「ええっとですね、インヤンガイに、霧浄土(ウージントゥ)街区、というところがありましてですね。……聞いたことない? やっぱり……。それはある意味当然で、この街区は他街区とは一線を画していて、地皇(ディファン)家という一族の支配・占有度が高く、事実上の小国家の体を成しているんです。司法も行政も商取引も、表の団体も裏の組織も、すべて地皇家の傘下です。従って」 ――この街区には、マフィアが存在しません。公正な警察も存在しません。 「正確には、地皇家に逆らうことが可能な組織を形成することは不可能なんです。さらに地皇家は『他街区への不干渉』を標榜しており、ウージントゥ街区以外で何がどうなろうと関わらない主義を徹底してます。万一、外部から良からぬ組織が潜入ししようものなら、瞬殺されてしまうくらいには」 無名の司書は、厳しい表情で『導きの書』を広げる。 なんでも、ウージントゥ街区の現地探偵から助力を求める依頼があったらしいのだが、今までロストナンバーが赴いたことのない場所であることと、その内容が少々難解であったため、片端から断られてしまったという。 ゆえに、木賊連治と一二千志が興味を示してくれたのをいいことに、チケット二枚を押し付けながら、逃がすまじと説明を続けているのだ。「で、まあ、そんな街区に『正義の執行者』を騙る殺人鬼が現れたんです。火鳥(フォウ)を名乗るその殺人鬼は、様々な理由で刑罰を免れた『裁かれざる罪人』」を標的とし、自らの手で次々と対象を処刑しているんですが……」 † † 「高級娼婦とそうではない娼婦の違いは、お客を選ぶことができるかどうか、ということよ。もっとも、客を選べない娼婦なんて、銃弾の飛び交う戦場を素裸で走るようなものだけど」 ウージントゥ街区の女探偵は、銀紗(インシャ)と言った。深いスリットからのぞく美しい脚を組み替え、紅いマニキュアが煙草を弄ぶさまは、とろりとした妖艶な魅力に満ちている。ゆらめく紫煙が場末の酒場に吸い込まれていく。「お客でもない男のひとたちに身の上話なんて失礼よね、ごめんなさい」 彼女は、探偵にして高級娼婦、そして、狙撃を得意とする暗殺者でもあるという。 多角経営なのだと、銀紗は肩をすくめる。銀に近いほどの白い髪は生まれつきのものではなく、13のときに、悲惨な目にあった名残なのだと笑う。 私のことはともかく、と、女探偵は本題に入る。 火烏とはそもそも、この街区の旧い伝承に登場する、太陽の中に棲む三本足のカラスのことであるらしい。 かつて、天には七つの太陽がひとつずつ入れ替わって昇り、インヤンガイを照らしていた。だが、あるとき、七つの太陽が全て同時に昇る異変が起こった。地は灼熱の地獄となり、草木は枯れ動物は乾涸びた。そのとき、弓の名手であった地皇家の長兄が、六羽の火烏を射落した。 それ以降、太陽はひとつになったという。+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+ 正義なき者に告ぐ。 汝の罪を悔い改めよ。 断罪の矢は、三日以内に、おまえの胸を射抜くだろう。 火烏+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+ それが、標的を定めたさいの、火烏の予告状だった。「ちょっと長くなるけれど、順繰りに話すわね。火烏の最初の標的は、地皇家の総統、零雹(リンバオ)だったの。でも彼は二週間前に予告を受け、殺された。今は次男の弐風(グァフォン)がこの街区の支配者よ」 零雹の子は七人いる。それぞれ母親が違う五男二女。 壱嵐(イーラン)、弐風(グァフォン)、参雷(ツァンレイ)、四雲(スーユン)、伍雨(ウーシェン)、六華(リウファ)、七蘭(チーラン)。 長兄の壱嵐をさしおいて、弐風が地皇家の総統となったのには理由がある。 壱嵐は10年前、零雹といさかいを起こして家を出たのだ。今はどこでどうしているのか、その行方は知れない。 参雷は地下組織と闇の経済を、四雲は表の商業施設を、伍雨は歓楽街全般を、それぞれの裁量で管轄としている。 六華はやはり10年前、誘拐されたきり行方知れずになっているという。 そして三日前。 末娘の七蘭は、火烏の手により命を落とした。「この街区は面積が広いから、四つに分けたほうがわかりやすいわね。地皇家の敷地が大半を占める《西》、一般の民が暮らす《東》、歓楽街と商業施設が集まる《南》、スラム街が乱立する《北》」 ある日、北に住む少年が、どうしたはずみか西に迷いこんだ。 ぼろぼろの衣服と薄汚れた顔と髪は、北の住人にはごく普通のことだったが、西に住む地皇一族には耐え難い汚れで―― それが、凄惨な悲劇の始まりだった。 彼は、16歳の七蘭が、おつきのものたちに囲まれて、華やかな服飾店で買い物をする様子を見てしまったのだ。 そして、一目で恋に落ちた。 甘くやさしく揺れる黒い巻き毛に魅せられて、少年は手を伸ばした。 やせ細った指で、陽炎のようにゆらめく少女のスカートをつかむ。 そこにあるのは、ただ憧憬の目。別世界の女神に救いを求めるまなざし。 ひとこと、たったひとこと。 少女と言葉を交わしたかった。やさしい笑顔を見たかった。 それだけで、今日を生きていける気がしたから。 ――だが。「触らないで、汚らわしい。……この虫けら!」 それが、少女の答だった。 少年は、首を括った。 † † 息子の亡骸をかかえた母親は半狂乱となり、豪奢な屋敷の門前で泣き叫ぶ。 地皇家お抱えの警備員は、これが欲しいんだろう、と、紙幣を叩き付ける。 ありがたく頂戴しろ、七蘭お嬢様はおやさしいから、虫一匹が死んだだけでも見舞金をくださるそうだ、と。 母親は声にならない叫びを上げ、紙幣を投げ返し、男の足に噛み付く。 母親は、射殺された。 警察には「不審者の暴力に対応するための保安措置」と申告され、受理された。 † † わかってください。わかってください。 何もいらないから。 その汚れないおもてに、共感の表情を浮かべてください。 ひと粒でいいから、涙をこぼしてください。 ごめんなさいね、と、言ってください。 少年の想いも、母親の願いも、伝わらなかった。 † † そして、七蘭のもとに、一枚のカードが届いたのだ。 太陽の中に棲む、三本足の烏の意匠のカードが。 少女は「へんなの。あたしに罪なんてないのに」と、愛らしく微笑んで、カードを破り捨てた。 よって、胸を射抜かれ、絶命した。 服飾店の壁に、鋼鉄の矢で、まるで飾りものの蝶のように縫い付けられて。 火烏を目撃したものは少ない。 ただ、月の出ぬ闇夜に廃ビルの屋上で、ひとの背丈ほどの長弓を引き絞った長身の男の、刃物のようなシルエットが伝えられるばかりだ。 † †「それで結局、依頼人は誰なんだ?」 眉をひそめる連治に、銀紗はふっと目を細くする。「母親を射殺した警備員の娘さんよ。警備員は雇われの身だから、彼だってどうしようもなくて。だけど、自責の念に駆られてしまって、『裁いて貰えるならそれでも構わない』って言ってるのですって。けれど娘さんとしては納得できないから、私に護衛を依頼してきたってわけ。火烏を返り討ちにしてくださいって」 でもね、と、銀紗は自嘲気味に言う。「それなりに腕に覚えはあるつもりだけれど、私では火烏にかなわないの」「壱嵐が、火烏だからか?」「あら、ま」 千志の指摘に、銀紗は目を見張る。「そして、行方知れずの六華は、13のときに誘拐されて10年が過ぎ、今は、娼婦か探偵になってるかも知れない」 連治にも言われ、銀紗は嘆息する。「あなたがたが有能でうれしいわ。なら、ついでに、依頼人の疑問にも答えてくれないかしら」 警備員の娘は、火烏のカードを見て、こう言ったというのだ。 じゃあ、お父さんはどうすれば良かったんですか。 その可哀想な母親を庇って、地皇家に逆らって、別の警備員に撃ち殺されれば良かったんですか。 犬死にすることが、正義ですか。 正義って、なんなんですか。 この街区に、いいえ、この世界に正義なんて、あるんですか。 =========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>木賊連治(cfpu6917)一二千志(chtc5161)=========
ACT.1■慟哭 ひとは、ひとを救えない。 そうかも知れない。 そうではないかも、知れない。 † † 警備員の親娘は《北》のスラム街の住人であるという。 瓦礫まがいのバラックが階層をつらね、無秩序な迷路を構成しているだけに見えるその一角は、ひとが生活を営むことが可能な場所とは、とても思えない。 銀紗に案内され、「ここよ」と、瓦礫の一部を指し示されて、かろうじて、その歪んだ板切れが、部屋に通じる扉であることに気づく始末だ。小さくノックをしてもいらえはなく、来訪者をひどく警戒していることがわかる。 「美鈴(メイリン)。私よ。優秀な護衛をふたり、連れて来たわ」 銀紗が声を掛けてようやく、扉は開いた。 「……どうも」 コホッ、と、乾いた咳の音が響く。痩せこけて青白い、瞳のちからだけが異様に強い少女が顔を覗かせる。年のころなら15、6。死んだ七蘭と同じくらいだが、衣服はぼろ布同然で、長い黒髪に艶はない。咳と顔色の悪さからみて、何らかの病気を有していると思われた。 狭いところですけどお入り下さい、と、通された室内は、ことばどおり、尋常ではなく狭い。 「ふたりとも足が長いから、置き場所に苦労するわね。私の膝の上に座ってもいいのよ?」 そんな軽口を叩きながら、銀紗は美鈴に無言で問う。美鈴は頷いて、視線を部屋の隅に移した。 初老の男がひとり、うつろな目であらぬ方向を見ている。目の下は落ちくぼみ、憔悴のいろが濃い。彼のそばに置かれているのは、地皇家の家紋入りの警備員服。調度品ひとつない室内で、不釣り合いに上質な支給品は痛々しかった。 「……もういい。もういいんだ。わしがいなくなっても。率先してあの母親を始末した報償金を、弐風さま直々にいただいたからな。おまえの病気が治るまでの薬代は心配ない」 「娘のために人殺しをしたとでも、言いたいのか?」 音もなく切れるナイフのように、連治は問う。美鈴が気丈に睨む。 「じゃあ、どうすればよかったんですか?」 「無意味なことを聞くな。いくら後悔しようが、殺した命は帰ってはこない」 それは連治自身が、一番よく判っていることだ。 この街区に司法は存在しない。ゆえに裁かれず、消えない罪悪感に身を焦がされたまま生き続けるなら、それも贖罪の在り方ではないのか。 「どうすれば、じゃなくて、どうするか、だ。後悔にのたうちながら、生きるしかないだろう」 連治もまた、いつか出身世界で裁かれることを諦めてはいないのだけれども。 「この街区に限ったことじゃねぇ。この世は何かを切り捨てなければ何も救えないし、護れない」 美鈴と父親をまっすぐに見据え、千志も言う。双眸に宿る、つよい意志。 「神の救いの如く、穢れない正しさを正義とするなら、この世にそんなものは存在しない。火烏がどんな信念で正義を語ろうと、汚い人殺しであることに違いはねぇよ」 ――俺がそうであるように、と続くことばを、千志は飲み込む。 この警備員の、裁かれたいと願う想いは、苦しいほどに理解できるのだ。だが、火烏に罪を重ねさせることにより、己だけ裁かれようというのは、抱え込んだ罪の重さから逃れたいだけに他ならぬ。 「殺されてもいいから償いたいと思うなら、あんたにできる贖罪の道を探すべきだ」 「……わしは、もう」 「殺させない。絶対にあんたを殺させはしねぇ。絶対にだ」 「これが、火烏の断罪予告か」 美鈴から差し出されたカードの文面に、連治は眉をひそめる。 裁かれない殺人者への断罪よりも、地皇家への怨恨を優先しているように思えるのだ。もし火烏が、罪悪感に苦しむ彼らを自らの目的の為に弄んでいるのだとしたら――、 火烏への激しい嫌悪が胸を灼く。 「私怨だとか私刑で、こいつが報われるはずもねえだろうが」 どこにあるというのだ。 ひとがひとに、罰を下す権限が。 「このカードはいつ、どうやって届いた?」 連治は何げなく――本当に何の含みもなく、そう訊いた。 「あ、ええと」 父親は一瞬、虚を突かれた表情を見せる。 「気づかない間に、お父さんの警備員服のポケットに入っていたの。そうよね、お父さん?」 美鈴が父親の顔を覗き込む。 「あ、ああ。そうなんだ」 父親は何度も頷いた。 ――なにかが、引っかかる。 「預かっていいか?」 連治はカードを、自分のポケットに収めた。 ACT.2■犠牲 ひとは、ひとを裁けない。 そうかも知れない。 そうではないかも、知れない。 † † 《西》は、別世界だった。まるでロストレイルで世界間移動をしたのかと錯覚するほどに。 手入れの行き届いた花水木の街路樹が、彩り良く並んだ人造大理石の大路に整然とつらなり、清潔で美しい、瀟洒な建物が立ち並ぶ。 点在するビルディングもまた、少し古風なインヤンガイ様式を踏襲し、計算し尽くされた配置となっている。すえた哀しみに満ちた《北》とは、空気のいろさえ違うかのようだ。 七蘭の“罪”の現場であり、彼女が殺された服飾店も、そこにあった。 壁にはまだ、拭い切れない血の染みと、鋼鉄の矢の痕が残っている。 「ここで、七蘭お嬢様が……。なんと痛ましい……。あれほどお優しい、思いやり深いかただったのに」 警備員は目頭を押さえた。彼が同行することになったのは、千志の進言による。部屋に閉じ込めておくよりも、常に保護下に置いたほうが安全だろうと判断したからだった。 ――優しい、だと? 憔悴した男の目に涙が浮かぶのを、千志は見やる。彼は本来、善良な人間であるのだろう。その様子に作為は感じられない。 だが。 少年を虫けら呼ばわりし、首を括らせるに至り、ひいては警備員に罪を犯させることになった張本人が、他ならぬ七蘭ではないのか? ――なにかが、ねじれている。 「何故、ここを検分に来たの?」 銀紗が怪訝そうに首を傾げた。現場を確認したいと言ったのは連治である。 「目撃証言と現場の状況が合わない」 火烏を見たという証言があったのは、工事中の廃ビルだった。現状では、周囲のなかでそのビルだけが異質な雰囲気を持っているが、工事が完了すればこの地域の一角を担うにふさわしい、洗練された建物に生まれ変わると思われる。 その周辺を捜索し、遺留品などがないことをたしかめてから、連治は屋上に立つ。 そして、構える。幻の弓を。あたかも彼が火烏であるかのように。 固定した足元を起点に優美な同心円が描かれ、奇術師の美しい指先は、標的を定めた。 ――もしも俺が、真夜中に、ここから誰かを狙うとしたら。 少なくとも、服飾店前にいる七蘭ではない。壁に縫い付けるには、角度が悪過ぎる。 もしも、俺なら。 見えぬ矢を、連治は放つ。矢はまっすぐに、地皇家一族が住う広大な屋敷《桃花宮》へ、その中央にそびえ立つ、炎の鳥のごとき威容を誇る、楼閣の最上階の窓をつらぬく。 それは現総統、弐風の居室でもあり―― (……いや、だが) それにしても、この場所からではあまりにも遠い。如何に弓の腕がたしかであろうと、放たれた鋼鉄の矢は途中で威力を失う距離だ。火烏が「普通の人間」であるならば、不可能だろう。 ロストナンバーなら可能にしても、この閉ざされた街区で起きた事件に旅人の影はない。司書も、ここを訪れるのは千志と連治が初めてだと言っていたではないか。 幻の弓をゆっくりと、連治は降ろした。 「この店との距離や方向から逆算して、廃ビルが狙撃場所とは考えにくい。そもそも、七蘭は何故、真夜中にこの店に来た?」 ひと息おいて、連治は銀紗に向き直る。 「犯行前後に、目撃証言はなかったのか? 」 「どういうこと?」 「いくら真夜中とはいえ、火烏が律儀に巨大な弓を持って移動していたのなら、さぞ目立ったはずだ」 「と、言われてもね」 銀紗は肩を竦める。 「私も直接、目撃者を名乗るひとに会ったわけじゃないもの。あくまで伝聞よ」 「その伝聞と、あのカードだけで、七蘭を殺したのが火鳥ということになっている。もっと言えば、その伝聞さえ、あんたからの又聞きに過ぎない」 「……あらま、風向きの怪しいこと」 「地皇家は、狙撃が得意な家系のようだな。この地の伝承どおりに」 「小さいころから仕込まれるのよ。殺されないために」 紅い唇に浮かぶ、うっすらと自虐的な笑み。 「七蘭もか?」 「ええ、七蘭も」 「だったらいっそう矛盾が生じる。何故、七蘭は無防備に殺された?」 ずっと行方不明だった姉から、10年振りに呼び出されたからじゃないのか? それとも……。 「あんたが、火烏か?」 銀紗は名状しがたい表情になり、そして。 「ふ、くく、あははは……!」 笑い出した。 「ステキな推理ね。奇想天外」 「本気で言ってるわけじゃない。あらゆる可能性を疑うのが探偵って生き物だろ?」 「ごもっとも。それに、半分は当たってる」 「……半分?」 まだ笑い続けている銀紗に、千志はぼそりと言う。 「残りの四羽は誰だと思う?」 「え?」 「壱嵐は地皇の血族を六羽の火烏にたとえて、殺害しようとしてんじゃねぇか?」 銀紗の表情が引き締まる。 「なぜ、そう思うの?」 「《火烏》は断罪者であると同時に、標的だってことさ。自ら火烏を名乗るということは、目的を達成したあと、壱嵐は自殺でもする気か、でなきゃ誰かに裁いてもらいたいのか」 銀紗はひくりと眉を寄せ、黙り込む。 ……実際のところ。 千志としては、火烏の動機が何であろうと、犯人が誰であろうと、対応を変えるつもりはない。 もう誰も死なせない。それだけだ。 今回の事件がこの街区を変えたいがためのものであるならば、壱嵐は、奪った命の分も人々のために最期まで力を尽くすべきだとも思う。 「あんたに聞きたいことがある」 改めて、千志は問うた。 10年前の、零雹と壱嵐の諍い。 10年前の、六華誘拐事件。 それは、関連しているのではないか。 すべての発端は、そこに起因するのではないか。 そのうえで、 弐風に面会を申し入れるには、どうすればいいか、と。 ACT.3■煉獄 ひとは、ひとを護れない。 そうかも知れない。 そうではないかも、知れない。 † † ――正面から、行きましょう。 あっさりと、銀紗は言った。 「《桃花宮》は今、厳戒態勢よ。それでも火烏の情報は欲しいはず。堂々と面会を求めても無碍にはしないと思うわ」 外部から来た探偵ふたりと高級娼婦。そして、かつての同僚。 門前にいた警備員らは、異色の来訪者に不審のいろを隠さない。美鈴の父親を気まずそうに見ては、目を逸らす。彼らとて、明日は我が身だ。 「六華が戻って来たとお伝えして。10年振りに弐風お兄様にお会いしたいの。総統就任のお祝いも言いたいわ」 銀紗は名乗りをあげた。警備員たちに、変な女に絡まれたと言わんばかりの困惑が浮かぶ。 髪のいろや容貌の変化もさることながら、彼女の纏う雰囲気はまぎれもなく娼婦のそれだ。地皇家の誘拐された令嬢のなれの果てと言われても、にわかには信じがたい。 「顔パスというわけにはいかないようね。だったら」 深いスリットのドレスを、銀紗は大胆にめくり上げた。露わになった大腿部の付け根に、警備員たちの目が吸い寄せられる。ごくりと飲み込まれた生唾と、押し殺された驚愕の声。 千志と連治も、そこにみとめる。白い脚の根元には、くっきりと焼き印が――地皇家の家紋、太陽に棲む三本足の烏が、押されていたのだ。 まるで奴隷のような。意志を持たぬ家畜のような。 なぜ。なぜ。なぜ。 この女は六華。零雹の娘ではなかったか。 「これは、《桃花宮》の奥、《花奥》の女主人にして、妻とは名ばかりの虜囚たる女の烙印よ」 銀紗のことばで、連治は察した。 解ってしまった。 見抜いてしまった。 何もかも。 この事件の、全貌を。 インヤンガイの業を貪欲に食らい込んだこの一族の、凄惨な闇を。 † † 警備員からの報告を受け、弐風は、「来るがいい」とだけ、言った。 そして彼らは、最上階への階段を昇る。 † † 卓越した戦闘力とあらゆる才能に恵まれながら、ガマガエルのような醜い容姿ゆえに、美しい女たちに蔑まれてきた男がいた。 彼は、ある街区の支配者となった。 望めばどんな女でも手に入る立場となった男は、女たちへの復讐のように、放埒の限りをつくす。 《花奥》に閉じ込めるのは、快楽のあいてをつとめ、地皇家をささえる男子を産むための、妻とは名ばかりの少女奴隷たち。彼女らは子を成してもなさなくとも、一定の期間を経れば用済みとなり、取り替えられ、処分された。 母親の違うきょうだいたちは、そうして生まれた。 ――いい子だね、六華。さあ、この引き金を引いて。 お父さんはもうあの女に飽きてしまったんだよ。おまえがあの女を殺してくれたら、今度はおまえを《花奥》に入れてあげようね。うれしいだろう? 嫌だって? 困ったね、そんなに泣いて。なに、焼き印の痛みはすぐにおさまる。 六華があんまり可愛いから、もうおまえはいらないと、お父さんはあの女に言ってしまったんだよ。あの女を殺さなければ、おまえのほうが殺される。 だいじょうぶだよ、おまえの腕なら。こんなときに負けたりしないよう、小さいころから射撃を教えてきたのだから。 ――そこまで堕ちたか、零雹。 《花奥》から聞こえた異様な悲鳴と銃声に、駆けつけたのは壱嵐だった。 彼が見たのは、先刻まで父の妻であった女の死体と、恐怖のあまり髪のいろが変わってしまった、放心状態の妹。 六華の手には、まだ硝煙の残る拳銃があった。 ――逃げろ。 壱嵐は六華に言った。 ――おまえは誘拐されたことにする。追っ手はすべて、おれが始末する。 † † それが、六華誘拐事件の真相だった。 壱嵐は六華を逃がすため、零雹との戦闘を余儀なくされ、片腕を失った。 「私はずっと泣き通しだった。『私は人殺しの娼婦になるために育てられたの?』と言いながら、壱嵐お兄様が亡くした腕の手当をした。お兄様は残った腕で私を平手打ちしてから、《南》の娼館に預けたの」 その通りだ。だからこそ。 娼婦として生きるしかないのなら、せめて客を選べるようになれ。 ひとを殺すしかないのなら、せめて殺す相手を選べるようになれ。 「七蘭も、その烙印を押されたのか。おそらくは二週間前に」 「ええ。優しかったあの子は、父親の仕打ちに気がふれてしまった。《北》の少年に惨いことを言ってしまうほどに」 ――だから、楽にしてあげようと思ったの。 そして私は呼び出した。深夜の服飾店に。 あの少年が、暴霊になって、待っているわ。 どうしてもあなたと、お話がしたいのですって。 「壱嵐の右腕は義手だな。だから、尋常ではない力で、鋼鉄の矢を射ることができる」 連治がそう呟いたとき。 一行は最上階の扉の前にいて―― ACT.4■再生 ひとは、ひとを赦せない。 そうかも知れない。 そうではないかも、知れない。 † † 扉が開く。 銀紗が走りこんで、防弾処理の行き届いた窓を引き開ける。 むろん、弐風を狙いやすくするためだ。 今の瞬間を、あの廃ビルで待ち構えているはずの、壱嵐に。 なぜならば。 彼女は、このために、千志と連治を呼んだのだから。 美鈴の父親の受け取った火烏のカードは、裁かれたいと願う彼自身が書いた偽物と知りながら。 あの少年が、暴霊になって、待っているわ。 どうしてもあなたと、お話がしたいのですって。 裁かれたいものは、すべからく、火烏の弓矢につらぬかれるがいい。 美鈴の父親は言うに及ばす。 弐風も。 異世界から来た、探偵たちもだ。 † † 弐風は目を閉じている。 総統となりながら、何らかの予感と運命を、受け入れているかのように。 美鈴の父親も同様に、ゆるやかに両手を広げ、その瞬間を待っている。 「「そうはさせない」」 千志は影の刃で、警備員を覆い隠した。 連治は弐風をごく近くに“消失”させ、狙いを外す。 † † 連治は、廃ビルに立つ壱嵐を――火烏を視認した。 転移で追い、ギアをチェーンに変化させ、その片腕に巻き付ける。 「異国の探偵――異国の罪人か」 闇が凝縮したかのような黒髪の男は、唇の端を歪める。 「何故、罪人と?」 「おれを追いたがるものが、罪人でなかったためしはない」 チェーンからするりと逃れ、火鳥は敏捷に遠ざかる。 「伝えるがいい。弟たちにも、もうひとりの探偵にも」 ――裁かれたいなら、いつでもおれを呼べ。 奇術師はただ、その後ろ姿を見送った。 ――Fin.
このライターへメールを送る