オープニング

 『世界樹』は沈黙した――。

 時間のない0世界に日没はないが、戦いの終わりとともに、世界は静かな黄昏の気配に包まれていた。
 人々は、ほとんど畏敬の念と言ってよい感情を抱いたまま、恐るべき戦いを振り返り、眼前の光景に息を呑む。
 ホワイトタワーの崩壊にはじまる、ナラゴニアの襲来、そしてマキシマムトレインウォーの発令という一連の出来事は、ほんの一日に過ぎぬ。だが間違いなく、それは0世界のいちばん長い日であったろう。

 ターミナルを蹂躙した世界樹の根は、本体の沈黙とともに活性を失ったようだ。もはやぴくりとも動くことはなく、今なら、破壊して取り除くことができるだろう。
 本体はそのままの状態で残ったため、ナラゴニア自体は崩壊を免れ、庭園都市は根に支えられるようにしていまだ0世界にとどまっている。
 そして、根が突き刺さった0世界の大地――チェス盤の地平は、見渡す限り、緑に覆われていた。
 いかなる奇跡だろう。
 ゆたかな樹海が、無機質だった0世界を覆い尽くしているのだ。
 あたかも、ナラゴニアとターミナルが融合したような、そんな風景であった。

  *

「ロストレイルはまだ動かせる?」
 アリッサは訊いた。
「撃墜されたのは天秤座号だけです。ナラゴニアに赴いた車両は損傷を受けてはいますが、走行可能かと。余力的には、やはり山羊座号ですね」
「では悪いけどもういちど支度をして。あそこへ――ナラゴニアへ向かいます」
 世界樹が沈黙し、世界園丁たちは体内の世界樹の暴走によって全滅した。
 支配者と、指導者層を失い、世界樹旅団は事実上、瓦解したと言える。
 たった今から、ナラゴニアの市民は、0世界における難民となり、世界樹旅団は、世界図書館の支配下に入ることになるだろう。支配といっても、それは征服を意味するのではなく、この戦いの結果を引き受けるという意味で、だ。
 館長アリッサは、それを宣言すべく、ナラゴニアへと向かう。
 園丁は滅びても、かつてもドクタークランチや銀猫伯爵のように、ナラゴニアで有力な影響力を持つ人物はいるはずだ。かれらと話し合い、今後について決めなくてはならない。

「あとを、お願いできる?」
 アリッサは司書たちと、レディ・カリスを振り返った。
「私はアーカイヴの様子を見てきます」
 カリスは言った。
「図書館を……どうにかしないといけませんね」
 リベルは沈痛な面持ちで、建物を……いや、建物の跡を眺める。
 世界図書館の建物は、ナラゴニア襲撃の時点で爆破され、半壊していた。
 特に、ホール周辺はノエル叢雲の衝突のあって被害がひどく、なにより、「世界計」が粉砕されてしまっていた。
 これは由々しき事態と言えた。
 世界計がなくては、ロストレイルがディラックの空で進路を見いだせないため、車両を動かせても、異世界に行くことができないのだ。早急な修復が望まれるが、世界計について知識のあるものは司書にも少ない。まずは資料を発掘するところから始めねばならないだろう。いずれにせよ、これは司書たちに任せるしなかった。
 建物については、世界樹旅団のドンガッシュが、修復を手伝うと申し出てくれた。
 彼の能力であれば、早期に再建がかなうだろう。

  *

 かくして、山羊座号は再び、ナラゴニアへと渡った。
 ウッドパッドは機能しなくなっていたため、ナラゴニア内では通信手段が失われている。
 そこで、きわめて原始的だが、ロストレイルの窓から大声で叫んだり、ビラを撒いたりといった行為で、訪問の目的を告げるしかなった。
「みなさんとお話しがしたいのー!」
 アリッサも、声を張り上げた。

 戦いの痕跡がまだ生々しい広場へと着陸する。
 降り立ったのは、アリッサと、同行したロストナンバーたち。
 彼女のすぐ傍に立つのは、長手道提督とメンタピだった。かつて旅団側にいたものとして、この場を取り持つにはかれらが適任だろう。
 ロストレイルを遠巻きにするナラゴニア市民の中から、3人の人物が進み出てきた。

「話にゃ聞いていたが、こいつぁ、本当に可愛らしいお嬢ちゃんだな!」
 アリッサを見下ろし、不躾に言ったのは、長身で筋肉質の、三十代に見える男だった。浅黒い肌の精悍な顔立ち。にやりと笑った口元には鋭い牙がのぞく。着崩してはいるが、服装は上等なものだ。
「俺は《人狼公》リオードル。おまえたちが糞クランチとウザ猫伯爵を始末してくれたのはむしろ感謝している。ナラゴニアの王は俺になるってことだからな」
「誰もそんなことは許可していません」
 リオードルを遮ったのは、対照的に華奢で小柄な少年である。
 抜けるような白い肌の、美少年だ。
「私は『翠の侍従団』の長、ユリエスと申します。『翠の侍従団』とは、園丁様に仕える役目のものの集まりです」
 物静かな口調だが、その黒い瞳に、狷介な光が、暗い炎のように宿るのを、アリッサは見た。
「あんたちに助けられた人もおおぜいいるみたいだな~」
 最後の一人は、でっぷりした体格の、女性だった。年齢は今ひとつ不詳だ。鮮やかな赤毛を複雑に編み込んだ髪には、派手な髪飾りをいくつも挿している。
「あたしはノラ・エベッセ。『放浪商会』のノラ・エベッセだぁよ。ナラゴニアで商いをするものをまとめているのさ。戦の結果は結果として……あんたたちとはいい関係をつくりたいと思っているよ~」
 油断のない笑みを浮かべた。

 アリッサの申し出にもとづき、アリッサと有志のロストナンバーが、かれら旅団側代表者3名と会談の席を設けることになった。
 会談に臨むなら、今後のナラゴニアについて、意見を述べることができる。
 大きな方向性として、考えられるのは次の3つだ。
 ひとつめは、図書館がターミナルと同様、ナラゴニアを直接統治するという方向。
 ふたつめは、旧旅団と図書館の融和した新たな体制をつくっていくという方向。
 みっつめは、リオードルたち旧旅団の面々の自治を許す方向だ。
 すぐには結論が出せないかもしれないが、今日の会談が、何にせよ、第一歩となるだろう。
 世界樹の残骸が見下ろす街での、新しい日々のはじまりである。



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!注意!
このシナリオは、シナリオ『記憶の宮殿に眠れ』、パーティシナリオ『世界図書館ルネサンス』と同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる当該シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
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品目パーティシナリオ 管理番号2225
クリエイターツクモガミネット(wzzz9999)
クリエイターコメントこのシナリオにご参加の方は、アリッサとともにナラゴニアに向かいます。
プレイングの最初に、行動方針として【1】か【2】の選択肢のどちらかを明記するようにして下さい。

【1】旅団代表者との会談に参加する
アリッサとともに、旅団代表者との会談に参加します。今後のナラゴニアについての意見をお聞かせ下さい。旅団代表者については、OPの情報を確認して下さい。この3人は必ずしも同じ考え方ではないようです……。

【2】ナラゴニアの街を歩く
ナラゴニアの街を歩いて、様子を確かめます。住民と話せるかもしれません。

※「アリッサの護衛」や「停車中のロストレイルを護る」ことに関するプレイングは必要ないものとします。

参加者
カンタレラ(cryt9397)ロストメモリー 女 29歳 妖精郷、妖精郷内の孤児院の管理人
リエ・フー(cfrd1035)コンダクター 男 13歳 弓張月の用心棒
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
ジューン(cbhx5705)ツーリスト その他 24歳 乳母
ニコル・メイブ(cpwz8944)ツーリスト 女 16歳 ただの花嫁(元賞金稼ぎ)
臼木 桂花(catn1774)コンダクター 女 29歳 元OL
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア
高倉 霧人(cxzx6555)ツーリスト 男 18歳 仙魔人
マルチェロ・キルシュ(cvxy2123)コンダクター 男 23歳 教員
マスカダイン・F・ 羽空 (cntd1431)コンダクター 男 20歳 旅人道化師
舞原 絵奈(csss4616)ツーリスト 女 16歳 半人前除霊師
ルオン・フィーリム(cbuh3530)ツーリスト 女 16歳 槍術士
レイド・グローリーベル・エルスノール(csty7042)ツーリスト その他 23歳 使い魔
吉備 サクラ(cnxm1610)コンダクター 女 18歳 服飾デザイナー志望
メルヴィン・グローヴナー(ceph2284)コンダクター 男 63歳 高利貸し
ティリクティア(curp9866)ツーリスト 女 10歳 巫女姫
イルファーン(ccvn5011)ツーリスト 男 23歳 精霊
ヴェンニフ 隆樹(cxds1507)ツーリスト 男 14歳 半人半魔の忍者
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官
リーリス・キャロン(chse2070)ツーリスト その他 11歳 人喰い(吸精鬼)*/魔術師の卵
ボルツォーニ・アウグスト(cmmn7693)ツーリスト 男 37歳 不死の君主
古城 蒔也(crhn3859)ツーリスト 男 28歳 壊し屋
一二 千志(chtc5161)ツーリスト 男 24歳 賞金稼ぎ/職業探偵
ヴィエリ・サルヴァティーニ(crxa8711)ツーリスト 男 30歳 神父/異端審問官
清闇(cdhx4395)ツーリスト 男 35歳 竜の武人
虚空(cudz6872)コンダクター 男 35歳 忍べていないシノビ、蓮見沢家のオカン
ロナルド・バロウズ(cnby9678)ツーリスト 男 41歳 楽団員
アマリリス・リーゼンブルグ(cbfm8372)ツーリスト 女 26歳 将軍
ジャック・ハート(cbzs7269)ツーリスト 男 24歳 ハートのジャック
村崎 神無(cwfx8355)ツーリスト 女 19歳 世界園丁の右腕
蓮見沢 理比古(cuup5491)コンダクター 男 35歳 第二十六代蓮見沢家当主
理星(cmwz5682)ツーリスト 男 28歳 太刀使い、不遇の混血児
ドナ・ルシェ(cfzc7489)ツーリスト 女 10歳 郵便配達手伝い
ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人
ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)コンダクター 女 15歳 家出娘/自警団
虎部 隆(cuxx6990)コンダクター 男 17歳 学生
アキ・ニエメラ(cuyc4448)ツーリスト 男 28歳 強化増幅兵士
脇坂 一人(cybt4588)コンダクター 男 29歳 JA職員
雪・ウーヴェイル・サツキガハラ(cfyy9814)ツーリスト 男 32歳 近衛騎士/ヨリシロ/罪人
ムシアメ(cmzz1926)ツーリスト 男 27歳 呪術道具
エータ(chxm4071)ツーリスト その他 55歳 サーチャー
ドアマン(cvyu5216)ツーリスト 男 53歳 ドアマン
黒葛 小夜(cdub3071)コンダクター 女 10歳 小学生
ハルカ・ロータス(cvmu4394)ツーリスト 男 26歳 強化兵士
由良 久秀(cfvw5302)ツーリスト 男 32歳 写真家/殺人鬼
イェンス・カルヴィネン(cxtp4628)コンダクター 男 50歳 作家
ナウラ(cfsd8718)ツーリスト その他 17歳 正義の味方
チャン(cdtu4759)コンダクター 男 27歳 ホストクラブ&雀荘経営者
鰍(cnvx4116)コンダクター 男 31歳 私立探偵/鍵師
柊木 新生(cbea2051)ツーリスト 男 48歳 警察官
クージョン・アルパーク(cepv6285)ロストメモリー 男 20歳 吟遊創造家→妖精卿の教師

ノベル

 双方の代表団の会談の場が整えられる一方、ナラゴニアの街の様子を見たいものたちは四方へ散ってゆく。

 もっと悪しざまな対応を受けるかと思ったが、住民たちは、自分のことでせいいっぱいなのか、表立って図書館に敵対心をぶつけてくるものはいないようだった。
 ニコル・メイブは巧みに人々のあいだに分け入り、旅団側の代表者となった人物の評判を聞きだしていた。

 《人狼公》リオードルは、武闘派の支持を集める男であるという。ドクタークランチが台頭してからは、その一派にお株を奪われたような格好になり、穏健派の銀猫伯爵に続く三番手に甘んじることになった。それでも実力主義のナラゴニアでは、リオードルはわかりやすいカリスマ性を持っていると評価されているようだ。あれで存外、好漢であるのだという声も聞こえた。

 ユリエスが長を務める《翠の侍従団》は、熱心な世界樹の信奉者たちであり、一種の聖職とみなされて、園丁に次ぐ敬意を集めていたようだ。しかし侍従は侍従に過ぎず、今となっては、瓦解したに等しいとみなされている。かれらは民衆からは遠い存在であったので、ユリエスそのものの人柄について知るものは少ないようだ。

 《放浪商会》は、ナラゴニアの経済の要であって、園丁がいなくなった今、今後のナラゴニアをひっぱってゆくのは商会であろうというのがもっぱらの下馬評だった。ノラ・エベッセという女性は、一癖も二癖もある商会の面々をまとめているだけあって、かなりやり手の人物であるらしい。

 以上が、ニコルが集めた情報で、彼女はそのすべてを館長にエアメールで送ったのだった。

■ 会談 ■

 かつては、世界園丁が演説などに使っていたというホールに、机と椅子が並べられ、一同が着席した。
 翠の侍従団のメンバー(美少女・美少年ばかりだった)が香りのよいお茶を入れてくれたカップが配られたほか、ヴィエリ・サルヴァティーニからは引っ越し蕎麦がふるまわれた。
 引っ越し蕎麦は越してきた側がふるまうものなので、この場合はナラゴニアが用意するのではないかというツッコミを心に抱いたものがいたとか。

「双方にとって最も良い落とし所を探ろうと思うのだが、いかがかな?」
 メルヴィン・グローヴナーが議事の進行役を買って出た。
 彼の言葉には誰も異存がない。ただ、それが具体的にどのような形になるのかが問題だ。
「私は当分の間は、図書館がナラゴニアを統治した方がいいと思うわ」
 口火を切ったのはティリクティアだった。
 直截な意見に、旅団側が3人とも、目を見張ったので、
「誤解しないで。統治といっても、すべて強制はよくないと思う。私が言いたいのは、旅団の人たちだって意見がひとつじゃないでしょう? このまま、ナラゴニアがバラバラになってしまうのが怖いの」
 と付け加える。
「確かに、ナラゴニア内の意見をひとつにまとめるのは難しい。強いひとつの権力が必要だな」
 リオードルが応じた。
「都合の良いことを言いますね。だとしてもあなたにその権限があるとは言えないでしょう」
「ほう、俺以外に誰がいるってんだ」
「おいおいおい」
 リオードルとユリエスの言い合いが再発しかかったところへ、ジャック・ハートが口を挟んだ。
「負けたテメェらに選択の余地はねェだろォがヨ。世界樹がここに留まる限り、テメェらが図書館の下に入るのが普通なんじゃねェの。世界樹が消失から人を守れる状態じゃなくなった以上、テメェらも図書館所属しなきゃ消える可能性が高いンだろォが」
「ジャックくん」
 メルヴィンがそっと嗜めたのは、ジャックの物言いが相手に「敗戦」という事実を意識させすぎると思ったからだ。
 しかし、ジャックの指摘は適切だったろう。すぐに、同意の言葉があちこちであがった。
「パスホルダーとトラベルギアを与えたうえで、自治を任せるなら任せるとすればよいでありましょう」
 と、ヌマブチ。
「そうだな」
 坂上健が言った。
「お前らが消えないためには、やっぱり図書館でパスポートを受け取るしかないと思う。けど、それはお前たちも図書館のやり方に従うのと同じだろ? 俺は王は要らないと思う。世話をする園丁も居ない。俺たちは世界図書館の下に平等だ。違うか」
「……私は、それも本人の意志だと思う。でもパスを受け取ったら、世界図書館に属す者になるわ」
「仲間を使い潰すようなテメェらのやり方を存続させるなンて虫唾が走らァがね。トップが居なくなった途端王になりたいとほざくなンざテメェらクランチと変わンねェだろォが」
「無礼だぞ、ジャックとやら」
 リオードルが凄むと、瞬間、口の端に鋭い牙がのぞき、その眼光が金色に閃いた。
「……だがおまえたちの言うことはもっともだ。『アガスティアの葉』の力も失われた。そうだな、ユリエス?」
 少年は頷く。
「みなさんの、消失の運命は、図書館が防ぎます」
 アリッサが言った。
「まず、応急的な措置として『難民パス』を発行します。……図書館のみんなは知ってるでしょ、『朱い月に見守られて』が滅びたあと、竜星の犬猫たちにとった対応よ。これで、ナラゴニアのみなさんは消えることはないけれど……パスホルダーを受け取り、トラベルギアを受け入れてもらうことはまた別。旅客の身分を獲得してもらわなければ、ロストレイルに乗車して異世界に行くことはできません」
「ありゃ~。すると、あたしたちはこの世界で生きていくしかないわけだねぇ。それはあたしら商人にとっては困ったことだわねえ。よその世界に行けないなんてさ」
 ノラが言った。
「まずはいろいろな方向性を探ってみよう。ナラゴニアに自治を任せるとして、なにか意見のある人は?」
「お願いが」
 おずおずと挙手したのはハルカ・ロータスだった。
「誰が率いても、誰が治めてもいい。だけど、治める人が、一番下で社会を支えてる弱い人たちを苦しめたり、彼らに辛い思いをさせないようにだけ頼みたくて。本当の平等は難しくても、せめて平等を掲げられる世界であるように」
 彼の言葉に、坂上健たち、同意見のものが頷いてみせた。
「急激な変化は好ましくない。今までのやり方を踏襲しつつ、旅団のものたちが協力し合えばいいだろう」
 雪・ウーヴェイル・サツキガハラが言った。ただし、と彼は付け加える。
「それは己を王と自称する輩のためではない。ひとつの社会の根本を支えるもの、すなわち民のためだ。王のために民があるのではない、民のために王があるのだ」
「ふん。どうもおまえたちは、この俺が愚昧な暴君にしかならないと知りもしないで決めつけているようだな」
 と、リオードル。
「民のために死ぬ覚悟なくば王などと称すべきではない。それができるか」
「俺は死なんさ。そして俺が王なら俺の民もまた死なせん」
 自信たっぷりに言った《人狼公》と、雪の視線が真っ向からぶつかる。
「自治を任せるとしたら、統治役はあんたでいいのじゃないか」
 古城 蒔也が言った。
 ほかに、積極的に身を乗り出すものがいないということは、裏を返せばリオードルがもっとも意欲的であるということ。それに、ニコルの情報からも、この男がそれなりに人望を持ち、治政に明るいこともわかっている。
「それで、ノラさんには図書館との外交窓口になってもらったらどうだ。それから、侍従団の人たちはターミナル側に連絡役でいてもらうってのはどうよ?」
「なんですって!」
 思いがけず、烈しい反応を見せて、ユリエスが立ち上がった。
「僕たちに世界樹のもとを離れろというのですか!」
 蒔也の意見の中には、たしかに、侍従団を一種の人質的にターミナルに駐留させるという意図も含んではいた。それにしたって、ユリエスの反応は熾烈であった。
「ひとつの意見だよ。今は案を数多く出してみる段階だ」
 メルヴィンがとりなすように言って着席させたが、ユリエスは相当、気分を害したようだった。

「自治とは言うけどねぇ」
 ノラが発言した。
「今まで旅団を率いていた園丁たちがいなくなったんだ。どうあったって、あたしらは変わらざるをえないよ。自治を許すというのは、あたしたちを支配するのではないってぇことだろうから、それはありがたいけど、反対に、この見知らぬ世界に留め置かれたまま勝手にやれっていうのも、ちょっと乱暴なんじゃないかしらねぇ?」
 聞くものによっては、ずいぶんと、盗人猛々しいとも言える意見だったが、アキ・ニエメラは良いほうにとったようだった。
「そこはさ、協力できるとこは協力してイイ世界にすりゃいいじゃん。妥協も必要だろうけど……こういうの、縁って言うんだろ?」
「それなら、俺も協力したい」
 ハルカも頷く。
「私たちは今回1つになる機会を得ました。それを無駄にするのは間違っていると思います。私たちの間に起きたいくつもの戦いは、両者が並び立たないからこそ起こったのだと思います。今後の諍いを回避する為にも、全員が図書館の下の平等を甘受するべきです」 ジューンが意見を述べる。
「それはあたしたちも大歓迎。世界樹の意志がない以上、あたしたちはもうよその世界を滅ぼす必要もないんだもの。あたしたちが戦う意味なんて、もうないわよねぇ?」
「ねえ、館長」
 臼木 桂花が発言をもとめた。
「本当はこんなところで質問も嫌だけど。『ファミリー』体制は解体するのかしら。例えば図書館と旅団が合議制で融和するなら、こっちだって秘密主義のファミリーなんて要らないわ。館長をトップにロストナンバーから代表を選んで今後を話し合えばいい。『ファミリー』の存在は融和の方向には障害になると思うの」
「解体って、どういうことを想定しているかわからないけれど、理事会よりも強い権限のある体制を、旅団の人たちも含めてつくっていくことは不可能ではないと思うわ、ただ……」
「『チャイ=ブレのことがある』。そうだね」
 メルヴィンがそっと言った。
「ええ。その点はちょっとデリケートな部分があって」
「図書館が体制を変えられないなら、あくまで現状は維持したまま、旅団がその下に入ってもらうよりないと思うけど」
 桂花は肩をすくめた。
「ある程度は図書館の体制に合わせるのがいいと思う」
 遠慮がちに言ったのは、村崎 神無だった。
「向こうのこれまでの体制も残しながら、その中でいいものは図書館側も取り入れるとか、できないのかな」
「それは良いと思う」
 イルファーンが賛同する。
「旅団と図書館は価値観の土台から違う、双方手を取り合って緩やかに新たな体制を作り上げるべきだ。でもそのためには、まずお互いのことをもっとよく知ることが必要じゃないかな。君達の意見ももっと聞きたい。君達はどうしたい。どんな国作りを望む?」
「……どうしたい、ですって」
 ユリエスの暗い瞳がイルファーンを見た。彼は微笑みで応える。
「館長は公正な人だ。君達の意志を無視して進めたりはしないよ」
「そんなことはどうだっていい!」
 一度は抑えた感情が、再び爆発したようだ。
「あなたたちはわれわれの神を奪ったのですよ! それを、ただの一人も……誰一人として釈明も謝罪もしないとは!」
「けっ」
 失笑を漏らしたのはファルファレロ・ロッソだ。
「いいこと教えてやる。原初の園丁を殺したのは何を隠そうこの俺だ。張り合いなくてがっかりだったぜ」
「……」
 ユリエスは黙り込んだ。怒りのあまり声も出ないといった様子だ。
「文句があったら、ターミナルの『ゲームセンターメン☆タピ』ってところまで来いよ」
「おい」
「ちょっと」
「復讐闇討ち上等の24時間営業、勿論普通のお客も歓迎だ。生きて帰れるかは運次第だけどよ。うちの館長サマはお優しいが義理立てするこたあねえ。旅団じゃ弱肉強食の掟が罷り通ってたんだろ? いつでも相手して――ってぇ、なにしやが……ぬうう!?!!」
「ややこしくしないで!」
「勝手に巻き込むな」
 ファルファレロの頬をヘルウェンディ・ブルックリンがつねり、メン・タピがヘッドロックをかけたが、放たれた言葉の矢が戻ることはない。ユリエスの顔面は蒼白だった。
「『メン☆タピ』みたいな猥雑な店には行かない方がいいアルよ! それよりも、ターミナルに来たならホストクラブ『色男たちの挽歌』がおすすめアル! ナラゴニアのロストナンバーも歓迎光臨、客層広がる大歓迎アル! ロメオ達の接客ぜひ体験してほしいアル!」
「おい、猥雑な店とは聞き捨てならんな」
「今、そんな話関係ないでしょ!」
 どさくさにまぎれてチャンが自分の経営する店の宣伝をはじめるのをよそに、アリッサは、
「釈明ならあるわ。世界樹による世界群の侵略は、やはり止める必要があったから。もっと早い段階で対話ができればよかったのかもしれないけど……」
 という言葉をかけた。
「それは理解しています。だから、僕らは殺されることになっても文句は言えません。……世界樹は残酷ですね。園丁さま方は道連れにしたのに、僕らは置き去りにしてしまった」
「殺し合いではなく生かし合いたい。それが僕の望みだ」
 イルファーンが言ったが、ユリエスは哀しげにかぶりを振っただけだった。
「『翠の侍従団』に意見はありません。話し合いはお任せします。決定には従いますので」
 そう言い残すと、席を立つ。
 ボルツォーニ・アウグストが、静かに、その背を目で追った。
 気まずい沈黙が、テーブルに落ちる。ただ、チャンが、ノラに名刺を渡して店を売り込む声だけが響くのであった。

「僕の意見も、大まかに言えば、旅団と図書館の融和した新たな体制を作る派だ」
 ヴェンニフ 隆樹が口を開いた。
「ただ、その目的は、最終的にイグシストから脱却にある」
 アリッサが、目を閃かせた。
「詳しく聞かせて」
「イグシストは強大なディラックの落とし子だと聞いた。かれらに頼らないと僕らロストナンバーが存在できないという状況が、結果として今回の激突のような事態を生んだと思う。ディラックの落とし子は世界群に害なすもの。世界樹もそうだった。僕はこの世界樹は、今は沈黙したが、まだ生きていると見るべきだと思う」
 ユリエスが聞いていたらどう思ったかしれないが、隆樹の考えに、人々は顔を見合わせた。
 隆樹の言葉は、はっきりとは指さないものの、つまるところチャイ=ブレについても触れている。アリッサはどこか含みのある表情で、
「考えはわかったわ」
 とだけ言った。
「新体制は、ともに整備していく必要があろう」
 ボルツォーニが、低く、よく通る声で言った。
「それにはヒト、モノ、カネの自由な行き来を保証する制度を共有すべきだ」
 言いながら、視線をノラへ向ける。
「ナラゴニアとターミナルで、通商を行うということかな」
「それも含む。時に、人狼公」
 ボルツォーニはリオードルに向かって言った。
「貴君には力と意欲がある。新体制の推進力となることを期待する」
「むろんそのつもりだ」
 リオードルはまんざらでもなさそうである。
 それがボルツォーニの意図なのだと、アマリリス・リーゼンブルグは冷静に観察していた。ターミナルとの通商はノラの期待するところに違いなく、それをちらつかせて融和路線に乗り気にさせ、一方、公の場でリオードルを持ち上げてプライドを満足させている。ユリエスがいれば、彼にも手を打ったはずだ。さしづめ、あとで彼にだけ声をかけて、人狼公やノラを補佐するような立場を頼むとでも言ったかもしれない。
「あの」
 続いて、村崎 神無。
「ナラゴニアに世界図書館支部のようなものを作っては」
「それはいいと思うぜ」
 一二 千志が同意するが、実は少しだけ意図が違う。
 千志は、ナラゴニアに対する監視の目が必要だと考えていた。特に、翠の侍従団には注意すべきだ。
「互いに視察団を派遣しあってはいかがでしょう? 見て回ることで相手の理解に繋がるはずです」
 と、ヴィエリ・サルヴァティーニ。見て回ることで相手の理解に繋がるはずです、と述べる。
「あとターミナル・ナラゴニア間に定期便を出せるようになればいいですね」
「お互いが交流できる場や機会は必要だと私も思う」
 アマリリスが言った。
「そうね。それはいいと思うわ」
 アリッサも乗り気なようである。

 その後も、さまざまな意見交換が行われた。
 イェンス・カルヴィネンは、先に、旅団から図書館へと亡命したものたちについて、旅団側は引き渡しを求めるかを訊ねた。あるいはかれら自身がナラゴニアに帰還を望んだ場合、不当な扱いを受けないかを彼は懸念する。
 これについては、リオードルもノラも頓着しないと言った。
 戻りたければ戻ってもよいが、その場合は、問題が起こらないよう監督するとリオードルは言う。ただ、いちど亡命したのであれば、図書館の人間と扱うべきであろう、とも。
 アマリリスは、世界樹旅団が『世界計』を所持していたかが気にかかっていた。
 だがそういったものは知らない、との返答。旅団の異世界移動は、園丁たちによる千里眼にもとづいて行われていたそうである。
 ヘルウェンディは、ノラに、『放浪商会』とはどういうものかを訊ねた。
 簡単に言えばナラゴニアの商人の集まりだが、いささか驚いたことには、ナラゴニアの商人たちは異世界でも商売をしていたのだそうだ。ノラは、できればこれからも同様の活動をしていきたいと言ったが、アリッサはいくぶん困ったようだった。あまり大々的な商いをすることは、あきらかに異世界の秩序に影響するからだ。また、ターミナルとの通商を行うのであれば、ナレジキューブと世界樹の実との交換を行う必要があり、ロバート卿とも相談しなければならない、とアリッサは言った。

■ 散策 ■

 ナラゴニアの街に、バイオリンの音が流れている。
 ロナルド・バロウズが演奏しているのだ。
 集まっているのは、ナラゴニアの人々と友好的に過ごしたいと考えるものたち。
「図書館所属の道化師だよ、みんなお兄さんと一緒に遊ぼー! 飴ちゃんいっぱいあるのね!」
 マスカダイン・F・羽空が色とりどりのキャンディをつくりだしては配りながら、子どもらを呼び集めている。
 脇坂 一人は林檎や葡萄を持ってきた。
 ナラゴニアにも、多くの非戦闘員が住んでいる。そういったものたちは今までの旅団の侵攻に加わっていなかったが、ナラゴニアが戦場になった先の戦いでは、否応なく巻き込まれてしまった。
(戦争は災難でしかない――)
 一人は思う。彼女が、ターミナルで借りていた畑も、戦いの余波で駄目になってしまったのだ。
 マスカダインはこの街と人々に、少しでも笑顔を与えられたらと思う。難しいことは後回し。これで多少なりとも、図書館への印象が好転すればよい。
 鰍たちは、被害を受けた街で、手伝いを申し出た。
「矛盾しててもいいだろ。手の届く範囲の相手は助けたいんだよ」
 と、がれきを片付けることからはじめる。
 ドアマンが、扉を使って作業を手伝ってくれた。
「今言う事か分からないが、許してほしい」
 ナウラも、その作業に手を貸しながら、ナラゴニアの住民に声をかける。
「色々あったし、偉い人達には思惑もあるだろう。でも……」
 一般の住民レベルでは、友好を結んでいきたいのだと、ナウラは言った。
 手伝いの輪に、ひとり、またひとりと加わるものが増えていく。
 街の様子を見まわっていたムシアメもやってきた。
 ナラゴニア潜入部隊に加わっていたムシアメだが、そのときはゆっくりと街を散策する余裕もなかったのだ。あらためて見てみれば、ターミナルとは多少、雰囲気は違うものの、やはり、さまざまな世界群からやってきたものたちが住み集う街であるところは共通して見えた。

「やあ、町はどうですか?」
 クージョン・アルパークは、知己を見つけて、にこにこと声をかけた。
 彼は音楽を奏でながら町を歩いているうち、そのうしろに子どもらの行列を引き連れて歩くことになった。
 まさにハーメルンさながらだが、子どもたちはみな元気なようで、それがクージョンには嬉しい。
 そんなクージョンが出会ったのは、柊木 新生とカンタレラだった。
 視線を泳がせるカンタレラにかわって、柊木は、
「彼女が探したい、というのでね。……僕は住民の様子を聞きながら、つきあっているんだよ」
 と言って、似顔絵が描かれた紙を見せる。
「……アルパカ?」
「ダイアナ様なのだ!」
 似顔絵の作者(カンタレラ)が反論した。
「そうか」
 クージョンは静かに頷く。
「カンタレラ。僕は心配していたんだよ。君の中に闇があるのなら、僕が君の闇を薄らげてあげたい。君には僕がいるよ」
「カ、カンタレラは……ダイアナ様を救いたいのだ……。ダイアナ様は『罪を完成させる』と言って……ダイアナ様が深く絶望されてるのは分かるのだ。だから」
 むろん、姿を消したダイアナがナラゴニアにいるという仮説に何の裏付けもない。
 それでもできることをしたいというカンタレラに、クージョンも付き合うのだった。

「これが世界図書館を震撼させた、世界樹旅団の本部ですか……。そしてこれが……園丁のなれのはてですね」
 高倉 霧人は、その樹を見た。
 根本に、いくつかの、お供えもののようなものが積まれている。ナラゴニアの住民が、かつて世界園丁であったものに捧げたのだろう。いちばんうえにそっと置かれている花は吉備サクラが持ってきたものだった。
「なにかわかりましたか」
 サクラは水筒を手にしている。
「いえ。仙人の僕なら、樹木でもその思考くらいは垣間見れます。……が、本当にただの樹になってしまったようですね。なんの感情も記憶もありません」
「そうですか……。これ、沐浴場の水なんですけど」
 サクラは、原初の園丁が世界樹の意志を感じ取る儀式に用いていた場所から水を汲んできたのだと言った。
「世界樹と意志疎通ができればと思ったんですけど」
「特に、この水からもなんの気配も感じられませんね。いやー、一度二度くらいは、世界樹がきちんと機能してる時に入りたかったなぁ……」
 悔しそうな霧人。
 サクラは水をすこし飲んでみたが、青くさい味がするばかりだった。

 虎部 隆たちは、世界樹の幹を登っていた。そこはもっとも烈しい戦いの舞台となり、最終的に牡牛座号がつっこんで大きな穴が開いた場所であり、そこからは、眼下にナラゴニアを見下ろすことができる場所だ。
「この樹、まだ生きてんの?」
「わからない。でも死んだのなら、この樹もナラゴニアも消えるかもしれない。そのまえに、ナラゴニアの街もヒトも、もっと知らないと」
 ヘータは淡々と、調べるのみだ。
 ドナ・ルシェはふよふよと漂うように飛びながら、どこかおっかなびっくりに、世界樹を眺める。
 世界樹旅団の首魁としての世界樹は恐ろしい存在だと思っていたが、今はただの巨大な樹木でしかない。そう思えば、ドナには愛着さえ感じられてくるのだ。
「たぶんだけど、この樹の中にはアーカイヴ遺跡と同じかそれ以上の情報が蓄えられているはずだよ。なんとかサルベージできればいいけど」
「ふうん」
 ヘータの言葉に、隆は今いち気のない返事だ。
 隆の関心は世界樹よりも旅団の人々にある。さらに上を目指して、枝のうえへと歩く。だんだん勾配がきつくなるが、そこはそれ、かつて「煙のタカちゃん」の異名をとった身である。
 ヤッホーのかわりに、はるか下方の街へ、彼は叫ぶ。
「世界樹を生かすための生活は終わった! これからは自らの幸せのために生きよう! みんな故郷はあるだろう。俺も壱番世界を救いたい。仲良くしようぜ!」
 その声が、届いただろうか。

「セクタン」
 ぼそり、と由良 久秀が言った。
「えっ、なんですか」
「しまったほうがいい。図書館のロストナンバーだとすぐに知れる」
「あ――」
 言われて、黒葛 小夜はドングリフォームの小枝を鞄につっこむ。
 ナラゴニアに暮すものたちもさまざまな姿のツーリストたちであるし、相当数が住んでいるから、黙って歩いている限り、ただちに世界図書館とばれるわけではない。
 だから、住民に石を投げられるかも、という小夜の考えは杞憂だったし、そもそも、彼女がセクタンを隠さず歩いていたあいだも、さほど目立って厳しい目があったわけではなかった。
 由良は、ときおり立ち止まっては、黙ってシャッターを切っている。
 小夜は、街行く人に話しかけてみたい気持ちはあるが、なかなかきっかけが掴めないでいた。
「ここの人達も、ほんとうはターミナルの皆と変わらないのかな……。由良先生は写真家だから、私より色々なものが見えますか?」
「何処にも同じ人間なんていないだろう」
 ぶっきらぼうに、由良は言った。

「……っ!」
 それは、突然の邂逅だった。
 蓮見沢 理比古は虚空とともに、人々のあいだにいた。
「政治的レベルの話し合いは賢い人たちがやるだろうから、俺はあなたたちに信じてもらえるようなことをしたい」
 そう言って、子どもらには菓子を配りながら、かれらの暮らしのことや、これからの希望などを聞き取ってまわる。虚空は薬箱を持参し、必要なものには手当を施す。薬箱にはコブシとマリーゴールド――『友情』を花言葉にもつ花――が飾られ、主従ともに救護者であることを意味する腕章をつけていた。
 理比古は、ふと、顔をあげ、向こうから連れだって歩いてくる二人連れを見た。
 瞬間――、彼の中を稲妻が奔った。
 エウレカ。見つけた。刹那に、そのことがわかった。幼いころから夢に見ていた『誰か』。おそらく彼の覚醒のきっかけとなった、異なる世界の住人。ターミナルにいれば、いつか会えると信じていた人物が、まさに彼であることを瞬時に悟ったのだ。
 虚空は主人の異変に気づいて、ふたりづれに視線を投げる。
 武人風の装束の男と、その連れの、今ひとつ年齢不詳な青年であった。その面影は……
「!」
 吸い寄せられるように近づく理比古に、向こうも気づいたようだ。
 武人――清闇が理比古たちを見たが、敵意はないとわかったのか、ゆるく微笑った。
 そして、理比古は、無言で……もはや言葉などとうに超えた、あふれる感情とともに、彼を、理星を抱きしめている。
「あ……。えっ……」
 理星もまた、清闇をともなって市街の片づけなどを手伝って回っていたところだった。
 理星と、理比古。ふたりの瞳がまじわる。それは、不思議な一瞬であった。
「っ!」
 言葉らしい言葉をかわすよりも先に、逃げ出すようにその場を離れたのは理星だった。
 喚起された感情を、自分自身でどうにもできなくなったようだった。理比古は、優しくも、感極まった表情でそれを見送り、虚空は、あるじの背中と、逃げ出す理星、そして、見守っている清闇へと、順々に視線を移す。
 清闇が微笑みかけてくるのへ、胡乱なまなざしを返した。

 その日、ナラゴニアでは、いくつかの再会があったようだ。
 マルチェロ・キルシュは、住人に訪ね歩いて、ついにその建物の前にたどりつく。扉の外から根気よく呼びかけ続けて、どれくらい経ったろう。
 そこはもともと空家だったが、戦いがはじまるとかれら――メムとイムがそこにたてこもったのそうだ。
 二人の能力は閉鎖された空間を『アミューズメントスペース』と化し、かれらのルールで支配すること。敵を誘い込んで迎え撃つにはいいが、大規模な戦いには不向きだ。幸運にも建物が無傷だったので助かったが、今もって中に籠り続けているらしい。
「……イム」
 メムは、イムを振り返った。無言で、彼を見る。イムは、口をへの字に結んで、ぷい、とそっぽを向いた。
「だまされちゃダメだ。トモダチだって、おじさんだってどうなったかわかんないんだぞ!」
「……でも。お腹も空いたし」
「……」
 ぐう、とイムのお腹も鳴った。
 そして。
「……やあ」
 扉の向こうには、マルチェロの笑顔があった。
 相手が彼だとわかって、メムも笑顔を浮かべた。イムの表情も、ほっとしたようなものになった。
「よかった。心配してたんだ。無事だったんだな」
「しんぱい?」
「ああ。だって、友達だろ?」
 歳が多少離れていても、誰がなんと言おうと……かれらはすでに友達だった。
「さ、出ておいで。お腹空いてるんじゃないか?」
 そう言われて、ふたりは照れたように笑った。

 そこはナラゴニアの裏通り。
 世界樹の枝葉の陰になり、空気も湿っている。
 人気のない、ひっそりとした街並みを、相沢 優とリエ・フーが歩いていた。ふたりがともに探しているのが同じ人物と知り、いつしか連れ立つようになった。
「彼のこと」
 ぽつり、と、優が言った。
「灰人さん。とても気にかけてた」
「……ばかだよな」
 リエの言葉は誰に向けたものか。牧師のことを言ったようにも、探し人のことを指したようにもとれた。すなわち、アクアーリオという名の少年の。
 幾人かの、住人を訪ね、断片的に得られた情報を頼りに進んだ。
「あの戦い以来、パパ・ビランチャを見ないね」
 あるものが言った。
 パパ・ビランチャは旅団の武闘派の一人だ。きわめて過激な人物で、園丁の命令というよりは、自分がそうしたいから異世界への侵攻に加わっているような人物だったという。そのため、当初は、ドクタークランチも重用していたが、しだいに疎んじるようになったのだとか。
「知ってるよ。パパ・ビランチャが集めていた子どもらの一人だろ」
 アクアーリオを見知っているという人物にやっと行き当たり、優は顔を輝かせた。
「戦いがはじまってすぐ……、ほら、あの機械を背負った――ペッシ?とかいう子に連れられてどこかへ行くのを見たよ」
 ほかにも何人かから同じ情報が得られた。
「パパ・ビランチャと一緒じゃねぇんだな?」
「さあ。でも、あの男は容赦がないし、しつこいから。子どもらが逃げるのは許しはしないよ」
 そんな話に、リエはそっと眉を寄せる。
「それから、ママ・ヴィルジネって言ったかな。最初は戦いに加わってたけど、急にいなくなったって。あの一派になにかあったのかもしれないね」
 そんな話もあった。
「あんたたち、あの子となにか?」
「何、ちょっとした因縁があってな……」
 反問されて、リエはそう答えた。
「話してえことがあったんだがな」
 結局、アクアーリオ本人を見つけることかなわず、ついた帰路で、リエは言った。
「どんな?」
「あいつの姉貴のこと、弓張月のこと。……どこいっちまったんだ。もう戦いは終わったってのによ。あいつもだ。グレイズ」
 リエは別の、縁ある人物の名を挙げた。
(あいつ、どんな思いでここに居残ったんだろうな)
 そんなふたりの頭上を、飛ぶ一羽の鳩。
 鳩は、手近な木の梢で、リーリス・キャロンの姿に変わった。
「言った通りになったでしょ、ペッシ」
 そっと、ひとりごちる。
 視線の先は、新たなる0世界の大地――樹海だ。
 ペッシがアクアーリオを連れ出した。戦に乗じてパパ・ビランチャから逃げ出そうとしたに違いないだろう。ママ・ヴィルジネが戦いを切り上げたのも、パパ・ビランチャに呼び戻されたのかもしれない。つまり、アクアーリオを追うために。
「生き延びていてね、死なないでね……会いたいの」

「サロメさん!」
 舞原 絵奈が名を呼ぶと、その女性ははっと息を呑んだ。
 間違いなく、絵奈が壱番世界で出会ったツーリストだ。ナラゴニアの住人に、特徴を伝え、聞き込みに聞き込みを重ねて、ようやくたどりついたのである。
 そこは市場のようなところだった。
 あれほどの戦いのあとだというのに、たくましい商人たちが崩れた店舗跡に露店を出していて、人々でごったがえしていた。その雑踏の中にまぎれるように、幽かな影のようなその姿をみとめた。
 サロメは、逃げるように、絵奈から離れようとしたが、すぐに追いつかれる。
「待って――待ってくださいっ。あの時、あなたは大怪我してたのに、あの場所からいなくなってて……ずっと心配だったんです」
 息を切らせて、絵奈は言った。
 思わず掴んだ手に、力がこもる。
「だからその……無事で良かったです…!」
「……」
 サロメは、暗い瞳を絵奈に向けると、
「……私を、探して……?」
 とかぼそい声で言った。
 絵奈はうなずいた。やっと会えたことであふれる気持ちの塊が喉につかえたようで、それ以上、言葉が出てこなかった。
「……私のこと……気にかけて下さって……ありがとうございます」
 絵奈はかぶりを振った。
 しばらく、連れだって歩いた。
「よかった……お元気そうで」
 ありていに言えば、健康そうな外見ではなかったがそれはもとより。少なくとも負傷はしていない様子だ。――と、絵奈は彼女が手荷物を多く持っているのに気付いた。出かけるところだったのだろうか。
 絵奈は遠慮がちに、しかしせいいっぱい明るく、あれこれと話しかけた。
 サロメはぽつりぽつりと答えてはいたのだが。
「それで……今、館長さんたちと旅団の代表者の方が……あれ?」
 一瞬の、隙をついて。
 サロメの姿は亡霊ででもあったかのようにいなくなっていたのだ。
 雑踏のなかを探せど、すでにどこにも彼女はいない。
 そのときになって、絵奈は、サロメが旅支度をしていたことに気が付いたのである。

「見つからなかったね」
 レイド・グローリーベル・エルスノールは、ルオン・フィーリムを慰めるように声をかけた。
 ルオンは、以前、ヴォロスで出会った旅団のものたちを探していたのだが、出会うことができなかったのだ。ナラゴニアと言ってもひとつの大きな街である。今もどこかにいるが、すれちがってしまったのかもしれないし、ことによると、どこか異世界に取り残されているのかもしれない。
「あの3人組との戦いはまだ終わっていなかったからね。いつか、手合せ願えないかと思ってたのだけど」
 とルオン。
 いつか出会えるときがくれば、かなうだろうか。
 気をとりなおして、ふたりは、街を観光してまわることにする。
 ナラゴニアはターミナルに比べると緑が多く、また違った景色の美しさがあるところだった。また、世界樹に沿うようにして階層状の市街地が重なっているという構造上、市街の端までくると「外」が見渡せる。そして今は、そこに広大な樹海が広がっているという絶景なのである。
「木々が生い茂る空中都市みたいな形になっちゃって、実に浪漫溢れる場所だね」
 ルオンの言葉ももっともだ。
「こっちに移住しちゃおうかな、なんてね」
 そう言って、ふたりで笑い合った。

  *

■ ナラゴニア会談における取り決め ■

 その日、双方の代表団による話し合いの結果、暫定的に、以下のような取り決めが合意された。

<1>旅団のツーリストに対し、『難民パス』が発行されること

 これにより、世界樹旅団のツーリストは「全員、例外なく」消失の運命を免れる。パスの発行は本人の同意や所在確認なしに行えるためである。ただし、難民パスの効力は消失の運命を停止することのみである。

<2>希望者には旅客身分が与えられること

 元旅団のツーリストも、希望すれば、審査のうえで世界図書館の旅客身分を取得できることになった。旅客となればパスホルダーやトラベルギアが与えられ、以降は図書館のロストナンバーとなる。

<3>ナラゴニアの統治は、当面の間、図書館の監督下で旅団が自治する

 人狼公リオードルら旅団代表者による「ナラゴニア暫定政府」が当面の間、ナラゴニアを治める。暫定政府の動きはすみやかに図書館に伝えられ、図書館は決定に異を唱えることもできる。

<4>ターミナル、ナラゴニア間の移動は許可制とする

 旅客身分を得たものを除き、旅団のツーリストが、ターミナルに立ち入るには図書館の許可を要する。また、図書館のロストナンバーがナラゴニアに立ち入るにも図書館の許可(ナラゴニア政府のではない)を要する。常識的な目的での訪問であれば、許可を得ることは難しくない(互いの行き来を管理することが目的)。

 そのうえで、積極的に、ターミナルとナラゴニアの住人レベルでの交流を進めていくこととなった。
 様子を見ながら、将来的には、図書館と旅団の融和した新しい体制づくりについても視野に入れて議論していくことになるだろう。いつか、0世界がそのようになったとしたら、今日という日はそのはじまりの日であったと、記録されることになるはずである。

(了)



クリエイターコメント
公開日時2012-10-28(日) 13:30

 

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