オープニング

 トラベラーズカフェの端っこのほうのテーブル席で、見覚えのある大きな背中を見つけた七代・ヨソギは尻尾をぴこぴこ揺らしながら近寄っていった。
「しらきさん」
 こんにちはと声をかけると、振り返ったしらきは口の端を上げた。
「ヨソギか。丁度いいところに」
「何か依頼の話ですか?」
 テーブルに置かれた紙片に視線をやり、勧められるまま座ったヨソギが首を傾げる。
「ヴォロスでな。竜刻が石を作るらしい」
「竜刻が作る……?」
「訪れた者の想いや感情を、竜刻が石として形作ってくれるらしい。その石を原料に作った装飾品や武器などは不思議な力を宿すことがあり、持ち主を不幸より守るそうだ」
 取り上げた紙片を揺らして説明されたそれに興味を惹かれたヨソギの後ろから、聞きかじりでお邪魔します! と勢いよく手を振り上げて話に混じったのは吉備サクラ。
「竜刻で作る装飾品、すごく興味ありますっ! 私も一緒に行ってもいいですか?」
 きらきらと目を輝かせるサクラに、しらきは僅かに眉を上げた。
「参加は歓迎だが、竜刻そのものではないぞ。竜刻により生み出される石だ」
「あ、そうでしたか。すみません、早とちりして。でも竜刻が作る石も興味があります!」
「感情を汲んで石とするなんて、不思議ですよねぇ」
 勿論ボクも参加させてくださいねぇ、とのんびり笑ったヨソギに、しらきは満足そうに目を細める。
「これで三人か。後何人か参加してくれると、助かるんだがな」
「じゃあ、僕も立候補しようかな」
 感情が石になるなんて面白そうだと手を上げたのは近くの席にいたニコ・ライニオで、な、と彼が笑いかけたのはまた別の席にいたオゾ・ウトウ。オゾは勝手に聞いててすみませんと軽く首の後ろをかいたが、
「思いが形になる……何だか懐かしいです」
 故郷を懐かしむように呟き、一緒に行ってもいいですかと控えめに参加表明する。
「五人。丁度いい感じですか?」
 じゃあ早速行っちゃいますかとわくわくしたようにサクラが提案すると、ん、と頷きかけたしらきはいや忘れていたと今にも踵を返しかねない彼女を制止した。
「己の想いや感情により石が生み出される時、それらに向き合う必要があるらしい。場合によっては、見たくない思い出したくないものと向合うことになるかしれんと聞いた」
 それは承知しておいてくれと真面目な様子で付け足したしらきに、全員何となく神妙に頷いた。それを見て僅かに口許を緩めたしらきは、それじゃあ準備に取り掛かるかと立ち上がった。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>

しらき(cbey8531)
七代・ヨソギ(czfe5498)
吉備 サクラ(cnxm1610)
ニコ・ライニオ(cxzh6304)
オゾ・ウトウ(crce4304)
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品目企画シナリオ 管理番号2586
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
クリエイターコメント竜刻が作る石、素敵企画に飛びついてしまいました。
精一杯真面目にしっとり綴らせて頂きます。

今回竜刻が読み取るのは誰かに向けた想いでしょうか、それとも遠い記憶でしょうか。
胸に痛く時に突き刺さる物もあるかもしれませんが、皆様の大事な想いを形にしてお返し致します。
手元に残したい、誰かに捧げたいそれら、どうぞ聞かせてやってください。

最終的にどんな装飾品にしたいか、石のまま希望などございましたら添えておいてください。
ないと捏造してしまいますので、書き手の暴走不可の場合はそれも書き添えてくださいませ。
今回はあくまでも真面目に。大人しく。枠をはみ出ないように頑張ります。

プレイング期間は五日と少々短めです、ご注意ください。

ではでは、訪れる想いの様々に胸を震わせつつお待ちしております。

参加者
吉備 サクラ(cnxm1610)コンダクター 女 18歳 服飾デザイナー志望
七代・ヨソギ(czfe5498)ツーリスト 男 13歳 鍛冶職人
オゾ・ウトウ(crce4304)ツーリスト 男 27歳 元メンテナンス作業員
ニコ・ライニオ(cxzh6304)ツーリスト 男 20歳 ヒモ
しらき(cbey8531)ツーリスト 男 38歳 細工師・整体師

ノベル

 きぃん、きぃん、と石を打ちつけ合うような音が遠く聞こえてくる。高く澄み切ったその音はどこか悲しく、胸に痛く、それでも耳を塞ぐことなどできないほどには心惹かれる。
 どうやらそれは、彼らが今から向かう洞窟から聞こえてくるらしい。近くの町の住人は決まった時しか訪れず、たまに噂を聞きつけて訪れるしらきたちのような存在も今は他にない。
 誰もいないはずの洞窟から聞こえてくるのは、石の泣き声なのか。
「何だか柔らかく優しい音だね」
 どこか懐かしむように目を細めたニコの言葉に、え? と聞き返したのはサクラだった。不審げな聞き返しにニコがふらりと彼女に視線を向けると、サクラはおずおずとしらきたちを見回した。
「これ、……この音。皆さんにも、優しい音、ですか」
「? すみません、分かりかねます。僕には慣れた音なので……懐かしい気はしますが」
 優しい? と分からなさそうに首を捻ったのはオゾで、ヨソギはうーんと考え込んだ様子で慎重に口を開く。
「ボクには少しだけ、痛く聞こえますねぇ。職業柄、ボクも慣れてるはずなんですけどぉ」
 しらきさんはと仰ぎ見て首を傾げられ、ん、と反応しながら音がするほうへと顔を巡らせた。
「それぞれに、聞こえ方が違っても不思議ない……。あれは、そういう石なんだろうからな」
 それに惹かれて来たんだろうと同行者の顔を見回すと、そうでしたとサクラが拳を作って大きく頷いた。
「どうしても守り石が欲しくて来たんです、こんなところで躊躇ってる場合じゃありませんよねっ」
 突き刺さる音の分だけ守りが強くなるならどんとこいですでもちょっと手加減してほしいですけどっ、とまだ遠い音に向けてびしっと指を突きつけたサクラに、そんな仕組みでしたか? とオゾは控えめに首を捻る。
「まぁ、どっちにしろ行ってみないと始まらないよ。さて、どんな形を見せてくれるかな」
 楽しみだねと笑ったニコが軽い足取りで先に向かい、きぃん、きぃん、と定期的に聞こえてくる音に耳を傾けながらしらきたちものんびりとその後に続いた。



 ぎぃんっ、と火花を散らして鉄が鳴いた。ふと我に返ったヨソギは振り上げた槌に目をやり、もう片手で持った鍛えられている最中の鉄に再び打ち下ろす。
 ぎぃんっ。
 少し遠くからは、かん、きん、と別の誰かが槌を振り下ろしている音が聞こえる。懐かしく、耳に馴染んだ音、空気。風景。
 ああそうだ、彼はこの鍛冶場で槌を振るい、鉄を打つ。より良い物を、より頑強で鋭くて、便利な物を作り出す為に。
 何故そうするのか、と問われても困る。それは彼の家業であり、稼業であり、先祖代々連綿と続けてきたことであって自身も物心ついた時には既に槌を握っていたからだ。火と向き合い、鉄を打つ、それこそがヨソギの生。
(……違う)
 確かにそうだった、少し前までは。鉄を鍛える時に何かを思うことなどなかった、ただどうすれば性能を引き出せるか、いい道具になるか、その手の考えは巡らせていたけれどそれだけ。
 いつだったか、そんなヨソギに気づいたお爺ちゃんに叱られた。心のない鉄は、ただの鉄だと。
 言われた当初は、さっぱり意味が分からなかった。何を言われているのか考えるようになり、思い悩むことになり、やがてたった一人と巡り会った。そうして気づいた。心の意味を。
(アナタが喜んでくれると、すごく嬉しいんですぅ)
 ほう、と心にも火が灯るようだった。
 ありがとうと向けられる笑顔、自分の作った物を心から喜んでくれたという喜び。何も思わずただ道具を作っていた頃には得られなかった、向けられる思いに対する実感がヨソギを震わせた。
(ボクの作った物は、アナタの為になってますかぁ?)
 貰った心を込めて鍛えた鋼で、誰かの笑顔を引き出せたらいい。
 ああ、そうか、彼が今まで作ってきた物は確かに鉄のまま。心の篭りようもない、冷たい金属というだけだった。それを教えてくれたのはお爺ちゃんと、──。
 大好きな人を守りたい、その為の武器を作りたい。誰かがそれを振るう時、一助になればと祈りを込めて鋼とする。
(でも、僕が作っているのは武器なんですぅ……、守るだけでなく、誰かを殺めることもできる物だって……)
 ヨソギに心を教えてくれた相手を、自分の手で作った武器が死なせてしまった。あの時の絶望は、思い出すだけで寒気が止まらない。今すぐにでも槌を投げ捨てたくなる。
 けれど、それは駄目だとも気づいた。死なせてしまった事実がどれだけ重く圧し掛かってこようとも、ヨソギにできるのは作り続けることだけだ。もう二度と誰もこんな思いをしないですむように、大切な人を守れるように……。
 最高の武器を作り続ける、それこそがヨソギに課せられた使命なのだと強く思う。
(──ちゃん)
 二度と会えないと思っていた。二度と会うことが許されないと思っていた。けれど違う、彼女はちゃんと生きていて、今もまたヨソギに笑いかけて心の強さを教えてくれるから。
 ほう、と目の前が淡く光った気がしてヨソギは慌てて目を開けた。いつの間に目を閉じていたのだろう?
 首を捻りつつまるで取れとばかりに瞬く光に目を向け、そうと掌を上にして出すとその手にころりと転がるのは小さな石。魚の骨にも、銛のようにも見える白い石にヨソギの口許は知らず緩む。
「これ、ペンダントにして贈ったら喜んでくれるかなぁ」
 再び会えた、あの人に。ヨソギの心の形は、彼女の中にも小さな音を立ててくれるだろうか。



 りん、と空気が震えた気がした。億劫そうにそちらに目をやったしらきは、ぱちぱちと爆ぜては赤く空を舐める炎に目を細めた。世界が終わる。しらきが終える。
 りん。
 鳴くように空気が震え、まるで世界の終焉を悼むかのようだ。けれどしらきにとってそれは、何の感慨も及ぼさない。栄えたものは、何れ滅びる。それの幕引きを担うのがしらきの役目、それこそが存在意義であって否やはない。
 その日もまた、繰り返してきた幾つかの内の一つだった。ただ彼の齎した炎に呑まれ消え行く命と、無駄と知りつつまだ守ろうと足掻く細い腕を見つけてしまっただけだ。
(はかない……)
 不死に近いしらきにとって、喪われる日を想像するのは難しい。始まりと終わりを繰り返す、それだけが世界の営みだと突き放すように考えていたしらきにとって、その小さき者の喪われていく様は心に波紋を立てた。
(おれは今まで、壊すだけだった)
 それを虚しいと思ったわけではない、厭ったわけでもない。ただ心に微かな波紋が残る間、壊すことではなく作ることをしてみようと思い立った。同じ役目の者に後を任せて一線を退くと、妖の森に篭って細工を始めた。
 石に向かって一心に細工を施していると、逆に周りの音や風景がよく分かるようになった。今まで気に留めることもなかった森羅万象、何もかもすべてが美しく思えた。一つとして同じ形の物はなく、一日として同じ日はない……。
 じきに厭いてまた元の生活に戻るのではないかとも思っていたが、退屈知らずの毎日を楽しんでいたところに再び放り込まれた礫。
(──、)
 悟りに連れてこられた、妖と同じ力を持ってしまった人の子。細く、小さすぎる手を見下ろし、細工に向いていそうだなと考えたのを読んで驚いたような目を向けてきた、あの時の顔なら忘れない。
 何度も瞬きを繰り返し、言葉はないのにその眼差しだけで如実に語りかけてきた──怖くはないのかと。
(こわいものか)
 思い出すだけで、じんわりと胸の内が熱くなる。
 少しばかりの時ながら、同じく過ごした唯一の養い子。塞いで言葉まで失っていた彼が、隣でゆっくりと人らしい時間を取り戻していくのを眺めるのは楽しかった。
 確実にしらきより早く年老い、別離が待ち受けているのも分かっていたけれど。しらきの側で、しらきを真似て、不器用に石に細工する姿は幾らか大きくなっても皺を帯びても和むに相応しい姿だった。やっぱり駄目ですねと笑って手放した石をしらきが仕上げると、不思議そうに懐かしそうに手にして笑った──。
 ほう、と目の前が淡く光った気がして、しらきはゆっくりと目を開けた。ああ、どうやら石の見せた記憶に魅せられていたのか。
 どれだけ人の醜い行いを見ても、再び世界を滅ぼそうと思わないのはあの柔らかな時間を過ごしたからだ。人の心の美しさを知ってしまった……、それはもうしらきに絶望を連れてこない。
「……懐かしい」
 今は遠く、二度と帰らない時間だとしても。しらきの中で穏やかに眠る、養い子との時間を形にした石を望むべく出した手に、ころりと小さなそれが転がる。熱を帯びない炎のような、自然のままの色味をした石は養い子が初めて彼に強請った最初の細工に似ていて。
 あれは最後まで養い子を守ってくれたのだったろうかと、小さく小さく呟いた。



 ひゅる、と吹いた風に髪を煽られて軽く手で押さえた。通り過ぎたそれを辿るように少し遠く目を凝らし、見つけられない背中に僅かばかりがっかりして目を伏せる。
 ひゅる。
 耳元を掠めてここではない場所に向かう風の行方を感覚だけで追いかけて、同じく届けばいいのにと溜め息をそっとそこに紛らわせる。
 もう会いに行けない、不幸体質のあの人に……。
 大好きだった。過去形にしないといけない事実がちくりと胸に痛いけれど、それでも大好きだったと胸を張って言える想いなら確かにあった。当たって砕けるどころか告白する前に潰えてしまったけれど、あの人が元気でいてくれればいいと思う。そう思える自分も、ちょっとばかり誇らしい。
(恨むとか、嫌うとか、だって違うでしょう)
 あの人を好きになって、やりたいことに踏み出せた。ぼんやりと描いていただけの夢はたまに厳しい現実として、今もサクラの前に立ち塞がっている。時々打ちひしがれたりヤサグレたくもなるけれど、そんな時に似た人を見つけると人違いと分かっていても少し嬉しくなる。
(太陽、みたい)
 天気がいいと気分も上昇する、そんな感じだ。勝手に見つけて、勝手に喜ぶ。でも、それでいいんだと思う。太陽と人の関係に、それ以上は存在しない。
 ただちょっとしんどくなった時は、瞼を閉じて仰ぎ見る。直接見ると目が潰れてしまうけれど、瞼越しでも分かる存在にほっとする。縮こまって固まりそうな身体に、温まった血液がゆっくりと巡り始める。動き出せる、まだもう少し頑張る為の力になる。
 知らず、口の端が緩む。穏やかに微笑み、もう会えない人を思い浮かべる。
(──さん、元気にしてますか?)
 仕立て屋さんに作った服を持ち込んでは売り込んでいるけれど、全然就職が決まらない。小一時間どころか、丸一日でも愚痴なら吐ける。誰か本気で一日付き合ってくれ。ガス抜きさせてー! と悲鳴は上げたいけれど、やめる気にはならない。だって、あそこで生きていくと決めたのは自分だ。
 家出して、挫折して、浮上して、困惑して──そして期待している。手探りで暗闇の中を歩いている感じだけれど、大丈夫、目は伏せているだけで太陽はそこにあると知っているから。
(元気で、いますよ)
 貴方を思うこの感情は、幾らか熱を失って少し静かに平らかになったけれど。大事に思う、貴方を好きだった自分ごと。
 お互いに歩く道が違うのだから、別々に生きていくのだろう。あの人はあの人の為に、私は私の為に。それでいいと、強がりではなくそう思う。
 ほう、と目の前が淡く光った気がして、サクラは伏せていた目を開けた。太陽よりは柔らかく目に痛くないそれに促されたように、そっと出した掌にころりと転がるのは丸い石。何の変哲もないのにどこか温かい気がして、ああ、と呟く。
(守り石だって聞いた時から、あの人の為の石だなぁと思いました)
 これがあの人に届く保証なんかない。直接渡せるわけではないのだし、万一届いても気に入らないと捨てられればお終いだ。けれど祈りや願いをかけるのも、サクラの勝手だろう。
(一杯助けてもらったから。私も助けになりたいんです)
 人は必ず死んでしまうけれど、寿命以外で死なないように。大怪我はしないように。そうしてできれば、受け取ってもらえるように……。
 両手でぎゅっと抱き締めるように包んで、懐かしい記憶と一緒に思いを込める。



 ちちち、と鳥の鳴き声がした。探すように視線を揺らすと木漏れ日が目に入り、庇うように手を翳す。小さな影が横切り、眩しくて細めた目で追いかける。
 ちちち。
 誘うように存在を主張するように届く鳥の声は、オドの胸に郷愁を齎す。
 オドの生まれた世界は不安定だったが、そこに暮らす人たちに想いや感情を形に変えて生き延びる能力を与えてくれていた。彼が背に持つ翼も、その力を鍛錬して得た物だ。
(上腕骨、尺骨とう骨、尺骨側手根骨、とう骨側手根骨、)
 鳥の羽を組織する一つ一つ、知らず頭の中で詳細に描いていく。何故かずっと自分の背にもある物だと信じ、望み、鳥の羽なら徹底的に調べた。
 骨の数、腱や翼膜の仕組み、羽根のつき方に枚数、その一枚一枚の向きまで具に丁寧に観察し、理解し、自分の中に練り上げていった。長い月日を重ね、へとへとになるほど心身の力を使うが最後の瞬間まで結果は目に見えない。失敗するかもしれない不安は時折過ぎったけれど、オゾはその修練を気に入っていた。
(少しずつ作り上げていく、実感がありました)
 翼が思いの中で次第に鮮明になり、成人の儀式で顕現した時はどれだけ嬉しかったか。
 遠く記憶を辿っていたオゾの耳に、微かな羽ばたきが聞こえてふと顔を上げた。探すまでもなく目の前を飛び去っていく鳥の力強さに見惚れ、同時にずきりと胸が痛んだ。
 誰かの役に立つ為、役に立てて喜んでもらっていたはずのオゾの翼は、もはや空を駆るだけの力を持っていない。
(持っている物のほうが、少ないですけどね……)
 思わず皮肉めいて呟きたくなるのは覚醒直後、最初に目が覚めた場所で苦い経験をしたから。
 ほとんど身一つで飛ばされたが、辛うじて持っていた何もかもを容赦なく奪われた。思い人から貰った大事な物まで、全部……。
(──、)
 ぐ、と爪が食い込むほど痛く拳を作る。あの時、彼に残されたのはたった一つ。組成が特殊過ぎて治せない翼だけ。
 鳥の消えた空ではなく、踏み締めるしかない大地を見下ろして自嘲するように口の端が歪んだ。
 仮に奪われず全て持ったままでいられたとしても、今更それがどうだというのだろう。オゾが生まれた世界は絶えず変わり続けている、今となっては彼が知る故郷の様を呈していないかもしれないのに。
(でも、そのほうが)
 気楽だろう、自分にとっても、懐かしい人たちにとっても。
 知らない場所になっているのならそれはもう帰るべき場所とも呼べない、悲しむ必要もない、なくしたのだと割り切ってしまえばいい。そうだ、あそこに住む誰も過去に拘っていられない。オゾのことなんてすっかり諦めて、皆先に進んで──、
(嘘、です)
 ごめん嘘ですと強く否定し、拳が震える。立ち尽くして動けなくなるよりは無理にでもそう考えたほうがいいと分かっていても、自分を騙しきれずに唇を噛み締める。
 望んではいけないと分かっていながら、それでも縋るように祈る。本当は待っていてほしい──オゾの帰りを、待っていてほしい。
 ほう、と目の前が淡く光った気がして知らず固く瞑っていた目を開けたオゾは、何気なく出した掌にころりとした感触を覚えて視線を落とした。
 彼の翼を補えるほどの力もなければ大きさもない、けれど確かに羽のようだと感じるその形。
 ああ。彼の思いを形にしたら、やっぱりこれしかないのだ。



 ひぃら、と目の前を薄紅の花弁が流れていった。何気なく手を伸ばして受け止めようと試みるが、指の隙間を縫って逃れたそれは静かに揺れて落ちていく。
 ひぃら。
 一つ、二つ、決してニコの手には収まらないのに慰めるように降る花弁を眺め、思い出すのはたった一人。脳裏に描いた姿に、知らず口許が緩む。
(この景色を見せたら、喜んでくれるかな)
 綺麗な景色にただ感動するだけでなく、見せたいと思う相手がすぐに浮かぶ今のような状況を幸せと呼ぶのだろう。
 少し怒って柔らかく頬が膨れるのも、哀しみに宝石のような涙がすべるのも。自分に向けてくれる感情だと思えば、何もかも愛しい。けれどやっぱり一番に望むのは、その唇に優しい色が落ちること。
 ニコの気持ちごとふわりと色づけるように、微笑んでくれるだけで満たされる気がする。
 過ごせる時間の長さが違うと知っていながら、それでもニコは人が好きだった。懸命に生きる人が好きで、中でも華やかを向けてくれる女性が好きで、彼女たちから笑顔を引き出す為に親切にするのは当然の成り行きだった。どちらにとっても僅かの時間なら尚更、楽しい記憶にしたかったからだ。
 指の間をすり抜けていった花弁のように必ず逸れていく時間を何度となく見送って、それはいつの間にかニコに染みついていた習性。
 できるだけ柔らかな時間を。できるだけ優しい思い出を。
 向けられた笑顔の一つ一つを忘れようはずがないから、後悔することはないけれど。傍から見ればふわふわとした、頼りない生き方だったとも思う。そのせいで今一番大事にしたい相手を不安にさせることを思うと、真面目に反省はする。
(何をしたら、君は笑ってくれるかな)
 心から愛する、彼女の為に。
 最近の大事な記憶を辿ったら、もう彼女しか出てこない。初めてのデートで行った場所、二人で眺めたあの夕景、思いを確認し合った教会……、どこも大事で、思い出すだけで胸がほかりと温かくなる。
(──ちゃん、)
 彼女の表情、何気ない仕草。交わした言葉、繋いだ手、抱き締めた身体、柔らかな唇……彼女の温もり。全部覚えている。忘れることなんてできない。きらきらと輝いている、宝物みたいな記憶。
 どれだけ言葉を費やせば、この胸の内を正確に一つ残らず表現できるのだろう。
(いつか、きっと)
 生きる時間が違う。今はまだそっと寄り添っていられるけれど、いつか時間が二人を分かつかもしれない。けれどそれまでの時間の全て、ニコの物であり彼女の物だ。こうして実際には離れている時間でさえ、絶えず彼女への思いが溢れてくる。ニコが過ごす時間の全部に、彼女がいる──。
 ほう、と目の前が淡く光った気がして視線を変えた。まだゆっくり花弁が降る中、光を辿って受け止めたげに手を出すと、ころりと乗ってきたのは薄紅の石。
 ハート型にも見える花弁がいつつで、小さな花を象った石。少しだけ力を入れて真ん中を押せば、一つ一つ離れそうだ。
(ああ。君を守ってくれるなら、可愛いこんな形がいい)
 実際の花弁だといつか萎れてしまうから、偽りない思いを込めた枯れない花をブレスレットにして贈ろうか。側にない時も強く思う、この気持ちが君を守ってくれますように。
 彼女がいつでも幸せで、あの美しい笑顔でいられますように……。



 きぃん、きぃん、と石を打ちつけ合うような音が遠く聞こえてくる。ふと我に返った五人は、ぼんやりと辺りを見回してそれぞれ石を手に入れたと知った。
 何となく誰かに見つからないようにそっと胸に忍ばせたけれど、咎める誰もなかったのは全員同じ気持ちだったからだろう。
「何か、不思議な感じだね」
 ちょっとばかり夢を見ていた気分だとニコが呟くと、しらきも僅かに口許を緩めて、ん、と短く同意する。
「思ったより小さな石でしたねぇ」
「でも、ペンダントにするには丁度いいくらいかな」
 武器にはできなさそうですぅと頭をかいたヨソギの横で、これくらいのトップだと男性もつけやすいですかと指で丸を作って真剣な面持ちで訪ねるサクラに、オゾは何かを思い出すように目を細めた。
「大丈夫だと思いますよ。大きさもそうですけど……貴方の思いそのもの、なんですから」
 届くと思います、と生真面目に頷いたオゾにサクラは何か言葉に迷った後、静かに微笑んで、だといいなぁと小さく呟きながら石を片付けた場所を押さえた。
「ところでこれの加工って、さっきの町でやってもらえるのかな?」
「ん、……確か、そのはずだ」
 ニコの問いにしらきが記憶を辿ると、そういえばとサクラが手を打った。
「ターミナルで、宣伝されたんでした。よければ石の加工はお任せくださいって、店主さんに」
「……たまに変な季節イベントをやってる、あの? 僕も貰いました」
 広告、と思い出したオゾがごそごそと取り出したチラシは、実はヨソギも無理やり押しつけられていた。商魂逞しいとしらきが苦く笑い、それもいいねとニコが何だか面白そうに笑った。
「ロストレイル待ちの間に、間に合わなかったら嫌だし。帰ってから作ってもらえるなら、それもいいかな」
「とりあえずぅ、どうするかは後にして戻りますかぁ?」
 ボクも早くこれをあげたいですぅ、とどこか照れたように促したヨソギの言葉に、全員否やはない。さっきまで竜刻が見ていた彼らの思いはまだ上手に胸に帰りきらず、ふわふわと自分を取り囲んでいるような気もするから。
 零さないように、落とさないように、ゆっくりとここから離れてまだしばらく余韻に浸るのも悪くないだろう。


 歩き出した彼らの背後で、きぃん、と澄んだ音が別れを告げるように一際高く鳴った。

クリエイターコメント思ったよりお時間を頂戴しましたが、楽しく書かせて頂きました。
ソロ×5、といった様相を呈していて皆様で絡んで頂くところが少なかったのは心残りですが、いつものようにはしゃいでしまってはせっかくの空気が台無しになってしまいそうでしたので。
零れないようにそろそろと、大事にお渡ししたく存じます。

思ったより石が小さくなったなぁというのは主に書き手の感想なのですが、でも装飾品にされるならそのくらいがいいかなと思いまして。あまり皆様でサイズが違うのもどうかと思い、小さく揃えてしまいました。
そしてそれぞれ勝手に形にしてお返ししてしまいましたが、あんまりお心から外れてませんように……。

装飾品の具体的なデザインはすみません、加工希望される方ばかりでなかったので! との言い訳の元、逃げてしまいました。
いらなかったわ。なチラシに添って責任取れやと持ち込んでもらっても構いませんし、素敵に加工済みと脳内補足してくださっても構いません(後者推奨)。

皆様のお気持ちが、お相手様に届きますように。そして何より、参加してくださった皆様のお心に届いてましたら幸いです。ありがとうございました。
公開日時2013-04-04(木) 21:40

 

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