オープニング

「新居でも探すか? そこで俺たちの愛をじっくり育んで――」
「んー、そうね」
 カーサー・アストゥリカの言葉に、ヘルウェンディ・ブルックリンの気のない返事がかぶさる。
 彼女は彼ではなく、窓の外をぼんやりと見ていた。
 何を考えているのかは察しがつく。彼女の父親――ファルファレロ・ロッソのことだろう。
 暴風でも吹き荒れたのかと思わせるほどだったここは、ヘルウェンディの働きによって落ち着いた居住スペースとなった。
 一人ならばこのアパートでも十分ではあるが、二人だとどうしても手狭になる。
 だからこそ、一緒に暮らすための新しい家をという話になったのだが、それだと今、ヘルウェンディと同居しているファルファレロが独りになってしまう。そのことを、彼女は心配しているのだ。
 これからの二人のことを話していても、すぐに思考が父へと向かうことに嫉妬のようなものを感じないこともないが、初めて出会った時から彼女の最大の関心事は父との関係であり、それも含めての可愛いウェンディだ。
 パートナーであり、生徒でもある彼女とその父の仲が、もっと素直なものになれば喜ばしいことであるし、そうなる手助けはしてやりたいと思っている。彼自身、ファルファレロと良い関係も築きたい。
 ――それなら、抜群のアイディアがあるじゃねーか。
 カーサーは起こった閃きにニヤリとし、まだ窓の外を見ながら小さく溜息をついているヘルウェンディに近づいた。
 その艶やかな黒い髪を撫で、耳元で言う。
「じゃあ三人で住もうぜ。そうすればファルファレロさんだって寂しくないだろ」
「えっ」
 そして驚いて向けられる、カラーコンタクトで隠された同じ色の瞳に笑ってみせた。

 ◇

「こんな朝っぱらから何やってんだ」
 ファルファレロが大きなあくびをし、寝癖だらけの髪を掻きながら、キッチンへと顔を出す。
 しかし、その表現が相応しいほどには早い時間でもない。
「別に寝てたっていいのに」
「喧しくて寝られるかよ」
 そう言いながらも鼻を動かし、匂いを嗅ぐ姿は子供のようだとヘルウェンディは思う。
「レパートリーを増やそうと思って、新しいレシピを試してるの」
 今日はカーサーがやって来る日だ。三人で暮らす話をすることになっている。
 話し合いの場を、少しでも和やかにしたいという思いからだったのだが――。
「――あの金髪野郎が来んのか」
 あっさり感づかれてしまった。
 ファルファレロの声は一段低くなり、寝起きの眼がさらに不機嫌な形に細まる。
「あんな野郎――いや、てめぇらが付き合おうが乳繰り合おうがどうだっていい。だが俺を巻き込むんじゃねぇ。周りをウロチョロされるのも目障りで堪んねぇんだよ!」
「そ――そんな言い方ってないでしょ!? カーサーはあたしの為だけじゃなく、あんたの事だって――」
「はっ、どうだかな! 教師ヅラして、どうせヤる事しか考えてねぇんだろうさ!」
「あんたと一緒にしないで!」
 そして結局、いつものように喧嘩が始まってしまう。
 さらにヒートアップしそうになったその時、来客を告げるチャイムが鳴り、口論が一瞬止まった。
 カーサーだろうか。それにしては早すぎる。それともまた、ファルファレロが揉め事を起こした相手だろうか。
 再びチャイムが鳴らされ、あまり考えても仕方がないと、ヘルウェンディは急いで玄関へと向かった。
「はい」
「ウェンディ、俺だ!」
 返って来たのが聞き慣れた声で安堵はしたものの、今度は何故こんなに早く、という疑問が浮かぶ。
 ひとまずドアを開けると、そこには笑顔のカーサーが立っていた。
 あまり見たことのないデザインのサングラスなのは、ファルファレロに会うことを意識してなのだろうか。
「どうしたの? 約束の時間は――」
「悪ぃ悪い、こういう事はやっぱサプライズなのが楽しいと思ったからな」
 こちらはこちらで相変わらずだ。だが、それが心地よくもある。
「まあいいわ。とりあえず入って」
 何とかなる時はなるだろうし、ならない時はならないだろう。
 そもそも多少料理を豪勢にしたからといって、ファルファレロが機嫌よく話を聞くとも思えない。
「お邪魔します!」
 しかし、振り返ったヘルウェンディの表情が不審げに歪む。
 後について入って来たカーサーの荷物が、話し合いに来たにしてはやけに多かったからだ。
 そんな彼女を見て、彼は陽気に笑う。
「俺の荷物はこんだけだから、心配無用だぜ?」
 こんな形で唐突に、同居生活は始まろうとしていた。

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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)
カーサー・アストゥリカ(cufw8780)
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品目企画シナリオ 管理番号2984
クリエイター鴇家楽士(wyvc2268)
クリエイターコメントこの度はオファーをいただき、ありがとうございました。
普通に話し合いをするよりも、こっちの方が上手くいきそうな気がしたので、押しかける形にしてみました。
タイトルは『Ordinary Day』と『step to "us"』を合わせた感じです。
お三方の大切な思い出の一つとなれば嬉しいです。
それでは、ご参加をお待ちしております。

参加者
カーサー・アストゥリカ(cufw8780)コンダクター 男 19歳 教師
ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)コンダクター 女 15歳 家出娘/自警団
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア

ノベル

「きょ、今日は話し合いに来たんじゃ――?」
 戸惑うヘルウェンディに、カーサーは人差し指を立て、ちっちっちと小さく振ってみせる。
「こういうのを日本語で何て言うか知ってるか?」
 こちらは首を振る彼女に、彼はビシッと指を突きつけて言った。
「OSHIKAKENYOUBOU――押し掛け女房だぜ! 俺ァ正真正銘の男だけどな!」
 HAHAHA!! と高笑いするカーサーとは違い、ヘルウェンディは正直笑える気分でもなく、片方の頬が引きつったように上がっただけだ。
「てめぇ何しに来やがった!?」
 そこに、騒ぎを聞きつけたファルファレロがやって来る。
 場の雰囲気が一気に剣呑なものへと変わったが、カーサーは空気が読めないのか、あえて読まないのか、いつもの調子で挨拶をした。
「お父さん、お邪魔してます!」
「てめぇに父親呼ばわりされる筋合いはねぇっつってんだろ!」
「お父さんは聞いてないだろうから、まずはちゃんと説明しないとな」
 ファルファレロの機嫌は悪くなる一方だが、カーサーはあくまで自分のペースを崩さない。
「実はウェンディと一緒に暮らそうと思ってたんだが、前に言った通り、俺はお父さんにも幸せになってほしいんだ」
 そしてそのまま、ファルファレロにずいっと顔を近づける。
「けど俺は、ファルファレロって人間をまだ全部知っちゃいねぇ。だから三人でお試し同棲させていただきたいなぁと来たわけだ!」
 来たわけだ! と言われても、普通納得できるはずもない。
 ましてや相手はファルファレロ・ロッソである。
「同居だあ? 冗談じゃねえ! なんで俺が男と一つ屋根の下で暮らさなきゃいけねえんだよ鬱陶しい。ただでさえ、こうるせーメスガキに迷惑してんだ!」
 眼光の鋭さは寝起き時の比ではなく、今にも開戦となりそうな二人に、ヘルウェンディは思わず唾を飲み込んだ。
 ――こんな状況でなければ、誰がメスガキだと文句の一つも言ってやりたいところだったが。
「いやいやまあまあ、そんな嫌な顔しないでさぁ。家賃も払うし……それに悪いことばっかじゃないんだぜ?」
 カーサーはひらひらと手を振り、そして急に小声になる。
「ウェンディじゃ買えないものをパシったり、プライベートタイムが必要な時ゃ、ウェンディを安全かつスマートに部屋から連れ出せる。……あと、土産もきっちり用意してあるぜ」
 ファルファレロの耳元で言う彼の手には、いつの間に取り出したのかカンパリやグラッパ等、イタリアの酒が握られていた。
 そちらへと伸びた手は、酒ではなくカーサーを掴んで壁際へと引き倒す。次いで拳が唸り、顔の横をすり抜けて壁へとめり込んだ。
「てめぇみてーなガキの世話になるほど、俺は落ちぶれちゃいないんでな」
 上がる、耳障りな声。それがファルファレロの滾る気持ちを一気に冷やした。拳には痛覚と部屋の温度が戻ってくる。
 彼はカーサーを思い切り睨み付けた。視線を返して来る瞳に宿った感情が何なのか、サングラス越しでは判然としない。
 本音を言えば、今すぐ叩き出したい思いだった。
(相手はケツの青いガキだ。少しは大人の余裕見せてやっか)
 だが生まれた思考が、彼の口の端に笑みとして宿る。
「てめえ、面貸せ」
「やめてよ、何する気!?」
 ヘルウェンディの声は気にも留めず、カーサーの胸倉を掴むと、そのままリビングのほうへと引きずっていく。カーサーは抵抗はしなかった。
「男同士、ガチで勝負すんだよ」
 ソファーの上にカーサーを放り投げ、テーブルにプレイングカードを乱暴に置く。
 彼は半ばソファーにうずもれた体勢のまま、ずれたサングラスから見える目を瞬かせた。
「賭けポーカーだ。てめぇのケツの毛までむしってやる。受けて立つだろ?」
 問いではなく、当然のことを確認するという口調だった。
「HAHAHA!! 勿論だぜ!」
 カーサーも反動をつけてすっくと立ち上がり、ニヤリとファルファレロを見返す。
 盛り上がる二人とは対照的に、ヘルウェンディだけが取り残された気分だった。
「まーた俺の勝ちか。弱ぇなてめぇ」
「HAHAHA!! まだまだ勝負はこれからだぜ!」
 それから勝利の女神よろしくヘルウェンディが見守る中、白熱した勝負が行われ――ることもなく、とりあえず状況が落ち着いたことにほっとした彼女は、キッチンへと戻る。
 それでも時折心配になり様子を覗くのだが、勝負は時の運、という訳には全くもっていかず、ナレッジキューブはファルファレロの前にばかり、うず高く積まれていった。
 ギャンブルが異常に強く、場慣れもしていて、イカサマ上等で駆け引きをするファルファレロに真っ向勝負を挑んで、そもそも勝てるはずがない。
「これで有り金全部か? 酒代が浮いたぜ」
 機嫌よく酒瓶を傾けるファルファレロの前に、カーサーはあえなく撃沈した。

 ◇

「SUKKARAKAN――すっからかん。クリィィィィィィィンだぜ!」
 謎の身振りをしつつ、財布を逆さまにして振るカーサー。
 ファルファレロの方も土産の酒をすっかり空にし、そのままソファーで寝てしまった。
「ビックリさせてすまねぇな。事前にウェンディも知ってたらファルファレロさん、共謀しやがったって拗ねちゃうかもと思ってな?」
「わかってる。あんたは一見メチャクチャやってるようで、大体なんか考えがあるのよね」
 ヘルウェンディが真っ先に思い出すのは、ひょんなことから家庭教師を頼むこととなり、そこから行われた数々の妙な『授業』のことだ。
 そこから始まった二人の関係の中でも、驚くことは色々あった。
「これも愛ゆえにだな! HAHAHA!!」
 そんな言葉にも、それなりの説得力があるから不思議だ。
「……ま、とにかくこうなった以上、ちゃっちゃと同居の準備を始めちゃいましょ」
 大きないびきをかいているファルファレロを見る。今の間に色々と済ませてしまったほうが楽だろう。
「俺ァ大した荷物もねぇし、お構いなくってヤツだ」
「でも、寝るところとか……」
 今ファルファレロが寝ているソファーで寝てもらうことも出来るが、ずっとそのままというわけにはいかない。
「私は、いつもあいつと背中合わせで寝てるから……変?」
 そこまで口に出してみて、自分のしているのが急におかしなことのように思え、彼女は上目遣いでカーサーを見た。
「親子といえど男と女、別々に寝た方がいいのかな。なんというか……寝つきの悪い子供のそばを離れられない母親の気持ちなの」
「二人は磁石みてーだな!」
 否定や肯定のかわりに返ってきたのがそんな感想だったので、思わず吹き出してしまう。
 確かにそうなのかもしれない。顔を合わせれば反発し、背中合わせならくっついて眠る。
 カーサーは二人のそんな関係も、いずれ時が解決すると感じている。少し違う方向を向いてるというだけで、お互いの想いは同じなのだろうから。
「カーサー、一緒に寝る? 部屋は余ってるから、そこにベッドを運び込んで……」
 そう言ったヘルウェンディの顔が突然、ぱっと赤みを帯びた。
「へ、変な意味じゃなくて! カーサーのこと信頼してるもの、間違いなんて起きるはずないわ!」
 その姿が愛おしく、カーサーの手が引き寄せられるように伸びる。それは体ではなく、頭の上に置かれた。
 彼も健全な男子であるから、思うところはないでもないが、ヘルウェンディの歩幅に合わせるつもりでいる。
 そして、ファルファレロの歩幅にも。
 ソファーの方を見ると、無防備な少年のような寝顔がそこにあった。
 三人で一緒に歩けたら、きっと楽しいだろう。

 ◇

 それから色々と慌しくしているうちに、あっという間に夕食の時間がやって来る。
「AHAAAAHA! すげーぜウェンディ! どれも旨そうだ!」
 シーフードのスパゲティ、三種のチーズをトッピングしたピザ、香草が効いたフライドチキン、シーザーサラダにポテトのスープ、焼き色や網目にもこだわったチェリーパイ。
 テーブルに並んだ数々の品に、カーサーのテンションが上がる。
「うるせぇよてめぇ。メシ食う時もそんななのか」
「喧嘩の声が響いてるよりはいいんじゃない? 仲良くなるには食事から。腕によりをかけて作ったから、沢山食べてね。おかわりもあるわよ」
「いただきます! ――うん、やっぱサイコーだぜウェンディ!」
「良かった。いい若奥さんになれるよね?」
「当然だ!」
 ちらと視線を向けると、あからさまに面白くなさそうな顔をしながらも、ファルファレロも黙々と食べていた。そのことに少し安心する。
 会話のほとんどは二人の間で交わされていて、時々口を開けば文句を一言二言言い、話を振っても悪態をつかれるだけではあったが、それでも今までから考えれば、かなり和やかな食卓となったといえるだろう。

「ねえ、カーサー」
 新しい寝室でベッドに腰をかけ、ヘルウェンディはぽつりと言った。
「カーサーは壱番世界に戻りたい? 教え子に会いたい? 私は……ずっとカーサーやあいつと一緒にいたい。その願いさえ叶うなら、暮らす世界はどこでもいいの」
 彼女は答えを聞くのを恐がるように、隣へと座ったカーサーのほうを見なかった。
 その横顔に、彼は優しく言う。
「俺はウェンディの笑顔のためなら何でもするぜ。いやってほど知ってるだろ?」
 今、胸にあるのは、シンプルな答え一つだ。
「……うん」
 それを聞き、彼女は小さく頷いた。
「カーサー、お願い」
 それから、か細い声で言う。
「ぎゅっとして。……キス、して」
 カーサーは言われるまま、彼女を抱きしめ、耳元にキスをする。
 その体は、小さく震えていた。
「私、不安なの。壱番世界の家族とサヨナラして、こっちでやってく決心をしたけど、夜になると寂しくなって」
「これからは、俺がいるだろ」
 そう囁くと、彼女は何度も何度も頷く。
「お父さんとも、三人が一番落ち着ける関係を一緒に探ってこうぜ。急かずにゆっくりとさ」
 ずっとそうしていると、次第に落ち着いてきたのか、やがて震えはおさまってくる。
 二つの体温のつなぎ目も溶け、一つになっていくかのようだった。
「……ウェンディ?」
 声をかけてみるが、反応がない。
 そのうち、小さな寝息が聞こえてくる。安心したら疲れが出たのかもしれない。
 今日も彼女にとっては、刺激の多い一日だっただろう。
「お疲れ様」
 ベッドへと寝かせ、カーサーはもう一度、愛しい少女にキスをする。

 部屋から出ると、キッチンの方から香ばしい匂いが漂って来ていた。
 そちらへ行ってみると、ファルファレロがコーヒーを淹れている。
「特別に、てめぇにも淹れてやる。他の女やあいつにもやった事ねーけどな」
 カーサーが口を開く前に、ファルファレロは振り返りもせずに言い、座っていろと身振りで促す。
 それに従い待っていると、湯気の立つカップがテーブルに荒っぽく置かれた。
「ところであいつのどこに惚れた? あんな色気のねえガキ、俺ならまっぴらごめんだね。結婚とか将来の事ちゃんと考えてんのか?」
 自らも腰を下ろすと、ファルファレロは早口で一気に言う。
「俺は多分、ずっとロストナンバーのままだ。壱番世界に執着も未練もねえ」
 しかしカーサーがヘルウェンディの魅力や未来のヴィジョンを語り始めようとすれば、大してそれを聞きたくもないかのように遮られた。
「だがいつかは……てめえはヘルと壱番世界に帰って所帯を持て」
 さらっと言われたその言葉に、カーサーはまじまじと彼を見る。
「ヘルはてめえに惚れてる。あいつなら真っ当にやってけんだろうさ」
「ファルファレロさん、女心は複雑なんだぜ?」
 だが、それでは足りないものがあるのだ。彼女の笑顔のために、絶対に必要なものが。
「ウェンディは、ファルファレロさんとも真っ当にやって行きたいのさ! ――うぶっ」 
 親指を立て、爽やかにコーヒーをくいっと飲んだところで、むせるカーサー。
「あ? 悪い、苦くて濃すぎたか。わざとじゃねーから許せ。ブランデーで割りゃちょうどよくなんだろ」
 そう言ってファルファレロはブランデーを取りに行き、自らのコーヒーの中にもたっぷりと注いでから、カーサーの前にもどんと置く。
 少しの間、沈黙が訪れた。
 ファルファレロはカップに残った液体を、一気に飲み干す。
「……こんな事、頼むのは癪だが」
 ぼそりと呟いた言葉は、カーサーに上手くは届かない。
 不思議そうな顔をした彼に、ファルファレロは言い直す。
「いや、命令だ。俺がこないだ投げ捨てた指輪を捜すの手伝え」
 捜す気にもなれず、あれからずっと、そのままになっていた。
「あいつが起きる前に、ぱぱっと済ませてえ。俺と仲良くしてえなら言う事聞け。したら考えてやんなくもねえ」
 父と娘を繋ぐ証。ヘルウェンディにとっても大切な指輪だ。
 カーサーに断る理由は無かった。

「これがお父さんとの、初めての共同作業ってヤツだな!」
「うるせーし気色わりい。黙って捜せ」
 ラジャー! と言ってまた捜し始めたカーサーを、ファルファレロは不思議な思いで見つめる。
 どこからそのテンションがやって来るのか知らないが、いつもへらへらと元気な男だ。
 ただの馬鹿ではないのは言動を見れば明らかだが、あんな目にあっても、何事も無かったかのようにへらへらし、またここへと臆面もなくやって来て、お父さんにも幸せになって欲しいなどと、背筋の寒くなるような台詞を平気で吐く。
 敵意を向けてくる輩ならば、それを上回る敵意をぶつけてやればいい。
 けれども世の中には、こちらがそうしても、それをものともせずに向かってくる人間というのが居る。
 この男にしろ、あの小娘にしろ――あの女にしろ。
 そういう奴らは扱いづらい。こちらのペースを乱されてしまう。そしてそんな隙だけは見逃さず、ずかずかと土足で踏み込んで来る。
 最初は嫌で堪らなかったその感覚に、いつしか慣れてきてしまったのだろうか。
 窓の下は、庭とも呼べる場所となっている。それほど広いわけではないが、手入れも大してされていないため、小さな物を探すとなると面倒だ。
 しばらく、黙々と指輪を捜す作業が続く。
 静かになると、今まであった出来事が、頭の片隅で浮かんだり消えたりした。
「あったぜ!」
 ぼんやりとした耳に、カーサーの声は驚くほど大きい。
「うるせーなてめぇ、あいつが起きるだろうが。さっさと寄越せ!」
 カーサーの手からもぎ取る。確かにそれは、捜していたものに間違いない。
 指輪についた汚れを、服の袖で何度も拭う。
 そして、少し迷ってから、右手の薬指に嵌めてみた。
 初めて身に着けたのに、最初からそこにあったかのような、妙な安堵感がある。
「……知ってるか? 指輪をつける場所にも意味があって、右手薬指は精神の安定なんだとさ。うってつけだろ」
 なぜ自分でもこんなことを話してしまうのか理解できない。
(俺も、ついにヤキが回ったか)
 そんな風に思いながらも、カーサーの方を見る。
 向こうは何も聞いてこないのに、この短期間で多くのことを語ってしまった気がする。
 あまり縁のない人種ではあったが、男が教師であるということもその一因なのかもしれない。
「あいつの左手薬指はお前の為にとっといてやる。せいぜい頑張って俺からかっさらうんだな」
「勿論、受けて立つぜ! HAHAHAHAHA!!」
「てめぇ、ポーカーの時も同じ事言ってボロ負けだっただろ」
 そんなんでやれんのかよ、とファルファレロは呆れたように笑った。

 ◇

「起こしちゃったか。すまねぇな」
 ヘルウェンディが目を開けると、そこにはカーサーの顔があった。優しい笑みに、つられて頬が緩む。
 感じる温もりに目をやれば、大きな手が彼女の手を包み込んでいた。
「もう、朝……?」
 時計を見ると少し早めではあるものの、もう起床しても良い時間だ。
「何かあったの?」
 何となくそんな気がして尋ねる。カーサーは「ちょっとな」と言葉を濁した。
 彼の様子からして悪いことではなさそうだが、やはり気にはなる。
 体を起こすと、開いた自分の手から、何かがベッドの上へとこぼれ落ちた。
「これ……」
 青い石の指輪。
 母からもらったものではない。でも今それは、ファルファレロの元にあるはずだった。
「心配無用だ、ウェンディ」
 沸き上がる不安を見透かしたように、カーサーの明るい声が響く。
「もう代講は必要なくなったってことさ」
「代講?」
 首をかしげるヘルウェンディに、彼は陽気に笑うだけで答えてはくれない。

 顔を洗い、キッチンへと向かう。
 ダイニングには珍しく、ファルファレロの姿もあった。
 目が合うと彼は視線を逸らし、大きなあくびをして足をテーブルに投げ出す。
 頭の後ろで組んだその手に、何か光るものを見た気がして、ヘルウェンディは目を何度もこすった。
 いや、間違いない。右手の薬指にあるもの。
 ――青い石の指輪。
「それ……」
「何か文句でもあんのか? さっさとメシにしろよ」
「う、うん……」
 ヘルウェンディは、まだ夢でも見ているような気持ちで、朝食の用意をし始める。
 ベーコンを焼いて、卵を割り、サラダも作って、パンをトーストして、コーヒーを淹れて――その量は、いつもより多い三人分だ。

『ヘル、指輪をつける場所にも、ちゃんと意味があるのよ』

 母がいつか言っていたことを思い出す。

『愛を誓う時、絆を深めたい時は、左手の薬指。右手の薬指は、精神を安定させてくれるの』

(ねぇママ、あいつにピッタリだと思わない?)
 そんなことを思うと、自然に笑みがこぼれた。

「私達は、家族になる」
 食事が終わった後、思わずついて出た言葉に、席を立った二人が振り向いた。
「私はあんた達に、おかえりなさいと、ただいまを言う。だから……ちゃんと帰ってこなきゃ許さないんだから。私を独りにしたら承知しないわよ」
 カーサーが、親指をぐっと突き立てて応える。ファルファレロは面倒そうに顔を背けたが、否定はしなかった。
 ヘルウェンディはカーサーに近づくとその体に触れ、少し背伸びをして、頬にキスをする。カーサーも優しくキスを返してくれた。
 そして、それを眺めていたファルファレロのそばにも行き、頬にそっと唇を寄せる。
 父は驚いたように、娘を見た。
「これで、仲良く半分こでしょ?」
 そう言って、ヘルウェンディは笑う。ふと、先ほど使ったフライパンが視界に入った。
「……鉄板を挟むと、どっち向きでもくっつくようになるのよね」
「何の話だよ」
 小さく呟いた言葉に、ファルファレロは怪訝そうな顔をする。
「磁石の話」
 そう答え、ヘルウェンディはまた笑顔をみせた。

 いつもの部屋に、ファルファレロとカーサーが一緒にいるというのは、不思議な光景だった。
 けれどもそれはいつか、当たり前の光景になっていくはずだ。
 これから、にぎやかな家族の毎日が始まる。

クリエイターコメント大変お待たせして申し訳ありません。
ノベルをお届けします。

お三方の大切なお話を任せていただき、ありがとうございました。
素晴らしい家族となっていけますように!
公開日時2013-11-07(木) 23:20

 

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