オープニング

 幾つもの依頼が飛び交い、幾人もの人が行き交う、雑然とした世界図書館の一角。
 淡く輝く金色の髪とガラス細工のように澄み切った青色の瞳が愛らしい少女が一人、落ち着かない様子で周囲をきょろきょろと見回している。
「えい」
 そんな彼女の背後から軽い掛け声と共に小さな掌が現れ、幼い彼女の双眸を覆った。
「えっ、あ、あの」
「ふふふっ、驚かせちゃったわね。あたしよ、ゼシカ」
 そっと両手が離れ振り向くと、狩衣に似た衣装を纏った少女が立っていた。その顔は布に隠されているが、隙間からは蒲公英色のツインテールが覗いている。
「あ、たんぽぽさん。こんにちは」
 相手が黄燐と分かると、ゼシカ・ホーエンハイムはぺこりとお辞儀をした。気が付くと、他にも今回の事件を共に調査することになった仲間達が集まってきている。
「で、まだ司書からチケットは受け取ってないのか?」
 右顎の辺りから衣服に覆われているところまで、ちょうど右半身が石のように硬化している男――メルヒオールは付近に担当の司書の姿がないことに首を傾げた。
 その傍らでは、ハクア・クロスフォードが近くにあった椅子に腰掛け持参していた本のページを捲っている。
「チケットの手配に少し時間がかかっているのかもな」
「ああ、せやけどやっと来やはったみたいやで」
 森山天童が手にしていた煙管で一方を指し示す。その場にいた全員がそちらに注目すると、確かに長身の世界司書が大きな箱を抱えてこちらに向かってきていた。
「待たせてすまんの。これ、ここまでの調査記録じゃ」
 世界司書の湯木は運んできた箱から紙の綴りを一束取り出し、一番近い距離に立っていたコタロ・ムラタナに差し出した。
 コタロはそれを受け取ったはいいものの一人で独占するわけにもいかず、どうすればいいかと逡巡する。
「インヤンガイ、雪蓮丁区。児童連続失踪事件やって。改めて見ても、嫌な予感しかせえへん話やんな」
 天童が脇からそれを覗き込み、目に付いた文字を軽く読み上げる。自然と他の仲間達も同様にコタロの持っている資料を覗き込む形となり、「ゼシにも見せて」と下方からも声がかかると、コタロは多少まごつきながらもしゃがんで背の低いゼシカと黄燐にも見えるようにした。
「もうええかの? ……話はもう聞いとるじゃろうが、インヤンガイで子供が大量に失踪したっちゅう事件が起こっとる。失踪が目立ちだしたんは、たぶん三ヶ月前、あたりじゃ。大体が、外に一人二人で遊びに行ったきりまったく戻らんらしい」
 最終的にほとんど全員がしゃがんだ状態になったところで、湯木はいつのまにか手にしていた渦巻きキャンディーを舐めつつ状況の説明を開始する。
「ずいぶん時期が曖昧だな」
「正確には、子供の失踪自体は以前からたまにあったんじゃ。ただ、三ヶ月くらい前から急に数が増えたっちゅうことらしいの」
 インヤンガイだけあって、子供の家出や誘拐は極端に珍しいことではない。故に、今までは個別の問題として処理されていたようだ。
「この件については、先に調査隊を送っとっての。失踪直前の目撃情報がいくつか入手できとる」
 それがその記録じゃ、と湯木は先程コタロに手渡した紙束を指す。そこには確かに、数枚の子供達の写真と共に証言が記録されており、一番最後の地図には目撃された場所が日付と共に印で書きこまれていた。
「印が集中してるとこがあるな。ってことは、怪しいのはこの辺か」
 メルヒオールが地図の北の辺りの地域を指差すと、湯木はこくりと頷く。
「ほうじゃ。……探偵も調査進めとるはずじゃけ、そっから先は現地で確認頼む」
 湯木は六枚のチケットをそれぞれに配布する。さらに黄燐とゼシカにはついでとばかりに箱から飴を一握りずつ取り出し渡していった。
「ほいじゃ、任せたけぇの」
 結局大荷物ぽかった箱の中身は九割飴だったのかとか時間に遅れたのはその飴箱運んでたからだったのかとか、そこにはあえてツッコまずに一行はインヤンガイ行きのロストレイルへと乗り込んだのだった。

 * * *

 雪蓮丁区に到着した一行は現地の探偵・サイ ウェロンと合流すると早速、目撃情報が集中していたという地域に向かった。
「あれからずっとこの辺りに絞って聞きこみしてたんだけどよ、あれだ。新しい情報が入ってな」
 一行を案内するために先頭を行くウェロンの歩調は速く、真っ直ぐに行くべき場所を目指しているようだった。
「新しい? 誰かが決定的瞬間でも見たのかしら?」
「決定的かどうかはまだ分からねぇが、町はずれにある孤児院に失踪した子供が入っていくのを見たって話が複数出た。孤児院はこの先にある」
 ウェロンは足を止めないまま、孤児院の写真を黄燐に渡す。写っていた孤児院はやや古びた印象があり、家というよりはちょっとした工場ようにも見える。
「元々町工場だったのを改築して使ってんだとよ。先に軽く様子を見てきたんだが……ああ、これそんとき書いたやつな」
 次に黄燐が受け取ったのは手帳の切れ端だった。書き走ったような見づらい字で、孤児院の職員についてのメモが綴られている。

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北雪蓮丁区チュン孤児院

職員
メイユア 女 52歳 職員のまとめ役。足が不自由らしい。キツい印象で子供達にも厳しいようだ。
イールエ 女 36歳 温和な印象。子供好きで、子供達からも人気がある。
フイフォン 女 27歳 つい最近入ったばかり。失敗が多く、まだ一人では仕事が任せられないらしい。
タイシャオ:男 23歳 唯一の男性職員。活発な印象。この孤児院で育っており、非番のときも孤児院にいるそうだ。

院長
チュンシャン 女 メイユアと同年代
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「院長は「うちの孤児院は事件に関係ない」の一点張りらしくてよ、話どころか顔すら見れなかったぜ。体調が悪くて、最近はずっと三階の院長室から出てこねぇって話だ」
 全員がメモに目を通し終わった頃に、ウェロンは立ち止まって正面の建物を指差した。写真と同様の建物が立っており、周囲に広く確保されている庭で年齢さまざまな子供達が遊んでいるのが見える。
 一行が孤児院の門から中へと入ろうとしたとき、黒いスーツを纏い重たげなケースを持った壮年の男性とすれ違った。ウェロンが不審げな表情で後を追おうとするが、その前にまったく違う方向から女性の声がそれを呼び止める。
「あら貴方達、ここの孤児院に御用なの?」
 服装を見るに、孤児院の職員ではなくたまたま通りかかっただけらしい子供連れの女性だった。
「……少し用事があってな。ここについて何か知ってるのか?」
 ハクアが問いを返すと、女はおおらかな様子で左右に首を振る。
「いいえ。ただ、最近ここに出入りする人が多いから、何かやってるのかと思って」
 孤児院から聞こえてくる子供の声は賑やかに、平穏さを強調するかのように、ロストナンバー達の耳に届いていた。

 * * *


……

……

「聞いた?」

「聞いた聞いた。昨日の夜、出たんだってね」

「誰が見たんだっけ?」

「あいつだよ、暴れん坊のリャン」

「えー、そうなんだ。また口から出まかせなんじゃないの」

「たぶんね。お化けが出たーなんて、先生に構って欲しいだけなんじゃない?」

「……そういえば、さっきからリャンいないよね」

「あれ? 本当だ。昼寝でもしてんのかな?」

……

……


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)
黄燐(cwxm2613)
メルヒオール(cadf8794)
森山 天童(craf2831)
ハクア・クロスフォード(cxxr7037)
コタロ・ムラタナ(cxvf2951)

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品目企画シナリオ 管理番号1668
クリエイター大口 虚(wuxm4283)
クリエイターコメントサスペンスでホラーでダークでミステリーでグロ可とか聞いて見事一本釣りされました、大口 虚です。
実装されたばかりの企画シナリオ。ありがたいことに早速リクエストを頂き、張り切ってOP作成させていただきました。

雪蓮丁区で発生した児童失踪事件の捜査線上に浮上した、一見すると平和な孤児院。そこで何が起こっているのか、どんな秘密が隠されているのか、存分に捜査に励んでくださいませ。

戦闘は自衛や犯人確保であるかもしれませんが、発生したとしても派手なことにはならないはず。
プレイングは捜査方法や心情などをメインに据えるといいかもしれません。

それでは、恐怖の孤児院探検をごゆっくりお楽しみください。
皆様の無事の帰還をお待ちしております。

参加者
黄燐(cwxm2613)ツーリスト 女 8歳 中央都守護の天人(五行長の一人、黄燐)
メルヒオール(cadf8794)ツーリスト 男 27歳 元・呪われ先生
ハクア・クロスフォード(cxxr7037)ツーリスト 男 23歳 古人の末裔
コタロ・ムラタナ(cxvf2951)ツーリスト 男 25歳 軍人
ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)コンダクター 女 5歳 迷子
森山 天童(craf2831)ツーリスト 男 32歳 鞍馬の黒天狗

ノベル

 ウェロンが街での聞き込みへと戻っていくと、ロストナンバー達は各々行動を開始する。
「孤児院なら、この姿を利用しない手はないわね……子供のフリして聞き出してやるわ!」
 黄燐はグッと右手で拳を作り宣言するほど自信満々の様子で、潜入のための支度を始めていた。その背後で、メルヒオールがぼそりと呟く。
「フリも何も、常に子供じゃないのか」
「ちょっと、そこはツッコまないの!」
 痛いところを突かれ、黄燐が頬を紅潮させながら反論しようとしていると、ふいに彼女の袖がくいくいと引っ張られた。
「たんぽぽさん。あの、孤児院に行くなら、ゼシも一緒に行っていい?」
「そうね。ゼシカを一人で行かせるのはさすがに心配だし、一緒に行きましょ」
 早速潜入の方法を相談し始める二人から目線を外し、メルヒオールは残りのロストナンバーの方へ体を向ける。
「潜入は子供組だけで大丈夫なのか? 俺は聞き込みとやらは性に合わないし、孤児院の周囲とか人の出入りを見張るつもりなんだけどよ」
「俺も潜入するつもりだ。二人とは別行動になるだろうがな」
 ハクアがそう答えると、メルヒオールは次にコタロの方へ「そっちはどうするんだ」という視線を送った。コタロは突然人と目があったことに一瞬たじろぎ、すぐさま視線を外して落ち着かぬ様子で小さく答える。
「……自分は、孤児院の外で……見張りを」
「じゃ、俺と手分けして動くか。俺は周辺を調べるから、人の出入りの監視頼めるか?」
 たどたどしくもコタロが了解の意を示すと、メルヒオールは続いて残る一人の姿を目線で探した。
「森山ってやつはどこ行ったんだ」
「あ、煙管さん、さっきの黒服さんについてったわ」
 黄燐と潜入方法について話し込んでいたゼシカが顔を上げた。その場の全員が彼女に注目すると僅かに俯き、「えっと、「後はよろしく」って、皆に言っておいてって」と、少しもじもじしながら付け加える。ハクアはそんな彼女の方へ赴き、「そうか」と頷きながらその小さな頭にぽんと手を置いた。
「なら、俺達もそろそろ動くぞ」
 しゃがみ、幼い少女に守りの護符を手渡す。それをゼシカがきちんとポシェットにしまうのを確認し立ち上がり踵を返すと、目の前に見覚えのない魔法陣の描かれた符が、今度は自分に向けて差し出されていた。
「……転移の、符だ。持っていて、くれ」
 コタロの手からそれを受け取ると、ハクアは異世界の魔法陣をしばし眺めてから適当なところにしまった。ふと見ると、コタロは同じものをゼシカにも渡しているようだ。
「じゃ、これでも準備は万全ってとこかしら? ゼシカ、行くわよ」
 黄燐がゼシカを連れ、改めて孤児院の門の方へ向かう。それをきっかけに、他の面子も思い思いに移動を開始していった。



 音を立てず、歩を進めるごとに羽織った着物が揺れる。白い花々が揺らぐ度、柔らかな香りがふわりと宙を漂っていく。
 門の手前ですれ違ったスーツの男の背を、天童は一定の距離を守りつつじっと見据えていた。すれ違う通行人の数は日常としてはさほど多くないが、それでも動きをかけるには障害となっている。
(まぁ、聞き込みは他の子等がやってくれるはずや。下手に焦る必要は、ないと言えばない)
 幸いなことに、この周辺は全体的に人通りが少ない。見失うことさえしなければ、機会を得るのは決して難しいことではないだろう。
(せやけど、はよう終わらすに越したことはないわな)
 男が行く先の途中、通りの左側に並ぶ建物の間に細い横道があるのが見て取れた。男がここまでずっと左端に寄って進んでいるを確認すると、天童はわずかに歩を速める。
 横道の手前で男の右側に付くと、ザッと一際強い風が通りを撫でていった。刹那、脱力し倒れかける男が見えない何かによって横道の奥へと押し込まれる。天童はすかさず自身も横道へと入り、地面に倒れ伏せる男に羽織っていた着物を裏返し被せた。
 男の姿は周囲の景色に溶け込み、そこに人が倒れていることなど傍目からは分からない。それを確かめると、天童は自身で調合した眠りの香入りの匂い袋を懐へしまった。それから足元に落ちていた男のケースに手をかける。
 鍵がかかっていると見ると男のポケット鍵を抜き取り、それでようやくケースを開くことができた。ケースの中身が顕になると、天童はその双眸をスッと細める。
 ケースの中には大量の書類らしい紙束が紐で綴りしまわれていた。それを手にとり、一番上の紙に書かれている文字列に視線を這わす。
「売買契約……品名は、『医療器具』……?」
 販売者の署名欄には、孤児院の院長であるチュンシャンの名があった。購入者の署名はおそらくケースの持ち主である男のものだろう。書かれている金額は、おそらくインヤンガイにあっては莫大なものだろう。
 天童は一枚を束の中から千切りとると、残りをケースにしまって元のように鍵をかける。男のポケットに鍵を返し、被せていた着物を取ると、孤児院の方へ戻っていった。



「子供を引き取りたいのだが」
 ハクアは孤児院の門を潜ってすぐ駆け寄ってきた女性職員に、そう切り出した。長い髪を後ろで纏めているその女性はオロオロと対応に困っているような素振りを見せたかと思うと、「しょ、少々お待ち頂けますか」と告げて走り去っていく。
「あれがフイフォンか」
 ウェロンのメモにあった新人の女性は彼女に相違ないだろう。「タイシャオさん、タイシャオさん!」と大声をあげながら建物の中を覗いたり庭を走り回る彼女を見ながら、ハクアはそう判断する。
 やがて彼女は、杖を使いぎこちなく歩く壮年の女性を連れて戻ってきた。灰色の短めの髪を後ろに撫でつけた眼鏡の女はハクアの前まで来ると、丁寧な動作で頭を下げる。
「こんにちは。当孤児院職員の、メイユアです」
「ハクアだ。子供を引き取りたくてな、院の中を回らせて欲しいのだが」
 ハクアがそう申し出ると、メイユアは検分するようにジロリとした視線を送った。
「以前、歳の離れた弟を亡くしたんだ」
「……分かりました。フイフォン、彼を案内して差し上げて」
 指示を受けたフイフォンは、ビクリと体を震わせながらも「はい!」と力のこもった返事をした。
「……院長に話を通さなくていいのか?」
「院長はここしばらく体調がすぐれませんので、人とはお会いにならないそうです。私もこの足ですので、いちいち確認せず判断していいと指示を頂いています」
 メイユアはそう告げると再度一礼して建物の方へゆっくりと戻っていく。「では、こちらへ」とフイフォンがもたつきながらもハクアを先導しようとしたとき、彼らの背後から若い男の声がかかった。
「おーいフイフォン! お客さんか?」
 振り返ると、真っ黒な髪で肌も黒く日焼けした青年が立っていた。金髪の少女を二人連れたその青年は、ハクアと目が合うと明るい笑顔で挨拶する。
「どこ行ってたんですか、タイシャオさん! そ、その子達は……?」
 タイシャオに手を引かれていたゼシカは、ハクアに気づくと空いてる方の手でポシェットの紐をぎゅっと握った。その表情はいつもより力強い。その傍らに付いていた黄燐は、こちらの心配は不要とハクアに伝えるようにゼシカの肩に手を置いた。
「門の外に行ったら行き倒れててさ、お腹が空いてるみたいなんだ。今日のお昼、まだ少し余ってたよな」
 フイフォンが肯定すると、タイシャオはよかったと笑い二人を連れて真直ぐに建物の方へと向かっていく。
 それを見送ってから、「失礼しました」とフイフォンは慌てながら案内を再開する。ハクアの目は数秒建物の三階を映していたが、その視線はすぐに彼女の背に向かい、彼の足は案内する彼女の後に従った。



 黄燐とゼシカは食堂で、タイシャオが台所から食事を運んでくるのを待っていた。
「ここまでは作戦通りね」
 黄燐はそう小さくゼシカに囁いた。彼女の顔を覆う布は今はなく、院に入る前に木靴も草鞋に履き替えてきていた。タイシャオが台所から出てこないか様子を伺いながら、言葉を続ける。
「孤児院が本当に悪しきことに利用されてるなら、許さないわ」
 黄燐の知人の一人は、孤児院で院長をしている。だからこそ、孤児院が事件に関わっているというのが腹立たしく感じているのだ。
 ゼシカはそんな彼女の袖を掴んでいる。その手はいつもより強く握られており、ゼシカは小さな声で言葉を紡いだ。
「……ゼシは、いなくなっちゃった子達を助けたい。家族が心配してるもの。おうちに帰してあげたいの」
「そうね。あたしも子供達は無事に家族の元へ帰してあげたい。だから、一緒に頑張りましょ」
ゼシカがこくりと頷くとほぼ同じタイミングで、タイシャオが二人分のご飯と野菜炒めを盆に乗せて運んでくる。
「ごめんな、お腹空かせてるのに待たせちゃって。ほら、遠慮せず食べな」
「あ、ありがと」
「ありがとう、タイシャオ」
 二人が食事する様子を、タイシャオは嬉しそうな笑顔で見ていた。
「ご飯食べたら家まで送ってくよ。どっちの方から来たか、分かるかい?」
 彼はどうやら二人が迷子だと思っているようだった。ゼシカは食事を一端中断すると、ふるふると首を左右に振る。
「ゼシ達、パパもママもいないの。だから、えっと、……もしよかったら暫くここにいさせてくれる?」
「そうだったのか……分かった。二人とも好きなだけここにいるといい。他の先生達には、俺がちゃんと言っておくからさ」



 食事を終えると、黄燐はゼシカを連れて建物の外へ出た。孤児院の庭は子供達が遊ぶには充分すぎる程の広さがあり、今も何人かの子供達が走り回っている。
「あ、さっきタイシャオ先生といた子だ!」
「初めて見る子達だね」
「君達もこの辺に住んでるの?」
 黄燐達に気づいた三、四人の子供達が駆け寄ってきた。ゼシカが思わず黄燐の後ろに隠れたので、黄燐が子供達の相手をする形になる。
「住んでるというか、たまたまここに来ちゃったのよ。『君達も』ってことは、この辺の子は結構この孤児院に来るのかしら?」
 黄燐はさりげなく子供達から情報を引き出そうと質問を添える。子供達は初めて会う子でも特に警戒する様子もなく、彼女の問いに賑やかに答えた。
「うん。庭が広いから、遊ぶところ沢山あるし。先生達も優しいし」
「メイユア先生は怖いけどねー」
「イールエ先生は皆に優しいのよ、お母さんみたいなの!」
 子供が失踪直前に孤児院に入っていくのが目撃された、というのは、孤児院に遊びに行ったからなのか。黄燐は他に何か子供達が知っていそうなことはないかと思考する。
「でも、最近いなくなった子とかいるのよね?」
「あ、そうそう! どこ行っちゃったんだろうね、また遊びたいのに」
「私、お化けの仕業だって聞いたよ、それ」
「どうせリャンから聞いたんでしょ? あいつ適当なこと言うから、信じない方がいいよ」
 「お化け?」と黄燐の後ろに隠れていたゼシカが首を傾げる。
「リャンくんが、お化けを見たって言ってたの?」
「うん。夜中、トイレ行く途中で見たって騒いでたよ」
 その子が今どこか尋ねると、子供達は一様に首を捻った。なんでも、朝からずっと姿が見えないらしい。黄燐とゼシカは顔を見合わせ、頷き合う。
「そうだわ。あたし達、ちょっと行かないといけないところがあるから、また後で。……あ、これお近づきの印よ」
 黄燐は出発前に司書から貰った飴を子供達に差し出す。
「わあっ、ありがとー!」
「ありがと! じゃ、また後でね」
子供達が一つずつそれを受け取ると、黄燐はゼシカの手を引いて建物の中へと戻っていった。



 ハクアは、フイフォンと共に建物の内部を回っていた。部屋の中で子供達が思い思いに遊んでいるのを眺めながら、ハクアはフイフォンに探りを入れていた。
「門の前で「最近ここに出入りする人間が多い」と聞いたのだが、皆、私のような引き取り手なのか?」
「え? そ、そうですね。よくは知らないんですけど、最近は院長へのお客さんが増えてるみたいで」
 院長か、とハクアはフイフォンには聞こえぬ程の声で呟く。ウェロンから話を聞いた時から浮かんでいた疑念が、再度かきたてられる。
「最近といえば、ここのところ子供の失踪が増えてるらしいな。ここの孤児院の子供は大丈夫なのか?」
「え、ええ、うちでいなくなった子はいないですよ。勝手に一人で外に行ってはいけないって、メイユア先生が日頃言い聞かせてますし」
 フイフォンの応答に、今のところおかしいところはない。ハクアはひとまず得た情報を頭の中で反芻し、この後の行動をどうするか考え始めていた。
「フイフォン、その方がお客さんね。こんにちは、ハクアさん」
「さっきは失礼しました! ええっと、こっちはイールエ先生で、俺はタイシャオって言います」
 そこへ現れたのはタイシャオと、明るくも優しげな笑顔が印象的な髪の短い女性だった。ハクアは無愛想ながらに挨拶を返すと、イールエは「ここの子達はいい子ばかりですから、よければゆっくりお話していってくださいね」と告げ、他に仕事があるからと足早に廊下へ出ていく。フイフォンはイールエへの用事を思い出したらしく、すぐ戻るからと彼女の後を追っていった。
「……慌ただしいな」
「彼女新人だし、そそっかしいんですよね。それに最近、子供の失踪が増えてるじゃないですか、うちの子も一人、朝から姿が見えなくて……やんちゃな子だから悪戯かもしれないですけど、皆心配してるんです」
 残されたタイシャオがそう話すと、ハクアは訝しげに眉を顰める。
「フイフォンは、ここでいなくなった子供はいないと言っていたが?」
「ええっ? いや、まぁ……まだ失踪したと決まったわけじゃないし……あ、もし見かけたら、教えてくださいね。頬に絆創膏を貼った、リャンっていう十歳くらいの男の子です」
 ハクアは続けて、フイフォンにした「最近出入りしている外部の人間」についてもタイシャオに尋ねる。タイシャオは困ったような表情で頭を掻いた。
「あー、あの人達ですか。俺もよく知らないんですよ。院長のお客さんだって話は聞いたんですけど、院長に訊こうにも部屋から出てこないんですよね。こっちはこっちで忙しいし」
 何しろ新人からあまり目が離せないんで、と続けるタイシャオに、ハクアはもう一つ尋ねる。
「……最後に院長に会ったのはいつだ?」
「え? えーっと、いつだったかな。フイフォンが来るちょっと前だから……たぶん、三ヶ月くらいは顔見てないと思いますよ」



 門の見張りをコタロに任せ、メルヒオールは孤児院の周囲を歩いていた。視線は孤児院を囲う柵、その奥の建物へ向けられている。
(元、町工場だったってことは、普通の孤児院にないものがあってもおかしくないってことだよな)
 見たところ、建物には正面玄関以外にも幾つか外と中を繋ぐ扉があるようだった。これだけ出入り口があれば、職員が人目を盗んで表へ出ることも、その逆も、難しいことではないだろう。
(問題は、消えた子供がどうなったかだ。まだここにいるなら、どこにいる? ここにいないなら……どこから連れ出された?)
 失踪した子供が孤児院に入ったのは確かだ。ここで誘拐が行われたのなら、無関係の孤児や職員に見つからないように子供を隠す場所か、子供を連れだせる場所があるのかもしれない。
 建物の裏側まで行くと、庭に植えられた樹が生い茂っていて中の様子を伺うのは難しくなっていた。それならと、周囲の人の気配に気を配ってはみるが、路地に人の通りはほとんどなく、誰かがやってくるような様子もない。
(他に変わったところは、ないのか……?)
 目立ったものがないと思うと、自然と歩調も速まっていた。そのまま裏の路地を抜けようという程の速さで進んでいたが、ある瞬間。メルヒオールは突然にその足の動きを止める。
 木々や植物が多すぎて、危うく見逃すところだった。メルヒオールは目に入った裏門らしき場所に駆け寄る。柵と紛れていて見つけづらかったが、確かにそこだけ植物の量が少なくドアノブも付いていた。
 足元を見ると、雑草が踏みつぶされた跡がある。ここがつい最近も使われていたのは、おそらく間違った想像ではない。
「ここからなら、中の様子も見れるか」
 格子の隙間から中を覗くと、やはり裏庭は木々が多くて見晴らしがよくない。それでもなんとか目を凝らしてみると、職員や孤児達が出入りしている建物とは明らかに異なる、小さな家屋が目についた。
(……? あれは、倉庫か……?)
「おじさん、何してんの?」
 もっとよく見えないかと格子に顔を押しつけたところで、子供のものらしい声が耳に届いた。格子から身を離して右側を見ると、十歳ほどの少年が不審そうにこちらを睨んでいる。
「あー、ちょっと、この孤児院に用事があってよ。そうだ、お前この辺で怪しい奴見なかったか、俺以外で」
「今んとこ、おじさんしか見てない」
 きっぱりと言い切られ、メルヒオールは「まぁ、そりゃ俺が一番怪しいよなぁ」とぼやき寝ぐせだらけの頭を掻く。
「……怪しい奴は、自分のことを怪しいなんて言わないもんなんだよ」
「そんなもんなの? おじさん」
「そういうもんなんだよ。怪しい奴見てないなら……何か変なこと、でもいい。あと、おじさんはやめろ」
 少年は呻りながら首を捻る。しばらくその状態が続いたかと思うと、「そういえば」と顔をあげた。
「朝から、先生達が忙しそう」
 「先生達?」と出てきた単語を拾うと、少年はうちの孤児院の先生だと説明した。どうやら、彼もここの孤児院の子供らしい。
「イールエ先生なんて全然構ってくれないし。フイフォン先生はずっとお客さんの相手してるし、タイシャオ先生はそっち付き添ったり、新しく来た子ばっかり構ってたりしてさ。メイユア先生はいつもよりピリピリしてて怖いし」
 フイフォンとタイシャオが忙しい理由は思い当たる節があるが、イールエとメイユアについては、現時点では何とも言えない。メルヒオールはもう少し何か引き出せないかと話を促すが、少年にそれ以上特に思いつくことはないようだった。
「そうか……ところで、お前はこんなところで何してるんだ?」
「え? えっと、友達がこの辺りでお化け見たって言ってたからさ、本当かどうか確かめに来たんだ。……あ、これ先生達と会っても黙っててよ?」
「……お化け、だと?」
 少年は「そうだよ」と頷き、リャンという友人が夜中にここで白いものが通るのを見たらしいことを話した。一通り話を聞き終えると、メルヒオールは少年に礼を言うと共に持っていた飴を一つ、彼の方へと放る。
「お前はもう孤児院に帰れ。こういう怪しい奴には付いていくんじゃないぞ」



 コタロは孤児院の向かいの空き家の陰から門を見張っていた。空き家に人の気配は微塵もなく、目立ち過ぎぬよう監視するには都合がいい。
 孤児院は門の外からでも中がよく見えるようになっていた。庭の端で明るい髪色の二人の少女が、院の子供達と話しているのが分かる。話をする子供達の表情は明るく、少女達と別れるとまたはしゃいだ様子で遊びに戻っていく。
(……世界が違えば、孤児院の在り方も変わるものか)
 彼の脳裏に浮かんでいるのは、もう何年も昔に自分が過ごした孤児院での生活だった。
毎日のように行われる訓練、魔法を操る術を学び、兵隊としての心構えを叩きこまれ、皆が国のために戦い生きるよう育てられていたのだ。
今、自分が前にしている孤児院は自分が知るそれと明らかに異なっている。それがコタロに不思議な感覚を与えていた。
 庭に整列する子供達の姿はないし、点呼をとる教官もいない。楽しげに遊ぶ子供達の姿を眺めていれば、彼らが幸福に日々を過ごしているのがよく分かる。
(こことは、やはり違う。……だが、)
コタロは、自分のいた場所が不幸な場所だとは思っていなかった。笑う子供達の顔が見える。その表情は、確かにコタロの記憶の中にあった。
(そういえば……幼い頃は、自分も教官の目を盗んで、友人達と……)
『国のためだ』
 ふと脳裏に蘇った壮年の男の声に、コタロはハッと息を詰まらせた。骨が砕ける感触が、掌に蘇る。あの、嫌に小さく感じた男の首の感触が。
『でかくなったもんだ』
 コタロは、それ以上の思考を拒絶した。湧きだす自己嫌悪の波を塞き止めんとするように、浮かび上がる映像の一切を遮断し、ただ目の前にある景色だけをその目に映す。考えるな、と自分に言い聞かせながら、ただそこにある実像だけを見るように意識を誘導する。
 そこには変わらず子供達の笑顔があった。今度はそこからすぐ目を離し、ただ、門を通る人間の姿だけを探す。
「どなたはんか、通った人はおった?」
 背後で声がして、コタロは弾かれたように振り返った。そこに立っていた男は、その反応を面白がるような笑みを浮かべながら片手をゆるりと上げる。
「……き、貴殿、は……」
「こっちの成果は、まぁそこそこやったわ。ほれ、一枚持ってきてあげたで」
 天童はコタロに先程入手した売買契約の書類を見せる。それに少しだけ目を通すと、コタロはこちらに動きはないことを伝えた。
「聞き込みの方はどないやの?」
「……ハクア殿と、黄燐殿と……ゼシカ殿が、中へ。連絡は、まだ……」
 言いかけたところで、風が一陣、二人の間を抜けていった。風がやむと、天童はゆかいそうに口元を歪める。
「ハクアはんやね。なかなか面白い風使うやないの」
 風が伝えたのは、ハクアと職員の会話の内容だった。おそらく、今頃他の仲間達にも同様に伝わっているのだろう。
「新人はんの面倒見てはるんは、タイシャオはんみたいやね」
 コタロはそれについて特に何を言うでもなく、門の方へと意識を戻しつつあった。天童もまた返答を期待した訳ではなく、伝わってきた情報をじっくり整理しているようだ。
(フイフォンは職員の注意を逸らすために、そうとは知らず雇われたんか思うとったけど……)
 ハクアとフイフォン、タイシャオのやりとりはそれと少し異なる可能性を示していた。
(共犯やったら、口裏合わせくらいはするはずやろ)
「……天童殿」
 コタロが、すっと自分のトラベラーズノートを天童に見せる。そこには、他の仲間達が得た情報が次々書きだされていた。



 ゼシカはタイシャオと共に三階の院長室へと向かっていた。黄燐はというと二人からやや離れ、トラベラーズノートを凝視しながら歩いている。
タイシャオに手を引かれながら、ゼシカはきょろきょろと院の中を見回す。一階は通用口が沢山あり、食堂や広間や応接室、事務室や物置などの部屋も多く入り組んだ印象だったが、二階や三階は子供部屋の他は職員の仮眠室があるくらいで、それほど複雑な印象はない。
「ねぇ、先生。先生はここで育ったんでしょ? どんな子供だったの?」
 タイシャオを見上げ、ゼシカは首を傾げながら尋ねる。タイシャオはそれにニコリと笑みながら答えた。
「ん? そうだな……結構やんちゃな方だったかな。よく勝手に院から抜け出してさ、院長先生とメイユア先生にとっ捕まってたっぷり怒られてたよ」
「先生達、怖かった?」
「怒られてるときはね。でも、俺のこと本当に心配してくれたってのは分かったし、後でイールエ先生が慰めてくれたから」
 だから俺はここが好きだよ、とタイシャオは続けた。ゼシカはふと、自分がいた孤児院の先生を思いだす。いなくなった父の代わりに、孤児院の仕事していた女性だった。ゼシカをとても可愛がってくれた、大好きな先生だ。
「ゼシカちゃんも、ここの人達は皆家族だって思っていいからね」
 ゼシカは繋いでいた手をぎゅっと握った。孤児院の先生が悪いことをしているとは、あまり信じたくない。子供達を相手にしているときのタイシャオやフイフォンが悪い人には見えないし、メイユアは居間で静かに座っているのを見ただけだが、タイシャオが語るのを聞くとやっぱり悪い人じゃないと思えるのだった。イールエも忙しいらしく話はできなかったが、彼女を見かけるといつも子供達に囲まれていたのだ。子供達が大好きな先生が、悪い人のはずがない。
 「ここだよ」とタイシャオが大きな扉を指した。扉の上には「院長室」と書かれた札がかかっている。早速、タイシャオが扉をノックして院長の名を呼ぶが、返事はない。
「うーん、やっぱりまだ具合が悪いのかな」
「そう……ゼシも、ドア叩いてもいい?」
 こつこつとドアを叩くゼシカの左手には、院の子供達に書いてもらった書きよせと、庭で摘んだ花束があった。一時間程前に、「院長さんはお部屋で寝込んでるんでしょ? ゼシ、お見舞いに行く」とタイシャオに頼んで用意を手伝ってもらったのだ。
「院長さん」
 呼ぶが、やはり反応はない。ゼシカは、そっと書きよせと花束をドアの前に置いた。
「あのね、ゼシが前にいた孤児院の先生も、とても優しかったの。きっと、ここの子どもたちも心配してるわ。早く元気になってね」
 中にいる院長先生に聞こえるように、一生懸命大きな声で話す。それでも何の反応も戻ってはこない。タイシャオが「きっと聞こえたよ」とゼシカの頭を撫でると、小さく頷いて彼の手をとりドアに背を向けた。
「タイシャオ、そこで何してるの? 院長は具合が悪いから、院長室の近くで騒いではダメって言ったでしょ。貴方は自分の仕事に戻りなさい」
 そこへ現れたのはイールエだった。タイシャオが事情を説明すると、彼女はあらあらと困った表情を見せ、ゼシカに「院長先生は大丈夫よ。ゼシカちゃん達のことをお話したら、早く会いたいっておっしゃってたわ」と微笑みかける。
 イールエはタイシャオに、下でフイフォンが夕飯の鍋を引っ繰り返したからと共に一階へ戻るよう促す。それを聞いたタイシャオは慌てて階段を駆け降りていき、ゼシカもイールエと一緒に一階の食堂へと降りていった。
『院長室への呼びかけは反応なし』
 黄燐は一連の状況ややりとりをノートに書きこむ。ハクアが聞いた限りだと、院長は三ヶ月前から他の職員にも姿を見せていないらしい。三ヶ月前というと、ちょうど失踪が増加した時期と重なる。
(やっぱり、院長室にいることになってる院長は本物じゃないのかもしれない。ウェロンも声は聞いてないし、顔も見てないって言ってたものね)
 どうやら院長の存在の有無は、他の仲間達も気にしていたようだ。『院長はすでに死んでいて、誰かが院長のフリをしてるのかも?』
 黄燐が顔を隠すのは、自分の顔を隠すため。犯人が自分の正体を隠すため院長を語っている可能性は充分考えられる。
『黄燐 今、院長室の前に人はいるか?』
 浮かんできた文字は、ハクアによって書かれたもののようだった。



『誰?』
 頬に絆創膏を貼った十歳程の少年は、突然目の前に現れた男に思わず身を固くした。天童は『怖い人やないよ』と微笑みながら、少年の視線の高さに合わせて屈む。これは、リャンの夢の中のことだ。現実のリャンはどこかで意識を失っている。天童は彼の見ている夢を探り当てて、ここへ辿り着いたのだった。
『君がリャンって子でええんかな?』
 少年はハッキリ頷くと、天童の方へ身を乗り出す。
『誰だか分かんないけど、助けてよ! 俺、お化けに連れてかれちゃったんだ!』
『お化けなぁ……それ、裏庭で見た奴と同じなんか?』
『知ってんの? 俺、夜中に裏庭で白いやつが動いてんの見てさ、友達に話したけど誰も信じなくて……だから裏庭で見張ってたんだ。そしたら、誰かに捕まえられて、急に眠くなって』
 今何処にいるか尋ねるが、リャンは分からないと首を左右に振った。
『ついでに、そのお化けの話、大人にはしたん?』
 リャンは『うん!』と笑顔で返事をする。先生だけはお化けの話信じてくれたんだ、と話す彼の表情は、とても嬉しそうだ。天童はどの先生に話したのか、尋ねた。



「来たな」
 すっかり日も暮れた頃。メルヒオールは、コタロと共に角から孤児院の裏通りを覗きこんでいた。先程メルヒオールが発見した裏口の前に、大型の車が一台停まっている。中には黒いスーツを来た男達が二人乗っおり、そこで誰かが来るのを待っているようだった。
「取引相手が出てくるまで待つか。そこで捕まえた方が、現行犯で間違いようがない」
 コタロはそれに無言で頷いた。彼は元より他の案を提示しようということなど考えてもいない。ただ、目前に示されたことをこなせばいいと、今はメルヒオールの言うように裏口での犯人確保だけを主眼に捉えていた。裏口だけを見つめ、人の気配を静かに伺う。まだ、何かが動く様子はない。
「まだ出て来ぃひんみたいやねぇ」
 真後ろからした囁くような声に、コタロは反射的に身を引きながら振り返る。メルヒオールはというと「なんだお前か」とだけ漏らし、すぐに裏口の方へ意識を戻していった。
「もう、犯人の目星は付いてきたやろ」
 天童はコタロが広げていたトラベラーズノートを指差す。コタロはそれには特に何を言うこともなかったが、代わりにメルヒオールが肯定の返事を送った。
「決定的なのは一人。もう一人はまだ決定打に欠けるってとこか。まぁ、それも片方捕まえて吐かせればどうとでも」
 メルヒオールは言葉をそこで区切った。車の中から、男達が降りていく。裏口に人が出てきたのだ。エプロンを着けた、長い髪を後ろで纏めた女性。
「……フイフォン、か……」
 ハクアから伝わった外見の特徴に当てはまる人物の名を、コタロが呟く。メルヒオールはノートに書かれているハクアと彼女のやりとりを指でなぞった。
「ってことは、リャンのこと黙ってたのは外部の人間に余計なこと知らせないようにってとこか?」
 それに答える者はいない。ちらりと後ろを見ると、天童の姿がなくなっていた。コタロに彼の所在を尋ねるが、コタロもそれで初めて彼がいなくなったことに気づいたようだ。軽く視線を巡らせてみるが、それらしい姿はない。
「ま、いいか。それより、あいつら何か持って来たぞ」
 裏門から孤児院の庭へ入った男達が、どこかから幾つかの箱と、大きく真白な袋を運び出していた。白い袋は、建物からわずかに届く灯の中で一際浮かびあがって見える。
「よし、じゃーお化けとやらを捕獲しにいくか」
 メルヒオールは硬化の呪文が書かれた紙を一枚取り出し、端を口に銜える。破られた紙が宙にひらりと舞い、二人はフイフォンと男達の元へ飛び込んでいった。
「おい、誰か来たぞ!」
「早くそれを積むんだよ、早くしろ!」
 二人に気づいた男達は慌てた様子で箱や袋を車に押し込もうとした。コタロは荷物を手にした男に当て身を食らわせると、頭部を掴みそのまま地面へと叩きつける。もう一人の方は、メルヒオールが硬化の魔法で強度が増した右腕を念動で操り、その鳩尾を殴りつけた。
 フイフォンは驚いてその場から逃げようとする。しかし、彼女は暗い中で何かにぶつかり、転倒した。
「いってぇ! フイフォン先生、何してんだよ!」
「……!? リャン君、どうして……」
 リャンの横には、天童が立っていた。転倒したままのフイフォンを、彼は静かに見下ろす。
「あかんなぁ。荷物出し終わったら、ちゃんと鍵しめな。倉庫、見られたら困るようなもんばっかりやないの」
 フイフォンの目は反射的にすぐ近くにある倉庫に向かった。その顔には信じられないというような感情が滲みでている。確かに鍵は閉まってなかったが、人がそこへ入ったかどうかはこれだけ近ければすぐに分かるはずだった。
「どうして、どうやって入ったのよ。あんた、何なのよ!?」
「さぁ? わいにもさっぱりや」
 口元を隠す葉団扇の奥で、笑うような気配がする。そこへ、男達が運んでいた袋を持ったメルヒオールとコタロもやってきた。
「これ全部、いなくなった子供達か」
 袋に入っていたのは血のたっぷり詰まったパック。箱に入っていたのは、胃や肝臓や、眼球や心臓といった身体の一部とそれらを冷やすための氷だった。
「……『医療道具』……」
 コタロは天童が持ってきた売買契約の書類を思い出していた。



 食堂へ戻ってきたタイシャオとイールエが、それまでハクアと話していたメイユアと零れたスープの掃除をしているのを確かめると、ハクアはそっと食堂を抜け出した。フイフォンは少し前に、用事があると抜けたきり戻ってこない。
「ひとまず、上に行ってみるか」
「そうね。たぶん、孤児院の人間はほとんど食堂か広場だしいけるでしょ」
 声のした方に視線を落とすと、黄燐がゼシカを連れて立っていた。二人は一階で待機させた方がいいのではとハクアは思ったのだが、ゼシカがじっと自分を力のこもった目で見つめている。それに気づくと、これは言っても聞かないだろうと早々に同行を認めたのだった。
 黄燐の言ったとおり、職員のほとんどは食堂で掃除をしており、子供達は広間に集まってそれぞれ本を読んだりふざけ合ったりしている。二階に上がってしまえば、そこにはもう誰もいなかった。
 難なく三階の院長室の前に辿り着き、ハクアは扉のドアノブに手をかける。その感触は扉に鍵がかかっていることをハクアに伝えていた。
 その場にしゃがんで鍵穴を覗き込み、魔法でこじ開けるかと考えだしたとき、後方から人の足音が耳に届く。子供の軽いそれではない。明らかに一定の重量がある成人の足音だ。
「ハクアさん、ここで何をされているんですか?」
 イールエだった。彼女は微笑みながらゆっくりとハクア達との距離を詰めていく。ハクアは急ぎ何かの魔法をと短剣を手にとり自身の指にあてがおうとするが、その前にイールエは走り寄って一番手前にいたゼシカを抱きかかえた。その手にあるのは包丁。彼女はそれをゼシカに向ける。
「貴方達は、何者ですか? 私達の孤児院に、何をしにいらっしゃったのかしら」
 ハクアは答えない。黄燐も、ハクアの後ろに隠れて押し黙っていた。
「……どうして?」
 イールエの腕の中から、ゼシカの震える声が聞こえる。ゼシカは、向けられる刃先に身体を強張らせながら、必死に声を絞り出していた。
「先生が、子供達を隠しちゃったの? どうして? 先生は子供達が好きじゃなかったの? 家族じゃなかったの?」
「……そう。やっぱりそれを嗅ぎまわってたのね。ごめんね、ゼシカちゃん。もちろん、先生は孤児院の子供達が大好きよ。みんな家族だもの。できれば、ゼシカちゃん達も家族になって欲しかったわ」
 その声は非常に優しいものだった。何を偽ることもなく、孤児院の子供達を愛する気持ちが篭っているのが伝わってくるような、そんな話し方だ。
「でもね。「好き」だけじゃ……どうにもならないこともあるのよ」
 イールエはゼシカを抱きかかえたままハクア達に詰め寄り、包丁の刃先を今度はハクアへと向ける。
「騒がないで、大人しく外に出て貰うわよ。そこで三人とも眠ってもらうわ」
 ハクアは両手を上げ、何も言わず彼女が視線で促す方向へ足を向ける。その後ろにいた黄燐は、さっと手に持っていたノートを後ろ手に隠す。
「……? 黄燐ちゃん、貴女何を持って、」
 そのとき、抱きかかえられていたゼシカのポシェットから光が漏れる。イールエが驚いてポシェットを開くと、不思議な模様が描かれた紙が一枚床に落ちた。それを目にした刹那、イールエは大柄な男によって地面に叩き伏せられる。倒れたイールエのエプロンのポケットから鍵の束が落ちたのを、転移の符で移動してきたコタロとイールエの間から抜きだしたゼシカが拾い上げた。
「ゼシカ、早くそれを」
 ハクアは鍵束を受け取ると院長室の鍵穴へ順に鍵を差し込んでいった。やがて一本の鍵によってガチャリという手応えを得ると、閉ざされていた院長室の扉を押し開く。
 よく片付けられた院長室は一件、何の変哲もないようだった。しかし部屋の端に置かれたクローゼットを開けると、ここが何の変哲もない部屋ではないことを伝えるように、白骨化した遺体がクローゼットを覗くハクアを見つめ返していた。



 イールエ達の身柄は間もなく探偵のウェロンに引き渡された。ウェロンの調査によると、半年前から孤児院の経営状況は厳しく、院長とイールエは巨額の借金を巡って言い争いが続いていたようだった。
「で、自分が院長になり代わって赤字をどうにかしようとしたってわけか。子供守ろうとして子供殺すってのは、なんというか……」
「ねぇ、あの孤児院は、どうなっちゃうの?」
 呆れた様子でぼやくメルヒオールの服の裾を、ゼシカがくいくいと引っ張って言った。メルヒオールは返答に困ったように沈黙する。
「メイユアやタイシャオが、守っていってくれるはずだ。彼らがあの孤児院が好きならな」
 ハクアがそう言うと、「なら、きっと大丈夫ね」とゼシカは頷く。

 彼らが去った後には、帰ってくることの叶わなかった子供達の墓が色とりどりの花に囲まれて立てられていた。

【完】

クリエイターコメント大ッ変お待たせいたしました。

まず先に、字数の関係上採用しきれなかったプレイングが複数発生しましたことを心よりお詫び申し上げます。

あのシーンも入れたいこれもいれなくては、としていたら相当ぎゅうぎゅう詰めになりました。
ここはっていうシーンが参加くださった皆さん全員にあるように頑張ったのですが、いかがでしたでしょうか。

少しでもお楽しみ頂ければ、幸いです。
公開日時2012-03-18(日) 22:00

 

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