壱番世界、東京某所。 聖エステル学院では、ひとつのジンクスが信じられていた。どこの学校にでもある内容のそれは昔からあったようだが、半年ほど前から新たな解釈が加わって、爆発的に学院内で広まることとなったのである。 第3カテドラル――聖堂に併設されている塔の上には大きな鐘がついていて、その鐘は午前8時と午後5時に鳴らされる。その鐘が鳴っている間に塔の横の樹の下で告白すれば、卒業まで付き合いが続く、というもの。期限付きなのは珍しいが、その方が逆に信憑性があるとは生徒たちの声。 まあ卒業とはいってもこの学校、中等部から大学までほぼエスカレーターである。中学生からしてみれば大学卒業までというのは長い。ゆえに中等部と高等部の境にあるこの場所は主に、永遠に近く感じる時間を求める中高生の姿がよく見られるのであった。 このジンクスが新たな解釈を加えて猛烈な広がりを見せたのは、一冊の本がきっかけだった。 この学校の卒業生が書いて寄贈したといわれているその本は、普通の文庫本のサイズで厚さは1cmほどのやや薄め。内容は中高生が読みやすい今時の文章で書かれていて、内容は男女ともに楽しめるものだ。極めつけは舞台がこの聖エステル学院であるということ。この学校に通っている学生や教師にしかわからない『あるある』ネタもあって、愛校心なんて堅苦しいものがなくても親しみやすい内容なのである。 簡単に読みやすい文章量、とっつきやすい舞台、誰でも楽しめる内容……口コミでその本の存在は広がり、今まで図書館を利用したことのなかった者達まで借りに訪れるほどだ。程なく続刊も入荷したが、あまりにも返却待ちの者が増えたため、図書委員会は同シリーズの貸し出しは一人1冊までという異例のルールを作らねばならなくなった。 今では、読んだことがないものはいても、この本の存在を知らぬものはいない。 この本――『リーヴル・サクリファイス』はサブタイトルを異にする事で続刊を続け、現在中高用の図書館に9巻までが各10冊ずつ収められている。1巻入荷から半年経った今も、書架にあるのを発見したら運がいいと言われるほどの人気だ。噂を聞いて大学からも借りに来る者がいるという。勿論、教師の中にも。 *-*-*「お、今日は早く開いてるんだな、ラッキー」「あ……」 司書の館山雪音(たてやま・ゆきね)が本日入荷の本の整理をしていると、図書館のカウンターに二人の男性が近づいてきた。私服であることから、大学生であると予測できる。高校生はまだ授業中で有るだろうし、中等部はまだ掃除かホームルームのはずだ。 通常、この学院の中高の図書館棟は生徒たちの活動時間に合わせて開かれるため、授業で使用する場合などを除けば朝と昼休み、そして放課後が開館時間となっている。それ以外は施錠され、職員室で鍵を借りなければ入ることはできない。雪音が放課後の開館をいつもより早くしたのは、数十分前にようやく本日入荷の本が届いたからである。「おねーさん、『リーヴル』の最新刊が今日入るって聞いたんだけどさー、俺たちに貸してよー」 カウンターに凭れ掛かるようにして馴れ馴れしく告げる大学生に、雪音は少しばかり表情を曇らせる。大学生は時間の融通がきくためこうして早く中高図書館へ来れるかもしれないが、本来ここを使用する権利を持つ中高生たちは、皆、ホームルームが終わるのを今か今かと待って、そして急いで図書館へと来るのだ。大学生が中高図書館を利用してはいけないという決まりはないけれど、モノが人気作だけに、なんだかずるい気がする。「お、これじゃね?」「ちょっと、待ってっ!」 きょろきょろとカウンターの奥を物色していたもう一人の大学生が、管理用のバーコードシールを貼り付けている途中だった本へと手を伸ばす。「勝手にカウンターの奥に入るなんて、マナー違反よ!」「んな硬いこと言うなよー」 雪音は駆け寄って男の腕を掴んだが、ぶんと振りほどかれてしまう。「これ借りてっていいんだろ? 行こうぜ」「待ちなさい! ここは中高図書館です。優先度は中高生にあります。今回は大目に見て1冊だけなら貸し出します。ちゃんと貸し出しカードを提出して所定の手続きを受けること! ルールを守れない者に貸し出す本はありません!!」 きぃん……静かな図書館に雪音の声が響く。普段だったらひんしゅくものだが、幸い今ここにいるのは三人だけだ。「っ……たぁ……」 振りほどかれた拍子についた尻をさすりながら立ち上がろうとする雪音に、手が差し出された。見あげれば、先ほど彼女を振り払った大学生。「すんません……怪我はないっすか?」「俺達、このシリーズ大好きで……何で高校生の時に入荷しなかったかなぁってずっと思ってて」 もう一人の大学生が「手続きお願いします」と貸し出しカードを出した。手を借りて立ち上がった雪音は、小さく笑みを浮かべて。「本が好きだから思わず取ってしまった行動なのはしかたがないけれど。でも人としての価値を貶める行動は謹んだほうがいいわ。はい、返却は一週間後よ」「「どうもすいませんでしたっ!!」」 バーコードを読み込んで本と貸し出しカードを渡す雪音に、大学生たちは勢いよく頭を下げた。「館山先生! 『リーヴル』の最新刊、もう全部出ちゃった!?」「こら、図書館では静かに」 HRが終わるなり教室を飛び出して図書館棟に駆け込んた宮本沙莉(みやもと・さり)はカウンターに鞄を置き、裏へと入る。彼女は高校2年生の図書委員だ。「中等部優先の5冊はとっくに、ね。でもまだ高等部優先の4冊は残ってるわよ」「え? 今回10冊入らなかったんですか?」 図書委員であると示す腕章をつけてカウンター奥の棚へと行く沙莉に、司書の雪音は苦笑して先ほどの大学生の話をした。新刊を手にするのはどうしても授業が早く終わることの多い中等部の方が有利なので、複数冊入荷する本に関しては優先冊数を決めて対応していた。大学生たちに貸し出した分は、高等部の分から差し引かれたのである。「ひどーい、なにそれっ! 横暴だわっ」 「僕は今回は借りられました」 ニッと笑みを浮かべて鞄から文庫を出したのは、雪音の隣の椅子に座って書籍管理用のパソコン画面を見つめていた少年。中学3年の図書委員、畠山伊鶴(はたけやま・いずる)である。彼は前巻の時、HRが長引いて入荷日に手に入れられなかったのだ。「そうだ、私もっ! 先生、早く高等部分だしてっ!」「はいはい」 つけたばかりの腕章を取り外し、カウンターの表へとまわる沙莉。雪音は『高等部優先』と書かれた札とともに、『リーヴル・サクリファイス』の最新刊をカウンターに出した。超人気作に限っては図書委員だからといって特別優先されるべきではない、それが雪音の信条。ゆえに沙莉は腕章を外し、高等部の一生徒として本を借りたのだった。「次は、何でしょうね……」 新刊を抱いてほくほくの沙莉にも聞こえるように、伊鶴が呟いた。雪音も沙莉も一瞬動きを止めて、思案する。 はじめにこのシリーズが入荷してから二週間くらい経った頃だろうか、音楽室前の階段から中等部の女子生徒が落下し、骨折した。 それからも、化学室の劇薬の入った棚が急に傾いて薬品でけがをする生徒、技術室の糸のこで怪我をする生徒、窓から飛び込んできた野球部のボールが頭にぶつかった生徒、調理室でリボンに火を燃え移らせてしまった生徒、夜遅くに帰宅しようとして、学院の裏門前で何者かに襲われた教師――、一見ただの不注意と思われるものからそうでないものまで、いろいろな事件が学院で起こっている。中等部だったり、高等部だったり、教師だったり……被害者も様々で、だから誰も多様な事故を関連付けて考えるものはいなかった。 けれども先週起きた高等部体育倉庫の焼失、この事件は影響が大きかった。 この体育倉庫はグラウンドの端に位置していて校舎とは離れていたため延焼は免れたのだが、新しい用具が入荷してくるまで部活動ができない生徒たちも多い。小物は今日までにだいたい入荷してきているものの、大きな器具は時間がかかるのだ。 ニュースでも取り上げられてしまったため、生徒の中でこの事件を知らぬものはいない。場所柄、放火か煙草の不始末が疑われが、煙草は発見されなかったためそのセンは消えたのだという。後は放火か自然発火のセンだが、放火に使われた火種になったものは見つかっていないという。 最初に呟いたのは誰だっただろうか。「最近、体育倉庫が燃える話、読んだばかりだったよ」 すると皆の記憶は一様に引き出しを開け始めて。「そういえば、薬品棚が倒れてくるシーンあったよね」「先生が襲われるっていうのもあった! 何巻だったかな……」 そんな声が響きだした。けれどもすべての人がここ半年で全ての巻を読みきれているわけではなく(借りられててまだ読めていない巻があるという人もたくさんいる)、すべての人がすべての事件を知っているわけではない。 だから、『リーヴル・サクリファイス』内に書かれている出来事と同じ出来事が起こっていることに気がついている人は少なかった。気がついても偶然としか思わないもの、気味悪くて触れたくないものもいるだろう。だが雪音と沙莉、伊鶴はこの話の出来事を模倣して楽しんでいる愉快犯がいるとみて、一連の出来事を調べていた。「この前の体育倉庫の話は、5巻でしょ? 先生のは2巻、調理室のは8巻。だから順番にやっているわけじゃないみたいだし……」「9巻の事件はまだ起こっていないわよね」 雪音の言うとおり、2週間ほど前に入荷した9巻の事件はまだ起こっていなかった。では次に起こるのは9巻の事件? 一概にそうとはいえないような気もするのだが……。「小さな事件は、結構すぐに起こる印象が……だから9巻の小さな事件が起こるかも……? ……気のせいか」 伊鶴がぽつ、と呟いた時、図書館棟の入口付近が騒がしくなった。程なくして駆け込んできた生徒が、全員に聞こえるようにして叫ぶ。「今、そこでっ……転んだ中学生が車にひかれてっ……!」「「「!?」」」 三人は顔を見合わせる。そういえば9巻には図書館棟入口の階段で滑って転んでしまうという描写があった。 事件についてもう少し詳しく聞けば、その中学生の少女は転んだ勢いで図書館棟前の小さな坂を転がり落ちてしまい、坂の下を横切ろうとした搬入用の車と接触したのだという。「……転ぶだけ、のはずよね……」「転ぶことは転んだから、合ってますよ……」「……事実は小説より奇なり……」 三人の呟きに紛れて、救急車のサイレンがだんだん近づいてきた。 *-*-* ターミナルの一室でいつものようにロストナンバーたちを呼び寄せた世界司書、紫上緋穂は一冊の薄い本を読んでいた。「あ、いらっしゃーい。よろしくねー」 ぱたり、本をおいて、笑う。 その本は同人誌と呼ばれるたぐいのものであり、表紙や裏表紙にイラストが描かれていた。前に横浜で起きた同人誌即売会の事件を知る一部の者ならば、それがあの時クローディアと名乗った旅団員が売っていた本だと気がついたかもしれない。「えっとー、揃ったねー。じゃ、壱番世界の東京に行ってもらうよ」 おもむろに緋穂は状況を語り始める。「事件が起こる場所は聖エステル学院。中学から大学まで有る、大規模な学校だよ。その学校の中学校、高校の校舎が全部燃えて、沢山の人が亡くなるという予言がでたの」 ごくり、誰かが唾を飲む音が響いた。「だから一週間、学院に潜入して、その事件を防いでほしいの」「防ぐって……放火犯を捕まえろってこと?」「厳密に言うと、違う、かな」 ロストナンバーの問いに、緋穂は苦笑してみせて。「最近の学校ってさ、ちょっと火をつけたぐらいじゃそうそう燃えないでしょ? 人がいっぱいいる時間なんて、灯油とか撒いてたら誰かに見咎められるだろうし」「……ということは?」「直接火を着けるような犯人は、いない。突然校舎全部が燃え上がるの。コンロの火に掛けられた、やかんみたいに火に包まれるんだよ」 さすがにそんな芸当、一般人ができるはずもなく。「もしかして、旅団が!?」 疑いを向けるロストナンバー。だがそれだけ大規模な学校だとしたら、特殊能力でカバーできる範囲を逸脱しているのではないか。「いくらなんでも、そんな大規模な災害を簡単に起こせるなら、旅団はすでに日本くらい壊滅させてるかもよ?」 破壊をもたらす世界樹の苗木が育つまでにも時間が掛かるのだ。そんな便利な能力があったら使わずにいるだろうか。「ただ、これは私の個人的な推測にすぎないんだけど」 前置きして緋穂は息を吸い込んだ。「大きな下準備を積み重ねることで発動が可能になる特殊能力とか、魔法とか、そういうものなら可能かもって思う……」「! でも、下準備って……?」「分からない、けど。ちょっと気になることがあって。この学校でとても人気のある小説があってね、この学校を舞台にして卒業生が書いたらしいっていう小説なんだけど……『リーヴル・サクリファイス』っていって、今のところ10巻まで寄贈されてる。各巻10冊ずつ。で、この学校で起こった小さな事故から大きなものまで、この小説でも似たようなことが起こってる」 この本は近隣の図書館数件にもこの学校の生徒や卒業生の要望で置かれているらしいが、不思議と本屋には置かれているところを見たことがないと言われている。「図書館に置いたの読んでくれるなら、何度も何度も沢山の人に読んでもらえて、本も幸せだよね」 と司書みたいなことを言う緋穂。確かに買ったら一回読んで放置なんてことは多いかもしれない。「まあ、小さなことは学校生活上で起こる可能性のある事故が多いから、偶然といえばそれまでなんだけどね。でも先生が襲われたとか体育倉庫が全焼とかはちょっと偶然で片付けられそうにないなぁと。一連の事件を本の中の出来事を模倣した愉快犯が行なっていると思って、調査を進めている子達がいるんだ」 緋穂が配ったプリントには、シャーペン書きのイラストが添えられている。「司書の館山雪音先生と、高2図書委員の宮本沙莉さん。あと中3図書委員の畠山伊鶴君。この三人は事故と、それが起こった順序とか、載っている巻数とかを調べて資料を作っているよ。図書委員だから、誰が本を借りたとか、どれだけの人がその本を借りたとか、そういうデータも調べられる」 で、この三人――ロングヘアの女性とセミロングの少女、少し長めのショートカットに眼鏡の男子――緋穂はプリントをひらひらさせて。「火事の当日、愉快犯を捕まえようとして、中等部と高等部の間にある第3カテドラルの塔横の樹の下にいる。入荷したばかりの10巻で、鐘の鳴る間に告白する生徒が落ちてきた鐘に潰されてしまうシーンがあって。ああ、このシリーズはそこでの告白が多くて――」「話がそれてるそれてる」「あ、ごめん。そうそう、壁の影に隠れていた先生は鐘が落ちてくることに気がついて二人をかばおうと出てくるんだけど……結局三人とも下敷きになってしまうの」 だから、と。「三人も助けてあげてほしいの」 一週間程度の潜入作業となる。中等部から大学まであるので、それぞれ外見に見合った位置づけを確保するのがいいだろう。教職員も可能だ。校内にて立場を確保することが難しいのであれば、敷地内に潜んでも良い。幸い敷地は広い。だが全く無警戒という訳にはいかないだろう。不審者として捕まってしまっては元も子もない。 三人に近づいて情報を得ることもできる。 生徒として潜入する場合は、一学年のクラスも多いため、同じ学年でも沙莉や伊鶴と初対面てあることは問題にはならない。「そうだ……聞き忘れてた。旅団が出てくる可能性は?」「事件が全て起こってしまった後だとしたら、遭遇する可能性は低いと思う。でも、未然に防げたら、対峙することになるかもしれない。不確定な未来だから……ごめん、はっきりとはいえない」 しかし可能性があることだけわかれば、この場合十分である。「遭遇するのはどんなやつ?」「この前の即売会の時の……クローディアとその従者のカロとヒロだよ。あ、つけ耳はつけていないと思う」 緋穂はがさごそとチケットを取り出し、机に広げた。「応援しかできないけど……がんばって。無事に帰ってきてね!」
聖エステル学院はその規模の大きさから間口が広い。1学年の生徒人数も多ければ、転入転出も多い学校だ。故に今回ロストナンバー達が各所に転入したとしても『こんな時期に大変ね』程度にしか思われずに済んだ。 初等部がないと嘆いていたシーアールシー ゼロは大学部に飛び級したことになっていた。旅人の言葉効果で数十カ国語を自在に操るように見えている。幼い(書類上は8歳扱いだ)彼女は校内に慣れるという名目で、一週間の間講義には出ずに自由に敷地内を見て回ることになっていた。 (多分なのですけど、特別な効力を持つ本は姫が直接手がけた――製本、あるいは何らかの処置を施した――ものだけだと思うのです) 前回姫ことクローディアの出現が確認された報告書を読んだゼロは、ひとつの仮説を立てていた。 本は、その舞台となる場所の一定数以上の人に読まれることにより書かれた事件が現実になる。大事件ほど多人数に読まれる必要があるのではないか。だがそれには制約があると考えた。姫が直接手がけていない大量印刷やデジタルデータを読んでも無害だと。 「こんにちはなのですー」 中学の職員室に雪音を訪ねて行ったら図書館棟にいると言われたため、ゼロは図書館棟へと向かう。鍵は開いており、中に入るのに支障はなかった。生徒たちの授業時間に司書が書籍や書類の整理をするのはままあることだ。今日の雪音もカウンター奥の移動台に返却済みや修繕済みの本を積み込んでいるところだった。 「あら、あなたは?」 訝しげにゼロに視線を投げる雪音。当然の反応にゼロは事情を説明し、雪音も納得して。 「この学校を知るのに最適な面白い本があると聞いたのです」 「ええ。あるわ。『リーヴル・サクリファイス』という本なの。10巻まで出てるけど……確か、丁度今朝全部出払っちゃって」 雪音はカウンターのパソコンを使って在庫確認をしてくれたが、現在1冊もないらしい。これはいい機会だ。ゼロは泣きそうな表情を作って。 「残念なのですー。話を聞いて、とても楽しみにしていたのです……デジタル書籍にもなっていないのです?」 「ごめんなさいね、今の所紙媒体でしかないのよ。でも、確かに読みたい人がもっと読めるようにするには、寄贈を増やしてもらうかデータ化したほうがいいわよね。取り合いになる程なのだから」 ゼロの頭を優しく撫でる雪音は「でももっと寄贈してくれなんて図々しくて言えないし」と苦笑して。 「データ化ならば話しやすいわ。先方も沢山の生徒に小説を読んで貰えるのですもの、許してくださるかも」 このシリーズは一般に販売されていないという。営利目的ではなく単に作者の趣味のようだ。ならば売り上げ云々という問題はクリアできる。他にも色々と問題はあるが、作者の執筆の原動力が『沢山の生徒に読んでもらいたい』ならばデータ化して学内サーバで公開する許可を得やすいといえよう。本が行き渡らない現状を伝えれば、喜ぶだろうし。 「わかったわ、先方に連絡してみるわね。10巻だったら今日図書委員の子が返却するって言っていたから、貴方ももう一度放課後にいらっしゃい。もしかしたらデータ化作業に10巻を使っているかもしれないけれど」 「分かったですー。また来るのです」 ゼロは笑顔でぺこんとお辞儀をして。本は借りられなくてもいいのだ。データ化に使ってくれるのなら狙い通り。後は統計データを見せてもらって推理の裏打ちをすれば……。 放課後。今一度図書館棟を訪れたゼロの手には、問題の10巻が渡された。 作者からデータが送られてきたらしく、雪音は図書館のパソコンを使って公開用のページ作りに悪戦苦闘している。今日はデータを見せてもらうのは無理かもしれない。 *-*-* リーリス・キャロンが校内を歩く時、注目していたのは真理数。ここでは『1』と表示されないのは仲間達とクローディア達旅団だけのはずである。 授業中のそそろ歩きを魅了と精神感応で誤魔化しながら、中等部の制服のスカートを翻らせてリーリスは歩く。授業中の教室を覗いては真理数を確認して。授業中にもかかわらず机の下に隠した本を読んでいる生徒が精神感応で引っかかる度に、一応リーヴルであるかどうか確認もして。 そのまま軽い足取りで図書館棟へと向かうと、鍵は開いていた。中から話し声がする――授業中なのに雪音以外に誰か居るのだろうか。慎重に足を進めていけば、聞こえてくる声は雪音のものだけだということがわかった。 「はい、それではお願いします。とりあえず10巻が一番出回っていないので10巻からと……はい、分かりました。お待ちしています」 (なんだ、電話か……) 他に誰もいないから安心してだろうか、雪音は携帯電話で何処かへ連絡取っていたようだ。 「せーんせっ♪」 電話が終わったのを確認して、リーリスはひょこりと雪音の視界に入った。ひゃっと高い声で彼女は肩をすぼめて、そしてリーリスの姿を見て声を上げる。 「あなた中等部の生徒ね。今は授業中でしょう?」 「この制服可愛いわよね。制服着て学校に通ってみたかったの。だから嬉しくて」 くるん、リーリスが回ればプリーツスカートがひらりと広がって。彼女に似合っているのを見ると、青春の一刻だけ着ることの許された服だというのがよく分かる。 「そういえばあなた、今日中等部に転校してきた……」 朝、中等部職員室で紹介されたのを思い出したのだろう、教師としての正義感から立ち上がった雪音の真理数が『1』を示していることを確認して。 「本の犯罪はビブリオクライムって言うのかしら。貴女がクローディアでなくて良かったわ」 「何?」 「近いうちに大聖堂の鐘が落ちて貴女達は巻き込まれ重傷、同時に中高校舎が炎上して多数の死傷者が出る予知があったの……こんなふうに」 雪音の言葉を遮るようにして、リーリスは予知に基づいたヴィジョンを雪音の頭に流しこむ。びくん、彼女が再び震えた。 「今、何をしたの?」 「親切に教えてあげただけよ。ねえ……言霊使いでしょ、雪音? 雪音の力が炎上に力を貸してしまう可能性がある。お願い、皆を助けるため私達に力を貸して」 「あなたの言っていることがよくわからないわ」 未知は恐怖を引き起こす。雪音はふるふると頭を振って後ずさる。 リーリスは雪音が言霊使いであると見ていた。そして彼女の力が、今回の大惨事に関与するとも。 (魅了しちゃえば簡単なんだけど、それじゃあ解決にならないのよね) 「ごめんね、怯えさせるつもりはなかったの。じゃあ一つだけ教えて。今日のところはそれで退散するから」 「な、に……」 すっかり怯えてしまった雪音は、喉の奥から声を絞り出した。 「リーヴルの入荷方法を教えて頂戴♪」 「宅配便で、送られてくるの……作者の妹さんから」 「本人じやなくて?」 「ご本人は、長いこと入院されていて、病床でリーヴルを書かれているのよ」 ふーんと鼻を鳴らして、リーリスは「妹、ね……」と口の中で呟く。 「じゃあ、約束通り今日は退散するわ。協力、考えておいてね」 予知と精神感応という超常現象を信じさせるかのようにリーリスはその場で鳩化する。そして窓から外へと飛んでいった。この後燃え上がる場所に魔方陣などがないか確認するつもりだ。 「なん……だったの? 夢……?」 雪音は表情を固くしたまま、床にへたり込んだ。言霊使いとか言われても心当たりは全く無くて。でも、その予言とやらは少し気になりはする。 「リーヴルに影響されすぎかしら」 苦笑を浮かべたその時、パソコンがメールを受信した電子音が響いた。 *-*-* 「転校前、古書店のお手伝いをしていました。本が好きです」 朝のHRでそう自己紹介をした南河 昴は転校生への洗礼とも言うべき、休み時間の机囲み質問攻めを受けていた。それに丁寧にひとつひとつ答えるようにしていると、一人の女子が口を開いた。 「本が好きなら、図書委員にぴったりね」 「! あの、図書委員って今からでもなれるの?」 内心ドキドキしながら昴は問う。しかし返ってきたのは芳しくない答え。当然といえば当然かもしれない。委員は前期と後期の頭に決めるという。問題がなければ前期のメンバーが後期も務めることが多いとか。 「あ、でも図書ボランティアならまた募集していたはずだよ」 あまりにも昴ががっかりしたからか、別の子が教えてくれた。 「それって何をする役なの?」 「返却された本を棚に戻したり、掃除をしたり、雑用係みたいなものらしいけどね。図書委員は貸出返却手続きとか蔵書の管理とかするんだけど、委員だけじゃ手が足りないんだって。たまに本を探している人の手伝いとかもあるみたい」 「わたしでもできるなら、やってみたいな」 これで三人に接触する口実ができる。顔を輝かせた昴に女子は「えー、でも雑用だよー?」と止めようとしたが、この好機を逃す手はない。それに任務でなくても彼女は図書ボランティアに志願しただろう。だって、本が好きだから。 放課後図書館棟を訪れた昴は、カウンターに座っている少女へと声を掛けた。ちなみにカウンター付近でゼロを見かけたが、チラッと視線を投げたのみで済ませる。直接の接触は避けたほうがいいということで連絡はトラベラーズノートで取ることになっていた。 「あの、図書ボランティアになりたいんだけど」 「え、本当!? ちょっと待ってね、先生ー! 図書ボランティア希望の子がきたよ~!」 セミロングの元気な子がカウンター奥を振り返る。この子が沙莉だろう。奥でパソコンとにらめっこしていた雪音が顔を上げた。 「ありがとう。歓迎よ。その辺の紙にクラス名前を書いて――宮本さん、お願い」 「はーい」 沙莉がA5サイズの裏紙とボールペンを出してくれたので、昴は書き込みながら口を開いた。 「司書の先生って忙しいんだね」 「ああ、あれはね、リーヴルをデータ化して、図書室のHPで公開する準備をしているから」 「リーヴルって、人気だっていう本だよね?」 昴が問えば、沙莉は書かれたクラスと名前を端末に打ち込んで首をかしげる。 「あれ、もしかして転校生? 貸し出しカード発行されていないよね?」 どうやら貸し出しカードデータで確かめようとしたらしい。今日転校してきたばかりだと告げれば、 「転校当日に図書ボランティア志願だなんて、相当な本好きね!」 私もそうだよと沙莉は笑った。 「リーヴルは……『リーヴル・サクリファイス』はこの学院がモデルになっているんだ。だから学院を知るのにいいかも? 勿論フィクションも入っているけどね。ここの蔵書もいつも貸出中ばかりだよ」 「じゃあ、本屋でも探してみるから、サブタイトルも全部教えてくれるかな?」 「いいけど、本屋で見つけられた人って聞かないよ?」 沙莉の教えてくれるサブタイトルを10冊分メモしたが、あまり事件に関係があるとは思えなかった。 「じゃあどこから仕入れてるの?」 「著者の水鳥川怜一(みどりかわ・れいいち)さんが卒業生なんだって。妹さんが窓口になってるらしくて、先生は今日データ化の交渉をしたらしいよ」 「データ化の許可が出たんだ……HPに載ったら、沢山の人が読むよね」 「そうだね。とりあえず10巻を試しに公開するって話だけど、新刊だから注目されてるし。本を借りにくる人がいなくなったらどうしようかな」 昴の本好きに親近感を感じたのか、沙莉は気軽に話をしてくれて。図書ボランティアの仕事についての話を交えながら二人は結構長いこと話をしていた。 (データ化してオンライン上で沢山の人の目に触れるようにする……って大丈夫かな?) 昴は、多くの人が本を読むまたは絵を見る、つまり認識を共有することで能力が発動すると予測している。この予測に基づいて考えれば、データ化されたとしても多くの人の目に触れることには変わりないわけで。むしろ、実際の本を使うより電子書籍にしてしまえば一気に広められるわけで……心配なのであった。 夜にでも仲間にメールしてみよう。 *-*-* 一応教師の端くれではあるから、やはり学校が燃えるというのは気分のいいものではなくて。 それでも補助教師として潜入した校内を教頭に案内されていると、何やら懐かしい気持ちになってきた。 メルヒオールは案内を半分だけ聞きながら、頭の半分でクローディアの能力について考える。 (『描いた本の内容の事象を起こす』という推測が以前為されていたが、それでは手当たり次第にとんでもないことを起こせる。だからもっと制約があるのではないか……) 魔法や魔術といったものは万能ではなく、制約を受けるものが多い。齎す事象が大きければ大きいほどその制限が大きくなるのが常だ。例外がないわけではないが。 (だとしたら『大勢の人に読ませる』つまり認識させるといったワンクッションか……) そうでなければわざわざ本を頒布する必要はないわけで。術者と出来上がった本だけで解決してしまうはずである。卒業生が書いたという小説も、彼女が関わっているかあるいは――。 「あれが中高の図書館棟です」 と、教頭の言葉に我に返る。窓の向こうに見える白い建物がそれらしい。 「大学ほどではありませんが、負けないくらいの幅広い蔵書が揃っていると思いますよ」 「授業の調べ物にも使えそうだな」 「実際調べ物をされる先生も多いですよ」 教頭はメルヒオールのおおよそ目上の人に対する言葉遣いではない喋り方を軽くスルーして、次の場所へと案内を続ける。 職員室に戻った後、上司に当たる教師と軽く打ち合わせをしてから図書館棟へと向かう。 彼が図書館棟で見たのは必死でパソコンと格闘している司書の雪音、リーヴルの10巻を手にして挿絵を眺めているゼロ、カウンターで沙莉と仲良く話をしている昴だった。 聞けば雪音は作業で忙しいらしく、今日は話を聞くのは無理そうだった。元々数日通うつもりでいたから、それはあまり問題ない。今日のところはゆっくりと館内を見て回ることにした。 *-*-* ボレロを着るには少し暑い。吉備 サクラはワイシャツにベストとスカートの高等部制服で図書館棟を訪れた。放課後になってから暫く経ったこの時間ならば、掃除当番であったとしても解放されているはずだと踏んだ。 入り口の書架付近でメルヒオールを見つけたが余計な視線は向けず、カウンター付近でゼロと昴を見つけたが知らない振りだ。 「お話中ごめんなさい。貴方が沙莉さん?」 「ん? うん、そうだけど」 「見てほしいものがあります。出来れば伊鶴さんと一緒に来て欲しいのだけど」 突然声をかけてきた見覚えのない少女であるサクラに、沙莉はあからさまに身構えた。 「え、何? 告白? 違うか。もしかして伊鶴君の事が好きで、私との関係を疑っているとか? それなら誤解誤解。ただ同じ委員ってだけ――」 焦ると言葉が止まらなくなるタイプなのだろう、警戒しながらも沙莉は違う違うと手を振り続けていて。まあ流石に突然知らない相手に見てほしいものがあるとか名指しで呼ばれたら、ハイそうですかとついていくのはちょっと怖い。 (……このままではついてきてくれそうにはないですね。なら誤解を有効に使わせてもらいましょう) 「沙莉さんが伊鶴さんと何でもないというなら、それを証明するためについてきてください。校舎を一望できる屋上が良いかな。伊鶴さんは今日は……」 「当番じゃないから、部活の方にいると思う」 観念したのか沙莉はため息をついて立ち上がった。近くで本の整理をしていた別の委員に声をかけてカウンターを預ける。 「今日は先生が忙しいから、本当は離れると迷惑がかかるんだけどね」 「ありがとうございます。どうしても貴方たちの助けが必要だから」 建物を出る時に呟かれた恨み言に似た言葉に、サクラは本音を返した。 すると沙莉の瞳が不思議そうに揺れた。 ぶわり……映像が空へと広がったように見えた。 ぶんっ……迫ってくる大鐘に沙莉は悲鳴をあげ、伊鶴は頭を覆って。 「顔を上げて」 サクラの冷静な声に導かれるようにして顔を上げた二人の視界に飛び込んできたのは、炎、炎、炎――! 「一週間以内のどこかの朝八時じゃないかと思う……第三カテドラルの鐘が落ちて死傷者が出ます。その直後に炎が上がって中高の校舎が燃え落ちるの……こんなふうに」 見覚えあるけれどここからは見えるはずのない校舎達が、炎に舐められている。 「なっ……」 「なんだ、これ……」 ふたりとも言葉を失い、屋上の床に膝をつき、尻をついた。と、ふっと視界から赤が消える。 「安心して……これは幻覚。放っておいたら起こる未来。今はまだ起きていないから。貴方達が真相の1番近くに居るから……貴方達の力を借りに来たんです」 「あなたは、何者……!?」 沙莉も伊鶴も怯えた瞳でサクラを見つめていた。仕方がない、人は自分の理解できない事象を操る者を理解するのに時間が掛かる。だが幸いにも、二人の視線には排他的なものは含まれていなかった。 薄々とどこかで感じていたのかもしれない。本と事件との関連性が、ただの模倣犯にしてはおかしいということに。 だからむしろ、サクラが一連の事件の犯人なのではないか、そう疑っているように感じられた。 「分かる範囲で何でも答えます。貴方達に未来の話をしたのは、リーヴル・サクリファイスに一番近い所にいるから」 「僕達が、本と事件との関連性や貸出履歴を調べているからですね?」 「伊鶴くん!?」 話に乗ろうとする伊鶴に沙莉が制止の声を掛けたが、彼は首を振って。 「それくらいすでに知ってますよね? だから僕達に声を掛けた」 とサクラに視線を送る。 「ええ。その通りです」 サクラは否定しなかった。きっと伊鶴はライトノベルなども沢山読んでいるに違いない。超常現象を体験したというのに順応が早いのもそのためだ。 「リーブルは一定の目的のために作られた、所謂魔道書です。だから市販されていない。製作者の目的は死と破壊の確率変動」 「でも、作者は卒業生の……」 「その卒業生に会って実際に確かめましたか?」 異論をはさもうとした沙莉は、サクラの尤もな言葉に抑えこまれた。サクラは自らの推測を交えて話を進める。 「読んで信じる人が増えるほどその事象を引き寄せやすくなる……愉快犯じゃなくて本当の犯罪なんです。分かっている敵は3人。通称姫とヒロとカロ。リーブルのアナグラム、学校の歴史、例えば学校の地下に昔陸軍基地があったとか、鐘を落とさない方法とか……思いつくものがあったら何でも教えて下さい」 突拍子もない話だ。だが、リーヴルと事件との関連性を調べている彼らには頭から否定する事ができないはずである。もしかしたらという気持ちが湧いたら信じてもらいやすくなる。サクラの言葉を信じてもらえればこっちのものだ。 どうする、とでも言うように顔を突き合わせる二人に、サクラは言い募る。 「絶対あの樹に近づいては駄目……他の生徒が被害に合う可能性を減らすためにも、一緒に鐘を落とさない方法を考えてほしいんです」 考える時間をください――それが二人が出した結論。 だが時間がない。明日の放課後、改めて二人と話をすることとなった。 *-*-* 元の世界で高校に潜入していた時の経験を生かし、高校一年に編入を果たした御藤 玲奈は情報を集めていた。 (読者の想像を利用することで発動するタイプの能力。私はそう推測する。魔術ならば、《読者に接続された本》を処分してしまえば、多くは効力を失う。だがこれは早計というものだろう。確信へと至る糸はまだ無いさ) 自らの考えを裏付けるものがない以上、本を処分してしまうのは早計だと考えた玲奈は手段を考える。 (最善はその本を入手。Non。それが出来れば苦労はしない) トットットッ……上履き独特の足音を奏でながら、玲奈は机に肘をついて思考に更ける。 (次点で三人と接触を図る。Subtle。相手側が多少なりとも警戒している以上『私』が行くのは得策ではない) ならばどうするか。彼女が選択したのは聞き込み。下の下策だとわかっているが、少し工夫を加えれば上手く情報が入るはずだ。 「御藤さん、校内案内してあげる」 「……それはありがたい」 駒は多い方がいい。交友は深めていこうと思っている。 「帰国子女なんでしょ? 日本のこと、分からないことがあったら教えてあげるからね」 「ありがとう」 何処の世界にも世話好きな者はいるものだ。日本に不慣れな帰国子女の転校生の世話を焼いてあげる自分に酔っている部分もあるのだろう。だが玲奈はそれを逆に利用してやるつもりだ。数人の女子に案内されなから、雑談に付き合う。 「優ちゃん、リーヴルの9巻読み終わったけど、読む? 後3日で返却だけど」 と、一人の女子に別のクラスの女子が近づいてきた。手に持っているのは文庫本。人気の作品だ、こうしてまた貸しが行われるのも仕方あるまい。 「あれは?」 二人の話が終わるのを待っている間、玲奈は何も知らない風を装って別の女子に尋ねた。すると彼女達は詳しく説明してくれて。彼女達の中にもファンは居るようだが、なかなか未読の巻が借りられないと嘆いている。 「ならば読めない人向けの大まかなダイジェスト版を作成するというのはどうだろうか? 借りられるまでの誤魔化しでしかないが、無いよりマシだろう?」 「御藤さんすごい!」 「それ、いい考えー!!」 きゃっきゃっきゃっ、女子達は玲奈の提案に興奮気味だ。こうなれば後は軽く指示をしてやれば良い。各巻の既読者を集めるのなら、玲奈よりも彼女達の人脈に頼ったほうが早くて確実である。 結果、放課後の教室には数人の生徒が集まってきていた。今日が都合が悪い者も明日以降、集ってくれるという。 *-*-* 夜、エアメールが飛び交った。 現状の報告、三人との接触状況、情報収集――ひと通りの報告の中で一同を驚かせたのは、『リーヴル・サクリファイス』10巻のデータ公開についてだった。 提案をしたゼロは『クローディアが実際に手がけた本』でなければ大丈夫だと推測していたが、他の者は『彼女の書いた内容自体』を危険視している。事象を認識するというワンクッションが必要で、書かれたことを起こす為にはクローディアの書いた内容自体がすでに道具であり、それは媒体を問わないという見解を持ったものが多かった。 だが中でも少し違った考えを持ったのがリーリスだった。彼女は前回の同人誌即売会にも居合わせたからして、その時のことを踏まえて語る。 ――前回は1冊が1時間で天井を落としたの。今回は9冊分力が溜まっているから、いつ火災が起きてもおかしくないと思うの。 ――あの、まだ事件と収録巻の照らし合わせができていないからはっきりと言えないんだけどね、きみの考えだと、折角ためた力を小さな事件ですこしずつ使っているのはおかしくないかい? ――それは、力を試しているとか……。 ――事象を認識させることで『力』とし、ある程度貯まると実現される。小さな事象であれば、プールする『力』は少なくて済む。そういうことではないか? ――なるほどですー。なら、データ公開は待ってもらったほうがいいかもです。でも言い出しっぺのゼロが言うとおかしなことになるのです。 ――だったら俺が行こう。元々、今日出来なかった分話をしてみるつもりだ。 ――わたしもデータを見せて貰うつもりだったから、さっきの御藤さんのプールについての仮説とデータを照らしあわせて、そっち方面に話を向けてみるつもりだよ。 ――リーリスは折角だから、実験をしてみてもいいと思うの。データ版を公開して、読む人の数と事象の実現の関係を調べるの。 ――でもそれでは、予期せぬ所に被害が出る可能性が高いです。 ――それが問題~。それに時間も限られていることだしねー。 ――あ、リーリスさん、ゼロはこれから聖堂の鐘を外しに行こうと思うのです。ついてきてもらえないですか? ――リーリスが? 役に立てるかしら? ――万が一巨大化して鐘を外しているところを見られたら、『お願い』して忘れてもらってほしいのですー。できますです? ――いいわよ。現場で合流しましょ。 ――そう言えば、沙莉さんと伊鶴さんに予言の幻覚見せて、リーヴルはクローディア達が作った魔導書のようなものだって話して、協力を要請しました。 ――え。 まとめるとチャットのようだが、概ねこんな会話と報告なされていた。 その後、ゼロとリーリスは第三カテドラルへ向かい、巨大化したゼロは楽々と鐘を取り外し、地中へと埋めてしまった。そしてジンクスの目印である木も引っこ抜き、聖堂から離れた場所に植えてしまったのである。勿論事件が解決したら戻すつもりではあるが。 騒ぎになるかもしれないが、これで人の命が救えるのなら安いくらいだ。 見回りに来た警備員達が巨大化したゼロを目撃してしまったが、彼らはリーリスに『お願い』されてそれ以上騒ぎ立てるようなことはなかった。 *-*-* 翌日の図書館棟。 メルヒオールは放課後になる少し前に訪れていた。教師が授業の調べ物をしたいと告げれば司書の雪音に断る理由はない。 「そういえば噂で耳にしたんだが……小説の模倣犯がいるとか? 生徒達の安全のためにも一応知っておきたいんだが」 「あー……模倣犯だという確証はないんですよ。ただ、あまりにもそれまでの内容と、事件が符合していて。その小説というのがこの学院を舞台にしているものですから、余計にそう見えるだけかもしれませんが……」 問われた雪音は困ったように幾つか、事件と小説の表記を照らしあわせて纏めたファイルを開いて見せてくれる。パソコンの光る画面はメルヒオールには見慣れぬものだったが、さすがに怪しまれない程度に慣れたふりをして覗きこんだ。 「ただの偶然じやないのか?」 「でも……」 「誰かが転んだとかボールが飛んできたとか、そんなものまで『誰かが故意に』起こせるものなのか?」 ボールを投げて窓ガラスを割ることはできる。けれどもそれが誰かの頭に当たるかどうかは偶然の神に頼るしかない。 「狙って起こせるのなら、巻数通りの順で起きてもおかしいが、そうじゃないんだろ?」 「ええ。巻数はバラバラなの。でも、真似しやすい小さな事件から先に拾っているのかもしれないし……」 「もし犯人が単独なら『全巻読んだ人間』に絞れるが……それも早計だろう」 彼の言い回しが疑問を呈するものであるのは、関係性を認識させないためである。 「そういえば私、昨日犯人っぽい女の子に会って……」 「何?」 「夢かと思ったんですが、鐘が落ちて私達が怪我をするとか学校が燃えるとか言って……私のこと、言霊使いだとか何とか言って、最後は鳩になって出ていってしまったんです」 「……」 「あは、鳩になるだなんて、やっぱり夢ですよね……」 あははと誤魔化して貸し出しリストを開いた横で、メルヒオールは渋い顔をしていた。 (サクラが話したのは沙莉と伊鶴だけ。ゼロと昴は雪音に顔を見せているから、リーリスか玲奈だな……) 「まあ、本を読んだ人間が事件を起こしているというなら『貸出中』として暫くの間全巻を書庫に隠すという手もあるが」 ああ、その場合10巻のデータ公開もやめたほうがいい、と付け加えて。 「今貸出中の本は最長一週間の貸出期間ですから、全部戻ってくるのに一週間はかかります。でも……戻ってきたのからちょっとやってみることにします」 「それじゃあ、遅いと思うんだよ」 「あなたは昨日の……」 いつの間にか放課後になっていたようで、カウンターの向こうに立っていたのは昴だった。 「既刊は、返却待ってもいいと思うよ。でも、新刊はまだ起こっていない事件が多いでよね、だったらすぐにでも流通を止めたほうがいいよ。先生、できないかな?」 「話を聞いてしまったのね……でも、なんでそんなに……」 「わたしも本が好きだから、人を傷つける道具に使うなんて赦せなくて」 これ以上被害が出るのは哀しいし、本にも申し訳ない――昴は心を痛めていた。 「そうね。暫くの間10巻の流通を止めて、それで何も起こらなければ模倣犯がいるという証明になるわね。交渉してみるわ」 雪音は近隣図書館にも連絡をし、暫くの間10巻の流通を止めてもらうことにした。 学園内に散らばった10冊はゼロが借りたものも含めて落丁があったという理由で回収することになった。家に置いてきた者は翌日に持ってくるようにと伝えて。 *-*-* その日、沙莉と伊鶴はどちら共いつも来る時間に遅れてやってきた。サクラと会っていたからである。 二人共協力を約束したが、サクラが期待したような情報は持っていなかった。二人と別れてサクラは学園の地下について調べて回ったが、地下空洞に充満したガスも旧陸軍兵器も見つかっていない。でもそれでいいのだ。可能性を潰していくのが彼女の目的だから。 昴は伊鶴に頼んで細かいデータを見せてもらった。雪音からの口添えもあり、仲間として認めてもらえたらしい。沙莉は昴の仲間入りをとても喜んだ。 データによれば昨日の夜の談義に出た仮説を証明するかのように、小さな事件ほど本が貸し出されてから間を置かずに起こっていた。また、回転の早い巻――つまり沢山の人に読まれた巻の事象はやはり小さいものほど早く現実のものとなっている。 こうなると、クローディアの能力については次のような仮説が、ほぼ正しいものと思って間違い無くなるだろう。 ・ただ書かれただけでは現実に引き起こすことはできない。 ・書かれている事象を認識させることで『力』をプールする。 ・小さい事象ほど、実現のために必要な『力』は少ない。 ・大きな事象ほど、実現のために必要な『力』が多いため、時間がかかる。 ただ、事象の現実化は自然なものなのか任意でタイミングを図れるのか、それは分からなかった。他にも何かあるかもしれないが、今はこれ以上の仮説は立てられない。 夜、エアメールで昴はそれらを報告していた。伊鶴から借りたデータの一部も添えて。 メルヒオールは10巻のデータ公開を止めた事、既刊は返却され次第倉庫に仕舞う事、10巻は落丁の為という名目で回収される事になった事を伝えた。 他にもそれそぞれ、本日の出来事を報告していく。 ――ゼロのところにも連絡があったのです。明日返却するのです。 ――地下は今の所、危険物は見つかっていません。 ――本を寄贈したという卒業生の事は調べたわ。水鳥川怜一……はPNらしいんだけど、校長先生に本名を教えてもらって調べたの。確かに存在していたし妹もいたけれど、本人が病気なんて嘘よ。北海道でラーメン屋をやっているらしいの。妹は、アイルランドに留学中だって。 ――じゃあやっぱり、クローディアが妹を装っているのかな? ――リーリスはそう思うわ。 となれば『リーヴル・サクリファイス』という話自体がクローディア作という可能性が高い。 ――ひとつ聞いていいかい? 書庫に仕舞っておく『暫く』とはどのくらいの期間かね? 玲奈のメールに正しい答えを返せる者はいなかった。暫くの間10巻に載っている事件が起こらないか様子を見ることになったが、その期間は雪音次第である。 ――確かに緋穂の言った一週間の間に事件が起こらなければ、私達の仕事は成功したように見えるかもしれない。けれどもいつかは書庫から出され、再び貸し出しが始まるだろう。そうなる頃には私達6人は学院から離れている。その後に、鐘の落下と校舎炎上、それに他の事件が起きないとは言い切れないだろう? むしろ、クローディアの書いた話自体が『ちから』を持つのだとしたら、一時封印はその場しのぎにしかならない。 ――じゃあ、ずっと書庫に仕舞いこんでもらうとか? ――それじゃあいつまで待っても借りられないと、利用者から不満の声が上がるんじゃないか。 ――他の人に、似たような話を書いてもらうのはダメですよね。 ――二番煎じには痛烈な批判がつきものよ。 ――みなさん、解決方法が薄々わかっているのに、避けているみたいなのです。 ――そうだね。 ――……、……。 ゼロと玲奈の文字の後、暫く沈黙が続いた。全員がではないが、その決断をしたくない者もいる。本を愛するがゆえに。 ――処分するしかない。燃やして灰にしてしまうのがベストだ。 玲奈の硬い文字が続く。 ――リーヴル・サクリファイス……書の生贄がこれ以上、増える前に。 決断の時が迫る。 *-*-* 7日目。 つつがなく一日を終え、潜入はこの日で終わりだった。 今日まで問題の事件は起こることがなく、念の為に調査や聞き込みは続けていたが目新しい情報といえば、一つだけ。 大学部にすごい美人の外国のお嬢様が留学してきたらしい。 詳しく話を聞いて見ればなんとなく風貌がクローディアに似ているのだが、実際に彼女もお付きの双子も見つけることができなかったので、確かめることは叶わなかった。 もしかしたら、予定していた事件が起こらないので様子を見に来たのかもしれない。 「じゃあリーリスは近隣の図書館を回ってくるね」 鳩の姿に変化してリーリスは陽の落ちた空へと舞い上がる。街の灯を頼りにして方向を定めた。彼女はこれから近隣の図書館で偉い人に『お願い』とか『おねだり』とかして、置いてあるリーヴル・サクリファイスをすべて持ちだすという任に当たる。 サクラは雪音に幻覚を見せて図書館棟と書庫の鍵をあずかっていた。それを玲奈に預ける。玲奈は昴とメルヒオールと共に地下書庫へと入り、保管されていたリーヴル・サクリファイス50冊を運び出すことになった。 「……文庫でよかったな」 それでも50冊は結構な量だ。両手に本を抱えて呟いたのはメルヒオール。 「メルヒオールさん、男性なのに……」 「俺は研究者なんだ」 「引きこもりの間違いではないか?」 「う……」 先を行く昴が振り返って苦笑して、玲奈は振り返らずに辛辣なツッコミを入れた。ある意味事実を突かれたのだから、メルヒオールに返す言葉はない。 「心配するな。魔術師とはだいたい引きこもりだ」 玲奈のその言葉はフォローになっていない。 暫く図書館棟前で待つと、埋めてあった鐘と移植した樹を戻してきたゼロと、彼女が巨大化する間に見咎められぬよう幻覚を駆使していたサクラが戻ってきた。手分けして本を持って、リーリスの待つ図書館へと向かう。 「こっちよー!」 手を振っているリーリスの側には、150冊ほどの文庫が積み上げられていた。図書館数館分の蔵書だから数が多いのは当たり前だが、どうやって運んだのか問えば「お願いしたの」と返ってきて、一同はなんとなく納得した。手分けして、本をロストレイル乗り場付近まで持って行く。 学院の敷地も近隣図書館付近も、住宅地も繁華街も燃やすには問題があった。最近の壱番世界は家で物を燃やすのにも危険だとか煙がとかうるさいらしい。だったらということで、一般人のいないロストレイル乗り場を選んだのだ。 「本当に燃やしちゃう必要があるの?」 わかってはいる、そうするのが最善だと。でも本を愛する昴としては、本を燃やすなんて耐えられなくて。 「せめて最期を見守ってあげるのです」 そんな昴の震える手を、横からゼロがきゅっと握った。 「あ、ちょっと待って。各巻1冊ずつだけ残しておいてー」 「どうするんですか?」 紙袋に10冊をしまうリーリスに、サクラが視線を向ける。 「参考資料として緋穂に提出するのよ」 「なるほど……世界司書なら悪くは扱わないだろう」 玲奈の言葉に皆が納得して。 「じゃあ、始めよう」 メルヒオールがメモ用紙を口に咥える。そして左手で一気に引きちぎった。 ぼうっ……! 熱気を孕んで燃え上がる炎はすぐに文庫に引火して。保護用のビニールテープが焼けて若干嫌な匂いも出るが、誰もその光景から目は離さない。 「クローディアさん、ごめんなさいなのですー」 本自体に、話自体に罪はないのだ。問題は、特殊な力を持ってしまったからで。 仕方ないことだ、仕事なのだ、最善の方法なのだ――どんな言葉を連ねても、小さな罪悪感のようなものは拭えない。 「むしろ罪悪感を感じているくらいがちょうどいいと思います」 さすがに人が一生懸命書いた本を燃やして平然としていられる人間にはなりたくない、たとえ旅団員が書いた本だとしても。サクラが揺れる火をメガネに映して呟く。 こうして聖エステル学院を襲うはずだった大きな事件は防がれた。 後日、忽然と消えてしまった『リーヴル・サクリファイス』の再寄贈について連絡をしたらしいのだが、繋がらなかったという。学院や図書館は、どこからか全冊紛失の話を聞いて作者がお怒りなのでは、と萎縮してしまったらしい。一冊二冊返ってこないことはあっても、さすがに学院と図書館の全部で一気に無くなるのは不自然過ぎるからだ。 移動して戻った樹、旅に出ていた鐘、忽然と消えた人気小説――これら不可思議な事件は後に学院の七不思議に加えられたとか加えられなかったとか。 【了】
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