オープニング

 随分とがらんとした印象を受ける店をぐるりと見回し、残る荷物を丁寧に箱に詰めている店主の背中に声をかける。
「ここいらに並んでたのは、どこにいったんだ」
「帰り際に声をかけに来てくれた客人の中には、欲しいと言ってくれる人がいてな。望まれた物は全部譲り渡した」
「何だ、修理した品じゃなかったのか」
「飾っていたのはほとんど私が作った物だ」
 お預かりした物を飾るわけがないだろうと眉を顰められ、その手の良識はあったのかと考えたが口にするのは控えた。せっかくこのところ着ぐるみを免れているのに、嫌がらせとしてまたぞろ張り切られるのも困る。
 無難に相槌を打って、まだ棚に残る古めかしい洋燈を手に取った。
「じゃあ今ここにあるのは、売れ残りか」
「売ってはいないが、まぁそうだな」
 どことなく寂しそうに頷いた店主は、それもこちらに入れてくれと丁寧な手つきで残る品を片付けていた箱を示す。へぇへぇと適当に返事をしながら割れないように梱包していると、控えめに扉を叩く音がして顔を上げた。
「お。珍しいな、役立たず司書。あんたがここに来るなんて」
「……一号さんこそ、片付けの手伝いとは珍しい」
 やる気のなさそうな司書と呼ばれても平気なくせに、役立たずはお気に召さないらしい。僅かに嫌な顔をしてあてつけた呼びかけで返す司書に、彼もかちんと眉を跳ね上げる。けれど言い争いを繰り広げる前に店主が振り返り、ちょうどよかったと立ち上がって司書を迎えた。
「ここにある物、残りは全部寄付しよう。引き取っていってくれ」
「……持て余して、誰かに差し上げるのが落ちですけど」
 それでもよければ引き取りましょうと頷いた司書に、それも想定済みだと店主が笑う。
「誰かの手に渡り、役立ててもらえるならばこれほど嬉しいことはない。……物を作るのも楽しかった」
「故郷に戻られても、副業として続けられては如何です」
「楽しそうだな。だが、まぁ、……」
 珍しくあからさまに言葉を呑んだ店主に、司書がちらりと視線を向ける。気づいているだろうに知らない顔をして、店主は側にあった小さな椅子の背を叩いた。
「楽しい時間を過ごせた。失ったものも多いが……、ここは確かに楽しかったよ」
「あれだけいらないイベントを巻き起こしておいて、楽しくなかったなんて言われたら報われませんよ」
 さぞ楽しかったでしょうと棘を含ませた司書の声は、どことなく寂しそうでちくりと刺すほどの威力もない。店主はそうだなと少し声にして笑い、司書を眺めた。
「私たちがいなくなったら、寂しくなるだろう」
「──そう、でしょうね。でも静かにはなります」
「静かを尊び、たまに私を思い出して涙するがいい」
「泣けるほど苦労ならさせられましたからね。……忘れようにも、無理でしょう」
 たまには思い出しますよと小さく答えた司書に、店主は満足そうに笑った。目を伏せてそれを遣り過ごした司書は、滅多に人と向き合わないくせに今日ばかりは彼にもまともに視線を向けてきた。
「あなたも、元の世界に戻られますか」
「いいや。探すと未練だからな、探してねぇ」
「では、ここに残られるんですか」
「まさか。店主たちと一緒に行く」
「……よほど着ぐるみが気に入られたんですね……」
 若干引き気味に目を逸らした司書に、んなわけあるかと力一杯噛みつく。
「ただここで最初に店主たちに拾われたのも、何かの縁だ。まぁ、退屈はしないだろうしな」
 苦笑するように答えると、二号さんも一緒ですかと重ねて問われる。その言い方もだが、思い出した相棒の様子にげんなりしながら答える。
「あいつも一緒だ。というよりあの馬鹿、考えるの放棄しやがった」
 元いた世界に戻るか、0世界に残るか、別の世界に帰属するか、旅を続けるか。選択肢は山ほどあったのに、お前はどーすんの? と夕飯を決めるくらいの軽さで尋ねてきて。戻らないと答えると、じゃあ俺もーと何の躊躇もなく断言した。
「あいつはいっつもそうだ、故郷で反乱軍に参加する時もそんな感じだった。ちったぁ自分で考えろってんだ」
「考えてはいるんだろう。君に従えば間違いはない、という考えだろうがな」
「はぁ!? 俺はあいつの人生まで面倒見ねぇぞ!」
 後になって困るのはあいつだろうにと顔を顰めるが、店主は楽しそうに笑って何故かぽんぽんと軽く肩を叩いてきた。何だそりゃと眉根を寄せたが、司書も納得したように頷いている。
「では、そのように報告しておきます」
「ああ、頼む」
 これで最後の手間だと笑うように店主が言い、司書は導きの書に視線を落としながらそうですねと頷く。
「これも、……以前の自分が決めたことなんでしょうが」
 ぽつりと独り言めいて呟く司書に視線を向けると、珍しく泣き出しそうな顔で笑っている。
「ずっと見送る側、というのは──少々きついものがありますねぇ」
 以前の自分を恨みますと小さく続けた司書に、店主もそっと目を細めた。
「別れというのは、次の約束があっても寂しいものだ。それがないなら尚更……、耐え難くはあるな」
 皆元気にしていればいいがと呟く店主の声も感傷的で、最後の近さを教える。
 何れ彼らも、思い出される側になるのだろうか。



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<ご案内>
このシナリオは「ロストナンバーたちの後日談」を描くものです。

プレイングでは、みなさんの「その後の様子」をおしらせ下さい。
このシナリオは便宜上0世界が舞台として表示されていますが、どの世界の出来事でも構いません。

例:
・3年後、ヴォロスに帰属した。冒険者相手の酒場を経営している。
・数年後、○○さんと結婚。今もターミナルで暮らしている。
・冒険の旅に出た。新たな世界を発見し、探索を続けている。
・10年後、故郷の世界に帰り、再帰属を果たす。○歳まで生きて天寿を全うした。
※「○年後」という表現があれば、北極星号の帰還の年から数えます

相手のある内容の場合(結婚等)、お相手の方も同じシナリオにご参加のうえ、互いのプレイングに明記をお願いします。
帰属済みであるなどしてシナリオに参加できない場合、設定欄等に同意があることをわかる記述をお願いします(納品されるまでそのままにして下さい。ライターが確認したタイミングで書かれていなければ参照しません)。

なお、このシナリオの結果として、帰属や死亡が描写された場合でも、ステイタス異常にはなりません。

!重要な注意!
このシナリオのノベルに関しては、どのような理由であっても、納品後の修正依頼は一切受け付けません。

「故郷の世界」や、「新たな世界」を描写する場合、担当ライターにその設定も含めて一任していただくものとします。

複数のエピローグシナリオへの参加について、制限はありません。ただし、ライターは別のライターが執筆するシナリオの内容については関知せず、両者の内容について整合性を保つ義務は負いません。

シナリオに参加したことをもって、上記の点をすべてご了承いただいたものとします。
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品目エピローグシナリオ 管理番号3245
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
クリエイターコメント最後の一時、綴らせて頂ければ幸いです。

あんまりがっつりシナリオを出せませんでしたが、ご縁のあった方もなかった方も、よければお気軽にご参加ください。

物思いに耽って店仕舞いをしながら、こっそりお待ちしております。

参加者
ティリクティア(curp9866)ツーリスト 女 10歳 巫女姫
ジューン(cbhx5705)ツーリスト その他 24歳 乳母
ドアマン(cvyu5216)ツーリスト 男 53歳 ドアマン
藤枝 竜(czxw1528)ツーリスト 女 16歳 学生
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと

ノベル

 かたんと素っ気ない音に顔を巡らせれば、開けたばかりのドアを不思議そうに見上げているティリクティアを見つけた。柔らかく鳴って迎えるはずの鈴がそこにはなく、首を捻っているのを見ていらっしゃいと声をかけた。はっとして顔を戻したティリクティアは、
「こんにち、は……?」
 朗らかな挨拶の途中で語尾が上がったのは、以前と比べて店内の様相があまりに変わっていたからだろう。
「すまないな、散らかっていて。どうぞ中に」
「散らかるというか、片付いているというか……。お店、どうしたの?」
 きょろきょろと彼女が見回す店内からは、既に棚も椅子も片付けてしまった。ただ床に幾つかの箱があり、興味深そうに覗き込んでいるティリクティアにふと口許を緩めると再びドアの開く音がした。
「おやおや、これは物寂しいご様子ですね」
「っ、え、店を畳まれるのですか」
 驚いた声を上げながら入ってきたのは、ドアマンとジューン。ようこそと笑いかけると目が合ったドアマンは帽子を取って、こんにちはと目を細めた。ジューンははじめましてと頭を下げ、改めて店内を見回している。
「わすれもの屋としては店仕舞いしてしまったが、よければ見て行ってくれ。ここにある品は、行く先が決まらなければ司書室の片隅でガラクタになるだけだ。もしお気に召す物があれば、特価でお譲りしよう」
「特価て。最後なんだから大盤振る舞いしてやれよ」
 荷物を片付けつつ聞くともなしに聞いていた着ぐるみ一号が突っ込んだそれに、そんなことは承知だともと頷く。
「君たちがこの先どうするか……、それを教えてくれるだけでいい」
 未来の行方を教えてくれと懐かしく目を細めると、そんなことでいいのとティリクティアが目をぱちくりとさせる。
「見たところ、結構な値打ち物が揃っているみたいだけど」
「手慰みに作ったんだが、そう言って頂けると嬉しいものだな」
「そういうことでしたら、私にお任せを。そこを行かれるお嬢様方、今ならわすれもの屋様お手製の品が大特価で御座います。思い出にお一つ如何で御座いますか」
 請け負うなり店を出て呼び込みをかけているドアマンに促されて、藤枝竜とシーアールシー ゼロが顔を覗かせた。
「こんにちは。思い出の品って、どんなのがありますか?」
 お揃いの物もありますかと嬉しそうに尋ねる竜と、こんにちはなのですと頭を下げたゼロにいらっしゃいと笑いかける。着ぐるみ一号は状況を察して片付ける手を止め、まだ残るカウンタに手近な箱から取り出した様々を並べていく。自由に見て行ってくれと促すと、先にいたティリクティアとジューンも同じように並べられた品へと足を向けた。
 一先ずやる気のない司書と着ぐるみ一号にそちらを任せ、店主はまだ他にも声をかけて戻ってくるドアマンを迎える。
「早速のご協力、ありがとう」
「いえいえ、私にできる最後のお勤めに御座います」
「最後というと、君もやはり故郷に?」
 水を向けると、ドアマンははいとにっこり笑った。
「そうでした、それでお世話になった方々にお礼をしているのです。どうぞお受け取りください」
 大事そうに取り出された箱を受け取り、中を窺うと編みぐるみが三体。
「ひょっとして、これは私かい?」
 驚きながら取り上げた人形は、嬉しいことに自分をモデルに作ってもらったようだ。他の二体も上手に特徴を捕らえていて、着ぐるみ一号たちだと一目で分かる。
「今までイベントでお召しになった着ぐるみは網羅しております。着脱も簡単、これで君も今日から着ぐるみーず! に御座います」
「すごいな、野菜もバリエーション豊かだ。むう、これは職人心がくすぐられる……」
 張り合って新たに作るべきかと考え込むと、碌でもねぇことすんな! と一号が悲鳴紛いの声を上げる。
「いやいや、これを見てみろ。素晴らしい出来じゃないか。惜しむらくは海賊衣装が余分だな」
「寧ろそれしかいらねぇよ! 何だ、この照る照る坊主の再現率は! 確かにすげぇけど無駄な労力使うなよ!」
 奪うように箱ごと引っ手繰った一号は、ずらりと取り揃えられた着替えを眺めて憤慨しながらも売り物になる出来だなと感心している。
「実寸大で作るには、些か日が足りませんでした」
「そんなでかいのが持ってこられた日には、とりあえず引き裂いて叩き返すぞ……」
 うげぇと嫌そうな声を聞いて、ゼロがカウンタを離れて一号に近寄っていく。見たいのかと持ったままの箱を差し出した一号に、ありがとうなのですと丁寧に頭を下げたゼロはそこにある着ぐるみの多様さに目を輝かせている。
「おおっ、なのです。これはいつぞやの箱詰めされたゾンビなのです?」
「ご明察、恐れ入ります。やはり一号様に差し上げる場合、これは外せないところかとっ」
「さすがドアマンさんなのですー。ツボをぐぎゅっと押さえ込んでいるのです!」
「やめろ、その如何にも潰されてるような表現は……」
 確かに古傷を抉って海水で洗った挙句に塩を揉み込まれてるくらいの心情だがな! と声を尖らせた一号に、ゼロは可愛らしいのですーとゾンビぐるみを突き出している。
「そんなに気に入ったなら、嬢ちゃんが貰っとけ」
「それは申し訳ないのです。これは一号さんのためにドアマンさんが、一編み一編み思いを込めて夜なべした物なのです!」
 ぐっと握り拳で主張するゼロには聞こえないように、そうなのかいとそっと尋ねるとドアマンがくっと涙を堪えるように目頭を押さえた。
「製作に時間をかけないことが上達者の証と思い上がっていた私を、今心から恥じております」
「それを言われると、早さがモットーの家も恥じねばならんな」
「はっ、左様で御座いました。やはり時間と愛は比例するものでは御座いませんねっ」
「そうだとも。寧ろこのバリエーション豊かな着替えにこそ、愛を感じるぞ」
「俺には嫌がらせにしか見えねぇがな!」
 恐ろしいと身体を震わせた一号と遣り合うのはドアマンとゼロに任せてカウンタに向かうと、竜が目を輝かせて振り返ってきた。
「店主さん、これ、もう一つありませんかっ」
 目をきらきらさせて持ち上げられたのは、小さな丸いトップがついたペンダント。鮮やかな赤い砂が入っていて、傾けると仕切りの向こうから白い砂が混じってほんのりとしたピンクに変わる。比重が違うせいでしばらく経てば元の赤に戻るそれが、どうやら竜の目に留まったらしい。
「それなら確か幾つか作ったはず……、ああ、丁度後一つ残っているな」
 まだ床に置いたままの別の箱から大事に取り出すと、竜が勢いづいて身を乗り出させた。
「是非! 二つとも買いたいんですけどいいですか!?」
「勿論、お気に召したなら何よりだ。二つということは、ラッピングしたほうがよさそうだな」
 言って竜が持っているペンダントも受け取り、丁寧に包装し始めると竜が御代はどのくらいとそろそろと尋ねてくる。
「御代は一律、君の行く末を」
 この後どうするか教えてくれと微笑むと、そんなことでいいのとさっきのティリクティア同様、目をぱちくりとさせる。
「元より店仕舞いのための、品分けなのでね」
 まだ未定という予定でも構わないがと笑うように続けると、竜はもう決まっていますと小さく頭を振った。
「私は、故郷に帰ります」
「ああ、無事に見つかったんだな。おめでとう」
「ありがとうございます! 店主さんたちも、帰られるんですか」
 ぐるりと店を見回して確認され、その予定だと頷きながら包装した箱を手渡す。飛び跳ねるようにして喜んでくれる竜の隣では、ジューンが驚いたように僅かに目を瞠って見据えてくる。
「勝手な思い込みですが、まさかこちらのお店がなくなるとは思っておりませんでした」
 考えてみれば故郷を見つけて帰るのは当たり前の話ですねと、どこか寂しげに呟いたジューンは空っぽに近い店内をどこか感慨深そうに眺める。
「一度こちらにお伺いしたいと思っていました、……いらっしゃる間にお会いできてよかったです」
 大事そうにそう紡がれ、何かわすれものでも? と水を向けるとジューンは目を伏せて唇の端をそうと持ち上げた。これは野暮を聞いたと謝罪すると、いいえとばかりに緩く頭を振られる。
「もし望んだ頃に来られていたら、私はある方への憎しみを忘れられなくなっていたでしょう。──お会いできたのが今になって、よかったです」
「成る程。会えないのも巡り合せの妙、といったところか。仕事を請けられなかったのは残念だが、今こうして会えたのは嬉しい限りだ」
 何かお求めの物があれば言ってくれと勧めると、ジューンは少し躊躇ってぬいぐるみはありますかと尋ねてくる。
「ああ、でしたらここに山ほど。売るほど」
 どうぞと声をかけたのは該当する箱を開けながらの司書で、自分の部屋に飾られるのを阻止すべく常にないやる気を見せている。いっそもう全部お持ちになって構いませんよと唆す司書を他所に、ジューンの目が止まったのは犬のぬいぐるみ。セクタンを意識して作ったそれを懐かしそうに取り上げたジューンが、ふと思い出したように顔を上げたのを見て問いかける。
「これからのご予定は?」
「同居人の行く末を見届けて……、カンダータに」
 ジューンの答えを聞き、箱ごと押しつけようとしていた司書が知らず視線を落としたのに気づく。
「──どんどんターミナルからは人が減りますね……」
 静かにはなるでしょうがと呟いた司書を、大丈夫なのですとゼロが軽く背中を叩いて慰めている。
「ゼロはしばらくターミナルに留まるのです」
「ぴーちゃんもここに帰属したよ、全員が出て行くわけじゃないですって!」
 司書さんもお仕事頑張ってと竜にも励まされている司書から、カウンタに並んだ品々を真剣に眺めているティリクティアへと視線を変える。
「どれかお気に召したかい?」
「色々ありすぎて迷っちゃう。髪飾りとか、可愛いかなって思うけど」
「よければ全部、持って行ってくれて構わないが」
「だめだめ、他の人の分まで取り上げるなんて。私はあなたたち主催のイベントに参加させてもらったこともあるのよ、楽しい思い出なら沢山貰ったから……」
 縁は一つでいいわと微笑んだティリクティアに、それではこれはどうだろうとバレッタを一つ取り上げた。
「私と兄が掘り出した内、特に気に入った石を砕いて加工した物だ。日の当たり方によって輝きが変わる、まだ一つと定まらない未来の餞には相応しいと思うが」
「わあ、本当に綺麗……! これにしてもいいかしら?」
「勿論どうぞ。代わりに君の選んだ道を聞かせてくれ」
 多分そこは定まっているのだろうけれどと、彼女の胸にある盾のブローチを見て語尾を上げる。ティリクティアは勿論よととびきりの笑顔で頷き、溌剌と答える。
「故郷に帰るわ! 守り、繋ぎ、そして死ぬ。そのために、後悔しないように生きるの」
 何も変わってないわと胸を張って答えるティリクティアに、眩しく目を細める。
「それぞれ行く末が決まってるようだが……、ちみっこいの、ここに帰属するわけでもなさそうだがその先とか考えてんのか?」
 大丈夫なのかとどこか心配そうに一号が尋ねると、ゼロははいなのですと明るく笑う。
「ゼロには大いなる野望があるのです。その色々な準備をするには、ここが最適なのですー」
 なので今回はゼロも見送る側なのですと、司書と並んでにっこりする白い少女に全員が何となく沈黙を抱える。
 今になってここで初めて顔を合わせた相手もいるが、同じく0世界で過ごした仲間には違いない。自分たちの行く先なら確かに自ら決めたけれど、目前に迫った別れを前にすると紡ぐべきに迷う。
「……全部は持って行かれないなら、司書室まで運ぶか」
 面倒だなと殊更深く息を吐いた一号の言葉で、ゆら、と空気が揺れる。泣きたいほど張り詰めた別れは、幸いにして今ここではない。思い出し、ちくんとする痛みを抱えながらそれぞれがまた笑う。
「それでは私は、また近くのマダムに声をかけて参りましょう!」
「ゼロも客引きするのですー」
「店仕舞いに行き会ったのも、何かの縁ですね」
「それじゃあ、私もぴーちゃんや他にもまだ残っている友達を連れてきますっ」
「こんな大盤振る舞い、人が殺到するわよ?」
 売り尽くしセールねと腕を捲ったティリクティアたちに頼もしいなと笑った、それが0世界における最後の優しい記憶、だ。




 僅かに喉が痛い。身体がだるい。気を抜けば膝から崩れ落ちそうだが、ティリクティアは歌うのをやめない。彼女の歌声だけが傷ついた兵士を癒す、分かっているのにどうして歌いやめることができるだろう。
 せめても彼らを守る力になれるのが嬉しく、知らず黒瑪瑙のブローチを握り締めていた。
(ねぇ、サラ。あなたが誇り高くそうしたように、私も大切な人たちを守るわ)
 ティリクティアが故郷に帰り着いた時、守るべき国はなくなっていた。あの時覚えた絶望に比べれば、覚醒時の斬られた記憶さえ可愛いものだった。
 どうしてだろう、あの国は何一つ変わらずティリクティアを迎えてくれるのだと信じていた。何をしていたのか、どこに行っていたのか、問い詰められることは予測していた。下手をすれば、地位剥奪もあると覚悟していた。けれど彼女を迎えてくれるはずの人はそこにいて、ちゃんと元気に生きていて、ティリクティアを心配して怒って迎えてくれると信じていたのに。
(変わらないなんて有り得ない。覚醒前だって、サラが身を持って守ってくれないといけない事態にまでなっていたのに。何もしないで変わらず続く平穏なんて、子供じみた夢だわ)
 敵国に乗っ取られ、知った顔の一切ない場所を前にどれだけの恐怖に襲われたかしれない。思い出しただけで、お腹の底がぞわりと冷たくなる。
 揺れそうになる声をどうにか立て直し、最後まで歌いきってようやく一つ息をついた。身体が休みたがるのを無視して、まだぐったりした様子の兵士たちを見回す。
(あれに比べたら、この程度)
 だってティリクティアは、一人じゃない。一人を思い知らされて目の前が真っ暗になり、動くことさえ儘ならなかったあの時とは、違う。
 さあもう一度と自分の身体に言い聞かせ、息を吸い込んだところで後ろから腕を取られた。
「ティリクティア様、ティリクティア様、もうお休みのお時間です」
「っ、ウィル!? その裏声、やめてって言ったじゃない!」
 以前と変わらず女官を真似て引っ張ってくるのは、盲目の庭師。今はもうそんな役どころでもないさと皮肉げに笑った、変わらない姿に思わず泣いたのも少し遠い記憶だ。
 ウィル、と声を尖らせて踏み止まろうと努力してみるが、抵抗空しく天幕まで引き摺り戻される。
「もう、まだ終わってないのに!」
「ティア」
 憤然と声を上げたところに、宥めるような別の声がかかる。はっとして視線を巡らせれば、セルリーズがにこりと笑いかけてきた。
「今日はもうお休み」
「っ、でも、」
「「ティア」」
 セルリーズとウィルの声が、綺麗に重なる。そうするともう反論できなくて、ぷぅと頬を膨らませたがその場に座った。途端にどっと疲労感が押し寄せてきたが、二人に気づかれないようにと虚勢を張る。
「こんなところで倒れてしまっては大変だ。ティアもちゃんと疲れを取らないとね」
「姫巫女様におかれましてはお口に合わぬこともございましょうが、どうぞお召し上がりください」
 畏まって食事を出すウィルを軽く睨み、分かってないわねと心中に呟く。
(ターミナルでの悪ふざけより随分マシよ、食べられるだけ上等じゃない)
 心中で皮肉に答え、思い出した懐かしさにふっと口許を緩める。皆、元気にしていればいいのだけれど。
(びっくりなことに、国はなくなってたけど私は平気よ。だって、二人をちゃんと見つけられたもの。二人ともよ! すごいと思わない?)
 失われた国の姿に立ち尽くしても、世を儚むのはまだ早いと思った。サラが命懸けで守った国は、ティリクティアが命懸けで守った人は、どうなったのか。この目で確かめて行く末をちゃんと知るのが、自分の役目だと思った。
 預かった黒い盾にかけて、餞をと笑って送ってくれたターミナルで出会ったすべての人たちにかけて。蹲ったまま死んでしまうために、帰ってきたのではない。
 そうして無事な二人を見つけた時は、飛び上がるほどに歓喜した。抱えていた絶望も愚痴も恨み言も不安も何もかも、一気に払拭された気分だった。国を取り戻すための戦いがどれだけ苦しくても、二人がいれば──セルリースがいれば。どんな困難も乗り越えられると信じられる。
(ああ、そうか。私、セルリースが好きなんだわ……)
 どうして今まで気づかなかったのか、不思議なほどにすとんと理解していた。何だと、思わず声にして笑う。
「ティア?」
 どうかしたと不思議そうに本人に問われ、何でもないと頭を振ったけれど。食べ終わったなら散歩でもしておいでと天幕を追われ、一緒になって追い出されたセルリースと顔を見合わせて笑う。
 辺りはしんと静まり返り、空には降るほどの星が瞬いている。隣にいるのは大事な人、愛する人。自覚したなら黙っていられなくて、ティリクティアはきゅっとスカートを握って息を吸い込んだ。
「あのね、セルリース。聞いてほしいことがあるの!」
 頭に血が上り、顔が赤くなったのが分かる。鼓動は馬鹿みたいに速くなり、周りの音も聞こえない。握り締めた指先は冷たくて、頬は熱い。
 ああ。断られたらどうしよう? 彼にとって私はまだお子様で、許婚なんて形ばかりで、そうでなくてもこんな時に!
 思考は頭の中でぐるぐると渦を巻き、言わないでいい理由なら幾らでも思いつく。でもここまで気合を入れといて言わないなんて女が廃るわ! と、ターミナルで得た懐かしい友人たちなら背を痛いほど叩く気がする。
 お父さんはどうだろう、卓袱台の端に手をかけて待機中かもしれない。うまくいってもいかなくても、きっと泣くんだろう。
 は、と笑うように息を吐く。
 さあ、頑張って。自分の未来だけは見えずとも、神妙な顔つきで躊躇ったように伸ばされる大きな手を、さほど遠くなく姫巫女も見るだろう。



 ジューンは一緒に暮らしていた双子の妖精が、彼らの故郷に帰属できたのを知って柔らかく微笑んだ。いつぞやわすれもの屋で購入したぬいぐるみを、餞別にと手渡す。
「もう、大丈夫ですね?」
 問いかけに、双子は今にも泣き出しそうにする。けれど心配をかけまいとして必死に涙を堪えて頷く二人を、ジューンは優しく撫でた。
「ここでの出会いが……出来事が。二人の人生における道しるべとなりますように」
 私はずっとあなたたちの幸せを祈っていますと撫でながら続けるジューンに、双子は最後を知ってぎゅーっと力一杯抱きつく。
「ジューンも、一緒に来たらいいのに……っ」
「もっと、私たちと一緒に、」
 いてほしいと縋るように顔を上げた双子は、寂しそうに微笑んだジューンを見て続ける言葉を呑んだ。
 もうずっと前から、お別れの日が来るのは知っていた。その日までずっと優しく、大事に愛してくれたジューンを困らせるのは、二人にとっても本意ではない。ずっと一緒にいたいと望むのも本当だけれど、ジューンが望むべき道があるのなら手を離さなくては。
「もう、会えないの……?」
「これで、お別れ?」
 堪えきれずにぐすぐすと泣きながら問いかけた双子に、ジューンは少しだけ困ったように微笑んだ。
「実際に会うのは難しくなるかもしれませんが……、私はずっと、お二人のことを忘れません」
 壊れるまでいっしょです、と優しく告げられた言葉に双子は大きな声を上げて泣き出す。ジューンはいつもの通り優しく二人を抱き締めて、ああ、もうこの先こうして二人を慰めることもできなくなるのだなと実感した。
 心というパーツは組み込まれていない、それでも胸の奥のほうに、覚えるはずのない痛みが走る気がする。二人の気がすむまで付き合って慰め続けていたけれど、別れ難いのはジューンも同じ。泣けない彼女に代わって双子の涙が、ジューンのメイド服を重く暖かく濡らしていた。

 そうして双子が故郷に帰ったのを見届けたジューンは、再帰属の兆候が現れていたカンダータへと向かった。双子の面倒を見ることもなくなり手持ち無沙汰にしていたところを、ムラタナ夫妻に声をかけられた。
「よかったら家の子の面倒を見てくれない?」
 時間が許す間だけでもと遠慮がちなそれは、軍属を希望していたジューンに対する配慮だろう。そう簡単に認可が下りるとは思えず、何をすべきかと悩んでいたジューンには正に渡りに船だった。
「私でよければ、どうぞ宜しくお願い致します」
 ジューンにとってそもそもの本業は乳母だ、子供の扱いには長けている。長く側にいてくれた双子から手が離れた今、本分を尽くさせてくれる存在は有難い。
 双子に贈ったのとはまた別のもっと小振りなぬいぐるみは、ここでも活躍してくれた。
 微笑ましく見守るジューンの腕には、小さな銀と薄紅の石がついたバングル。双子が最後にと贈ってくれた物だ。
 叶うならば最後まで、あの二人と共に。

 ジューンがカンダータに帰属してから八十年以上が経ち、そろそろ稼働年限超過により体内融合炉も停止する運びとなった。止まることに不安はない、ただ最近何故かバングルに触れることが多くなった。
 機能が停止してしまう前に解体し、カンダータの発展に役立ててほしいと依頼したところ、快く引き受けてくれた研究者はジューンがバングルに触れていたのを覚えていてくれたのだろう。
 0世界で過ごした「ジューン」は解体され、解析も無事に終了し、大量生産できるまでになったが。内の一体の腕には二つの石がついたバングルが嵌められており、ジューンは時折嬉しそうにそれに触れていた。
 そうしてオリジナルの記憶を持った個体はロスとナンバー化されないことも発見され、多くの「ジューン」がカンダータで見られるようになった。

 彼女が0世界を離れてから、百年近くの月日が流れただろうか。カンダータのみならずギベオンでも大量生産が開始された。新たな技術を組み込んだ試作機も多く作成され、ジューンも興味深くそれを見守っていた。
 更に研鑽を重ねた結果、ギベオンが持つ対イグシスト兵器のために試作機がイグシストウォーに参加するに至った。ただその機体がジューンの元に帰ることはなく、彼女がそっとバングルを抑えたまましばらく空を仰いでいたと知る者は少ない。
 それからも人々は弛まぬ努力を続け、バングルを引き継いだジューンも二代目になった頃。0世界に震撼が走った。
 彼女らが知る内で最も大きなイグシスト──チャイ=ブレと戦うトレインウォーが発動されたのだ。
 ジューンはそっと自分の腕につけられているバングルを撫で、やわらかく微笑んだ。
 時は、満ちたのか。
 ジューンにとって、やるべきことは決まっている。さあ、戦いに行こう。



 ドアマンは故郷たる八百万廟に降り立ち、懐かしさに目を細めつつもそこここに感じる違和感に小さく首を傾げた。どうも彼が覚えている最後の時より、領内は衰退しているようだ。
(ですが、これは衰退というよりも……)
 一度栄え、滅びに近く後退してしまったのではなく。まだ随分と伸び代を残した、跳躍前の荒廃。作り直すのではなくこれから作り上げていく、発展前の姿と言うべきか。
「……これは、また」
 奇怪なこともあるもので御座いますねと、言葉の割にはのんびりと呟いたドアマンは見覚えのある風景を求めてふらりと足を踏み出した。彼の職場であったホテルLe point du cheminが建っていたはずの場所まで足を進めたが、そこは綺麗さっぱり何もなかった。
 視線だけで見回したドアマンは、ふむ、と顎先に手を当てて軽く考え込む。
「何はなくとも、まずはホテルが必要で御座いますね」
 考えたところで、ないものはない。ならばどうしてかと無駄に頭を捻るより、行動すべきと判じたらしい。
 決めるなりドアマンはさっと踵を返し、即座に必要な物を探し始めた。手頃な物件で妥協するのではなく最高を求めて歩き回り、処刑された魔神“淫売女帝クロロギカ”の心臓を手に入れた。
 これぞドアマンが望む最高のホテルになってくれると確信し、その心臓で構成したホテルの名を“Le point du chemin”、とした。そこの総支配人へと就任した彼は、総てを悟って穏やかに微笑んだ。
 どうやらここはドアマンが覚醒前にいた場所より、何千年も過去にあたるようだ。つまり彼が誇りを持って勤めたホテルを作ることができるのは、他でもない自分だけ。何れ来る「私」を迎えるべく、彼は自ら全てを整えなくてはならない。
「しかしそうは言いましても、私としてはただお客様に最高のお持て成しをするだけに御座います」
 長くホテルで勤めたかつての経験を生かし、0世界で長く過ごした時間を経た今の彼ならば理想を紡ぎ出すのも造作ない。ドアマンではなく総支配人である、という事実にはしばらく慣れずに幾らか戸惑いも覚えたけれど、ホテルの全てを知ってこそ次なる総支配人を育てることができるというものだろう。
 そうして何千年となく忙しい時間を送りながらもホテルを完璧に保ち、訪れてきた純白の娘を見てそっと息を吐いた。
(ああ、……ようやく。ようやく、お会いできましたね)
 緊張した面持ちで対峙した娘はまだ幼いが、見つける面影に懐かしく目を細める。まだ彼が知る頃の姿には程遠いが、彼女こそがこのホテルの総支配人。“トリスメギストスの鳥籠”、その人だ。
 あまりに遠くなった記憶に懐郷の念を覚えたのも束の間、ドアマンは彼女を娘のようにして慈しんで育て始めた。完璧な総支配人とすべく今まで彼が得た必要な知識を惜しみなく注ぎ、教育し、日増しに記憶にある姿に近づいていく娘の成長を見守った。
 もうほとんど教えることもなくなってきたある日、ドアマンはふっと壱番世界に帰属した伴侶の姿を脳裏に思い浮かべた。
(ああ、そろそろお迎えに上がってもよい頃合でしょうか)
 もうこのホテルは、ドアマンなしでも十分に機能するだろう。全ての情熱を傾けて養育した総支配人に後を任せ、愛すべき一人の元へ赴いても許されるはずだ。何より、自分がここにいては「彼」が動き出せない。
 決意したなら、やはり行動あるのみだ。今や彼に引けを取らない有能さを見せる娘の元を訪ねて、お話があるのですがと声をかける。彼女は振り返ってしばらくじっと彼を見つめ、どこか寂しそうに微笑んだ。
「そう。……もう、時が来てしまったのですね」
 言葉はなくとも全てを察し、名残惜しいですと小さく言われる。引き止めたげな言葉を呑んで静かに笑ってくれた娘に、ドアマンもゆったりと微笑み返す。
「幾久しくお元気で」
 軽く帽子を持ち上げて会釈した彼をホテルの外まで見送ってくれた娘は、手ぶらで出て行く背中にそっと問いかけてきた。
「また、お会いできますの? 総支配人」
「勿論。では御機嫌よう、総支配人」
 穏やかな台詞は別れには相応しくなく、次の約束に過ぎない。彼の脱ぎ捨てた義骸を纏い、全知全能にして無知な「私」がこのホテルを訪れる日もさほど遠くないはずだから。
 そうして全てが回り始める頃、彼は愛しい伴侶の傍らにあれるだろうか。
 今まで何をしていたのと問われれば、答えは決まっている。やがてまた覚醒する「彼」が、0世界に赴くため。もう何度でも巡り会うために、すべきことをこなしていたのだと胸を張って答えよう。
「またお会いする日まで……、ご健勝で」
 自ら呼び出した大きなドアを開ける前に改めて故郷へと振り返った彼は、晴れやかにそう告げて扉を開けた。



 0世界に別れを告げて故郷の現代叙事詩に戻った藤枝竜は、現在、戦いの真っ最中だ。司書からの依頼もない、予言もない、それでもかつて0世界で会った同郷の仲間たちと一緒に。
 相手はイグシストやディラックの落とし子などではない、生身の人間。けれど0世界で直面した誰より何より許し難いのは、彼女たちをこの世界から放逐した張本人たちが相手だからだ。
 仲間たちと一緒に地道に調査した結果、ようやくその組織を見つけた時は頭の中が沸騰するかと思った。
 彼らが、竜から、仲間たちから、一時たりとはいえ故郷を奪った。家族から突然引き離されて味わった絶望と怒りは、無事に帰れた今でも冷たく心に突き刺さる棘のようだ。
「0世界に行けたことに関しては、何も後悔していません。あそこでの記憶はすっごくきらきらで楽しくて、今もすごく大事ですから。だからある意味では、感謝もしています」
 だって、あの場所だからこそ出会えた親友がいる──多分、もう会うことはないだろうけど。
 竜と似たように人と触れ合い辛い体質で悩み、一緒に泣いて笑って楽しく過ごした遠く懐かしい日々。忘れることなどできるはずがない姿を思い浮かべて、買ってから片時も離さないペンダントを握り締めた。
 普段は赤、竜を象徴する色。けれど少し傾ければ、ぴーちゃんを思い出すピンクに変わる。それが元の赤に戻るまでの短い時間、感傷めいた思いを噛み締めて伏せていた目を開ける。
 ゆっくりと息を吐き出し、離れた場所にいる仲間たちに目配せする。
(ぴーちゃん、元気にしていますか)
 私は戦いのど真ん中です! と一斉に攻撃を仕掛けながら、ここにはない親友に語りかける。
 竜の胸にあるペンダントとお揃いで買ったもう一つは、親友の胸で今も揺れていると確信している。
 お別れのあの日、あまりの離れ難さに泣いて改札口で火達磨になった竜に、忘れないでと泣きながら告げてくれた。友達でいる証にと贈ったペンダントを握り締めながら、忘れませんと竜が告げた。
 故郷が見つかったと聞いて、半分は純粋に喜んだ。けれどもう半分で衝撃を受けるほどには、ぴーちゃんを大事に思っていた。一緒にいれば楽しいし、まだまだ二人でやりたいことも沢山あった。けど寂しそうに笑ったぴーちゃんに、帰るんでしょう? と聞かれて、躊躇いながらも頷いたのは家族が恋しかったからだ。
 竜は帰ることを選んだ。道を違えれば多分もう会えないと分かっていても、その記憶を大事に持って帰ることを選んだ。
「本当は、さよならなんかしたくなかったんです! ぴーちゃんに会わせてくれたことには感謝していますけど、こんな思い、他の人にはさせたくないです……!」
 二度と、人為的に放逐させられる人がいないように。行って帰ってきた竜たちにできるのは、せめてその組織をぶっ潰すことくらいだ。
 得難い経験だったと笑うには、喪失の記憶が新しすぎる。戻った竜を喜んで迎えてくれた家族の前で激しく泣きじゃくった理由が、会えないと思っていた家族に再会できたことか、会えなくなってしまった親友との別れのためか、分からないほどには胸が痛い。
「ぴーちゃん、私は元気です。……元気にしていますよーっ!!」
 届かない声を張り上げて、炎を吐き出す。
 竜の胸では忙しなく色を変えるペンダントが、またゆらりと揺れてピンクに染まった。

「それで? その組織はどうなったの?」
 目を輝かせた孫娘は竜の膝に軽く手を突き、身体を乗り出させて問いかけてくる。もう何度話したとも知れない結末を楽しみにしている孫娘の頭をそっと撫で、勿論勝ったよと告げるとすごーいと嬉しそうに跳ねてはしゃぐ。
 幼い頃の自分とよく似た姿に目を細めた竜は、今もまだ胸にあるペンダントをそっと握った。
(体質、もう治りましたか)
 別れ際、ペンダントの他に渡したのはヴォロスで貰ったユニコーンの角。あれは、彼女を少しでも救ってくれただろうか?
(一杯食べて、一杯よく寝て、それから、それから……)
 あの時と同じ、続ける言葉は涙で滲みそうになる。
 その頃に別れたきりの親友が今どんな姿をしているかは知らないけれど、きっとそんなに変わらないはずだ。竜ちゃんの泣き虫ーと、泣きそうなのを隠して頬を軽くつついてきたのを思い出して口許を緩める。
「ひょっとしたらお前も、いつか別の世界にまで行くことがあるかもしれないねぇ」
「っ、私もお祖母ちゃんみたいに覚醒しちゃうの?」
 皆と離れ離れになっちゃうのと怯えたような顔をする孫娘に、もう無理にそんなことをさせる奴はいないから安心してと柔らかく髪を撫でる。ほっとしたように膝に寄りかかってきた孫娘の髪を梳きながら、でもねぇと懐かしむように遠く視線を向ける。
 甘い甘いキャンディの香りが、そっと鼻腔をくすぐった。
「もし本当にそんなことになっても、大丈夫だよ。きっと、すごく楽しいから」



 ゼロの望みは、以前から揺らぐことなく定まっている。全世界群の階層を上げて、モフトピアのような楽園にする。それに尽きる。
 実際にワールドエンドステーションにまで自ら赴き、その方法を探してきたくらいだ。彼女の直向さは留まるところを知らない。
 様々な困難に襲われつつもようやく辿り着いた先で得た答えは、「実現は可能」だった。但し、「人為的な階層移動は世界の滅びにつながる危険があり非推奨」との注釈がついた。
 理想のために滅ぼすのでは本末転倒だ。つまり、可能だが不可能、という結論に達さざるを得ない。
 普通であればそこで諦めてしまうのかもしれないが、彼女は違った。別なる手段を求めて次を見据える、ネバーギブアップ、ネバーディスペアーだ。
「世界層の法則を変えてしまえばいいのです?」
 上げるための手段はここにあるのだから、滅びない手段を講じればいい。ここにはないのなら、ディラックの空の外ならどうか。
 一体どうやってそこに向かうのかの問いにも、探求の結果一つの可能性を導き出した。
「トラベルギアの制限を自力のみで打ち破ることができれば、イグシストに依らない存在証明もディラックの空航行も可能なのです」
 そうとなれば、後は鍛錬あるのみだ。自分は果たしてどこまで大きくなれるのかといった疑問を覚えはしても、今までは追及してこなかった。ギアによる制限を打ち破るには手っ取り早い方法だとも思えて、自らの興味が促すまま日々巨大化の鍛錬に勤しむ。
 見た目可憐な美少女は、やると決めたからには貫き通す男気に溢れる存在だった。そしてその見事なほど注目されない体質のおかげで、着実に大きくなり続けたところでターミナルの住人を騒がせることもなかった。
「人知れず努力するなんて、ゼロさんはまるでヒーローねぇ」
 同じ目的を持って集った協力者は鍛錬を繰り返すゼロに気づく、数少ない一人で。もはや見上げるにも首が折れそうなサイズのゼロを見上げて、ころころとそう笑った。
「ゼロはヒーローなのです?」
「だって全世界を救うなんて大規模な野望を持っているんですもの、ヒーローでないとは言わせないわ」
 そして私はヒーローを影ながら支えるヒロイン! と悦に入った様子で笑った協力者に、影ながら? の突っ込みは心中にひっそりとしておいた。無駄に逆鱗に触れない、これもヒーローの鉄則だ。
「でもそんなことを言えば、魔女さんもヒーローなのです。0世界のために人知れず頑張っているのです」
 ふしゅふしゅとサイズを縮めながら断言するゼロに、彼女はまあと楽しげに目を瞠った。
「そうね、それはとても幸せな響きね。でも私が望むのはゼロさんのように大規模でなく、ご近所の平和程度の小規模よ?」
 悪戯っぽく笑ったその言葉に、大きなご近所なのですと笑う。何しろ二人が協力して行うのは、ここ0世界の消滅に備えた新たなる0世界の創造設立だ。これもまたどれだけ時間がかかるかも分からない、途方もない計画だ。酔狂にも付き合ってくれる彼女には、感謝の念が絶えない。
「それで、そろそろギアの制限は打ち破れそうかしら?」
「はいなのです。後百年もすれば可能になる予定なのですー」
「それではあまり無理はしないで、お茶にしましょう」
 用意してきたのよとさっとテーブルセットをその場で広げられ、喜んでなのですと元のサイズに戻って向かいに座る。焦ったところで仕方がない、のんびりと叶うまでやり続ける所存だ。故郷を発見し、帰っていく人たちを見送りながら鍛錬を続けるだけだ。
 そうしてどんどんと知り合いが減っていく中、時折覗きに来てくれる司書もいる。わすれもの屋が着ぐるみーずと一緒にターミナルを発ってからは特に、やる気のない司書の顔を見る機会が多くなった気がする。
「やっぱり司書さんも寂しいのです?」
「寂しくはありません。ただ……少し、静かすぎるだけです」
 あなたもじきに旅立たれるのでしょうと、司書が静かにゼロを見据えて言った。
 チャイ=ブレとの決戦が密やかに計画されている、それを見届けたら旅立とうと決めていた。はっきりしたことを話してはいないが、司書は別れの気配に敏感だ。彼は思ったよりセンチメンタルで、見送り続ける自分の立ち位置に惑っている。
 今まではゼロも同じくだったのに、とうとう見送られる側になる──。
「ゼロは何れ必ず、ターミナルに戻ってくるのです」
 故郷に帰ってしまうのとは違うのですと微笑むと、司書は黙ったまま視線を揺らす。ゼロは大丈夫なのですと、自信満々に頷いて続ける。
「戻ってくるから、さよならは言わないのです」
 故郷に戻るわすれもの屋たちには、今いる司書と一緒に見送ってお別れを言ったけれど。いつかも約束したのです、と小指を出す。
「司書さんはどこにも行かないのです、いつでも迎えてくれるって言ったのです」
「──そう、でした」
 約束しましたねと泣き出しそうに笑った司書は小指を絡め、行ってらっしゃいと気の早い声をかけた。

クリエイターコメント最後の一時、綴らせて頂きありがとうございます。

最後だと言うのに言葉の足りないOPだったせいで、店仕舞いにまで助力頂くことになろうとは……!
皆様の嬉しいお気遣いに、店主に成り代わり御礼申し上げます。心から感謝致します。

帰郷された方も、別世界に帰属された方も、新たな未来に突き進まれる方も。
それぞれに強く凛としたお姿に、プレイングだけで軽く泣きそうでした。
できるだけ最初に受けた印象をそのまま綴らせて頂いたつもりですが、意図されたまま大事にお返しできているでしょうか。
少しでもお心に副う形になっていますように……。

記念となる最後のシナリオにご参加くださいまして、ありがとうございました。
皆様の旅の記憶が楽しく、いい思い出として輝かれるようそっとお祈りしています。
公開日時2014-03-18(火) 21:20

 

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