公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか？それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
「ふっかふかなのですー、おひさまの匂いなのですー」 告解室を訪れる者はどちらかといえば、何かについて思い詰めたり、悩んだりと、何かしら深刻な顔をしていることが多い。 多いのだが。 今日ここを訪れたノラ・グースも、扉を開けたその時はそうだったはずなのだが。 「はー、このソファはごっくらくーなのです。おみかんもあれば最高なのですー」 訪れた者がほぼ必ず座るベルベットのソファはノラのごろごろセンサーをいたく刺激したようで、こたつ布団の上に丸まる猫よろしくソファにすっぽり収まって楽しんでいる。ちょうどすりガラスの窓越しに届く午後の日差しがソファをあたためていたのもあり、それはもう至福のひとときなのだろう。 「……えー、と……」 「……はっ、れーせーちんちゃく、れーてつなノラとしたことが」 告解を受ける者はほんのり戸惑いながらどう声をかけるべきか少し逡巡していたが、ノラが我に返る瞬間のほうが先だったようである。誰も見ていないという安心がそうさせたのか、それとも誰かの目の前でもこんな風にその表情を変えてみせるのか、ソファを楽しんでいた柔和な笑顔は静かに薄まり、伏せた目からはすっと光が遠のいていく。 「…………。誰にも言っちゃ、だめなのです」 少しぺしょんと垂れた耳は、これから語ろうとする不安の重さに耐え切れずそうなったのだろう。 「……いいよ、というか、そういうところだし……」 「ほんとうなのです？ リーダーにも話しちゃだめなのです」 「うん、そのリーダーとやらが誰なのか、分からないからね」 格子窓の向こうから聞こえる、素っ気なくも優しく諭すような声。どこかで聞いたことがあるような、そうでないような声に小さく頷いて、ノラはいつものようにまた、お面をかぶるようにくるりと笑顔を作った。それでも最初の言葉を慎重に、慎重に選び、ぽつり、ぽつりと語り始める。博物館には決して飾れない、自分でも大きさの分からない、この気持ちを。 ◆ ノラは知ってるのです。 世界計が割れて、破片がたくさんの世界に飛び散ってから、いっぱいいっぱい外の世界が見つかってるのです。ロストレイルも、依頼とか冒険とかじゃなく、ふるさとの世界に帰る人のために走ることが多くなったのです。 ホームでお見送りする人たちをノラは見かけたことがあるのです、みんな笑っていっぱい手を振っていたのです。お見送りされる人のほうがさみしそうで、ノラはちょっぴりふしぎだったのです。 でも、お見送りする人たちの気持ちはわかるのです。ふるさとの世界が見つかったら、お祝いをしないといけないのです。ノラは知ってるのです、ふるさとが見つかるのは嬉しいことだからなのです。だから、こないだ、ノラのお世話になってるお方の世界が見つかったとき、ノラはいい子だから、ちゃんとお祝いを言えたのです。 世界が見つかってよかったのですー、って。 ちゃんとにこにこ笑って言えたのです。 そしたら頭を撫でてもらったのです、やっぱりノラはいい子なのです。 …………。 でも、ほんとうはノラは悪い子なのです。 ノラは……嘘をつきました。 ほんとうは、見つかってよかったなんて、ぜんぜん思ってないのです。 嬉しいことだって分かってるのです、あのお方が喜ぶことだと思うのです、だからお祝いの気持ちは嘘じゃないのです。 でも……ほんとうは、見つかってほしくなかったのです。ふるさとの世界が見つかったから、あのお方はいつかその世界に帰っちゃうかもしれないのです。 ……ノラは、ノラはそんなの絶対にぜったいに嫌なのです。 ノラのおうちは博物館なのです、リーダーがいて、皆さんがいる、0世界の博物館だけなのです。ノラがただいまって言ったらおかえりって言ってくれて、ただいまって聞こえるからおかえりってノラが言えるのは、博物館だけなのです。皆さんが帰っちゃったら、ノラは、ノラはまた、また一匹になってしまうのです。 ノラはわがままです。 皆さんのおうちは0世界じゃないの、博物館じゃないの、わかってるのです。皆さんちゃんとおうちがあって、もしかしたら待っててくれるお方がいるかもしれないのです。わかってるのです……。 でも、ノラの前のおうちにはもう誰もいないのです。ノラは一匹になるの……嫌なのです……。誰も、どこにも行っちゃ嫌なのです、ずっと、ずっと、ノラのそばにいてほしいのです。 嫌なのです…………ノラを置いてっちゃ、嫌なのですー！ ◆ 「ノラを置いてっちゃ嫌なのですー！」 言葉が少しずつ、自然なそれだと思っていた笑顔がまた薄まっていくのに合わせて、ノラの『ほんとう』を語ってゆく。見ないふりをしてきた寂しさ、伝えても伝えても終わらない大好きな気持ち、それらはいつもノラの心の同じところから湧き上がる。 「ノラは、ノラはっ、うぅー……」 ノラが気づかぬうちに握りしめた拳の上に、ぽた、ぽたと、小さな雫がいくつもいくつも落ちる。こんな気持ちは見せられない、皆に迷惑をかけてはいけない、だって皆が好きで、大好きで、ずっと一緒にいたくて、でもそれはきっと叶わぬ願いと分かってしまってて、だから。 「いなくなっちゃうなら、拾ってほしくなかったのですー！」 「えっ……？」 ＿＿ノラは嘘つきなのです 「あっ……」 違う。 こんな嘘をつきたかったのではない。 違う。 出会えたこと、拾ってもらえたこと、そばに居てくれたこと、色んな話をしたこと、笑いかけてくれたこと、全部欲しくなかったなんて、違う。 「う、嘘です！ 今のなしなのです！ わるい嘘つきはだめなのですー！ 違うのです、もっといっぱいお話したいのです、またハートのワッフル皆さんで食べたいのです、おみかん買いに行きたいのです、いっしょに、いっしょにですーー！！」 ノラの涙と言葉が堰を切ったようにあふれ、わかっていても言葉に出来なかった気持ちは嗚咽となって、しばらくの間告解室の小さな空間を満たす。いつか駅舎で見かけた見送りの光景に、こんなに泣いている人はいなかった。皆納得して、頷いて、その上で別れを選んだのだから。ノラは納得出来なかったし、したくなかった。いつか来る別れの時は必ず、心の準備が出来る前にしか訪れないということを。 「う、うっ、うえぇ……」 それでも、どこにも行かないよと言ってくれた人の言葉を信じたい。 だから、もしその時がきたら。 ◆ 「落ち着いた？」 「だいじょーぶなのです、ノラは嘘泣きの天才なのです」 「……そう」 顔を拭き、半端に乾いた涙のせいですっかりぐしゃぐしゃのぼそぼそになってしまった顔の毛並みを整えて、仕上げにお気に入りのシルクハットを被り直せば、ノラはいつものノラに元通り。 「ノラは嘘つきなのです。でも、皆さんの前ではいい子なのです」 だから。 「きっとその時がきたら、嘘でもちゃんと笑って手を振るのです」 ＿＿さよーならです、お元気でなのです 「それがノラのポリシーってやつなのです」 くるりと背を向けて、ノラは告解室を後にした。 あと何回残されているか分からないただいまを言って、それからおかえりを言うために。 ここで吐き出される秘密には、きっと、いや必ず、ほんとうの宛先がある。
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