「インヤンガイの『壺中天屋』で、ゲームの参加者が意識不明になって戻ってこれません」 世界司書、鳴海晶は『導きの書』を指で辿りながら読み上げる。「べーた段階のタイケンバンのゲーム、『鏡面魔境』です。ファンタジー系あーるぴーじー、多くのだんじょんを攻略し、宝物を手に入れて、その宝でじょうい職になって進み、『鏡面の洞窟』にある『真実の夢』という宝物を得ることで終了します。けれど、チーム対戦でもあるので、どのチームが最終の宝物を得るかという事で競争しあってもおり……えーとそこから帰れないことに気づかないまま他のチームとやりあっている者もいると現地の探偵のシャンロンが」「あ”ー?」 中身がよくわかっていない司書が説明すると、こんなにややこしくなるものなのか。 エイブラム・レイセン(はうんざりした顔を向ける。「壺中天(こちゅうてん)」はインヤンガイで近年、新しく普及し始めた技術だ。端末を通してネットワークに接続し、情報をやりとりする仕組みだが、使用者は五感で情報を受け取り、仮想現実の空間に入るようにして利用することができる。世界図書館の館長が、同じように壺中天に囚われたのは記憶に新しい。 だが、ヴァーチャル世界を感覚として理解しきれない人間はどこにも居て、おそらく鳴海はその類なのだろう。「わかったわかった、後は探偵に聞くから、ほら」 チケットよこしな? ひらひら差し出された掌に鳴海は慌ててチケットを乗せる。「お前と話してちゃ、参加者が完璧に干涸びちまうぜ」「おお、ありがたい、助っ人かの」 出迎えたのは頭も髭も眉毛もついでに睫毛も白い、杖にすがった老人だった。「あなたがシャンロン?」 ジュリアン・H・コラルヴェントが訝しげに眉を寄せる。老人はにこにこと片手を差し出した。「ラオ・シャンロンと呼ばれておるよ。老いぼれた死に損ないの龍じゃ」 依頼は何でも引き受ける、赤ん坊の子守りから、死にかけた老人の看取りまで。「それって探偵の仕事ですか?」 黒葛 一夜が突っ込む。「ゆりかごから墓場までな。じゃが、壺中天は想定外じゃ」 わしが扱うのは現実のみ、吹っ飛んだ世界は理解もできないし踏み込む気もない。「断ったんじゃが、死に際を見取ったばあさんから孫を頼むと言われてはな。そこで伝手を通じて頼んだんじゃ」 これでは情報らしい情報も得られないのではないか。 シモン・ローセンベリと相沢 優が顔を見合わせる。「まあ、人づてに聞いたんじゃが、このゲームを開発していた男の一人が途中でスポンサーと揉めてな、馘になった後自殺したらしい。何、このあたりじゃよくあることじゃ、したいことができないと死んどったら、命が数千あっても足らんわい」 ふぉっふぉっ、とラオ・シャンロンは笑った。「『壺中天屋』にはお前らの好きようにさせてやってくれと話をつけてあるぞい。既にほれ、あの曝光迷のにーちゃんが」「ばおぐぁんみー?」 何だそれわ、と優がなお胡乱な顔になったところへ、『壺中天屋』の入り口からエイブラムが顔を出した。「準備できたぜ、来いよ」 時間がけっこう限られてる、とエイブラムは急ぎ足にヘッドセットを手渡してくる。ヘッドセットを着けたまま眠り込んでいる周囲を顎で指し示し、「互いにチームを組んで最終ダンジョンのお宝ゲットに向かうはずだった連中だ。本来ならゲーム展開をサポートしてくれるはずのNPCが、β段階の体験版でプロテクトが甘かったんだな、暴霊に取り憑かれて、連中はあっちから戻ってこれなくなったらしい」 けれど、そこへのルートは確保したぜ。 エイブラムの指示に従って、それぞれがヘッドセットをつけて体勢を整える。「あれ?」 優が画面に浮かんだ文字に眉を寄せた。「エイブラムさん、『鏡面魔狂』になってますけど?」「暴霊に取り憑かれた直後からタイトルが変わったらしい」 準備はいいか?「俺はナビとして入っていく。よろしく頼むな!」 ちゃらららちゃちゃっちゃ0。 ちょっとレトロな、どこかで聞いたような音楽が鳴り響き、瞬きして互いの格好に気づく。「これは……聖職者、ですかね」 ジュリアンが黒の上下スーツを見て溜め息をつく。手にしているのは赤い革表紙の教本のみ。「まだあまりたいしたことはできそうにありませんね」「それはこっちも」 優がゆっくりと掲げたのは棍棒と短剣一振り。「どこかで装備を整えたいな」「ではこちらはまず先立つものを揃えましょうか」 一夜の姿はチュニックに細身のタイツ、装備らしいものは手元の鞭一振り、すっと移動したとたんにジュリアンの教本と優の短剣を手にしている。「盗賊……素早いな」 感嘆の声を上げるジュリアンに、「えいっ!」「って!」 一夜がいきなり背後に迫った影を叩き落としてみれば、それは二頭身サイズのエイブラム。「何すんだ、いてーだろが!」「ややこしい場所に張り付かないで下さい」「妹ならいいのかよ!」「ふんっ」「冗談だって!おいわかる!だ!ろ!」 軽そうではあるが丈夫な革靴で容赦なく踏みつけられて、エイブラムがとっさに両手で受け止め、地面にめり込まされそうになりながら、ぎりぎりと必死に持ち上げる。「俺がいなけりゃ敵の居場所も囚われてるやつの動きも、そもそも撤退ルートの確保だって」「その全てで良からぬ事を仕掛けないと誓って下さい」「俺が? まさかな、っておい! 誓う誓う誓う!」 再び渾身の力で踏みつけられかけてエイブラムが慌てて逃げた。「とにかく、最初はどこへ行ったらいいんだ?」 ざっくりした厚手の上下と革手袋を身につけたシモンは武道家風、ぱたぱた走り回るエイブラムを追いかけて見回しながら声をかける。「必要なのは、旅の装備と、他のチームの情報と、最終ダンジョンの場所、か?」 んじゃあ、ここはお決まりの。「宿屋だな!」 にやりと笑ったエイブラムが早速近くの宿屋を確認する。冷ややかな視線を向ける一夜の肩に乗り、一行が歩き始めたとたん、エイブラムはきょとんとした顔になった。「あれ…?」「どうした?」「……妙な奴らが同時にゲームに加わってる」「同時に?」 このゲームは閉鎖されてるんじゃなかったんですか? 優の突っ込みにエイブラムは忙しく検索し、首を振る。「間違いねえ。俺達以外に参加者が5名増えてる。……名前は」 エイブラムはゆっくり目を細めた。「……『いちや』『しもん』『じゅりあん』『ゆう』……『えいぶらむ』」「同じ…名前…?」 首を傾げるジュリアンに、エイブラムは薄く嗤った。「さっそくのお出迎え、か?」 それに、となお楽しげに続ける。「どうやら、次々とこれまでなかったダンジョンが出現してるっぽいな」「ひょっとすると……暴霊に取り憑かれたNPCって、死んだ開発者がらみですか?」 一夜が眉を寄せる。「ゲーム内に自分の分身のような存在を入れ込む、というのもあり得るんだろうが」 シモンが顔をしかめた。「それでプロテクトの隙をついて入り込めたってことか? なら…厄介だな」 エイブラムは彼方へ意識を飛ばすように振り仰いだ。「俺達は奴の手の中だ……どんな手をしかけてくるか、わからねえぜ」=========!注意!この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。ただし、参加締切までにご参加にならなかった場合、参加権は失われます。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、ライターの意向により参加がキャンセルになることがあります(チケットは返却されます)。その場合、参加枠数がひとつ減った状態での運営になり、予定者の中に参加できない方が発生することがあります。<参加予定者>エイブラム・レイセン(ceda5481)黒葛 一夜(cnds8338)相沢 優(ctcn6216)シモン・ローセンベリ(cbwu3858)ジュリアン・H・コラルヴェント(cutn5843)=========
「結構いろいろわかったな」 エイブラムが確認した宿屋の一室、並んだベッドに腰掛け、ジュリアンは吐息をついた。 「『情報売り』がいるとは思わなかった」 MP回復アイテム、小瓶に入った緑の液体『聖なる気づき』を差し上げ、他にも投げナイフ、細身の剣などを並べて仕様を確認しながら続ける。 「必要なものも手に入ったし」 エイブラムのおかげだろうな。 「まあな」 にやりと笑った二頭身エイブラムは、部屋の隅の椅子にちょこんと座り、小さな足をぶらぶらさせて楽しそうに体を揺する。 「俺も十分楽しかったぜ」 「まさかとは思いますが」 通常宿屋に置いていない特殊なアイテムだと言われたパーティ全体のMP回復アイテム『ゴッド・ハンド』、外見は掌ほどの金色の薄い織物を片付けていた一夜が、ぴくり、と眉を上げた。 「これらの品々や、宿代や何かについて相談するとか言って、奥へ入ったまましばらく戻ってこなかったのは」 「世界にはいろんな趣味のやつがいるよなあ」 エイブラムはあっけらかんと続ける。 「こういうのがいいって奴が、まさかこの中にも居るとはなあ」 自分の体にひらひら掌を這わせ、 「意外と好きもんばっかじゃねえの、開発者」 とん、と椅子から飛び降り、すすすす、とジュリアンの側に寄った。 「感謝を体で返してくれてもいいんだぜ?」 「ああ…そうだな」 ジュリアンがにっこり笑って、革表紙の本を軽く掲げて唱えた。 「『バフ』!」 「ぎゃんっ」 ぼふっ、とエイブラムの腰の辺りに瞬間的に炎が上がる。慌てて飛び上がって逃げる背中に、 「『キャス』!」 「きゃわ!」 背中に突然出現した氷塊にエイブラムが転ぶ。 「ついでだ、『グッダ』!」 「あごわ!」 めこっと凹んだ床に突然空いた穴がエイブラムを呑み込んで、すぐに戻る。 「……なるほど、なかなかに効果的だ」 聖職者にあるまじき、攻撃魔法のオンパレードだが、ジュリアンは淡々としている。 『情報売り』から得たのは、この先にあるダンジョン『虹色爆弾』の所在だけではない、それぞれに持っているものの性能や使い方の情報もだ。 「おいおいおいおい」 がちゃりと開いた部屋のドアから何事もなかったように、二頭身エイブラムが帰ってきた。 「いくらナビだからって無体なことしてくれんなよ」 「ややこしいことをするからでしょう」 一夜はそっけなく言い放つ。 「俺だって役に立ってるだろ?」 「まだ敵の弱点を強めるアイテム、出て来てませんが」 一夜は容赦なく突っ込んだ。 「それに、攻略したダンジョンに他のパーティが入れないようにするようなアイテムなんかも欲しいですね、とお願いしたように思いますが」 「だーかーら」 今度はふて腐れた様子を作りながら、後ろ手に手を組み、部屋の中をうろうろしつつ、エイブラムがぼやいた。 「そういうのは今やってんの、本体で。あっさりアイテムアイテムって言うけどな、『お義兄さん』がおっしゃってるのは、俺達の通過後はシステム閉じろって言うことなんだぞ? 俺達がダンジョンの全情報クリアしてればいいけど、手に入れ損なった情報やアイテムが関連してるダンジョンやイベントがあれば、そっちとの関連も考えなくちゃいけねえし」 「どこまで出来るかわからないので、思いついたものはとりあえず言ってみてもいいと思いまして」 にこやかに切り返した一夜は、そういえばこういう所なんかにも、いろいろあったりしませんか、とベッドサイドの隅を探ってみたりしている。 りろん、と軽い音がして、体力回復アイテムが見つかったことを知らせ、一夜はやっぱりねえ、と満足そうに片付ける。 「結構楽しんでないか?」 「え、そうですか?」 ジュリアンの突っ込みに、一夜はさりげに目を逸らせながら、 「こういう自分自身が体験できるゲームって一番世界じゃないですよね」 何だか楽しそうだ。 「あ、でも、それ」 悪くないかもしれませんよ、隊長、と優が頷いた。 「そういえば、さっき酒場でもそういう話、出ていましたよね」 ああ、そういえば、とジュリアンが思い出した。 「めったにないレアアイテムで『ダンジョン・シールド』というのがあって、それを使うと空間を封じられるってやつだな?」 「はい。新たに作ってもらわなくても、あれを手に入れられれば、他のパーティを封じておけるかも」 こん棒と短剣の他に軽くて丈夫な鎖帷子系の防具を整えた優が、なになに、と嬉しそうに近寄ってくるエイブラムにベッドの場所を譲る。 「今回は『真実の夢』というアイテムをゲットするために、他のパーティも動いてる。ゲームが閉鎖されたことも、ましてや自分達がゲームの中に閉じ込められていることも気づかずに、こっちを妨害してきていますから」 「ああ、シモン、な」 あれはぬかったぜ。 エイブラムがわざとらしく、しょんぼりした顔で同情を誘うように優を見上げた。 「掴んで接触した相手もろとも、強制ログアウトするような攻撃なんて、普通あり得ねえって」 宿屋に来るまでに一戦交えたパーティがいたのだが、その中に『しもん』の名前を持つ、こちらのシモンそっくりの男が居た。 例の後から加わってきたやつだ、用心しろよ、とそれぞれに声を掛け合い、ならばまず手合わせと、シモンが組み合った瞬間、ずんどずんどずんど、と奇妙な音楽が鳴り響き、ぷかりと二人のシモンの上に浮かんだ文字が『LOST』。呆気にとられた次の瞬間、二人の姿がその場から消えてしまったのだ。 本体のエイブラムから、いきなりシモンが覚醒したが命に別状はない、とナビに連絡があり、どうやら同じ名前を持つ相手と直接接触することで、強制ログアウトするシステムがあるようだ、とまではわかったが。 「でも……そういうことができるなら、どうして邪魔な者をさっさと排除してしまわなかったんだろう」 優がつぶやいて首を傾げると、 「一人は寂しかったんじゃねえの?」 その膝にもたれるように甘えながら、エイブラムが唇を尖らせた。 「みんなでやってるゲーム、が欲しかったんじゃねえの?」 ただ、本来ならパーティ同士が競い合う展開が、スポンサーの意向で互いに協力し合ってダンジョンを攻略する方向に転換しつつあった。自殺した男はその流れに納得できなかったらしい。 「過去の展開をあたると、閉鎖されてから、繋がりかけていたパーティ同士の関係が突然のイベントで遮られたり、入ったダンジョンでお互い戦い合うしかなくなるように仕向けられたりしてるぜ」 「ということは」 ジュリアンが並べていた武器を丁寧におさめ、ついでのように『キャス』と口にした。 「きゃわんっ」 突然空中から降った氷塊に頭を殴られ、エイブラムが優の膝から転がり落ちる。 「だ、大丈夫ですか、エイブラムさん」 「だめかも〜〜助けて〜〜」 ぐすんぐすんと泣きまねをして、伸ばされた優の手にすがろうとするエイブラムの襟首を一夜がつまみ上げる。 「俺達も気をつけないと別行動取らされる可能性があるってわけですよね、エイブラムさん?」 「その通り」 聡明な男ってかっこいいよなあ、と体をくねくねさせたエイブラムは、次の瞬間部屋の隅へ思い切り放り投げられて悲鳴を上げた。 翌朝。 『虹色爆弾』と呼ばれるダンジョンに向かった一行の前に現れたのは、文字通り七色に塗り分けられた七つの門がある街だった。 「どこから入ってもいいのかな」 アルフォート、と声をかけた一夜のセクタンが、ミネルヴァの眼で上空からゆっくり街を視察してくる。 「特に危険はなさそうですね……七つの門は中央広場に集まる通路で結ばれているようですし」 「なら、やっぱり情熱の赤だろう!」 夕べからそれとなく優の背後をちょろちょろとついて回っていたエイブラムが、足取り軽く赤色の門に入っていく。どれも同じ石造り、大きな建物の入り口を思わせるそれをエイブラム・ナビが潜ったとたん。 がしん! 「えっ」 いきなり半透明のガラスのようなものが落ちてきて、エイブラム・ナビと一行を遮ってしまった。 「どういうことだ?」 訝しげに眉を寄せたジュリアンが、自分の前にあった青く塗られた門を覗き込む。中は穏やかな日差しの溢れる、石や木で作られた素朴な建物が続く通り、人気はないが危険はなさそうだ。先に入ったエイブラム・ナビの道が見えるかと思ったが、建物で遮られ、よく見えない。 「エイブラム! エイブラム!」 声がないまま、一歩二歩進み、門を少し入り込んだジュリアン、その背中を削ぐようにまた。 がしん! 「隊長!」 「……だめですね、ミネルヴァの眼で見る限り」 一夜は不思議そうに瞬いた。 「エイブラムさんも、ジュリアンさんもどこにも居ない」 「消されたり何かあったなら、次のナビが出ますよね?」 優は知らないうちに体にエイブラム・ナビが張り付いてないかときょろきょろしたが、どこにも居ない。 「……まさか…強制ログアウト…?」 「宿屋の主人まで操られていた? あり得ますが、それなら先にエイブラムさんが警告してくれてもよさそうですし」 一夜はセクタンを呼び戻し、優を振り返った。 「ここはこういうダンジョンなのかもしれません」 「ひょっとしたら」 例の開発者が、本来の『虹色爆弾』を変えてしまったんじゃないか。 優の呑み込んだことばを察したのだろう、一夜が頷く。 「あの門に一緒に進んでみますか」 指差したのは黄色の門。 「はい、隊長」 身軽に進む一夜のすぐ後ろを、優は短剣を抜き、警戒しながら進む、と。 「っ」 こつ、といきなり足に当たったものがあって、思わず止まった。 「石像…?」 門の直前に掌サイズの小さな子どもの像が置かれている。先に立つ一夜は気づかなかったのか、と拾い上げて呼びかけようとした矢先、 「しまった!」 がしん! 黄色の門の向こうに、一夜の姿が消えた。 「…畜生…」 これはトラップだったのか。 舌打ちして、手にした石像を投げ捨てようとした時、持っていた短剣が石像に触れていきなり掌で燃え上がる。 「あつっ!」 慌てて振り落とし、すぐに消えた炎におそるおそる覗き込んでみると、柄の所に小さな赤と青の紋章が刻まれていた。 「優〜」 「うわっ!」 「ぎゃんっ」 いきなり後ろからぺったり背中にしがみつかれて思わず跳ね飛ばすと、数メートル吹っ飛んだエイブラム・ナビがもうひどいんだから〜〜と妙な可愛い子ぶりで、頭をふりふり戻ってくる。 「エイブラムさん!」 「それ、触っても大丈夫だぜ。どうやらここ、一人ずつしか入れない門みたいで、無理に入ろうとするとそうやって妨害が入るらしい。ほんとなら、そいつが巨大化して襲ってくるってやつだけど、ちょっと設定書き換えさせてもらって」 ゴーグルの向こうで軽くウィンクした気配があった。 「アイテムアップのキーにさせてもらった。その短剣で、魔法使えるようにしたから。炎系の『バフォ』と風系『シャール』な」 「ありがとうございます、エイブラムさん!」 魔法が使えるんだ、わあ、わくわくするなあっ、と声を上げた優に、エイブラムがうふふん、と妙な笑みを返す。 「?」 「頑張った俺に愛の手を」 嬉しそうに差し出した両手に優がかがみ込む。 「ハグして? 何ならほっぺにちゅ、とか」 「えーと」 等身大のエイブラムが手を伸ばして来たなら、きっと無意識にトラベルギアの防御壁を張っていただろうけど、二頭身の相手は妙に一所懸命で可愛く見えて。 「うん、小さな子だと思えばいいんですよね」 ぎゅ。 「はぁん…」 何だか久々に満足いくハグ〜と小さくつぶやいたエイブラムが、すぐに手を放されて残念そうに見上げた。 「じゃ、俺も門の向こうに行ってきます」 「ああ、気をつけてな」 今はこれ以上欲張りしない、っと。ぶつぶつつぶやいたエイブラムが、付け加える。 「『自分』に会ったら、くれぐれも直接触るなよ? ジュリアンや一夜はもうぶつかってるが、獲物で接触する分には大丈夫みたいだぜ。ああ、それと」 相手は必死に触ろうとしてくる、そこに気をつけろ。 「わかりました。エイブラムさんを避ける要領でいいんですよね!」 「…おい」 何だよ、それは。 にこやかに笑み返して、紫の門の向こうに消えた優に、エイブラムはむっとする。快楽を追って何が悪い。今回の仲間はみんなとても気持ち良さそうな相手だ。少しでも触れて楽しみたい、そう思って当然だろう? 「『自分』の抱き心地は今イチだったがな」 赤の門の向こうに消えたエイブラム・ナビが出くわしたのは、等身大サイズのエイブラム、駆け寄ってきて思い切り抱き締めてくれたから、あっという間にログアウトさせられてしまったが、『えいぶらむ』を消せたのはよしとしよう。 「さあて」 快感目指して突っ走るか! エイブラムはいそいそと、緑の門に走り込んでいく。 目指すは中央広場のおいしそうな仲間達だ。 「ばかじゃね、アンタ?」 まだ姿を現さない敵を嘲笑う。 「マスターベーションじゃ、想定内のお楽しみしかないじゃん」 自分と違う体、自分と違う心、自分と違う存在だからこそ、興奮し煽られ、触れ合いながら関係を深めていけるのに。 「だから、こんな寂しいゲームで満足しちゃうんだぜ」 「楽しそうじゃな」 「あん? だよな〜、楽しいぜ、俺は」 『壺中天屋』の端末に、襟元から伸びたコードを接続したまま、エイブラムは背後から話しかけてきたラオ・シャンロンに応じる。 「アンタの息子はそうじゃなかったみたいだがな〜」 「……なんのことじゃ」 「アンタってほんと、こういうことに興味なかったんだな」 ちらりと肩越しに相手を横目で眺めると、老人は顔を強張らせてこちらを凝視している。 「『鏡面魔狂』……いや『鏡面魔境』って、もともとアンタら親子の住んでた場所の近くにあった、遊戯施設の名前なんだってな? 小さい頃はよく連れてったんだろ? 思い出は綺麗だもんな? 奥さんが事故死したのは気の毒だったが、別に息子が道路に飛び出したせいじゃねえぜ? んなこともわからねえで、息子遠ざけて、次に対面したのが暴霊だったなんてな? 確認したわけじゃねえ、にしても、『虹色爆弾』ってのが小さい頃買ってやった花火の名前ときちゃ、たまんねえよな?」 ケタケタ笑い飛ばしながら暴露した内容は、全てネットワークに転がっていた。開発者ブログがあって、そこに経歴だの思い出話だの、作品へのこだわりだのそれぞれのダンジョンの意味だの、ありとあらゆるものを書き込んであった。後で消されていても情報を追いかけていくことなどエイブラムにとって雑作もない、好きな相手を落とす方がよっぽどスリリングで難しい。 「依頼されたからには仕留めるぜ?」 「……なぜ儂にそれを話す」 愚かな父親を叩きのめしたいのか。 「そんな暇なことしてるほど退屈してないの、俺ちゃん」 エイブラムは操作パネルを弄りながら、瞬間に変わっていく画面に目を細める。 ジュリアンは青の門を入ったとたんに、見知らぬ女性に抱きつかれかけた。 とっさに体を引いたのはさすが、身を翻して相手を確認すれば、それは女装した自分そっくりで。 相手が『じゅりあん』と気づいてからは短剣を閃かせ、念動力で周囲の小石を乱舞させ、接触はしないが確実に相手を追い詰めていっている。 『同じ名前をしていようが、まあ、ただの敵だ』 冷ややかに呟く顔は平静、ついには悲鳴を上げる相手にとどめをさすあたり、自分と同じ顔でも攻撃に怯みもないあたりが怖い。 一夜は特に妨害されることもなくまっすぐに中央広場に辿りついたが、そこで物売りと思しき少年から怪しげなものを売りつけられかけ、断ろうと手を伸ばして気づいた。 相手は帽子を目深に被っている。身を引きながら鞭を一閃、跳ね飛ばした相手の顔は一夜そっくり、髪の毛にピンがとまっているあたり、妙にリアルだ。 「お兄ちゃあん!」と叫ばれ飛びつかれかけたが、妹と本人顔の得体の知れない子どもでは扱いが違うのは当然、鞭で撃退、悲鳴を上げて逃げた相手が落としていったものを拾い上げれば、それが頼まれていた敵の弱点を強めるアイテム『グランド・シュート』だったのはご愛嬌だ。 『多少は仕事をしてるんですね』 そっけない言い方にはがっかりだが、それでも満足そうな微笑が見られたのでよしとしよう。俺って一途だなあとエイブラムは自画自賛する。 優は入った瞬間に、自分そっくりの男とガチバトルに入った。 相手は長剣を振り回す。しかも優のトラベルギアそっくりの防御壁は発生させる。打ち合い、切り合う最中、隙を狙って触れてこようとするのに悪戦苦闘している。何してる、魔法使えっだろが、思い出せ、と苛立っていると、ようやく気づいたらしく、 『バフォ!』 戸惑いつつ叫んで繰り出した短剣が、切っ先から炎を吹き出し、相手どころか本人も驚いたようだ。うわっ、何、すげえっ、と感嘆の声を放った後、『シャール!』と叫びながら一閃する剣で、すぱーん、と自分そっくりの男の体が飛んだ。 『うわああ…』 勝利はしたものの、薄気味悪そうに体を撫でているのが頼りなさげで体が疼く。行って慰めてきたら、次はキスしてもらえるかもと、ちょっと腰が浮きかけたところへ。 「……何の意味があるんじゃ」 背後の老人がぼそりとつぶやいてエイブラムは我に返った。 「こんなおもちゃに。幻の空間に」 「アンタの居るこの現実も、幻だぜ」 エイブラムは薄く嗤った。 「実は俺はここには居ない」 「っっ」 光学迷彩を駆使して姿を消してみせると、老人が皮膚を粟立たせたのがわかった。すぐに戻して、呆然としている相手に唇を歪める。 「アンタが小馬鹿にしていた息子は、このゲームの中で何を手にしてたのか」 アンタには永久にわかんねえんだろうな。 「だから、息子は一人遊びしかできねえんだよ」 くつくつ笑う。 「遊び方を教えてやんのが大人だろ?」 話しつつ、アクセスできた情報と制御できた情報を照らし合わせる。閉鎖できるダンジョンと関連性を確認する。ルートは確保できる。『鏡面の洞窟』の深奥に、確かにガードがかかっている部分がある。 「そこか」 『虹色爆弾』からの脱出を縮める。『虹色爆弾』から進むルートで、セーブポイントからセーブポイントへジャンプを仕掛ける。他のパーティは使えないように、そこへ行くまでに避けられない戦闘のみの回数設定をつけ、避けられる戦闘は『虹色爆弾』で一夜に見つけさせた『幻歩道』を展開させることで回避させる。それでもバッティングするパーティは持つアイテムの種類で選別を仕掛ける。 「っ……ん……っ……へえ……へへへ」 ちり、と頭の奥が疼いた。真珠色の閃光が散る。潜んでいた相手が動き出したらしい。 頭脳戦、いや情報戦の開始だ。どの情報を流し、どの情報を止めるか。コンマ数秒の判断と情報操作が、ごくごく僅かな隙をエイブラムに晒す。その僅かな隙に捩じ込み押し込み、捉えられて身もがきするのをこじ開けていく。こちらも無傷ではいられない。痛みを伴った刺激が走る、下半身にも衝撃的だ。 「はあ……」 漏らした吐息は喜びだ。一夜に罵倒される想像に興奮も高まる。ぎりぎりの感覚の爆発を制御し、一瞬ごとに相手を凌駕していくのを感じ取る。 「まだだ…」 まだ最後には早い。 仲間はついに『鏡面の洞窟』に入った。エイブラム・ナビもしっかり優にしがみついてご満悦、だが、その矢先。 「っっ!」 左肩に激痛、背後の老人からの一撃と知る。同時にゲーム内からも反撃された。脳髄を灼かれる痛み、快感に吹っ飛ぶというより激痛に近い、正面切ってまともに食らった。 だが一人では飛ばない。 「それが礼儀だ…ろ」 イクときはご一緒に。 薄笑いのままエイブラムは意識を飛ばす、相手の制御を引き千切りながら。 「あ…っ」 飛びかかってきた緑色のカニっぽいモンスターをこん棒で殴りつけ、その後派手に炎で焼き尽くした優は、腰にしがみついていたエイブラム・ナビが消えたのにぎょっとした。 「エイブラムさんっ?!」 次々飛びかかってくるカニ系は数十は居た。ようやく最後の数体を仕留めにかかった矢先のできごとだった。 へたりかけた仲間に一夜が『ゴッド・ハンド』を投げると、掌サイズの金色の薄物は見る見る広がって、全員のMPが半分回復する。 「『バフ』!」 ジュリアンの呪文に残ったカニが炎に包まれる。続く数体を念動力で跳ね散らす。 「エイブラムさん!」 優は必死にナビを探した。こんな重要な局面、しかももうすぐ、最終目的地と思われる地下祭壇前へ走り込んでいく状況なのに、エイブラムがナビを引き上げるわけもなく。 「本体に何かあったんですかね」 「くそっ……『シャール』っ!」 淡々とした一夜の分析、優の切っ先は風の剣となり、なおも集まってきていたカニを巻き上げ吹き上げ切り裂いた。ジュリアンと一夜がその隙に洞窟を駆け抜け、飛び出す。 「『ダンジョン・シールド』!」 すかさず一夜がカニ達の溢れる洞窟へ向かって手にしていたガラスの箱を投げ、空中でぱたぱたぱたっと開いたガラスが透明な障壁となって洞窟の口を覆った。中で緑カニが暴れているが、もう出て来れないようだ。逆に、こちらもそこには戻れない。 「エイブラムさん!」 「エイブラム! 進むぞ、いいのか!」 優とジュリアンの問いにどこからも答えはない。 「待って下さい、あれを」 一夜が示したのは『ダンジョン・シールド』だった。広がったガラスは留まらず、どんどん洞窟内に張り付いていく。 「……罠……?」 こちらの発想だったはずなのに、それは逆に利用されて洞窟内がガラス張りに煌めく空間に変貌した。『鏡面の洞窟』と呼ばれながら、中に出て来るものはカニ系ばかり、鏡が配置されているでもなし、妙だ妙だと思ってはいたが。無限に来るカニ攻撃は、これを使わせるためだったのか。 こちらのアイテムで仕上がったガラスで囲まれた地下祭壇。 その前にいつの間にか、一人の男が居た。 「ラスボス…?」 とくん。とくん。とくん。 小さな足音が鳴り響く。一歩ごとに近づいてくる相手は姿を変える。 とくん。とくん。とくん。 ジュリアンに、一夜に、優に……そして、等身大のエイブラムに。 とくん。とくん。とくん。 「来るぞ」 ジュリアンが剣を構え、教本を掲げた。 「あの姿のままではないでしょう…本来俺はサポートのほうが得意なんですよね」 一夜が鞭を両手に張る。 「何百人も居るように見えますね、隊長」 優は呼吸を整えた。 ガラスに反射する姿、何百人も自分が居る。自分の姿をあらゆる方向から眺めることになる。それらに目を奪われると、一瞬、今ここに居る自分の姿がわからなくなる。 とくん。とくん。とくん。 「あそこに」 「ああ…」 一夜が気づいた。祭壇の後ろ、ガラスの向こうの岩屋の中、一人一人埋め込まれた、他のパーティと思われる姿がある。どれも干涸び、今にもかさかさと崩れそうに見える。 「時間が、ありません」 優は息を吸った。溜めた。 とくん。とくん。とく。 唐突に男は止まった。 ガラスの反射とどこからか差し込む光の反射で、その姿が一瞬白く消える。 次の瞬間。 ぐあああははははははははははあっっ!!!! 「っっっっ!」 「く、そおおっっ!」 全てを揺るがす大音声の笑い声。 振動したガラスが一気に砕け散っていき、埋め込まれた人々が切り裂かれて崩れ落ち、降り注ぐガラスに体中が裂かれる痛みの中、まっすぐに突進してくる男は両手を広げた黒い怪鳥、ジュリアンがかろうじて避け、一夜が鞭をかぎ爪に断ち切られ、優のこん棒と剣が跳ね飛ばされ、過ぎ去った瞬間に真上に飛び上がって再び前面へ、息つく間もなく繰り返される猛進の前で。 「止めろっ!」『キャス』! 呪文を唱えながら翻るジュリアンの体、半身の刺青が乱れ飛ぶよう。「そっちだ!」一夜はアイテムを投げつける。『グランド・シールド』! 「外れたっ」「まだまだっ!」優は飛ばされた剣を必死に拾い駆け戻る。『バフォ』!「いけえええっ!」『シャール』! 猛進を三度凌ぎ、ぼろぼろになった三人がなおも四度目を凌ぎ切り、 「っっ!」 男の首に鞭が、腹に優の剣が、肩口にジュリアンの剣先が食い込み、 「ぐああああおおおあああ!」 それでもなお三人を跳ね飛ばそうとした男の前に、突然、ひらり、と待った白い花。 「え…っ?」 「あ」 「なに……」 ガラスの破片が全て白い花弁に変わっていた。 降り積もる雪のような花の中、血塗れになりながら切り結んだ四人の男の上から、舞い降りてくる一人の女性。花びらを纏い、まるで天上からの救いのように。 「か……さん…」 迎えに来てくれたの……。 男が微笑みながら、崩れ落ちる、その上に、果てしなく降る、白い花弁。 それらが一夜やジュリアン、優の上に降り積もると、次々と新たなアイテムが加わったことが知らされる。完全回復、不死、ステイタス異常完全回避、そして、ゲーム内をいつでもどこへでも飛べる『暁の羽根』。 始めから楽しんでもいいし、全く辿り着けなかったダンジョンへ出かけることもできる、万能ジャンプアイテム、しかも回数制限一切なし。 「まるで、ここでずっと遊んでいて欲しいみたいだね」 優がぽつりとつぶやく。 終焉を告げる穏やかな音色が鳴り始めた。 「おっかえり〜ゲームクリア〜だぜ」 それぞれにヘッドセットを脱ぐと、エイブラムがにやにや笑って手を振った。 「気持ち良かったか?」 「……疲れた」 ジュリアンが深い溜め息をつく。 「怪我を?」 優の問いに、エイブラムは左肩から胸にかけて走った緋色の筋にぺろりと舌を出す。 「興奮したお客様に」 くい、と指差した先にはラオ・シャンロンがのびている。 「一体どうして」 「踊子さんにはお手を触れないで下さいってお願いしたのにぃ」 わけがわからない一行にエイブラムがざっと経過を話した。 「けど、ラストには手を出してないぜ」 エイブラムは肩を竦めた。 「あれは予定されていた最終場面みたいだぜ」 「……じゃあ、『真実の夢』というアイテムって言うのは」 あれのことなんですか? 「いや…β段階だったのもあって、何パターンか考えられてはいたらしい」 エイブラムがぱらぱらと画面に画像を呼び出す。 「ゲームの中盤でゲットしたアイテムによって、最終アイテムが変化するようになってて、何度も楽しめる予定だったらしいな」 じゃ、まあ、依頼も果たしたし、帰るとすっか。 エイブラムが起き上がり始めた周囲に伸びをしながら立ち上がる。 優はもう一度画面を覗き込んだ。 エンドロールが流れる中、男が一人、洞窟の向こうへどんどん消えていく。 「……楽しかったよ」 そっとつぶやく。 「大変だったけど、楽しかった」 男の後ろ姿に『鏡面魔狂』のタイトルが重なってくる。 「ねえ、このタイトルまだ」 「え?」 振り返った一夜がもう一度覗き込みに来て、ジュリアンもエイブラムもどれどれ、と肩越しに画面を見ると。 「…あ」 男がふいに振り返り、にこりと笑った。 その顔を覚える前にタイトルが被っていく。 『 鏡面魔境 〜失われた夢の物語〜〜 』
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