那智・B・インゲルハイムは、どうしてこんなことになったのかと内心眉を顰めていた。 探偵事務所で額を突き合わせているのは探偵たる自分と、その助手たる黒葛一夜、そして客──決して依頼主ではない──の由良久秀。今までもこの面々で穏やかな世間話など繰り広げられた例はないが、どうして現状こんなに殺気立っているのだったか。 視界の端に、貰い物のプリンが目に入る。 烏骨鶏プリン。烏骨鶏を知り尽くした職人が一つ一つ作り上げた云々と、パッケージに書いてあった謳い文句と金額を思い出す。 最初に黒葛から報告を受けた時と同様、へえ、といった程度の感想しか出てこない。並んでも食べたい、三ヶ月待っても手に入れるといった絶対的な欲求など彼の中には存在しない。差し入れとして持ってこられる様々と同じく、あれば食べるといった程度の情熱しかないなら尚更、単なる貰い物を誰かに譲るくらい造作もない──本来ならば。 黒葛と由良にしても、このプリンだからどうしても欲しいといった絶対は持ち合わせないはずだ。誰か一人がいらないと言えば、全員譲り合って押し付け合いもできそうな代物でしかないのに。 黒葛は笑顔でちくちくと棘を生やした言葉で牽制し、由良は仏頂面のままも引き下がる気配を見せない。大人気ないと思わず頭を振りたくなるが、小さな溜め息さえ聞き咎めて睨まれる。 やれやれと鷹揚を装ってソファに深く腰掛け直した那智は、ゆったりと足を組んだ。「このままでは埒があかない。ここは一つシンプルに、じゃんけんで決着をつけるのはどうだろう?」「……イカサマしないだろうな」「まぁ、今まで挙げられた方法よりはまだし難いと思いますよ」 不審げな由良を宥めるように黒葛が続けたそれで、渋々といった様子で頷かれる。いつまでも膠着状態を続けていても仕方ないとは、この場の総意だろう。 那智は僅かに口の端を持ち上げ、足を解きながら少し身体を乗り出させた。「では、プリンを賭けて真剣勝負といこうじゃないか」 大人であることを思い出して紳士的にフェアにいこうと綺麗な笑顔を浮かべて宣言した那智に、お前が言うなと苦々しく由良がぼやいた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>黒葛一夜(cnds8338)由良久秀(cfvw5302)那智・B・インゲルハイム(cyeu2251)=========
プリンを賭けたじゃんけん勝負。馬鹿馬鹿しくも真剣なこの戦いは、乗った時点で負けだったんじゃないか? と由良が思い至った時には既に引き返せないところまで来ていた。 事の発端は、数十分前。特に用事があるわけではなくふらりと出歩いていたのが悪かったのか、それとも何気なく視線を感じて振り返ってしまったのが悪かったのか……。 目を向けるなり由良が盛大に顔を顰めたのは、馬鹿でかい荷物を前に優雅に立ち尽くしている那智を見つけたからだ。明らかに裏があるとしか思えない朗らかな笑顔で、やあと手が上がりかけたところで思い切り顔を背けた。 暇な探偵に関わると碌なことがない。暇じゃない探偵なら尚更、関わりたくもない。 (無視だ、無視に限る。俺は何も見なかった、聞かなかった、) やあ今日も本当にいい天気だと心中の独り言さえ棒読みにわざとらしく空を仰ぐと、いきなりぐっと喉が詰まった。思った以上の馬鹿力で引き寄せられ、蹈鞴を踏みながら何とか転ぶのは免れたが、破れんばかりに引っ張られた襟のせいで喉が痛い。 「いきなり何しやがるっ」 「それはこちらの台詞だよ。人がせっかく友好的に挨拶をしているのに思い切り顔を逸らされて、私はいたく傷ついた。これはもう身体で償ってもらうしかないと思うんだが」 「嫌な予感しかしないから断る」 「まぁそう言わず。私を傷つけた償いが単なる荷物運びでできるんだ、喜んでやらせて頂きますと這い蹲って承るべきだろう?」 「あんたが泣こうが喚こうが傷心のあまり自殺しようが、ざまぁみろでちっとも心は痛まないから断る」 それが人に物を頼む態度かと睨みつけて吐き捨てるが、那智はそう頼み事だと笑顔になる。 「この私が頼み事をしているんだよ、ココロヤサシイ由良くん。他でもない君に、こうして頭を下げて」 「あんたの下げるの基準はどこからだ。思いっきし目は合ったままだよな!?」 しかも大分心の篭ってない形容詞だなと、一ミリたりとも頭を下げる気のない那智を睨めつけるが当然相手に堪えた様子はない。ああ失礼そういえば目まで悪かったんだねとさらりと笑顔で無礼者発言をした那智は、それはともかくと無理やり由良の身体ごと向き直らせて少し後方にある荷物を指した。 「あれをうちの事務所まで運んでほしい。たったそれだけで謝罪に代わるんだ、いい話だろう」 「謝る必要性を感じないから却下だ。そもそもその手の雑用をする奴なら既にいるだろうが」 それを呼んでこいとひらりと手を振って歩き出そうとするのに、それは無理だと深刻そうな顔で那智がゆっくりと頭を振った。 「助手くんは今頃……、」 今頃、と繰り返して口許を押さえる那智に、思わず眉根を寄せて足を止める。那智は沈痛な面持ちで目を伏せ、何かを堪えるようにして言う。 「スーパーのタイムセールで夕飯の食材を買っているところだ……っ」 「いつからタイムセールは命懸けの戦場になった!!」 まるでテロリストと戦闘中、爆発物の処理中とでも言いたげな深刻で語られた理由に、思わず全力で突っ込んでしまった。と、那智は顔を上げて嫌だなと笑顔を浮かべる。 「君が思う以上にセールの店内は戦場だよ、一円でも安くいいものを必要分だけ買うというのはなかなかに至難の業だ」 あれは一度体験した者でないと分からないだろうねと尤もらしく頷いている那智に殺意を覚えたところで、許されるはずだ。 「あいつのあれは趣味だろっていうか寧ろ妹の為だけの義務感だろ」 「ああ、それは否定し辛い。だがその恩恵に預かっている身としては、その戦場からわざわざこちらに呼びつけるのも間違っているだろう? 幸いにしてここにはジヒブカイ由良くんがいる。さあ、今も戦っている助手くんに敬意を表して心置きなく手伝ってくれたまえ」 「断る」 きっぱりと断言して今度こそ先を急ごうとするのに、やれやれなんて我儘な事だとこれ見よがしに溜め息をつかれた。 ナイフか、銃か。何をもってすればこいつを今すぐ黙らせられるだろうと本気で算段しかけるが、それではこうしようとさも名案といった風な提案に苦虫を噛み潰しながらも振り返ってしまった。 「あの荷物を事務所まで運んでくれたら、相応の礼をしようじゃないか」 「……何の裏がある」 「裏などない。ただ礼を尽くしてまで頼むほど、私はあれを自分で運びたくないんだよ」 肉体労働は私の最も嫌悪するところだと本気でちらりと嫌そうな顔を覗かせて続けられた説明に、しばらく考えて溜め息混じりに引き受けたのは。どうせ暇なのと、帰る方向が途中までは一緒なのと、早くこの鬱陶しい状況からおさらばしたいという欲求が程よく折り重なったからだ。 間違ってもこんな、わけの分からない勝負に巻き込まれたかったからではない! (ああクソ、やっぱり探偵になんか関わるんじゃなかった!!) 烏骨鶏のプリンと聞いたところで、一夜の食指はそそられなかった。 そうですかー、高いんですねー、美味しいんですかー。へえー。 話題に上ったならそれだけで話を終わらせられる程度の、興味の薄さだ。が。現物が手元にあるとなると、少し話は変わる。 他の前置詞はどうでもいいが、美味しいとつくプリンなら一夜ではなく妹の笑顔を引き出せるだろう。俺のことは気にしないで食べたらいいよと譲った時、どれほど嬉しそうにきらっきらと目を輝かされるか、抱き締めたくなるほど嬉しそうなオーラを巻き散らかされるか……! 想像だけで胸が震える。妹の笑顔と幸せを守るのは兄の使命、絶対遵守の義務。因って来客があって出したり誰かにお裾分けされていく中、残り二つは自分たちの分、とよけてある。 勿論、貰い主である先生の分も含めて三つ、今日には食べないとと考えながらスーパーから戻ると、丁度帰ってきたところらしい那智と大きな荷物を見つけた。 「先生、お戻りでしたか。そちらの荷物は……、由良さん?」 「クソ、途中の坂を舐めてた……っ」 荷物に寄りかかるようにして息を切らしている由良を見つけ、いつかのようだなとちらりと思い出す。 買ってきた物を冷蔵庫に片付ける前に、洗濯物を取り込もう。 「すみません、ここまで運んで頂いたんですね。ありがとうございます」 「──礼を言うべきが違うんじゃないか」 あんたの荷物だろと由良は相変わらず沈鬱そうな目つきで那智を睨むように見据えるが、さすが助手くんだねと笑う那智は相手にする気配もない。仲良しだなぁ、と聞かれれば多分二人ともから全力で否定されそうな感想を抱きつつ、一夜は鍵を開けて上がるように勧める。 「とりあえず、お茶でも淹れますね」 「それはいいが、謝礼。先に寄越せ」 「ああ、そうだった。助手くん、確か先日貰った烏骨鶏のプリンがあったろう。あれを差し上げてくれ」 笑顔でつらりと告げた那智に、由良がはぁ!? と素っ頓狂な声を上げるより早く。一夜は僅かに眉を顰め、那智を真っ直ぐに見据えた。 「でも先生、あれはもう残り三つしかありませんよ?」 「ちょっと待て、ここまで運んだ労働の対価がプリン、」 「由良くん。残念ながら、君にできる礼がなくなった」 「っ、ちょっとマテコラ! 礼にプリンを予定してたこと自体おかしいが、それさえないってどういう了見だ!? しかも三つあるなら寄越せるだろうが!」 「おかしなことを言うね。一つは妹くん、一つは助手くん、一つは私。丁度三つだ」 渡せる余地がないだろう? と真顔で那智に聞き返された由良が、歯を噛み締める音さえ聞こえてきそうだ。 可哀想に、先生にいいように使われて。と内心頭を振りながら洗濯物の確認に行った一夜は、今日はちゃんとそこにあるのを確認して手早く取り込む。畳むのは後でいい、とりあえず目につかない場所にといそいそ片付けて戻ると、どうやら引くに引けなくなった由良がプリンをかけて那智と攻防を繰り広げているところだった。 大人気ないなぁと完全に他人事のように考えていた一夜に、とんだ火の粉が飛んでくる。 「大体三つしかないって、三つもあるなら全部渡すのが常識だろうが! 人に重い荷物を運ばせておいて出し渋ってんじゃねぇ!」 「はぁ!? 聞いてなかったんですか由良さん、一つは俺の妹の分ですよ! あんな可愛らしい目に入れても痛くない稚い幼子からプリンを奪うなんてどれだけ残虐非道なんですか、鬼の仕打ちですか! あげるにしたって二つですよ、いいえ俺の分も妹に譲る気ですから二つは絶対に出せません、お礼として渡すなら先生の分を充てるのが妥当でしょう!」 「聞き捨てならないな、助手くん。きみは私の助手なのだから、ここは私に譲ってくれるのが当たり前じゃないのか?」 「だから何であんたが食う気満々なんだ!? 俺に対する礼だろう!」 「できなくなったとさっき言わなかったかい?」 「堂々と言い切ってんじゃねぇ! できないなら別の礼を用意しろ!」 「あ。冷蔵庫に、ぷっちんするタイプのプリンなら残ってたはずです」 ぽんと手を打って一夜が告げると、那智は思わずといった様子で吹き出した。それから懸命に声を上げて笑うのは堪え、けれど明らかに笑って揺れる声で肩を震わせながら由良を見る。 「そうだな、礼をすると私はこの口で言ったのに無礼だったね。そのぷっちんするプリンは残らず由良く、くくっ、くんに差し上げよう」 あまり隠す気もなく笑いながら告げた那智に、由良が切れるのも時間の問題だった。 「面倒だ、殴り合いで決めればいいだろ」 「暴力反対です。チェスの勝ち抜きはどうです」 「ここは紳士らしくビリヤードで決着を、」 「却下だ」 「却下です」 「……とりあえず二人とも後で面貸したまえ」 「だから殴り合いでいいだろ」 「後の掃除は誰がすると思ってるんですか」 「平和的解決法なら私が示したじゃないか、」 「却下だ」 「却下です」 「……助手くん、これとは別件でちょっと話がある」 「今はそれよりプリンの行方が、」 「そもそも礼なんだから俺の、」 「貰ったのは私だよ」 「じゃあ先生のをあげてくださいよ」 等々、等々。 全く収拾がつかず、話し合いというよりはいがみ合いといったほうがよさそうな空気を延々と続けていた三人は、三人とも大分疲れてきていた。だからこそ、大分投槍にも見えた那智のじゃんけん勝負に乗ったのだろう。 くじ引きにしろトランプにしろ、やろうと思えばイカサマはし放題だ。たかがプリンは、されどプリンという名の意地に変貌している。もう全員譲れないところまできている以上、このままいけば大人気ないイカサマ展覧会になるのは目に見えている。 だが、じゃんけんならばそれもし難い。全員が渋々ながらも納得したように頷いたのは、決着を急いだという部分も大きいだろう。一瞬でも我に返ると負けが決定している、それなら正気を取り戻す前にさっさと終わらせるべきだ。 しかし、と那智は小さくほくそ笑む。 じゃんけんは確かにイカサマし辛いが、必勝法は存在する。最初はグーから始めるのがコツだ、そして相手の手の動きに注目する。相手はグーの状態から手を振り上げ、下ろす時には往々にして出す手の形にしている。そこを見破れば必ず勝てる。 (ふっ、問題はそれを見極める動体視力っ) そう、動体視力。どうたいしりょく。……。 自分のそれはそんなによかっただろうかいや寧ろこの中で一番悪そうじゃないか? と思い至ったのは、各人がやる気になって案を練り始めてからだ。 ついでに言うなら那智は知らなかったが全員それを狙っていたし、その手で一番勝率が高いのは“腐ってもツーリスト”由良だった。那智だってツーリストじゃないかの突っ込みは不要だ、動体視力という一点においては一夜にも勝てる自信がないのだから。 (……しまった……) どうやら埒の明かない不毛な言い合いで、那智自身も大分消耗していたらしい。やっちまったと心中では深く反省するが、勿論顔には出さない。必勝法が適用されないとしても、人間とは僅かのことで揺らぐ脆いものだ。 (驚いたり緊張した時は反射的にグーを出す確率が高くなる、という説があったな。相手に考える隙を与えず勝負すれば、パーで勝つ確率が高くなる。そこを狙えばいいだけだ) 大丈夫、勝算はある。ここにいる二人の弱点は概ね掴んでいる、それをつつけば動揺を誘う事など容易い。 「勝っても負けても恨みっこなしの、一回勝負でいいですか」 「勿論、構わないよ。潔いという単語からかけ離れた場所で暮らしている由良くんもよければ、だが」 「一番往生際の悪いあんたに言われたくない!」 「酷いことを言うね。私は衝動に任せて幼女の下着を盗んだ挙句犯人じゃないと言い張り続けるほどの度胸もないし、万が一やってしまった時には潔く認めるだろう。生憎とそんな性癖を持ち合わせていないから、一生涯試すことはないだろうけどね」 誰かさんと一緒にしないでほしいと笑顔で続けると、あれはあんたによる完全な冤罪だ! と声を荒げて主張される。そうだったかなと首を傾げつつ様子を窺うのは由良ではない、一夜のほうだ。 あれは誤解だったと納得した顔をしているが、未だに一夜が由良を警戒しているのは知っている。一度刷り込まれた不信感は、あれだけ大々的に誤解と判明したところで払拭されるものではないらしい。そもそも彼の場合、妹の名を出せば全自動で反応するのも承知の上だ。 「そういえば聞いた話によると、由良くんの好みの女性は清楚系の美人だったか。しかしいくら可愛いからといって、せめても年齢差は考えたほうがいい。なぁ、そう思わないかい、助手くん」 「誰が幼女趣味だ、人に変な性癖押しつけてくんじゃねぇ!!」 足の届く範囲にいたなら確実に蹴り殺しているといった勢いで怒鳴りつけてきた由良は、けれど一夜の手の中でめきゃめしゃと壊れているプラスチックのコップ──普通のカップを出すとすぐに割れるからと、由良が来た時は何かいつもそれだ──を見て、一先ずの標的を彼と定めたらしい。 「けどまぁ、最近見かけたあいつの様子はちょっと気になったか。何か悩んでるみたいだが聞いてないのか? ……へぇ、兄貴って言っても嫌われたもんだな」 「ああ、ロリコン趣味の変態カメラマンに付き纏われ、察しの悪い兄に話すこともできないとは彼女も可哀想に」 「誰が変態ストーカーカメラマンだ!!」 「おや、何も君だとは言ってないが自覚はあるようだね」 「っ、あんた何でこんな奴の助手なんかやってんだ。というか前から気になってたんだが、ちゃんと給料貰ってんのか?」 こんな厄介で面倒で腹の立つ奴といて何のメリットがあるんだと本気らしく問いかける由良に、一夜は原形も留めないほどコップを破壊しながらメリットと低く呟く。 「メリットの有無でいうと現状何にもない気がするいやでも先生だしお世話になってるけど普段の生活なら俺が世話してるような気もするけどでもやっぱり、」 ぶつぶつと心中の声をだだ洩らし中の一夜は、騙されちゃ駄目だーっと頭を抱える。 「作戦だ作戦なのは分かってるあいつが一人悩んでるなんてそんなことは有り得ないでもそんなことになったらどうしよう今すぐ探してけどうざい兄貴だって思われたらどうしたら……!」 いーやーだーっと今にも泣き出しそうにぐるぐるしている一夜に、もう勝負はそっちのけで彼の一人負けでいいんじゃないかなといった空気が流れる。けれどさすがと言うべきか、一頻り逡巡した一夜は何かを決意したようにきっと顔を上げた。 「大丈夫だプリンを食べながら話を聞いたら解決だ……! その為にもプリンは絶対に譲れませんっ」 「変な立ち直り方だな……」 「危うく先生の口車に乗せられるところでしたが、プリン獲得の為には先生といえど容赦はしません! 由良さんは何か超絶運が悪そうだから負ける気がしないっ」 「言いたいことはそれだけか、この腐れシスコンがっ」 「まぁまぁ。助手くんは妹くんの為、由良くんはあの標準よりちょっと大きいサイズのセクタンくんの為にプリンを持って帰りたい気持ちも分かるが、少しテンションを下げてくれないか」 暑苦しいからと笑顔で宥めると、一夜があれはちょっとという表現で収まりますかと眉を顰めた。 「引っかかるとこはそこじゃねぇ!! どうして俺が他人のセクタンにプリンを持って帰る必要がある!?」 「おや、君が飼っていたんじゃなかったのかい? ああ、これは失礼、飼われているの間違いだったね」 これはセクタンくんに申し訳ないことを言ったと深く反省すると、思いつく限りの罵声を放とうと拳を震わせている由良を見てにいと笑った。 「最初はグー!」 言って唐突にじゃんけんを始めると、虚を衝かれながらも条件反射でグーを出している二人ににんまりしながら続ける。 「じゃんけん、」 やはり運は私に味方したようだねと高らかに勝ち誇って笑う那智は、結局グーから手を変えられなかった一夜と由良が見ている前でさっさとプリンを持ってきて食べる準備にかかっている。 「今のは卑怯だろ、全員納得してから始めんのが筋だろうが!」 「それなら始めた時にそう言って止めればよかったのに、二人ともしなかったろう」 「っ、止める間も与えてくれなかったんじゃないですか! それにどうして二つとも抱えてるんです、俺と由良さんはまだ決着つけてませんよ!」 「一回勝負と言い出したのは君だよ、助手くん。私は勝ち、君たちは負けた。是即ち私だけがプリンを手にする権利を獲得した、という事だよ」 ご満悦、といった様子でプリンを手ににやにやと笑う那智に、由良はしつこく食い下がる。 「ふざけんな、あんたにだけ都合のいいルールを勝手に持ち出すな! 勝負が決まるまでやり直せ!」 「勝敗は既に決したよ。敗者の遠吠えは聞き苦しい」 まあ勝者の務めとして聞くくらいはしてあげようと、あくまでも余裕で受け流している那智と由良を尻目に、一夜はがっくりと項垂れた。 負けた。那智がどんな手を使ってくるか警戒していたはずなのに、呆気なく負けてしまった。あの状態の那智が、もはやあのプリンを誰にも譲る気がないと知っている。 妹への絶対的な愛にかけて負けられない勝負だったのに、一夜にはもう兄としての資格もないというのか。 愛情が足りなかったなんて信じないっ。 「ふ、……不甲斐ない兄ちゃんでごめんよおぉおぉおぉぉっ」 思わず膝を突き頭を抱えたまま嘆いている後ろでは、相変わらずご機嫌な那智が射殺しそうに睨んでいる由良に笑いかけている。 「そうだ、さっき助手くんが言っていた冷蔵庫のプリンは持って帰るといい。君のセクタンくんによろしく」 「っ~~、てめえらとは二度とかかわらねぇ!!」 今度はぶっ殺すと完全たる負け惜しみの捨て台詞を吐いて出て行く由良に愉快そうに笑った那智は、未だ打ちひしがれている一夜に声をかけてきた。 「ところで、助手くん。そろそろ喉も渇いたんだが」 プリンに合うコーヒーをと弾んだ声で告げる那智に、ゆらりと立ち上がりながら知りませんと呟く。不審げに眉を顰めた那智にじろりと恨みがましい目を向け、一夜はふんと鼻を鳴らした。 「どうせ俺はあいつの為のプリンさえ確保できない察しの悪い駄目兄貴です、部屋に篭って反省と修行に励みますからどうぞ食事も洗濯も掃除もご自由にご勝手に!」 吐き捨てて憤然と部屋を出て行く後ろから、慌てたような声が聞こえたような気もするけれど。いくら敬愛する先生でもやって良い事と悪い事がある。と怒り心頭に発している一夜には到底届かなかった。 勝ったのに呆然と取り残された探偵を他所に、お兄ちゃんとカメラマンがこの後じゃんけんの修行に励んだかは知らない。
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