オープニング

ハクア・クロスフォードの向かいに座る小さな少女、ゼシカ・ホーエンハイムは可愛らしい手でお行儀よく目の前の食事を食べている。
 普通彼女くらいの年頃の子供は食事中に食べこぼしをしたりすることがあるものだが、彼女はたどたどしいながらも綺麗に食事をしている。ハクアは向かいの席からその様子を見つめつつ、思い出していた。

 ゼシカが一人で立てるようになるまで、ゼシカを見守り続けると決めたこと。

「……」
「……さん、……魔法使いさん」
「……!」
 二度呼ばれて、自分の意識が少しそれていたことに気がつく。ゼシカはそんな様子のハクアを不思議そうに透けるような青い瞳で見つめていた。
「魔法使いさん、どうしたの? 手が止まってるわ」
「ああ、なんでもない。少し考え事をしていただけだ」
 告げて、止まっていた手を動かす。ゼシカはその答えで納得したのか、それ以上問うて来ることはなかった。


 *-*-*


 カチャリカチャリ……皿同士の触れ合う音と泡ごと汚れを流す水音が響く。
「これで最後よ」
 流し台の前に置いた踏み台に乗って、ゼシカは食事に使った皿をハクアに差し出した。
「ああ」
 ハクアは泡にまみれた手でそれを受け取り、まずは表面の汚れを水で流してからスポンジをあてる。
「……ねえ、魔法使いさん」
 いつもは皿を運んだ後はテーブルを布巾で拭きに戻るゼシカが、踏み台に乗ったまま口を開いた。ともすれば水音にかき消されそうな声に耳をそばだてて、聞き落とさないようにしながらハクアは手を動かす。
「ゼシね、魔法使いさんといっしょに行きたいところがあるの」
「……」
 ゼシカのその言葉にハクアの瞳がわずかに揺れた。だが彼は泡まみれの皿に視線を落としたままだったので、彼女には気取られていないだろう。
 彼女が次に何を言い出すか、ハクアにはわかっていた。サンタクロースがいる村のポスト・オフィスでの彼女の言葉が蘇る。

『魔法使いさんを紹介するって書いたの』
『ゼシが生まれ育った村へ一緒に行きましょ。シスターも待っててくれる。村の人もみんないい人よ』
『ゼシと魔法使いさん、本当の家族になるのね』

 その言葉に籠められた期待を裏切ることなんて微塵も考えもしない。けれども心の奥底には、ハクア自身が気づかないほどの不安に似た何かが残っている――そのために少し心が揺らぐのだろう。
 知らないところでの生活に不安が募るのは当たり前のことだ。それが、大人であっても。
 だがそこはゼシカにとっては故郷。信頼できる人がいて、安らげる場所。だとすればハクアの答えはひとつしかない。
「ゼシの生まれ育った村にいきたいの。レーゲンボーゲン村っていうのよ。魔法使いさんと一緒にいきたいの」
「……行こう」
 皿を見たまま言葉を紡ぎ、ふと隣を見ると――嬉しそうにはにかんだゼシカの笑顔が彼を見つめていた。
「ほんとう? 約束よ、約束」
 両手が泡だらけで頭をなでてやれないのでとてももどかしく感じた。


 *-*-*


 ゼシカの故郷、レーゲンボーゲン村があるのは壱番世界ドイツの片田舎。ベルクシュトラーセのヴィースロッホと呼ばれる地区だ。この地区の今の時期の平均気温は1.3度。ふたりは防寒具を身につけて村を訪れた。
 なだらかな丘陵に段々と連なる葡萄畑。
 小さな家と白い教会。
 石畳の広場と野薔薇のアーチ、風車と水車の並ぶ小川のせせらぎ。
 少し足を伸ばせば歴史的建築物や博物館なども見ることができる。
「魔法使いさん、こっちよ」
 嬉しそうなゼシカに手を引かれ、ハクアは村の中を歩んでいく。
(素朴な村だな)
 首を巡らせて辺りの様子をうかがいながらゼシカに連れられていく。
 寒いから皆家の中にいるのだろうか、あまり人影は見当たらなかったが、行く先々でゼシカを見とめた村人たちが出てきて彼女に声を掛けた。
 彼女がこの村でとても可愛がられていることはよくわかった。
「この人は魔法使いさんよ」
 大まじめにそういう彼女の言葉を誰も否定しない。保護者敵役割をしていると知れば、村人たちは礼を述べてすぐにハクアを受け入れてくれた。
 このような暖かい村で育ったから、ゼシカは深い慈愛の心を持って育ったのだろう――そう感じた。


「ゼシカちゃん!」
 ここが孤児院よ――ゼシカが全て言い終わる前にその言葉は遮られた。扉から飛び出してきた女性の叫びによって。
「先生」
「おかえりなさい、お手紙ありがとうね」
 小さなゼシカをギュッと抱きしめて、その女性――孤児院の先生は優しく告げる。
「! この人が……『魔法使いさん』?」
「……?」
 ゼシカの肩越しにハクアを見つめる先生の目つきが少し鋭くなったように見えたのは気のせいだろうか。
「そうよ。このひとが魔法使いさんよ」
「そう……。ゼシカちゃんを連れてきてくださってありがとうございます。私、この孤児院の……」
「話はゼシカから聞いている」
「……そうですか」
 先生は笑顔を浮かべているが、どこかよそよそしさが見て取れて。
(ああ、警戒しているのか)
 ハクアはなんとなくその理由に見当がついた。
 大切な友人の娘、庇護してきたゼシカの信頼している相手を疑うわけではないが、大人として無条件で信じるわけにはいかないという義務感のようなものがあって。もしもゼシカが騙されているようならば、救ってやらなければならない、そんな気持ちを彼女は持っているのだろう。ゼシカの言う『魔法使いさん』を見定める使命感のようなものを背負っている、そんなふうに感じた。
(……)
 正直に言えば少し面倒くさい。けれども後々ここでゼシカと家族として暮らしていくならば、乗り越えなければならないものなのだろう。
「先生、お部屋空いているかしら? ゼシたち、少しの間ここで暮らしてみたいの」
 くいくいと先生の腕を引き、ゼシカは問う。きっと村のみんなも魔法使いさんを受け入れてくれる、そんな自信がゼシカにはある。
「あまり広い部屋じゃないけれど、空き部屋はあるわ。子ども達がいて少し騒がしいかもしれないけれど」


 こうして孤児院に数日の宿を借りることになったゼシカとハクアは、壱番世界での暮らしの体験をするのだった。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
ハクア・クロスフォード(cxxr7037)
ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)
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品目企画シナリオ 管理番号3149
クリエイター天音みゆ(weys1093)
クリエイターコメントこのたびはオファーありがとうございます。
遅くなってしまい、申し訳ありません。

今回の舞台はゼシカ様の故郷の村、「ちいさなひかり~Hoffnung~」で登場したレーゲンボーゲン村となります。
孤児院に宿を借り、数日間村で生活していただきます。
やりたいことがありましたら、余すことなくお書きください。

孤児院の先生は大切なゼシカちゃんをどこの馬の骨とも分からない『魔法使いさん』にそう簡単に任せるわけにはいかないと思っています。
大切な友人たちの子どもですから。
けれどもゼシカ様が信頼している相手を頭から疑っているわけではありません。
この先生の名前なのですが、前回はつけませんでしたが、もし名前が決まっていましたらお書きください。
何も書かれていない場合は、こちらでつけさせていただきますのでよろしくお願い致します。

先生のことを無視しても構いません。
絡んでは来るでしょうが、観察もしてくるかもしれませんが、特に絡むプレイングはなくても構いません。
お二人のしたいことを、したい生活をしてくださればと思います。

それでは、プレイング楽しみにしています。

参加者
ハクア・クロスフォード(cxxr7037)ツーリスト 男 23歳 古人の末裔
ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)コンダクター 女 5歳 迷子

ノベル

 二人が案内されたのは、二階の一室だった。それほど広くはないが二人で寝起きするぶんには十分だ。ベッド2つと机と椅子のセットが1つ。荷物の殆どはクローゼットに入れてしまえばいい。
「ゼシカ、手伝おう」
「だいじょうぶよ。ひとりでできるわ。だって魔法使いさんはゼシの荷物をここまでもってきてくれたんだもの」
 手早く荷物をクローゼットへしまうものとベッドサイドにおいておくものに分けたハクアがゼシカに声をかける。ベッドの上で開けた大きな鞄の中から一枚一枚丁寧に、畳んだ服を取り出しながらゼシカは答えた。自分でできることはできるだけ自分でやりたい。
「魔法使いさん、これが終わったら村を案内してあげるわ。とても素敵なところばかりなのよ」
「ああ、楽しみだな。夕食の準備の時間に戻れば問題ない、のんびり回ろう」
 ハクアは先ほどシスターに掃除と料理はできることを告げ、無料で泊めてもらう代わりに手伝いたいと申し出ていた。

『私はリリー。リリー・コルヴィッツ。シスターリリーと呼んで。早速今日の夕食から手伝ってもらうわ、魔法使いさん』

 未だに少し警戒心を覗かせた彼女は、ハクアがどの位できるのか見てやろうという思惑もあるのだろう。ゼシカを託すにふさわしい人物か、見極めたいのだ。ハクア自身もゼシカが慕うこのシスターに認めてもらいたいという思いはあった。英語は習得した。ドイツ語は勉強中だ。戸籍等についてはターミナルで相談するしかないと考えてはいるけれど、ゼシカと共に暮らすにあたって必要なのはやはり信頼や人との繋がりだろう。職を斡旋してもらうにも、やはりまず信頼してもらわぬことには。
「シスターはいい人よ」
 ゼシカの声に物思いから引き戻される。ふと視線を移すと、衣服の整理を終えたゼシカがポシェットを下げ、コートに身を包んでハクアを見上げていた。
「だからきっと、魔法使いさんのこともちゃんと見てくれるわ」
「……ああ」
 ゼシカは聡い子だ。シスターがハクアを警戒していることもその理由も、きっと正しく理解しているのだろう。その上で上手くいくと信じているのだ。だからこそ、彼女の言葉はハクアに力を与える。
「行こう」
 ハクアはそっと、壊れ物を手にするときのようにゼシカの小さな掌を包み込んだ。


 *-*-*


 出かけると断って孤児院の外にでると、冷たい空気が二人を包み込んだ。思わず身を震わせたが、繋いだ手の中は暖かいままだ。
「まずはこっちよ」
 ゼシカに先導されつつ、彼女の歩幅に合わせてハクアはついていく。家の内外問わずそこここに人の気配を感じた。それは悪いものではなく、村のどこにいても、誰の子どもであっても、村の者達が見守っていてくれる、そんな感覚。村全体で子どもを大切にし、育てている、温かい感覚。
(ここがゼシカの生まれ育った村)
 平和で穏やかで、良い所だとハクアは思う。
(ここは良いところだ。ここで育つのは、幸せだろう。だが……)
 こうした村全体で家族のような関係を築いているところは、外からの者が加わることを嫌うことがある。新しい者を受け入れて今までの秩序が崩れるのを厭うからだ。そうした場所があるのをハクアは知っている。
 この村はどうだろうか。雰囲気は、かつて故郷で神父の元で過ごした期間に滞在していたあの村のようだと思う。ここでゼシカと過ごす、それはきっと悪くはない。
(故郷に居た頃の自分では考えられない生活だな……)
 きっと、穏やかな時間が過ぎゆくだろう。何に怯えることもなく、何から逃げることもなく、理不尽に大切な物を奪われる確率も、故郷にいた頃に比べれば格段に低いに違いない。こんな生活を自分が送れるなんて、考えたことがあっただろうか。望んだことがなかったとは言わない。けれども決して叶うはずがないと思っていた。だから。
(ゼシカのためにも、ここでの居場所を)
 そう思い、小さく首を振る。
(……俺自身のためにも)
 きっと、今なら望んでも罰は当たらないはずだ。けれどもなんだか酷く身の丈に合わぬ思いを持ってしまったような気もして、少し落ち着かない。
「魔法使いさん、風車塔よ」
「ああ……」
 ゼシカの澄んだ可愛らしい声は、いつもハクアを連れ戻し、導いてくれる。二人で見上げる風車はゆっくりとゆっくりと回っていて、二人の歩みのようだ。
(もしかしたらゼシカに俺が必要なのではなくて、俺にゼシカが必要なのかもしれない)
 中を見てくるわ、そう告げて繋いだ手を離したゼシカ。温もり離れた自分の手を思わず見つめ、ハクアはそんな思いを抱いていた。
「風車のおじさん、いる?」
「ん? その声はゼシカちゃんかい?」
 風車塔を覗きこんだゼシカの声に答えたのは中年男性だ。久々だなぁ、元気かい、とゼシカに近寄ったその男は優しく頭を撫でる。
「魔法使いさん、風車のおじさんよ」
 嬉しそうに振り返ったゼシカに惹かれるように、ハクアは風車塔に近づいた。男は不思議そうにハクアを見つめている。
「こないだ連れてきた兄ちゃんとは違う兄ちゃんだな。ゼシカちゃんの連れかい?」
「魔法使いさんよ。ゼシは魔法使いさんとこの村に住みたいと思って、今日は案内してきたのよ。しばらくは先生の所に泊まるの」
「そうかいそうかい、ゼシカちゃん帰ってくるつもりなのかい。それは楽しみだなぁ。おっと、俺はオットマー。奥にいるのは息子のモーリッツだ。宜しくな、魔法使いさん」
 人のよい笑顔を浮かべるオットマーという男はゼシカの『魔法使い』という呼び名を不思議に思わないのか、すっと手を差し出してハクアに握手を求めてきた。ゼシカの前だから否定の言葉を口にしないのか? 否、ゼシカの言葉だから信じている、そんな雰囲気が感じられてハクアはオットマーの手をとった。
「ハクア・クロスフォードだ」
「リリーは厳しいだろ?」
 手をとったハクアの耳にそっと口を寄せて、オットマーは囁いてきた。ゼシカが不審に思ったら……心配して視線を動かしたが、モーリッツが彼女を呼び寄せたので、ゼシカは彼の元へ歩いて行って二人の様子を見ていない。
「あいつも親友の娘のゼシカを大切に思ってるからなぁ。もちろん、お前さんもそうだと思うが」
「ああ」
「お前さんのことを頭っから疑ってるわけじゃないんだ。だがゼシカの両親がここにいない今、リリーは自分が二人の代わりに判断しなきゃいけないと思ってるんだろうよ、お前さんにゼシカを任せられるかどうか」
 それに少し嫉妬しているのかもしれねぇなぁ――オットマーはがははと笑って建物の奥へと入っていった。そこではゼシカがモーリッツからお菓子を分けてもらって無邪気に笑んでいた。
 シスター・リリーはゼシカが行方不明になって誰よりも心を傷めたという。灰人とアンジェリカの大切な娘を預かっていたというのに行方しれずにしてしまったのだ、責任も感じているだろう、自分を責めたことだろう。そして戻ってきたゼシカが自分よりも見知らぬ男――ハクアになついていたとしたら、嫉妬心を抱いてもおかしくはないだろう。だがハクアが見た限りリリーは聡明な女性だと感じる。ゼシカの前ではその嫉妬心を表に出すことはしない。そして自分がそんな思いを抱いていることに苦しんでいるのだろう。
 これからここで暮らしていくのならば、心をひらいてもらわねば。そして彼女にとっても信頼の足る人物となることが重要なように思えた。


 *-*-*


 ゼシカに連れられて村を回る。どこへ行ってもゼシカは笑顔で歓迎され、そして人々はゼシカの連れてきた『魔法使いさん』を歓迎してくれた。

「ね、ゼシの言ったとおりでしょ? 魔法使いさんはとっても優しくて素敵な人だもの、みんな好きになってくれたわ」

 石畳の広場で少し休憩をした時、ゼシカは嬉しそうにハクアを見上げた。人を疑わぬゼシカの純粋さが、ハクアが村に溶けこむことに大きく力を貸してくれている。

「葡萄の収穫の季節になったら、魔法使いさんも手伝ってね」

 葡萄畑を見つめて袖を引く無邪気な願いに頷いて。ゼシカが『編み物のおばあさん』と呼ぶクラーラ婆さんから貰った手袋をはめた手で、屈んだハクアにマフラーを巻いてくれる。
「夕食の準備を手伝う約束をしている。そろそろ戻ろう」
「ええ。夕食までの間、ゼシはみんなとお話しているわ」
 手を繋ぎ、ゆっくりと時間の流れる村の中を歩いて行く。茜色に変わりつつある空が、二人を見守っていた。


 *-*-*


 ハクアが手伝った夕食を皆で食べた後、せがまれてハクアは入浴の順番を待つ子ども達の相手をした。つい、子どもには甘くなる。別け隔てなく子ども達の相手をしているハクアは、時折リリーの視線を感じていた。けれども彼女の目の届くところでのみ自分を偽って印象を良くする……なんてことは出来ないししたくもなかったから、彼は普段の自分通りに振舞っていた。
 子ども達を就寝させてからも孤児院の職員たちの仕事は続く。ハクアもその中に加えてもらい、少しずつここの仕事を知っていくことが出来た。数日共に過ごすことで、どんなに寝るのが遅くなったとしても、どれだけ睡眠不足でも彼らは子ども達の前でそんな様子は見せず、子ども達の生活に責任をもっていることが分かった。午前中に院内の掃除を手伝い、午後は子供の相手や男手が必要な仕事を手伝った。
 ゼシカは久々に同じ年頃の子供達と過ごすのが楽しそうだった。それを見つめる自分の表情が、優しいものになっていることに気がつく。子ども達にゼシカとの関係を聞かれた時に「家族だ」と答えた。それが子ども達にすぐに受け入れられて、彼らが声を掛け、甘えてくれるのを嬉しく感じていた。
「ゼシカちゃん、明るくなったというか……強くなったわ。なんだか心配してしまうくらい、大人っぽくなったみたい。あなたのおかげかしら? 『魔法使いさん』」
「いや、ゼシカは俺以外にもたくさんの人と出会い、色々なことを経験してきた。それがゼシカを成長させたんだろう」
 隣に立ったリリーと共に子ども達の一部と過ごしているゼシカを見つめる。
「そう……なんだか私の知らないところでどんどん大人になってしまうみたいで、少し、寂しいわ」
「……なら、これからも見守ってやってくれ。ゼシカと俺は、ここで暮らしていきたいと考えている。知人の、灰人の過ごしたこの村で」
「灰人を知っているの?」
 驚いたようにリリーがハクアを見上げた。子ども達の笑い声が遠くに聞こえる。
「ああ。それに俺はゼシカと約束した。ゼシカが一人で立てるようになるまで見守ると」
「……灰人の分も?」
「……ああ。だから、俺はここに来た」
 リリーの瞳が何かを感じ取ったかのように揺れる。

 その夜、ゼシカの希望もあって、二人はリリーの部屋を訪れた。


 *-*-*


「ゼシね、魔法使いさんと先生と三人で話したい事があるの」
 子ども達の寝静まった時間。リリーもすでに夜着姿だった。フリルのついた可愛らしいパジャマを着たゼシカのお願いに、リリーは快く二人を招き入れた。ゼシカをベッドに座らせ、リリーはその隣に腰を掛ける。ハクアは壁に寄りかかるようにして立つことにした。
「ゼシね、パパと会った」
「……!」
「パパはママが死んだのが哀しくてゼシの事忘れちゃったけど、でも最後には思い出してくれて、ゼシの事抱き締めてくれたわ」
 俯いて、握りしめた両手を見つめながらゼシカは告げる。手が震える。涙が浮かびそうになる。けれども大切なことを伝え終わるまでは泣いちゃ駄目。ちゃんと、自分の言葉で伝えるのだから。
「そう。灰人が……」
「ゼシとパパと引き合わせてくれたのはここにいる魔法使いさん。それだけじゃなくて、パパがゼシを攻撃した時体を張って庇ってくれたわ」
 そっとゼシカの肩を抱いたリリーを見上げ、ゼシカは告げる。きっと先生はどうしてゼシカが攻撃されなくてはならなくなったかなど気になることはたくさんあっただろう。けれども全てを語ることは出来ないから。だから、一番大切な――魔法使いさんがどれだけゼシカにとって大切かということ、それを頑張って伝える。
「ゼシとパパの恩人よ。大切な人なの」
 真っ直ぐな瞳で先生の瞳を見つめる。
(お願い、ゼシの気持ち、通じて)
 先生だってゼシカにとって大切な人だから、先生に反対されたままここで生活を始めることなんかしたくなかった。魔法使いさんと先生とみんなと、仲良く一緒に暮らしたい。
「ねえ先生、魔法使いさんもここで暮らしていいでしょ」
 先生の視線がすっと、壁際の魔法使いさんに移る。その視線の意味がゼシカにはわからなかったけれど、それでもゼシカは懇願を続けた。
「大事な家族だもの 離れ離れになるのは嫌」
 家族と縁の薄かったゼシカは、自力で縁を取り戻し、新しい縁を結んだ。もうこれ以上、家族と離ればなれになるのは嫌だった。切実な思いが瞳からあふれようとする。
「ゼシは魔法使いさんと一緒に壱番世界に再帰属したい。それで立派なシスターになって、パパとママの遺した孤児院を守っていくの」
「ゼシカちゃん……」
 先生の優しい手が、ゼシカの金の髪を撫でる。
「魔法使いさんも手伝ってくれるって、だから……」
 続きは言葉にならなかった。頭を胸に抱かれ、封じられてしまった。
 先生の胸は柔らかくていい匂いがして、ママに抱かれるってこんな感じかしら、じわり浮かんだ涙が先生の夜着に吸い込まれていく。
「もういい、もういいのよ、ゼシカちゃん。先生ね、魔法使いさんとお話したの。魔法使いさんがどんなにゼシカちゃんのことを思ってくれていて、どれだけ真剣にここで暮らしたいと考えているか、先生にもわかったわ。先生、ちょっと意地悪な目で魔法使いさんを見ていたけれど、信頼できる人だとわかったから」
 髪を撫でられるのが気持ちいい。布越しに感じる温もりが心地いい。ゼシカは目を閉じて言葉の続きを待つ。
「あなた、英語ができるって言ったわよね? 孤児院の手伝いをしながら、この村の小さな子ども達や病気や怪我で町の学校に通えない子ども達に英語を教えてもらえないかしら? 出来るなら他の勉強も。孤児院の職員だけでは手が回らなくて人を探していたの。あなたが引き受けてくれるなら、私達職員も孤児院のことに集中できるし」
「俺でいいのか?」
 先日、ハクアはリリーに自分にできそうな仕事が無いかと相談していた。彼女はしっかり考えてくれていたのだろう、ハクアに向けられる視線が今までのものとは違っていることに、彼は気がついた。
「ええ、是非お願いしたいわ。魔法使い――いいえ、ハクアさん」
 瞳に宿るのは信頼。彼女が頑なに呼ぼうとしなかった名前を呼んでくれたのも、信頼ゆえ。
「感謝する。改めて自己紹介をしよう。ハクア・クロスフォードだ。宜しく頼む」
 これがきっと始まり。頭上で交わされる会話を聞いていたゼシカは、ぎゅうっと先生に抱きついた。


 *-*-*


 抜けるような青空のもと、三人が手を繋いで訪れたのは村の共同墓地だ。足を止めたそこに刻まれてる名は『アンジェリカ』。
「ママ、ゼシに新しい家族ができたのよ。ゼシは一人じゃないのよ」
 積んできた花を屈んで供えるゼシカ。金の髪が風に揺れる。
「いつかママの隣にパパのお墓を建ててあげるわ。ママと並んで眠らせてあげたいの」
「!」
「……」
 リリーの表情が変わる。彼女はハクアの言葉で薄々感じていたようだが、ゼシカがそれを知っているとは思わなかったのだろう。
(やはり気づいていたか……)
 ハクアはゼシカがそれに気づいていると知っていた。だから驚きはしなかった。むしろそれを認めた彼女を支えていこうと強く思わされた。
「それが今のゼシの夢。長い長い旅の終わりよ」
 さぁ……と肌を撫でる風は、まるで母親の手のように柔らかかった――。


「魔法使いさん」
 母親への報告を終えたゼシカはリリーから紙袋を受け取り、中身を取り出す。それは衣服のようだった。
「これね、パパのお古の僧衣。魔法使いさんに着て欲しいの」
「俺が着てもいいのか?」
「ええ。きっとよく似合うわ、本物の牧師さんみたいに」
 差し出された僧衣を手にする。まさか自分がこれに袖を通すような日が来るとは思わなかった。脳裏に浮かぶのは、故郷で出会った神父の姿。彼のように、なれるだろうか。
「あとこれね、ゼシが彫った木の十字架。魔法使いさんにあげる。お守りにして頂戴」
「ああ、ありがとう」
 しゃがんで十字架を受け取ったハクアは、ゼシカの真っ直ぐな青い瞳に射抜かれた。ゼシカはまっすぐに彼を見つめたまま可愛らしい唇を開く。
「最後にお願いがあるの」
「なんだ?」
「魔法使いさんの事、ファーター……お父さんって呼んでいいかしら?」
 思いもかけぬ願いに、驚かされた。父、自分はそう呼び慕ってもらうような人間だろうか。
 だが、願ってくれたのは誰よりも大切な少女。見守ると、決めた少女。家族と、なる少女。
 だとしたら。
 返事を待って不安に揺れるゼシカの瞳。すっと目を細めてそれを見つめ、頭を撫でる。
「勿論だ。ゼシカ」
「ファーター!」
 ぎゅっと首に腕を回して抱きついてきた『娘』を抱きしめる。
 リリーとアンジェリカが、そんな二人を見守っていた。
 もちろん、灰人も遠くの空から。




  【了】

クリエイターコメントこのたびは大変おまたせして申し訳ありませんでした。
ノベル、お届けいたします。
もっと細かくお二人が過ごした日々を描写したかったのですが、字数の都合で断念しました。
他の子ども達とのほのぼのとした日々というもの惹かれるものが御座います。
お二人はきっと、この村で皆さんと幸せな日々を過ごしていくのでしょう。
お二人のこれからの日々が幸福と安息に満ちたものになりますよう、お祈りしています。

このたびは書かせて下さり、ありがとうございました。
公開日時2014-03-09(日) 22:20

 

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