――――――――――――――――――――死華遊戯規則一 五人の参加者は全員、珠の嵌めこまれた首輪を装着する。珠は参加者の首輪に付いている五個の他、遊戯舞台内に一個隠されており、総数は六個。二 首輪に嵌めこまれた珠は装着者の死亡により固定具が外れ、取り外しが可能となる。三 自分以外の参加者の珠四個と、隠された一個、計五個の珠を入手し、遊戯舞台内にある台座へそれら全てを嵌めこんだ者が勝利者となる。四 制限時間は四時間。制限時間までに勝利者が現れない場合、首輪に内蔵された小型爆弾が爆発し、その時点で残っている者全員が死亡する。五 首輪や珠を無理に外そうとした場合、爆弾の解除を行おうとした場合も上と同様。その時点で残っている者全員が死亡する。六 全ての参加者は「一般の人間」として同一の条件の元で遊戯に参加する。武器は遊戯舞台内で確保し、物品の持ち込みは不可である。七 参加者が全員死亡した場合、遊戯の支配人を勝利者とする。勝利を掴めぬ者は、死あるのみ。―――――――――――――――――――― 机の上に置かれたメモを回し読みしたロストナンバー達は、改めて目の前の、大量のポップコーンの盛られたバケットに手を突っ込んでいる司書に視線を戻した。「インヤンガイ、壺中天。行って来てくれんかの」 湯木が先に説明したところによると、先日、インヤンガイのバーチャルネットワークである壺中天上に存在する殺し合いゲームサイト『死華遊戯』にて、ゲームマスター役であるシーワンが暴霊に乗っ取られる事件が発生し、解決の為にロストナンバーを派遣したのだが彼らは目的を達成することができなかったという事があったらしい。 シーワンは殺し合いのゲームに参加した者の中から勝利者さえ出れば敗北を認め、自身を処刑する。それで暴霊は倒せるとあって、これまで何度もロストナンバー達を死華遊戯に派遣し、殺し合いゲームを行ってきたのだ。 しかし前回はそれがうまくいかなかった。そこで再度ロストナンバー達を死華遊戯へ派遣し、もう一度殺し合いゲームに参加してもらうことになったらしい。参加者側に勝利者を出すことでシーワンを処刑し、今度こそ取り込まれた人々を救出して欲しいというのが今回、人を集めた理由というわけだ。「前回の依頼が達成できんかった要因がシーワンの手駒……『タオファ』っちゅーんじゃが、今回もそれが参加者の中に含まれとるようじゃ」 五人目のゲーム参加者『タオファ』はシーワン勝利のために動く駒であり、他の参加者達の姿・性格・記憶を借りて出現する。任意で何度でも姿を変えられる以外の条件――壱番世界の一般人と同等の能力と武器等の持ち込み不可――は他の参加者達と変わらないが、タオファは最後に自分一人が生き残った場合、ゲームクリアを選ばず自殺するらしい。「タオファはゲームを途中放棄するような行為はせんらしいが、前のときはこいつにまんまとやられてしまったけぇの。わしが助言できることは特にないんじゃが――」 参加者側に勝利者が出なければ、ゲームはゲームマスターであるシーワンの勝利となる。それではシーワンに取り憑いた暴霊を処刑することはできないのだ。前回のゲームも、最後に残ったタオファの自殺により参加者側は敗北してしまったらしい。「――とにかく、期待しとる。そんだけじゃ。気ぃつけての」* * *「おっ、来たか。お前ら次こそうまくやってくれよな。頼むぜ」 現地の探偵に壺中天の設置された店舗へ案内される道中、ロストナンバー達は今回のゲームのステージについて彼から話を受けた。「遊園地らしい。お化け屋敷やらミラーハウスやらなんやら、お子様達が大喜びするような夢の国ってやつだ。っつっても殺し合いの舞台だけあって子供どころかゲーム参加者以外人っこ一人いねーがな」 人それ自体はいないものの、設備はどれも何故か自動で稼働しているとのことだ。つまりロストナンバー達がそこに辿り着けば、メリーゴーランドの煌びやかな馬も高速で奔るジェットコースターも彼らを大いに歓迎することだろう。「言っとくが、一応依頼だからな。遊ぶなよ?」* * * 中央には美しい白亜の城がそびえている。その美しい風貌は園内の何処からでも見ることができるようだった。賑やかな音楽が来訪者達の耳を楽しませ、色とりどりの風船が青空を漂っている光景は非日常的な夢の世界そのものである。 そんな中、参加者達はゲーム開始のときをそれぞれの場所で静かに待っていた。園内のあちこちに設置されたモニターを注視していると、微かなノイズ音の後に、荘厳なステンドグラスの中央に描かれた髑髏がモニターへと移し出される。『――ようこそ皆様。お待ちしておりました。まずは皆様を歓迎して、歌でも歌いましょうか』 園内の音楽がふつりと止まり、低く不気味にしわがれた声がゆっくりと甘い夢の世界を侵すように朗々と唄を紡ぎだす。――回る 回る 回る 天空から全てを眼下におさめ 高らかに笑いたまえ 地上の星はもう 君のものなのだから―― 髑髏は自身を見つめるロストナンバー達と、自身の可愛い『操り人形』に、慈愛のこもったような微笑を向ける。『今宵が皆様にとって、快適な殺戮の夜となることをお祈りしております』
幽太郎・AHI/MD-01Pはそわそわと落ち着かぬ様子で首を振り、様々なアトラクションが居並ぶ如何にも楽しげな光景を伺っていた。常ならば視覚になど依存しなくても、彼の保持する各種センサーによって周辺区域のデータなど容易に観測・解析できるはずなのだ。しかしゲームにログインした現在、それらは一切動作しなくなっている。いつも使えるはずの機能が使用不可能となってしまった現状、やはり不安の大きさは隠しきれない。 ひとまず現在の自分の状態を詳細に確認しようと、自己診断モードを起動しようとする。しかし、信号を送ったはずが何の反応も起こらない。 「使エナイ……? ドウシヨウ、困ッタナ……」 ひとまず自分の身体を触って状態を確かめてみる。まずは両手、見た目はいつもと変わっていない。だが両手を合わせて擦ってみると、なんとなくいつもより柔らかいような気がする。続いてお腹や足を触ってみると、やはりいつもと比べるとかなり装甲が薄くなっていることが分かる。死華遊戯のルールを考えると、恐らく人間と同じくらいの脆さになっているのだろう。となると、アクチュエータ出力も同様と考えるべきか。 「尻尾ハ、アルカナ……僕ノオ気ニ入リ……」 身体を捩り、自分のお尻の方を覗きこむ。見た目だけは金属質のままのお尻からはちゃんと立派な尻尾が生えていた。よく見えるように持ち上げて、自分の方へ向いた尾の先っぽを軽くぱたぱたと動かす。いつも通りに動かせる尻尾に、幽太郎はほんのちょっぴり安堵した。 近くにあったお土産を売っているショップのショウウィンドウに、自分の姿を映してみる。外見そのものはいつもの幽太郎だ。しかし体長はいつもより幾らか小さくなっている。 ショウウィンドウから目を離し、改めて周辺の様子を眺めてみた。まだ、辺りには誰もいない、と思う。見えないところに隠れてて急に出てきたりしたらどうしよう、と想像すると先へ進むのが怖くなる。 「……僕……大丈夫カナ……センサー無シデ戦エルカナ……」 怯えと不安でおどおどとしながらも、幽太郎はとりあえず行動を起こすことにしたらしい。だがやはり、引き摺るような動作で歩きだした彼の尻尾はしょんぼりとうな垂れるままだった。 耳に届くのは軽やかな音楽。玩具箱の中にでもいるような景色。そこは確かに非日常。ハルカ・ロータスの以前の居場所は、非日常が日常である場所であった。ただ、それは夢心地の非日常とは真逆の場所である。「生きる」ことの価値の低さを、そこに在る者に刻みつけていくような、戦場という非日常。そういう意味では、この楽園を模った死の舞台の非日常的光景も、彼の知る非日常と近しいものなのかもしれない。 ただ、ハルカが今望むのは非日常の空間ではない。今、このときもハルカの帰還を待ってくれている友人がいる。だから、帰らなくてはと。彼は思うのだ。 遊園地のアトラクションの端には、スタッフルームへ続く通路への侵入を阻むためのロープが張られている。ハルカはそれを外して回収すると、さらに奥のスタッフルームから布や段ボールなど目ぼしいものを漁っていく。擬似とはいえ、殺し合いのゲームに望む彼の心内はいやに落ち付いている。慣れ、というものなのだろう。命を奪う行為、命を奪われる行為、そのどちらにも、ハルカは慣れ過ぎていた。死に対して、何の感慨も恐怖も抱くことがないほどに。ふいにそんな自分に気がつき、ものを漁るハルカの口から呟きが漏れる。 「帰りたい、帰らなきゃ、っていう気持ちに偽りはないのに、死ぬことは怖くないんだな。考えてみれば、不思議だ」 帰るために、生きなければならない。だが、死を受け入れることは何時でもできる。意志と感情が矛盾し、存在した。ハルカはその矛盾に誤魔化されないようにと、自分がどうしたいのか、再度思考する。 「帰ろう。俺は、ちゃんと帰りたいんだ。やることは、……うん、分かってる」 ズボンのポケットから、先に入手してきた土産物のライターを取り出す。火は、ちゃんと点く。躊躇いはない。慣れた仕事をすればいいだけなのだから。 セリカ・カミシロは重苦しい胸の内に篭る何かを吐き出すように、ゆっくりと息を吐いた。再び死華遊戯の舞台に上がった彼女の脳裏には、先のゲーム、死の間際の光景が繰り返し映し出されている。包丁を手にした隻腕・隻眼の男。同じく自分の手の中にあった包丁は、意志さえ伴えばきっと男の身体に届いたはずだった。しかし、刃は止まらぬ震えの中で停滞する。そして、「彼」は言ったのだ。仲間を傷つける恐怖に苛まれていた自分を見透かすように、嘲るように。 『その覚悟では、何も掴めない。……だろう?』 自分の覚悟の甘さが、今回のゲームを招いたのだ。あの時、互いの刃が届く程に接近しあったあの時に、自分が動けていれば、ゲームは終わっていたはずだった。自分が、タオファを殺せていたのならば。 (殺さなきゃ。今度こそ、みんな殺さないと……) セリカは、メリーゴーランドの受付の窓を叩き割る。割れたガラスの破片が僅かに彼女の拳を傷つけたが、構わずに散った破片の中から手ごろな大きさのものを拾った。 同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。同じ事をしでかすのであれば、再びここにやってきた意味が無いのだから。シーワンへの敗北という結果を招いた責任をとらなければ。今度こそ、覚悟を決めるのだ。何も掴めないのは覚悟ではない。そんな覚悟では、何の意味もない。 (覚悟よ。覚悟、覚悟、覚悟……) ぎゅう、っとガラス片を握った。破片の断面が掌に食い込む痛みが脳に伝わってくる。あの時と同じように、手は震えていた。それを止めようと、もう片方の手で押さえつける。 『その覚悟では、』 また頭の中で繰り返される言葉を振り払うように、セリカはガラス片を衣服の中へしまいこむと、その場を足早に離れていった。 赤、青、白、緑、黄、桃、橙、――風船は青空の中でふわふわと漂い、次々に空へと昇っていく。ニコ・ライニオは通りの端に設置されていたベンチに腰掛けていたまま、それらを眺めていた。視線を下ろせば、地上には様々な形の遊具に囲まれて美しい城が佇んでいる。人の気配は、今のところまったくない。 「これが貸し切りのデートだったら、最高だったのにね」 死のゲームの最中には不釣り合いなぼやきを聞く者はいない。これから自分は殺されるだろうと、ニコは思う。自分が最後まで生き残る、なんて――ゲームにログインする前に顔合わせした面々を思い返す――ありえない。無理。誰かがその心内を読んだらその諦めの早さに呆れたかもしれない。それでも、自分にできる事とできない事くらいは分かる。 問題は誰に殺されるかだ。別に殺されたいとかそういうマゾヒスト的なことを考えているわけではない。断じてない。たぶん。ただ、どうせなら女の子に殺されたい。それだけだ。できれば痛くしないで欲しい、という気持ちはあるが。 「セリカちゃん、だっけ」 金髪のツインテールがキュートな娘だったな、と思い返し、頬を緩ませる。彼女にだったら殺されるのも悪くない。ただ、ここに来るまでの道中、彼女が何処か思いつめたような表情をしていたのが少し心配だとも思う。彼女は今何処で何をしているだろう。互いに殺される前に、会う方法はないだろうか。そんな都合の良い手段はないと分かりつつも、そんなことをついつい考えてしまう。 いつの間にか、デートのプランでも考えているような気分になっていた自分に苦笑する。そんな思考になったのは、この賑やかで如何にもデート日和な遊園地のせいだろうか。否、それだけではない。 「女の子に殺されるなら、本望だよね……」 あえて繰り返すと、彼は別に殺されに行きたいマゾヒストではない。おそらく。 * * * 園内の端の業務用倉庫の出入り口から、幽太郎は恐る恐る顔を覗かせる。外に待ちうけている者はいないかと、びくびくしながら慎重に、必要以上に何度も確認してようやく倉庫を後にした。手に持っているのは遊具の整備に使用するものであろう大きなパイプレンチだ。 「任務ダカラ、ダカラ……殺スノ嫌ダケド、ヤラナキャ、駄目ナンダヨネ……?」 自身に言い聞かせるように呟き、今度は人を――殺す相手を――探すためにゆっくりと足を前へ運ぶ。だが気持ちは重い。力なくずるずると引き摺られていく尻尾に、それがどれほどの重さかが現れているようだ。 「ココハ現実ジャナインダヨネ? ダカラ、後デイッパイ謝レバ、キット、許シテクレルヨネ?」 幽太郎の沈んだ気持ちとは裏腹に、園内は相変わらず陽気な音楽で満たされている。くるくる回転するコーヒーカップのパステルカラーがとても可愛らしい。この遊園地のマスコットらしい絵が描かれているゴーカートは、みんなで乗ればきっと楽しく盛り上がるに違いない。 ふいに自分の上に暗い影が落ちてくる。幽太郎は「ヒャアッ」と驚いた声をあげて硬直し、パイプレンチを思いっきり握りしめて振りあげた。 しかしそれが上空に漂う風船の群によるものだと気づくと、幽太郎はぐったりした様子でゆっくり振りあげた腕を下ろす。その表情はロボットであるにも関わらず今にも泣きそうなほどに憔悴していた。先程ピンッっと縦上がった尾も、しおしおと枯れていくように地面へ落ちていく。 いつものようにセンサーやレーダーが使えればこんな風に物体の判別に困り混乱する事などありえないというのに。それを思うと余計にこの園内を彷徨い歩くのが恐ろしくなってくる。 「ミンナ、何処ニイルノカナ」 哀しげな顔をそっと上げる。そんな彼の目に飛び込んできたのは、園内でも一際目立つ巨大なアトラクションだった。 「アレ、ジェットコースターダ……」 蛇のように長くうねるレーンの上を、ロケットのようなデザインの車両が駆け抜けていく。それをしばらくじっと眺めていた幽太郎は、またそわそわと周囲の様子を伺った。ただ、今度は怯えてというよりも、隠してあったおやつを見つけた子供のような落ち着かなさだ。 「チョ、チョットダケ、イイカナ……?」 メリーゴーランドから移動してきたセリカは、ポップコーンを売る屋台の陰から人の気配を伺っていた。広い園内で、たった四人を見つけ出すのはなかなか時間のかかるものだ。慎重には進むものの、誰とも出会わぬ空白の時間は決死の覚悟を極めんとする彼女の神経をすり減らしていく。 そんな折だった。遠くに何者かの動く様子を、セリカは確かに捉えたのだ。それが誰なのかと思考しかけるが、すぐに首を左右に軽く振って、それを取り払う。 (そんなこと、考えなくていい。今はただ、やるべき事をするの) 向こうにいた人物が自分に気がついたような様子はない。セリカは他の参加者が近くにいないかを確かめると、屋台から飛び出してまっすぐにジェットコースターの方へ駆けていった。 「ジェットコースター、乗ルノ初メテ」 パイプレンチを一旦近くに置き、わくわくとした様子でジェットコースターの車両に乗り込む幽太郎は、すでに殺し合いの最中ということを忘れかけているようである。体のサイズが通常時より小さくなっているうえに、体重も軽くなっているらしい。乗っても車両が悲鳴を上げるようなことはなく、多少尻尾の置き場所に四苦八苦したものの、無事に安全バーを装着することができた。 車両は、やがてゆっくりと動き始める。金属同士が触れ合うやや甲高い音が響いた。幽太郎は少し緊張しているのか、安全バーを両手でぎゅっと掴んでいる。 ジェットコースターは山なりになっているレールの頂きまで辿り着くと、ほんの数秒沈黙した。その間にちらりと周り目をやると、遊園地全体を一望できるのではないかというほどの壮観な景色が広がっている。幽太郎はつい「ワァ……」と感嘆の声を漏らした。 そうしている間にも、車両はついに頂きを超えていく。車両は前方に傾き、いよいよ地に向かって落下せんとその車体を滑らせる。幽太郎はその様子をじっと、些か強張った顔で見つめていた。 そして、車両は重力に吸い込まれ、落ちる。 「キャアアアァァァァァァァァッ!?」 予想していた以上の落下スピードに、幽太郎の悲鳴も大ボリュームだ。高位置からの落下の運動エネルギーをそのままに、コースターは一気にレールを奔っていく。 (速イ、チョット、刺激、強スギッ) 先に続くレーンは、大きく一回転するような形に湾曲している。そこへ差しかかると、車両ごと幽太郎の身体は逆さまになり、見える景色も逆さまになった。 そのときだった。幽太郎が捕まっていた安全バーが、ガチャリと音を立てたかと思うと、幽太郎から見て上方に跳ねあがったのだ。幽太郎は咄嗟にそれを逃がすまいと縋りつこうとするが、逆さまの状態で既にロックの外れてしまったそれを元に戻すのは至難の技だった。幽太郎の身体は宙に放り出され、安全バーを掴んでいた手もあっという間に離れてしまう。 「ヒャァッ」 引き攣った最期の悲鳴も、そのまま奔り去るコースターの風と、園内に流れる陽気な音楽の中に吸い込まれていった。 遠くで、何かが落下し、地面に叩きつけられるのが見えた。受付近くに備えられていた消火器を手にしたまま、セリカはその光景に体を強張らせる。 「……見ちゃ、駄目……これ以上、」 落ちた者がどのような形になったのか視認する前に、体を無理矢理反転させる。肩で息をする彼女の目の前には、めちゃくちゃに潰された状態のジェットコースターの制御盤があった。ついに、自分は「誰か」を殺したのだ。落下したものは、人型とは少し違うような気がする。それは「誰か」が車両と共に落下したからなのか、それとも、その「誰か」があの大人しそうな竜のロボットだったからなのか。そこまで思考しかけると、セリカは顔を伏せる。消火器を置き、胸の奥からこみ上げてくる感情を飲み込むように、口元を手で押さえた。 (まだ、終わりじゃない。行かなきゃ……行かないと……) * * * ぱちりと、火の爆ぜる小さな音がハルカの耳に届く。松明のように先端に火を点けた木片を、観覧車の天辺へとゆっくり近づいていくゴンドラの開け放した扉から差し出していた。改めて地上に仕掛けた焚火を見下ろしてみると、園内からできる限りかき集めてきた布や木材や紙類からは白い煙がもくもくと立ち昇り、天高くにいる自身の元にまで届きそうになっている。地上と、回転する観覧車の二点から上がる煙に、何人が気がつくだろうか。広い広い遊園地を孤独に彷徨う参加者達は、見つけたいはずなのだ。互いを。自分を。殺すために。 特別な感情も特に伴わない双眸で、ハルカは静かに地上を見下ろし、ただ、待っていた。自分を見つけた者が現れるのを、ひたすら待つ。 その手の中には、既に珠が一つ握られていた。「仕掛け」を用意している最中、地表高くから地上を見下ろしたときに見つけたものだ。地上の星の如く、観覧車の麓、乗降受付の小屋の屋根でライトに照らされ瞬いていたのだった。 ふいに、視界の端で何かが動いたようで、ハルカは反射的に顔を上げる。遠い。遠いが確かに、誰かがこちらへ接近していた。まだそれが誰かまでは視認できない。だが、人が来ると分かっただけで充分だ。ハルカは珠を失くさないようにズボンのポケットに仕舞い、火の点いた木片をゴンドラ内に残して外へと身を乗り出す。 落下はしない。園内からかき集めたロープが、回るゴンドラ同士を蜘蛛の巣のように複雑に繋ぎ合わせていた。軽く足を乗せれば、軋む音はするものの、厳重に結ばれたロープ同士はそう簡単に千切れる様子はない。ハルカは未だ煙をあげ続ける木片をゴンドラ内へ残し、ロープを伝って別のゴンドラへと移っていく。 後は、待つだけだった。 「えーっと、これはハズレって思った方がいいのかな……?」 観覧車をまじまじと見上げる赤髪の青年は、些か、否、大分残念そうに首を傾げていた。自分が探していたのは今回のゲームに唯一いる女の子、ただ一人だったはず。しかし焚火といい観覧車に張り巡らされたロープといい、女手でできる仕事だとは到底思えない。 一応念のため乗り場の近くまでやっては来たものの、近づくほどに嫌な予感がしてくる。 「……引き返しちゃおっかな。まだセリカちゃん見つけてないし」 自分は何も見なかった、と言わんばかりに観覧車に背を向ける。そのまま立ち去ろうとする彼の服の襟ぐりを、何者かが掴む。 「!?」 そのまま彼の身体はゴンドラの中へと押し込まれた。続いて、同じゴンドラの中へハルカが身を滑り込ませる。 ハルカは再度目前の青年の胸倉を掴むと、先の尖った木片を取り出す。一連の動きには一切の無駄が無い。そのまま木片でニコの首を狙う――が、ハルカはすぐにそれを中断して相手との距離をとる。 ハルカの鼻先には、園内にあった装飾品であろう精巧なデザインの剣が突き付けられていた。飾りであるならそれで体が斬られることはないだろうが、金属製であれば殴られれば無事では済まないし、斬る事は出来ずとも突くことはできるのだ。 「あーあ。これもハズしちゃった、かな?」 残念そうに――少し困ったように笑う相手に、ハルカは特に何を問うでもなく。剣を突き付けたまま立ちあがるニコの動作にただじっと観察していた。 「……慣れてるな、お前も」 「……何のことやら、さっぱりだね」 どう恍けられようと、経験で分かる。戦場において、殺す事に慣れてる者の動作は、そうでない者とは明らかに違うと。何故なら、慣れてる者は相手の死を恐れない。殺される事に慣れてる者ならば、自分の死すら恐れない。 だが、相手の事などは今になっては関係ないことだ。自分のやるべき事には何の影響も与えない。ただ、相手を殺せばいい。それだけだ。 狭いゴンドラ内では、得物は自分の方が小回りが利く分扱いやすくなっているはずだ。しかし、ナイフなど殺傷能力の高いものであるならまだしも、木片一つとなると、相手の剣を防ぎきり急所を貫けるかというと正直困難と思わざるを得ない。腰にはロープも提げてはあるが、このまま正面から挑んで首を絞めるのは不可能に近い。 だが、ハルカに思考を続ける暇はなかった。目の前の男が急に動いたのだ。一歩、こちらに接近し、剣の先がハルカの胸に突き込まれる。ハルカは、咄嗟にゴンドラの外へ降りた。 落下はしない。張り巡らしてあるロープの上に脚を付け、そのまま別のゴンドラへ移る。そこははじめ、燃える木片を持ち下の様子を伺っていたゴンドラだった。中には燃え尽きた木片が焦げた匂いをさせているだけで、他には何もない。 外を覗く。ニコがロープを伝ってくる様子はない。再度挑むなら、また同じゴンドラにこちらから乗り込む他ないのだろう。ハルカは思考する。そして、その結果をすぐに行動に移した。 ゴンドラの中から、彼は外をゆっくり見下ろしていた。ここからは、園内すべてが見渡せる。だから遠くにいる人の姿も、目を凝らせば見つかられそうだ。 「……ああ、いるいる。あそこにいたのか」 二人、見えた。形や大きさからして、あの竜のロボットではないだろう。なら、あの二人が誰かなのかはすぐに分かる。 「今回は、掴めるかな? ねぇ、――」 出かけた言葉は途中で止まる。外からロープの軋む音がする。ゴンドラはもう頂上に近い。ハルカがあのロープを登ってきているのだろう。一旦脇に置いておいた剣を手に取り、ゴンドラの扉を閉めると、その脇へ身体を寄せる。鍵は内側からはかけられない。故に、彼はそのままハルカを待った。 扉の向こうに、ハルカの姿が見える。見晴らしが良いように、ゴンドラの四方は窓で囲われているのだ。一応脇へ寄っては見たものの、あちらからも自分の位置は分かっているだろう。だが、乗り込む側と待つ側では、どちらが隙が大きいかは誰にでも分かる。扉が開け放たれる。ニコは剣を振り上げ、彼の侵入を待つ。 しかし剣がハルカに振り下ろされる前に、ハルカが投げた何かでニコは視界を塞がれた。 「痛――!?」 それは白い砂のような、灰だった。ハルカは目にダメージを受けたニコの手を蹴り、剣を落とさせるとそのまま彼の背後にまわる。そして彼の首に腕を回し、そのまま絞め上げた。 落ち着き払った様子で、ハルカはそのままニコを絞め落とそうとする。そのとき、脇腹に強い衝撃を受けた。ニコが肘でハルカの脇腹を全力で殴ったのだ。ハルカは腕を離すことこそしなかったが、俄かにたじろいだ。その隙に、ニコはハルカの腕と頭に腕を回し、前方に全体重をかけて倒れ込む。ニコの前方、即ち――ゴンドラの外へ。 「――あ、」 数瞬遅れて、ハルカは相手の意図を理解した。しかし、そのときには既に二人とも地面へと引き寄せる重力の中だ。すぐにニコの首から腕を離しロープを掴もうとするが、ニコに思いきりしがみつかれた状態ではままならない。 「こんな風に心中するなら、違う人がよかったんだけどね」 そんな言葉が聞こえたような気がしたが、風の音に紛れてよくは聞き取れない。 「……ああ、これは。参ったな……」 ハルカは苦笑した。恐怖はなかった。慣れというものは、本当に―― * * * 「やぁ、待ってたよ……大丈夫かい?」 ニコは嬉しそうにセリカを迎えた。目の前に立つ彼女がログイン前より顔色が優れないと見ると心から心配そうに声をかけるが、セリカは何も応えない。 「ねぇ、セリカちゃん。僕はね、君になら僕の命を差し出してもいいんだ」 そう告げると、セリカはようやく僅かに顔を上げた。ニコは彼女の前で両手を上げ、自分が何の武器も持っていないことを見せる。その表情はいろんな感情を押し殺しながらも、彼のその言葉と仕草に少し驚いたようだった。 「ただ、一つだけお願いがあって」 辛そうな彼女を気遣うように、ニコは優しく微笑みかける。彼に本当に敵意が無いのは、誰の目にも明らかだった。だが、セリカには分からなかった。彼に本当に何の意図もないのか。彼が本物のニコなのかも分からなかった。 「最期に、一緒にあれに乗ってくれないかな?」 あれ、とニコが指差したのは、大きなパラソルに釣り下がった沢山のブランコがくるくると回転している、空中ブランコだった。 「君と乗れたら、きっと楽しいと思うんだ」 ニコは、別に殺し合いのことを忘れている訳ではない。ただ、この状況で自分が何をするべきかと考えると、やるべきことは一つしか思い当らなかったのだ。 つまり――この過酷な状況下できっと寂しい思いをしている女の子に、ほんの一時でも楽しい時間を。 「どうかな?」 ニコは優しく、優しく笑う。その笑みを見つめながら、セリカは、平時なら自分はどうしただろうかと、思う。 自分が、今、やるべきことは明らかだ。それをするべきなのだ。目の前の彼は何も持っていない。自分は、服の中にガラス片がある。今すぐ飛びかかって、彼を刺せばいい。そうすれば、このゲームは終わりに近づく。この苦痛の時間が短くなる。だから、殺さなくては。殺さなくてはならない。 「ねぇ、セリカちゃん」 セリカは、服の中からガラス片を取り出し、ニコにその切っ先を向けた。手は震えている。さっきは、標的に対面したうえでの殺人ではなかった。しかし、今度は違う。今度は、相手を目の前にして、直接、殺さなくてはならないのだ。 ニコは彼女が向けたガラス片を見ると、優しい笑みは残しながら、しかし残念そうに、溜息をつく。 「やっぱり駄目、か」 しかし、セリカは刃先をニコに向けたまま、その場から動かない。セリカは自分の脚が、地面に縫い付けられたような感覚を受けていた。 「か、くご……決めた、はず、なのに」 動けない。これでは、前と同じだ。胸の奥から、悔しい気持ちと申し訳ない気持ちがせり上がってくるのを、セリカは必死に堪える。 「……ねぇ、セリカちゃん」 だから、気がつかなかった。ニコが、彼女のガラス片を持つ手をそっと自分の手で包んだ事に。 「乗ろうよ。きっと楽しいよ」 そして、手を引かれるまま、セリカは空中ブランコの方へ足を運ぶことになったのだった。 茫然としたままのセリカを乗せて、ブランコはそっと宙へ上がっていく。そして、緩やかに、色鮮やかなパラソルの回転と共に、ブランコは二人を乗せて、高く、高く昇り、回り始める。 二人掛けのブランコに並んで座って、他には誰もいない。セリカは、ガラス片を握ったまま、優しい風を感じながら回転する景色を呆と眺めていた。 「すごいね、これなら遠くまで見えそうだよ」 ニコの言葉に、ずっと景色を眺め続けているセリカが特に反応を返すことはなかった。しかし、少なくとも退屈している訳ではなさそうで、先程の彼女があまりに辛そうだった事を思うと誘ったのはまったくの無駄ではなかったんじゃないかと。ニコはその事に対して心底嬉しそうに笑んだ。 ふいに、セリカは遠くの観覧車から煙が上がっているのを見つける。 (きっと、あそこにも……誰かがいる。行かなきゃ……) 「ねぇねぇ、セリカちゃん。僕、今度は普通に、君と遊園地に行きたいな」 ニコは急に顔を伏せたセリカの肩を叩く。憂鬱そうな顔で振り向いたセリカに、にこりと笑いかけた。 「……え?」 「だからそのために、君に、僕の命をあげるよ。目を瞑って。ブランコが止まって降りるまで、開けちゃ駄目だよ。そして降りたら、なるべく僕は見ないようにして、珠を拾って。後は振り返らず走って。全部終わったら、また会おうね」 戸惑うセリカの両目を手で塞ぎ、瞑ってと、繰り返す。セリカが目を閉じたのを確かめると、ニコはそのままブランコの手摺りの下へ身体を滑らせる。 (女の子に殺されるのは悪くない。でも、こんな風に女の子の為に死ぬのも悪くない、よね) とりあえず、下だけは見ないように。自分も目を瞑って、ブランコから身体を離した。 * * * セリカは、ニコの言うとおりにした。ブランコから降りたら、見るに堪えられない彼の姿はできるだけ見ないように転がっていった珠を回収して、走った。 そして、それから間もなく彼女は知る。園内には、もう自分以外に誰も、生きている人間はいないことに。 * * * セリカは、五つの珠を手に遊園地中央の城の中に入っていった。大広間の中央にある台座に珠を嵌めこむと、正面の扉が開いて、燕尾服を纏った仮面の老紳士が古めかしい椅子に縛りつけられた状態で現れる。 「おめでとう。君の勝ちです、君を心から称賛しましょう」 シーワンは、嗤う。愉快気に。楽しげに。ひとしきり笑うと、彼の身体は炎を上げて燃え始める。 「ごきげんよう、勇ましき勝利者殿」 炎の中から、しわがれた声で紡がれた別れの言葉。セリカはそれを、ただただ、見つめていた。 (今度は何かが掴めたというの? これで? 私は、私は、) 少女は俯く。責任は果たした。しかし、彼女の中で晴れるものはなく、ただ、目の前で渦巻く炎を茫然と眺めるしかなかった。 そして残されたのは、ただ一人。 【GAME CLEAR】
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