ディーナ・ティモネンがそのアクセサリーショップに立ち寄ったのは偶然だった。 きらめく色彩の洪水に、思わず息を呑む。 小さな店舗には、さまざまな世界から仕入れた宝石が陳列されている。ブルーインプルーの深い海のしずくを結晶にしたような、サンタマリア・アクアマリン。ヴォロスの森の奥に咲く花のように、藤色の彩りを持つ大粒のサファィア。くっきりとした星の輝きを放つ深紅のスタールビー。虹色のファイアを見せるスフェーンと透明度の高いエメラルド・キャッツアイは、壱番世界のものだろうか。 あまりの眩しさにサングラスをかけ直したとき、女店主が声をかけてきた。 「いらっしゃい。誰かへのプレゼント?」 「……え?」 「ぶしつけでごめんなさいね。ご自分のためにアクセサリーを買うようには、見えなかったものだから」 答えあぐねているディーナに、店主はそう微笑む。 こっくん、と、ディーナは頷いた。そして、きらびやかな宝石ではなく、シンプルなブレスレットが並ぶ一角で立ち止まる。その仕草に、店主は何かを察したようだった。 「石つきではない、普段使いのブレスがいいのかしら? それならシルバーの、細身のデザインで」 銀のブレスレットがガラスケースから出され、デザイン違いのものが、いくつも並べられる。 「シルバー、は、嫌い……」 「あら、なぜ?」 「……変色するから。変わってしまうものは、いや」 † † † 硫化して黒く変化してしまう《銀》は苦手。悲しくなる。 ひとは変わるものだと言われているようで。 心変わりが当たり前と言われているようで。 だから私は、プラチナのブレスレットを選んだ。 † † † その日、ディーナは朝から張り切っていた。 以前、クリスタル・パレスを訪れたさい、営業日のランチタイムに、シオンの外出許可を得たのである。 (シオンくん……。今度公園で、ランチしない?) (おおおおっ、きたきたきたぁぁああー! そっりゃあもう、ディーナ姉さんが誘ってくれるんならふたつ返事でOKに決まってるじゃんか) (いつが、いいかな?) (いつでも! 明日でも明後日でも。ディーナ姉さんの都合に合わせるよ) (……お弁当、作っていくね) (マジ? いいの?) (何か、リクエストあったら、言って……? 味の品評、して欲しいの。私……、いつか、お店で料理、作りたい) (なーる。実験台だな納得! そういうわけなんで、そんときは中抜けしていいよね店長?) ――何を、作ろうか。 ひとしきり悩んでから、取りかかる。 冷めても美味しいもの? でも、保温容器に入れておいて、温かく食べられるものもいい。 そうだ、いっそ、両方持って行こう。 ホットサンドはベーコンとレタスとトマトのオーソドックスなものと、柔らかいアボガドと豚肉をはさんだものを用意して。温野菜のサラダは、じゃがいも、にんじん、ズッキーニ、アスパラガス、ブロッコリー、カリフラワーを茹でて、オリーブオイルとワインビネガーで味を整えて。 シオンくんは紅茶派だっけ? 今日はティーバックで我慢してもらおう。 チキンバー……は、敬遠されちゃうかな? じゃあ、お豆腐を使ったふわふわのチキンナゲット風にしよう。 上等のガーリックバターを使ったガーリックトーストと、ディップ用のトマトのみじん切りとレバーペーストと、リクエストされた魚介のマリネと―― 全部用意したら、バスケット2つになっちゃうけれど。 おまけにマットを背負うと、ピクニックっていうより、サバイバルな感じになっちゃうけど。 身支度に手間取って、少し、出遅れた。 公園についたとき、シオンはもう来ていて、シラサギのすがたで、ベンチの上で羽根を広げていた。 虫干しだか日なたぼっこだか、待ち時間をそういう趣旨で過ごしていたらしい。 「ごめんなさい……、シオンくん。待った?」 「いやぁ全然。今来たばかり……、って、ディーナ姉さんッ……!」 いつもの有翼人の形態を取ったシオンは、ディーナの大荷物を見て目を見張る。 「今日のテーマ、おれてっきり、『ディーナ姉さんと公園でピクニック。手作りランチを食べさせてもらうんだぜヒャッホー!』だと思ってたんだけど」 あたりを伺い、シオンは声をひそめる。 「もしかして、もっとディープな企画だった?」 「ディープ……?」 「夜逃げとか。いや、おれはかまわないけどさ、どこへ逃げるにしても戦闘力ないんで足手まといかなって」 「違う……よ?」 「じゃあキャンプしながら戦闘訓練か。そっちも自信ないなぁ。ディーナ姉さんに一方的に守ってもらうことになっちまう」 「それも、違う……」 ディーナはしょんぼり肩を落とす。 夜逃げやら戦闘訓練やらに間違われてしまったというのもあるが、そもそも両手がふさがっていては、手を握るとかそういうシチュエーションは限りなく不可能ではないか。 「重いだろ? 荷物持つよ」 そういってシオンが抱えたのは、背中にしょったマットのほうだったので、なおさらである。 あそこで食べよ、と、ディーナは大振りの枝を伸ばす樹木の根元を指さした。 マットを敷き、バスケットを広げるなり、シオンは目を輝かせる。 「すげー。ゴージャスじゃん」 ディーナが驚くほどの勢いで料理を平らげていくシオンに、ディーナはおずおずとメモとペンを用意する。感想を書き留めて、今後の参考にしようと思ったのだ。 「……どう、かな?」 「うん! 美味い!」 「……どんな、ふうに?」 「とにかく美味い!」 「……他には?」 「ホットサンドもサラダもマリネもガーリックトーストもばっちり!」 「こうしたほうがいい、とか……、は?」 「あ? うん。そうだなー、温野菜のサラダはバジルを加えてもいけるかな。魚介のマリネは、バルサミコソースを使うのもいいかも」 「……ありがと。すごく参考になる」 真剣にメモを取るディーナの横顔を、シオンはしみじみと見つめる。 「ディーナ姉さんて、たしか酒呑みだよな?」 「あまり強くない……、けど」 「おれの経験則からいくと、酒呑みって酒の肴になる料理作るの、自然と上手くなるみたいだ」 「そう……? シオンくんも?」 「いやいやいや、おれ一応未成年なんで! ともかくこのレベルだと、すぐにでも店ひらけるよ。おれが保証する」 「ほんと? ありがとう」 「あはは、その台詞はおれのほうだって。美味いランチのお礼に、何かお返ししなきゃな。何がいい?」 「……お礼?」 ディーナは少し口ごもる。 ――そして。 「じゃ、ハグさせて」 「えっ」 問答無用。 ディーナの俊敏さに、シオンがかなうはずもない。 次の瞬間、人目をはばからぬラブシーンにしか見えない光景が、公園を行き交う人々の目前で展開された。 シオンはすっかり固まっていて、両手をどうしてよいのやら、わきわきさせている。 「ええとですね、ディーナ姉さん。すごくうれしいんだけども」 「……ごめん。シオンくん、迫られ慣れてると思って。お姉さんキラーだし」 「おれ、こう見えて純情なんですよ」 「シオンくんの羽根、お日様の匂いがする」 「はは。さっき虫干ししたばっかだから」 ……たぶん、困っている。困らせている。 だけど振りほどいたりはしない。シオンくんは、迷いの森で助けを求める女性が誰であれ、決して拒絶したりはしない。 それが私でも、私でなくても。 「……ねえ。誰かが喜んでくれるなら。料理食べて、笑ってくれるなら。……生きてて、いいよね? 私、生きてること、許して貰えるよね?」 ――シオンくんは……、許してくれるよね? 「許すも許さないも、ディーナ姉さんはそのままでいいんだよ。思うように生きていいんだよ。……おれさあ」 「……?」 「ディーナ姉さんが思ってくれてるような、いいやつじゃないんだ」 「どうして?」 「約束を破って、友だちを酷く傷つけたことがあってさ」 † † † 一緒にいてくれるって、言ったじゃないか。 「トリ」であることをやめて、「ヒト」になるって約束したじゃないか。 彼はそう言ったけれど、おれは気づいてしまった。 翼を落としても、「ヒト」にはなれないことに。 ただの籠の鳥に、なってしまうことに。 だからおれは、土壇場で逃げ出した。すべての約束を反古にして。 翼を切り落とされる、その直前に。 そのとき、友人であったはずの彼は言った。 ――もういい。 もう知らない。 おまえなんか、いらない。 † † † 「これ……。プレゼント。今日はありがとう」 シオンの手首に、ディーナはプラチナのブレスレットをおさめる。 そして、背を向ける。 「『レディ・ビクトリア』の店主さんが、言ってた……。昔、プラチナは、銀と間違えられて、だけど……、銀のように溶かしたり、加工したりすることはできなくて……。捨てられてしまったことが、あったって」 曲げられない。 思い通りにならない。 そして廃棄された、大量のプラチナ。 だから、あげる。 変われないきみに、これを。 「……お仕事、がんばって?」 いつ思い出して眺めても、何も変わっていないように。 変われないきみが、私を思い出すときに、何の負担もかけないように。
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