヒオールに対してアニモフ達は興味津々で次々と質問を投げかけてくる。 「学校ってなぁに? どんなところ?」 「基本的には学問を修める為に行くところだよ。色々なジャンルがあるけど」 「がくもん?」 「勉強するんだよ、勉強」 「勉強をするの?」 「そうだ。先生が授業をやって、それで生徒からお金を取るんだ」 「それ、たのしいの?」 「楽しいっていうか……あんまり楽しくなさそうだったかもな、アイツらは」 かつての生徒達の事を思い浮かべて答える。否、正確には楽しそうではあった。授業外のことでは。 「楽しくないのにするの?」 「それでもしなくちゃいけない事もあるんだよ。中には楽しいと思って来てる奴もいるしな」 「ふうん……むずかしいんだね」 「ねぇ、どんな遊びなの?」 「遊びじゃねぇよ。勉強するっていっただろう……いやまて。勉強とかするタイプじゃないかおまえら」 赤子が泣くのが仕事と言われるように、いつものほほんと遊ぶのが仕事ですといった風情のアニモフ達である。 「あーっと、要するにだ。人一人が知っている知識には限界がある」 さてどう噛み砕いたものだろうか。 「つまり、みんなが知らないことを知ってる人に教えてもらうところだ。みんなに教えてくれるのが先生。教えてもらうのが生徒っていうんだ」 「先生はみんながしらないことをしってるの?」 「あぁ、少しだけ他より物知りだな。少しだけ偉い」 教師もしていた自分が先生を偉いもんだと説明するのもどうかとは思ったが、アニモフ達に説明するにはこれくらいざっくりとでいいかと適当に答える。 アニモフ達は口々に学校ー先生ー生徒ーと叫んでいる。 「楽しそう、いっしょに学校しようよ!」 学校がどうやら彼らの心の琴線に触れたようだ。どんな物事でも楽しいことにしてしまうのがアニモフである。 「ねえねえ学校ってどうしたらいいの!」 「ねえねえ」 「どうするの? どうするの?」 「とりあえずは先生役を一人決めて……」 どうやらしばらく付き合うしかなさそうだ。アニモフ達はメルヒオールを取り囲んで学校の話を聞くと、さっそく学校ごっこをはじめようとする。 「先生はだれがするの?」 「ぼく、物知りだよ? いちばんきもちいい雲の場所をしってるもん」 「ルウだって甘くておいしいとっておきのジュースのことしってるよ?」 「あたしだって!」 アニモフ達は誰が先生役をやるのかで喧々囂々。大騒ぎだ。みんなで物知り自慢が始まってしまい、誰が先生になるか全然決まらない。 「くじにしようよ!」 「そうしよう!」 そう言ってアニモフ達はクジの用意を始めた。クジは近くに生えていた草だ。一本だけ咲きにお花が結びつけられた。それがアタリの先生役らしい。 もこもこの手が一斉にクジの棒を掴む。メルヒオールも引かないわけにいかなそうだったので、最後に残った一本を引く。 「クジどうだった?」 「生徒だな」 メルヒオールが手にした草に花はない。はずれだ。 先生の花を手にしたのはカフェオレ色のアニモフだった。わぁいわぁいと大喜びをしながらメルヒオールに問いかけた。 「ねぇ、学校ってどこでやったらいいの?」 「どこでもやれるけど……ほら、最初に言っただろ? ちょうどこの机は学校みたいだぜ」 謎の机並べ競争のおかげでぴしっと並んだ席。アニモフ達がぞろぞろと席についた。 (生徒役ならまぁ楽だろう……) メルヒオールものんびりまったりアニモフの講義でも聴かせてもらおうとその中に混ざる。 先生アニモフはみんなの前に立つとぱんっと手をたたいた。 「それでは、先生をはじめます」 「はーい」 「きょうの授業はおいしいミルクココアのお話です」 「はーい」 (それは授業なのか) 「ココアの粉はすぐに飛んでいっちゃうから、ふーってしたらいけません」 「丸いチョコについているココアはふーってしても飛んでいかないからだいじょうぶです」 「でも、チョコは手で持っているととけてべたべたになります」 「チョコはあったかいととけてしまうからです」 (何の話だ。トリュフか……? いや、まてミルクココアの話をするんじゃないのか) 黙って聞いていると、何だか話がどんどん微妙にずれていく。何だか連想ゲームでもしているようだ。 「チョコが大好きなリボンにつくと取るのが大変です」 しょんぼりと胸元のリボンに目をやりながら先生アニモフが言った。チェック柄のリボンをよく見ると何か茶色いシミが出来ている。 「たくさんこすらないほうがいいんだよ」 「あ、そうなんだぁ」 別のアニモフがそう教えてあげると、先生アニモフは感心したような声をあげた。 (先生が生徒に物を教えてもらってどうすんだよ……) 「チョコをとるならいいことがあるんだよ」 「それなら、ぼくはアメがついた時にじょうずにはがす方法もしってるよ」 次々にアニモフ達が自分の知っている豆知識を披露し始める。先生も生徒もなくなってあっちからこっちから次々としゃべり出す。 あっという間にただのおしゃべりの場になっている。これじゃ授業とは呼べない。 (あぁもう仕方ない) 「これじゃ授業にならないぞ」 見るに見かねて口を挟むと、アニモフ達が一斉にメルヒオールを見た。そして、各自困った様子で首を傾げる。 「授業ってどうやったらいいの?」 「おしえて、おしえて」 「ちゃんと学校をやりたいの」 次々とお願いをされて、メルヒオールは小さく溜息をついた。 「見本をやってやる……」 こうして、「授業」の授業をする事にメルヒオールはなったのであった。 「虹がどうやって出来ているか教えてやる」 「すごーい!」 メルヒオールがしてきた授業をここでやってみたところで、アニモフ達には何が何だかさっぱりであろう。雰囲気だけ伝わればいいのだ。 それでも、あまり適当にしすぎるわけにもいかないので、この世界でも見慣れた物の仕組みを解説してみる事にする。 この世界での虹の原理は全然違う可能性が高かったが、違ったところでアニモフ達もわからないだろうし、そういう仕組みもあるんだという事を知る事に意義がある。 (ある、はず……) 「いいか、虹ってのは本来…………」 「赤色は苺味じゃないの?」 「こら、先生に質問がある時は手をあげる!」 「はぁい」 (……生徒ってのも楽じゃないな) 慣れた先生「役」をしながらメルヒオールは気づけば微笑んでいた。 「それじゃ、今日の授業はおしまいだ」 「はぁい」 「おもしろかった!」 「学校って楽しいんだね」 「先生、またやってね」 再び先生をする日も来るのだろうか。 先生として暮らしていたあの頃、これまでの生徒達の顔を思い出しながら、今は目の前の生徒達に答える。 「復習しておけよ?」 その後、「復習」を行ったアニモフ達の間で「学校」ごっこが一大ブームを築いたのは、また、別の話。
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