ある日、最新のゲームを取り入れた壺中天に暴霊が発生し、ロストナンバー達が派遣された。そして、彼らによってトラブルは取り除かれた。 ……いや、その筈、だったのだが……。 ツーリストのシルバー・テイルが、行方不明になった。件の壺中天での事件に派遣された1人だったのだが、その後も時折そのサイトへアクセスしていたようだ。その末の失踪で、部屋に残されたのはこう書かれた一枚のメモだけだった。 ――私はついに、故郷へと至る道を見つけた。 彼は前から『故郷である世界に再帰属したい』と考えており、その方法を探していた。それは、多くのロストナンバー達が知っていた事だった。 そんな彼が依頼でもないのに他世界へ足を運び、なかなか戻ってこない事は多々あった。 彼を知る人物たちは初めのうち、「いつものことだ」と気にしなかった。が、いつしか、このような噂が流れていた。 ――彼は再帰属したらしい。 ――そのサイトへアクセスすれば故郷に戻る事ができるらしい。(……そんな事が、可能なのか? ) 僅かな期待を持ったメルヒオールが『元の世界に戻りたい』と願う仲間とその壺中天の話をしていた時。1人の世界司書が姿を現した。雄牛を思わせるような角を持つ、金髪の男性だった。彼は『導きの書』を片手にメルヒオールを呼び止める。「君たち、今からインヤンガイへ行くのか? 」「ああ、そのつもりだけど……」 そういう彼に、世界司書は「渡りに舟、だな」と小さく呟くと集まった人数を数える。そして、徐に『導きの書』を開いた。「ついでにと言ってはなんだが、君たちに頼みたい事がある。過去に調査したサイトへ赴いたまま戻らないツーリストを、連れ戻してもらいたい」 世界司書が語った事は、メルヒオールが聞いた噂とほぼ一致していた。しかし、世界司書の口から、淡い期待が破られる事になる。「……残念だが、故郷へ戻れる訳ではない。望郷の念が強すぎるがあまり、そのツーリストはサイトから抜け出せなくなっているだけなんだ。 過去にも似たような事があったんだが、どうやら、再発したって感じかな」「その過去に起こった事は、どんな事だったんだ? 」 メルヒオールが問いかけると、世界司書は溜め息混じりにロストナンバー達を見る。「故郷に戻りたい、という老婆がサイトから出られなくなった。その時は、ロストナンバー達の手によって解決した……筈だった。 が、シルバーの思いに反応して……という訳だ。ったく、厄介な事になった物だ」 『導きの書』を捲りながら、世界司書がもう一度溜め息を着く。故郷へ戻りたい、と思うロストナンバーが居る事を知りながら、なんとか出来ない自分に苛々しているようだった。 が、今の状態では何も出来ない。世界司書はゆっくりとメルヒオール達を見、もう一度口を開いた。「今回は、その老婆の1件より性質が悪い。前回は老婆に縋る暴霊を倒せば全て解決したが、今回はそうも行かなくてね……」 参考資料としてその事件についてのレジュメを渡し、彼は溜め息をついた。 今回赴くサイトは、一種のバーチャル都市。そのアトラクションの一部として、『自分の記憶から故郷と似た街を探し、そこへ移動させる』という汽車があった。 本来ならば、自由自在に行き来できるはずなのだが……。「今回は移動したエリアが暴霊によって支配されている。その親玉は、シルバーの記憶に導き出された『故郷もどき』エリアにいる」 汽車に乗った時、記憶を基に『非常に似たエリア』へと移動するという。が、その記憶によっては『自分の都合に良いように』歪ませている。その『記憶の歪み』を指摘する事が出来れば、別のエリアへ移動できる。 一度でもはっきりと『歪み』を口に出したり、強く認識さえすれば自由になれる、という。「逆を言えば、『歪み』を見て見ぬフリしつづける限りエリアを移動できないって寸法だね」 自分の『故郷もどき』エリアから出る事が出来た場合、特に行き先を決めていないとターミナルへと移転する。そこからシルバーの『故郷もどき』エリアへ向かうなら、彼の名前を言うだけで事足りる。汽車がそこまで運んでくれるからだ。「自分のエリアからシルバーのエリアへも移動可能だ。どっちがいいかは君たちに任せる」 『導きの書』を捲りながら世界司書はいい、一同は顔を見合わせる。「故郷へ戻りたい、という思いが強い者には厳しい状態になっていると思う。しかし、君たちなら大丈夫だ、と信じているよ」 世界司書は真剣な眼差しでメルヒオール達を見る。そして、静かに言いきった。「精神論だけじゃない。正しい記憶が、勝利の鍵だ。しばし望郷の念に流されるのもいいだろうが、『歪み』を見失うほど、その記憶は脆くないだろう? ただ、シルバーの場合は記憶の歪みを『見て見ぬフリ』している。奴に正しい記憶を思い出させる為に説得して欲しいが、同時に暴霊が邪魔してくる」 暴霊は、はっきり言って弱い。もし、シルバーが『歪み』を見、正しい記憶をはっきりと自覚させた途端に消えるだろう。しかし、そうさせない為に、彼の妻の姿を取っている、という。「彼女は白銀の長い髪と、黒い目、青いチャイナドレスが目印だ。彼女とシルバーをいかに離すかも考えたほうがいいだろう」 そういうと、世界司書は『導きの書』を閉ざし、「彼を頼む」と、メルヒオール達に頭を下げた。 ――インヤンガイ・某街区。 シルバーの体は、元ロストナンバーだった探偵によって保護されていた。話によると、彼女の知人がやっていた『壺中天屋』の常連であったという。今も眠り続けるシルバーの体は、少し痩せたように思えた。「まだ生きているよ。辛うじて……って所だけど。でも、タイムリミットはあと1日。耐え切れるか分らない」 彼女はそういうと、眠り続けるロストナンバーを心配そうに見つめた。 メルヒオール達は貸しきられた『壺中天屋』の中、意を決してそのサイトへと赴く。その先に何が待っているのかは……彼らの『記憶』次第であった。 ――仮想空間内。 青い空の下、石造りの家々が建ち並ぶその小さな村で、男はヤギの乳と茶葉、香辛料をつかったお茶を飲んでいた。子供たちがヤギと遊び、老人たちはタバコをふかしながら碁を打っている。 その和やかな風景に瞳を細めながら、彼は内心で何かが違う、と思いながらも、それを無視して揚げ菓子に手を伸ばす。傍らではほっそりとした女性が糸を紡いでいた。「お前も、少しは休んだらどうだ?」「いえ、もう少しで終りますから」 女性はそういいながら糸を紡ぎ続ける。そして、愛しそうな目で……それでいて、どこか狂気とも、悲しみとも言える目で、男を見つめていた。「長旅でお疲れでしょう、あなた。ゆっくり休んでいてくださいね」 彼女の声に、男はああ、と返事を返す。そして、澄み切った空を見て僅かに首をかしげた。何かが足りないが、それを思い出すことが出来ない。けれど、それでもいい、と思った脳裏に、鷹が閃き……消えた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>メルヒオール(cadf8794)白燐(cxfa3759)一一 一(cexe9619)夕篠 真千流(casw8398)
起:『帰郷』という名の『微睡み』 ガタンガタン、ガタンガタン……。 ぼんやりと、風景を眺めていた夕篠 真千流は我に返り……息を飲んだ。 (あれ? みんなは?) さっきまで、仲間と共にここにいた。その筈だったのだが、他の仲間の姿は無い。これは一体、どう言う事だろうか? (ここは、仮想都市。そして、わたし達はシルバー・テイルというツーリストを救出する為に壺中天を使って) そこまで思い出し、真千流はまた、頭がぼんやりしていくのを感じた。汽車には、自分しかいない。まるで同じ場所をぐるぐると回っているように、風景はずっと同じものが続いていく。 (怖い) 真千流は、自然と自分を抱きしめた。そして、脳裏に故郷の事が過ぎった。けれど、彼女は胸に沸き起こる思いを抑え切れなかった。 確かに、故郷である世界には戻りたい。その思いと、たとえ幻であっても戻ってしまったら大切過ぎて、泣きだして蹲り立てなくなってしまう場所だからこそ『怖い』、という想いが混じっていた。 (今の自分が、壊れてしまうかもしれない) 突然覚醒し、世界から放り出された彼女は右も左も分からぬまま、ターミナルへとやってきた。帰り方も分からず、どうにかこうにか虚勢を張って、がんばって生きている。 まるで、張り詰めた糸のような心だからこそ、それが切れてしまうのではないか。それが、彼女は怖かった。 (どうしても自分の故郷を通らなければならないのかしら?) そんな事を思っているうちに、頭が痛くなってきた。真千流はくらくらする頭の中で、何処からともなく聞こえる汽笛に耳を傾けていた。 (……今日は仕事が速く片付いてよかった) 白燐は、普段下げている顔布を上げ、軽く息を付きつつ道を歩いていた。鉱山を内包する、西都の統治者といっても等しい立場である彼は、日頃公務で忙しいもののたまに仕事が早く終わる。そんな日は、決まって向かう場所があった。 (おっと) 何故か早く行きたくて急いだが、結晶柱にぶつかりそうになった。辻の至る所にある、銀の結晶柱は尖っているものの、ぶつかっても刺さる事はない。そう分かっていても少し冷やりとしてしまい、苦笑した。 やがて見えてきた詰め所。そこで見張りをしていた若者が、笑顔で彼を出迎える。 「あ、白燐様! 隊長なら奥ですよ」 ありがとう、と言って中へ入ると奥から1人の若い娘が駆けてくる。ふわり、と項で揺った白い髪を揺らし、柔らかな笑顔で彼女は白燐に笑いかける。 「兄様、お待ちしておりました」 そう言って、妹の美智が一礼する。彼女はやんわりと微笑むと、耳元で 「今日は、先日約束しておりました、あの茶店へ参りましょう?」 と、愛らしい声で言う。それに白燐は小さく微笑んで手を伸ばした。仕事の合間に妹とこうしてお茶を飲む事が、彼にとっては小さな安らぎであった。 ……が、白燐は、少しだけ違和感を覚えた。自分はなにか大切な事を忘れているのではないか、と。 (なんだったかな。 仕事の事か?) あれでもない、これでもない、と考えていると美智が服の裾を引っ張ってくる。それに苦笑しながらも、彼は妹と共に街へと繰り出すのであった。 「うふふ、毎日こうであればよろしいのに。ねぇ、兄様」 「そうだな……、わっ?!」 美智の言葉に微笑んでいると、腕に軟らかい感触がした。白燐の腕に抱きついた美智は嬉しそうに微笑みながら、薄っすらと頬を朱に染める。そんな仕草を愛しく思いつつも、白燐の脳裏には疑問が浮んでいた。 キラキラと、朝のまぶしい光が差し込んでくる。それに目が眩み、一一 一はぎゅっ、と目を閉ざす。 (うぅん。あと、5分……) 眠たくて、眠たくて仕方が無いのだが、けたたましく目覚まし時計のベルがなる。それをベッドの中から引っつかみ、止めて、戻そうとした。が…… 「あっ、タイマーのセット間違えた?!」 時計が指した時間に息を飲み、一は大慌てで身支度を整えた。朝食にこんがり焼いてバターを塗ったトーストに、目玉焼きをのせた物を食べながら、「いってきまーすっ!」と家を飛び出し、一生懸命学校まで走る。 「一! 今日も飛ばすねぇ! 」 そんな事をいいながら自転車で追い抜いて行くクラスメイトに負けじと、一もダッシュ! どうにかこうにか、担任の先生が来る前に教室へ入る事ができた。 「よかった。2日連続で遅刻しなくて」 ぜいぜい言いながら机に突っ伏していると、隣の席の子がお茶をくれた。それを咽喉へ流し込んでいると、担任の教師が来ておもわず吹きそうになる。 あわててお茶を返し、号令に合わせて起立する。そんな平凡な一日の片隅で、一は急に首をかしげた。なにか、何かが間違っているような気がしたのだ。最初は教科書でも忘れたのか、と思い鞄を漁ったものの、今日の授業の分は忘れてはいなかった。 気のせいか、と安堵した一は、一時間目の教科である化学の授業を受ける為に仲間と理科実験室へと向かうのであった。 (でも……何か、私はしなくちゃいけなかった気がする) 妙な焦りが、一の胸に沸き起こる。妙な苦味が、彼女の舌を刺激する。急に立ち止まる彼女を不思議に思い、クラスメイトたちが心配する。 「一ちゃん、早く行こうよ」 「そ、そうだね!」 一は1つ頷き、クラスメイトの後を追った。 メルヒオールはふぅ、と小さく溜め息を付いた。机の上にあるのは、採点されたテスト。しかし、結果はあまり芳しくない。 (おい。これ、全員補習行きじゃねぇか?! あのアヌシュカもギリギリで補習行きって何だ!?) 惨憺たる結果のテストを抱え、彼はもう一度盛大に溜め息を付く。補習をするとなれば、実験の時間を大幅に削られる事になる。 (ったく……) そう思いながら教室に向かう。と、目の前に自分と同じ黒髪の生徒が居た。一卵性双生児であるため、見分けが未だつかない。メルヒオールは少し考え、ややあって、思い切って答えを出す。 「クルス、か?」 「違うよ、先生。僕はアルスだよ」 と、へにゃり、と笑う。そして、アルスはメルヒオールの荷物を持とうと手伝いにやってきた、という。 「そういやぁ、お前は力持ちだったよな。小柄だけど」 「小柄なのは余計! 先生が遅いから、皆を代表して来たんだよ?」 アルスはそう言って、荷物を半分持ってくれた。教室へ向かう間、少年は双子の片割れの事やルカラが皆にカップケーキを作ってきた事などを話して聞かせる。それに相槌を打ちながらも、メルヒオールは『何か』に違和感を覚えていた。 教室に入ると、生徒たちが待っていた。アルスが荷物を机に置き、自分の席に戻る。メルヒオールは小さく溜め息を吐きながら、教室を見渡した。 「お前ら、覚悟しろ。この間のテストを返すが、先に言っておく。今日の放課後から全員補習授業だ」 その一言に教室が騒がしくなる。しょげたり、泣きそうになったり、ぶーぶー、文句を言ったり。それをどうにか納めながら、彼はテストを返しえていく。 「そこ、どうにかならないかなぁ」 「ならねぇよ」 長髪の少女、シュアの泣きそうな声につっこみを入れながら、メルヒオールはテストを返し始めた。 真千流が我に帰ると、そこは……実家の前だった。空は真っ暗で、恐らく夜遅くだろう。門の前で彼女は足を竦ませていた。 (どういう、こと?!) 彼女は、直接シルバーの故郷へと行くことを願った。しかし、1つの疑問が、彼女の故郷を模した場所へと運んだらしい。ふと、窓を見ると、人影が見える。 (あれは……お父さんとお母さん?) 胸に、懐かしい想いがこみ上げる。今にも玄関へ走り寄りたい気持ちに駆られた真千流であったが、動かなかった。 ――足が、にわかでくっついたように、全く動かなかったのである。 (どう、して?) 真千流が首をかしげていると、どこか遠くで汽笛が鳴った。 承:『答え』は自分の中に 街の賑やかな様子に、白燐は安堵を覚えながら、妹の美智を連れて歩いていく。流石に人通りの多い大通りでは甘えた仕草を見せず、しゃんとした仕草を見せる。 「こっちです」 「お、ここか」 美智に連れられて入った茶屋は質素ではあったが、とてもいい香りがした。奥の席へ座り、二人は適当に甘味を頼む。 暫くするとお茶が運ばれてきた。それを飲みながら街を見つめる白燐は、ちらり、と妹を見た。美智はいまも穏やかな笑みでおしながきを見ている。 (何かが、何かが違う) 白燐は、美智と街を歩いているうちに、『これが偽りのものである』事を思い出していた。しかし、その『歪み』を見つけられずにいる。それは『妹』にある所まではなんとか思い出せるのだが、うまく思い出せない。 そんな事を考えているとは知らず、美智は運ばれてきた甘味に「わぁ♪」と年相応の反応をし、幸せそうにしている。 (こうしてみると、普通の女の子だな) 美智は降魔掃討部隊辛十二番隊の隊長を務めている。任務の時は引き締まった顔をみせているであろう。しかし、美味しそうに甘味を口にする姿を見ていると、魔物を相手に戦う姿が、かすんで見えるようだった。 「幸せですぅ。兄様も、いかがですか?」 そう、優しい笑顔を向けてくれる美智。しかし、何故だろう、白燐は、妹から『兄様』と呼ばれるたびに、違和感を募らせていく。 (何かが違う。こう、呼ばれると嬉しい反面) 胸の奥に痛みが走る。お茶を飲みながら考えていると、心配そうに覗き込む美智と目が合った。そして一つの言葉が脳裏を過ぎる。 ――その日まで、美智は……「兄」とは呼びません。 瞬間、白燐の耳が、汽笛を捉えた。お茶の味が舌から消える。そして、『本物の記憶』が奥底から湧き出てきた。 (そうだった。俺は……!) 白燐の妹、美智は彼が五行長の1人『白燐』へとなる前に1つの約束を交わしていた。それは、兄が退位するまで「兄」と呼ばない、と言う事だった。これは、白燐の『真名』を悟らせないようにする為。そして、美智が当代『白燐』の妹である事を悟らせないようにする為。 (俺は、元の世界に戻りたい。この布を渡す為にも。たった1人の妹のためにも。だから……) ――ここで止まっている場合ではない!! 授業が終わり、放課後を友達と過ごした一はハンバーガーショップで買ったポテトを食べながら帰路についていた。しかし、朝から沸いた疑問が頭を離れず、もやもやとした気持ちを抱えたままだった。 (一体、何を忘れているんだろ?) じれったい思いを抱えたまま、一は帰宅する。と、母親が夕食の用意をしていた。 「一、 悪いけどハンバーグを作るの、手伝ってくれるかしら?」 「はぁい」 着替えて台所へ行こうとした時、テレビでは丁度特撮のヒーローが、敵に捕まった子供達を助け出すシーンが移っていた。 (やっぱり、ヒーローってかっこいいなー) そんな事を思いながら、今日学校であった事を話しながら調理をしていく一。しかし、テレビのヒーローを見ているうちに、胸の中のもやもやが、1つの疑問へと変化していく。 ――自分は誰かを助ける為にここにいるのではないか? (ヒーロー物の見すぎかなぁ?) そう思いながら目を擦り、首を傾げる。そんな様子を不思議に思った母親は心配そうに一の顔を見る。 「ねぇ、一、大丈夫? 疲れているなら休んだほうがいいわよ」 「大丈夫。心配しないで! ね?」 一がそう笑いかけると、玄関の方から父親の声がする。お帰り、といって振り向いたとき、ヒーロー達の戦いもクライマックスに来ていた。そして、助け出された子供に、ヒーローが言う。 ――もう大丈夫。おうちに帰れるよ。よく、がんばったね。 (えっ?) その言葉を聞いた途端、一の脳裏に汽笛が響く。そして、彼女はある事を思い出した。それは、『今』の彼女がやらなければならない事。そして、ここに留まっていてはその“誰か”を助ける事は出来ない、という事。 (どうして、私は、ここにいるの? このままじゃ!) 確かに、元の世界には戻りたい。けれども、今のままでは、戻れない。そう、今のままでは……。寂しい思いもある。けれども、今の自分には、やらない事がある。それを思い出させたのは、彼女自身が抱く『正義感』であった。 夕暮れの自室。帰宅したメルヒオールは疲れながらも、充実感を覚えていた。補習授業はそれなりに楽しい。確かに、生徒達にいじられる事もあるが。 (まぁ、あいつらも次こそは) そう思いながら生徒の1人、ルカラが焼いてくれたカップケーキを紅茶と共にいただきつつ、研究の成果を纏めていた。 右手にペンを持ち、時折左手でカップを手にし紅茶を口にする。そんな動作を繰り返しつつ、ふと、手を止める。誰かに見られているような気がする。そして、頭の隅に引っ掛かる、1つの疑問。 (何か、忘れているような気がするんだよな) 首をかしげながらも、論文に精を出す。興味が赴くままに進む彼の周りには、本やら道具やらが散乱し、足の踏み場も無い。こんな姿を見たらまた生徒達にからかわれるであろう。そんな事を考えると、思わず苦笑してしまう。 (シュアが見たらきっと怒るだろな。あいつはきれい好きだし) 右手でわしゃわしゃと頭をかきながら、窓の外を見ると、太陽が沈みきろうとしていた。自然と窓を両手で開け、柔らかな風に目を細める。この穏やかな日常に包まれたまま、過ごしたい、と思うが、何かが、彼に『違和感』を訴え続けていた。そして、ふと、手を見る。 (ん?) そして、メルヒオールは1つの事に気付く。両手を見、はっ、とした。そして、恐る恐る右手をゆっくりと握ったり、開いたりを繰り返す。 (俺の右手……) ――俺の右手、いつ、元に戻ったんだ? 息を飲んだ途端、脳裏に聞こえる汽笛。そして、自分の『現在の』右手を思い出す。魔女の呪いによって、右の上半身が石化していたはずだった。そして今の自分は……。 「今の自分は、何もしていない。……だのに、元の戻るはずが」 口惜しそうに呟くメルヒオールの目の端に、紅い何かが映った。そして、場所が変わる。自室にいたはずの彼は教室に立っており、その隅では魔女が、彼の右上半身を石に変えた『石の魔女』が悪戯な笑みを浮かべていた。 家の前で固まったまま、真千流は全く動く事が出来なかった。背中には冷たい汗が浮かび、鼓動は高鳴る。窓の傍には両親の影が映っており、今声を掛ければきっと良心はこたえてくれるだろう、という確信が彼女にはあった。しかし。 (怖い) 彼女は、酷く脅えていた。もし、両親が来ても今手にしている刀で切りつけてしまうかもしれない。そんな、予感がする。今、声を出したら両親に会える。両親は自分を笑顔で出迎え、抱きしめてくれるだろう。そう、思う。けれども、それでも、怖かった。 (斬り付けてしまう。きっと、私は) 声が出ない。胸が痛いほど鼓動の高鳴りが収まらない。妙に咽喉が渇き、思わず唾を飲み込む。そして、奇妙な焦りが湧き出た時、彼女は1つの事を悟った。 ――今のわたしは、過去のわたしと、違う! 虚空を切り付けそうになり、必死に止める。そして、一番の違いが自分自身であることを自覚した。ロストナンバーとなり、ディスポラ現象で飛ばされてどれだけ経っただろうか? その時間が、『彼女』という存在を変えてしまっていた。 嘗て故郷に居た頃の自分と、今の自分は違う。だから、このまま故郷に戻っても、恐らく馴染めないだろう。そんな事を思うと寂しさが胸にこみ上げてきた。 (こんなにも……) 鼓動が、落ち着いていく。それと共に目頭が熱くなる。歯を食いしばり、刀を抱きしめてその場に蹲る。真千流は歯を食いしばり、決して声が漏れないように、蹲って泣いていた。それはまるで、幼子のようだった。 「兄様?」 不意に立ち上がった白燐に、美智が表情を強張らせる。しかし、白燐は首を振って妹に背を向けた。ここで立ち止まっている場合ではない。今の自分には、やらなければならないことがある。だから、妹にこれだけを告げる。 「きっと、戻る。それまで、健やかに待っていてほしい」 それだけを言うと、白燐は歩き出した。行く所はただ1つ。シルバー・テイルの故郷を模した空間だ。そこを目指し、彼は歩き続ける。 一は縋る両親に、一生懸命笑って見せた。本当は泣きたい。もっと両親の傍にいたい。けれども一にはやらなければならない事がある。誰かの助けになる為に、自分はまだ折れる訳にはいかない。だから、彼女は笑う。ヒーローは、笑うものなのだ。 「お願い……。もう、行かないで」 泣きながら両親は引きとめようとするも、一はにっこりと笑って頭を下げる。自分は行かなくてはならない。シルバーを助ける為に。 「お父さん、お母さん、心配かけてごめんなさい。いつか絶対帰るから、それまで待ってて」 ――今はまだ、ちょっとだけ……ヒーローでいさせて。 メルヒオールが顔を上げると、『石の魔女』がにこり、と哂っている。そして瞳が、蠱惑的な艶やかさを湛える唇が、彼にそっとこう告げる。 「こんな所で、立ち止まっているつもりかしら? ねぇ、メルヒオール」 「ああ、そうだ。……行かなきゃな」 彼女の言葉に、メルヒオールは苦笑する。気付いた時、右上半身は石になり、固まっていた。その冷たさ、硬さ、重さ……。それを実感しつつ、彼は魔女に背を向ける。 「俺には、やるべき事が残っている。それを片付けない限り……日常には帰れない」 彼女と対峙するため、そして、生徒たちの元に帰る為に。日常を取り戻す為に。メルヒオールは教室を後にし、二度と振り返らなかった。 真千流が再び立ち上がったとき、家の明かりは消えていた。彼女は小さく微笑むと玄関に背を向けて、歩き始めた。 (……今のままでは、帰れない) その真実が彼女の胸を締め付ける。けれども、やるべき事を思い出した今、その痛みも軽いものになっていた。今の自分が向かう場所は、1つしかない。もう、他の皆は着いているだろうか? 顔を上げる。と、そこには満天の星空が広がっていた。そして、やがて漆黒の、何も無い世界が広がる。それでも歩き続けた時、突き抜けるような蒼い空が広がっていた。 4人のロストナンバー達は、それぞれの『歪んだ記憶』から抜け出る事に成功した。そして、全員そろって『シルバー・テイルの記憶』へと足を踏み入れる事が出来たのだった。 転:繭たる世界へ 「漸く、か」 メルヒオールが全員の無事を確認し、早速全員でシルバーの居場所を探す事にした。司書の情報を元に探すも、同じような家ばかりで見分けがつかない。 涼しい風に吹かれたまま、4人は辺りを見渡す。石作りの家が並ぶ、山奥の寒村といった雰囲気のそこには、壱番世界でいえば中国の古風な衣服を纏う人々が暮らしていた。 空は青々と澄み切っていた。雲ひとつ無い。風が木々を揺らし、爽やかな音を立てる。しかし、それには何かが足りない。不思議に思ったメルヒオールはふと、空を見上げる。 「何処にシルバーはいるんだろう?」 「あ、あれ!」 傍らで白燐が辺りを見渡していると、一が彼の肩を叩いた。窓辺で1人の男性がうたた寝をしていた。銀髪が陽光を浴びてきらきら輝いている。その傍では青いチャイナ服を纏った黒い目の女性が、何かを口ずさみながら糸を紡いでいた。 「綺麗な歌……」 真千流が思わず呟いていると、男性が目を覚ます。顔を上げた彼は4人の姿を捉え、優しく笑いかけた。 「あなた、その人たちは?」 気付いたのか、女性が4人を怪しむような目でみつつ、男性に問う。銀色の瞳の男性、シルバー・テイルは小さく微笑んで首を振る。 「怖がる事はないよ。君の歌声に引かれたのだと思う。旅人さん達にとっては珍しいものだろうからね」 そう言って、彼は4人に入るように促す。4人に気付いた、という事は心のどこかではこの世界から出たいと思っているのかもしれない。 (問題は、あの暴霊と、正しい記憶) 簡単に挨拶を交わしている時、真千流はちらり、と女性を見た。チャイナ服はこの町の女性たちならば皆身に纏っていた。どうやら、違ったらしい。色々考えながら辺りを見渡す彼女に、シルバーの妻・シルクが声を掛けた。 「長旅でお疲れでしょう? お茶でも召し上がってください」 他の仲間たちとシルバーも既に席についていた。ただ、彼女だけがお茶の準備をしたり、お菓子を用意したりしている。真千流は礼を述べつつも、こう切り返してみた。 「よろしかったら、手伝わせてください」 「いえ、もう終りますから」 そう言って、彼女は人数分の菓子とお茶をテキパキと運ぶ。どうにかシルバーと引き離せないかと思ったが、ダメだったようだ。仕方なく、真千流は会釈して席につく。 その間にも一たちはシルバーと軽く会話をしながら様子を伺っていたのだが、シルクの視線が、妙に怖かった。 (しかし) メルヒオールは、話しながらもふと、考える。シルバーにとって、自分達の来訪自体が「違和感」になり得るのかもしれない、と。しかし、今の所シルバーの表情に異変はない。 (足りないのが家族ならば) 白燐は話しながら、家族の事について軽く触れつつ会話をしてみた。が、今の所子供も無く、2人だけで暮らしているという。ペットの線も考えたが、飼っている形跡がなかった。 彼の記憶の『歪』が何か。それが分らないままであったが、ふと、一が窓の外を見る。なにかが、足りないような気がして、何度もちらちらと外を見る。と、メルヒオールがぽつり、と口を開く。 「気付いたのか?」 その言葉に、一は小さく頷いた。 しばらくの間6人は穏やかにお茶とお菓子で談笑していた。しかし、こうしている間にも彼の体は衰弱しているのだ。 (どうにか、しなければ) 真千流は心配そうにシルバーを見た。彼が偽物と知った上でもこの世界で眠りたいと願うならばそれもいいかもしれない。しかし、騙されたまま眠るのは、違う。そう思うが故に、隙を探していた。が、こんな時にタイミングよくシルクが動く。 「そろそろ、続きをしなくては」 そう言いながら席を立ち、再び糸紡ぎを始めた。彼女はくるくると器用に糸車を回し、少しずつ綿から糸を紡いでいく。それを見た白燐は真千流に目配せし、早速行動をおこした。 白燐は純粋に糸紡ぎを見てみたかった。それもあり、シルクの作業する姿を傍で見ようと思った。 「糸を紡ぐのは、難しそうだな」 「いいえ、慣れると誰でも出来ますよ。この辺りの娘たちは幼い頃から練習をしているのです」 シルクがクスクスを笑いながら糸を紡ぐ。が、ちらちらと警戒するようにシルバー達の様子を伺う。しかし、白燐も負けては居ない。彼は興味を持ちあれこれシルクへと質問する。彼女は少し考えつつも白燐へ返答し、糸車に触らせたりした。 (これは……) そして、次に行動を起こしたのは好機と読んだ一だった。 過去に壱番世界への帰属を諦め、絶望から死んでしまった男が居た。その男とシルバーが、彼女には重なって見えたのだ。そして、シルバーは現実の故郷へ帰る事を諦め、偽物に妥協し間接的な死を選ぼうとしているのではないか、と。 「あ、そういえばシルバーさん」 「ん? なんだい?」 一は自然に問いかける。そしてちらり、と窓の外を見た。鳥が飛んでいそうなのに、空にはその影が無い。彼女はちらり、とメルヒオールを見る。彼が1つ頷くと、一はそっと、シルバーの目を見、口を開いた。 「この世界に鳥はいましたか?」 結:言葉よ記憶を揺り動かせ 「いませんよ」 一の言葉に、シルクがすぐさま答える。が、シルバーの表情は明らかに変わっていた。どこか焦っているような、戸惑っているような顔。先ほどまでのぼんやりした目ではなかった。 「何故、そんなに焦る?」 白燐の言葉を聞き流し、シルクは立ち上がって何処からとも無く木の実を取り出した。そして、一へと差し出そうとする。 「この実も美味しいんですよ。よかったら食べてください」 「ごめんなさい、のんびりもしていられないの」 真千流が間に入り、シルクの邪魔をする。その間にも一はシルバーへと歩み寄っていた。「鳥は……」 うろたえるように空を見、何かを探す。けれど、それはそこにない。明らかな焦りが、彼の顔に表れる。そんな彼に、メルヒオールは語りかける。 「耳を塞ぎ、目を閉じていれば、安穏かもしれない。が、本当の道を見失ってしまうぞ」 そう言いながらメルヒオールは意識を集中し、すっ、と指を回す。彼の指先から放たれた光は鷹となって飛び立ち、すうっ、と青い空に解けた。同時に、何かに反応したかのようにシルクがメルヒオールへ木の実を渡そうとし、白燐と真千流で遮る。 「邪魔しないで」 「そうも、いかない」 彼女の手を取り、白燐が首を振った。 その間にも、一はシルバーの胸倉を掴み、必死の思いで叫んでいた。どうしても、彼を助けたい。その一心で。 「諦めないで、妥協しないで、あなたを本当に待っている人が居る筈だから」 その叫びのままに手を、ぎゅっ、と握り締める。一の黒い瞳と、シルバーの銀の瞳が重なった。 「その人の為にも諦めないで、絶望しないで!」 「……きみは」 背伸びしながら、一生懸命叫んでいるうちに、シルバーの目に強い光が宿っていく。脳裏に過ぎる鷹の影に、一の言葉。そして、メルヒオール、白燐、真千流の姿が、彼の心と記憶を振わせる。 ここはお前のいるべき所じゃない、と言った上でメルヒオールが言葉を続ける。 「本当は分かってるんだろ、『ここじゃない』ということを、さ」 「!」 彼の言葉に、シルバーが目を見開く。その傍らで、邪魔をしようともがいていたシルクの体が透き通る。白燐と真千流の目の前で、音も無く霧散していく1つの影。シルバーが、完全に『歪』を認識した証拠であった。 「いつか絶対に帰れる日は来るはずだから、その日まで旅を続けよう」 だから、生きて、と。一が手に力を込める。彼女が放った言葉は、自分自身へ言い聞かせているようにも、周りの面々には思えた。そして、自分たちへの言葉にも。 シルクが、いや、暴霊が、消えかけた体で手を伸ばす。けれども、シルバーはちらり、と彼女を見ると一度だけ、首をふった。それを最後に、暴霊は完全に消え去った。 シルバーから手を離し、一が「ごめんなさい」と背を向ける。メルヒオール、白燐、真千流が様子を見ていると、シルバーが僅かに笑う。彼は4人に頭を下げる。 「……ありがとう。そして、迷惑をかけたな」 「いや」 白燐が首をふると、シルバーはそれでも言葉を紡ぐ。 「そこのお嬢さんのお陰で、目が覚めたよ」 そう言って、一の頭をがさつにわしゃわしゃと撫でる。どこか父親のような温かさを覚えた一は、少しだけ頬を赤く染めた。 4人はシルバーを伴って列車に乗った。現実の世界へ戻る為に。そして、いつの日か、故郷へ至る道を探し出すために。 (終)
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