千年学園黙示録、壷中天で人気のあるゲームの一つである。 気の遠くなるような長い時間を繰り返された光と闇の争い。何百年おきに転生して現れる魔王に対抗するために生まれた薔薇の騎士団。 そして、魔王復活の予兆が示された年、その騎士団を養成する学園、明星学園に入学するところからゲームは始まる。 薔薇の絆で結ばれた仲間との友好を深める学園パート。 魔王復活の影響で出現した迷宮を下り、魔王の分身を倒す戦闘パート。 やり込み要素も高く人気のあるゲームが暴霊に乗っ取られてしまうという事態が発生した。 そして、発生したバグにより変貌してしまったゲームの名は、中年学園黙示録。 なぜか登場NPCの全てが中年男性へと、女性PCで登録していたはずのデータも全て男性にと書換えられていた。 そして、物語の根幹に関わる薔薇の巫女。本来ならば、復活した魔王への切り札として騎士団が探し出すはずのNPCも影響を受けた。 薔薇の巫女は、薔薇の兄貴という中年男性へと書換えられていた。 もちろん、ゲームの利用者は激減。ネタとして面白がって参加する者が僅かに残ったくらいであった。 そこで困ったのは開発会社である。 暴霊を追い払おうと手を尽くした。しかし、暴霊はNPCである魔王に憑依しており、ゲームの中では最強の敵として君臨している。 さらに、この魔王は決闘相手にあるバグを必ず引き起す。――中年化である。 本来、そんなステータス異常は存在しない。笑ってしまうような状態異常だが、実際に引っ掛けられると地味に辛い。 疲れが取れない、ちょっと動くと息切れ、肩凝り、腰痛、眠りが浅い、足がもつれる、字が霞んで見えるなどなど。 暴霊退治に乗り出した社員たちは、ゲームの中でまで何で現実みたいに疲れなきゃいけないんだと心が折れる者が続出。 とうとうモウ探偵へとお鉢が回ってくることになった。 そして、モウ&メイ探偵事務所で壷中天を前にした2人がいた。「モウはゲームしたことあるネ?」「ゲームはほとんどやったことがないんだが」「私、このゲームやったことあるヨ。手伝うネ」――そんなこんなで時が過ぎ。 ということがあったヨ。 でも、うら若きオトメが中年オヤジ相手に戦うなんて野蛮なマネできないヨ。 だから、困った時のロストナンバーに任せるネ。資料は揃えてあるヨ、しっかり読んで行くよろし。 モウは三日前に宝クジが当たったって喜んでたら、昨日の朝に自室で冷たくなって発見されたヨ。 宝クジは何処に行ったのか全くもって不明ネ。でも、私、今日は凄く良い事あったヨ。 郵便受けに宝クジが入ってたヨ、しかも当選してるクジなのネ。 これは今引き受けている依頼の息抜きをしろという何処かの神さまの思し召しに違いないネ。 それじゃ、私は予約を入れた美艶軒の全身エステコース&美容ディナーに行くネ。 私が戻って来るまでに解決してくれてていいヨ。 メイ メイの手に入れた宝クジは誰の物だったのか。 なぜ、メイの手に渡ったのか。なぜ、モウは殺されなければならなかったのか。 なぜ、モウはお約束と言われるレベルで死んでいるのだろうか。 沸々と湧き上がる疑問を押し殺し、ロストナンバーたちは机の上に残されたメイのメモと資料を読み始めたのであった。 そして、誰も知らなかった事実が一つ。 ロストナンバーたちを呼んだ探偵は他にもいたということ。 そのロストナンバーは、先にたった一人で壷中天に飛び込んでいるということ。 そのロストナンバーの名前は、ブラン・カスターシェン。 あ、居たのね。
真っ暗な視界に光が走り、世界が照らし出される。気が付けば、ロストナンバーたちは迷宮の中にいた。 大理石のような床や壁は荘厳な雰囲気さえ醸し出している。 上を仰げばあるはずの天井は存在せず、壁の半ばより闇に溶け込み星空のように無数の光が灯っている。 「もっと薄汚いと思ったぞー」 興味深そうに周囲を見回しているのは天渡宇日菊子であった。 特徴的な牛の角や耳、背中にあった鳶の翼や腰に生えた牛の尻尾はなく、口にあった猛禽の嘴も消え野生的な面立ちが際立っている。 胸にサラシを巻いただけの上半身には制服の上着を羽織り、口には葉っぱを咥えている。 歯が短くなった一本下駄が軽やかな音を立てる姿は、コンダクターが見れば番長という単語が浮かんだであろう。 「でも、綺麗で進みやすいのですー」 純白の制服に身を包んでいるのは、シーアールシーゼロである。 長く伸びた髪はツーサイドアップに纏められ、常に比べれば活発な印象を与える。 「それにしても学校とか行ったことないし、一度制服って着てみたかったんだよねー」 着崩した制服をニコ・ライニオは楽しげに眺めている。 赤い髪や縦長の瞳孔にやや尖った耳、いつもの青年の姿と変わりはないが初めての制服には心が浮足立っている。 「ナイトの称号を得られる学園。従僕の身にて僭越ながら良き思い出とならん事を願います」 きっちりと制服を着込んだうえに、インパネスを羽織り学帽まで被っているのは、ラグレスであった。 「そうだ!」 おもむろに菊子はズボンのベルトを外すと、パンツを引っ張り中を覗き込んだ。 「服だけかー」 酷く落胆した様子で菊子はベルトを締め直した。突然の奇行に固まったニコの代わってゼロが口を開いた。 「どうかしたのです?」 「性別は女のままだなんだな、がっかりだー」 「そうなのです?」 「そうだぞ。何なら見るか?」 再びベルトを外そうとする菊子に、ゼロとラグレスが近寄った。 「待って待って! 何しようとしちゃってるの!?」 我に返ったニコの鋭いツッコミが入る。 「御本人様の許可は頂いておりますが?」 「うちは気にしないぞー」 菊子とラグレスは不思議そうに応えた。 「僕がおかしいの!?」 「ニコさん、仲間外れが嫌なのです?」 「そうじゃないよ!」 ゼロの見当違いな言葉にもニコは挫けなかった。 菊子に近寄ると、ベルトに掛けた手を掴んだ。 「いいかい菊子ちゃん? 君は女の子なんだから、もっと自分を大切にしなくちゃ。そういう事は好きな人だけにしとかなきゃ駄目だよ?」 ニコは珍しく真剣な表情で菊子に語りかけた。そして、しばしニコと菊子が見詰め合っていると。 「好きだー!」 菊子はニコの手を握り返して叫んだ。 「え゛?」 「うちの嗅覚はごまかせないぞー! お前竜だろ、早く竜になるんだー!」 鼻息も荒く菊子は掴んだニコの手を激しく上下に振る。 「げ、ゲームのせいで竜にはなれないんだよ! ご、ごごめんねー!」 「ぶー。それなら、あとはあの兎獣人だけかー。早く助けに行くぞ! 助ければ好きにしていいんだよなー!」 竜になれないと分った菊子は、ニコから興味を失くしあっさりと解放した。 (……肉食動物と出会った草食動物ってこんな気持ちなのかな) 竜であるニコが初めて草食動物の気持ちを理解してしまった瞬間であった。 「それでは出発の準備をするのですー」 「ゼロちゃん、相手してもらっていい?」 菊子からさり気なく離れて、ニコはゼロへと近寄った。 「はいなのです」 ゼロが目を閉じると、右の瞼に刻まれた薔薇の刻印が現れる。ニコが手を翳すと、ゼロの刻印が輝き光を放つ。 そして、溢れた光が集まり、薔薇の紋章が描かれた銀の盾が生れる。 「全ての女の子を守る力を!」 一瞬、ニコの顔が映り込んだ盾が再び銀の光になると、ニコの右手の中指に集まり小さな指輪へと変った。 「これが盾なんだ」 中指に嵌められた盾をニコは繁々と眺めた。 「次はゼロの番なのですよー」 「はい、どうぞ」 着崩した胸元を少し広げて、胸に刻まれた薔薇の刻印を見せる。ゼロが手を翳すと、ニコの刻印が輝き光を放つ。 そして、溢れた光が集まり、薔薇の紋章が描かれた銀の盾が生れる。 「睡眠を革命する力を!」 一瞬、ゼロの顔が映り込んだ盾は再び銀の光になると、ゼロの手の中で枕サイズのクッションとなった。 「ちょうど良い大きさで助かるのですー」 盾の大きさと柔らかさにゼロは満足げであった。 「んじゃ誰でも良いやー。問答無用で手を突っ込んで引き抜くぞー。痛くないんだろー?」 腕をぐるぐる回しながら菊子が全員を見回すと、ラグレスが進み出た。 「お相手願えますでしょうか?」 「いいぞー。刻印は何処にあるんだ?」 きっちり着込んでいるラグレスは、そもそも肌の露出が極端に少なく、見える所には刻印はなさそうであった。 「紳士たる者無闇に肌を晒さないのでございます」 薄く開いた口元から赤い舌が伸びると、そこにラグレスの薔薇の刻印があった。 「んじゃ、引っこ抜くぞー!」 菊子が手を翳せば薔薇の刻印が輝き光を放つ。そして、光の中から突き出された柄を掴んで勢い良く引き抜いた。 「全ての竜はうちの嫁ー!」 一瞬、菊子の顔が映り込んだ大剣を力強く掲げれば銀の光を放つ。それは刃というより鉄の塊と称するに相応しい威容であった。 「おー、使い易そうだ!」 ぶんぶんと玩具のように菊子は鉄塊を振り回している。 「では、私もよろしいでしょうか?」 「うちのは項だ。何時でもいいぞー!」 後ろを向いた菊子が髪を持ち上げると、項に薔薇の刻印があった。 「失礼致します」 ラグレスが手を翳すと刻印が輝き光を放つ。そして、光の中から突き出された柄を掴んで勢い良く引き抜いた。 「世界を産業革命する力を!」 一瞬、ラグレスの顔が映り込んだ大剣を力強く掲げれば銀の光を放つ。頭上で回す大剣の柄が伸びて、刃が湾曲して大鎌へと変化する。 「全てを蒸気機関にして差し上げましょう」 ラグレスの構えた大鎌が鈍い光を放った。 「こうですか分りかねます」 大鎌はラグレスの無表情と合さり異様な迫力を醸し出している。 「皆の準備もできたし、早速出発進行なのですー」 迷宮の探索は予想以上に順調だった。 菊子の嗅覚、もはや第六感(ただしドラケモに限る)な代物、にブランの居場所への道案内を一任して、ゼロの神秘で召喚した人工精霊「雨風」が偵察を行う。 発見した堕ちた騎士団からは身を隠してやり過ごす。不要な戦闘を避けることに異存のないラグレスと大大大賛成なニコは、大人しく2人の案内に従った。 「近いぞ! ブランはこの先に絶対いるー!」 興奮する菊子に、どうして分るんだよとツッコめる者はいなかった。何せ菊子はここまで一度も道に迷っていないのだ。 「この先は広間のようなのですー。雨風には還ってもらうです」 偵察を終えて戻った雨風は、ゼロの手が触れると溶けるように消えた。 「ブランは途中で行き倒れてると思ったのになー」 「兎パイの調理方法を覚えてきましたのに残念でございます」 「え?」 「はい?」 不思議そうに首を傾げるラグレスとニコが見詰め合う。お互いそれぞれが、相手の反応を不思議に思っている間。 「ブランどこだー!」 「魔王ー、どこにいるのですかー?」 菊子が広間に突進し、ゼロも後に続いた。 「黙ってとは言わないけど、何か違うよ?!」 我が道を行く2人をニコは慌てて追いかけて、ラグレスは周囲の気配を探りつつ優雅に歩き始めた。 広間の果ては闇に沈んで見えず、規則正しく並んだ柱だけが進んでることを教えてくれる。しばらく進んだ一行に薔薇の紋章が描かれた床が見えた。 その場所だけ柱も囲うように配置されている。 そこに近寄った時、周囲の柱に次々と炎が灯り出した。全員が静かに様子を見守る中で、突然拍手が鳴り響いた。 向い側にある柱の影から、手を叩きながら一人の男が歩いてくる。 「よく来た。騎士たちよ」 明かりに照らされた容貌は気品があり、騎士の制服を嫌みなく着こなしている。 ロストナンバーを見回した男は、楽しそうに深紅の目を細めた。 「あなたが魔王なのです?」 「我輩の名はブラン・カスターシェン。魔王の朋友にして、薔薇の騎士団に仇なす者!」 芝居がかった身振りは、確かにブランを彷彿とさせる。しかし、その外見はよく知る白兎ではなく、ただのイケメンであった。 「あれがブランって、どう思う?」 菊子に確認しようとしたニコは驚いた。そこには白けた顔は斯くあるべき、と誰もが納得するであろう表情の菊子がいた。 「なんで、なんで人間なんだー! っんなん、意味ねぇぞー!」 ブランを指さして菊子は怒りで足を踏み鳴らした。 「ブランさんで間違いなさそうなのです」 「成程。遊戯の中では、兎になれないのですね。当てが外れてしまいました」 「いくらブランでも、ちょっとは緊張した方がいいと思うんだけどなー」 ニコのもっともな呟きは誰にも届かなかった。 「さあ、魔王が復活するまでの少しの間、私と踊ろうじゃないか!」 ブランが漆黒のレイピアを構える。 『ブランが現れた!』 その頭上にテロップが表示される。 「うちのもふもふブランを返せー!」 真っ先に飛び込んだ菊子が、躊躇なく鉄塊を振り下ろした。豪快な一撃はブランのレイピアにより剣先をずらされて外れる。 「魔王に挑み敗れた騎士たちよ! 同胞を手厚く迎えてあげたまえ!」 ブランがレイピアを掲げると、黒い影となった騎士団員が次々と現れる。 「邪魔だゴラァー!」 菊子の力任せの一撃で、2、3人の騎士が吹っ飛ぶ。 「剣を捧げた主をあっさりと鞍替えするとは、騎士の名が泣きましょう」 振われる大鎌に合せて、騎士の腕や胴体が千切れ飛ぶ。黒い影が舞い散る中を、インパネスを翻してラグレスが踊るように動く。 「ぼ、僕は暴れるの得意じゃないからー!」 「そもそもゼロには戦うコマンドがないのですー」 襲いかかる騎士たちから、ニコとゼロは回れ右して駆け出した。 「追いかけっこなのですよー!」 「ゼロちゃん、雨風みたいに何かできない!?」 「うーん、やってみるです」 ゼロは立ち止まると目を閉じた。右瞼の刻印が力強く輝き、武器のクッションにも刻印が浮かび上がる。 「これがゼロの必殺技なのです!」 ゼロがクッションを放り上げると、輝いたクッションが膨れ上がる。 「スロットマシン、CR・Cゼロ!」 ゼロの声に合わせて、淡い色合いのファンシーな巨大スロットマシンが生まれる。 思わず全員が動きを止めて見上げると、軽やかな音とともにスロットが回り出す。 そして、「?」が全てのマスを埋めた。 「謎団子が大当たりなのです!」 迷宮の天井に広がる暗闇より、雨の如く謎団子が降り出した。 敵であるブランや騎士たちはもとより、その場にいた全員の太股近くまで謎団子に埋め尽くされる。 「何だこれ、食っていいのか?」 ぽいっと謎団子を口に放り込んだ菊子は、次の瞬間に倒れた。 「えええ!?」 「当たりは1個だけなのです。他はゲロまずでステータス異常になるですよ。でも、完全回復するのです!」 「それ、ほぼ全部外れだよね?!」 「クジの一等は1個だけなのですよ?」 ニコのツッコミにゼロは不思議そうに首を傾げる。 「これは筆舌に尽くし難い奇妙な味の食べ物でございますね」 「話聞こう! 食べちゃダメだよー!?」 しかし、周囲では影の騎士たちが律儀にも謎団子を口にしては、倒れたり、腹を押えて蹲っている。 「ツッコミが追いつかない!?」 「今がチャンスなのですー。動けない敵を一網打尽なのですー」 「そうか! って、僕が!?」 ニコは他の仲間を見渡したが。 『菊子はしびれて動けない』 『ラグレスはまったりしている』 2人の頭上にテロップが表示される。 「暴れるのは得意じゃないのにー!」 ニコの胸の刻印が力強く輝き、武器の指輪に刻印が浮かび上がる。 「行くよ、必殺技!」 ニコが指輪に軽く口付けると深紅のオーラが噴き上がり、一つのシルエットを創り出す。 「赤竜顕現!」 咆哮を上げて赤竜が出現する。 「ちょっと熱いよ! ごめんねー!」 大きく開いた口から、紅蓮の炎が吐き出される。舐めるように広がる炎が騎士や謎団子を次々と焼き尽くす。 そのまま首を回して、ニコは騎士たちを一掃しようとした。 「うちの嫁だぞー!」 しかし、痺れていたはずの菊子が欲望のままにニコへ抱き付いたのだった。 「うわわ!」 実際は、抱き付くなどという可愛いものではなく、衝突事故で聞こえるような轟音を響かせる突進であった。 さすがに勢いに負けたニコは、バランス崩して炎を撒き散らしながら倒れた。 そして、その炎の先にはブランがいた。 「あ」 誰の声かは分からなかったが、ジュッと気持ちの良い音を立ててブランは燃え尽きた。 「兎の姿でないことだけが悔やまれます」 落胆したラグレスの声に被るように、ファンファーレが鳴り響いた。 『ブランを倒した!』 迷宮にテロップが表示されると。 「良くやったブランよ、我は今復活する」 不気味な声が迷宮に広がり、鳴動が始まった。 「最後の幕のようでございますね」 制服を直しながらラグレスは武器を構えた。 「き、菊子ちゃん! お、おお落ち着いて!」 菊子に押し倒されたニコは青年の姿に戻っていた。 「あえ? うちの嫁はどこ行ったー?」 ニコの姿が竜ではないと分かると菊子は我に返った。 「我に刃向かう愚かさ! 身をもって知るが良い!」 全員の足下から黒い煙が湧き上がり全身を包み込んだ。すぐに煙は消えたが、全員に状態異常をもたらした。 「どっこらしょ、なのですー」 ゼロはカイゼル髭が生えた。 ゼロは白髪が生えた。 ゼロは中年化した! 「疲れた気がするぞー」 菊子はほうれい線が増えた。 菊子は無精髭が生えた。 菊子は白髪が生えた。 菊子は中年化した! 「経時劣化による不調とは新鮮極まれり。形ばかりを真似て機能を同じくすることが叶わぬ身としては、感動でございます」 ラグレスは白髪が生えた。 ラグレスは皺が増えた。 ラグレスは中年化した! ラグレスは感動している! 「中年の僕ってどんな顔なんだろ?」 ニコは白髪が生えた。 ニコは皺が増えた。 ニコは中年化した! ニコに渋さが加わった! 「薔薇の巫女のおらぬ今、我を止めることは誰にできぬ。我が同胞ブランよ、再び立ち上がるがよい! お前の真の力を解放してやろう!」 焦げたブランを黒い煙が包むと、ブランの全身に変化が現れる。 制服から出た素肌はもふもふとした毛に覆われ、顔ももふんと毛に包まれて兎へと変化する。 そして、ぴょこんとウサ耳が聳え立つ。 『真のブランが現れた!』 「さあ、もう一度勝負だ。騎士たちよ!」 見知ったブランがレイピアを構える。 「もふもふぅー!」 となれば、菊子が見逃すはずもなく、両手を広げてブランへと猛突進を開始する。 無防備な菊子の腹に、ブランがレイピアを突き立てる。が、次の瞬間、ブランの体は万力のような力で抱き締められていた。 「え゛」 ブランの一撃に怯みもしなかった菊子の煩悩を褒めるべきか否か。 「ハァハァハァハァ! もふもふもふもふ! あんなことやそんなこともしてやるぞー!」 「ギャアアー!」 ブランの悲鳴とともにモザイク表示がかかった2人の上には『見せられないよ!』とテロップが表示される。 「ど、どうしよう?」 ニコはゼロとラグレスを振り返った。 「ブランさんを倒していないので、まだ魔王とは戦えないみたいなのですー」 「感動とはいえ、不調のまま魔王と一戦交えるのは得策とは思い難く」 聞きたかったのは、菊子を止めるかどうしようということだったのだが、此処に至りニコは悟りを開いた。 「中年化ってどうすれば治るんだろうねー」 「少なくとも神秘では治せないのです」 「菊子さまは中年化が消えているようにお見受け致しますが、いかがでしょう?」 「それなら欲望に正直になればいいのかな」 先程からブランの悲鳴が聞こえるが、3人は全く気にしない。それよりも立っていると腰に響くので、どっこいしょと座り込んだ。 「分かったのです! 愛なのです! 愛は最強と聞いたことがあるのですよ。菊子さんもブランさんへの愛で中年化を乗り越えたに違いないのですー」 「元々仲間と絆を深めて進むゲームなんだから、愛で乗り越えるのはありな気がするねー」 しかし、菊子についてニコはあえて触れなかった。 「人の情愛は永遠の謎でございます」 ラグレスは困ったように呟いた。 「僕らの絆で、魔王を倒すぞー!」 ニコが腕を突き上げて宣言した。 「何も変わりませんね」 「きっと愛が足りないのです」 よっこらしょと立ち上がったゼロが、クッションを抱き締めながら叫んだ。 「ゼロは微睡むことが大好きなのですー!」 ゼロを縛る中年化が弾けた。 「へー! じゃあ、僕もしてみよう」 目を閉じて愛する女性を思い浮かべると、ニコを縛る中年化が弾けた。 「私にはできそうにありませんね。仕方ありませんが、このまま参りましょう」 ラグレスが残念そうに呟いた時、先程と同じファンファーレが鳴り響いた。 『ブランを*%$#した』 悟りを開いたニコは表示されたテロップについて何も言わなかった。そして、妙に艶々とした上機嫌な菊子だけが戻ってきた。 「我が同胞を打ち破るとはな。良かろう、我が直々に相手をしてやろう」 床に描かれた薔薇の紋章から黒い光が溢れる。一か所に集まった光は見る間に人の形へと変った。 「女の子!?」 「忌々しい薔薇の巫女の体よ。我を封じる器に成り得るは、我を宿す依り代に成り得ると同じ」 騎士団の制服に身を包んだ少女、魔王がレイピアを構える。 「オラァー!」 菊子が魔王へ鉄塊で殴りかかる。繰り出したレイピアが鉄塊の力の方向を逸らし菊子の体を流す。 「未熟」 魔王の一撃が菊子を突き飛ばす。 間髪入れず、ラグレスの大鎌が魔王を振り抜いた。 「遅いのう」 ふわりと大鎌の先端に降り立った魔王から黒い衝撃波が放たれる。ラグレスの体が紙切れのように吹き飛んだ。 「まだまだぁ!」 飛び起きた菊子が魔王へと果敢に攻め込む。しかし、羽毛のように軽やかに動く魔王を捉えられない。 「ちょこまか鬱陶しいぞー!」 振り下した鉄塊が迷宮の床を抉るが、そこに魔王の姿はない。 「散れ」 頭上へと飛んだ魔王より、菊子へ漆黒の斬撃が放たれる。 「くっ!」 菊子は目を閉じて防御を固めた。しかし、一向に来ない衝撃に目を開けば、2つの銀の盾が浮かんでいた。 「菊子ちゃん、もう少し慎重に!」 「負けるなーですよ!」 バリヤーを消したニコやゼロが離れた場所から声援を贈る。 「死に急ぐか」 魔王のレイピアから黒い斬撃が飛べば、ニコとゼロが慌てて逃げる。 「うちはまだ負けてねぇぞー!」 菊子が鉄塊を振り回して魔王へ飛び掛かっていった。 「中年化がこれほど煩わしいとは」 大鎌を杖にしてゆっくりと立ち上がるラグレスを優しい光が包み込むと、体に溜まった疲労が薄らいだ。 「頑張るのですー」 ゼロの神秘による回復も、中年化に蝕まれたラグレスにはさほど効果が出ない。 大鎌を強く握り締めると、ラグレスは思うように動かない体で魔王へと駆けた。 「2人でも押されてるよ」 「魔王が強いのですー」 巻き込まれないようにしながら、ニコとゼロは神秘を使っている。 魔王の猛攻に晒されながら菊子とラグレスが戦えるのは、2人の回復と補助によるのが大きい。しかし、神秘を使えば2人は体力を消耗する。 このままでは2人の体力の方が先に限界になるだろう。 「やはり愛でなければ魔王を倒せないのです」 ゼロはごそごそと制服のポケットから謎団子を取り出した。 「それは?」 「さっきくすねておいた当たりの謎団子なのです。これを食べてニコさんが愛の必殺技で魔王を倒すのですー」 「柄じゃないよ?!」 「大丈夫なのです。リア充であるニコさんなら一番上手く愛の必殺技を使えるはずなのです」 手渡された謎団子を見て、ニコは困ったように眉を下げた。 「使いものにならぬ体で我に勝てると思ったか!」 ラグレスを無数の剣閃が打ち据える。耐えようと力を込めたはずの足に力が入らず、ラグレスは崩れ落ちた。 「役立たずは隅で怯えておるがよい」 「ウラァー!」 唸りを上げる菊子の鉄塊を、魔王は蜻蛉を切って避ける。 「役立たず」 呆然としたようにラグレスは呟いた。 そして、唐突に気が付いた。 「なんと愚かな」 己は不自由に喜びを感じた。 上手く機能しない己を喜ぶことは、主の役に立てぬことに喜びを見出すことに繋がってしまう。 「主に生み出されたサーバントが私。主のために機能することこそが至上。仮初めの娯楽に現を抜かしてなんとする」 ラグレスを縛る中年化が弾けた。 「来たれ戒めの刻」 伸ばした舌の刻印が力強く輝く。それをラグレスは躊躇わず引き千切った。 投げ捨てた舌が光となり、迷宮の床に2本の線を走らせ魔王を挟み込む。 「差し伸べよ血肉の贖い」 千切った舌は瞬く間に復元している。洗練された動きで大鎌を放り投げると、ラグレスの姿が溶け崩れて一瞬で蒸気機関車へと変わった。 「文明の落とし子に踏み躙られ給え汝」 2本の光を線路とした機関車が地響きを起こして魔王へと疾走する。 「面白い見せ物よのう!」 魔王の突き出したレイピアがラグレスの突進を受け止める。 「力押しで我が倒せると思うたっ」 飛来した大鎌が魔王を貫き言葉を奪った。 「今、軛を解き放つ」 汽笛を響かせて出力を上げた機関車が魔王の華奢な体を轢き潰す。奥へと去った蒸気機関車が掻き消えると、倒れた魔王の傍に巨大なスライムが落ちてきた。 そして、スライムの表面が波立つと、瞬く間に制服を着たラグレスへと変身した。魔王の傍に転がっている大鎌を拾い上げ、制服の乱れを整える。 「死んだのかー?」 ぴくりとも動かない魔王を菊子が鉄塊で突いていると、魔王から黒い炎が噴き上がった。 「うわっ」 「なかなか楽しめたぞ。次は我が見せてやろう!」 ゆっくりと起き上がる魔王の頭上に、赤い炎に縁取られた漆黒の塊が生まれる。 「神代より続く憎しみから生まれた我が炎。全てを灰燼にしてくれる!」 全員に向けて、巨大な破壊の力が降りてくる。 「ゼロちゃん!」 「はいですー!」 ニコとゼロの展開した2つの神秘の盾も呆気なく砕かれてしまう。 「こ、これは痛いじゃすまないよね?!」 「痛みを感じる前にゲームオーバーになりそうなので、大丈夫なのです」 「成程」 「全然大丈夫じゃないよー!」 悲鳴を上げるニコの前に、鉄塊を振り被った菊子が滑り込んだ。 「うちの目が黒い間に、竜を殺そうなんて! 例えお天道さまが許しても、うちが絶対許さねぇぞー!」 菊子の項の刻印が力強く輝き、鉄塊に刻印が浮かび上がる。 「うちの竜への愛は、灰になろうが何になろうが何度でも燃え上がるんだぞー!」 菊子が跳ぶ。 「ドラァー!」 振り被った鉄塊を迫り来る力の塊に叩き付ける。 「ケモぉぉりぃやぁ!」 鉄塊から広がった銀の光が塊を包んで、一気に塗り変える。振り抜いた鉄塊が巨大なエネルギーをそのままに魔王へと打ち返した。 「馬鹿なーっ!」 魔王の叫びが爆発に巻き込まれ掻き消される。 着地した菊子はそのまま崩れ落ちた。 「づ、づがれたぞー。充電したもふもふ分を使い切ったー」 「凄いよ、菊子ちゃん!」 「礼を言うなら竜になれー」 お礼を言うニコにどんな時でも菊子は歪みなかった。 「やっぱり愛は最強なのですー」 「勉強になります」 うんうんと頷くゼロに、ラグレスも神妙な顔つきで同意している。 そして、迷宮に広がった爆煙が収まれば、魔王が苦しげな表情で立っていた。 「何故だ。我が積年の憎しみはたかが数十年の愛に負けるのか。劣るというのか!」 「その答えは、貴方の目の前にあると思いますが?」 ラグレスは静かに大鎌を構えた。 「ならば、これより貴様らを打ち倒し我が憎しみで世界を塗り潰してくれよう!」 魔王の構えるレイピアに黒い炎が宿る。 「それは違うんじゃないかな」 ニコはゆっくりと立ち上がり、魔王へと向き合った。 「出会って一秒で落ちる恋もあるし、ゆっくりと好きになる恋もある」 「何を言うておる?」 「時間の長さも一つの要素だと思う。でも、きっと一番大切なのはどれだけ相手を想えるかだと思うんだ」 ゼロから貰った謎団子をニコは食べた。 「ねえ、君は誰をずっと憎んできたの?」 「黙れ」 魔王の放った斬撃はラグレスの大鎌に受け止められた。ニコはラグレスに軽く頷いて礼を示すと、魔王へとまた語りかけた。 「覚えてないなら、もう憎むのは止めてみない?」 「戯言だな。憎むことを止めた我は我ではない」 魔王の振うレイピアの軌跡が衝撃波となって放たれる。しかし、ニコの目の前に出現した銀の盾が衝撃波を防ぐ。 「ものは試しっていうし、何事もやってみないと分らないと思うよ?」 ゼロのいる方へと手を振って、ニコは目を閉じた。 「ずっと憎んできたなら、次は誰かを愛してみるといい」 プラチナの指輪をしているはず左手の指にそっと口付ければ、ニコの胸の刻印が力強く輝き出す。 「次など要らぬ。今があればそれで良い」 魔王の繰り出した刺突が、黒い閃光となりニコに放たれる。 「きっと世界が違って見えるよ!」 突き出した右手に嵌めた盾から銀の光が迸る。黒と銀が食い合うように衝突する。 盾より噴き出す光の色合いが、愛する女性を連想させてニコが知らず微笑んだ時。 金色の閃光が爆発した。 突き進む光の奔流が黒の閃光とともに魔王をも飲み込む。 しかし、そのまま消えると思われた魔王の中から小さな影が飛び出した。 「何かが逃げたのですー!」 しかし、飛び出した一塊の影は、すぐにラグレスの手に捕われた。そして、ラグレスはそのまま手を口元へ運ぶと、影をごくりと飲み込んだ。 「此度の暴霊退治、これにて終幕でございます」 洗練された所作で帽子を取ると、ラグレスは3人に向けて優雅に一礼した。 エピローグ 「そうだ。菊子ちゃん、少しお話しない?」 「いいぞー。うちの嫁になる気になったのか?」 「嫁にはなれないかなー。旦那にはなれるかもしれないけどね」 「うちが嫁になっても構わないぞー!」 「ありがとう。それじゃ、一つ質問してもいいかな?」 「いいぞー! 何でも答えるぞ!」 「菊子ちゃんは僕が竜だから好きなんだよねー?」 「うん、そうだ」 「実は竜じゃないって知っても、僕のこと好き?」 「え! そうなのか?!」 「どっちかな?」 「うーん、竜じゃないなら嫌だなー」 「そう思う間は、菊子ちゃんの旦那にはなれないかなー」 「何でだ?」 「僕は竜だけど、それは僕の一面でしかないんだよ」 「竜なら結婚しろー!」 「だからね、好きになる切っ掛けが竜だっていうならいいと思う。でも、竜だから好きじゃなくて、その人だから好きだって言えるようになって欲しいな」 「うーん?」 「そう思える素敵な人と出会えるといいね。僕の言う事を分ってくれて、それでもそういう人と出会えなければ、その時はもう一度僕の所においでね」 「うん?」 「その時はお付き合いについてゆっくり話をしようねー」
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