アレグリアは今日もにぎやかに華やいでいる。 通りすがるロボットたちは、姿かたちも様々だが、誰もが活き活きと表情豊かで、『生きた』エネルギーに満ちていた。 「いいところだな、うん」 ニコ・ライニオは、紫透晶時計広場の片隅で、行き過ぎる人々を観察しつつしみじみと頷いた。無機有機に関わらず、胸の奥に魂を持つ存在たちが、日々というものを愉しみ慈しむさまを目にすると心が弾む。 「愛を語るに垣根なんてない、ってことかな」 つぶやき、時計を見上げる。 アレグリアの待ち合わせスポットと言えばここ、と評判の場所である。 高くそびえ立つ時計柱を中心につくられた憩いの広場だ。 上へ行くにしたがって色合いが濃く深くなる、神秘的に美しい紫色の結晶の天辺あたりに、銀色に光る文字盤が埋め込まれ、時間を刻んでいる。全長は十メートルを超えるだろうか、そっと触れてみると、少女の肌のように滑らかな手触りで、鉱物にもかかわらずしっとりとしている。とても優しい風合いの時計である。 ここで待ち合わせをすると幸せが訪れる、というジンクスがあるらしく、広場には若い人々があふれていて、友人や恋人を待っている。 ニコもそのひとりだった。 ややあって、 「ごめん、ニコ。出がけに用事を頼まれちゃって……!」 ひとりの女性が広場へと駆け込んでくる。 ニコは笑って首を振った。 「大丈夫、待つのだって楽しいよ」 ニコが笑顔を向けるのは、すらりとした、きれいな手足を持つ、女性のロボットだ。どうしてか、前に会った時よりもきれいになったような気がして、ニコは目を細める。 「ジーニャ、ちょっと久しぶり。なにか、変わったことはある?」 “再びを許される街”アレグリアで、ニコがジーニャと再会してからしばらく経った。遠い昔に喪われた命、哀しい別れによって引き裂かれた魂が生まれ変わるとされるこの街で、ニコは、果たせなかった約束を成就させることが出来た。 それが、この、ジーニャである。 アレグリアは開放的な街で、望めばいつでも入れるのもあって、ニコはすでに何度もここを訪れているが、何度目の邂逅であっても、彼女と出会い、街を歩くのは、愉しい。 「そうね、いつも通り平和よ。私はカフェで働き始めたの。ニコも、よかったら遊びに来てね、おまけするわ」 「はは、それはぜひ行かなきゃね。てきぱき働いているジーニャは、きっとすてきだろうから」 ニコの言葉にジーニャはくすくすと笑い、そういえば、と少し真面目な顔になった。どうしたの、と首を傾げれば、 「変わったことと言えば……零和っているでしょう」 「ああ、ゼロ領域の夢守? 生まれたばかりっていう」 「そう。黒の領域の一衛と同じか、それ以上の力を持って生まれてきたのに、全然強そうに見えなくてね。こないだも、犬に吠えられて泣きそうになっていたわ」 「犬に吠えられて泣きそうになるって相当だな……」 「その彼と、白の領域の十雷が、難しい顔で話をしているのを見たのよ」 「どんな話だったの?」 「それが……なんだか難しくて。外界との接触がどうとか、変質がどうとか、いずれその時が来るとか。零和はそれを、『その時が来たら僕が』って言っていたわ。すごく哀しそうな、でも、今まで見たことがないくらい真剣な表情だった」 ジーニャは空を見上げる。 疑似とはいえ、ここの空は、透き通るように高く澄んで、晴れ晴れしい。 「……アレグリアや【電気羊の欠伸】、シャンヴァラーラに、おかしなことがなければいいんだけど」 ニコはうなずいた。 「そうだね。僕も、ここになにかあるのは困るから、気をつけられるところは気をつけてみるよ」 「ありがとう、心強いわ。そういうふうに言ってもらえるだけでも、なんだか安心する」 彼の言葉に安堵の笑みを見せ、ジーニャはニコを促した。 「行きましょう、ニコ。今日は玻璃薔薇花苑に案内するわ。この前改修が済んで、大々的に公開されているところなの」 差し伸べられるしなやかな手を恭しく取り、ニコはジーニャの隣に並ぶ。 * 透き通った花弁を持つ、水晶質の薔薇が一面に咲き乱れる花園で、ふたりは散策を楽しんだ。 降り注ぐ陽光を受けて、花びらのひとつひとつがきらきらと輝く。薔薇花のあでやかさは無論のこと、わずかに残る朝露にきらめく瑞々しい葉や茎を目にすると、なんだか清々しいような気持ちになる。 ゆったりと風が吹くたび、華やかで上品な薔薇の香りがあふれた。 「いい匂いね。なんだかホッとするわ」 「そうだね、薔薇の香りには人の心をリラックスさせる作用があるっていうから」 お土産用にと売っていた薔薇のサッシェをプレゼントしたら、ジーニャは無邪気に喜んだ。枕元に置いて眠ったらいい夢が見られそうね、と笑う彼女はとても可愛らしい。 薔薇のジャムとクロテッド・クリームの添えられたスコーンとローズ・ティーを饗してくれるカフェで休憩してから、また、ジーニャの案内で街を歩く。 街はやはり賑やかで、わけもなくうきうきとさせられる活気に満ちている。 歩きながら、人々が行き交うさまを見ているだけでも楽しい。 途中、 「ねえ」 とジーニャが呼んだので、ニコは小首を傾げて彼女を見下ろした。 「あのね」 「うん?」 「……私、好きな人が出来たの」 何となく予感はあったから、ニコは特に驚かなかった。 「どんな人?」 「やさしい人よ。私を大切にしてくれる人」 「あ、もしかして……その、ジーニャが働いてるカフェで?」 「ええ、最初はお客さんとして来てくれたの。今は、いっしょにスタッフをやっているわ」 「そっか」 ニコは肩をすくめた。 「ふられちゃった、かな?」 おどけてみせると、ジーニャはちょっと笑った。 「おめでとう、ジーニャ」 ニコも笑う。 「……ありがとう」 はにかむ彼女はうつくしい。 妙な感慨が込み上げて、ニコはじっとジーニャを見つめた。 ――そう、これも、彼女が前の生ではできなかったことだ。 そしてそれは、ニコが見届けることはできなかっただろうことでもある。 あのまま彼女が生きておとなになったとして、ニコがその場所に留まれていたかどうかは判らない。外見が変化せず、人間と同じ寿命を持つことのできないニコでは、長く寄り添うことなどできなかっただろうから。 「本当によかった」 「え?」 「君が、誰かと幸せになれるなら、それは僕にとってもとてつもなく喜ばしいことなんだと思う」 「ああ……もしかして、その、私に似ているっていう?」 「……うん」 ジーニャには、事情の一部を説明してある。 断じて身代わりではないけれど、ジーニャを見ていると懐かしくていとしくて楽しい。そう言った時、安心させるように微笑んでくれたジーニャの優しさは、今でもニコの心を温めてくれる。 「私が幸せなら、ニコも嬉しい?」 小首を傾げたジーニャへ、ニコは頷く。 「そうだね、すごく安心する」 無論、少しばかり残念に思わなくもないけれど。 愛し、愛された彼女たちが、自分と別れたあとにどうなったか、ちゃんと幸せな命を生きたのかなんて、ひとつの地域に長くとどまることのできないニコには、知ることすら難しかったから。 だから、今日、この場所で、愛しい乙女の幸せな行き先を知ることが出来た、その意義は大きい。 「君が幸せになってくれるなら、僕は本当にうれしいよ」 気づけばふたりは、見晴らしのいい高台まで来ていた。 見下ろせば、街は、午後の陽光を受けて、まさに宝石のように輝いている。 そこには生活があり、営みがあり、日々がある。 ニコが愛してやまない、「生きた」時間だ。 「きれいだね。本当に、素敵な街だ」 「そうね。私は、この街で暮らせて幸せよ。――素敵な友だちも訪ねてきてくれるし、ね」 「……今度は、ここに恋人を連れてきてあげなよ」 ジーニャの手を取る。 恋人に遠慮して、手の甲へキスを落とす。 祝福と、祈りと、万感の思いのこもったキスだ。 ジーニャはくすぐったげに笑い、 「そうね。でも私は、友だちとだってまた、来たいわ」 ニコの額に、慈しむような、ついばむような、軽やかでやわらかいキスをくれた。 ああ、だから自分はヒトが愛しいのだ。 額を突き合わせてくすくすと笑い声を交わしながら、脳裏に最愛の女性を思い描き、帰ったら会いに行こう、僕は貴方に会えて幸せだって何度でも伝えよう、そんなふうに思うニコだった。
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