■■先手・黒?■■ 季節は春を待ちわびる冬の終わりの頃。 夜の闇を切り裂く強い光に廊下を歩いていた南雲マリアは足を止め突き当たりの窓の外に視線を投げた。月明かりにかろうじて見て取れる雑木林。 「どうしたの?」 声を振り返る。こちらに近づいてきたのは黒葛一夜だった。 「今、何かが…」 マリアは窓の外を指差してみた。あそこで何かが光ったのだ。マリアの指す方に一夜が目を凝らす。その時、また何かが光った。 「何だろう?」 「見に行ってみる?」 二人は顔を見合わせた。 「でも、こんな時間だし…明日の朝にした方がよくないか?」 「とか言って、本当はこっそり調べに行く気でしょう?」 「ははは、まいったな」 と一夜は頭を掻くが、かくいうマリアも実は同じだったのだ。こっそり調べに行きたい気持ち半分。それじゃぁ、フェアじゃない気持ちも半分。 「そっちは誰と組んだんだっけ?」 一夜が尋ねる。 「わたし? わたしは…」 その招待状がマリアのところに届いたのは数日前のことだった。 招待されたのは見渡す限りの水平線の中にポツンと浮かぶ小さな島。外周をゆっくり歩いても10分あまりだったから1kmにも満たないだろう、マリアが通っていた小学校よりも小さい島の西北にある3階建ての洋館だった。 内装は白と黒を基調にしたシックなものだったが、彼女を出迎えてくれたのは、ふわふわのハニーブロンドの髪にぱっちりとした碧眼、真っ赤なドレスを身に纏ったナビゲーターのレッドクイーンと名乗る少女のホログラムだった。 招待されていたのはマリアだけではない。見知った者から初めての者まで他に10人の人間がいた。 リビングに案内された11人はそこでレッドクイーンに一枚の紙片を渡された。 【夜の帳に針と糸を使わず赤いバラを刺繍できたら宝に一歩近づくだろう】 「宝とは何です?」 招待客の1人がレッドクイーンに尋ねる。 「わかりません」 レッドクイーンの返答は簡潔であった。 「それも含めて皆様にはこの謎を解いていただきたいのです。但し…」 レッドクイーンは付け加える。11人全員で、ではなく、チーム戦で、と。 そうして11人はそれぞれの相棒を選んだのだった。 「鰍さんとトオルさん」 マリアが答えた。 「あ、そうか、全員で11人だから、3人のチームもあるのか」 残りの者たちは皆2人組に分かれている。 「やっぱり那智さんと?」 マリアの問いに一夜はもちろん、と頷いた。一夜は那智を先生と慕っているのだ。 「他の人たちは…」 マリアはメモ帳を開きながら呟いた。 3階にある2人部屋、マリアの同室である夕篠真千流はジャン=ジャック・ワームウッドとビアンカと組んだという。マリアたちが既に3人なのに彼女も3人なのか、と訝しんだ一夜だったが、ビアンカというのはジャンが連れていたオウムのことなのだそうだ。ジャンはシルクハットに夜会服という、なんともこの洋館に似合いそうな男だった。真千流は今、2階にあるジャンの部屋に、紙片の謎を解くと言って出かけているらしい。 マリアの部屋の廊下を挟んだ隣の部屋がマリアとチームを組んだ鰍と中津トオルの部屋だ。2人は現在そこであの紙片とにらめっこをしているそうだ。マリアはそれで少しでも情報をと助手として洋館の見取り図を作るべく回っていたところだったのである。 マリアの部屋の裏側にムジカ・アンジェロと由良久秀の部屋がある。久秀が洋館内をいろいろ撮影しているのを先ほど見かけたが1人だったから、ムジカの方は部屋にでもいるのだろうか。 その部屋と廊下を挟んだ隣の2人部屋が那智・B・インゲルハイムと一夜の部屋がある。那智はやる気があるのかないのか部屋で完全にくつろぎモードに入り、自分に洋館の見取り図でも作ってきたらどうだ、と遠回しに使いっぱしりを命じたらしい。 そして最後のチーム。鰍が師匠と慕う深山馨、と組んだのが三雲文乃という女性だった。黒い喪服に身を包み顔をベールで覆い隠したミステリアスな感じの女性である。2人は2階の1人部屋を隣同士で使っているが、先ほど2人がサロンにいるのを見かけた。サロンには大きなグランドピアノがあって馨が楽しそうにならしていたのだ。一体誰が調律しているのか、ちゃんと音は合っていたらしい。今回のゲームには戯曲的なものを感じるよ、なんて、今にもあの紙片の文句に曲を付けちゃいそうな雰囲気だった。 「しかし、謎を解けた者だけがこの島から出られる、なんてさ。解けなかった奴はどうなるんだろうな」 一夜は首を竦めてみせる。レッドクイーンが言ったのだ。だから、11人一緒にではなくチーム“戦”。個人戦にならなくてよかったと一夜は密かに思っていた。 「うーん…次の謎が出されるとか? で、解けたチームは抜けて、また次の謎」 「全員何かしらの謎が解けるまで、ってこと?」 「だったら、答えがわかっても言わない方がいいかもね。そしたらたくさんの謎が解ける」 マリアは冗談めかして笑う。 「ははは。そういうのもありか」 そうだといいな、と一夜は思った。レッドクイーンなんて、そこれそ謎が解けなかったら「死刑よ」とか言われそうで不安だったのだ。 「うん」 自分で言って、マリア自身もそうだったらいいなと思っていた。あまり怖い想像はしたくない。マリアも一夜と同じであった。だから、きっとそうだ、と自分に言い聞かせて。 「でも、負けたくない。だから一夜さんにも負けないからね」 「ああ、こっちもだ」 そう言って二人は別れた。光っていた場所は、明日一緒に見に行くという約束をして。 誰もが、この時はまだただの宝探しゲームぐらいにしか考えてはいなかった。 ■■針も糸も使わず刺繍された赤いバラ■■ 洋館から南へ100mほどの雑木林でそれは発見された。発見したのは一夜とマリアだった。 一本の楠にボウガンの矢で縫い止められるようにしてムジカが胸から赤い血を流して死んでいた。心臓には何かで深く抉られたような跡があり、確認する必要もないほどの致命傷、それは鋭い刃物でというよりも、鎌や斧のような乱雑な印象受ける傷跡だった。 鰍はあまりのそれに息を呑み何かに押されるように半歩よろめいた。仲間と呼ぶほど親しかったわけでもないが知らぬ者でもない。過去の記憶と相まって不安が増大する。 パシャリ、パシャリ。 何かが耳障りに鼓膜を叩いた。久秀が、しきりにカメラのシャッターを切る音だとはすぐにわかったが、わからなかった。何をしているのかはわかるが何故しているのかが一向に理解出来なかったのだ。自分ですらこんななのに、ムジカは久秀の相棒ではなかったのか。その相棒がこんな無惨な姿を晒しているのに、泣けとは言わないまでも、もっとこう動揺するとか…少なくとも淡々と写真を撮るなんて考えられなくて。その姿に鰍はどうしようもない憤りを感じて、鰍は絞り出すような声を吐き出した。。 「何を…している?」 「写真を撮っている」 「仲間がこんなことになってそれでもお前は!!」 鰍が久秀の胸ぐらを掴み上げた。それを馨が慌てて止めに入る。 「落ち着きなさい! 彼をこのままにしておくつもりか!?」 馨の言う彼――ムジカ。そうだ。警察が訪れることもないだろう、この島での殺人。現場保存しておく理由もない。彼をこのままにしておくのか? 「写真は撮り終えたかな?」 那智が久秀に声をかけた。 「ああ」 ぶっきらぼうに返して久秀はそっぽを向く。 「では」 那智は一夜を使ってムジカの遺体を木から降ろすと持ってきたシーツの上に寝かせた。冷たい体。脈も伝わってこない。だけどその顔は今にも動き出しそうなほどで。 「偽物が本物を越えることはないと思っておりました」 それを見下ろしながら文乃が呟いた。 「過去形なんだ?」 傍らにいた馨が文乃の顔をのぞき込む。 「わかりません」 文乃は曖昧に首を振った。 ムジカが何かを握っているのを見つけて真千流がそれを広げた。握っていたのは紙片のようだ。 「【涸れ井戸で喉を潤そうとして溺れたマリオネットを拾ったら宝に一歩近づくだろう】」 読み上げた真千流に一同が目を見開く。 「!?」 「それって…まさか、ムジカさんは…」 「【夜の帳に刺繍された赤いバラ】のようだね」 那智が言った。その言葉が一同の中に静かにしかしゆっくりと浸透していく。それを待ったのか更に那智が続ける。 「つまり、謎を解くために誰かがそれを実践した、ということかな?」 「なっ…!?」 何言ってるんだよ、と言おうとして久秀は結局言えなかった。その可能性を彼自身否定出来なかったからだ。 しかし、もしそうだとするなら、この中に殺人犯がいるということになってしまう。互いが互いを見返した。この中に…。 「憶測でものを言うのはやめた方がいい」 ジャンが静かに言った。 確かに、と那智は肩を竦める。しかし那智は止まらなかった。まるで不安を煽るように続ける。 「だが、可能性の一つとして挙げるなら、宝とやらに近づくには生け贄が必要ということかもしれない」 それは生け贄を捧げ、真相に迫るための情報を入手しろということなのか。 『生け贄って、ふざけんじゃねぇッス。何言ってんッスか』 虚ろな視線をムジカに投げるジャンの肩で、オウムのビアンカがギャーギャーと騒ぎだした。 「そういえば、2人はどうしてここへ?」 ふと思い出したように馨がマリアを振り返る。 「昨夜この辺りで何かが光ったのを見て…」 「うん。俺も一緒に」 それでここへ2人で朝一番に見に来たのだ。 「光ったって、何が?」 「わかりません」 だから見にきたのである。 「こう…一瞬ピカって…カメラのフラッシュみたいな?」 「カメラのフラッシュ?」 それに馨が久秀を振り返った。いや、馨だけではない。誰もが久秀を見ていた。彼の手にはカメラが握られているのだ。 「おい、まさか、あんたが!?」 だから平気なのか。こうやって淡々とシャッターが切れるのか。鰍が久秀を睨み付ける。 「夜撮ってたなら今、撮る必要ないだろ」 久秀はやれやれと息を吐いた。 「でも、夜はあまり綺麗に撮れなかったとか」 トオルが言った。久秀に不審の目を向けて。どうしようもなく自分の中で何かがガンガンと警鐘を鳴らしているのだ。こいつは境界線を踏み越えられる人間だと。 「いい加減にしろ。これでも俺はかなり怒ってるんだ!」 久秀はそれをトオルではなくムジカを睨みつけるようにして言った。 そこに馨が割ってはいる。 「落ち着きなさい。彼が犯人であるという証拠はない」 馨の言にトオルは不承不承引き下がった。 久秀は地面を蹴りつけて怒りを静めようとしている。 しかし、皆どこか腑に落ちないものを感じているように見えて、馨はやれやれと言葉を紡ぐ。 「もちろん、犯人ではないという証拠もないが…そうだなアリバイでもあるか?」 「さぁな」 久秀が吐き捨てる。 「そうか」 馨はそれだけで引き下がった。 「そうかって、それだけ?」 拍子抜けしたトオルに馨は不思議そうな顔を返す。 「それ以上何がある?」 「そりゃ…その時間に何をしていたのか、とか…」 「彼が殺された時間はわかっているのか?」 「え?」 「その光とやらが見えた時に、彼が殺された、とでも?」 「いや、それは…でも…」 「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。そんな曖昧なことに基づいて質問しても意味がない。それに彼はアリバイをあるともないとも言わず、さぁ、と答えた。そもそも光があったという時間を知らない証拠だろう」 「でも…」 トオルは言い募ろうとした。そもそも何故第一発見者はマリアと一夜なのか。同室の久秀はムジカがいなくなったことに気づかなかったのか。いないことを不審に思わなかったのか。全部が状況証拠でしかないことはわかっている。それでも。 そんなトオルに馨は少し相好を緩めて言った。 「私はこの紙片の謎を解く。うまく犯人より先回りする事が出来たら、次の殺人を止められるだけでなく、犯人も捕まえられるだろう。さて、君はどうする?」 馨の言葉に。 「わたしも謎を解きます!」 トオルが答えるより先にマリアが答えていた。 そうだ今の状況だけでダメならば動かぬ証拠をつきつければいい。最初は全然気乗りがしなかった。招待状に見なかった振りをした。鰍に誘われて、開き直った。宝探しゲーム。せっかくだから楽しもうと思っていた。今も気持ちを切り替えて開き直ってやる。ゲームは勝つものだ。 「ボクも」 トオルは答えた。 「では、競争だ」 馨が微笑んだ。 ■■涸れ井戸に溺れたマリオネット■■ 那智と一夜でムジカを館へ運んだ。雑木林にそのまま放置にしておくのも忍びない。レッドクイーンに尋ねると、今は使われていないワインセラーが地下にあるのでそこを使うといいと言ってくれた。二人でそこへ運ぶ。 「涸れ井戸で溺れるってどうやって溺れるんでしょうね」 一夜はよいしょとムジカの体をそこに置いて那智を振り返った。 「なんだ一夜君は気づいてないのか?」 「って、え? もしかして気づいているんですか?」 どうやって溺れるのか。 「教えてやっても構わないが、せっかくだから自分で考えてみたまえ」 那智がにこやかに言う。 「…うぐっ。相変わらずイヂワルですよね」 ◆◇◆ 「井戸ってここだけだよね?」 トオルは鰍とマリアと共に洋館の東側にある井戸に来ていた。直径1mくらいの井戸を覗くと中に水は見あたらない。正しく涸れた井戸だが、もちろんマリオネットらしいものも見あたらなかった。 「ここに人形を投げ込めば、次のヒントが出てくる…なんてことはないか」 トオルは舌を出す。 「どうやって溺れるんだろうね?」 マリアは首を傾げる。 「さぁ、な。水で溺れるとも限らないが」 鰍が言った。 「え? 水じゃなかったら何に溺れるんですか?」 「そりゃ、金に溺れるとかいろいろあるだろ?」 「ああ…」 マリアはなんだか残念そうに頷いた。 「溺れる以前に喉も潤せないよね」 トオルが釣瓶の縄を伝って空の桶を引き上げる。 「入ってみましょうか?」 マリアが言った。今にも飛び込みそうなマリアに思わず鰍が止めに入る。 「おい!」 「大丈夫ですよ。水はありませんから」 マリアはそう言って井戸の上に立とうとする。 「いやいや、そういう問題じゃなくてだな…梯子だ。梯子借りてこよう。それと懐中電灯」 「あ、そうですね」 そうして3人が梯子を借りに行こうと館へ向かいかけた時。 その背でドォォォンとか、ズゥゥゥンとか、バァァンとか、そんなような大きな音がして、3人は揃って足を止めた。驚いたように振り返る。 釣瓶の滑車がカラカラと乾いた音をたてているのに3人は顔を見合わせ、そして井戸の中を覗いた。 「……!?」 そこに人の背中が見えた。両手に釣瓶の縄が絡まって、まるで操り人形のように見える。 【涸れ井戸で溺れたマリオネット】 そんな言葉が脳裏をよぎった時、トオルはそれを見た。 「水だ…」 井戸の底からゆっくりと染み出すように現れた水。 「早く助けないと!」 トオルがマリアを振り返る。マリアは目の前で起こった出来事に自失状態なのかと思ったが違った。彼女の視線は井戸ではなくもっと上にあったのだ。 「あれ!」 そう言って彼女が指さしたのは屋上。 「黒い…影?」 先ほどまで空だった井戸。そこに突然大きな音を立てて現れた人。考えられる可能性。その人は落ちてきた。どこから? 人が落ちてきた音になのか館から何があったと走り出てきた者たちとは反対に、鰍は弾かれたように屋上に向けて駆けだしていた。 井戸に落ちた人を早く助けなきゃ。そう思いながらその衝動を止められなかった。 トオルとマリアが引き上げる。那智や一夜たちも出てきていた。大丈夫だ。自分に言い聞かせて鰍は2段飛ばしで階段を駆け上がった。 3階から更に屋上へ上がる階段に足を踏み出しかけた時、踊り場に人が立っていた。黒い喪服を着た女だ。 「あんたが…まさか…」 鰍は文乃を見上げた。ベールに隠れて彼女の表情は見えない。けれど鰍は直感的に文乃が微笑んだような気がした。理由はわからない。ただ鰍が固まっていると文乃はゆっくり階段を下り、鰍の隣に並ぶ。 鰍はそれを呆けたように見つめていた。何故ここに、聞きたいことがあるのに言葉も出せず。 「人は山を登り始めると、山の全景が見えなくなるものですのね」 文乃が囁いた。その意味も理解できないまま。 「文乃さん、ここにいましたか」 馨の声に我に返る。 「鰍もここにいたのか。井戸の中にジャンが落ちたらしい。行くぞ」 馨は落ちたのが文乃ではないことを確認して、その場に彼女がいないことを心配して彼女を探しにきたようだった。 「ジャン…」 あの物静かでシルクハットを被った男。あの背中は彼のものだったのか。鰍は文乃を見た。 文乃は馨と共に階段を下りていく。馨と組んだ女性。 疑いたくないのに疑ってしまう。いっそ、あそこから下りてきたのがあの久秀だったらよかった、なんて思ってしまうほど動揺していた。そんな事を考える自分に自己嫌悪しながら鰍は2人の後を追うようにして、再び井戸に戻ってきた。 それを見つけてトオルが駆けてくる。 井戸の傍らには毛布の上にジャンと彼が連れているオウムが寝かされていた。引き上げた時、既に脈はなかったという。一夜が心臓マッサージをしていた。 その傍らには真千流が祈るように膝をついている。 久秀がその周りでしきりにシャッターを切っていた。 目に映る光景がひどく遠い世界のもののように思えて。 「聞いてる? 井戸には水があって彼は溺れてたんだよ」 トオルの声にハッとした。 「水? だって涸れてたんじゃ…」 「それが水が突然染み出してきたんだ。一夜は満潮だから、とか言ってたけど」 「満潮? ああ、そうか」 鰍はなるほどと思った。ここは周囲を海に囲まれた絶海の孤島だ。井戸を掘れば海水が出てもおかしくない。ならば話は簡単だ。井戸の水が海水が染み出したものなら、潮が干けば井戸の水は涸れ、潮が満ちれば井戸に水が溢れる、というわけだ。しかし。 「溺れたのか?」 鰍は確認するように尋ねた。どう考えてもあの状況なら井戸への転落が死因になると思ったからだ。溺死するほど長い間水に顔を付けていたとは思えない。鰍がここから洋館の3階まで駆け上がって再び降りてくるまでの時間ですら高が知れているのだ。 「でも、水をたくさん飲んでるって…」 「…それで?」 鰍は先を促した。彼が溺れてたとするなら当然あるはずだ【溺れたマリオネットを拾ったら…】宝にもう一歩近づくための次のヒント、或いは殺人予告が。 「あったよ。【暖炉に薪をくべて氷の炎に焼かれたなら宝に一歩近づくだろう】」 「暖炉…」 鰍は記憶を反芻する。確か夕べ、レッドクイーンが自分たちを最初に案内した部屋にあった。レッドクイーンはその暖炉を背に自分たちに話したのだ。謎を解け、この島に隠された真相を暴け、と。 「調べてみるか」 「ああ」 ■■氷の炎に焼かれた…■■ 「あのぉ…」 一夜は遠慮がちに那智に声をかけた。 「何だね?」 那智が振り返る。 「最初が俺のシーツで、次が俺の毛布と枕カバーで…俺のベッドは随分寂しいことになってるんですけど」 遺体を包むのに使うのはいいのだが、いいことではあるのだが、あんなところに野ざらしになんかできるわけがない、当然のことなのだが、毎回自分のベッドから持ち出されることに、多少の疑問を禁じ得ない一夜なのであった。もう、これは那智の嫌がらせとしか思えない。そんなことまで考えてしまう一夜なのである。 もちろん、レッドクイーンに頼んで新しいものを用意してもらえば済む話しなのだが、一言言っておかねば。 すると那智からは意外な返事が返ってきた。 「そんなに不満なら、私のベッドを使いたまえ」 「え? いいんですか?」 思わず一夜は面食らう。そして不審そうに身構えた。 だが那智は「ああ」と頷く。 そして聞き取れないような声で呟いた。 「私にはもう必要ないものだからな」 「はい?」 何を言ったのかと一夜は聞き返したが那智は首を横に振って応えた。 「何でもない。それより一夜くんに頼みたいことがあるんだが」 「はい、なんですか?」 ビシッと敬礼して構える。 「暖炉に薪をくべたいのだが、薪がなくてね」 那智がにっこり微笑んだ。 ◆◇◆ 「なんで…俺が…こんな…ことを…」 小気味よく斧を振り下ろし一夜は薪を割った。慣れないことに腰が悲鳴をあげる。 「人使い荒いよな」 ぶつぶつと文句を垂れ流しながら一夜は薪をリビングへと運んだ。そこで薪をくべるというのが那智の頼みごととやらだったのだ。まさかここでこんな肉体労働が待っていたなんて。 「薪をくべるってことは、あれを実行するつもりなの?」 リビングで火を熾していると真千流が声をかけてきた。 「まさか…これから日が暮れるからじゃないかな?」 夕べもリビングに暖炉の火が点っていた。このリビングには他に暖房器具がない。 「そっか…そうだよね」 暖炉の前に屈んで炎に手を翳すようにして暖をとる真千流に一夜も並んで暖炉に手をかざした。穏やかな温もりがゆっくりと周囲を暖めていく。 「氷の炎ってなんだろうね」 真千流がポツンと言った。一夜もそれを考えていた。暖炉が点すのは暖かな炎だけだ。 「魔法とかでならありそうなフレーズだけど…」 考えてみれば、そんなのばかりだ。針と糸を使わないで刺繍するとか、涸れた井戸で喉を潤すとか。今度は暖炉に氷。だけど。厳密には刺繍ではなかったし、涸れた井戸は涸れてはいなかった。ならば氷の炎とは。 「私、絶対ジャンさんとビアンカを殺した犯人を見つけたい」 「犯人…か…」 真千流の言葉に一夜は那智の言葉を思い出す。 『さて一夜くん。ここで問題だ。殺人犯は宝に近づくために紙片に書かれたことを実行しているのか、それとも殺人犯が殺人予告をしているのか、さてどちらでしょう?』 もし前者であったなら、殺人犯は紙片を残す者に踊らされているだけだということで真犯人は紙片を残す者ということになるだろうか。そしてもしそうだとするなら、それが主催者か。後者なら…。 ただ、いずれにしてもわかっていることは一つ。自分は。 「絶対犯人を見つけてこんな事はやめさせないとな」 それをするだけだ。 うん、と真千流が頷く。そうして2人はしばらく2つの殺人と3枚の紙片の文句のことを話した。 と。 「一夜くん、まちるん」 背後から声がして振り返る。 「あれ、マリア? どうしたんだ?」 「今、キッチンの一番奥の貯蔵庫のランプが緑から紫に変わったの」 マリアが言った。 「キッチンの一番奥?」 唐突な話しに2人は要領を得なくて首を傾げる。するとマリアが説明を始めた。 「わたしたち、暖炉を調べてて、よく考えたらこの暖炉には煙突がないの」 「え? あれ? そういえば…」 館の全景を思い出してみる。確かにそれらしいものはなかった。 「それでね、じゃぁ、排気はどうなってるのかなって、いろいろ辿ってみたら…」 マリアが言うにはこうだった。 暖炉の上はキッチンになっている。どうやら暖炉の熱気は調理場に向かっているらしい。暖炉の煙はキッチンにある換気扇から排気されていたらしい。だが、どうやらそれだけではなさそうだ、とマリアたちは思ったらしい。 キッチンなら一夜も昨夜と今朝と昼と使わせてもらった。なんと言ってもここでの食事は用意してくれる者もないので自炊だったからだ。と言っても、今朝と昼はとてもゆっくり食べるような余裕はなかったから、おにぎりを握っただけだったが。 調理場には、確か巨大な冷蔵庫と冷凍庫と、それから人が2人くらい入れそうな大きな食糧庫が3つ並んでいて11人でも1ヶ月分くらいは軽く足りる食糧が詰まっていた。食糧庫は冷蔵庫や冷凍庫と同じつくりで、ただランプの色がそれぞれ、青と紫と緑になっていたから、スイッチで切り替えれば、簡単に冷蔵庫や冷凍庫に出来るのだろう。 その3つあった食糧庫の内の1つが突然、緑から紫に変わったということらしい。誰も食糧庫には触れていなかったという。それが紫に変わったとはどういうことなのか。 それで今度は食糧庫の周囲を徹底的に調べることにしたのだという。そして。 「もしかして、と思って確認にきたの」 マリアが言った。熱といえば蒸気機関が思いつく。何かの装置が暖炉の排気口とその食糧庫に繋がっていたから。 一夜は何か言いようのない不安にかられて立ち上がった。 「それで食糧庫は?」 「それが…何故か鍵がかかってて、今鰍さんが…」 一夜は目を見開く。昼にキッチンを使ったときは普通に開いた。中にはたくさんのオートミールの袋が詰まっていたように記憶する。昨夜はどうだった? 昨夜も暖炉に火は点っていた。食糧庫のランプの色は? 刹那、血の気がサーッと音を立てて引いていくのを感じた。 「行こう!」 一夜はマリアと真千流と共に2階へ急いだ。記憶が確かなら、昨夜、一番奥の食糧庫は食糧庫ではなく冷凍庫ではなかったか? 薪をくべてからどれくらいの時間が経った? 10分? 30分? 1時間? キッチンに飛び込む。そこには鰍とトオルがいた。マリアの言うとおり一番奥の食糧庫のランプが紫色に光っている。観音開きの扉は開かれ凍えそうな白い冷気を放っていた。 扉の影になって中は見えない。一夜は恐る恐る調理台を避けて食糧庫の正面に立った。 「!?」 那智の言葉が脳裏をよぎった。聞き取れないほどの呟きだったから聞き流してしまった。「もう、私には必要ない」確かに彼はそう言ったのだ。聞き間違いなどではなく。 一夜の後ろから中を覗いた真千流とマリアが息を詰めるように口元を手で覆った。 「わかってたんですね…こうなること…もうとっくに謎は解けてたなら…なんで教えてくれなかったんですかっ!!」 怒りも露わに一夜はその胸ぐらを掴みあげた。冷たくて、どうしようもなくそれは冷たくて、彼の手足がまるで火傷のような凍傷を起こしているのがわかった。【氷に焼かれたなら】 一夜の絶叫に異変に気づいた他の者たちもキッチンへ駆けつける。 「冗談だろ…」 そんな呟きをこぼして久秀は淡々とシャッターを切り始めた。 一夜は那智の体を包むために自分の上着をかけて、その体を冷凍庫と化した食糧庫から出した。 「お待ちになって」 それを文乃が止める。 「文乃さん?」 馨が訝しげに文乃の顔をのぞき込んだ。 「どうして食糧庫は冷凍庫に切り替わったのかしら?」 彼女も今朝か昼かに見ていたのだろう、そこには緑色のランプが点っていたのを。 鰍とトオルは首を傾げながらマリアを見た。先ほどマリアは暖炉を確認しにいくと言ってキッチンを離れ、一夜と真千流を連れて戻ってきたのだ。 「それは…」 マリアは視線を泳がせた。暖炉に火を点したから食糧庫が冷凍庫になったという確証はまだどこにもない。どこにもないはずだった。 けれど誰よりも、一夜自身がそれを確信してしまったようだった。 「お…れ…?」 誰よりも驚いた顔をして、誰よりも蒼白な顔で。 「彼は那智さんに頼まれただけです」 真千流の弁明に馨が眉を寄せる。暖炉の経緯を知らない馨はその言葉を単純に、食糧庫を冷凍庫に切り替えるように頼まれたと解釈したようだった。 それに慌てて真千流は暖炉とキッチンの関係を説明する。 「では、彼は自殺をしたとでも?」 馨の問いに鰍が首を振った。 「それはないと思う。中からかけられる鍵じゃなかったし」 中に閉じこめられて鍵をかけられた、ということだ。 「でも…暖炉に薪をくべなかったら、彼は死ななかったかもしれないということですね」 文乃はそうして未だ放心している一夜を見た。 「!? 全部推論です」 真千流が庇う。 「それもそうね」 文乃はあっさり引き下がった。 「ちょっと待てよ」 それを鰍が呼び止める。 「何でしょう?」 「ジャンが井戸に落ちたとき、あんたは屋上で何をしていた?」 「何も」 文乃が答える。何もしていない、と。 「何が言いたい?」 文乃を庇うように前に出たのは馨だった。 「……」 「推測で話をするのはお互いやめましょう」 文乃はそうして鰍に背を向けた。 「少し冷静になった方がいい」 馨は鰍をそう諭して文乃と共にキッチンを出ていった。 鰍は忌々しげに調理台を蹴り付ける。 「探偵が推理して何が悪いんだ!」 ◆◇◆ 「ジャンさんが言ってたの。推理や仮定は無意味だって」 真千流はソファに座ってぽつりと呟いた。 同室のマリアがカップに紅茶を注いで真千流の前にそっと置く。同じものを自分の前にも置いて、マリアは真千流の隣に座った。 朝からいろんなことがあり過ぎて頭が混乱状態だ。それから、3つの殺人事件は今日たった1日の間に全部起こったのか、と気づいて半ば呆れてしまう。犯人は一体何を考えているのだろう。1歩づつ近づいているらしい宝とは何なのか。この島の謎の真相…。 あの後、トオルと鰍は那智を地下に運んでいった。一夜は自分が引き金を引いてしまったことが余程ショックだったのか放心したまま那智の傍から離れず、そのまま地下に残っているらしい。 マリアは紅茶を一口啜って喉を潤すとようやく人心地ついた気分で尋ねた。 「無意味ってどういうこと?」 「推理はあくまで推理であって、それは可能性の一つでしかないってことだと思う」 「でも、そこから捜査を進めて、証拠を集めて…」 「逆だよ。証拠を集めて捜査を重ねてから推理をしないと視野が狭くなってしまう。たとえば、この人が犯人って思いこんでしまったら、無意識にその人が犯人だと示す証拠ばかりを探して、そういうものにしか目がいかなくなる」 「ああ、そういうの、ちょっとわかるかも」 思いこんだらまっしぐら。それが実は全然違ってた、なんてことは、マリアには耳に痛い話だった。もしかして自分は探偵に向いてないのかもしれない。そんな気分になってくる。 真千流がカップを取った。琥珀色の水面で波打つ照明のきらめきをしばらくぼんやり見つめて、彼女は続けた。 「情報を集め分析し、それに証拠や証言から導き出される事実を積み重ねて推理する。でも、それはねその時点で推理ではなくなるの。だってそれは真実だから」 真千流はいたずらっぽく笑って、紅茶を啜った。 「……」 マリアも紅茶を喉の奥へと流し込む。 「探偵は推理するのが仕事ではなく、真実を見つけだすのが仕事なのかな、って少し思ったの」 「そっか、なるほど」 情報を集めて分析、か。 マリアは納得したように頷いた。確かにそういうものなのかもしれない。 だが、その一方でマリアはだけど、とも思っていた。 マリアはテーブルの上に一枚の紙片を置く。那智が握っていたものだ。 【鍵のない鍵のかかった扉の向こうでいたずら好きの妖精たちを見つけたら宝に一歩近づくだろう】 情報は結局これだけしかないのだ。 そして自分はやっぱり仮定から虱潰しに可能性を潰していくしか出来ない人間なのだろうと思う。その推理が真実からほど遠いものであったとしても、確認せずにはいられない。 だけど、結局行き着くところは同じはずだ。 推理を重ねようが、証拠を重ねようが。 たどり着く先が真実なら、方法はなんだっていいじゃないか。 ■■いたずら好きの妖精たち■■ 「推理は無駄ってまちるんは言ったけど、わたし、鍵のかかった鍵のない扉に心当たりがあるんだ」 深夜、洋館を2人で見回りしながらマリアはトオルに言った。 「え?」 「最初の日、館の見取り図を作った時にね、鍵のかかった部屋があって、レッドクイーンさんに聞いたんだけど、鍵はないって言われたの」 「それならムジカに頼めば…」 「うん。まさかこんなことになるなんてあの時は思わなかったからずっと忘れてたんだよね。でも、たった今、思い出したの」 「今?」 「うん。ここだから」 マリアはそうして目の前の扉を指差した。 ◆◇◇◆ ドンドンドンとドアを激しく叩く音がして、そろそろ就寝を考えていた馨は怪訝に顔をしかめながら、何事かと扉を開いた。 「どうしたんだ?」 「マリアとトオル、見なかった?」 「さぁ?」 馨は首を傾げる。夕食の後は部屋にこもっていたので見かけようもなかった。 「約束の時間になっても、戻ってこなくて。俺も館を一周してみたんだけど…」 切迫したような口調で鰍は首を振った。2人は見あたらなかったのだろう。 「まさか外に…」 言いかけて馨は人の気配にそちらを振り返った。隣の部屋のドアが開いて文乃が訝しげにこちらを見ている。鰍が激しくドアを叩く音に彼女も気になって出てきたのだろう。 3人で2人を探しにいくことにした。 3階のマリアの部屋を覗くと、そこには同室の真千流しかいなかった。真千流も心配だと捜索に加わったので、2人づつ2手に別れることにした。 鰍と真千流は3階を捜索する。 階段を挟んで隣は鰍とトオルの部屋だ。奥が那智と一夜の部屋で、鍵は開いていたが誰もいなかった。まだ、地下に運んだ那智の遺体のそばにでもいるのだろうか。地下には声をかけただけで覗いたわけではなかったからわからない。その部屋の隣にムジカと久秀の部屋がある。ノックをしてみたがもう眠ってしまっているのか、誰も出てこなかった。鍵もかかっていて中には入れない。 仕方なく2人は下へ下りた。 踊り場で2階を捜索した馨と文乃と合流する。馨は首を横に振った。いなかったのだろう、そうして4人は1階へと下りた。 エントランスにもリビングにもサロンにも見あたらない。 「やっぱり、外か?」 と話していると、真千流が階段のちょうど裏手に扉を見つけた。【鍵のない鍵のかかった扉】 「まさか…」 そもそもそんな部屋にマリアたちが入れるわけがない。鍵がかかっているのだから。だが、予感めいたものが鰍らを支配した。調べていないのは、この部屋と久秀の部屋ぐらいで、残るは外だけなのだ。骨折り損になるかもしれない。むしろなってくれ。そんな気持ちで鰍はキーピックを取り出しドアの前に膝をついた。静まり返ったエントランスで、扉に耳をくっつけるようにして逃すまいとその音を聞き分ける。数ミリ単位以下の攻防。じわりと彼の額に汗がにじむ。季節はまだ冬だというのに。 やがてカチャリとそれは音をたてた。4人は顔を見合わせる。 扉を開いたのは馨だった。 中には部屋があると思っていたがそこには石造りの地下に降りる階段があるだけだった。懐中電灯で照らす。中は真っ暗だ。 「私が先に行こう」 そうして馨が先頭に立った。それに文乃と真千流の順で続き、最後に鰍が続く。地下1階分。15段ほど下りると細い通路があった。通路の奥に鉄製の重たそうな扉がある。 鍵はかかっていないようで、力を入れるとゆっくり動き出した。ギギギと嫌な音を立てて開く。 暗闇を照らす懐中電灯の明かりを部屋の奥へと向けた。拷問道具が並ぶ部屋。 「トオ…ル?」 それは、確かにトオルの頭だった。ただ…。 真千流が小さな悲鳴をあげた。懐中電灯の光がそれを照らし出す。 「!?」 ギロチンに首をはねられたトオルの胴体。 確認するまでもない。これで彼が生きてたら奇跡だ。 「あれを…」 この状況においても、彼女の声はいつもと変わらなかった。文乃が懐中電灯で照らした先にアイアンメイデン。足下の血溜まりに鰍は震える手でそれを開いた。 「マリアンヌ…!?」 真千流はそう呟いて腰砕けたように座り込んだ。 鰍は呼吸の仕方を忘れて、何度も何度も息を吸い込んだ。 過呼吸を始めた鰍に馨が声をかけようとした時。 まるでそれを確認するように文乃が聞いた。 「ここに入れるのは、鰍さまだけですかしら?」 その瞬間、何かがはずれたように、それは堰を切ったように溢れだした。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 ◆◇◆ 少し時間を遡る。 久秀は机に写真を並べていた。 殺人現場の写真をプリントアウトしたものだ。 ムジカの写真。 ムジカにカメラを向けた時、久秀は自分の中にある狂気を思い出した。こういう傷跡を何度も見たことがある。自分のギアがそれなのも、そいうことなのだろう。高ぶりそうになる狂気を押し隠しながら、あの時久秀は淡々と相棒とやらの死体の写真を撮り続けたのだ。 もし彼が生きていて、あそこに吊されていたのが別の誰かだったなら、もしかしたら自分は彼を少なからず疑ったかもしれない。 ムジカとは、それくらいの、関係だ。 友と呼ぶにはくすぐったくて、仲間と呼ぶには心苦しくて。 ムジカの死体を見つけた時の自分の中に芽生えた憤りは、確かに彼を殺されたことに対する怒りではあったけれど、それはたぶん、自分ではなく、他の誰かであったことに対する嫉妬だったように思う。 それくらいの、関係だ。 たぶん。 久秀はトラベラーズノートを開いた。そこにムジカの最後のエアメールがある。『悪い、今夜は部屋に戻らないから先に寝てて』。戻らないから、ではなく、戻れないから、だったのか。それを他の者たちに見せなかったのは、自分が疑われることなんてどうでもよかったからだ。それよりも、自分がムジカを殺した犯人を見つけたかった。 久秀はそうして現像したばかりの彼の写真を食い入るように眺めた。絶対に見落とさない。 そして一つの事実に気づく。 「まさか…」 いや、事実などではない。真実というやつだ。 久秀はそこにジャンと那智の写真を並べる。 「そういうことか…」 そしてため息を吐く。 彼は机の上の写真を本に挟んでおもむろに立ち上がった。 「来ると思ってた」 それは誰に向けられたものか。 彼の背後にいつの間に現れたのか人影があった。 「なんだ、バレてたのか」 陽気な声が返ってくる。 「たった今、気づいたところだ」 久秀はゆっくり振り返った。負け惜しみでもなんでなく、事実だった。 「迎えにきたよ」 男は笑みをこぼして手を差し出した。 「ああ、どこへでも連れていけばいいさ…」 その直後、彼らの部屋のドアを強くノックする音が聞こえたが、それに答えられる者はもうこの部屋にはいなかった。 ◆◇◆ 一夜はずっと那智の言葉を考えていた。 彼は最初にこう言ったのだ。宝に近づくためには生け贄が必要だ、と。 馨の言葉が過ぎった。自殺だったのか、と。 何故、那智は自分に薪をくべさせたのか。彼は知っていた。自分が次に死ぬことを。 一夜は第一の事件現場に立っていた。 そもそも、ここでムジカは何をしていたのだろう。夜の帳に針も糸も使わず赤いバラを刺繍する方法でも考えていたのだろうか。 次に井戸へと歩いた。 落ちてきたジャンをトオルたちはすぐに引き上げている。にもかかわらず大量の水を飲んで溺死だ。落ちる前に既に溺死していたと考えた方がしっくりくる。 ならば彼はどこから落ちた? 屋上から? 直径1mほどの井戸の中に? 放り込むなんて無理じゃないのか? 自分から落ちたとしても、そんなにうまく入れるだろうか。一夜は屋上から順に視線を落とした。 屋上からではなくもっと下の階からだとしたら。 一夜はその窓を見上げて駆けだした。井戸から真正面のあの部屋は確か。2階のその部屋のドアを開ける。人はいない。一夜はそのまま部屋の奥の窓を開いた。井戸はすぐ目の前だ。窓の欄干に何かの傷を見つける。最近出来たもののようだ。何か細い糸のようなもので擦ったような。 と、その時、かすかな声が聞こえてきた。それが鰍の絶叫だと気づくのに、そう時間はかからなかった。 鰍が息も荒々しくこちらへ向かってきたからだ。いや、そのまま彼は3階に上がっていった。それを馨と真千流が追いかける。その後に文乃が続いていた。 何事だろうと一夜も後を追いかける。 「どうしたんですか?」 一夜が声をかけると馨は君も鰍を止めてくれ、とばかりに手招きした。 「マリアンヌとトオルさんが…」 顔を真っ白にして真千流が話す。一夜は鰍の荒れように得心がいった。 「落ち着いてください」 「うるせぇ!!」 鰍は鍵のかかったその部屋の扉を蹴破った。 「カメラ野郎、いるんだろ!!」 ずかずかと鰍が入っていく。 それを追っかけた一夜だったが、突然足を止めた鰍の背中にしたたか顔をぶつけてもんどりうった。その拍子に机に背中をしたたかぶつけて、机の上の本を落としてしまう。 「急に止まらないでくださいよ…」 と言いつつ、鰍の目の前にある光景を目の当たりにしてそれ以上の言葉を失った。 「まさか…」 「大丈夫か?」 馨が一夜に声をかける。 「あ、はい」 と立ち上がる一夜とは反対に、馨は屈んで、そこに散らばった写真を拾い上げた。 ムジカとジャンと那智の写真だ。 「あ…」 落として散らかしたのは自分である。慌てて一夜もそれを拾おうとした時。 「鰍、犯人がわかったよ」 馨が言った。 「え?」 「さて、さっそく会いに行くとしようか」 馨はそう言って一同に笑みを向けた。文乃と鰍と真千流と一夜。 生存者は全てここにいる。 では、犯人とは。 ■■白の逆襲■■ 馨が向かったのは、地下のかつてワインセラーだった場所。今は死体安置室になっている。 そこには3つの遺体があるはずだった。 「さぁ、話してもらえるかな、那智くん」 と、馨は遺体の一つに向けて声をかけた。 「バレましたか」 死体のはずの那智が起きあがる。 「やっぱり…」 一夜は安堵と、してやられた悔しさに膝をついた。 「や…やっぱり? どういうことだ!?」 鰍は死んだと思っていた人々が次々に立ち上がるのに面食らっている。 「文乃さんは最初に気づいてたんですねぇ」 馨はやれやれと息を吐いた。あの時文乃はこう言ったのだ。「偽物が本物を越えるとは」死体に使われた体は間違いなく本物。しかし死体としては偽物。偽物だが本物だから本物を越えている…かもしれない。 そうして馨は久秀の撮った写真をそこに並べておいた。 ムジカの写真だ。よく目をこらせば、ほんの少しだけ、腕の位置が変わっているのがわかっただろうか。よく目を凝らしても気づくのは難しいくらいの差。 「ああ…、やっぱりそれでバレたんだ」 ムジカが舌を出す。 「あれほど念入りに場を繕ったのに」 那智はやれやれと息を吐いた。 「だって…」 ほぼ一晩中、あそこであの格好のまま、誰かに発見されるのを待ってたのだから、少しくらいは許してほしい。 ◇◆◆◆◇ 「おめでとう、君が最初の犠牲者だ」 雑木林を探索していた時、突然そう声をかけられた。 「はい?」 あまりに明るい声だったのでムジカはその意味を理解し損ねた。 「ここで死んでもらう」 那智はナイフを手にそう言った。満面の笑顔で。だけど言いようのない殺気を纏って。 本気か、と思ったが、それはその殺気が本気だと答えてくれていた。ただ、どうしようもなく不釣り合いな彼の口調にムジカは錯乱することなく自分を保つことが出来た。 「……どうやって?」 尋ねるムジカに。 「これで」 答えた那智はおもむろにムジカの口を塞いだ。何かが口に入れられる。飲み込むまいと足掻いたが、そこに水を足され口と鼻を塞がれると飲み込むほかなかった。 「毒?」 「いや、毒ではない。体の内部に作用するものを薬と称するなら薬でもないな」 そして那智は仰向けに転がるムジカの上に馬乗りになると持っていたナイフを彼の胸に突き刺した。何度も何度も楽しそうに。 その殺気にあてられてムジカは半ば意識を手放していた。自分は間違いなくここで殺される。 だけど、何故だか不思議なことに痛みは感じられなかった。死も訪れなかった。 目を開くと自分は相変わらずまだ生きていた。 胸元はぐちゃぐちゃなのに。だけど血は出ていない。 呆気にとられていると那智が言った。 「さっき飲ませたのは次元カプセルだ」 「次元カプセル?」 聞き慣れない言葉をムジカはオウム返す。 「簡単に言えば、次元皮膜で全身を覆うものだ。これを服用すると、切り刻んでも3次元的には離れているように見えるが、他次元的につながっているため死なない。更に、皮膜で覆われることによって、他者が触れたら冷たいし、脈も取れない。元は医療用に開発されたものらしい」 切り刻んだ断面図はCTやレントゲンより鮮明だからということだ。 「ただ、血が出ないというのが玉にきずでね。まぁ、それにはちゃんと血糊を用意してあるから安心してくれたまえ」 楽しそうに言ってのける那智に、ムジカは大きなため息を吐いた。 「つまり、俺に死体のフリをしろってこと?」 「まぁ、簡単に言うとそういうことだ」 「ちぇー、せっかく探偵に選んでもらえたと喜んでたのに」 ムジカはがっかりする。ミステリーが好きで喜々として参加したというのに、謎を解くどころか調査の一つもしないで退場とは。 「ミステリーを作る側というのも楽しいのではないか?」 那智が言った。 「……なるほど」 そういう側面もあるのか。想像してみる。自分の作り出した謎に奔走する探偵たち。謎を暴けば彼らの勝ち、暴けなければ自分たちの勝ち。 暴けなければ殺人劇は続く。オセロゲームのように白は黒くなっていく。 「じゃぁ、たっぷり凝らないとな…あ、由良が犯人だって疑われるようにしよう」 ムジカは提案した。 「彼が?」 と聞き返しつつ那智の顔は乗り気のそれだ。那智も久秀には興味があるらしい。相棒を殺された彼がどんな反応を示すのか。 「だったら凶器はナイフじゃない方がいいな。あ、後、あいつすぐカメラ撮るから、フラッシュたいちゃってさ」 かくて那智に斧とボウガンを用意させてムジカは木に張り付けになった。自分の胸に血糊を置いて、血糊の袋ごと胸を抉ってもらう。抉られても痛くはないし、半分に分かれても心臓は普通にドクドクと動き続けていた。ちょっと気持ち悪いなと思いながら見下ろしている。 飛び散る血糊。口の端からも滴らせて。 「こんな感じ?」 「頭はこう…ダラン、と」 那智がして見せるのを真似てみる。 「どうだ?」 「今、写真撮るから」 そう言って那智は写真を撮ってその映像をムジカに見せた。 「ああ、なるほど。じゃぁ、腕もこんな感じで」 少し体勢を入れ替えて脱力してみせる。 「いいね」 と那智はまたパシャリ。 そうやって微調整を加えながらようやくそれは完成した。文乃に本物を越えられるかも、なんて褒めてもらった殺人現場が。 「ところで一つ聞いてもいい?」 ムジカが尋ねた。 「なんだい?」 那智がムジカを見上げる。 「なんで俺が最初だったの?」 「ああ、あみだくじだ」 那智が答えた。冗談とも本気ともわからぬ声だ。本当はそこをムジカがたまたま歩いていた、とかそんな理由かもしれない。 「そのあみだくじってさ、あんたの名前もあるの?」 ムジカは聞いてみた。 「一つじゃなかったのか?」 「いいじゃん」 教えてくれよと促すと那智はいい笑顔で応えた。 「もちろんある。既に趣向も考えてある。彼がどんな顔をするか今からとても楽しみだ。だから、間違ってもここで失敗しないでくれたまえ」 「ああ、もちろん」 その後、もう一つ聞いておかねばならないことを思い出したが、ムジカは結局聞き逃してしまった。切られた体はちゃんと元に戻るんだろうな、と。 ◇◆◇ 「でも、本当、マジで由良の奴、顔色一つ変えないで写真撮ってたよな」 ムジカがその時の事を思い出すようにしてちょっと悔しそうに言うと、ドアの方から呆れたような声が返ってきた。 「悪かったな。俺とあんたはそういう関係だと思ってた」 いつの間に訪れたのか、そこに殺されていたはずの久秀が立っている。 「でも、怒ってくれたんだ?」 「知るか。ってか、俺を填めるつもりだったのかよ」 でも、その気持ちはわからなくもない。たぶん自分も、同じ立場だったらそういうことを考えたような気がするから。 「いい感じだと思ったんだけどなぁ…」 ムジカは肩を竦めてみせた。ムジカらしいと言えばムジカらしい。 そんな2人のやり取りを暫し見つめていた馨が那智に向き直って話を戻した。 「…次がこれだ」 馨が出したのは久秀が撮ったジャンの写真である。 「それが?」 「井戸に落ちて、擦り傷らしいものはあるのに、出血がみられない」 「ああ…次元皮膜のせいだな」 ◇◆◇ ジャンが部屋で紙片の文句とにらめっこをしている時、そこに殺気を纏った那智が立っていた。手には水の入ったペットボトルを持っている。 「何の用だ?」 内心でその可能性に気づきながらジャンは静かに尋ねた。 「第2の生け贄に決定した」 那智がにこやかに応える。 『明るく言ってんじゃねぇッス!』 ジャンの傍らにいたオウムのビアンカがしゃがれた声で騒ぎ出す。 『鳥だからって生け贄に持ってこいなんて考えてんじゃないッスよね!?』 ビアンカが言うと那智はとぼけたように首を傾げてみせた。 「オウムの焼き鳥とは美味しいのかね?」 「さぁな」 ジャンが何の感情も映さない無表情のまま答える。興味もないらしい。 『怖いこと考えてんじゃねぇッス、この鳥殺し! オレッチをなめんなッス!』 ビアンカが金切り声をあげた。それを無視してジャンが尋ねる。 「俺にどうしろと?」 「井戸で溺れるマリオネットになってもらう」 「……」 ジャンはそれに別段抵抗を見せなかった。自分が死なないことを知っているか、なのか、それとも感情がないから、なのか。那智はムジカの時と同様にカプセルを飲ませる。 「残念だが、俺に薬や毒の類は効かない」 「うん、大丈夫。これは薬でも毒でもないから」 那智はそうしてやはりムジカに説明したように話した。 「……」 『本気ッスか?』 と聞いたのはビアンカだ。 那智は頷く。 ジャンは「一度死んでみるのも一興だな」と答えた。 「大丈夫。水を蓄える袋の役割もしてくれるから」 那智はそうしてペットボトルの水を有無も言わせずジャンとビアンカの体の中に流し込んだ。 ジャンとビアンカを溺死させて那智は「後は任せたよ」と立ち去る。あまり長い時間姿を見せないと一夜に心配されてしまうから、とかなんとか。 だからぐったりしたジャンの体を井戸にワイヤーを使って投げ入れたのはムジカであった。 ◇◆◆◇ 「本当は2階から投げ入れるつもりではなかったのだろう、ただ満潮の時間に人がいたからだ」 馨が言った。 「確かにそうだが、一応人がいるのは想定内でもあったよ」 紙片の文句に井戸と書いてあれば、皆の目が井戸に向かうのは当然だった。 「そしてそれを文乃さんに見られた」 馨の言葉に鰍がハッとして文乃を振り返る。そういうことか。井戸のそばにいた自分にはそれを見ることは出来なかったが、井戸と井戸の周囲にまで目を配ることの出来た屋上ならそれは見えたのだ。 つまりあの時の文乃の言葉は、視野の狭い自分を揶揄する言葉だったというわけだ。人は山を登り始めると、山の全景が見えなくなるものですのね。 「…なんで、何も、なんて誤魔化したんだよ」 鰍はほんのり頬を膨らませて拗ねたように文乃に言った。 「私は何も見ておりませんわ。屋上に立った時既に彼は井戸の中に落ちていましたもの」 「……」 2人のやり取りに肩を竦めて馨が続ける。 「そして、最後がこの写真」 それは那智の写真だった。 「その写真にも何か?」 那智が興味顔で尋ねる。自分こそ最も完璧な演技であったはずだ、とそんな顔だった。 「そう、この主催者がムジカくんでもジャンくんでもなく貴方だと、もっと早く気づくべきだった」 馨はその写真を見下ろしている。 「どうして私だと?」 那智はその先を促した。 「この3つ目は、前の2つと決定的な違いがある。それは、前の2つには殺した「犯人」がいるのに対し、これだけは、何も知らない一夜くんに引き金を引かせているということだ」 「…それが?」 その理由はきっといくつもあったろう、しかし馨が答えたのは。 「見たかったんだろ? 自分が引き金を引いたと気づいた時の彼の顔」 馨は顔をあげて那智の顔を見た。にやりと笑う馨に那智はにっこり笑みを返す。 「うわっ、サイテー」 久秀が棒読みチックに突っ込んだ。 「否定はしませんけど」 「してやれよ」 「いいですよ。いつものことですから」 一夜が盛大なため息を吐く。 那智はどこか観念したように言った。 「それに最初に気づいたのがマリアくんでした」 「え?」 鰍が驚いたように那智を見る。いや、鰍だけではない、一夜も久秀も真千流も文乃も、馨でさえもそこまでは考えてなかったようで、那智の顔を見返していた。 「いや、気づいたというには語弊があるか」 「どういう…ことだ?」 鰍が尋ねた。 「彼女は、一夜くんが引き金を引いていないことを証明するためにあの後徹底的にあの食糧庫を調べてたんですよ」 「…マリアンヌが?」 真千流の問いに頷いて那智は続けた。 「そしてそこで彼女は見つけた。鍵のない鍵のかかった扉の鍵を」 「え…?」 「その扉の存在を忘れていたのは本当だろう。ただ、トオルくんと館の探索に出かけた時に、思い出したのはたまたまなどではなかったということだ」 「そうなんです。“いたずら好きの妖精たち”にはどうしても2人以上が必要だったから」 入口の方から聞こえてくる声を鰍と真千流は驚いたように振り返った。 「いたずら好きの妖精でーす」 「悪い…」 そこに、満面の笑顔のマリアと申し訳なさそうに頭をさげたトオルが立っていた。 「……」 ◇◆◆◇ 「この先に、きっと答えがあるはずなの」 そう言ってマリアはトオルと共に鍵のかかった鍵のない扉の奥にあるあの拷問部屋へ入った。 果たしてそこで待っていたのが那智である。 那智が死んでいない。それだけで満足したマリアはそれ以上追求しなかった。一夜が殺してない。それだけが証明できればそれでよかったのだ。 その証明の代償が、いたずら好きの妖精を演じること。 しかし那智から渡された次元カプセルにマリアはむしろ心を躍らせた。 「わー、これ、面白ーい! 全然痛くなーい!」 カプセルを飲んでさっそくマリアは自分の体を切ってみせた。何事にも物怖じしないどころか、那智の言葉を疑ったりもしない。那智に事情を聞くようなこともしなかった。 「あんまり刻むと、ジグゾーパズル並に戻すのが大変になるぞ」 那智が釘を指す。 「あわわ、それは困る」 慌ててマリアは切り刻むのをやめた。 「ピースがなくなったら洒落にならん」 「確かにそれは困るな」 トオルはそれを呆れて見ている。しかし、カプセルの威力は本物のようだ。 「わたしの体の切断面ってこんな風になってるんだ……見て見て、心臓、ドクドク動いてる」 胸を開いて見せながらマリアが言った。いたずら好きの妖精に何ともふさわしい。 「いや、えっと……いいよ、見せなくて……」 トオルは後退る。 「そろそろ戻らないと一夜くんにバレてしまうんだが…」 那智が言った。一夜はずっと那智の傍から離れようとしなかった。あの地下室でずっとついてられた時はどうしようかと本気で慌てた那智である。 ようやく離れてくれて、その隙に出てきたのだ。しかしいつ戻ってくるかと思うと気が気でなかった。 「はーい」 マリアは元気よく返事をして、最初から決めていたらしいそれの前に立った。 「わたし、アイアンメイデンに入るね」 そうして蓋をあけるマリアを見ながらトオルが言った。 「じゃぁ、ボクはギロチンで」 そうしてトオルは首だけになった頭で一つの疑問をマリアに投げた。 「でも、どうして鰍じゃなくボクだったんだ?」 するとアイアンメイデンの中からくぐもった声が聞こえてくる。 「鰍さんはピッキングが出来るから。わたしの手に鍵がまわってきたのは運命だと思ったの」 鍵を必要としない人間に鍵は必要ない。それは推理でも推測でもないマリアの直感だった。 「……」 ◇◇◇◇◇◇ この2人に関しては、どこまでも軽いノリで事が行われた。いたずら好きの妖精にふさわしい2人だったかもしれない。 2人の元気な姿に鰍は安堵の息を吐いて気が抜けたように座り込んだ。 「何だよ…誰も死んでなかったのかよ」 那智には呆れるばかりだが、狂言でよかったと鰍は心底思う。 「死んでなくて悪かったな。いろいろ疑ってくれてたようだが」 久秀が言った。 「あ、いや、それは…」 疑ったというか。マリアとトオルを見て、反射的にその場にいない久秀が真っ先に脳裏に浮かんでしまったからだった。犯人だと直感的に思ったわけじゃない。ただ、ここにいないことが気に入らなかった。不審に思えた。写真を撮るんじゃなかったのかよ、なんて半ば八つ当たり気味で。あまりの出来事に頭がちゃんと働いていなかったのだ。 それで暴走してしまった。 「…すみません」 鰍は頭を下げる。 「どうしてこんな事を?」 馨が那智に尋ねた。 「ただの暇つぶし」 那智は飄々と答える。 「暇つぶしぃ!?」 鰍が食ってかかった。たぶん、自分が一番踊らされた、気がする。いや、一番の被害者は一夜のような気がしなくもないが。 「面白いものが手に入ったから使ってみたくて」 「次元カプセルか…」 久秀はため息を吐く。確かにそんなもの手に入れてしまったら使ってみたくなるかもしれない。たとえそれが偽物の殺人であっても。 「うん、そう」 那智は頷いた。 『人騒にもほどがあるッス!』 ビアンカが騒ぎ出した。ようやく屍骸のフリから解放されたのだ。ギャハハハハと思う存分鳴きはじめた。 「それで俺は先生を殺しちゃったと思っちゃったんですか…」 一夜は恨めしげに那智を見上げる。 「自殺未遂幇助?」 那智は笑顔で応える。 「わぁー、やめてください!」 あの瞬間のどうしようもない絶望をもう思い出したくない。 そして。 ひと段落に誰からともなく歩きだした。地下からそして地上へと。 まだ夜の中にあったが、その内朝がやってくるだろう。明けない夜もないのだから。 「全部黒にするつもりだったのにな」 那智がポツンと呟いた。 黒を死者、白を生者とするなら、11人全員“殺す”つもりだったということか。 だが、一夜はそうは思わなかったらしい。 「オセロの話ですか? だから先生は勝てないんですよ。でも、理由は教えてあげませんけど」 それは一夜のささやかな復讐。 「……」 「そうえいば、結局、宝って?」 トオルが聞いた。 「もちろん、ここからの帰りの切符だ。でも一夜くんはいらないようだな」 「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」 ■■大団円■■
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