セリカ・カミシロの頭上に見え隠れしていた真理数は、日を追うごとにはっきりとインヤンガイを示すようになっていった。 インヤンガイに帰属して、「ガーディアン」として理沙子とハワード・アデル、ひいては理沙子をはじめアデル一家を守っていきたいと望んでいるのを真理数が現しているようだ。 別れの季節には不安がつきもの。乙女の微妙な心境を察されたか、セリカはNo.8に声をかけられた。 「セリちゃんが帰属しても、私はいつでも会いに行けるじゃん。家族を見つけたんでしょっ!」 それでだ、と。 「セリちゃん、決着をつけようぜ。ふっふっふ……あのまま勝ち逃げは性に合わないんだよね」 「そう挑発されたら、受けないわけにはいかないわね」 コロッセオに来るのもこれが最後になるだろう。 No.8は情緒の落ち着かないセリカを励ますために、勝負に誘った。 「私もあのときよりはやれるわよ」 「そうかい、たっぷりしごいてやるよ」 勝負形式は、二本先取の三番勝負。銃火器はペイント弾を用いる。ギアの使用は禁止だが、能力は使って良い。 セリカは帰属とともにギアを図書館に返すことになるからだ。 コロッセオのステージは当然、ストリート。インヤンガイ風の雑多な盛り場を選んだ。屋台から垂れ流された汚水で足下がぬかるんでいる。 障害物は多く、破壊可能だ。 市街地での打ち合いなら拳銃では物足りない。 セリカはŠkorpion Vz.61サブマシンガンをとった。拳銃弾を連射できるŠkorpionは、チョコ製、片手で振り回せる小ささでKGBや共産系テロリストに愛されてきた名銃だ。日本では北朝鮮の工作員に好まれているのと公安に警戒されている。セリカの細腕にピッタリである。そして、彼女にはできなければならないことがある。1.3kg。 一方、No.8が選んだのは89式アサルトライフル。5.56x45mmNATO弾は、拳銃弾より遙かに大きく、運動エネルギーはŠkorpionの.32ACP弾の10倍以上だ。日本製、セレクターが右側についていることが一部自衛隊員には不評だが、No.8はたくさんあるタコ足で回せば良いので問題ない。3.5kg。 二人が銃をとり、コロッセオの対角で向き合うと、インヤンガイの町並みが生えてきた。 砂のコロッセオは、一瞬で、雑然としたインヤンガイの歓楽街となった。薄汚れたネオンがぼうと浮かび、油と漢方方剤と残飯の腐った臭いが漂う。さびた看板が視界を遮る。 セリカは、Škorpionからハイガネハンガーの出来損ないにしか見えないストックを伸ばして、肩に当ててみた。 これなら使える。 両手でセレクターを連射に入れて、左手に持ち直す。 深呼吸。 「本気でやるわよ。覚悟しなさい、エイト」 人がいない町並みは暴霊に支配された街区を彷彿させる。ターゲットは暴霊ではなく、友であるNo.8。 普通にやれば戦闘慣れしているエイトが有利だろう。 ギアの使用は禁止。 セリカは銃を持たない方の右手を開いたり握ったりと感触を確かめた。いままではギアの助けで防御壁を展開できていた。 手袋はセリカの能力を引き出すもの、と説明された。それが真実ならば……。 そして、沈黙した街に滑り出た。 † 人通りのない、インヤンガイの町並みというのは落ち着かない。 「暴霊……幽霊でも出そうな雰囲気になっちゃうなぁ」 No.8はそそくさと適当な建物を吸盤で登り、隠れた。 セリカも大通りを歩いてくると言うことはないだろう。 かと言って、二人してかくれんぼしての我慢大会をするのは興ざめである。No.8が本気を出せば何日だって潜伏できる。 「とは言ってもね。向こうからはこちらの位置はテレパシーで読まれるんじゃないかなぁ。だからね。本気で派手にやらせて貰うぜ」 閃光弾を屋上から投げる。 「さて、とっととあぶり出すとするか」 道路の反対側の建物に当たって、転がり戻ってきたところで爆発。 「セリちゃんならどこから投げられた当たりをつけられるだろうよ」 そしてセリカは建物を伝ってくるだろう。しかし、No.8のように屋上まで上がるようだとすぐにバテるはず。 おあつらえ向きに、このフィールドの建物は無理な増築をくりかえし、空中でつながっているところが多い。 錆の浮いた鉄の外階段は、柵が切られていて隣の建物に簡単に飛び移れる。 建物の高さもまちまちで屋上を伝うのも簡単ではない。 「見つけた」 鉄の外階段は、人が歩くといい音を立てる。 安全装置のセレクターを「ア」から「レ」に回す。 屋上から見下ろし、階段に見え隠れする人影向かって引き金を絞る。 パパパッとマズルフラッシュと共に火線が走る。 手応えはない。 「逃したか」 するすると壁を伝って降りる。 セリカの消えた廊下は既に無人だった。 低い天井、扉、扉、扉、階段、そして、ゴミ箱代わりのドラム缶。 No.8は部屋に気配を感じた。友も感じているだろう。No.8のいる廊下に静かな足音が響く。 気配の濃厚な部屋の前まで進む。 マガジンを交換。そして、No.8は扉の横の壁に89式アサルトライフルを向けて引き金を絞った。 56x45mmNATO弾はベトナムで樹木に隠れるソ連兵を撃つのにも使われた。 轟音と共に壁に無数の弾痕が刻まれる。 しかし、銃撃が収まっても、ペイントの蛍光ピンクに染まった壁はそのままであった。 「もらっ……あれっ、壁抜けでき……て無い?」 とまどい、は隙。扉を蹴り開けられ、扉板の端からŠkorpionの銃口が見える。 扉板の向こうからセリカが叫ぶ。 「なにやってんのエイト!」 「えへっ、壁を貫通できるかと……」 「バカね! ペイント弾は弱装だから、そんな威力はないわ。エイトのは大きいだけ不利!」 「ぐぬぬっ」 日本人向けに小ぶりに作られているといえども、No.8の89式は扉の幅より長い。銃口を一旦地に向けないと中を狙えない。初撃をかわせたのは、No.8がタコ足で天井に張り付いていたからだ。普通に地に立っていたら勝負は決していた。 セリカの射線がNo.8のいる天井へと跳ね上がろうとする。廊下が蛍光ピンクに染まっていく。 No.8はとっさに、廊下のドラム缶に飛び込んだ。 ドラム缶は倒れ、ゴロゴロと転がる。 「わわっ止まらない!」 銃弾を浴びドラム缶がピンクに染まる。 セリカが弾倉を入れ替えながら、追撃を加えようと迫ってくる。蛸壺に入ったNo.8は絶体絶命だ。 少しでも間合いをとろうと、ドラム缶を転がす。No.8の適応は早い。開き直って、ペイント弾では缶は貫通できないのを利用することにした。 「あっ、エイト危ない!」 「その手には乗らないじゃんよ! ……わっわわっ!!」 ドラム缶の中のNo.8は視界がほとんど効かない。 三半規管も揺さぶられ、どっちが上だかももうわからない。 ガコンと不吉な音がドラム缶に響いた。 そして、衝撃。 ガコン、ガコンガコン。 「階段だ~~!!!」 そうしてNo.8は転がっていった。セリカは走って追いかける。 それでも、しぶとくドラム缶の中から射撃。 出鱈目な跳弾が階段をかけめぐり、近寄りづらい。 「はははっ、ほらほら~。ってアチッアチッチチチ! 助けて! 助けて!」 どうやら、ドラム缶の中で薬莢が跳ね回り、生足むきだしたこ足の間にはまり込んだようだ。乙女にやけどの跡が残らなければいいが。 そして、階段を落ちるドラム缶が一階で止まると共に、弾も撃ち尽くした。 「ふふん」 「あっ、しもうた」 ドラム缶の中は狭くて、弾倉が交換できない。Škorpionの銃口がNo.8の額に当てられる。 「フリーズ♪」 「ままっ……まいった」 † 二本目。 ……なっ! 開始直後、大通りを進むと、セリカは遠くからNo.8が手を振っているのを見た。 狙える距離では無い。……が、茶目っ気とともにペイント弾が飛んできた。蛍光塗料がセリカの脇の道を汚す。 『スナイプだぜ! ずるっこだけどな』 テレパシーにのせられた必中の意をT1ダットサイト越しに感じる。 一般的に弱装弾では、威力と射程が落ちる代わりに命中精度が上がる。射撃競技用ライフルの反動が驚くほど小さいのはそのためだ。 そして、89式は二脚を取り付けることによって安定した射撃が行える。人工環境による無風。56x45mmNATO弾本来の有効射程550mをめい一杯引き出される。そして、ペイントを当てるだけならより遠くを狙える。 いずれも、セリカは知らないことだ。 これによって、89式はŠkorpionの数倍遠くからでも集弾させることができる。初弾は着弾観測、続けざまに修正弾。 自分めがけて弾丸が迫り来るのが制止した時間の中で見えた。 セリカがとっさにできたのは、銃を持っていない方の右手を掲げることであった。 ロストナンバーになってから何度も繰り返し、体に染みついた動作。ギアにより障壁を張ろうとした。しかし、今日はギアは持ってきていない。 セリカは被弾して、右手を蛍光ピンクに染めた。 痛みにしびれる手をさすっていると、No.8がアサルトライフルを肩に担いで近寄ってきた。 「セリちゃんダメよ~。インヤンガイに帰属したらもうギアは使えないんだから。見送ってすぐに葬式なんてやめてくれよ」 「ありがとう、エイト。でもね。私のギア……あれね……私の力を増幅させるものらしいの。だから両手の力、右手の障壁と左手の光線は元々私の力らしいのよ」 「なっなんだってー!!」 No.8は仰々しく降参のポーズをとった。 「だからね。今日はそれが使えるか試してみたかったの」 セリカはŠkorpionを左手に持っている。 「そう、だから今日のセリちゃんは左手で銃を持っているの。ギアで封印されていたサウスポーが解放されたのかと思ったわ」 † 三本目 食堂のホールを慎重に進むセリカは信じられない光景を見た。 表の坂を、無人の屋台が滑り降りてくるのだ。牛骨拉麺と書かれた旗がたなびいている。 窓の下に身を隠し、通りに視線を舐めるようにめぐらす。 「アレはおとりとしてどこから来る!?」 気配がおかしい。 ――いや、エイトなら。 「はははっ、戦車だぞ~~!!」 視線を拉麺屋台に戻すと、組み込みの寸胴の蓋が開き、No.8が上半身を出した。寸胴に入れることはできなかったのか、手に持っているのは拳銃だった。 窓が9x19mmパラベラム弾(のペイント弾)にぶち破られ、ガラスが散乱する。 「先手とられた!」 枠だけになった窓からŠkorpionだけ出して撃ち返すがまるで集弾しない。いくら弱装弾で反動が小さいといえどもセリカの細腕には荷が重い。そもそも、Škorpionは狙った的に当てられるような銃ではないのだ。 だが、数打てば当たるとの言葉通り、弾丸をばらまくのがサブマシンガン、十分に距離が詰まればこちらのもの。 弾倉を交換し、セレクターをオートに切り替る。 心臓の鼓動を計り、割れた窓から一気にフルオート射撃した。 薬莢が飛び散り、あっという間に全弾うち尽くす。 そして、拉麺屋台は勢いのままセリカの構える建物に突っ込んできた。 衝撃が走る。 「やったか!?」 蛍光ピンクに染まった……円盤がセリカの前に転がってきた。 セリカのペイント弾は鍋の蓋で防がれたのだ。 「盾はアリなの!?」 「扉を貫通できないなら、蓋も無理さ」 ひっくり返った屋台の下に89式が挟まっているのが見える。 セリカは無我夢中でマガジンを交換しようとする。リリースボタンは左側だ。右手を回すのに手間取る。 その隙に、No.8が腰のアタッチのスタングレネードからピンを抜く。 まばゆい閃光と衝撃が奔る。 セリカは視線を銃に降ろしていたからその直撃避けることができた。そして、爆音はセリカには通用しない。 マガジンを取り替えざまに、テーブルを飛び越え、倒して盾にする。 視界が回復する数瞬が惜しい。気配を探りつつ銃だけを立てたテーブルの端から覗かせ弾をばらまこうとする。 ……いや、天井!! 「えへっへー。セリちゃん。かわいいよ」 タコ足が天井の照明に絡まり、リボルバーの銃口がこちらを向いている。一体、何丁の銃を持ってきているんだ。 「負けないよ!」 視線が交錯する。 そして、二人の銃が同時に火を噴いた。 そして、コロッセオはもとのローマ式の闘技場に形を戻していった。 † 「ねぇ、セリちゃん。兵科ってわかる?」 No.8はセリカの顔を正面に見据えて、ゆっくりと口を大きく開けてしゃべり出した。 二人とも蛍光ピンクに汚れている。No.8は髪も同じピンクなだけにカラーコーディネイトは許される範囲だったが、セリカは無様なものだった。 「どういうこと?」 「軍隊の兵隊の種別ね。わかりやすくは戦車兵とか衛生兵とか歩兵とか砲兵とかね。……戦士と魔法使いと僧侶って言った方がいいのかな」 「言いたいことはたぶん……わかるつもりよ」 「ううん。それだけじゃなくてね。情報科も主計科も参謀科も……そして軍楽科も全部兵科なの。そこでね。生兵法で他の科のまねごとをしても却って足手まといになるんだ」 「私は戦いには向いていないってこと?」 「そうじゃなくてね。戦うとして、どう戦うかよ。私は戦闘機は操縦できないし、輸送計画を立てることもできない」 「……そうね。でも」 「帰属した元ロストナンバーにとって心細いのは、ギアが使えなくなることよりも、導きの書の予言が無くなることの方が大きいと思う。でも、セリちゃんはね。そっちの方の心配はしていないんでしょだから大丈夫」 No.8が照れくさそうに頭をかく。 セリカのピンクは被弾して天井から落ちたNo.8の下敷きになってついたものだ。No.8の打った弾は、とっさに射線を払ったセリカの右手に防がれていた。 障壁を張る能力はどうにか発揮することができたようだ。もう一回できるかはわからない。 「不安はわかるつもりけどさ。セリちゃんは十分、今のままでもアデル家を守ることができると思うよ。それができるとインヤンガイに信じられているから真理数が浮かび始めているんじゃ無いかな」 言葉がセリカにしみこむのに間が空いた。 左手から光線を発する方もそのうちできるようになるかも知れない。しかし、インヤンガイでは人は良く死ぬ。強い者も弱い者も平等に、あっさりと死ぬ。そこで生き残れるのは、とてつもない幸運の持ち主と、人の縁に恵まれた者だ。 No.8はセリカが鉄砲玉のように命を散らして欲しくない、そう言ってるのだ。 「ありがとう」 そして、セリカは0世界大祭の射的の景品で得た大量の銃弾をエイトに譲ると申し出た。 これからのセリカには……たぶん、弾丸はいらない。どちらにせよ多過ぎてインヤンガイには持って行けないから。 「えへへ、もらっちゃった。じゃ、餞別にこれをあげる」 そして、No.8はお礼として、No.8がずっと護身用に持ってたリボルバーを取り出した。 ずしりと重たい銃がセリカの手に置かれる。 セリカの目が点になった。 「いや、ちょっと、これはナシって話しじゃ無くて!?」 戸惑うセリカがNo.8をひっぱたこうとすると、偵察兵はやさしそうにほほえみを浮かべたまま、目元を手で覆い隠していた。 「ううん。これはね(ずびっ)。暴走しそうになったハワード・アデルのケツに撃ち込むためのもの(ずびっずびっ)」 「バカ!」 顔を赤くするセリカに対して、No.8は涙と鼻水に顔をぬらしていた。 「また遊びに行くからね!」
このライターへメールを送る