「パーーーフェクトッッ!! ……さすがだな、ミスター!」 そう言って男は、傍らに立つもうひとりの背をどん、と叩いた。 感謝を広い背中で受け止めると、彼自身もまた満足気に、おのれの仕事の結果を眺めるのだった。「不足はないな」「ないとも! これこそオレのホーム!」「よし。なら俺はもう戻る。次の仕事があるんでな」「おゥ、そうか。感謝するぜ、ドンガッシュの旦那」 ドンガッシュと呼ばれた男はかるく頷いて応えると、きびすを返した。 すでに、上空には銀色の円盤が静止しており、そこから照射された光の道がドンガッシュを円盤――『ナレンシフ』の中へと回収する。 円盤はすぐに飛び去り、あとにはその男だけが残った。 すらりとした長身に、浅黒い肌。ぴたりと身体に沿った着衣ゆえ、その身体が鋭く引き締まっているのがわかる。あらわになっている腕には、刺青らしき文様があった。 短く刈り込んだ金髪の、若い男だ。 ゴーグル型のサングラスのため、目の表情はうかがいしれないが、非常に上機嫌な様子が伝わってくる。にっ、と男が笑うと真っ白い歯がこぼれた。 彼が立っているのは、ビルの屋上。 のぞきこめば、目もくらむほどの高さだ。 周囲にも、いくつもの高層建築が立ち並んでいる。 男は屋上の周囲を囲っている鉄柵に手をかけると、ひらりと乗り越える。彼はローラーブレードを履いていた。そんなもので、高層ビルのへりに立つなど自殺行為だ。 だが――、なんの躊躇もなく、彼はそこから飛び降りる。 ほんのちょっと、道路の白線をまたぎ越える程度の気軽さだった。「イヤッホォーーーーーーーーーーーゥウ!!」 自由落下の速度で落ちながら、男の足がビルの壁を蹴った。 しゅっ、と音を立てて、男が手にはめていたグローブからひとすじの光が伸びる。それは一本のワイヤーだ。 ワイヤーを別の建物の突起部にからめ、自身の体重をおもりに、ふりこのように男の身体が弧を描く。 それはまるで、空を自在に駆けるかのような動きであった。 ◆ ◆ ◆「ブルーインブルーに向かってくれないか」 世界司書モリーオがロストナンバーたちを集めた。「ある辺境の海上都市で奇妙なことが起こっているんだ」 ある日突然、海上都市の様子が、まったく違う姿に変じてしまったのだという。 それはブルーインブルーではありえない、高層建築により構成された都市の姿だ。かの地の人間にはまったくの異形としか映るまい。だが異世界の目で見れば、それは壱番世界の大都会の姿にも似る。「『世界が造り変えられてしまった』とでも言えばいいかな。こんなことができるのは、ロストナンバーしかない。……そう、『世界樹旅団』だ。先の襲撃事件で、10号が襲われたとき、これに似た現象が起こったことが記録されている」 報告書をひもとけば、そのときは、機械仕掛けの時計塔のある陰鬱な世界が、ロストレイルの車内に構築された。今度は、海上都市ひとつが、摩天楼ひしめく未来都市に変わってしまったのである。「この都市には、世界樹旅団のロストナンバーがひとり、残っているようだ。何をしているのか、そもそもこれが何のために行われたことなのかはわからないけれども、放置しておくわけにはいかない。世界の一部を造り変えてしまうなんて、世界群の秩序を脅かす行為以外のなにものでもないのだから。どうにかして、この海上都市をもとの姿に戻したいんだ」「……あの、質問いいかな」 司書の話を聞いていた飛田アリオが挙手。「その町にもともと住んでいたひとたちはどうなっちゃったわけ?」「そこだ。良い質問だよ、アリオくん」 モリーオは難しい顔つきで言うのだった。「どうやらこの『造り変えられた世界』は、その中に取り込んだ人間を、世界の一部にしてしまう性質を持つ。ブルーインブルーの住人は、今は、その『造り変えられた世界』の住人として、その中で暮らしているらしい。まるで『舞台の中で強制的に役割を演じさせられる』ようにね。これは10号の事件からも推測されることなんだけど、この『造り変えられた世界』は、おそらくどこかの異世界の風景なんじゃないかな? だとすると、今、その都市にいるというロストナンバーがもしかすると……」 ◆ ◆ ◆「その通り! ここがオレの世界! イッツァ・マイ・ワーーーーーーールドッッッ!!」 男は空からあらわれた。 正確には、壁から壁へ飛び渡りながら、その都市へと上陸したアリオたちの目の前に着地したのだ。「マイワールドへようこそ!そしてウェルカム! 世界図書館の諸君――似合ってるぜ、そのスーツ」「え? あ……っ、なんだこれ!?」 アリオが驚きの声をあげた。 いつのまにか、服装が違う。身体にフィットした、アスリートが着るようなウェアだ。「俺の名はクール・エッジキング。このスカイハイの、最高最強最上最速のデリヴァラーだ」「な、なに……?」「速いものが勝ち、君臨する。速さこそがすべてを凌駕する。それがこのスカイハイのルゥーーーーーール! 諸君もオレの世界に足を踏み入れた以上、このルールには従ってもらうぜ。さァ、ボーイ、電話がなってるんじゃないのか?」「え? あ、ホントだ……って、えええっ?」 アリオの腰のベルトバッグの中で、携帯電話が鳴っている。バッグも電話も、アリオのもともとの持ち物ではなかった。「もしもし?」『大至急、ピザを頼む! トッピングはパペロニ、アンチョビ、トマト……』「はいー!?」『届け先はニューマウンテンタワー57階、スミスだ!』「さァ、はじめようぜ、世界図書館のロストナンバー。この街はオレの庭。オレの王国。誰もオレを捕まえることなんてできやしない。でももしそれができたら……、ハハッ、できるわけなんてないが、あんたたち、世界樹旅団のコトで知りたいことだっていろいろあるだろ?」 クールと名乗った男は笑った。 そして。「じゃあ、せいぜいがんばりな!」 信じがたい跳躍力。驚異的な身の軽さ。 男はあっという間に、摩天楼の中へ消えていった。 あとにはアリオとともに上陸したロストナンバーたちが残されているだけ。 かれらもまた、アリオ同様、服装が変化しているのは、世界司書が言ったように、それがこの『造り変えられた世界』がもとめる「役割」なのだろう。 さあ、その「役割」を果たせ、とばかりに、次々と電話が鳴り始めていた。
1 「何がしたいのか、いまいちわからんねぇ……」 ぽつり、とハギノがつぶやく。 すでにクールの姿は摩天楼の彼方へと消えさっていた。 「つか僕としては、世界に対してもっと謙虚になって欲しいんだけども。ま、それがここの決まりだってんなら、ちょっくらお付き合いしましょーかねー?」 そう言うとハギノは仲間たちを振り返り、 「それでは諸君、健闘を祈る! ……なんつってー」 自らも常人離れした跳躍とともに高層都市の中へと身を投じていた。 あとに残された面々は。 「こんなハァハァ出来そうな近未来都市で、筋肉一筋の山猿しろだとぉ……ガッデム!」 「すごい高い建物が多いですね。どこをどうやって……」 悪態をつく川原撫子に、さてどうしたものかと考えこむダルタニア。 「はい、もしもし」 その傍らで、エレナはさも当然と言った様子で、自分にかかってきた電話をとる。 「わかったわ。路地裏のパン屋さんまで、ぬいぐるみを届けるのね」 依頼を受けたら、一刻も早く届け物を完遂する。 それが《デリヴァラー》の矜持。 この領域に足を踏みれた今、なぜだかアリオたちはそのことを理解していた。 「じゃ、先いくね!」 にこりと微笑んで、エレナはふわりとガードレールを飛び越える。その向こうは下層の家々の屋根の海。万有引力に従い、エレナの小柄な身体はまっさかさまに落ちてゆくが、背中にせおったうさぎのぬいぐるみの手が、渇いた音を立ててロケットパンチを発射すると、そのワイヤを向かいのビルの非常階段にからめ、エレナの落下は弧を描いた軌道へと変わるのだった。 滑空しながら、するり、と空気から抜き取られるように、エレナの手の中にあらわれたのはスケートボードだ。うさぎ型のなにか機械のようなものが付属しているが、それはエレナが足を乗せるとジェット噴射をはじめた。そのまま垂直の壁をスケートボードで移動していく。 「し、しかたないな……ピザだって……?」 アリオは自転車――いつのまにかそこにある――に跨った。 「デリヴァラーなんて格好良く言っても、所詮はサービス業ですよぅ。クールから、最高最凶最上の称号、みんなで奪っちゃいましょ☆」 と、撫子が励ます。 「お互い頑張りましょう、協力できることがあれば協力します」 と黒葛一夜。 「そうだね。頼むよ黒葛さ――」 「見せて差し上げましょう。速いという事がどういう事かを……!」 だがアリオの言葉を最後まで聞くことなく、一夜を載せたバイクはアスファルトを切り裂くようなタイヤさばきで、道路を駆け抜けて行ってしまった。 「……え、なんか性格変わってない……?」 「ここはもう、別の世界ということかな」 そう言う柊木新生も、くわえタバコの風貌はそのままだが、服装はアスリートスーツに、四肢には機械の装甲が取り付けられている。 「ここのルールにのっとってやるしかないようだねぇ。じゃあ、ここからは、ワイルドに行こうか?」 そう言い残してバイクを発進させる。 アスリートスーツの肩にプリントされた、トライバル風の銀色の炎が残像として焼き付いた。 「デリヴァラーなんて格好良く言っても、所詮はサービス業ですよぅ」 と、撫子。心配ない、とばかりにウィンクしてみせる。接客ならお手の物だ。 「ですね。わたくしたちも、開始しますか」 ダルタニアが促す。 「クールから、最高最凶最上の称号、みんなで奪っちゃいましょ☆」 撫子さん、最凶じゃなくて最強です。 かくして―― ブルーインブルーに出現した異世界『蒼空摩天スカイハイ』に、ロストナンバーたちは《デリヴァラー》として参加することになったのだった。 2 「……良いものだわ。ありがとう」 「サインをお願いします」 にっこり笑ってエレナが差し出す伝票に、婦人は受領のサインをくれた。 エレナが届けた薔薇の苗、そこに膨らみかけている蕾を見つめて、婦人はもういちど、満足気に頷く。 「ありがとうなの」 ぺこり、とエレナがおじぎすると、彼女のリボンと背負ったうさぬいの耳もぺこりと折れた。 そして彼女はもと来た道を――屋上庭園の端の鉄柵をひらりと乗り越えて、ふたたび摩天楼の渓谷へダイブする。 「お待たせしました」 ダルタニアは地上20階のオフィスへと書類の入った封筒を届ける。 ブーツに仕込まれたスプリングによる跳躍で、混雑するオフィスのデスクを飛び越え、依頼主のもとへ。 「ああ、きみ、待って。こいつはすぐに、35階に回さなきゃならないんだ」 封筒を渡して去りかけたダルタニアを、依頼主が引き止める。彼がハンコを押した書類を別の階へ届けるらしい。 「かしこまりました。では」 再び、荷物を手に飛び出していくダルタニア。 階段を駆け上がろうとして――ここまでもそうして来たのだ――チン、と音を立てて開くドアに目を止める。 「……エレベーターという手がありますね」 けたたましい音を立てて、入り口のガラスが割れた。 「ンじゃぁ、貴様ァ!!」 中にいたのは、見るからにカタギではない男たち。 「届けものです」 と、涼しい顔でおかもちを見せる一夜。 「出前!?」 「入り口ぶち破ってバイクなり飛び込んでくる出前があるか!」 「……ん」 一夜は携帯端末の画面に目をやって、 「しまった。隣の建物でした。失礼!」 「てめぇ、待て、ゴルァ!!」 聞く耳持たずに再びバイクで外へ。 追いすがるヤクザ集団を捨ておいて、隣のビルのエントランスから、バイクなり階段を駆け登っていくのだった。 「毎度あり!でした」 月見そばとかつ丼を届けたあと、戻ってきた一夜を待っていたのは柊木だった。 彼の足元には、電撃弾をくらったと思われるヤクザたちがしびれて伸びている。 「やあ、次のお客さんだよ」 「生まれそうなんだ!」 「早く乗って!」 夫に付き添われた妊婦らしき女性だ。 「安全運転で頼むよ!」 「わかってますよ」 来たときのスピード感からは一転、穏やかな速度で走りだす一夜である。 「単なるスピード狂ってわけじゃないんだねぇ。おじさん、安心したよ。……さ、旦那さんはこっちへ」 柊木のバイクに夫が乗せられ、2台は並走しながら病院を目指す。 その頭上を、横切っていく影があった。 「……いたね」 「どうします?」 それはまさしく、あのクールという男だった。 「まずはこの仕事を終えてからじゃないとね」 「あんなところを渡っていく。この街が庭のようだというのは本当のようですね」 「いったい、何が目的なんだろうね」 こわもての男たちの視線が集中する。 「どーもー!あなたの街のハギノでーす! 荷物とまごころをお届けしますよーっと」 ビルとビルの狭間を、配管をすべりおりて着地したのはハギノだった。 「よし、来たか。こいつを頼む」 アタッシュケースの中には銃が入っているようだ。この街で、それが合法なのかどうかのかは異邦人にはわからない。 「はい、おまかせを」 言いながら、ハギノの目ははるか頭上、ビルの隙間を駆けていく影を見る。 依頼主からアタッシュケースを奪うように持ち、互いに対面のビルの壁を蹴ってジグザグに駆け登っていく。 「おーい!」 屋上まで一息に駆け上がり、走る、走る。 前方にはクールの背中がある。 「……どうだい、新人」 クールは走りながらも振り返って、にやりと笑ってみせた。 「楽しいだろう!」 瞬間、クールの身体が斜め後方へと飛んだ。 ジャンプではない。すでに射出してあったワイヤーを一気に巻き上げたのだ。前方へ走っていると見せたのはフェイクで、ドッグファイトの戦闘機のように、クールはハギノとすれ違って後ろのビルの屋上へ。 「っとぉ! ……やるね」 ハギノはつんのめるように急ブレーキをかけ、逃げ去ったクールを見送る。 「何やってんだ、遅いぞ!!」 「ひい、すいません!?」 「ごめんなさぁい、このコ、新人で。この次は割引しますから! あざぁしたぁ!」 客にどやされるアリオの首根っこを掴んで、撫子は逃げるが勝ちとばかりに、走る。 「手を放しちゃダメよ」 そのまま、クールと同様にワイヤーを使ってビルからビルへ。 「おおおお!」 アリオは自転車を持ったまま、空中へと連れられていく。 撫子はマンションの廊下へと着地、となりに不時着するアリオをよそに、一室への届け物を渡して受領のサインをもとめるのだった。 「ありがとうございましたぁ、またご利用下さぁい」 満面の笑み。 部屋の中ではパーティーが行われているらしく、楽しげな声が漏れ聞こえる。 「なんなの?」 「またおばあちゃんからニシンのパイが届いたの。……あたしこれ嫌いなのよね」 バタン、とドアが閉じる。 「さっ、次よ」 「なんだ今の客、感じ悪っ!」 「いちいち気にしてちゃだめよ。お客様はお客様なんだし」 「達観してるね、撫子さん……」 そのとき、撫子のセクタン・ロボットフォームが彼女の袖を引いた。 「あ、壱号。これの使い方わかった?」 それは全員の手元に出現していた携帯電話である。 携帯電話のように見えて、それはスマートフォンに近い、なんらかの情報端末のようだった。 「……なるほど、ここをこうして……」 ロボットフォームの助けを借りて、撫子が操作すると、全員の端末の画面に「音声通話中」の文字があらわれる。そして撫子の声が流れ出す。 「調子はどう? 各自、1件ずつくらいはこなした? このままバラバラに動いていてもクールは捕まえられないわ。作戦があるの――」 3 片手でハンドルを握りながら、もう一方の手で銃を撃つ。 柊木が放った弾丸を、クールはかろうじて避ける。着弾地点が凍りつくのを見て、ヒュウ、と口笛を吹いた。 「危ない、危ない!」 「いつまで追いかけっこをするつもりだい。おじさん、そろそろ疲れちゃったんだけどね」 くわえ煙草のまま、銃を持つ手を振ると、ガシャン、と音がしてマガジンが排出される。腕の装甲から別のマガジンが滑り出て、そのあとに収まった。 「じゃあ遠慮無く休憩してるといい。イヤなら辞めてもらっていいんだぜ!」 ビルの間をワイヤーで飛び渡りながら、クールは柊木の追跡から逃げている。 「僕たちがさっき運んだ人たち……もとはブルーインブルーの住人のはずだ。でも何の疑問もなくこの街の人間だった。そうやって世界をつくりかえていくつもりかい」 「はっ、イカしてるだろ。こいつはドンガッシュの旦那の傑作でね。大枚はたいた甲斐があるってもんさ」 「ドンガッシュ。それがこの現象をつくったツーリストなんだね!」 次の射撃は、クールではなく彼のワイヤーを狙った。 「!」 見事、衝撃弾がワイヤーを切ったが、すぐに別のワイヤーを投げて落下から逃れるクール。 「っと、悪いな、仕事だ!」 携帯電話を耳にあてながら、クールはそのままハイウェイの下へと消えた。 柊木がバイクを止め、下をのぞき込んだときには、もうその姿はかなり遠くへと隔たっている。 「本当に足が速いねぇ。困ったもんだ」 と言いつつ、さして困ったふうでもなく、彼もまた電話を取り出す。 「予測通りの方向へ向かったよ」 『ありがとう。アラタちゃんは次の出口で降りて西から回りこんで』 電話の向こうで、エレナが言った。 「待たせてないな? クール参上! ……なに?」 「お待ちしておりましたよ、クールさん」 クールが飛び込んだ窓の中にいたのはダルタニアだ。 「依頼人はわたくしです。これを運んでいただきましょうか。それとも……ここで捕まっていただいても構いませんが」 「考えたな!」 銀色のアタッシュケースを挟んで対峙すること数秒、先に動いたのはクールのほうだ。 ケースをひったくり、窓へと。ダルタニアが回りこむ。当然、それを予測しているクールが、ローラーブレードの足で彼を蹴り飛ばす。 「っ、乱暴な。その荷物、大事にして下さいよ……!」 「知るか!」 飛び出す、クール。 ダルタニアが追う。さらにそこへ。 「待ってたわ! 最高最凶最上の称号ちょうだいな☆」 撫子だ。 傍のビルの非常階段から身を乗り出し、背中に背負ったタンクから伸びるノズルから水流を放射する。 「くそ!」 水流に圧されて、ワイヤーで滑空するクールの軌道が変わった。 ガツン、とローラブレードで手近な壁を蹴り、軌道を修正する。しかしその眼下に、坂道を自転車で駆け登ってくるアリオの姿がある。このまま着地すれば鉢合わせしてしまう。 「どうして先回りされてると思う?」 撫子が非常階段から非常階段へ飛びながら、問う。 「あなたはいつも最短のコースを通ります」 別のビルの屋上へ、ダルタニアの姿があらわれた。 「では、特定のある場所から特定のある場所への配達を依頼すれば、当然、そのコースは割り出せます」 「だがおまえたちはこの街のことを知らないはずだ!」 クールはワイヤーを放った。しかし。 「……何!?」 ワイヤーはどこにも絡みつかなかった。 支えを失った身体が重力に引かれて落下してゆく。 ビルの屋上から、ひょっこり顔をのぞかせたハギノが、手にもったフラッグを振ってみせた。その旗がついたポールこそ、そのビルの壁面についていて、クールがワイヤーをひっかけようとしていたものだった。 「この街の地図なら、もう『覚えた』わ」 スケートボードで走りながら、エレナは落下していくクールを見上げる。 さきほど、薔薇の苗を届けに行くついでに、書店に寄り道して見た地図だ。ほんの一瞥でも、エレナはそれを完全に記憶することができるのだから。 「さらに、おにーさんになくて、僕らにあるもの……そう、それは頭数! 驚きの1対7! この戦、勝ったも同然! ま、ぶっちゃけ追い込み漁と言いますか……ブルーインブルーなだけに★」 「バカを言え!」 クールは、別のビルの配管にワイヤーをからめ、自身を巻きあげて、その壁に張りついた。 「そう、そこしかないですよね」 「何っ!」 そうだ、そのビルの屋上にはすでにダルタニアがいた。 「『ゴッドフィスト』!!」 黄金の拳が出現し、まっすぐにクールに向けて発せられる。 ダルタニアの魔法の直撃を受け、彼はせっかくとりついた壁から強制的に引き剥がされる。 ダルタニアの攻撃はそれでは終わらなかった。すでに彼は次の詠唱に入っていたのだ。 「天に輝く巨大なる星、月よ、我の言葉に答え、汝、彼を導き給え!!『クレッセント・ムーン』!!」 《三日月光波》の名のとおり、弓なりの形状の光の波動が、容赦のない追撃を浴びせる。 もはやどうすることもできず、クールの身体は民家の屋根にしたたかに打ち付けられ、そのまま大きくバウンドしながら転がり落ちる。 そこへ爆走してくる一台のバイクは一夜だった。 「チェックメイトですね!」 屋根から転がり落ちてきたクールと交差する一夜のバイク。瞬間、彼のトラベルギア――ガムテープがクールの両手首をぐるりと巻いていた。 翼をもがれた鳥のように、不自由になったナンバー1デリヴァラーが、冷たい道路のうえにその身をよこたえる。 「……そして、これがお届けものです」 「……う……」 クールのうえに、一夜は山のような封筒をぶちまける。 「アナタへのファンレター。……なかには、カミソリ入りのもあるかもしれませんけど」 「こういうの、年貢の納めどき、って言うんだよ」 柊木が到着する。 他の面々も、この場所へ集まってくるのは、自明であった。 「……へへ」 クールは、力なく笑った。 「降参だ」 4 「これで、とうとう捕まえましたか。あなたには、吐いてもらいたいことが、沢山あります」 あらためて、ガムテープで縛り上げられたクールを取り囲む面々。 ダルタニアが彼を見下ろして言った。 「楽しいっちゃ楽しいけど。勝手に造り替えるってのは、どーかと思うですよ?」 とハギノ。 「そうしなきゃならん理由でも?」 「……おまえたちも、同じはずだ」 クールは神妙な顔つきになって、言った。 「自分のいた世界から放り出されて、帰れない。……それがもし、もう一度だけでも、故郷を見られるとしたらどうする」 「『大枚をはたいた』……そう言っていたね」 柊木が訊ねた。 「なにかを代償にしたのだろう」 「俺の命だ」 ぎくり、とした。 思いもかけずにそれは重い発言だった。 ロストナンバーたちは顔を見合わす。クールは構わず続けた。 「この世界はかりそめのものに過ぎない。だがそれが終われば、俺は――」 「おバカ!」 「ぬぐぉ!?」 ゴツン、と鈍い音がした。 撫子が頭突きをくらわせたのだ。 「なによそれ。アンタも傷つかずに済む方法でこの街を元に戻せないの!?」 「そいつぁ……ムリだな」 「なんでそんなことしたの」 エレナだった。 「自分の世界に帰りたいっていうのはわかる。でも。……誰かの指示なの?」 「俺の意志だ。けど……俺みたいなバカが――ああそうさ、あんたの言うとおり大バカだ。そういう連中があちこちの世界群の中に、こんなふうに飛び地の異世界をつくっちまったら、世界のバランスは崩れていく。そうやって世界が弱っていけば、その中から、次に世界樹が根を下ろす場所を見つけられる」 しん、と沈黙が落ちた。 「……ええと、つまり……?」 口を開いたのはハギノだった。応えたのは、ダルタニアである。 「世界樹旅団にいて、どうしてももう一度、自分の故郷を見たい、その地に立ちたいと思う人がいる。そういう人達の思いに答え、擬似的に異世界を創り出しているものがいるのです」 「ドンガッシュ」 柊木が低くつぶやく。 「しかしその代償は命」 「……そうして、つくられた異世界は、世界のダメージになって……結果、世界樹旅団の利益になる。なによそれ。それってつまり」 撫子が怒りをあらわに言った言葉を一夜が引き継ぐ。 「利用されているんですよ、その気持を――!」 「ああ、そうさ!」 クールは叫び返した。 「それでも俺は――走りたかった。もう一度だけ、この街の空へ向かって、この街の風と一緒に」 「こんなの……でも、舞台装置みたいな……」 「だから言ったろ」 にやり、と頬をゆるめれば、白い歯がのぞく。 「大バカだって」 遠くに、轟音――。 皆の視線の先で、摩天楼のひとつが音を立てて崩れてゆく。 「な、なんだぁ!?」 「……長くはもたないのさ。所詮、むりやりつくられた……砂の城みたいなもんだからな」 クールの額に玉の汗が浮かんでいた。 「街が崩れたら、街の住人は!」 「それは安心しろ。もとの世界へ吐き出されるだけだ……。この街でのことも、覚えちゃいない」 ハギノの問いに答える。 「……」 一夜はすっと腰を落として、クールを拘束するガムテープをむしり始めた。 「……なんの、つもりだ」 「別に」 固い声で、彼は言う。 「ただ――。俺もバイクに乗るので。その速さに対する思いは、嫌いではありませんと、思っただけです」 「……」 * 「お待たせぇーーー!」 ひさしのうえでワンバウンドして、オープンカフェのテーブルの間に、ハギノが着地する。 「あなたの街のハギノでーす。お届け物、お預かりしにきましたーー!」 「ああ、速いね。このナポリタンセット、トレジャービル25階のクレイグさんに届けて」 「はい、ただいま!」 ラップをかけた料理を載せたトレーを受け取り、駈け出すハギノ。 そのまま、道路に飛び出せば、当然、クラクションの嵐になる。見ていた人々から悲鳴もあがる。しかし、まるでワニの背を飛んで川を渡るがごとく、ボンネットからボンネットへと飛び渡っていくのだ。 『もしもし、ハギノ。30番地の交差点で柊木さんから荷物を受け取って。あんたの行き先の近くだからそのほうが効率がいいの』 「……はーいはい、っと」 「頼んだよ~」 携帯電話からの撫子の言葉どおり、柊木が交差点を曲ってきて、書類ケースを渡された。 その向こうで、ダルタニアがなにやら重そうな箱を抱えて、歩道をホッピングしてゆく。 そんな風景に、先ほどまでとは少し違うところがある。 ダルタニアやハギノが着ているコスチュームの背中に、ニカッと笑ったクールの似顔絵入りの、ロゴが描かれていることだ。 「はい、お電話ありがとうございます、最高最凶最上、スカイハイナンバー1デリヴァラー、クール事務所です。はい、お世話になります。配達でございますね」 電話に応えながら、撫子がPCに情報を打ち込む。 画面をのぞきこんだエレナが、電話をかけた。 「もしもし、アリオちゃん? そこから南へ向かって」 『まだあんのぉ? 人使い荒いよ……って、わあああ』 「おっと、悪いな!」 アリオがすっ転んだのは、頭上すれすれを、クールが過ぎていったからだった。 「大丈夫ですか」 きゅっ、と音を立てて、傍らで一夜のバイクが停まった。 「なんでこんなことに……」 「もう少し、付き合ってあげて下さい。もう少しだけですから」 「……それは、そうだけど……」 ふたりが、摩天楼のあいだを翔けるクールを見送る。 その彼方で、またひとつ、ビルの影が崩れて消えてゆこうとしていた。 ビルが消え、見通しがよくなった向こうには、ブルーインブルーの海が見える。その水平線が夕日の色に染まり始めている。 「アリオくん」 「……はい」 「俺たちコンダクターは壱番世界に帰ることはできるけど。……ツーリストはそうじゃない。わかっていても、みんなターミナルで楽しく暮らしているから、忘れそうになってしまう。でも、本当は、みんな――」 「命がけでも……戻りたいって、思っているのかな……」 「ほら。待たせたな」 「ありがとう!」 女の子は笑顔で応え、届けられたぬいぐるみをぎゅっと抱くと、駆けていった。 駆けていくその足元から、スカイハイの舗装された道路は、ブルーインブルーの石畳に戻ってゆく。 血のような真っ赤な夕日は、海の向こうに消えてゆこうとしており、中天には星が瞬き始める。 ぐらり――と、クールの身体が膝から崩れるのを、一夜がうしろから支えた。 息は荒く、顔に血の気がない。 「しっかり。クール」 「……依頼は――次の、届け先……は」 「もう全部終わったわ」 撫子が言った。 「そうか」 力なく、微笑う。 「……ね」 エレナが、彼の手にそっと触れた。 「いま、幸せ?」 「ああ……。風が……いい風だ。気持ちがいい……」 潮風だ。 その匂いは、この街が、元の世界の風景を取り戻したことを意味していた。 そしてそれは同時に、別の意味を持っていたのだ。 この異世界を構築するために、彼が支払った代償が、尽きるときがきたのだ、と。 (なにかを代償にしたのだろう) (俺の命だ) 「……」 柊木新生は、自分の服装がもともとの自分のそれに戻っているのに気づく。 「やれやれ……ヒーローの時間は終わり、か」 新しい煙草に火をつける。 「世界樹旅団。このやり方は……感心できないな。実に感心できない」 「クール!」 一夜が叫んだ。 「え、ちょ、マジ……? なにこの展開」 ハギノも、駆け寄った。 「おにーさん、死んじゃうの? いやいやそりゃないでしょ」 「強大な魔術には、それだけの代償が要求されることもあります」 ダルタニアが、静かに言った。 「その覚悟に、わたくしは敬意を持ちたい」 「……ありがとう……楽しかった、ぜ」 すっ、と、火が消えるように。 クールの身体から力が失われた。 『蒼空摩天スカイハイ』。いまだその世界には、ロストレイルが到達したこともない。誰も知らぬ、見たこともない世界。そこからやってきた男は、しかし、最期のその夢の中を駆け抜けたのだ。 7人のロストナンバーが、それを見届けた。 そして、あとには、おのれを巻き込んだ怪異の記憶さえ持たぬ人々が、それまでと変わらぬ暮らしを続ける、平穏な、ブルーインブルーの海上都市が残されていた。 だから風とともに、まぼろしの街を駆けていた男のことを覚えているのも、この7人だけなのだった。 * 「クール。逝ったか」 ドンガッシュはふと顔をあげて、窓の外へ視線を投げた。 そこにはディラックの空の漆黒の虚無が広がるばかり。 「……まーたそんな顔してる」 誰かの、からかうような声がかかる。 「それなら引き受けなきゃいいのに」 「そういうわけにはいかん」 ドンガッシュは無精ひげの、がっしりした顎をなでる。 「俺の仕事だからな」 (了)
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