▼ミスタ・テスラ、コルロディ島にて ――別に、深い意味があるわけじゃない。 ――教師として、教え子のその後が気になっただけだ。 そうやって自分に言い聞かせながら。 メルヒオールはコルロディ島にある、オートマタの子たちがいるあの館へと、足を向けていた。少し前にそこで子育ての依頼を受けた。機械仕掛けの子ども達の世話をしたのだ。 彼が担当した子は、女の子人形のイーリス。粗暴な言動が目立つものの面倒見が良く、皆の世話役として忙しそうに駆け回っていた女の子だ。だらしない自分とは違って、てきぱきと物事をこなしていくきちんとした生徒。 そんな彼女と過ごしたあの滞在期間を思い出しながら。緩やかな弧を描いて長く伸びる、草原の中にある一本道を、彼は行く。 館が近づいてくるにつれてわき上がる懐かしさに、メルヒオールは口許をわずかに緩めて。 (さて、イーリス。抜き打ちの家庭訪問といこうか) † 館の正面玄関で呼び鈴を鳴らす。重たそうな軋みを立てながら玄関の扉が開くと、見知った顔と視線が交錯した。 長い髪を後頭部で編み、ピンで留めている少女。質素だけど清潔感のあるワンピースの上に、エプロンをつけたその姿。 見間違うはずもない。自分が育てた(と言っても教えたのは勉強くらいで、他の事は自分で学習していた)オートマタの女の子、イーリスだ。 「……よ、よぉ」 いきなり初めからイーリスと出くわすとは思っておらず。メルヒオールはやや戸惑いがちに言葉を濁しながら、軽い調子で声を掛けて。 けれど。 けれど。 「――いらっしゃいませ、どちら様ですか?」 自分には決して向けたことのない、花のように愛らしい笑みをして。イーリスはまるで、メルヒオールが初対面のお客様であるかのように振舞った。 「いや……ここで、オートマタの子ども達を……世話してた、者、だが」 「そうなのですか? わざわざお越しくださり、ありがとうございます。ご案内します、中へどうぞ」 「あ、あぁ」 やはり自分には決してしたことのない丁寧な対応で、メルヒオールは応接間へと通される。イーリスに何があったのか問いかけようとするが、彼女はそこで待つように伝えると、速やかに退室してしまって。 見覚えのあるソファーに腰掛けながら、メルヒオールは思考する。イーリスがなぜ、ああいった態度を取っているのか。 ロストナンバーに備わる特性〝旅人の外套〟によって、記憶が薄れてしまっていたのが原因か。時と場合によってその効果の表れ方は異なると聞いていたが、あの様子だと全く覚えていないとも推測できた。 「……分かっちゃいたが、何ともまぁ」 唯一動く左手で、ぼりぼりと首元を掻く。 浮かぶ表情は自嘲の笑み。少しでも期待し、それを裏切られて落胆している自分を冷静に見つめて。おかしいものだと、卑屈に笑う。 分かっていた。これがロストナンバーの宿命。異世界からの来訪者であるが故に、誰しもから忘れ去られる運命。 分かっていた。 ……けれど。 何か、心にぽっかりと穴があいてしまったようで。悲しみや切なさよりは、ぽつんとした空虚な気持ちだけが、心から染み出て。 そうして何とも言えない気持ちに苛まれていると。扉がバンと勢い良く開いて、ばたばたと小さな影がなだれ込むように入ってきた。 「メルヒオール先生、お久しぶりです」 「あ、ほんとだ! 久しぶりー、ベルのこと覚えてる?」 「……ぼんくら先生……」 「なるほど、ミオの言葉は真実を示していますね。我があるじに匹敵するほど、メル先生の生活力の無さには定評がありました」 「あなたもでしょ瑠璃。……先生、すみません騒がしくて」 オートマタの子ども達。見覚えのある顔ぶれ。皆、メルヒオールに元気そうな笑みを向けてくる。 「……ま、相変わらずみたいだな」 やや沈んだ面持ちをしていたメルヒオールの口許も、僅かに笑む。 でもここで、ひとつの疑問が浮かぶ。 「……みんな、俺のこと覚えてるよな? なんでイーリスだけ――」 記憶回路の故障? 何か異常があって、リセットされてしまったのだろうか。 表情を曇らせるメルヒオールの反応を見ると、子ども達は視線を交し合い、苦笑いを浮かべて。 「あー。違いますよ、ただの反抗期なだけです」 「あ?」 「先生、実は……」 マヤの言葉が示す意味をすぐには理解できず、首を傾げる。するとジングが戸惑いがちに、イーリスのことについて話し始めたのだった。 † ……事情は把握した。 メルヒオールはとにかく、他のオートマタの子たちの協力も仰いで、自分をあからさまに避け続けるイーリスと何とか話をしようと試みた。そして今、応接間にはメルヒオールとイーリスの二人しかいない。 「あー。うん。えーっとな……」 「お話がないようでしたら、失礼致します」 「待て、イーリス。おい……」 あくまでにこやかに笑みながら。イーリスは席を立ってお行儀良く頭を下げ、すたすたと出て行こうとする。 仕方がない、とメルヒオールは面倒くさそうに嘆息する。開け放たれた扉を指すように指を立て、見えない糸を引くみたいに指をくいっと曲げた。誰も手の触れていなかった扉が、イーリスの退室を拒むかのようにバタンと閉まる。 面倒な呪文も魔法陣も、媒体となる物質も必要なくできる、ちょっとした魔法のひとつ。念ずるだけで物体を動かす力。種も仕掛けもない手品みたいな力。 それによってかたく閉ざされた扉は、イーリスがドアノブを何度回しても、押しても引いても、開くことはない。オートマタの怪力があれば扉を破るくらいは難しくないのだろうけれど。 「おまえは乱暴に見えて、物は大切にするからな。まさか扉を蹴破ったりしないだろ?」 「……私のことを何故、ご存知なのですか?」 「はぁ……ジングとかから話は聞いたよ。おまえ、何のつもりだよ……最初はびっくりしたんだぞ。まさかイーリスだけ何かあって、記憶が飛んじまったのかと」 ばりばりと無造作に後頭部を掻きむしりながら、呆れた様子で溜息をひとつ。 すると、扉の前で立ちつくし背中を向けていたイーリスの両手は、拳を作ってわなわなと震え始める。 「……そうなれば、楽だったのに」 「ん? 今なんて……」 「先生のこと忘れちゃえば楽だったのにって、言ったのよ!」 掻き消えるような呟きの後、泣き叫ぶように声を張り上げる。メルヒオールは思わず耳の穴に指を突っ込むが、如何せん左手だけでは両方の耳を塞ぐことはできないため、効果は薄い。 イーリスはくるりと翻ると、ソファーに座ったままのメルヒオールの前までずかずかとやってくる。そして無造作に殴りかかってくる。 「いてっ、おいやめろよ。これでも一応、俺はおまえの教師――」 「教師、教師って言うけれど、ただの反面教師じゃない!」 「う――」 メルヒオールの心に、言葉の暴力がナイフとなって遠慮なく突き刺さった。何も言い返せない。実際、世話になってばかりだったのだ。メルヒオールの顔が苦そうに歪む。 イーリスは腰に手をあて、まくし立てるように次々と言葉を放つ。 「勉強になることなんて一つもなかったわよ。いつも間抜けでとろくさくてぼんやりしてて。不潔でお風呂に入るのも忘れるし、食べたら食器も片さないで食べっ放しだし、よくこぼすし。ひとの気持ちなんて何も考えてないんだから、お世話するのだって大変なんだからね! まったく、今は新しい子だって来てて、そのお世話で大変だし、ミオとベルは相変わらずだし、ジングははっきりしないし、瑠璃は本のことしか頭に無いし、マヤは与えられたこと以外は絶対に手伝ってくれないし――」 「最後のは俺と関係な――」 「うるさい!」 イーリスは両方の拳を使い、何度も何度も彼に拳を振り下ろしてくる。 「先生なんか大嫌い、先生なんかいなくていい、先生なんか思い出したくなかった! 先生がいなくなって楽になったって思ってたのに、そしたら失敗ばかりするし、寂しくて何も手がつかないし、ミオには馬鹿にされるし、マヤは呆れた目で見てくるし、ジングは下手な慰め方しかできないし」 「いて、いてぇ! やめろっておい」 「だから忘れようとしたの、だから忘れたふりしてたの! でもようやく慣れてきたと思ったら、事前の連絡もなしにひょっこり帰ってきてさ、何よもうぜんぶ台無し!」 「いででで髪引っ張るな、服引っ張るな、ほおほひっはふあ!」 「ほんとは会いたかった、お別れなんてしたくなかった!」 身体をかばうメルヒオールの左腕が、ほんのりと赤くなるくらいに。癇癪を起こした子どものように。何度も何度も、少女は教師を叩いて叩いて、毛をむしるように引っ張って、憎らしく頬をつねって、猫のように指でひっかいて。 やがてその勢いが、急速にしぼむ。彼女の声音も、弱々しくトーンが落ちていって、震えて。肩を落とし、えぐえぐと嗚咽をもらす。 「ひっく……どうしてくれるのよ。ぜんぶ先生のせい。みんな先生が悪い……! 私、もうめちゃくちゃ。えぐっ……何もできなくなっちゃった。どうすればいいか分かんないんだから、もう……どうにかしてよ、せんせ……どうすればいいの、私。せんせぇ……うわぁぁぁぁん!」 メルヒオールが腰掛けるソファーの前で。敷かれた絨毯の上へ、脱力したようにぺたんと腰を落とす。 見た目不相応に、赤ん坊みたいな大声をあげて。大声で泣く。泣く。泣く。人間のそれより大粒の雫が、目元からぽろりぽろりと零れて伝って滴って。 (まいったな、こいつは……) こうまでに、派手に泣き叫ぶような子どもの相手などしたことは無く。泣き喚く彼女の痛々しい表情を避けるように、顔をそらしながら。どうしたものかと、けだるげに息を洩らした。 ――彼女の慟哭がおさまるまで、居心地が悪そうにしながらも、彼は待ち。 「はぁ、そろそろいいか。イーリス、支度しろ」 「え……」 「屋敷の仕事は他の連中に任せちまえ。今日は出かけるぞ」 「ひっく……出かけるって……えぐっ、どこに……」 「おまえの好きなとこ」 メルヒオールは、億劫そうにソファーから腰を上げる。お尻をついて座ったままの、涙に濡れてる彼女を見下ろして。また溜息をついて。 「今日はまる一日、おまえに付き合ってやる。だからほら泣きやめ。分かったらさっさと支度を……」 「先生、ありがとぉぉぉ!」 「うごふぁ!」 万力で締め上げられるかのような凄まじい圧力が、彼の胸と背中を圧迫した。すなわち、嬉々とした顔でばっと立ち上がったイーリスに、思いっきり抱きつかれていた。 † その後、まる一日をかけて二人は、コルロディ島の主だった場所を出かけて回った。 帰宅すれば、もうとっくに日は暮れて夜になって。オートマタ達のその日のメンテナンスを済ませて、あとはもう眠るだけになっていた。 ――のだけれど。 「で、なんで俺の部屋にいるんだよ。おまえには、高度な演算装置と整備用の機械装置が詰め込まれた、メンテナンス・ポッドっていう特等席があるだろ……」 「今日一日、私に付き合ってくれるって言ったじゃない」
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