「荷物はそれだけでいいのか?」 エク・シュヴァイスが月色の瞳を気遣わしげに瞬かて、両手に白と黒の子豚のぬいぐるみを抱っこしたキサ・アデルに向けて声をかけた。 黒白のふんわりとしたドレス姿のキサはこくんと頷いた。 「だって、キサ、とくに荷物ないもん」 「それも、そうだな」 「お箸とね、ぬいぐるみ、めっこちゃんがいれば困ることないもん。このなかにいれてるの」 くるんっとまわって腰を示すそこには肩から下げた淡い桃色の絹にいくつもの野の花が描かれたポシェットが吊るされている。ここに必要なものはすべてまとめているらしい。 女の荷物は多いと思っていたエクは肩すかしを食らった気分だが、良く考えれば覚醒した者がそうであるように、キサもまたターミナルにはわが身ひとつでやってきたのだからそれは仕方のないことだ。 ――博物館に、キサの部屋を与えてやりたい 覚醒したキサの今後を仲間たちと考えた末、エクは一つの提案をした。 キサは見た目こそ大人だが内面は幼い子どもで、保護者が必要な立場だ。 現在は司書である黒猫にゃんこが保護者の立場だが、仕事柄いつもキサと一緒にいることは難しく、キサに与えられた部屋は一人部屋だった。一つ目っ娘が心配して小さな分身をキサに渡していたが、心持たなさを感じたエクは思い切ってキサの住まいを提供することにした。 エクはターミナルの端にある博物館で生活している。そこには旅半ばで死んだ旅人たちの遺留品を飾っているので命について考えさせるには最適な場所だ。エク以外にも住人がいて、キサに気を配れる者が常にいれる。 キサは基本的に博物館でエクと過ごしながら、身体検査などの時はにゃんこの与えたもう片方の部屋にも帰ることを選んだ。 「そういえば、ちびめっこは? 二匹のうち一匹はあっちの部屋にいるんだろう?」 「めっこちゃんはね、ポシェットのなかだよ。昨日、興奮して三人でいっぱいおしゃべりして寝不足なの。もう一人のめっこちゃんはね、はやくこの部屋にも帰ってきてねって、出て行く前にすごく言われちゃった!」 「そうか」 「えへへ。おひっこしだね」 キサはエクの横で期待に胸をいっぱいにわくわくと歩く。 「そんなわくわくしても、行くのは以前案内した場所だぞ?」 「わかってるよ! けど、嬉しいの!」 女は苦手なエクだが不思議とキサに対して恐怖や嫌悪感を覚えない。傍にいても毛が逆立つことはないし、思わず飛びのきたいとも思わない。 その理由はキサが本当に幼い子どもだからだろう。女性である前に守りたいという庇護欲と義務感が強い。 「ほら、見てきた」 エクの声にキサは顔をあげる。 白亜の建物の入り口をくぐると、良く磨かれたタイル、冷やかな少しだけ埃ぽい空気がキサとエクを出迎える。 いつもならば眠りについた貴婦人のように静かな室内は、今日は珍しくあっちこっちから声やら気配が溢れていた。 「あ」 エクが事前に連絡していたの入り口のところで出迎えた枝折 流杉の姿にキサはあわてて、エクの背中に隠れる。 姿だけならば十代のキサとさして変わらないが、良く澄んだ瞳は賢者のような聡明さを、疲れを感じさせる無表情は彼が随分と長い間、旅人でいたことを物語っていた。 「リーダー、キサだ。キサ、挨拶しろ。リーダーはこの博物館のオーナーだ」 キサは不思議そうに目を瞬かせておずおずと前に出る。 「あ、あの、よ、よろしく。リーダー」 「枝折 流杉。下の名前で呼んでいいよ」 キサはかちんこんちに緊張したまま頷く。 「おかえり」 「え」 流杉が片手を差し出したのにキサはぬいぐるみを落とさないように気を付けながら右手を出すと、その手のひらに銀色の鍵が落ちた。 「ここに部屋を作ったとエクから聞いたから」 キサは不思議そうに鍵を見つめる。 「リーダー、今日は随分と人が多いみたいだな」 「うん。お客はいないけど、館員はみんないるから挨拶するといいよ」 流杉はそれだけ言うとまるで川が流れるような、ゆるやかな足どりで去ってしまった。鍵に気を取られていたキサははっと顔をあげたときにはもうその姿は消えてしまったあとだった。 ぱちぱちとキサは目を瞬かせる。 「鍵、無くすなよ」 「う、うん。あ、あの、リーダー、じゃない、流杉さんは?」 「もう行ったぞ」 「え、ええっ、そんな、ど、どうしよう、えっと、あ、うっ」 キサが慌てるのにエクは右頬を釣り上げて微笑んだ。 「挨拶がてら、建物のなかを案内する。ついてこい」 「う、うん」 エクが背を向けるのにキサはしゅんと俯いてちらりと目を向けて、黒い尻尾がふわっと揺れる様子をじっと見つめて手を伸ばそうとして躊躇った。 エクは不思議そうに足をとめて、小首を傾げるのになんでもないとキサは首を横に振って歩き出した。 鏡のように磨かれたタイルが天井につるされた燈火から零れるあたたかな光を反射して輝いている。 それが博物館全体の暗闇を払拭し、硝子ケースに展示されている品々を包み込んでいる。ここにあるのはもう主なき物ばかり。古びたノート、錆びついた剣、グローブ、スカーフ……ゴミとすら思えるそれらはオーナーが消えていく寸前にすくいあげ、もう大丈夫だと声をかけられてここに身を寄せてしばしの眠りについている。いつか誰かが、扉を開けて、迷いもせずに自分を手にしてくれる夢を抱いて。そんな彼らは決して自己主張はしない、ただ遠慮深く佇み、よければ、どうぞ、好きなだけ見ていってくださいと囁いている。 キサは不思議そうにエクの背のあとにつづいて、眠っている品たちの歓迎を受けた。 エクは時折足を止めて、キサに展示物に短い説明をしていくのに、 きゅっ、きゅきゅー。 硝子の磨かれる音がしてキサは目を瞬かせる。 ぴょこんと硝子の端から耳が飛び出してきたのに驚いて目をまん丸くする。 「ん? あ、エク!」 「硝子磨きか?」 「そうです! リーダーが掃除をしてって言ったのです! ノラ、がんばってお掃除中です!」 茶トラの猫又紳士のノラ・グースはえっへんと胸を張る。すぐにエクの横にいるキサを認めて、アメジスト色の瞳をぱちぱちと瞬かせる。 「この子が噂の子ですか?」 「ああ。キサだ。こいつはノラ」 キサはあわててエクの後ろに隠れた。 「はじめまして! ノラはノラです! よろしくです、キサ!」 にこっとノラは朗らかに笑うのにキサは小さく頷いた。 「博物館へようこそなのです、おかえりなのですー」 ノラの歓迎にキサはびっくりしてますますエクの背中に隠れてしまう。その様子にノラは興味深そうに尻尾をふわふわと揺らしてエクに助けを求めた。 エクは苦笑いしてキサを見下ろしてノラに目配せした。 「今から休憩にしようと思っていたのですー! みかんを一緒に食べませんか?」 ノラはお気に入りの紫色の上着からつやつやのみかんを取り出した。掃除の休憩時に食べようと持っていたのだ。 ノラの上着はまるで魔法がかかっているようにみかんが一つ、二つ、三つといっぱいに出てくるのにキサは首を伸ばして目をぱちぱちさせる。 「酸っぱいのが苦手なくせにみかんが好きなんだ、こいつは」 エクが笑ってみかんの一つを手にとる。 「みかんは酸っぱいけど、おいしいです! このみかんはとっても甘いって売ってくれた人が言ってたのです! だから平気なのです。キサも食べましょう? あそこに座るところがあるのです」 キサが小さく頷いて、差し出されたみかんを手にとった。ノラは無邪気にキサの手をとってベンチに移動する。 ベンチの前でノラは恭しく頭をさげてキサに先に腰かけるようにとエスコートした。いっぱしの紳士気取りなのをエクは笑う。 キサが腰かけ、ノラがその横に、エクはキサを挟むようにして腰かけた。 「ここにはいっぱいいろんなものがあるのです」 滅多に客がこない博物館について教えれることが嬉しいらしく得意げに語る。 キサはたどたどしい手つきでみかんの皮を剥きながらノラの説明に頷いたり、瞬いたと相槌を打つ。 二人のほほえましいやりとりをエクは目を眇めて見つめていたが 「ノラは知っているのですー。エクは前にリーダーを怒らせて、大切なワインで大変な目にあったのです」 ワインの話題にエクは咳き込んだ。 「なんでお前、それを知ってるんだ!」 「リーダーに言われて、ワインの中身を別の容器にいれるのを手伝ったの、ノラです」 「……お前が共犯だったのか」 エクは鼻白んだ。 キサの問いかけるような視線にエクは観念したように口を開いた。 「俺は、ワイン集めが趣味しているんだ。いろんな世界を巡って集めたワインを部屋の奥にコレクションしてるんだが……ちょっと前にリーダーを怒らせてな。瓶で殴られたんだ。中身もそうだが、瓶こそ貴重だっていうのに! あのときは瓶が割れるかヒヤヒヤした! 俺があれを手に入れるために女性に近づいたり、男に追われたり散々な目に合ったことを知っているのに!」 つい先日のワイン殴打事件をエクは未だに根に持っていて、話していると興奮したらしく尻尾をぶんぶんと振って、まくしたてる。 ノラは両手を口元にあててくすくすと笑う。 キサは不思議そうに両脇にいる二人を見つめていて、ほろりと手からみかんが落としてしまった。 「あ」 タイルの上にあるみかんをそっと黒い毛に覆われた手が掴みあげる。土色のロープから覗くのは優雅さと気位の高さのうかがえる猫の顔。 ふー、ふー。ふー。 黒猫はロープから鼻先を突き出して、みかんに息を吹きかけて目に見えない埃を払うと、そっとキサにみかんを差し出した。キサは立ち上がると近づいて、恐る恐る受け取った。 「あ、ありが……!」 キサはぎょっと目を見開いた。 今まで注意していなかったが、ロープを纏った猫が一匹、二匹、三匹……たくさんうろうろしている。 キサは目を瞬かせて、目の前にいる猫を見つめた。 「ぼくはロアンって言うんだ。よろしく、ふふふ。ここにいるロアンはきみを歓迎するよ」 キサはロアンの言葉の意味がわからずに目をぱちぱちさせる。ロアンは機嫌よく笑った。 「ロアンは亡霊なんだ」 背後からエクが説明した。ロアンがロアンについて語ったところでキサに理解するのは難しい。おしゃべり好きな寂しがり屋のロアン。けれど大切なことはいつもはぐらかすひねくれ屋のロアン。 「今日も大量に分裂してるな。少し多すぎないか」 「おやおや、エク! ロアンは語るのが大好きさ! それにこれは仕事だよ」 ロアンは目を細めてごろごろと機嫌よく喉を鳴らす。 「この建物の品を語らせたらロアンの右に出る者はいないんだ。なぜって? ぼくはここにある品の残留思念を自分のものにしちゃっているからね。おいで、このヘルメットについて教えてあげよう」 ロアンがキサの手をとって硝子ケースに近づいていく。 そこにあるのは黄色い、土のいっぱいついたヘルメットだった。いくつかの打撲のあとと擦り傷がついている。 「これはさる冒険者のものだったんだ。戦うためじゃなくて安全のために被っていたんだ。この人はね、山が大好きで、いっぱい登っていた。けど、山は上から何が降ってくるかわからないからね。岩とか小石とか、樹の枝とか、そんなものからいつも守ってくれていたんだよ」 キサはロアンの流れるような声と手振りを交えた説明に興味深そうに硝子ケースを見つめる。 「素敵だろう?」 「うん」 キサが遠慮がちに硝子ケースを撫でるとロアンはまた喉を鳴らした。 「ふふふ。おかえり」 「え、あ」 「ロアン、また迷子になっていたぞ」 「こっちにもいたのですー」 エクとノラがキサの後ろから声をかける。その腕には迷子だったロアンがしょんぼりとした顔で立っている。 キサの横にいたロアンは耳をぴくっと小さく動かし、迷子だった二匹のロアンを手招いた。二匹のロアンはロアンに近くと、すぅと空気に溶けるように消えてしまった。 「ロアンはいっぱいロアンなんだ」 わかるような、わからないような説明にキサは本日何度目かのきょとんとした顔をした。 「みんなとおしゃべりするためにいっぱいいるんだけど、どきどき広すぎて迷子になっちゃうんだ。ロアンはそそかしいんだ」 「う、うん?」 「キサが混乱してるぞ」 呆れてエクがつっこむのにノラはキサの横に来てにこにこと笑った。 「ロアンは、いっぱいるんですー」 やはりわかるような、わからないような。 キサの不思議そうな視線にロアンはふふふっと目を消えそうな三日月のように細めて唇に人差し指をあてた。 「ミステリアスなんだ、ロアンは」 「ロアンは迷子なの?」 「そうだよ。もしキサが博物館で迷子になってもロアンがいれば困らない。一緒に迷子になればいいんだもの」 「迷子が増えただけだろう、それ」 「そうなのですー」 エクとノラのつっこみにもロアンは髭をぴんとたてて笑うだけ。 「大丈夫だよ。ぼくがロアンを探すから。キサも探してあげる」 「うん?」 ロアンは腕を伸ばそうとして、はたと気が付いたように小瓶を取り出した。童話に出てくる妖精の羽のようにきらきらと輝く粉をひとふり自分にふりかけた。 「なにしたの」 「魔法だよ。キサ、かがんで」 キサは大人しくロアンの前に両膝をついた。 ぽむ。 ロアンの手が伸びて、キサの額を優しくつつく。そしてなでなでなでなで。 「うみっ」 「ぼくはキサを歓迎する。だから撫でるんだよ」 それまでうろちょろしていたロアンたちがとてとてと集まってきた。ロアンたちは博物館の見回りや説明、それに残留思念を取り込む作業に精を出して忙しいが、本体のロアンがキサを可愛がるのを見てとうとうほかのロアンたちも我慢ができなくなってしまった。だってロアンは寂しがり屋でひねくれ者、けれど誰よりも愛情にあふれて、人が大好きなのだから。 ロアンたちは集まるとキサを囲んで歓迎なでなでを開始する。 「ふわぁああ~~、ロアンがいっぱい! み、みう」 ロアンたちの歓迎なでなでなではとてもしつこい。 「お前らがキサを囲んで、撫でる姿、なんかの呪いみたいだぞ。ほら、キサが怖がってるだろう」 エクが一匹、一匹ロアンたちを引きはがしにかかと、「えー」「ふふふ」「おやおや、つれない」「なでなで」ロアンたちはそれぞれ声をあげて不服を漏らしたり、面白がって笑ったりする。 「ほえー」 「キサ、大丈夫なのです?」 熱烈な歓迎に混乱して目をまわすキサをノラが支えて気遣う。ロアンたちの愛情表現はいつも過激で、力いっぱいだ。 本体であるロアンだけは最後までキサをしつこくなでなでするのにエクに睨まれた。だが当のロアンは気にしない。 「なんだよ、このロアンどもは! 集まって黒魔術でもするのか? だったらオイラと契約しろよ!」 呆れた声にキサは、振り返る。まだいるの? ノラにもらったみかんみたいに鮮やかなオレンジ色、漆黒色の博物館のなかで一番立派な耳、スーツに帽子、ロザリオを胸に飾ったテリガン・ウルグナズだ。ただの猫人化ではないのは、彼の背中にある蝙蝠翼からもうかがえる。 テリガンの呆れた視線にあわあわしているロアンたちに向けたあと、そのなかに茫然と腰かけているキサに目を向けた。 「こいつが、キサか? オイラはテリガンだ。よろしくな!」 テリガンの無遠慮なしゃべり方は、親しげだがべたべたしたものではなく、かといって乱暴でもない微妙な距離感を心得たもので不思議と不愉快ではない。 キサはこくんと頷いてテリガンを不思議そうに見る。テリガンはにぃと右頬を持ち上げて不遜に笑うと翼をばさりと動かした。キサがびくっと目を丸める。あまりにも純粋すぎる反応にテリガンはからからと笑って、キサの前に腰を屈めて視線を合わせた。エクの瞳よりもずっと細く、一番星の輝きのような瞳がキサを捕えた。 「オイラみたいなのが珍しいみたいだな。けど、オイラみたいなやつなんて、ターミナルでは五万といるぜ!」 「そうなの?」 「オイラは力と願いを司る悪魔だ。契約したらなんだって叶えられるんだぜ」 「契約?」 「そうだ。キサ、オイラと契約」 テリガンの頭をエクが無言で殴った。 「いって! エク! なにすんだよ」 「油断も隙もない!」 「冗談だよ、冗談! くそー。最近契約がもう出来ないんじゃないかって思えてきたぜ。うう、オイラの本業が……」 尻尾をたれさせて悪態をつくテリガン。最近は本業の契約が取れずにやさぐれていた。 ターミナルではもう契約をとることを諦めてしまおうか、いや、諦めてはなにもかも終わってしまうと自分を慰めたり、奮い立たせたりの毎日だ。 今日は博物館に引きこもって趣味のアクセサリー作りをして契約がとれないストレス発散をしていた。 「まぁ、いい、おかえり。でロアン! オイラ、ロアンに言うことがあったんだぜ! オイラの作ったアクセサリー。片方もってどこかいきやがっただろう!」 実はかなりの小心者であるテリガンは一人で部屋にいるより大勢といるのが好きで、道具一式を持って博物館内で、作っていたアクセサリーの片方がどこかに消えたのだ。そうなれば犯人など限られてくる。 「おやおや。それはぼくじゃないよ。別のロアンだよ。きっと」 「おいおい、どのロアンだよ」 テリガンは頭をがりがりとかいた。 アクセサリーという単語にキサが興味を示したのをテリガンは敏感に読み取った。 「見てみるか? オイラの作品」 「うん、見たい!」 キサが身を乗り出すのにテリガンが右手をとって案内しようとするとロアンが左手をとった。ノラが尻尾をぱたぱたさせる。 「ノラもキサの手をつなぐのですー、ノラもです!」 「おい転ぶなよ」 後ろからエクが心配して声をかけた。 テリガンはベンチの一つを占領し、そこに銀、鉄、石、押し花、ペンチを広げていた。作りかけのものもあれば既に完成したものもある。シルバーの指輪や石のついたブレスネットだ。 「テリガンさんが作ったの? その十字架も」 キサは目を輝かせてアクセサリーを見て、テリガンの胸に輝く十字架を指差した。テリガンはにっと笑っただけで答えず、先ほど作ったばかりのペンダントを手にとった。 「これなんかどうだ? ほしいのがあれば特別にプレゼントしてやる!」 「きれい! あ、けど、これ、作りかけ?」 キサが興味を示したのはベンチの上で、銀のチェーンに繋がった作りかけのペンダントだった。彫るのではなく、特殊な硝子を縁銀が囲み、そのなかに花などを挟むタイプのアクセサリーだ。 「ああ? 中に飾るやつが決まってなくてな」 キサがまじまじと見つめるのにテリガンはふぅんと尻尾を振った。 「なにか作ってほしいのがあるのか?」 「え、あ、あの、あのね……えっと、あ」 ふらっとキサの身体が揺らぐのにエクはぎょっとして腕を伸ばした。 「キサ!」 ノラとロアン、テリガンも慌ててキサを支えようと手を伸ばすが、虚しく宙をかく。 「あわわ。赤ちゃんになっちゃったのです!」 キサの後ろにいたノラの腕のなかに赤ん坊のキサが転がる。落とさないようにノラはあわあわと慌てながらぎゅうと抱きしめる。 「なにがあったんだ、おい、ノラ、キサは大丈夫なのか」 「あ、あの、キサは」 「キサは?」 三人が見守るなかノラの大きな瞳を困惑させて告げた。 「寝てるのです」 赤ん坊は通常、一日のほとんどを寝て過ごす。キサは肉体こそ大人だが同時に赤ん坊であることに変わりはない。昨日からずっと興奮して十分な睡眠をとっていなかったキサはとうとう疲れと眠気がピークに達してしまったようだ。 「けど、あんな倒れるように寝るか」 テリガンは顔をしかめた。 「うーん、けど、赤ちゃんは本当にこてって寝ちゃうんです」 とノラ。エクも出身世界では孤児院にいた経験から幼い子どもが急に寝てしまうのは良く知っていた。 「チビは下手すると食事していても寝るからな。寝ながら飯をすするやつもいるぞ」 「まぢかよ」 「ふふ、良く寝てる」 キサを部屋に運んだ四人は、ベッドですやすやと眠っているキサを覗き込む。 ずっと鞄にいたちびめっこはぴょーんと飛び出して閉じ込められていたことにぎゃーぎゃー騒いでいるのは放置しておいた。相手していたらキリがない。 ふええええええん! いきなり赤ん坊が泣きだして四人は顔を見合わせる。 「え、えええ、どうしたの、キサ!」 「おい、臭いぞ。おむつか!」 「ぼく、おむつかえたことない」 「……おむつなら買ってきたが」 男ばかり四人が集まっておろおろするのに、おーほほほっとちびめっこが高笑いして、こんなときのためにあたしよーと胸を張って自己主張するが混乱している男たちはそれどころではない。ちょっとー無視しないでよー! 「なにしてるの」 「「「リーダー」」」 テリガン、ノラ、エクが叫んだ。 「どいて」 流杉はてきぱきとおむつ交換すると、キサが泣き止む。その小さな身体を流杉は腕のなかに抱えた。 と ふえええん キサが再び泣き出したのに四人の尻尾がぴーんと緊張に立ち、耳もそわそわと動く。 「おなかすいてるみたい、ミルクの粉ある?」 エクが慌てて荷物から取り出す、ノラは台所にいってお湯、テリガンは哺乳瓶、ロアンはタオルの用意と忙しい。 そうしてミルクを与えられてキサはようやく落ち着いた。ふっくらとした頬は薔薇色に染められ、目は機嫌よく細められる。キサの小さな手が開いて閉じてを繰り返す。小さなげっぷをしたキサはなんと今度は見守っているエクの尻尾を掴みにかかった。 「いったたた。ばか、離せ、キサ!」 「あわわ。キサ、だめです。ノラの尻尾もだめですー」 「こいつ、尻尾を狙ってるぞ!」 「ぼくの尻尾もぎゅぎゅは、ふふふ、無理だよ、キサ」 キサが尻尾を掴もうとするのに四人が慌てること十分ほど。 おなかがいっぱいになって遊び疲れてまたスイッチが切れたようにキサは眠りだした。流杉はぽんぽんとキサの背中を叩いて、ベッドに寝かせる。 「リーダーすごいのです」 「さすがだな」 「リーダー、助かった」 「キサが泣き止んでよかった!」 「これからキサがここで生活するならこういうこともみんな慣れて対応していかないとね」 淡々と流杉は告げるのに四人はこくんと頷いたあと、再び眠りについたキサの顔を覗き込んで笑みをこぼした。 目覚めたキサはすぐにきょろきょろと視線を周囲に向ける。カーテンが閉められて薄闇が室内。 ベッドの枕元にはめっこがおなか丸出しに眠っている。キサはすぐにここがどこか理解すると立ちあがって部屋を出た。きょろきょろと視線を彷徨わせる。何かを探すようにキサは進み、博物館のなかを進む。その間、迷子のロアンに出会うこともなかった。 「どうしたの」 広い博物館のなか。 何百年も昔からここにいたように流杉が立っていた。 「りーだー」 「流杉でいいよ」 流杉は無表情のまま告げる。 「キサは、リーダーって呼んじゃだめ?」 「呼びたいの?」 「……みんな、そう呼んでるもん」 キサは拗ねたように唇を尖らせる。 「キサもみんなと一緒がいい」 「ロアンは名前で呼ぶよ」 その言葉にキサはますます顔を不満げに俯いた。 「みんな、エクにはおかえりって言ったもん」 「キサ」 「キサも、おかえりって言われいもん……エクは、ここに家族がいるんだもん。キサのこと大切にしてくれたけど、キサはエクの家族じゃないもん。だから、だから」 「みんな、キサにおかえりって言ったんだよ」 流杉の言葉に瞳に涙をためていたキサは顔をあげて、縋るような視線を向けた。 「家族っていう定義はそれぞれだけど、もしエクがここに帰ってもいいっていうなら、それは君もだよ」 「キサも?」 「そう。だから鍵をあげたんだ」 静かな言葉にキサは小さく頷いた。 「寂しかったの」 覚醒して故郷を見失うことがどれほどの恐怖か。心もとないことなのか。それは覚醒した者しかわからない。 「ここは博物館なんだ」 流杉は告げる。 「博物館の目的は収集・保管・整頓……だけど、ここはそういうものじゃない。ただ残しておきたいものがあるひとのものを預かっている。なにかを残しておきたい。自分が帰るところがほしいのはみんな同じだよ」 キサは流杉を見つめて口を開いた。 「り……流杉さんも?」 その無遠慮な質問を流杉は唇に笑みを作っただけで誤魔化した。 「リーダー、キサ! どこなのですー」 「おい、飯だぞ」 「二人ともどこだ!」 「迷子になっちゃった?」 流杉はキサに手を伸ばした。キサはその手をとって歩き出す。 導かれるままに赴くと、食堂にいた四人が手をふった。 「リーダー! キサ! ご飯作ったのですー! 今日はキサのためにも御馳走なのですー! ノラがんばってお野菜の皮を剥いたのです!」 ノラが自慢げににこにこと笑って流杉とキサの手をとって案内した食堂の大きなテーブルには魚介類のスープ、野菜いっぱいのサラダ、あつあつのクリームたっぷり鶏肉入りのグラタンが並ぶ。 それぞれ決まった場所に腰かけるのにテリガンはキサの真向かいだったのにぽいっと何かを投げた。 「味付けはオイラがやったんだぞ。あ、そうだ。キサ、ほら」 「こ、これ」 「お前の母親の髪、鞄のなかにあったぜ。あのままだと無くしちまうだろう。部屋の鍵つきだ。もし気に入らないなら、すぐに」 「う、ううん。素敵! ありがとう。テリガンさんっ」 銀縁に囲まれた硝子のなかに収まった母の髪で作られた結び花の飾りと一緒にある鍵を見つめてキサは綻ぶ。 「ロアン、珍しいな、夕飯の時刻にお前がいるのは」 「ぼくは食べないけど、楽しむんだよ。ふふふ」 テリガンとロアンが楽しく言い合いするのにノラはせっせっとそれぞれの皿に料理を装う。 「ほら、キサ、つけてやる」 エクの言葉にキサは頷いて首を差し出す。 キサの首から下がる小さな銀のアクセサリー。そこに輝く鍵。 「あの、あのね、みんな」 キサは博物館のエク、ノラ、テリガン、ロアン、そして流杉を見つめて 「ただいま!」 笑顔で告げた。
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