ナラゴニアのはずれ、世界樹の大きな枝が影を落とす場所に、ひっそりと石造りの城がある。 城といっても、優雅というよりは質実剛健で、砦といったほうがいい。いくつかの物見の塔も、周囲を取り囲む銃眼のある城壁も、蔦がはびこり、全体に厳めしくひとを寄せ付けない風貌の建築だ。 その日――、ターミナルから来たふたりの男が、淀んだ濠にかかる跳ね橋を渡って、その城門をくぐった。 ムジカ・アンジェロと、一二千志である。 先だっての「0世界大祭」のおり、ターミナルを観光した人狼公リオードルに、ふたりはまみえた。 リオードルはかれらに限らず、出会った図書館のロストナンバーに、いつでも訪ねるがよいと言っていたようだ。 そしてその後、赤の城の舞踏会で、あらためてムジカは、彼の城を訪なう約束をとりつけた。コロッセオで戦って依頼、人狼公に関心を抱いていた千志もともなって、この日の訪問となったのである。 そう。この城こそ、ナラゴニアの有力者にして武闘派層を束ねるという《人狼公》の居城であるのだった。 沈黙する世界樹の梢を背景に、一羽の鳥が飛んでいる。 滑るように、人狼城の塔の窓に飛び込むや、鳥――漆黒のオオワシは姿を変え、翼を持つひとりの武人となって膝をついた。「恐れながら申し上げます。人狼公に目通りを求め、ムジカ・アンジェロ、一二千志なるものがターミナルより参っております。如何致しましょうか」 部屋は広かったが、その床のほとんどを、灰色の毛並の狼犬が寝そべることで埋め尽くしていた。かれらは武人が降り立つと一斉に頭をあげて耳を立て、黒い瞳で彼を見つめた。 狼犬たちに囲まれるようにして琺瑯製のバスタブが猫足に支えられてあり、良い香りのたちのぼる湯にはリオードルその人が鍛えられた裸身を沈めている。傍らの卓には果物を持った籠に、泡の立つシャンペングラス。「会おう。ホールで待たせておけ」 リオードルは短く、答えた。「人狼公がお会いになる。その門より城館に入り、そこで待て」 翼の武人はふたりにそう告げたまま、彫刻のようにたたずんでいるばかり。引き結んだ唇はそれ以上を語ることはなく、案内はしてくれないようだ。「……とりつぎ、ありがとう。名を聞いても?」 ムジカは城館に向かう前に、そう聞いてみた。「ロック・ラカン」 ぶっきらぼう、名前だけが返ってきた。 その目はかれらを値踏みするようでもあり、しかし、夜の湖水のように、その底はなにも見えはしなかった。 城館の中はひっそりと静まり返っており、灯りは壁の燭台だけだった。 ホールは石壁にタペストリがかけられているほかは飾りはなかったが、大階段を上った先の上階の廊下には絵の額もかけられているようである。 しばらく、そこで待った。 ムジカは、ふと、なにかに気付いたようだ。「どうかしたか」「声が――しなかったか?」 ホールの隅に、地下へと続く階段があった。 近づいてみれば、ひんやりとした冷気が立ち上ってくるようだ。それに混じって、ごくかすかに、人の声が……低いうめき声のようなものが聞こえた――ような気がした。 顔を見合わせていると、今度ははっきりと、別の方角から空気を震わすような大音声で、なにかの獣の咆哮が響いてくる。そして、どしん、どしん、となにかが暴れるような音……人間の悲鳴や怒号。これらはホールを抜けた先、城館の裏手から聞こえてくるようだ。一般的なこうした館の構造から考えると、裏口から出られる裏庭があるはずだった。 リオードルはまだ来ない。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>一二 千志(chtc5161)ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)=========
「おい……」 千志が呼び止めるのへ、 「すぐ戻る」 とだけ言い残し、ムジカはさっさと地階へ降りて行ってしまった。 残された千志は、そこにたたずんでいるよりない。 たまたま――、人狼公を訪ねるつもりと聞いたので同道したが、ムジカのことを千志はよく知らなかった。音楽家と聞いたが、なるほど、芸術家とはああいう……なんというか、自由なものなのだろう、と思うばかりだった。 城館の地下はひんやりとした空気に満たされていた。 「……」 すん、とその空気を嗅ぐ。獣脂の匂いだ。上階にはこの匂いはなかった。灯りを使い分けているらしい。 暗い火に照らされた石の床が続く。その先には、果たして想像どおりのものがあった。 鉄格子である。 「――っ」 その向こうにいた男は、ムジカに気づくと息を呑んで、身を縮めた。 着ているものは襤褸で、着物も肌も汚れ放題。破れ目からのぞく傷を、ムジカはみとめた。それが、おそらく拷問めいた方法でつけられたものだということも。 「あ、あんた」 男の目と声には脅えがにじんでいた。 「誰だ。この城の人間じゃない。そうだな」 「だったら」 表情を変えることなく、ムジカは慎重に答えた。 地下牢に入れられている男。この城の主は、この男を牢獄につなぐ必要があると断じたのだろう。そのわけを聞かずに、憐れみの目を向けるわけにはいかなかった。 「た、頼む。助けてくれ。お、俺はただ――食いもんを盗んだだけだ」 「この城から? ……おれの記憶だと、人狼公はナラゴニアの人々に施しもしていたはずだ」 「ああ、そうだ。けど、一度の施しで貧しいものがいなくなるわけじゃない」 「だから盗んだ? ……あまり擁護できないようだな」 「あの男に逆らったり、機嫌を損ねたりして、殺された人間は何人もいるんだぞ!」 男は思わず、声を荒げ、その声が思いがけず地下の空間に反響したので、ぎょっとして口をつぐんだ。 ムジカは石壁に視線を投げる。 鉄製の道具がこれみよがしに吊るされているが、どのようにして使うものなのか。いずれも、凶悪そうな形をしていて、得体の知れない染みが錆びがこびりついているようだった。 「リオードルは暴君だ」 「……」 「残虐な男なんだ」 「……覚えておこう」 ムジカは頷き、きびすを返す。 「お、おい……! 頼む! 出してくれ! このままだと殺されちまう……!!」 わめきたてる男には構わない。 盗人を捕らえたのなら、あとは城主の権限だ。やりくちが酷いかどうかはまた別の問題だが、いずれにせよ、今、ムジカがどうこう言えることではない。 一方、千志は。 じっとしているのにも飽き、あたりを見回しているうちに、大階段のうえが気になる。 ホールで待てとは言われたが、少し見て歩くくらいならいいのではないか。 上階へのぼってみる。 回廊に、絵の額が等間隔に並んでいた。 階段をのぼり切ったところでまず出会うのは、非常に大きなカンヴァスだった。画布いっぱいに描かれているのは峻険な岩山の風景だった。嵐でもくるというのか、空には荒波のように雲が流れている。そのしたに、荒々しい稜線がつづくが、見れば、岩肌を削り出したように城が建っているようだ。 千志に絵の良し悪しはわからない。 ただ、写実的な油絵だと見てとるだけだ。 回廊にはまだまだ額がある。一瞬、このまま進んでいいものか躊躇するそぶりを見せるが、ホールを見下ろし、ムジカがまだ戻るようではないので、そのまま歩き出す。 絵には風景や静物ばかりが描かれていた。 砂丘に沈む夕日。遠く馬影が駆ける丘陵。遠雷の空をのぞむ湖。果物を持った銀皿。朽ち果てた廃墟のあずまや。 意味があるのかないのか、それがどこか現実の風景を写生したのか、それとも画家の想像か。同じ画家の筆かそうではないのか。千志にわかることは何もなかった。 ――と。千志の聴覚が音をとらえる。 それは回廊の先から聞こえて…… 「!」 あっと思う間もなく、曲がり角から灰色の奔流があふれ、千志に押し寄せてくる。 思わず身構える彼を、怒涛のように飲み込んだのは、狼犬の津波であった。 あたたかな毛皮のかたまりがかわるがわる体当たりをしてくる。前足がせわしなく千志の脚といわず背といわず、のぼりつこうとして掛けられ、濡れた鼻先が押し付けられる。 「お、おい……っ」 害意がないことはわかったので、されるがままになるが、もしも、かれらが野生のまま牙を剥いてきたとすれば、相手は容赦なく引き倒され、喰い裂かれていたかもしれない――そう思わせる勢いだった。なにせ狼犬たちは一頭が子牛くらいはある。 「待ってろと言っただろう」 狼犬たちの毛並み中を、海を割って歩く聖人のように、リオードルが悠然と歩んでくるのが目に入った。がっしりとした身体を包むフロックコートは犬たちと同じ灰色。黒い天鵞絨のベストの胸は厚く張っているが、仕立てが良いのか不思議と窮屈そうでない。襟元を、暗い深紅のクラバットが飾っている。 「すまない。その――」 千志は勝手に歩き回ったことを詫びようとしたが、リオードルはなんら気にした様子もなく、千志の傍らを過ぎる。そのまま大階段へ向かうので、千志は慌てて後を追った。 「なあ、この絵なんだが」 千志がすがるように問うたのは、ムジカの不在を見咎められないよう、時間を稼いだほうがいいかもしれないという彼なりの気遣いだった。 「なんだ」 「ああ、ええと」 だが、先行くリオードルが応じたのへ、特にこれと言って質問が出てこないでいるうちに、広い背中はさっさと階段を下りて行ってしまう。 「待たせたな」 「いや」 ムジカはしれっと元の場所に立っていた。 千志は人知れず息をつくのだった。 * 案内されたのは、客間だろうか。 一面がガラス張りで、やわらかな陽光が差し込み、外の花壇が目を楽しませてくれる。 3人がかけると、テーブルのうえには茶会の用意がなされる。 使用人が白磁のカップに熱い紅茶を注いでくれた。 「この犬たちは」 千志は訊ねた。 犬たちは客間のあちこちに、思い思いに寝そべっている。 「どこから、どうやって」 「ああ、いつだったか……どこかの世界で捕まえた」 「百頭とも?」 ムジカも興味があるようだ。 「そうだ。世界樹が滅ぼした世界のひとつだ。放っておけば世界と運命をともにする。犬を飼うのもいいかと思ってな」 「何処かへ連れて行く事はあるのか」 「たまには」 「よく躾けたものだ」 「俺は群れを率いるのは得意だ。生まれながらにそういう性なのだ」 テーブルに、食べ物が運ばれてくる。 お茶会というよりは、ちょっとした食事と言って差し支えない内容と量だった。 ハムをはさんだサンドウィッチに、焼きたてのミートパイ。湯気を立てるタンシチューまである。さらにはプディングや魚の揚げ物、サラダ、塊のチーズ。そこに、タルトなどの焼き菓子や、銀盆に盛った果物が加わる。 「率いるといえば、あのロックという人物は」 ムジカは問うた。 「ああ、あいつはな。どこかの世界に飛ばされて、死にかけていたのを拾ってやったのだ」 「それも滅ぼした世界?」 「どうだったかな。なんにせよ、放っておけば死ぬところだった。鳥を飼うのもいいかと思ってな」 「飼うのが好きなのか」 「そうだな」 リオードルは笑った。 「あ、あんた――いや、あなたは」 千志は言いかけて、思わず口ごもる。 緊張しているというわけではないが、ナラゴニアの貴人を相手に距離感を測りかね、どうも調子が掴めない。 ムジカは奇妙なくらい自然に、対等な会話をしていて、それでいて決して馴れ馴れしさは感じないのに、だ。 リオードルの眉が跳ねた。 「なんだ。気にするな。普通に話せ」 「その……。あんたはすごく強い男だと思う」 「そうだな。俺は強いぞ」 「それは、なぜかと思って。……覚醒するまえは、何を」 「今と大して変わらん。俺はもとより《人狼公》。さっきおまえが見ていた大階段の上の絵があるな」 「岩山に、城が建っている?」 「それだ。あれは俺がもといた世界の景色を、ナラゴニアの画家に描かせたものだ。俺がもといた、真なる人狼城。俺は領主だ。国を治め、民を養い、兵を率いる。だから強くあらねばならん」 「民のために、強くなろうとして、強くなったのか?」 千志は王ではなかったが、同胞のために力を求めた。仲間たちが救われる道を拓くために、強くなろうとしたのだ。だがそれは果たせなかった。果たせぬままに、世界から放逐されたのだ。 「少し違うな。俺はただ欲したのだ」 リオードルは答える。 「俺の民は大切だが、それは俺のものだからだ。民のために強くなったのではない。俺は強いから民をもつことを許されている。強くなければ去るしかない」 「ノブレス・オブリージュということだろうか」 ムジカが言葉を挟んだ。 「高貴な地位にいるものには、それ相応の義務がつきまとうような」 「ただやりたいようにやっているだけだ」 「これからも、さらに強くなろうと?」 「むろん」 「その力で何をしようと言うんだ」 さらに問いかける千志に、リオードルは微笑った。 「支配するのだ」 「……ナラゴニアを」 「そうだ。たったひとつの強大な力で支配されれば、民は惑うまい。ノラは面白いやつだが、そういうことはできん」 思いもかけず飛び出した名に、千志は目をしばたく。ナラゴニア暫定政府の様子は気になるところであった。 「世界樹は強大だったが、園丁はやり方がわかりにくかった。クランチには器がなかった。銀猫はゆるすぎた。俺以外に王が務まる男はおらんぞ」 「……そうか。でもどうやって」 「さてな」 にやりと頬をゆるめると、口の端に牙がのぞいた。 「それは今、考えているところだ。俺も少しは学んでいる。王たるものに必要な強さは、剣のわざだけではないということをだ。なにせ時間はたっぷりあるのだからな」 その言葉を信じるなら、少なくともすぐさまクーデターのような手段に訴えるというわけではないのだろう。リオードルが野心家であることは間違いないようだが。 「ところで、さっき、裏手のほうがなにか騒がしかったようだが……訓練でもしていたのか?」 「あれは犬が暴れていただけだ」 「犬?」 周囲の、毛皮の海に目をやる。 「違う。こいつらとは別にでかいのを飼っているのだ」 「本当に好きなんだな。動物を飼うのが」 「そうだな」 言いながら、ミートパイを頬ばった。 「強さというが」 ふいに、ムジカが言った。 「『人狼公を串刺しにした男』なんだろ?」 悪戯っぽい笑みを浮かべて、千志をつついた。 「……っ」 ちょうど紅茶を飲みかけていたところだったので、思わずむせてしまう。 ははは、とリオードルが大声で笑った。 「そうだったな。あれはなかなかだった」 「そのときの話を聞きたいな」 「ム、ムジカさんっ」 急におかしな汗がふきだして、千志はうわずった声を出した。 * しばし、なごやかな談笑が続く。 リオードルは快活に話しながら、飲み食いする手も止まることなく、皿のうえはほとんど彼によって片付いて言った。かなりの健啖家だと言ってよかった。 食事が落ち着いた頃。おもむろに、ムジカが言う。 「突然の訪問だったのに、相手をしてもらって感謝する」 「なに。来いと言ったのだからな」 「手土産と言ってはなんだが……演らせてもらえないかな」 ムジカは持参のバイオリンケースを開けた。 「ほう。それはいい。ぜひ頼む」 「せっかくだから、できれば公の故郷の音楽でも演奏できればと思う。なんでもいい。聴かせてもらえたら……」 リオードルはふむ、と頷くと、ティーベルを振って召使いを呼び寄せる。なにごとか囁けば、ややあって、ワゴンで奇妙な品物が運ばれてきた。タイプライターほどの大きさで、箱から突き出たパイプが複雑に絡み合っているような形状である。 「こいつはナラゴニアの職人に再現させた蒸気式のオルゴールだ。俺の覚えている曲を組み込んである」 召使いがマッチを擦って火をともしたアルコールランプを、機械の中に入れると、音が鳴り始めた。 蒸気とともに吐き出される旋律は、少し音程がおかしいようだったが、ムジカは真剣に耳を傾ける。 鳴り終わったのを見届け、バイオリンを構えた。 「まさか、今の一回で……?」 千志が言ったが、そのまさか。 ムジカが弓を引けば、流れ出すのは今しがたのメロディそのものである。 音程が狂っていたところ(オルゴールの調子のせいなのか、リオードルの原曲を教え方がまずかったのかは不明だ)はおそらくこれが正しいのだろうというように修正し、印象が変わらない程度のアレンジも加えられていた。 それは軽快で、しかしどこか切ないような、舞曲のようだった。 強いて言うなら、ヨーロッパの民族音楽に近い曲調だと言えた。ルネサンス以前の、素朴な楽曲だ。 リオードルは目を閉じてじっと聴いている。 「……どうかな。うまく再現できていればいいけれど」 「完璧だ」 人狼公は簡単の息を吐く。 「とても懐かしい。とうに忘れていたことを思い出したようだ」 その後―― 何曲か、ムジカが演奏をして、千志のリオードルはその音色を堪能した。 それが、その日の、人狼城のお茶会のメインエヴェントだったと言えるだろう。 * 「すっかり長居をしてしまった」 「気にするな。また来るがいい」 城館の入り口まで、リオードルみずからが送りにきてくれた。 「人狼公」 別れ際、ムジカは言った。 「あなたはナラゴニアの王になるというが、ナラゴニアの民はあなたのもといた世界のものじゃない。それでもあなたは、かれらが自分の民になったのなら、それを護るのだろう」 「むろん」 「ターミナルでも、あなたは、なんにでも興味を示し、誰にでもへだてなく接した。多様な価値観を受け容れるあなたの寛容さは、とても素晴らしい」 「王とはそういうものだからだ。だが褒められるのは気分がいい。もっと褒めてもいいぞ」 あまりに、あけすけに言うので、ムジカは微笑った。 「あなたのような人がナラゴニアにいてよかったと思う」 「そうか。だがそんなことを言っていいのか。気をつけろよ」 リオードルは、ニイっ、と牙を見せて笑った。 「俺が気に入ったものにすることはふたつのことしかないからな。つまり……『飼う』か、『喰う』かだ」 それがなにかの冗談だったのか、それとも言葉どおりの意味なのか、千志はその後、ずっと考え続けることになったのだが、いまだ結論は出ていない。 ムジカに訊ねても、彼はただ、静かに微笑んでいるだけだった。 (了)
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