オープニング

 世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。
 ここはその名のとおり、「司書室」が並んでいる棟だ。司書室とは、一定以上の経験のある世界司書が職務のために与えられている個室である。ふだんは共同の執務室を使っている司書も、特定の世界について深く研究している司書はその資料の保管場所として用いているし、込み入った事案の冒険旅行を手配するときは派遣するロストナンバーを集めて事前の打ち合わせにも使う。中には、本来は禁止されているはずなのだが、司書室に住みつき寝起きしているもの、ひそかにペットを飼育しているものなどもいると言われている。

 司書室棟への立ち入りは、特に制限されていないため、ロストナンバーの中には、親しい司書を訪ねるものもいる。あるいはまだ不慣れな旅人が、手続き書類の持って行き場所がわからずに迷い込むこともあるかもしれない。
 司書室の扉には名前が掲示されているから、そこがなんという司書の部屋かはすぐにわかる。
 ノックをして返事があれば、そっと扉を開けてみるといいだろう。
 たいていの司書たちは、仕事の手をとめて少し話に付き合うくらいはしてくれるはずである。あるいはここから、新たな冒険旅行が始まることさえあるかもしれない。
 司書室とは、そういう場所だ。


 ノックをしても返事がない。
 けれど人の気配はするので、おそるおそる開けてみると、そこは異世界だった……いや、どう見ても酒場だ。
「あれ?」
 ここ、『失意の世界司書』鳴海 晶の司書室だったよね?
 プレートを確認しても確かにそのはずなのに。
 ただ、よく見ると、入ってすぐの木製のテーブルは整理されているが、その他のテーブルには資料やら奇妙なものがいろいろと乗せられている。
 部屋の中を見回していくと、いた。
 テーブルの片隅に両手を組んで、鳴海がどんよりと座っている。
 目の前には仕事途中と思われるパソコンが開かれ、『導きの書』が置かれ、メモが広げられ。
「ほんと、いいかげんにやめなきゃいけないんだ。せっかく話に来てくれたのに、飲み過ぎて眠りこんじゃうなんて…!」
 ぶつぶつつぶやきながら、頭を抱える。
「どうしよう、最後の方に大事な話をしてたら! 気がつかないうちに、とんでもないことしゃべってたら! あ、でも、記憶ないんだからいいのか、きっと世界図書館にとって問題になるようなことはしゃべってないはずだ、だって知らないもんな!」
 ほっとしたように顔を上げ、それでもすぐに顔を曇らせる。
「いやいや待て、ひょっとすると、凄く大事な打ち明け話とかされてたかも…! 次の依頼とか、前の依頼とかに関わるものだったかも……っ! どうしよう、それを忘れてると依頼出来ないとか!」
 見る見る青ざめてぶるぶると顔を振った。
「いやいや、ロストナンバーの皆さんはいい人ばっかりだ、そんなことない、きっと何かあったら教えてくれるはずだ、あ、そうだ、次に顔を合わせた時に、この前の話って何でしたっけ、とか軽く振って……」
 にっこりしかけて、そのまま固まり、がくりとテーブルに突っ伏した。
「うわああああ……そんなことできねーーーー! なんて酷いやつだって思われる! 依頼受けてもらえなくなる! 世界が滅亡する!!」
 じたばたと座ったまま足踏みし、いきなりがばりと立ち上がった。
「とにかく落ち着こう、うん、落ち着くんだ」
 すたすたと酒の棚に向かって、掴んだグラスに注ぐ酒を物色し始める。
 おい、それで失敗したんじゃないのかよ。
 突っ込みどころは満載だが、とにかく声をかけてみよう。
「えーと、鳴海司書?」
「っっっ!」
 猫が全身の毛を逆立てるように飛び上がった、という気配で鳴海が振り返った。
「ご、めんなさい、約束してましたっけ…何の話でしたっけ」
「酒?」
 問いかけに、あ、ときまり悪そうな顔になる。
「こ、これは」
 慌てて近くのテーブルにグラスと酒瓶を置いて、引き攣りながら笑う。
「とりあえず、コーヒー、如何でしょうか?」
 もちろん、お酒もありますよ?
「ほら、いろんな話を聞きたいし…そういう時って、お酒も必要ですし……」
 こじつけですけどね。
「そっちへのテーブルへどうぞ……何か食べますか?」
 はは、と気弱そうに笑った鳴海は、とにかく熱いのを、と新しいマグカップを棚から出し始めた。



●ご案内
このシナリオは、世界司書、鳴海 晶 (ナルミ ショウ)の部屋に訪れたというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、
・司書室を訪れた理由
・司書に話したいこと
・司書に対するあなたの印象や感情
などを書いていただくとよいでしょう。

字数に余裕があれば「やってみたい冒険旅行」や「どこかの世界で聞いた噂や気になる情報」などを話してみて下さい。もしかしたら、新たな冒険のきっかけになることもあるかもしれませんよ。

品目シナリオ 管理番号1651
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントいらっしゃいませ。
再び鳴海の司書室へご案内いたします。
いろいろじたばたしておりますが、別にお話は鳴海の落ち込みに関係なく、進めて頂いて結構です(笑)。

20歳以上の方はお酒もお出ししますが、ジュース牛乳ももちろんあります。未成年の方が飲酒されると鳴海はパニックになると思われるので、お出しできません。


過去にご縁があった方もそうでない方も大歓迎です。
ただしシナリオと無縁に関わりがあったとされると、展開が難しくなりますので、ご縁がなかった場合は、お初でお目にかからせて頂くと嬉しいです。
(もし、過去にご縁があった場合は、念のため、シナリオ、掲示板名をお知らせ下さい)

参加者
メルヒオール(cadf8794)ツーリスト 男 27歳 元・呪われ先生

ノベル

「……! ………!」
「?」
 司書室棟の中を通り抜けていたメルヒオールは、すぐ側の半開きのドアから聞こえてくる嘆くような唸るような声に首を傾げた。ドアに書かれた名前は『鳴海 晶』、聞き覚えがあるような気はするが、あまりよく知らない司書だ。
 黒の髪の毛、灰色の瞳、右上半身は魔女の呪いで石化しかかっており、右顎少し上まで石化が進んでいる彼は、だらりと垂れた右腕をドアにもたれかかるようにして、左手でドアを開ける。
「酒場…?」
 何か異様な状況だな。
 散乱するメモ、仕事中らしい開かれたパソコン、明らかに酒場でしかない場所で鳴海が突っ伏して呻いている。どうやら仕事を酒で失敗したらしい。散々自分の馬鹿さを詰った後、おもむろに立ち上がり、再び酒の棚に向かったのに呆れ返る。
 何で司書室が酒場なのかは知らないが、メモとかの散乱っぷりはメルヒオールの部屋と似ているかも知れない。他人目線で見ると、散らかっているばかりに見えるだろうが、自分に言わせればそれぞれにちゃんと意味があってそこに置いてあるものなのだ。
『もう、ちゃんと片付けないと、どこに何があるのかわかんないでしょ!』
 おせっかいでこうるさくて、それでも懐かしい響きの声を耳の奥に蘇らせてくすりと笑う。
『片付けという言葉は自分の辞書には行方不明? どんな辞書よ、それ!』
 元気でいるだろうか。
 ここで会ったのも何かの縁、ついそういう気持ちになったのは、思わぬところで紡がれてきたたくさんの繋がりを、たびたび思い出すようになったからかもしれない。
「えーと、鳴海司書?」
「!!!」
 声をかけると、相手は猫のように飛び上がった。
「酒?」
 メルヒオールの問いかけにあからさまに気まずそうな顔になって、取り出しかけていたグラスと酒瓶をテーブルに置いた。透明なボトル、ラベルには赤い派手な制服を着て黒い帽子を被った男が描かれている。黒い槍のようなものを持っているところから、衛兵のようにも見える。
「こ、これは……とりあえず、コーヒー、如何でしょうか? もちろん、お酒もありますよ?」
「まぁ酒くらいは付きあってもいいが……」
 メルヒオールは溜め息まじりに司書室内へ入り込んだ。勧められる前に雑然としたテーブルにつく。
「いえ、ほら、いろんな話を聞きたいし…そういう時って、お酒も必要ですし……こじつけですけどね」
 はは、と気弱に笑った鳴海が、何とか奥から白いマグカップを引っ張り出してくるのを眺めながら、メルヒオールは付け加える。
「酒が弱い自覚があるんなら、ちょっとは自重しろよ?」
「っ!」
 がしゃんっ。
 鳴海の手からマグカップが滑り落ちて割れた。
「わわわ、すみませんすみません、えーとえーと、いいや、後で片付けよう」
 砕けたマグカップの破片をごそごそと不器用に集めた後、引き攣った顔で振り返る。
「ひょっとして何か聞いておられます? 司書の鳴海は酒浸りだとか無能だとか無能だとか無能だとか」
「いや」
 メルヒオールが首を振ったのに、ほっと溜め息をついて再びマグカップを手にした鳴海が、次のことばで凍り付く。
「あと、話を聞き逃すのを恐れるくらいなら、メモでも取ってればどうだ」
 まがりなりにも教師としては当然の助言だが。
 がしゃんっっっ!
 再び鳴海の手からカップが消えた。
「……後で片付けよう…」
「そうだな、まだ割りそうだしな」
 メルヒオールの同意に鳴海は少し恨みがましい目で見返したが、はああ、と深い溜め息をつく。
「そうですね、また割りそうですし」
 どんよりぐったりべったり。そのまま座ったらべとべとどろどろの得体の知れないものになりそうな気配の鳴海に、少しは慰めてやるかとことばを続ける。
「まぁ、酔いの度合いによったら、いくらメモをとったところで、後から判別できないということにもなりかねないけどな」
「ああああ……」
 鳴海は撃沈した。
「どうせ俺はみみず字だよ何もできないんだそうさ元々何もできないんだから今さら何もできないことに気づいても仕方ないんだし大体元から何もできなかったんだから」
 机に突っ伏して、再びぶつぶつと繰り言を始める相手に、やれやれと息を吐く。
「ひとつ、聞きたいことがあったんだが」
「え」
 がばっと鳴海が体を起こした。
「何でしょう何かわかることなら」
「俺たちロストナンバーは加齢・成長・老化はしないんだったな」
「ええ、はい」
 言われたことは素直に実行と決めたのか、鳴海は側の白紙を引っ張り出し、ボールペンを引きずり出してメモを取り始める。
「ということは、覚醒した時点の身体から変化はしないってことなのか?」
「変化?」
 鳴海は眉を寄せて首を傾げた。
「俺は身体の一部が呪いで石になってるが、例え解呪の方法が見つかったとしても、帰属世界を見つけない限りはこのままなのか?」
「うわ」
 何だか痛そう、いや冷たそうですね。
 鳴海はメルヒオールの右半身を覗き込み、顎の辺りまで見上げながら、メモを取る。
「…まぁもう慣れたし、このままでしかないのなら潔く諦めるけどな」
「いさぎよく、あきらめる、と…」
「それは書かなくていい」
「あ、はい」
 そうですね、と鳴海は最後の一行を二本の筋で消して、えーとはんこはんこ、とわけのわからないことばを呟き、戸惑ったように空中に浮かばせた指をもぞもぞさせた。
「ハンコ?」
「ああいえ、確かこういう修正には何かこう、決まった手順があったはずなんですが」
「世界図書館でか?」
「いえ、こちらでは別に……そういえば、そうですね。こちらではそんなことをしたことはないです。けれど、何か今、急にふいとそういうことがあったような気がして」
 おかしいですね、と鳴海は照れた顔をして笑った。
「それで、お尋ねの件ですが」
 パソコンのキーボードを打つ指先は滑らかだ。似たようなお問い合わせがあったことがありまして、とどうやら事例のようなものを探しているらしい。
「例えば、こちらに来てから怪我をされたり、病気になられたロストナンバーがおられますよね? その場合、回復が阻害されるということはありません」
「ああ、そのようだな」
「覚醒途中、あるいは直前で怪我をされた場合でも、こちらの世界で治癒されている場合があります」
「ふむなるほど」
 言いたいことがわかってきたぞ、とメルヒオールは頷く。
「となると、メルヒオールさんのその石化が、覚醒前後であったとして、もし、その石化が本来もっと進んでいるはずのものだったのに、ターミナルである程度回復しているとなれば、何かの回復要因が働いたと考えられます」
「……ああ」
 無意識に右腕を摩った。普段は意識しない冷たさが、ほんのり温度を上げた気がする。
「とすると、解呪の方法が見つかれば、ターミナルでも回復する可能性があります。そしてそれは、覚醒前後の何かの素因と関わっている……とすれば、絞り込みもしやすいかもしれないですね」
 ほっとした顔で鳴海は笑った。が、すぐに真面目な顔になって、
「ただ、もしその解呪の方法がターミナルで通用している一般原理と異なったものである場合……つまり、元々おられた世界の構成に深く関わっていた場合、いくら同様の方法をターミナルで行っても、回復できないかもしれません」
「……そうだな」
「もう一つ、不安な要素があります」
 鳴海はパソコンの画面を素早く切り替えながら、呟くように続ける。
「もし、その方法が元々おられた世界固有のものであった場合、万が一、その世界に問題が起きていたら」
 ちらりとこちらをみやった瞳にきつい色が広がった。
「永久にその方法は失われることになります」
「ファージ、か」
 ファージによる破壊がその世界に及んでいたら。あるいはまた、世界樹旅団のような別種の侵攻が進んで崩壊してしまったなら。
『先生!』
 翻る鮮やかな笑顔に思わず眉を寄せる。
 ふい、と鳴海がいきなり立ち上がった。放置されていた酒瓶を手に、奥のテーブルに進む。がしゃがしゃと別の瓶を二本出してくる。両方とも果物の絵が描かれているが、片方はアルコールの香りがした。それらを量り、銀色のカップのようなものに入れて振り回した。
「おい何を」
「まだ、お酒、お出ししていなかったですよね」
 心なしかいそいそと嬉しそうに持ってきたのは、カクテルグラスに入っているオレンジがかった液体だ。
「どうぞ」
「酒を混ぜ合わせたのか」
「ここを作ってから、自分がそういうことができるってわかりました」
 鳴海はまた照れた顔になった。
「ゴールデンデイズ、『黄金の日々』と呼んでます」
「この酒を?」
「はい……オレンジジュースと桃のリキュール、それにビーフィータージン」
 鳴海は赤い衛兵の瓶を指差した。
「壱番世界のロンドン塔の衛兵だそうです」
 口に含む。まろやかな甘味をひきしめる、酸味と爽やかな味わい。
「乾杯」
 鳴海がグラスを差し上げた。
「あなたの黄金の日々に」
 そういえば、こいつはこれでも司書だった、と改めてメルヒオールは思い出す。彼の想いも夢も願いも、どこかの報告書で読んでいたのだろう。メルヒオールが、ファージや世界樹旅団の危険性を考え、かの世界に想いを馳せたのに気づいたのだ。
 今度はこっちが慰められているのか、と苦笑する。
「黄金の日々に」
 まっすぐな笑みに応じて、グラスを上げて飲み干す。
 そうだ。
 騒がしく慌ただしく、賑やかで笑顔絶えないあの世界。

 ゴールデンデイズ。
 いつか再び、そこへ帰ろう。

クリエイターコメントこの度はご訪問ありがとうございました。
元の世界に寄せる想いは、時間がたつにつれて薄れる場合と、より鮮やかになる場合とがあります。
PC様におかれては、後者ではないだろうかと加えさせて頂きました。
暴走しておりましたら申し訳ありません。

またのご縁がありますよう、願っております。
公開日時2012-02-16(木) 21:00

 

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