人生とは忍耐である。それがエミリエ・ミイの結論であった。「いいですかエミリエ」 耐え忍ばねば嵐は去らぬ。たとえ正座した足が痺れようとも。おやつにジュースを飲みすぎたせいで尿意に苛まれていようとも。「我々司書は信用が第一なのです。いえ、どんな職業でも同じです。つまり私が言いたいのは――」 エミリエは儚げな視線で窓の外を見やった。動くことのない空。停滞した時間。それでも人々は絶えず行き交う。自分ばかりがここでこうしていなければならないのか。「……というわけです。分かりますね?」「遊びに行きたいなぁ……」「――聞いているのですか?」「は、はいっ」 リベル・セヴァンの表情が険しくなったことを見てとり、エミリエは慌てて姿勢を正した。 秋のことだっただろうか。セクタンが大発生し、ロストレイル三号がジャックされたのは。――エミリエの部屋から『セクタン繁殖講座』なる書籍が発見されてターミナル中が騒然となったのは。「エミリエが犯人だっていうの!? え、エミリエ悪くないもん! 図書館の偉い人が『たぶんチャイ=ブレの調子が悪かったかなにかでエミリエは無実と思われます……』って言ってたもん!」「ええ、その通りでしょう。しかし関係者に動揺を与えたことこそが問題なのです。それというのも疑われるような行いを繰り返しているからであり――」 こうしてリベルのお説教が始まり、エミリエは正座させられるはめになったのだった。「まだやってんのかお前ら」 そこへティーセットを手にしたシド・ビスタークがやって来た。「とりあえず紅茶でも飲め。長話で喉が渇いただろう」「……お気遣い感謝します」 リベルは渋々といった風情でティーカップを受け取った。「あまり責めてやるなよ。件の大発生の報告書、俺も読んだが……みんな楽しんだみたいじゃないか」「問題の本質はそこではありません」「言いたいことは分かるが、いつまでも説教してるわけにもいかないんじゃないか? 司書の仕事は山ほどある。そろそろ通常業務に戻ってもらえるとありがたいんだがな」「……分かりました。それではエミリエ、今日はこの辺りにしておきますが――」 振り返ったリベルは言葉を切った。 ――正座していた筈のエミリエの姿がない。「逃げたのですね」 理知的な瞳に氷のような怒りが灯った。 痺れた足に鞭を入れ、まずは手洗いに駆け込んだ。気分爽快、身軽になったエミリエはターミナルを駆け抜ける。しかしリベルもさる者、すぐに体勢を整えて追跡を開始した。「待ちなさい!」 ピンクのおさげを追ってチェンバーに飛び込んだ瞬間、「――――――!」 視界がホワイトアウトしたような錯覚に捉われた。 まんざら錯覚でもなかったかも知れない。目を射るような白銀。一面に広がる、雪。「エミリエ。どこに隠れているのですか」 凛と声を響かせる。いらえはない。耳が痛むほどの静寂。「素直に出てくれば良し。さもなくば……」 べちゃ。リベルの頬に雪玉が当たり、砕けた。 視線を巡らせれば、雪景色の中に見え隠れするピンクのおさげ。「……よろしい」 顔に残る雪をゆっくりと拭い、リベルは静かに目を見開いた。「ならば、戦争です」 数分後、シドの放送がターミナル中に響き渡ることとなる。「世界司書シド・ビスタークより、ターミナルの全住人へ。よく分からんがチェンバーの中で雪合戦が始まった。いつものリベル対エミリエのいざこざだ。手の空いてる奴は加勢するなり説得するなりしてやってくれ。繰り返す。お前ら、雪合戦しようぜ」
「何というか……まあ……お疲れさん」 戦場となったチェンバーを訪れたシドは半笑いと共に二十名を労った。 ――果たして何があったのだろうか。 「あー暴れた暴れた。なあ、何か食べさしてくんねー? 腹が減っては戦ができず。まぁ戦は終わったけどさ」 空腹の永光瑞貴がシドに食べ物をせびっているのはまだ分かるとして、 「鷹丸……ベルゼ丸……」 「ワード様。アナタ様がお忘れにならない限り、お二方はアナタ様の中に生き続けるので御座いますよ」 犠牲者を偲んで泣きじゃくるワード・フェアグリッドを医龍・KSC/AW-05Sが慰めているし、 「許さん! 断じて許さん! KIRINのガラスハートを弄びやがってぇぇぇ!」 「えー? 僕ってば読心術を習得しちゃったワケ? さすが僕! 超優秀!」 顔を真っ赤にした坂上健からハギノが軽快に逃げ回っている。 「皆様、ココアはいかがですか。お体を温めて下さいませ」 「ああ……」 十七歳前後と思われるメイドさんからココアを受け取りながらシドは首を傾げた。 「お前、元は装甲車の姿じゃなかったか?」 「いいえ私は戦車です」 「戦車? あのコンパクトボディでか?」 「ええ。ちなみに軽戦車ではなく中戦車です」 メイド少女は滑らかに戦車の姿へと変じた。彼女の名は九七式 中戦車(チハ タン)。ブリキ缶と見まごうようなそのフォルムに虎部隆がぱっと顔を輝かせた。 「ち、チハたん! 無事だったのか!」 「いいえ私はチハ タンです」 「恐れながら申し上げれば」 細谷博昭がさりげなく咳払いして場の空気を切り替えた。 「今は世界図書館への報告こそが優先事項かと存じます。各々がたに証言していただき、それらを突き合わせながら検証して参りましょう」 まずは黒燐の証言。 「参戦した理由? だって折角のお誘いだもん、乗らなきゃソンソン! あとね、最近出来てない、子供としての遊びをしたかったの」 続いて、どこまでも楽しそうな相沢優。 「雪合戦なんて久し振りだったし。面白そうじゃん! リベルさんについた理由は……んー、何となく!」 陰日向もとい鹿毛ヒナタ。 「0世界冬の陣と聞いて。男の夢は築城だよな! 異論は認める!」 カラフルな姿のモック・Q・エレイヴ。 「え、戦争だって言ったのはリベルだよね? 戦いなんだからヌルいことしてちゃダメダメー!」 隻眼に隻腕のアジ・フェネグリーブ。 「ターミナル内を散歩しつつ見学してたら放送が聞こえた。何となく面白そうだと思って入ったら雪を用いたバトルロイヤルと教わった。……此処ではこういう催しがあると聞いたが、違うのか?」 全身白尽くめのイェンス・カルヴィネン。 「エミリエもリベルもいい気分転換になったのではないかな。……そういえば二人の姿が見当たらないね」 「あの二人は俺が淹れた紅茶に感動して卒倒したよ。今頃医務室で仲良く休んでる筈だ。ま、それはそれとして、喧嘩にどちらか一方だけが悪いってことはないんじゃないか?」 ルゼ・ハーベルソンが爽やかに黒い微笑で応じれば、 「ルゼ殿がおっしゃる通りじゃ。その……喧嘩両成敗とでも申すのか……」 ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノはなぜか口ごもって目を泳がせる。 「……帰る」 「帰りてえ」 青海棗はどこまでも無表情だし、ミケランジェロはどこまでも不機嫌だった。 「うきゅ!」 フラーダはどこまでももふもふだった。 そして最後はディガーである。 「雪原って聞いたから興味があって。雪って掘りごたえで言うと軽めなんだけど、それはそれで自由にできて良いと思うんだ。ちょっと溶けて固まった後のガリガリする感じとかもいいよね! 雪は色んなふうに姿を変えるんだ、もちろん土の多様性も魅力的だけど――」 「悪い、心の底からどうでもいいわ」 「ええっ」 心の底からの熱弁をシドに斬り捨てられた掘削人は涙目になった。 では、何が起こったか見ていくことにしよう。 ◇ ◇ ◇ 『世界司書シド・ビスタークより、ターミナルの全住人へ。よく分からんがチェンバーの中で雪合戦が始まった。いつものリベル対エミリエのいざこざだ。手の空いてる奴は加勢するなり説得するなりしてやってくれ。繰り返す。お前ら、雪合戦しようぜ』 そんなアナウンスが流れた時、ハギノは既へ戦場に足を踏み入れていた。 吹き上げる風に地吹雪が舞う。呼吸する度、細かな氷柱が肺を穿つかのようだ。 「雪煙舞う戦場で……今――」 厳かに目を見開き、少年忍者は静かなる闘志を燃やす。 「世紀の合戦が幕を開ける! 集え歴戦の武士(もののふ)よ! 運命の端緒は己が手で――」 「シドさん、全然繰り返してないよー! 説得なんてどうでもいいから雪合戦しようぜって言ってるよー!」 「え、ちょ、雰囲気雰囲気! 今、僕かっこいいこと言ってたっしょ!?」 司書の放送に元気良く突っ込みを入れる黒燐にハギノの突っ込みが炸裂した。 「だって、大袈裟に考えなくてもいいと思うんだー。いつものことだし。いろんな意味で」 「あ、そうなの? いつもこんな事してんの? ふーん?」 「親近感ってヤツかね、こりゃ」 茫漠たる雪原、色彩のないその世界を前にヒナタはニヒルな笑みを浮かべた。手に構えたのは愛用のデジカメだ。 「にしても、雪はいい……全ての色を覆い隠し、陰影のみの存在にしてくれる」 ぴぴっぱしゃっとフラッシュが光る。水墨画のようなこの光景にタイトルをつけるなら『無窮平原~無彩の楽園(エデン)~』。シンプルな現代アートだ。 「築城こそ男の浪漫! 男子たる者、一国一城の主たるべし! プロ(自衛隊)も裸足で逃げ出す傑作にしてやんよ!」 某北の大地の雪まつりの雪像は自衛隊の手による物だそうだが、それはここでは置いておく。 サングラスを装着すれば足許の影がぶわりと膨らむ。かと思えばあっという間に巨大スノーキャリーへと変貌した。不可思議な力にエミリエが目を輝かせた。 「ヒナタ、すっごい! もちろんエミリエに味方してくれるんだよね?」 「おっ、いいぜ。別にどっちでもいいんだけどな!」 「僕もこっちにつくー」 「ボクもボクも!」 黒燐とモックも加わり、エミリエ陣営はあっという間に賑やかになった。このままリベル撃破かと士気が高まるが、そうは問屋が卸さない。 「聞こえるかエミリエ! リベルさんは絶対だ、おとなしく粛清されろ! ですよねリベルさん!」 リベルに伴われた隆が拡声器を手に咆哮した。おまけにトンファーを構えた健と、その後ろで素早く雪玉をこねる優の姿。もちろん優のセクタン・タイムも一緒にお手伝いだ。更にその後方では炊き出し担当のルゼが大鍋に火を入れている。 「ううっ、敵陣の備えは万全なり……0世界のみんな! エミリエに元気を分けてー!」 「わたくしも是非味方しようぞ」 そこへ現れたのはジュリエッタだ。 「あのリベルとやらは酷いもんじゃのう。わたくしの爺様を思い出したわ……礼儀に厳しいお人での。気の毒なことじゃ」 そっと目頭を押さえるジュリエッタにエミリエは顔を輝かせた。エミリエの目にはジュリエッタが天使と映ったに違いない。 「ありがとう! ジュリエッタはエミリエと同属だもんね! セクタン大発生の時にロストレイルの操車レバーを折ったくらいだもんね!」 「う、うむ」 エミリエにひしと抱擁されたジュリエッタは目を泳がせた。 「頃合いや良し。参りましょう」 「よーし、いっくよー!」 両軍の大将が手をかざし、0世界冬の陣の火蓋が切って落とされる。 そんなこととは関係なしに、別の一角ではラブリーでもふもふなほのぼの空間が広がっていた。 「雪、雪、雪!」 真っ白な雪景色の中、茶色の瞳がきらきらと輝いている。雪と同じ色の蝙蝠型獣人・ワードである。 「雪ガ、たくさン、いっぱイ! 嬉しイ! 大好キ!」 手も翼も広げ、ワードは体いっぱいではしゃいだ。銀世界とでも言うのだろうか、ディクローズの拠点も雪で溢れていた。雪は全てを白く染め上げてくれる――ワードの存在をカムフラージュしてしまうほどに。 「お気を付け下さい、ワード様。何やら不穏な気配がいたします」 傍らの医龍は穏やかに微笑みつつも警戒を怠らない。端正なワイバーンの姿をした医龍だが、温和な物腰と知的な眼差しは竜というよりインテリ青年のようである。 (どのような経緯でこのような事になったのかは存じませんが……しかし、皆様が楽しき時間を過ごせるのは良き事に御座いますね) ならば、この戦いが後味の悪いものにならぬよう努めるのみだ。即ち皆の負傷・疾病の抑止と治療である。雪合戦に興味がないわけではなかったが、フィジカルの弱い医龍では雪玉を遠くに飛ばすことはできないだろう。 「ワタクシは支援と裏方に回ることにいたします。ワード様は雪合戦はご存じでしょうか?」 「知ってル、知ってル。クリスマスの前、雪で出来る遊ビ、教えてもらっタ」 雪合戦に雪だるま。かまくら。雪うさぎ……。指を折って数えながら、ワードは目をぱちぱちとさせて医龍を見上げた。 「戦うよりモ、作る方ガ、好キ!」 手も翼も広げ、体いっぱいでそう宣言した。 「雪ー! 冷たいー!」 歩くモフトピアことフラーダもそこら中を駆け回っていた。雪に喜ぶ犬のように。しかし彼――便宜上そう呼ぶ――は犬ではなく竜である。そういえば背中から生える四枚の羽はすべて色違いだし、つぶらな瞳も四色が入り混じった不可思議な様相だ。もっとも、そんな事とは関係なく彼はひたすらもふもふだったのだが。 「雪だるまー、作る!」 もふもふの手(?)で雪玉をこねる。転がし、巨大化に努める。 「うんしょ、うんしょ、重いー」 「もし、アナタ様」 成長した雪玉を頭で押すフラーダを医龍が呼び止めた。 「よろしければ、ワタクシ共とご一緒いたしませんか?」 医龍が示す先には雪だるま作りにいそしむワードの姿がある。ぱっと顔を輝かせたフラーダはゴムまりのように弾んでワードに駆け寄った。 「雪だるま、一緒、作るー!」 ごんろごんろごんろごんろ。フラーダに忘れられた雪玉はなだらかな坂道を一直線に転がっていく。 「ああ、楽しそうだね」 雪だるま作りにいそしむ三人(?)の姿を眺めながらイェンスが微笑んだ。転がりながら肥大していく雪玉を見なかったことにして。 イェンスは白一色で身を固めていた。目立たないように雪に擬態しようというのだが、スキーウェアに手袋、ブーツ、ゴーグルという完全装備は不気味な防疫検査官のようである。 「……ん?」 ミニスキーで行軍しながら、ふと足を止めた。 雪原の中に装甲車がぽつねんと鎮座している。控え目な主砲といいむき出しのリベットといい楚々とした装甲といい、妙に庇護欲をそそるフォルムだ。 「おや、こんな所に装甲車が」 「いいえ私は戦車です」 「おお、喋った。君もロストナンバーかい?」 「九七式中戦車ことチハ タンと申します。お見知りおきを」 ここで少し説明させていただく。 第二次世界大戦中の日本において零戦や大和といった兵器が運用されたことは戦史マニアでなくともご存じの筈だ。空の要が零戦、海の主が大和なら、地の砦は九七式中戦車チハであった。一説によれば、三番目に開発された戦車ということで、中戦車のチとイロハニホヘトのハを取ってチハと名付けられたと言われている。コンパクトかつチャーミングなスタイルと、中戦車でありながらアメリカのM3スチュアート“軽”戦車にすら歯が立たなかったというスペックはヲの付く人たちの涙とときめきを誘った。ちなみに本来の主敵はM4シャーマン中戦車である。 無論ここで登場するチハはツーリストかつ付喪神化した兵器であり、壱番世界日本に存在した九七式中戦車そのものではない。しかし興味を持たれた諸氏は調べてみると良いだろう。――検索バーに「チハ」と打ち込むだけで興味深いデータに出会える筈だから。 「僕はイェンス・カルヴィネン、よろしく。ところで貴女はここで何を?」 「予熱です」 チハのエンジンはディーゼルで、充分な予熱を経てからでないと始動できないようになっている。殊に寒冷地においては長時間の予熱を強いられるのだが、動かぬ戦車はただのブリキだ。 「ここに僕の陣地を作らせてもらってもいいかな。迷惑なら他の場所に変更するが」 「つまり野戦築城ということですね。エンジンがかかり次第お手伝いさせていただきます」 「助かるよ。装甲車の馬力は頼りになるだろうね」 「いいえ私は戦車です」 それぞれの作戦が動き出そうとしていた。 一方、世界図書館の一室ではゆったりとした時間が流れていた。 「成程。把握いたしました」 細谷は静かにティーカップを置いた。湯気を立てているのはカモミールティー、リラックス効果があるとされるポピュラーなハーブだ。細谷から経緯の説明を求められたシドは苦笑とともに肩をすくめた。 「ま、いつものことだ。そんなに深刻に考えなくてもいい筈だが」 「シド司書は参戦なさらないのですか?」 「ああ。寒いからな」 「ごもっとも」 俺は知らんお前らに任せたとばかりの言い草に細谷は微笑で応じた。 「和平を結ぶにしても、お二方ともかなり興奮なさっているご様子ですので、ここは心ゆくまで雪合戦をしていただいてからの方が良いでしょう。理も論も激情の前ではあまりに無力……興奮している相手への説得は大変に難しい。それに」 「それに?」 シドは首を傾げながら細谷に二杯目の茶を注いだ。穏やかな香りが立ちのぼり、ほどける。 細谷は湯気に曇った眼鏡を気にする様子もなく微笑んだ。 「言葉では語れぬ事もございますよ」 ――時には拳で語らうのも良いものです。 すりガラスのようなレンズに隠された双眸はどこまでも温和にそう言っていた。 棗は姉に頼まれた大判焼きが冷めないうちに帰還せねばならなかった。つまり、おつかいの帰りだったのだ。 「……近道」 なぜ棗がそう思ったのか、理由は定かではない。しかしここで重要なのは、彼女がチェンバーという名の戦場に迷い込んでしまったということだった。 時を同じくしてリベル陣営からフクロウ型セクタンのポッポが飛び立つ。ミネルヴァの目を得た健はトンファーを振るって飛び出した。 「雪玉相手でもトンファーは最強だっtおkdぅわつめてぇっ!?」 だが、真っすぐに突っ込むだけの健は格好の標的であった。 「健ちゃんの犠牲は無駄にはしないぜ!」 シャープペンシルの芯が飛ぶ。隆の水先案内人(パイロット)だ。生ける防壁(健)が受け損ねた雪玉を次々と打ち砕いていく。後方の優はうずうずしながら雪玉作りにいそしんでいた。一刻も早く参戦したいが、弾がなければ戦えない。おにぎりを握るお母さんの如き手つきでひたすら大量生産に励む。 (……雪玉の中に何か入れたら面白いことになるかな?) 良からぬアイディアが脳裏を掠める。壱番世界の日本人なら知っている筈だ、石入り雪玉という最終兵器の威力がどれほどのものであるか。 「いやいやいやいや、駄目だ! 危険だ! ……でも、危なくない物なら……」 葛藤する優等生の肩の上でセクタンのタイムがぷるぷると震えている。 エミリエ陣営のモックは愉快そうに指を鳴らした。 「ただ投げるだけじゃつまらないしなー。雪玉の中にブロック仕込んだらどうなるかな?」 「えっ、それはまずいんじゃ」 「もちろんだよ。ボクは誰もが楽しめなければイタズラとは認めない主義だから完膚なきまでに却下さ。だって烙聖節の時にエミリエが言ってただろ、徹底的に、絶対的に、感動的に以下略! つまり悪戯とはそういうモノなのだよキミ。分かるかね? ボクは分からん!」 「う、うん」 黒燐は顔を覆う布の下で目を白黒させた。 「そんじゃ後はよろしく!」 「え? ええっ? 行っちゃうの? 味方してくれるんじゃなかったの?」 「もちろんだよ。だけどね、なんてったってボクは旅人。誰にも縛られることは無いのさ! アァーイムフリィィィダムッ!」 涙目のエミリエに見送られ、一人で二人分うるさい男・モックは悠然と歩み去ってしまった。 ――この時、モックの姿を間近で見た者がいただろうか。彼が無数のキューブで形作られているような姿をしていることに気付いた者はいただろうか。 「何だ何だ。エミリエ、ピンチか?」 放送を聞いてやって来た瑞貴は楽しそうに両陣営を見比べた。 (リベルとエミリエもまさか本気で嫌い合っているわけじゃないだろ。雪合戦で不満を発散させればまた仲良くできるよな。まあ、でも) 瑞貴の目的はそこではない。ついでに言えば、リベルとエミリエのいざこざさえもさほど気にしていない。瑞貴がここに来た理由はただひとつ。 「“雪合戦しようぜ”」 取り出だしたるは青い扇。青龍が描かれたそれは青嵐。風を起こす法術具だ。 「よっしゃ遊ぶぞー!」 瑞貴は快活な叫びとともに風と化した。 「うおっ!?」 生きた雪壁(健)が悲鳴を上げる。瑞貴が舞う度、青嵐が踊る度、不可思議な暴風が巻き起こる。法術の風は瞬く間に吹雪と化してリベル陣営の視界を奪った。 しかし健にはミネルヴァの目がついている。 「コンダクター舐めんな! 虎ちゃん、三時に敵影!」 「りょうか――いッ!?」 前進を再開した隆は図上から降り注ぐ雪玉の直撃を受けてもんどり打った。優はぽかんと口を開けて視線を左右に往復させた。作り溜めた雪玉が次々と風に巻き上げられて味方に撃ち落とされていく。もちろん瑞貴の仕業である。 「みんな、頑張って。と言っても無理は禁物だよ」 ルゼは健と隆を盾にして炊き出しにいそしんでいた。カレースープだろうか、魅惑的かつスパイシーな芳香が漂っている。 「ん? 俺は前線には出ないよ。だって危ないじゃないか。それより、老いも若きも寄っといで。無料だから好きに飲んで行ってくれ。――体がとっても温まるから」 ゆっくりと鍋を掻き回すルゼの微笑は不気味なまでに優しい。 ディガーはそんな状況を完全に無視して掘削作業にいそしんでいた。 (雪、雪! 凄いなー広いなー!) 一面の銀世界は少し眩しいが、その程度のことは作業の障害にはならない。平素と同じ服装――防寒せずとも平気なようだ――から覗く腕の筋肉は穏やかな面立ちとは裏腹に張り詰めている。 「……あ、そういえば雪合戦? 雪玉を投げて遊ぶ……んだっけ?」 だが、せっかくの筋力は掘削作業のみに発揮されているのだった。しかし本人にとっては何ら問題ない。それどころか超楽しい。 「なあ、この雪分けてもらってもいいか?」 そこへ瑞貴がやって来た。何せディガーの周囲には掘り返された雪が山を作っていたのだ。 「あ、うん、ご自由にどうぞ。でも運べる? 女の子には重いと思うよ」 「……ああ……気遣いサンキュー……」 「済まんが、そこの少女」 「……何だ?」 ディガーに続いてアジにも性別を間違われ、美少女めいた顔立ちの瑞貴は諦観の微笑で応じた。 「司書の放送を聞いたのだが、結局のところ雪合戦とは何なのだ?」 『つまり読んで字の如く! 雪のバトルロイヤル、冬の伝統! いやまぁ、半分遊びみたいなモンですけどねー?』 先程、事情を知らぬまま迷い込んだアジにそう教えてくれた少年忍者が誰であったかはこの際大した問題ではない。重要なのはアジがその言葉を素直に受け取ってしまったことであった。何せ、覚醒したばかりの彼はターミナルの事情に疎かったのだから。 「んー、その認識で大体合ってんじゃないのかな。ルール無用で楽しくやれってことさ」 「成程。要は何でもアリなのだな」 ざっくばらんに答える瑞貴にアジは深々と肯いた。 「ならば楽しもう、全力で」 琥珀色の隻眼が見据える先にはミケランジェロの姿がある。混沌の始まりまであと少し。 その頃、棗は黙々と雪中行軍を続けていた。 「なつめちゃん危なぁぁぁぁい!」 「……だから何?」 時折隆が警告を発してくれるが、棗は無関心だった。たかが雪玉だし、絶妙に調節された瑞貴の風は棗に打撃を与えてはいない。大判焼きさえ死守できればそれでいい。 「おっしゃー、整地完了! 続いて基礎工事に入る!」 ヒナタのバケツから飛び散った水が棗の髪を濡らす。 「そぉい!」 黒燐があどけないしぐさで放り投げる雪玉が棗の頬に当たる。 断っておくと、彼らは決して棗を狙ったわけではない。仕方なかったのだ。棗は戦場のど真ん中を横切っていたのだから。 「なつめちゃぁぁぁぁん避けろぉぉぉぉ!」 どっごん。後頭部に被弾し、棗はとうとう雪の中に突っ伏した。正体は健のトンファーが弾き返した雪玉だ。武器ヲタクとして鍛錬を重ねた健の一撃はそれなりに痛かった。 白目を剥いて悲鳴を上げたのは棗ではなく隆だった。 「女の子に当てるなんて……健ちゃん……恐ろしい子! 当てるなら野郎にしなさい!」 「だ、だって戦場のど真ん中を横断してるから! 済まん、大丈夫か!?」 「………………」 健が助け起こすより早く棗は不死鳥のように復活した。無感情な視線の先には、雪の中に放り出されて水を吸った大判焼きの袋。 「……喧嘩、良くない」 茫とした双眸に暗い決意が灯った。 混沌の始まりまであと少し。 イヤフォンを着けて作業に没頭するミケランジェロの姿はまさに神であった。ラフに着崩した黒いツナギに点々と散るペンキまでもが芸術の一部であるかのよう。頑なな軍手で掌を隠し、彼はひたすら“それ”と向き合う。 (違う) ひたすらに腕を振るう。その度に“それ”が荘厳な形を成していく。 「違う……こうじゃねェ!」 激情が弾ける。といっても、“それ”――幻想的なドラゴンの雪像は自衛隊も裸足で逃げ出す精巧ぶりだったのだが。 ミケランジェロはひどく不機嫌で、苛立っていた。何かが足りぬ。何かが欠けている。得体の知れない、焦燥にも似たざわめきばかりが胸を衝き上げている。 (畜生) 感情は時に素晴らしい芸術へと昇華し得る。だが、苛立ちをぶつけることと創作に打ち込むことは同義ではない。そんな事など、神たるミケランジェロならとうに知っている筈なのに。 イヤフォンは爆音でがなり立て続けている。ミケランジェロと外界を隔てるかのように。音楽という鎧を纏い、ミケランジェロの意識は内へ内へと潜っていく。 「……畜生」 よってミケランジェロはまだ知らない。――今ここで雪合戦という戦争が勃発していることを。 実を言えば、彼は開戦前からこの場所にこもって雪像作りに集中していたのだった。イヤフォンで耳を塞ぎ、戦場には背を向けた格好で。よってシドの放送も聞こえていないし、生きた壁(健)の悲鳴にも、ようやく始動したチハのディーゼルエンジンの爆音にも、 「要は全力で楽しめばいいんだな」 ――背後に忍び寄るアジの気配にも気付かなかった。 ぼすっ。 「……あァ?」 後頭部に衝撃を感じて振り返る。にっこり微笑んで逃げていくアジの姿があった。視線を落とせば、砕け散った雪玉の残骸。 神はここで初めて世界を見た。 「何だこりゃ」 リベル陣営とエミリエ陣営に別れて争うロストナンバー達。雪だるまやかまくらが出来上がりつつあるほのぼの空間。不可思議な影の手で形作られていく城。所構わず穴ぼこだらけになった雪原……。 「何って、雪合戦だそうだ」 べちゃ。戻ってきたアジの雪玉がミケランジェロの顔面に当たって砕けた。 頬を汚す雪を拭い、神はゆっくりと頭をもたげる。 「……ああ。なら、戦争――」 ごろんごろんごろんごろんごろんばっかーん。 「!?」 横合いから転がってきた巨大雪玉(さっきフラーダが手放したやつ)がミケランジェロ作の雪像を粉砕した。一瞬で。無情に。容赦なく。 「……テメェ」 「いや、違う。今の大きいのは俺じゃない」 「関係ねェよ。戦争なんだろ」 怠惰な瞳に激情が燃える。 「テメェ許さねえぞコラァァァァァァ!」 「うきゅ? 賑やか!」 ミケランジェロの咆哮は何も知らないフラーダの所へも届いていた。 「みんなデ、作ル。大きいノ、作ル」 雪と同じ色のワードもぺちぺちと雪だるま作りにいそしんでいる。大きいと言ってもせいぜい自身と同程度の背丈しかないのだが。時折飛んでくる流れ弾は医龍が翼を広げて防いでおり、三人(?)の雪遊びは平穏かつ順調だった。 「うーン。雪だるマ、ちょっト、寂しイ? ナンデ?」 出来上がった雪だるまを前にワードはしきりに首をかしげている。一緒に首を傾けながら、フラーダはピンク色の鼻先をひくひくとさせた。 「顔、ない。手、ない。服、ない」 「そっカ! 飾りつケ! フフンフン~」 楽しそうに鼻歌を歌いながら、バケツや箒などを使って雪だるまをデコレーションしていく。 「ふふ……子供達に御座います」 傍らには医龍作のミニ雪だるまが添えられる。続々と出来上がる力作にフラーダがふるるんと武者震いした。 「フラーダ、負けない!」 「頑張って下さいませ」 医龍が穏やかに微笑んだ時、前方でピンクのおさげが飛び跳ねているのが目に入った。 「ヤホー、エミリエだぴょん! みんな何してるのー?」 「……は?」 医龍は目をぱちくりさせた。何だろう、この違和感は。しかし、細かいことを気にしないワードはお構いなしにぱたぱたと手を振り返した。 「エミリエ! 雪だるマ、作ル! 楽しイ!」 「雪だるま? へえぇ、今やってるのって戦争だよ? ヌルいこと言ってちゃダメダメ!」 ニイィと笑った次の瞬間、目を疑うようなことが起こった。 皆に親しまれているイタズラ司書は、懐から取り出した雪玉をワード達に投擲し始めたのだ。 「きゅ!? 冷たい!」 「苛めたらだメ、だめだよゥ、ベルゼ達ニ、まだ見てもらってなイ」 ワードが慌てて氷の壁を生み出して雪だるまを死守するが、エミリエの意地悪は止まらない。 「お待ち下さいませエミリエ様。ワタクシどもは中立の立場で……」 「そんなのカンケーないっぴょん!」 「あア……!」 ばっごん。雪玉を受け、ワードの手によって命を吹き込まれた雪だるまが無残にも崩れ落ちていく。手に見立てた箒は枯れ枝のように折れ、帽子代わりにかぶせたバケツは切り落とされた生首のように雪原の上に転がった。 「タ……鷹丸……」 「お名前を付けていらしたので御座いますね」 「鷹丸……壊れタ……なんデ……?」 つぶらな瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。フラーダがそっと寄り添うが、ワードの悲しみはあまりに深かった。魔性の豊満もふもふボディでさえワードの喪失感を埋めることはできなかった。 医龍は静かな決意とともに翼を広げた。 「……エミリエ様、今そちらに参ります。一言申し上げたき事が御座います故」 「恐れながら、エミリエ司書」 不意に耳朶を打つ静かな声。医龍とエミリエの間に、その男が鷹のように舞い降りた。 「大将は自陣後方におわすものにございます。将のお姿は兵の励みとなりますれば。それに」 びょう――と唐突につむじ風が巻き起こる。 「エミリエ司書が囚われるようなことがあればこの合戦が終わってしまいます。ここは一旦戦略的撤退を」 煙幕のように舞い上がる地吹雪の中、医龍は見た。戦場にはおよそ似つかわしくない微笑を浮かべた細谷の姿を。 視界が晴れれば、そこには鷹丸の残骸と打ちひしがれるワードの姿が残るのみだ。 「う……うゥ……」 「ワード、泣く、駄目」 「うわあああああああン!」 「ワード様……――――!?」 振り返った医龍は瞠目した。 「ふーん? みんな、やるなー」 その一幕を樹上から見守っていたハギノが愉快そうに首を傾げた。 「しっかしまぁ、改めて見渡せばなんて恐ろしい依頼なんだ。二十人いて女の子が三人しかいない! ……これはアレか。僕が女の子に化けて補充……するのも虚しいかなー」 ちなみに三人とはジュリエッタと棗とチハである。よって正確には多分二.五人くらいである。 (このままフラフラしててもいいんだけどねー。女子に誘われれば味方してもいいんだけど、その気配もなさそうな) 陣営に所属せずに戦況を見物していたハギノだが、忍の洞察力なのか、ある事に気が付きつつあった。 「ってことでそろそろ動きますか。そっちの方が面白そうだし」 ひらりと地上に飛び降り、向かうはリベル陣営である。 「北都出身者をなめるなー!」 ばかすか被弾しながら黒燐は咆哮した。全身黒尽くめの黒燐はまさに格好の的、雪原に落ちた墨、ワイシャツに飛んだカレーうどんの汁の如くである。だが、雪深い土地で暮らしていた黒燐にとっては慣れっこだった。 黒燐少年がこしらえた防壁雪像は穴ぼこだらけだった。自分よりやや高いほどの背丈しかないのだから仕方ない。投げる雪玉も自分の掌に合わせたサイズとなり、要は、お世辞にも強力な攻撃とは言えないのだった。 「て、天人なめるなー!」 「黒燐!」 孤軍奮闘する黒燐の姿にエミリエが悲鳴を上げた。 「ジュリエッタ! エミリエのことはいいから黒燐を助けて!」 「何を言う。わたくしはエミリエ殿を守るために来たのじゃ!」 ジュリエッタもまた奮闘していた。エミリエに張り付き、襲い来る雪玉をトラベルギアの小脇差で叩き落としていく。頭上に放ったフクロウ型セクタン・マルゲリータの視覚を通して戦況の把握も怠らない。 マルゲリータの傍をもう一体のオウルフォームが旋回している。ヒナタの舟(シュウ)である。 「左舷、弾幕薄いぞ! ガンガン撃てぇぇぇい! でないとやられる(俺の城が)!」 「……そなた、一体何をしておるのじゃ?」 ジュリエッタは不審そうに眼を眇めた。なぜなら、ヒナタは安全な後方でほうじ茶をすすっているだけであったから。 「いや、だから城作り。防御の砦!」 築城は着々と進んでいた。例の巨大スノーキャリーで大雑把に形を取り、その後バケツに汲んだ水をかけて固めていくという堅実ぶりである。だが、それらを行っているのはトラべルギアで操られた影の手であり、ヒナタ自身はほとんど雪には触れていないのだった。 「城が出来上がるまで黒燐殿一人に攻撃を任せるつもりかの」 「だって冷たいし。絵筆より重い物持ったことないし」 「何と。もしやそなたは良家の子息であったのか!? ならばわたくしの婿に――」 「いいえ先祖代々庶民です嘘ついてごめんなさい」 ヒナタは興奮するジュリエッタからそっと目を逸らすことしかできなかった。 「どもども、ずいぶん賑やかだこと。やだなー、別に女子に惹かれてやって来たわけじゃないってば」 そこへ唐突に、ひょっこりとハギノが現れた。 「初めましてー。遊撃担当、忍者のハギノです。味方募集してない?」 「忍者?」 期せずしてジュリエッタとヒナタの声が重なった。黒を基調とした忍装束はいいとして、軽快な口調といい笑顔といい、一ミリたりとも隠密の雰囲気を醸し出していない。 「やー、敵は手強いね。ここは僕の力が必要なんじゃないかと思って!」 「うーん」 黒燐が首を傾げた。 「味方が一人増えるってこと? じゃあ僕、リベルさんに寝返っちゃおうかな」 「ええっ!?」 世間話でもするかの如くもたらされた宣言にエミリエが目を見開く。 「だってー、僕も信用第一の仕事してるんだもん」 「し、仕事って何?」 「えっと、神様みたいなモノ?」 涙目になるエミリエをよそに黒燐は無邪気に、したたかに笑った。 「ようこそ黒燐さん。我々は貴方の英断と良識に感謝します」 白旗をひらひらさせて陣営に加わった黒燐をリベルが厳かに歓迎した。ルゼも笑顔でカレースープを差し出す。 「なかなか賢い選択だね。だいぶ活躍してたけど、お腹空いてない? 良かったら食べて」 「ありがとう。わあ、美味しいー」 お椀を受け取った黒燐は躊躇うでもなく顔の布を外してスープを啜った。 「お口に合って嬉しいよ。リベルもどうかな?」 「………………」 「どうしたんだい? 味は黒燐のお墨付きだよ?」 静かにぶつかり合う視線。リベルは眉ひとつ動かさず、ルゼは穏やかな微笑を保ち続けている。 やがて静かに目を逸らしたのはリベルの方だった。 「まずは皆さんに差し上げて下さい。私は残り物をいただきます」 「ああ……なんて素晴らしい心がけなんだ。まさに上官の鑑じゃないか」 (ルゼさんの笑顔、超黒くね? アレぜってー何か企んでるって。ぜってー鍋の中に何か仕込んであるって) (味方を疑るのは良くないぞ隆) (相沢の言う通りだ。スープ飲んだ黒燐さんだって何ともないじゃないか) (うーん、そうだよな健ちゃん……ま、いいか) 隆はちょっぴりルゼを疑っていたが、基本的には細かいことを気にしないたちなのだった。 が。 「そんじゃー攻撃再開! 行くぜみんな――ああぁぁぁ~」 前進を開始した途端、隆の姿が唐突に味方の視界から消え失せた。尻すぼみの悲鳴だけを残して。本当に消えたように見えたのだ。何せ隆はマンホールのような深い穴に唐突に落っこちてしまったのだから。 慌てて周囲を見回した優はあんぐりと口を開けた。そこらじゅうが穴ぼこだらけである。壱番世界の人間ならモグラ叩きゲームを連想したかも知れない。 「何だこれ、トラップ!? いつの間にこんなに沢山!?」 「あ、えっと、その……」 犯人はディガーだった。無論、彼はひたすら掘削にいそしんでいただけなのだが、 「……塹壕です」 哀しいかな、ピュアな掘削人の目は誰がどう見ても分かるほどに泳いでいた。 どごごごごご、ずごごごごご。ディーゼルエンジンの爆音と共に野戦築城が進んでいる。 「しばらくお待ち下さいませ。三十分以内に終わらせます」 「素晴らしい。僕は却って邪魔かな?」 工事用アタッチメントを装着したチハの働きぶりにイェンスが苦笑いする。戦車としては控え目なチハの性能も雪が相手ならば何の問題もない。 イェンスの準備は万端だった。タオル、毛布、カイロ、ホットコーヒーやココアなどを多めに用意してあるという入念ぶりである。休憩所や退避所としても利用してもらおうという心づもりだった。 (ガス抜き、とでも言うのかな。――たまには感情をぶつけ合うことも必要だろう) トレインウォー。カンダータ。館長の不可解な動き……。司書たちは気の張り詰めるような毎日を送ってきたことだろう。 もっとも、そんなことを考えているイェンスとてストレス発散のために遊ぶつもりで来ていたのだが。 「私もココアを持参いたしました。それから、標準的な人のためにお風呂と着替えも用意いたしましょう。雪の中は寒いですからね」 「標準的な人、か。果たしてそんな人がいるんだろうか」 「私も同意見ですが、備えあれば憂いなしとも申します」 「成程ね。……おや」 イェンスはふと眉を持ち上げた。 チハの爆音に隠れて気付かなかったが、耳を澄ませば不可解な音が迫ってくる。泣き声、あるいは唸り声だろうか。 「ガウェイン。何か見えるかい?」 頭上を旋回するフクロウ型セクタンに呼びかけ、視界を同調させる。瞼の裏に流れ込んで来たのは雪だるまの残骸と泣きじゃくるワードの姿。 (ああ、雪だるまを壊されて悲しんでいるのかな?) 首を傾げた時、白い空から白いワイバーンが舞い降りた。 「不躾な訪問をお許し下さいませ。ワタクシは医龍・KSC/AW-05Sと申します」 翼を畳んだ医龍は眼鏡を直しながら丁寧に名乗った。遅れて、四枚の翼でよたよたと飛んできたフラーダがべちゃっと着地する。 「……犬?」 「うきゅ!? 犬、違う! フラーダ、竜!」 「竜……?」 イェンスは再び首を傾げた。アニモフと見紛うばかりのボディといい頼りない飛び方といい、竜のイメージからはかけ離れている。 医龍がこほんと咳払いした。 「実は折り入ってお願いが御座います。良き匂いにつられて参ったのですが、もしやココアに御座いますか?」 「ああ。貴方も飲んでいくかい?」 「有り難きお言葉に御座いますが、この身は人工生命体に御座います故。代わりと申し上げては何ですが、少し分けていただきとう御座います」 「フラーダ、飲むー!」 「フラーダ様、今は時間が御座いません。早くワード様の所に戻らなければ」 「ココアは沢山あるが……何かあったのかい? 話が見えないんだが」 緊迫した様子の医龍とほのぼのしたフラーダの落差にイェンスが首を傾げた時である。 「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁン!」 「……え?」 雪玉作りに励む優が首を傾げ、 「おっ。始まったかなー?」 戦場をフリーダムに闊歩していたモックが楽しそうに笑った。 「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁン、鷹丸、鷹丸うううぅぅゥ!」 ワードの泣き声が戦場を揺るがす。唸る轟風、舞い上がる雪煙。ホワイトアウトする視界に誰もが攻撃の手を止めた。 「むきゅ! ワード、大変!」 「一体どうしたのですか」 「実は……」 チハに請われるまま医龍が事情を説明した。雪だるまを失ったワードが悲しみのあまり氷系統の精霊魔法を暴発させたのだと。 「いわばこの吹雪はワード様の涙に御座います。ココアが慰めになれば良いのですが……。フラーダ様、至急戻りましょう」 「大丈夫かい? 僕も行こうか」 「私も参ります。よろしければお乗り下さい」 飛び上がる医龍とフラーダをチハに乗り込んだイェンスが追うという奇妙な混成部隊が出来上がった。吹雪の中をよたよたと飛ぶフラーダの姿は何とも危なっかしいが、和んでいる余裕は一行にはない。 「これは良い」 ミケランジェロとの追いかけっこに興じていたアジはくるりと向き直って迎撃姿勢を取った。欠けた左腕、そこに絡みつく鎖が意志を持って動き出す! 「!?」 吹雪の中から蛇のように飛び出した鎖にミケランジェロは仰け反った。わずかに掠ったのか、錆びた匂いのする熱が頬を駆け抜けていく。 「神さんこちら、ここまでおいで」 更に、鎖に巻き取られた雪玉が次々と降り注ぐ。アジの姿は吹雪の幕の向こうだ。しかしミケランジェロもさる者、襲い来るつぶてをモップで精確に撃ち落としていく。 「面倒なンだよ、テメェら余所でやれ! むしろ寒いから俺が出てく!」 「ん? 寒いのが嫌なら何で居たんだ?」 「関係ねえよ。戦争なんだろ!」 追いかけっこはまだまだ終わらない。 「面白いじゃん?」 瑞貴が快活に笑う。踊る。青い扇を翻しながら。彼が舞う度、吹雪は激しさを増していく。 「まだまだ終わらせないぞー!」 陣営問わず雪玉を巻き上げ、降らせる。そこへアジがどんとぶつかった。 「っと、済まない。……ん? あんた、さっきの少女じゃないか」 「ああ……うん……」 瑞貴は遠くに視線を投げた。 「あんたはどっちの味方についてるんだ?」 「おれはなるべく長く遊びたいだけだぜ」 「成程、よく分かった。ではあいつに攻撃を頼む」 「よく分かんないけど分かった!」 瑞貴が舞う。青い扇が翻る。その度にミケランジェロに雪玉が降り注ぐ。 「テメェらいい加減にs☆※▽y%!」 哀しいかな、神の咆哮は唸る吹雪に阻まれてしまう。 一方、ルゼの包帯型トラべルギアで救出された隆は異様なタフさで復活を遂げていた。 「よっしゃ、よく分かんねーけどチャンスだ! 行くぞ野郎ども! 女の子には当てるな!」 「と、虎っち……あの深さの穴に落ちて打ち身だけとか……」 「男はタフじゃなきゃ生きていけねえっつの!」 「あ、あの、さっきはごめん……」 ディガーがおずおずと詫びる。隆はからからと笑った。 「いいっていいって! ここに居るってことは、ディガーさんもリベルさん側?」 「あ、ぼくは穴を掘ってただけです。……雪玉用の雪を作ろうと思って」 目が泳いでいる。 「じゃーこっちに味方してくんね? 塹壕掘ってほしーなー。それと……」 こっそり耳打ちすると、ディガーの顔がみるみる輝いた。 「隆、ちょっと待った」 戦列に復帰しようとした隆をルゼが呼び止める。 「さすがにお腹空いてきたんじゃないのかい? 腹が減っては戦ができず、ってね」 「サンキュールゼさ――ん!?」 カレースープを一気に飲み干した隆の顔が燃え上がる。白目を剥き、喉を掻きむしりながらその場に崩れ落ちた。 「る、ルゼさん……まさか敵だったとは……」 「おや、辛かったかい? 隆の口には合わなかったようで残念だよ」 「えー嘘ー? すっごく美味しかったのにー」 首を傾げる黒燐と微笑むルゼの姿を最後に隆の視界はブラックアウトした。 時を同じくして棗は無人の陣地――チハとイェンスが整えた場所だ――に辿り着き、トラベルギアを地面に突き刺した。 「……喧嘩、良くない」 固いバリケードの内側で、今、棗の反撃が始まる。 どごごごごご、ずごごごごご。影の手がダイナミックに雪を積み上げていく。 「あれ、何かさっびーな。吹雪?」 ヒナタは相変わらず前線には出ずに自分の仕事をこなしていた。適度にスケールダウンはしているが、本丸・二の丸・三の丸に分けて築造される城は壮大かつ本格的だった。愛用のデジカメには旅行で撮影した姫路城の画像が収められている。内部の構造はパンフレットを見ながら練り歩いた記憶が頼りだ。 「廊下は一気に駆け上がれねーように坂状にしてー、と。雪塁も作っかね。なー忍者さん、櫓とかいるー?」 「いるいる! 血が騒ぐ、なんつってー」 ハギノは軽快に戦っていた。雪玉を避け、手甲で叩き落とす。非常に堂に入った体さばきなのだが、あまり忍者っぽくないのは仕様である。 「ねー、女子さんはこっち来ないの? 強そうなのに」 「わ、わたくしはエミリエ殿をお守りするのじゃ!」 ジュリエッタは相変わらずエミリエの護衛に徹していた。ハギノは「ふーん?」と愉快そうに鼻を鳴らす。 「ま、戦いは男の仕事ってかー? そんじゃーそろそろ作戦開始しますかねー。ほいっと!」 ドロンと、変化の術。化けたのはエミリエだ。 「影武者やっちゃいますよーん」 「お伴いたします」 風のように細谷が続く。エミリエ陣営の不利を見て取った細谷は即座に此方に味方していた。 「いいねいいね! 楽しそう!」 モックがひゅうと口笛を鳴らした。 先んじたのは細谷だった。飛び交う雪玉の中、電光石火の太刀筋が閃く。と思うや否や、ハギノを導くようにしていくつものバリケードが出現した。術で固めた雪を削り出して壁と成しているのだが、その手順を読み切れる者がこの場に居ただろうか。 「やりますねー!」 「まだまだです。――あの方に比べれば」 風を起こし、更に雪を舞い上げる。煙幕のような吹雪の向こうで健が舌打ちした。 「全然見えねー」 フクロウ型セクタンの視界もここに至っては役に立たない。何せチェンバー全体に吹雪が吹き荒れていたのだ。 「落ち着いて下さい。敵の目標は我々です。ならばここで迎撃態勢を整えて待ちましょう」 「ああ、そうだな……」 冷静なリベルの横顔を健がじっと見つめている。 エミリエのストレス対処能力は高い。彼女がこの雪合戦を楽しんでいるらしいことは健の目にも分かる。だが、リベルの方はどうだろう。 「あのさあ、リベルさん」 「はい」 向けられるのは冬空のような瞳。どこまでも理知的な双眸の前で健はきまり悪そうに頭を掻いた。 「なんか、今日はちょっと安心した。あんまりきびきびしてばっかだと心配になるじゃん? ……リベルさん、生真面目だからさ」 リベルの眉宇がかすかに動いた。 「人を変えるのは結局その人自身なんだよな。本人が自分で変わろうと思わない限り、誰かに言われて変わることはないわけでさ。……わりーけど、エミリエだってリベルさんの話で変わるとは思えないよ。それにほら、0世界に来たばかりのロストナンバーにとっちゃエミリエみたいな依頼も必要なんじゃないのか。もちろん、世界図書館本来の活動を遂行するためにリベルさんが注意しなきゃいけないってのも分かるぜ? だから、抱え込んでるんじゃないかって――」 「危ない!」 「ヤホー、エミリエだぴょん!」 優の悲鳴。同時に、雪の中からエミリエが現れる。振り返った健は顔面に雪玉を受けて雪原に倒れ込んだ。エミリエはけらけらと笑って吹雪の中に姿を隠す。 「ああ……どうせこんなオチだろうと思ったぜ……」 健はニヒルに笑った。 「ちくしょー、どーせ俺はギャグ専三下でKIRINだよ! 三下は三下らしく散ってやらぁー!」 「散られては困ります」 「うん、いや喩えだからリベルさん」 ディガーはそんな騒ぎを無視して黙々と仕事にいそしんでいた。 「できた! すごい上手に作れた気がする」 充実感と共に額を拭う。雪に煌めく汗が眩しい。 掘削人が生み出したのは見事なバリケードだった。厚みといい硬さといい計算された角度といい、申し分のない出来である。優が無邪気に歓声を上げた。 「すっごい! ありがとうございます!」 「ううん。じゃあ、次の仕事にかかるね」 ――塹壕掘ってほしーなー。それと……。 隆から耳打ちされた作戦がディガーの掘削欲に火をつけたのだ。ひたすらに掘って掘って掘りまくる。 「あ、そういえば雪合戦……」 たまに思い出したように雪玉を投げるも、意識が掘削に向いている状態では大した戦力になるわけもなかった。 「ねー、この雪もらってもいい?」 「うん、ご自由にどうぞ」 「わーい、ありがとう」 掘り出した雪は黒燐が回収していく。彼は後方でかまくらを作り始めているのだった。 「休憩所にどうかなーと思って。後で中で汁物とか作るねー」 「ありがとう……懐かしいな、かまくら……」 うんせうんせとかまくらを作る黒燐の姿に優は和んだ。 「あれ、そういえばルゼさんは?」 「カレー粉が切れたから撤収だってさー」 「そっかー。……隆、大丈夫かな……あれは辛いとか辛くないとかの域を超えてたような……」 ――ぜってー鍋の中に何か仕込んであるって。 「……いやいやいや、疑うのはよそう。行くぞタイム!」 優は疑念を振り払ってバリケードの影から飛び出した。 どっかんどっかん、チハの主砲が景気良く火を噴く。戦車としては控え目なチハの砲も雪玉に対しては効果絶大だった。次々に流れ弾を撃ち落としながら陸空混成部隊は前進を続ける。 「やあ、凄いね」 「戦車は陸戦兵器の王者ですから」 イェンスの賛辞にチハは誇らしげに応じた。惜しむらくは、いちいち停車してから砲撃せねばならないため、行軍にやたら時間がかかっているという点だろうか。 「この馬力で敵陣を蹂躙してみせましょう」 「いや……それはさすがに怪我人が出るんじゃないだろうか……」 「お二方。見えました」 医龍が静かに着地する。続いて、フラーダがべちゃりと胴体着陸した。 「鷹丸。鷹丸」 雪の中で、ワードは未だに泣きじゃくっていた。 「ワード様。ただいま戻りました」 「鷹丸。なんデ、どうしテ、すぐ壊れル……」 医龍の声も今のワードには届かない。ぶるるんと振動して停車したチハからイェンスが降り立ち、マグカップにココアを注いだ。 「さあ、これを飲んで」 「……ウ?」 甘い香りにワードはぴたりと泣き止んだ。恐る恐る顔を上げれば、防疫検査官みたいな白尽くめの中年が微笑んでいる。しかしワードは純真だった。相手が戦車から降りて来た怪しいオッサンでも、美味しそうな物を目の前に出されればすぐに釣られるのだった。 「こレ、何?」 「ココアだよ。良かったら飲んでごらん、きっと落ち着くから」 「ありがとウ……」 両手でカップを受け取り、ふーふーしながらそっと口をつけてみる。 やがてワードの泣き顔は柔らかな笑顔へと変わった。 「……美味しイ……」 「それはよう御座いました」 吹雪がおさまりつつあるのを確認して医龍が安堵の息をついた。 「ワード、良かった、良かった!」 ぴょんこぴょんことフラーダが纏わりつく。ラブリーもふもふ空間にイェンスが和んだその時、 「危のうございます」 どっかん。チハの砲が流れ弾を撃ち落とし、 「きゅ!?」 間近での爆音に驚いたフラーダが足をふらつかせた。ついでに、倒れた先にはフラーダ作の雪だるまがあった。 ごろん、べちゃ。どことなくいびつな二段式雪だるまの頭が落ち、無残に潰れる。 「きゅ……雪だるま……」 フラーダの体がプルプルと震える。ピンクの鼻もプルプルしている。つぶらな瞳もうるうるしている。 「ふ、フラーダ様」 「フラーダ、泣かないデ、泣かないデ」 「うわああああああああああああん!」 再び泣き声と吹雪が轟き、イェンスとチハがココアで宥めにかかるのはもう間もなくのことである。 吹雪が一段落した頃、ジュリエッタは慎重に周囲の様子を窺っていた。 「おっと、欠けてら。流れ弾でも当たったか?」 雪像職人もといヒナタは城郭の維持と補修にいそしんでいた。アレンジが効きすぎて原型を失いつつあるような気がするが、ジュリエッタはあえて突っ込まなかった。城などどうでもいいと考えていたわけではない。彼女の頭の中は別のことでいっぱいだった。 そう……あれは放送を聞いてこのチェンバーにやって来た時のことだ。 『ジュリエッタさんも雪合戦に参加なさるのですか』 『これはリベル殿』 『どちらの陣営に就くのです? 確か……セクタン大発生の折、彼らにジャックされたロストレイル3号にジュリエッタさんも乗り合わせていましたね。車掌が“大変お世話になった”と申しておりました。涙を浮かべながら』 『むう……っ!』 青い炎の如き視線にジュリエッタの背筋は凍った。緊急事態とはいえ――そして副系統とはいえ――ロストレイルの操車レバーを折ってしまったことは事実なのだ。 『それを踏まえて貴女にお願いがあるのですが。――聞いて下さいますね?』 お願いという名の命令を拒む術などある筈がなかった。 「みんなー、負けるなー!」 傍らではエミリエが拳を振り回している。先程の吹雪で彼女の姿を見失った時は慌てたが、幸いすぐに見つけ出すことができた。 「エミリエ殿。わたくしの傍を離れるでないぞ」 「うん、ありがとう!」 にっこり微笑むエミリエの姿にジュリエッタの胸はちくちくと痛む。 (じゃがしかし) ジュリエッタは決意とともに小脇差を振り上げた。 「背に腹は代えられぬ。――御免!」 「きゃ!?」 「お、何だ?」 悲鳴に気付き、ヒナタが城内から顔を出した。 「……あれ? 誰もいねー? エミリエまで……」 ジュリエッタとエミリエの姿が消えている。しかしヒナタは細かいことを気にしないたちだった。 「攻撃にでも行ったのかね。オーライ! 大将の留守は俺が守るぜ!」 頭上を旋回するフクロウ型セクタンの舟が物言いたげにヒナタを見下ろしている。 「今のうちだ! 行くぜ相沢!」 「OK!」 視界が晴れたのを幸いに健と優が攻め込んでくる。ヒナタは素早く影を操り、自陣の盾と成した。 「おぉーい、敵襲、敵襲だー!」 作りかけの天守から叫べば、細谷とエミリエが素早くUターンしてくる。 「あれ? エミリエ、いんじゃん」 何せ吹雪続きで視界が悪かった。それにヒナタは築城に夢中で、自陣の動きに頓着していなかった。よってこの状況の不自然さに気付くことができなかった。 「これはお見事」 細谷はまんざら世辞でもなさそうに言った。 「ならば、この身は砦を守る石塁となりましょう」 太刀が閃く。固めた雪を削り出し、一瞬にして防壁となす。エミリエは懐から無数の雪玉を取り出して攻撃を始めた。かと思えば細谷が風を起こし、エミリエの姿を地吹雪で蔽い隠す。二人の連携は見事だった。 「ちくしょー、KIRIN舐めんな!」 「それ今関係ないから!」 生ける雪壁と化した健の咆哮に優が思わず突っ込んだ。トラべルギアの剣を振るい、壁(健)が受け損ねた雪玉を次々と叩き落としていく。 (今なら試せるか?) 持前の反射神経で雪玉を避けつつ、ある可能性がちらと脳裏をよぎる。 過日、コロッセオで発現した技。あの盾を操る術を身に着けることができたなら。 「タイム、隠れてろ!」 凛とした声にセクタンのタイムがぷるんと震えた。 剣を構え、息を吸う。雪玉を見据える。背中にリベルの視線を感じた。 (守るんだ) 明快で真っ直ぐな意志が剣に力を与え―― 「うわっ!?」 「相沢! ――――!?」 だが、唐突に足を滑らせた優は健を巻き込んで転倒した。 「突進と失敗を繰り返せるのも若者の特権でございますよ」 つるつると足を取られてもがく少年たちの姿に細谷が穏やかに微笑む。敵側の足場を凍らせるという細谷の戦術は地味ながらも効果覿面だった。 赤のスプレー缶を弄びながらミケランジェロは眉を跳ね上げた。 「アジさん。貴方はどちらに就いているのですか?」 「ん? じゃあこっちでいいぞー」 宿敵アジがリベルに誘われ、陣営に加わる。 「んじゃ俺はこっちだ」 ミケランジェロは事情をよく知らぬままエミリエ側についた。アジを叩ければそれでいい。雪像を壊された恨みだ。正確には犯人はアジではないのだが。 「ギッタギタにしてやる」 スプレーで着色した雪玉を主にアジに向かって投げつける。即席のカラーボールである。 「手伝おうか」 ミケランジェロの元にひょっこりと瑞貴が顔を出した。――楽しそうに笑いながら。 「行くぜ!」 青嵐が舞う。風が起こる。作り溜めた雪玉の群れが浮き上がり、マシンガンのように襲いかかる! 「あだだだだ!」 「さ、坂上さーん!」 「大変だなー」 氷に足を取られる健と優に雪玉が降り注ぐ。無論瑞貴は適切に力を加減しているが、当人たちにはたまったものではない。しかし肝心のアジには当たらず、ミケランジェロは舌打ちした。 「おい。お前、あの野郎だけ狙って当てられねえのか」 「ん? だって本気で当てたら怪我すんじゃん」 「ぬるいこと言ってんじゃねえよ――ッ!?」 どかどかどか。ミケランジェロはまたしても被弾した。続けざまに。それも後ろから。 振り返れば、そこにはエミリエの姿がある。 「あ、ごめーんっぴょん!」 「とりあえず敵味方くらい把握しやがれェェ!」 怒れる堕神の咆哮が響き渡った時である。 ――誰のものとも知れぬ雪玉が次々と襲いかかってきたのは。 「うっ。うっ……」 髪を震わせ、雪の中で美少女がさめざめと泣いている。 「どうかしたのか?」 隆はそっと彼女の肩に手をかけた。手の甲にふわりと触れる髪の柔らかさにすらドキリとする。少女はようやく顔を上げた。乱れた髪と濡れた瞳に隆はごくりと生唾を呑んだ。 「歩けないの……」 何ということだろう。雪の中に投げ出された白雪の如き足首が無残に腫れ上がっているではないか。 「ひでえ。捻挫か」 「雪玉を避けようとしたら、転んで……あたし、鈍いから……うっ……」 あたし駄目な子なのいつもこうなの。そう繰り返しながら泣きじゃくる美少女の前で隆は武者震いした。 「だいじょぶだいじょぶ、女の子はちょっとくらい鈍くても可愛いって! それよか、歩けねーなら俺がおぶってやるよ!」 「そんな……悪いわ。あたし、重いし……」 「いいってことよ。女の子なんかふわ~っと軽いも――!?」 彼女を背中に乗せた隆の膝ががくりと折れた。 「そう……とっても重いのよ……」 耳をくすぐる冷たい吐息。首に絡みつく二本の細腕。華奢な体が石のように重くなっていく。 「だからいつも捨てられるの……お前重すぎるって言われて……」 「え、重いってそっちの重……っつーかマジ腰やべえし……」 子泣きじじいの如き少女にしがみつかれ、隆の視界はブラックアウトした。 「――――――!」 隆ははっと目を見開いた。 白い壁。固められた雪の上に敷かれた寝袋。かまくらの中だと、ようやく気付いた。 「御気分はいかがで御座いますか」 医龍が穏やかな瞳でこちらを覗き込んでいる。 「え? 何……?」 「哨戒中のイェンス様がリベル様の陣営にて倒れているアナタ様を発見し、収容いたしました。僭越ながらワタクシが手当てなどを。ちなみにこのかまくらは黒燐様のお手製で御座います」 ――辛かったかい? 隆の口には合わなかったようで残念だよ。 口中に蘇る激辛の記憶、脳裏を掠めるルゼの笑顔。鍋ではなくスープ椀に唐辛子が仕込まれていたのだと気付いてほぞを噛んだ。 「ちっくしょー、やられた!」 勢い良くかまくらを飛び出し、目にしたのは信じられない光景だった。 「チハ、参ります」 どっかんどっかん、景気良く打ち出される戦車の主砲が雪玉を撃ち落としている。その後ろでココアを楽しむイェンス。傍らではワードとフラーダが雪だるま作りにいそしんでいる。彼ら二人(?)はココアで餌付けされてイェンス陣営に加わったのだが、隆がそれを知る由もない。 「あれ、あの戦車、どっかで見たことあるような」 「……起きた?」 「うおっ、隠密!?」 唐突に棗に背後を取られ、隆は仰け反った。 「これ、お遣いで頼まれて買って来たんだけど……どうぞ」 「あ、ありがと……」 生姜湯とともに差し出された大判焼きは水分を吸ってめしょめしょだった。 「なつめちゃんはどっちについてるんだ?」 「……喧嘩、良くない」 それが棗の答えだった。 「ただいま。他に倒れてる人はいないみたいだよ」 巡回から戻ったイェンスが棗の隣に腰を降ろした。棗が入り込んだ陣地は元々イェンスとチハがこしらえた物であることを隆が知る由もない。 「目標をセンターに入れてスイッチ……目標をセンターに入れてスイッチ……」 棗は某中学生パイロットばりに虚ろな瞳でトラベルギア――ホースリールセットである――を操っている。しかしこれは訓練でもシミュレーションでもなく実戦だ。雪原に突き立てられたノズルからは絶えず雪玉が射出され、両陣営を苦しめていた。 「虎っち!」 「隆、気が付いたのか!」 医龍の手当を受けていた健と優が駆けて来る。絆創膏と痣とミケランジェロ謹製カラースプレーまみれの二人の姿に隆は愕然とした。 「お前ら……。済まん、俺が不甲斐無いばっかりに……」 「……いや……別に……」 目頭を押さえる隆の前で健は目を泳がせた。言えない。被弾ではなく細谷の術で滑って転んだ時の傷だなどとは。 「あ、戻って来た。陣地はしっかり守ってたぜ!」 慌てて陣地に戻ると瑞貴がぶんぶんと手を振っていた。ディガーが掘り返した雪をせっせと丸めて投げ続けている。健と優が一時離脱したリベル陣営が不利と見て咄嗟に加勢したのだ。 「あの術は使わないのか?」 「だって、ワンサイドゲームじゃつまんねーし」 アジの問いに瑞貴は悪戯っぽく笑った。 「成程。確かに、すぐ決着がついたのでは面白くないな」 そう言うアジは後方で雪だるま作りを始めていた。一本の腕で器用に雪をかき集めては成形していく。かと思えば、 「かまくラ、大きイ!」 「あ、こんにちはー。良かったら休んで行って。お汁粉もあるよ」 「うきゅ! フラーダ、食べる!」 黒燐のかまくらをラブリーほのぼのチームが突撃訪問している。フリーダムな光景に隆は目を剥いた。 「おいおいおいおい、何だこりゃ! ちゃんと雪合戦しようぜー!」 「悪い。飽きた」 隆の熱意をアジがばっさりと斬り捨てた。ちなみにアジの雪だるまはトーテムポール状の力作だ。 「ちっくしょー……ディガーさん! ディガーさんは!?」 「あ、呼んだ?」 くぐもった声が返ってくる。ややあって、地面に開いた大穴から雪まみれの掘削人が顔を出した。 「だいぶ出来てるよ。もうすぐ開通すると思うから待ってて!」 「マジで? サンキュー!」 輝くような笑顔で穴に潜っていくディガーに隆も続く。天井も壁も足元も入念に固められており、穴というよりもはやトンネルの様相を呈していた。 やがて終着点に辿り着き、ディガーは注意深く周囲を探った。 「よし、この辺りかな」 雪を伝う振動を頼りに天井を穿つ。少しずつ。慎重に。隆は息を詰めて見守った。 (成功してくれ……!) ディガーが掘った地下トンネルを通って敵陣を急襲する――。それが隆の作戦だ。 やがて天井が落ち、隆は穴から飛び出した。 しかし。 「あれ? ごめん、外れちゃった……雪が音を吸収しちゃうから……」 振動覚が鈍ったようだと詫び、ディガーは済まなそうに頭を掻いた。 ――目の前に聳えていたのはエミリエではなく姫路城・改であったから。 「何だこりゃ!? 城……? 国籍は……?」 「ハッハァ! どうよ、創造こそ人類の叡智だぜ!」 どごごごごご、ずごごごごご。影の手が絶えず増改築を繰り返している。ヒナタのセンスでアレンジされた姫路城は非常に前衛的でアーティスティックで奇っ怪だった。にょきにょきと大砲を生やした星型の稜堡で周縁を囲み、天守にはベルクフリート――西洋式の、背の高い主塔である――とおぼしき建物が併設されている。 「な、何があった? っつーかエミリエは? ……ん?」 鼻腔をくすぐる心地良い香り。甘く濃厚なそれはコーンポタージュだろうか。 「炊き出しでもやってんのか?」 「美味しい美味しいコーンポタージュだよ。無料で配ってるから老いも若きも寄っておいで。――体がとっても温まるから」 「る、ル……!?」 「おや隆。カレースープの味はどうだったかな?」 城の前で鍋を掻き回すルゼが穏やかに微笑んでいた。 峰打ちで気絶させたエミリエを背負い、諜報員ジュリエッタは雪の中を進む。このままエミリエをリベルに引き渡せばミッション完了だ。 (済まぬ。許せエミリエ殿……!) エミリエの笑顔。声援。共に過ごした時間が走馬灯のように駆けめぐり、ジュリエッタは内心で滂沱する。 「――ふーん? やっぱりね?」 その時、気絶していた筈のエミリエが不意に顔を上げた。 「エミリエ殿?」 「残念でしたー!」 ジュリエッタの背中から飛び降りたエミリエはくるんとトンボを切った。 ドロン。現れたのはハギノである。 「むう……っ!」 「さっきリベルさんとこに顔出しに行ったんだよねー、彼女ならすっごい策がありそうだと思って。そしたらとっくに間者を送り込んであるって聞いちゃってさー?」 前線で戦えるだけの力量を持ったジュリエッタがエミリエの傍で防戦に徹するという不自然さに気付かぬハギノではない。 「たばかったのか!」 「ふふふ。所詮血塗られた道が故に……なんつってー」 その頃、細谷とエミリエは姫路城・改の雪塁上から攻撃を続けていた。 「エミリエ司書……と今しばらくはお呼びいたしましょうか」 「エミリエはエミリエだっぴょん!」 「恐れながら申し上げれば」 細谷は初めから全てを見透かしていた。この戦いを長引かせるためにあえて気付かぬふりをしていたのだった。 「その口調はおよしになるのが賢明かと。いかに変身が完璧であろうと態度が不自然では正体を見破られてしまいましょう」 「あ、そう?」 エミリエに化けたモック――吹雪を利用してハギノと入れ替わったのだ――はぺろりと舌を出した。彼は自身を構成するブロックをエミリエの姿に組み替えて戦場をうろつき回っているのだった。だが、モックの姿は間近で見ると精巧なポリゴンのように角張っているため、近接戦闘はできるだけ避けている。 「だってボクはエミリエの味方! ま、これでエミリエが有利になるかは分からないけどボクは面白いよね!」 体内にストックした雪玉を次々と投げつつ、モックはどこまでも賑やかに笑った。 「あれ、忍者さんどこ行った? せっかく櫓作ったのに。にしても美味い!」 ヒナタはルゼのコーンポタージュに舌鼓を打った。 「お口に合って嬉しいよ」 ルゼは愛想良く鍋の番を続けている。どうやらヒナタは当たりを引いたようだ。ルゼにとっては外れだろうが。 「美味しそう……いやいや、駄目だ」 ぎゅるるると腹を鳴らしたディガーは慌ててかぶりを振った。敵の施しは受けない。 ディガーの姿に気付いたヒナタは目をぱちくりさせ、足許に口を開けたトンネルを見とめて更に目を丸くした。 「なにこれすごい。え? もしかして向こうの陣地まで続いてんの?」 「あ……それ、ぼくが……」 ディガーが体を縮こまらせる。しかしヒナタは爽やかに笑ってディガーの肩に手を置いた。すっくと立てた親指ときらりと光る歯が眩しい。 「いい腕をしているね! 良かったら俺の城に堀を巡らせてみないかい?」 「ええっ!?」 魅力的なスカウトに掘削人の目が輝く。 だが、今のディガーはリベル側の人間だ。敵に寝返ることなどできない。断じて。 「お誘いは有り難いんだけど……ごめん、ぼく、あっちの陣地に帰らなきゃ……堀は作りたいんだけど……すっごく掘りたいんだけど……」 「あ、うん……なんかごめん……」 涙目で詫びながらトンネルに戻っていくディガーの姿にヒナタの方が気まずくなる始末である。 ミケランジェロは赤のスプレー缶を転がしながら姫路城・改を見上げた。 「おう、そこのサングラス。この城、おまえが作ったのか」 「ハイソウデス」 ヒナタはミケランジェロからそっと目を逸らした。芸術を体現する者の姿に本能的な何かを感じたのかも知れない。だが、ミケランジェロは不敵に唇の端を吊り上げた。 「おもしれェ。これ、動かせねえのか?」 「いやいや、俺コンダクターですし。見た目アレですけどただの雪像ですって」 「へェ。そーかそーか、成程な」 芸術の神が動き出そうとしていた頃、リベル陣営のバリケードに潜む健は呆然としていた。 「裏切ったのか……!」 姫路城・改の門前には、エミリエとジュリエッタを庇うように仁王立ちになった隆の姿がある。 「健ちゃん! まさか敵同士になるなんてな!」 「ちっくしょー、なんでだよ!」 「だって俺……弱い方の味方なんだ!」 ――そりゃあんな本読んでたエミリエも人騒がせだったかも知れないよ? でもさ、あんな風にさ、あそこまでさ、普段の行いがどうこうなんて言わなくても……リベルはただエミリエを怒りたいだけなんじゃないのかなって……。 つい先刻のことだった、姫路城・改の奥の間でいじけているエミリエを隆が発見したのは。そこへ本物のエミリエを探しに戻ってきたジュリエッタも合流し、エミリエの言い分を聞くうちに瞬く間に結束が生まれた。 「要は、リベル殿のお説教が長すぎるのも一因ではなかろうかの」 「その通りだぜ! 権力には徹底した抵抗を! 我らがエミリアの自由主義こそターミナルの理想だ!」 「エミリ“エ”じゃ、虎部殿」 「お、おう。とにかく、健ちゃんといえども手加減しねーぜ!」 「虎っち……! 俺達、KIRIN仲間だろ!」 「今それ関係ないと思います」 バリケードの陰で雪玉の補充にいそしむ優が的確に健に突っ込んだ。傍らではトンネルを通って戻ってきたディガーも作業を手伝っている。もちろんエミリエ陣営の侵攻を防ぐためにトンネルは途中で崩落させた。 (夕飯はおにぎりにしようかな……) ぎゅるるる。雪玉の山を前にし、ディガーの腹の虫が騒ぐ。トラべルギアを小脇に抱えたままの彼の姿に優が首を傾げた。 「そのシャベル、置いてきた方が動きやすくないですか? かまくらで預かってもらうとか……」 「ええっ……。駄目? どうしても置かなきゃ駄目?」 「いえ、そういうわけじゃないですけど……なんかすみません……」 涙目で訴えるディガーの姿に優の方が気まずくなる始末である。 「皆さん、落ち着いて下さい。人数は五分です。バリケードを生かし、機動力で撹乱すれば勝機はあります」 凛と、大将の檄が飛ぶ。トンファーを構えた健がちらとリベルを振り返った。 「リベルさん、笑って笑って」 「は?」 「壱番世界じゃ嘘でもいいから笑顔を作れば幸せになるって言うんだぜ。脳内でセロトニン生成されるからさ!」 「いいこと言うじゃん」 颯爽と飛び出した健に瑞貴が風のように伴走した。 「防御は任せろ!」 瑞貴の扇が翻る。不規則に踊る風が敵の雪玉を押し返す。負けじと細谷が地吹雪を起こす。双方の雪玉がばらばらと舞い、火の粉のように降り注ぐ。 「ああ、賑やかになってきたね」 飛び交い始める雪玉の中、中立組のイェンスが穏やかに微笑む。傍らの棗はわずかに眉を動かした。 弾詰まりならぬ雪詰まりだろうか。トラべルギアが沈黙している。 「………………。動け……動いてよ……今動かなきゃどうにもならない……」 がちゃがちゃとノズルを揺する棗の前にキツネ型セクタンの八甲田さんが躍り出た。襲い来る流れ弾に狐火をぶつけて溶かしていく。 「落ち着いて。狙われないようにここに隠れるんだ」 イェンスは白い大判シートを広げて棗を庇い、髪の毛の束を取り出した。念のため断っておくとこれは彼のトラベルギアである。頼むよと囁いてひと撫ですれば、絹のような黒髪に鋼のような意志が通(かよ)った。 「それ」 うぞぞぞぞぞぞと伸びる髪が流れ弾を絡め取る。そこに重なる幻影は女の腕だろうか。雪玉を掴んで驚異の命中率で投げ返している辺り、単なる幻とも思えないが。 ラブリーほのぼのチームの雪だるま作りも至極順調に進行していた。 「できタ!」 “ベルゼ丸”と書かれた板きれを突き刺し、ワードは充実感たっぷりの笑顔を浮かべた。ベルゼ丸と名付けられたいびつな雪だるまは見ようによっては蝙蝠のように思え……なくもない。 「ワード、上手! フラーダ、負けない!」 フラーダが鼻息荒く雪玉を転がす。ごろごろごろごろ、頭で押しまくる。当然前など見えていない。前方になだらかな斜面があっても気付く筈がない。 「あ……」 ごんろごんろごんろごんろ。 「雪だるまー……。むきゅ! フラーダ、負けない!」 巨大化しながら一直線に転がる雪玉をシュンと見送り、フラーダはぷるぷるとかぶりを振った。この雪がある限り何度でもやり直せる。 「そぉい!」 黒燐も懸命に雪玉を放るが、何とも可愛らしい感じの攻撃にしかならない。見かねた医龍は助け船を出すことにした。彼の目配りと気配りはベテラン執事の如くである。 「黒燐様、よろしければお乗り下さいませ。お一人ならどうにか運べます故」 「わあ、ありがとう!」 黒燐を乗せ、医龍は雪空へと飛び上がる。リベル陣営で雪玉を投げ続けていた瑞貴が顔を輝かせた。 「まあ。美しゅうございますわ」 「……あ?」 「いや、何でもない」 健に怪訝そうな表情を返され、瑞貴はぶるんぶるんとかぶりを振った。言えない。幻想的な光景を前にしてつい姫時代の素が出てしまったなどとは。 「おぉーい、風の援護は必要かぁー?」 上空に向かって呼びかけると、医龍が目をぱちくりさせた。 「よろしいので御座いますか?」 「もちろん!」 鮮やかな笑みと共に瑞貴が踊る。清冽な追い風がバリケードとなって医龍を包んだ。 「おい、少女」 「……何だ?」 アジの呼びかけに瑞貴は半目で振り返った。 「ずいぶんな盛り上がりだが……そろそろ合戦の仕上げなのか?」 「んー、多分そんなとこ?」 「成程。ならば往こう、全力で」 かまくらの中で体力を回復させたアジはゆらりと立ち上がった。 「それ!」 わんこそばの要領で優が次々とシャベルの上に雪玉を注ぐ。ディガーがシャベルを振り抜く。弾丸の如く放たれた玉は姫路城・改の雪塁に次々と突き刺さった。 「ああ、やっぱり手で投げるよりしっくりくるみたい。雪だるまには当てないように気を付けなきゃね」 ディガーはのんびりと笑う。ヒナタは舌打ちして雪塁の補修に回るが、どこか晴れやかに笑った。 「すっげー威力。さすが俺の見込んだ男! ……あれ?」 城壁に鮮やかなペンキが飛び散っている。スプレーで噴きつけられたとおぼしきそれはグラフィティアートのように見えなくもなかった。 「んー、まあこれもアートだよな!」 しかしヒナタは細かいことを気にしないたちだった。 「それよか修理修理……お、今度は何だ」 自陣と敵陣の中間地点に見慣れぬ少女がうずくまっているのが見て取れた。 時を同じくして、トンファーを振るいながら進撃する健がはたと足を止める。 「うっ。うっ……」 髪を震わせ、雪の中で美少女がさめざめと泣いている。 「どうかしたのか?」 そっと声をかけ、健は小さく息を呑んだ。手の甲にふわりと触れる髪は、銀。持ち上げられた面(おもて)で、紫色の瞳が濡れていた。 「どうかしたか?」 瑞貴が怪訝そうに健を覗き込む。しかし彼の声は今の健には届かない。健の瞳は少女を見ているようで見ていない。 「歩けないの……」 何ということだろう。雪の中に投げ出された白雪の如き足首が無残に腫れ上がっているではないか。 「ひでえ。捻挫か」 「雪玉を避けようとしたら、転んで……あたし、鈍いから……。きゃ……」 容赦なく流れ弾が当たり、少女はまた涙を浮かべる。 その光景を姫路城・改のベルクフリートから見下ろしながら隆は首を傾げた。 「あれ? 何か、すっげーデジャヴュ」 「……怪しいのう」 ジュリエッタも目を眇める。何だって戦場のど真ん中で美少女が泣き崩れているのか。 「歩けるか? 肩貸そ――」 健が少女の前に膝をついたその時である。 「ばあっ!」 ドロン、べちゃ。変化を解いたハギノが健の顔面におもっくそ雪玉をぶっつけた。 「………………ッ………………」 「え、ちょ」 「対男性用最終兵器『儚げな美少女』作戦、成功! どうっすか僕の迫真の演技! ……でも、ただの雪玉なんだけどなー?」 大の字に倒れた健の姿にハギノは首を傾げるばかりだ。 「……あのなぁ」 やがて手負いのKIRINはゆらりと立ち上がった。 「やっていいことと悪いことがあるんだよッ!」 「えー? 銀髪紫眼は金髪緑眼の次くらいにテッパンっしょー?」 血涙を流す健からハギノはひらひらと逃げ回る。ジュリエッタが塔から叫んだ。 「ハギノ殿! そなたどちらの味方なのじゃ!?」 「やだなぁ、僕は無邪気に遊びたいだけですよ? 超有能でも心身共に十七歳だし!」 「そぉい!」 「痛ぁー!?」 超有能な忍者も頭の上には目が付いていなかったらしく、上空から黒燐の雪玉を受ける羽目になった。 黒燐を乗せた医龍はベルクフリートに陣取ったエミリエの前に降り立った。 「うおっ、敵襲、敵襲ー!」 「お待ち下さいませ。エミリエ様に一言申し上げたきことが御座います」 味方を呼び集めようとするヒナタを静かに制し、医龍はエミリエに向き直った。 「エミリエ様。ワタクシどもは先程の攻撃に少々心を痛めております」 「え?」 「確かに此処は戦場で御座います。流れ弾程度なら想定内では御座いますが、中立を宣言したワタクシどもにああも露骨な攻撃をされる理由は何処にあるので御座いましょう。ああ、おかわいそうなワード様に鷹丸様……」 「え? え? 鷹丸って誰?」 覚えのない罪状を並べ立てられ、エミリエ(本物)は目を白黒させるばかりだ。 「よう、エミリエ」 そこへ司書のシドが顔を出した。 「あれ、シド……? 寒くないの?」 「ボ……いや、俺も気になってな。ちょっと様子を見に来たんだが」 雪玉を手の中で弄びながらシドは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。 「戦争なんだろ? ヌルいこと言ってたらやられるぜ!」 べちゃ。 医龍がひょいと避けた雪玉は城内を駆け巡っていたミケランジェロの顔面にヒットした。 「……テメェ」 「あ、悪い」 「敵味方くらい区別しやがれ!」 赤いスプレーを頬に付けたミケランジェロは額に青筋を立てた。 白い闇と、圧倒的な静寂。人肌の生ぬるい空気。この場所は外界からは隔絶されている。 「動け……動け……」 沈黙したトラベルギアをやみくもに揺すりつつ、棗は虚ろに呟き続ける。 「動いて……お願い……」 ドクン。 「………………?」 ドクン、ドクン。青いかぎろいが揺れた気がした。 「……何……」 ドクン、ドクン、ドクン。確かな鼓動。――暴走の兆。 「何……誰……」 棗の意識はノズルの中へと溶けていき―― などという展開になるわけもなかった。 ごろんごろんごろんごろん。 「危のうございます」 どっかん。チハの主砲が巨大雪玉(さっきフラーダが転がしたやつ)を打ち砕く。白い破片が、シートの下から這い出した棗の上にばらばらと降り注いだ。 「……痛い……」 「なつめちゃぁぁぁぁぁん!」 なぜか隆が悲鳴を上げた。 「ちっくしょー、誰だ女の子に当てやがったのは!」 「歩兵支援型戦車としての役目を果たしたまでです。直撃していれば重傷は必至」 チハが凛と声を張り上げる。壱番世界人である隆は目を剥いた。 「ち、チハたん……!? やっぱりチハたんか!」 「いいえ私はチハ タンです」 誇り高く名乗ったチハに隆はぴゅっと頭を引っ込めた。ジュリエッタと一緒にひそひそと作戦会議を始める。 「虎部殿。あれは装甲車かの?」 「違う! チハたんはれっきとした戦車だ! やべーな、戦車戦ならともかく対人戦だと勝ち目ねーぜ。戦車戦ならともかく」 「戦車ならば金属製じゃろう。わたくしの雷で……」 「お、俺は戦車のロマンを大事にしたいんだよ! あー、コレットがいればバズーカか何か描いてもらうんだけどなー!」 「やあ、大変だね。頭を使うとお腹が空くよ。一杯どうだい?」 「サンキュうぉ危ねー!」 コーンポタージュの椀を受け取った隆は寸前で思いとどまった。 「飲まないのかい? 美味しいよ」 差し入れにやってきたルゼが爽やかに微笑んでいる。 「ルゼ殿。わたくしも頂けるかの?」 「ああ、もちろん」 「よ、よせ!」 「なぜじゃ?」 スープを啜ったジュリエッタは首を傾げた。こんなに美味しいのにと言わんばかりに。 「あ、あれ……? だってさっき……」 「そうか……俺はよほど信用がないんだな……」 ルゼは芝居がかったしぐさで目頭を押さえた。 「そりゃあ隆にとっては男の手料理なんか食べられたものじゃないだろう……だけど俺も皆の手助けをしたい一心で……白兵戦には向かない分、せめて後方支援をと思ったんだけどね……」 「……虎部殿……」 悲嘆に暮れるルゼ、白い目で隆を見つめるジュリエッタ。特に後者は隆のハートをぐっさぐさと突き刺した。 「隆ー、見て見て! これ役に立つ?」 そこへエミリエがやって来る。隆は顔を輝かせた。エミリエが担いでいるのはバズーカ砲ではないか。 「エミリエ殿、いつの間にそんな物を」 「ん? そこに落ちてたから」 「なぜ城の中にバズーカが……和洋折衷もいいところじゃ……」 「なーんか見た目カクカクしてんなこれ。まーいいや、百人力だ!」 訝しがるジュリエッタの傍らで隆は喜々としてバズーカに雪玉を詰め始める。 「おや。大変なことに」 エミリエ陣の動きはフクロウ型セクタンの視覚を通してイェンス達にも伝わっていた。 「どうしようか、みんな」 「私は皆様の仰せのままに」 チハが静かに応じる。 「ありがとう。じゃあ、少し付き合ってくれるかい?」 イェンスはココア入りの魔法瓶を手に立ち上がった。 雪原に赤い花が咲く。ミケランジェロが駆ける度、赤のスプレーが雪上で躍る。 (そろそろ決着付けてやるよ) 不敵に笑い、無心にスプレーを操る。 「凄イ! 綺麗!」 芸術の神の妙技をワードが絶賛した。足を止めたミケランジェロは愉快そうに喉を鳴らす。 「この雪だるまも塗ってやらァ」 「黒! 黒ガ、いイ!」 ミケランジェロのスプレーが、モップが閃く。ワードの力作・ベルゼ丸は瞬く間に漆黒に塗りたくられた。 「きゅ!? ずるい! フラーダ、色、欲しい!」 「おうよ」 ラブリーもふもふチームの雪像が次々と彩色されていく。 「ご苦労なことだ」 「ッ!?」 不意に死角から雪玉が飛んでくる。じゃらららと飛ぶ鎖にミケランジェロは目を眇めた。アジだ。 「今度は雪だるまで遊ぶのか? 雪合戦とは奥が深いものだな」 「テメェの雪だるまはどこだ?」 「ん? 俺のはあれ」 アジは自作のトーテムポール状雪だるまとセクタン型雪像を指した。つかつかと歩み寄ったミケランジェロのモップが、一閃。力作がどちゃどちゃと崩れ落ちていく。 勝ち誇ったように振り返ったミケランジェロの前でアジはからりと笑った。 「ああ、また作らねばな」 「テメェ少しは落ち込みやがれ!」 「細かいことは気にしないことにしているんだ」 再び因縁の対決が始まる。ミケランジェロの作戦が発動するのはもう少し後になりそうだ。 「敵襲ー! 敵襲ー!」 どっかんどっかん、隆のバズーカが景気良く雪玉を撃ち出す。雪塁の上に飛び乗ったハギノはひょいと眉を持ち上げた。 「ちょ、タイムタイム! 使者だって!」 地吹雪の向こうから現れたのは白旗を背負ったイェンスとメイドの姿を取ったチハだった。 「休戦。我、一時休戦を請う」 イェンスは拡声器で両陣営に呼びかけながら姫路城・改の門に近付いて来る。 前線で戦っていた面々は一旦それぞれの陣地へと退却した。 「みんな、冷えてないか?」 瑞貴の扇・赤焔が火炎玉を生み出す。その火種を借り、黒燐はかまくらの中でせっせと先刻のお汁粉を温めて皆に配った。 「お疲れ様です。お怪我はありませんか」 リベルもメンバーを労って回る。 「坂上さん、大丈夫ですか。だいぶダメージを受けたようですが」 「ん、ああ」 どんよりしていた健は慌てて笑顔を作った。笑っていればそのうち本物の笑顔になるのだから。 「それよかリベルさん。さっきは変なこと言って悪かった」 「変なこととは」 「ん、気にしてないならいいんだけど」 健は軽く肩を揺すった。 「余計なこと言っちまったかな、ってさ。リベルさんは大人だもんな。アリッサ並みなら俺の八倍以上年上――」 「坂上さんも体を温めて下さい。できるだけ早く」 「ぶばっ!?」 熱々のお汁粉を口の中に流し込まれた健は文字通り飛び上がった。女に年齢の話は禁句である。 「リベルさん」 そこへ優が顔を出した。 「リベルさんとエミリアの喧嘩の原因、俺も聞いたんですけど――」 「エミリ“エ”です」 「あ、すみません。とにかく、セクタン大発生、俺は楽しかったけどなー。タイムがいなくなって大変と言えば大変でしたけど、デフォルトフォームの波に揉まれるのも気持ち良かったですよ」 少年らしく笑う優の前でリベルの眉がかすかに動いた。 「でもまぁ、こういう風に身体動かして思いっきりぶつかるって良い事だと思います。何より、俺は楽しいし! それにほら、思いっきりやればお互いすっきりするじゃないですか」 「そーそー。みんなで楽しく行こうぜ!」 瑞貴も子犬のように笑った。 一方、イェンスは細谷の丁重な出迎えと案内を受けてベルクフリートへと通されていた。 「やあ、こんにちは。僕はイェンス・カルヴィネン、よろしく」 「な、何? 何? エミリエを捕まえに来たの?」 「いいえ」 チハは流麗な手つきでカップにココアを注ぎ、銀盆に乗せて差し出した。 「イェンス様と私からです。どうぞお召し上がり下さい」 「え……」 エミリエは二人の顔と湯気を立てるカップを交互に見比べた。 「……ありがと……」 促されるまま、一口、啜る。まろやかで柔らかな甘みが舌の上に広がった。 「君もリベルも気分転換になったのではないかな。僕も楽しいよ、有難う」 エミリエがほっと息をつくのを確かめ、イェンスは静かに切り出した。 「そこで提案なんだが、この辺りで妥協してはどうだろうか」 「敵の軍門に降(くだ)るってことか!?」 「ちょ、とりあえず最後まで聞こうぜ」 血気盛んな隆をヒナタが制する。 「他の人の説得もあるだろうし、リベルさんも初めほど怒ってはいないと思うんだ。だが、頑固に抵抗を続ければ状況が暗転しないとも限らない。……例えば、もっと怖~い辛~いおしおきが待っているかも知れないよ。ここはポーズだけでも妥協してはどうかなぁ?」 「で、でも……。ねえジュリエッタ、何か言ってよ! ジュリエッタはエミリエの味方だよね?」 「う、うむ」 エミリエにひしと抱擁され、ジュリエッタは目を泳がせた。エミリエの言い分にも理はある。だが、エミリエがリベルの話を聞かなかったのも一因ではないのか? (ど、どちらに味方しようかの) 悩める少女の心は二人の間で揺れ動いている。 こほんと咳払いしたのはルゼだった。 「お腹が減っては頭も回らないよ。みんなで腹ごしらえでもどうだい? ――ポタージュ、まだ沢山あるから」 「……ありがと」 エミリエはスープ椀を受け取り、そっと口を寄せた。隆がごくりと唾を呑む。ルゼは静かに微笑んでいる。 その時、とうとう神の力が芽吹いた。 どごごごごご、ずごごごごご。 「おや」 「あれ?」 かまくらの中でお茶を楽しんでいた医龍と黒燐はふと顔を上げた。尋常ならざる振動。否、胎動だろうか。 「うきゅ!?」 「ベルゼ丸……?」 どごごごごご、ずごごごごご。ラブリーほのぼのチームの雪像が厳かに立ち上がり、 「うおっ、何だ?」 「地震? いや……」 姫路城・改が不吉に揺れ始める。 ギャオオオオォォォォォス! と咆えたかどうかは定かではない。とにもかくにも、その瞬間、天を衝く火柱が誰の目にも見て取れた。 「へえー」 ハギノが飄々と口笛を鳴らす。 ミケランジェロが赤いスプレーで描いた巨大な地上絵が、今、炎竜となって顕現したのだ。 「何もかも融かしちまえば勝敗も何もねェわな。――行け!」 鮮やかな笑みを閃かせ、ミケランジェロが竜に命じる。炎のブレスが雪を溶かし、 「ベルゼ丸! 強イ! 凄イ!」 神の彩色で命を吹き込まれた雪像たちが次々と動き出し、攻撃を始める。 「どうなってんだこれ!?」 もちろん姫路城・改も例外ではなかった。がっしょんがっしょん、移動要塞の如く動き出す城の中でヒナタがごろごろと転がっている。細谷は素早く周囲に目を走らせ、皆を窓へと誘導した。 「飛び降りましょう。私にお任せを」 「何じゃと」 「早く。巻き込まれる」 ジュリエッタの手をルゼが引き、残りの人員もばらばらと続く。細谷が起こす風が皆を包み込み、柔らかに雪上へと着地させた。 「いやいやいやいや、無理だろこれ!」 すぐに体勢を立て直した隆は既にバズーカで炎竜に応戦していた。しかし撃ち出される雪玉はことごとく溶かされていく。 不意に「くくく」とバズーカが笑った。 「随分楽しくなってきたじゃん」 「うおっ!」 ぼん! 砲身と共に満タンの雪玉が弾け、隆を吹っ飛ばした。正体はモックだった。彼のキューブは自由自在、無機物にだって変化できるのだ。 「へー、炎か。でもさー、溶かされちゃったらつまんないっしょ!」 立体モザイクが鮮やかに組み替えられていく。やがて現れたのはアイスドラゴン。絶対零度のブレスは炎すら凍てつかせる。 「何だよこれ!? もはや雪合戦じゃないだろ!」 「そうだね。でも、まあ」 目を白黒させる健の隣でディガーはのんびりと笑った。 「異世界だしねえ」 掘削人は究極のマイペースだった。 氷のブレスと炎のブレスが真っ向からぶつかり、爆ぜる。いびつでキュートな雪像たちが次々と雪玉を投げては打ち砕かれていく。もはや雪合戦とは呼べぬ光景にハギノはひょいと肩をすくめた。 「雪投げてどうにかなる次元じゃないなー。なら僕は僕で楽しみますかねっと」 超有能な少年忍者はブリザードに紛れて姿を消す。 優はわずかに目を揺らした。 (今なら試せるか……?) 懐から取り出したのは大事に取っておいた特製雪玉(大)たちだ。 「あの、ディガーさん。これ投げてもらえませんか?」 「うん、いいよ」 ディガーのシャベルが閃き、特大の雪玉が飛ぶ。ばかすか被弾する移動要塞姫路城・改をヒナタの影の手が補修していく。 「何かもう原型とどめてねーな……ま、バージョンアップってことで!」 混沌とした造形を見上げつつヒナタは爽やかに額の汗を拭った。 「失礼する」 ひらりと跳び上がったアジが軽やかにアイスドラゴンの頭に飛び乗った。 「俺が目になろう。ナビは任せろ」 「おっ、ありがと」 「とりあえずあの男を狙ってくれ。あいつが炎竜のあるじだ」 「よくわかんないけど分かった!」 竜と化したモックは楽しげに笑ってミケランジェロを狙い撃ちし始めた。モックもミケランジェロも同じエミリエ陣営なのだが、細かいことはどうでもいい。 「テメェ、味方じゃねェのかよ!?」 芸術の神は運の神に愛想を尽かされているのかも知れない。 ジュリエッタは猛攻を掻い潜って進撃を進めていた。 「御免!」 小脇差を振るい、雪像が投げる雪玉を叩き落とす。弾かれたつぶてはベルゼ丸を打ち砕き、フラーダのもふもふボディを直撃した。 「ベルゼ丸……なんデ……どうしテ、壊れル……?」 「きゅ!? 冷たい!」 「うわぁぁぁぁぁぁン!」 「むきゅ! お返し!」 ワードの泣き声が氷の精霊を呼ぶ。フラーダの風が粉雪を舞い上げる。吹雪の波状攻撃に巻き込まれたジュリエッタはもんどり打ったが、素早く態勢を立て直した。 「も、申し訳な――」 「うわぁぁぁぁぁぁン!」 「むきゅー!」 「ええい、戦とはこういうものじゃ! ここはいったん通してたもれ! わたくしはリベル殿に話が――」 「ジュリエッタ」 そっと名を呼ぶ少女の声。はっとして振り返ると、吹雪の中でエミリエが震えていた。 「行っちゃうの、ジュリエッタ?」 「え、エミリエ殿」 「信じてたのに……行っちゃうの……?」 うるうると潤む大粒の瞳。ふるふると震えるピンク色のおさげ。 だが、軽く眼を眇めたジュリエッタは小脇差を振り上げた。 「同じ手は喰わぬ!」 「あっれー、おかしいなー?」 ピシャアァァァァン! 放たれる雷を避け、エミリエはドロンとハギノの姿に戻った。 「楽しいじゃん」 瑞貴の青嵐が風を呼ぶ。炎と氷、二竜のブレスが風を受けて加速する。ワードの鳴き声とフラーダの吹雪も止まらない。棗は半ば吹雪に埋もれていた。 「なんで……動かない……」 がちゃがちゃと揺するトラベルギアは沈黙したままだ。襲い来る雪玉を避ける術もなく、ただノズルを引き続ける。 「危ない!」 しかし、そこへ颯爽と壁(隆)が現れた。 「ちゃんとハッコに守ってもらってなぶl^f*Д*ぉあ!?」 どかかかか。シャープペンシルを操りながら、隆は棗の壁としての役目をしっかり果たした。 「……ハッコさん?」 ぴょこんと飛び出したセクタン・八甲田さんがノズル目がけて狐火を吐く。 どかかかか。 「どわぁぁぁぁ!?」 雪詰まりを溶かされたギアから立て続けに雪玉が発射され、隆の背中を襲った。 「目標をセンターに入れてスイッチ……目標をセンターに入れてスイッチ……」 「な、なつめちゃん、暴走しないで!?」 イェンスとチハはリベルの元へと辿り着いていた。 「リベルさんに手出しはさせねー」 健がトンファーを手に身構える。イェンスは穏やかに笑ってかぶりを振った。 「実はさっきエミリエと話して来てね。貴女はもう初めほど怒っていないのではないか……と」 リベルは答えない。イェンスは構わずに言葉を継いだ。 「どうだろう。そろそろ潮時じゃないだろうか。もしチェンバーが壊れることにでもなったらそれこそ大変だと思うけれど」 どおぉぉぉぉぉん。言う傍から不吉な振動が襲う。移動要塞姫路城・改弐が動き回り、互いに喰らい合う二竜がブレスを吐きながらのたうち回っている。 チハは静かに戦車形態へと変じた。 「どのみちこのままでは危のうございます。ここは陸戦の王者たる戦車の出番」 「……チハさん。まさか」 「私には皆さんがついていますから。それに」 いかに装甲が薄かろうと、いかに主砲が頼りなかろうと、チハのボディには開発者とファンの愛が詰まっている。 「たまにははしゃぐのも楽しいものでしょう?」 今のチハは戦車の姿なのに、どういうわけか、そこにいた誰もが彼女の微笑を感じた。 「では――チハ、参ります」 小さな戦車が静かに前進を開始する。目の前には移動要塞姫路城・改弐。炎竜。アイスドラゴン。隆が瞠目した。 「よ、よすんだチハたん! M3軽戦車とはわけが違うんだぞ!」 「おっしゃる意味が分かりません。なぜ私を軽戦車と比較するのです?」 チハは真っ直ぐにブリザードと炎の中に突っ込んでいく。コンパクトな雄姿に、隆の背筋が自然に伸びた。 「ち……チハたんばんじゃぁぁぁぁい!」 最敬礼の万歳三唱が響いた時だった。 「――恐れながら申し上げれば」 凛と舞い降りる男の声。 鷹のように現れた細谷の姿は吹雪に紛れ、チハ以外の者には目視できなかった。 「その御心はご立派なれど、人も戦車も国の資源でございます。戦場に散るよりも、生きて誇りを国に捧げてはいかがでしょう」 風を切る太刀から放たれる紫電。二頭の竜に電撃が絡みつき、拘束する。 「ディガーさん、これ最後!」 「分かった」 優の特製雪玉をディガーのシャベルが天高く放り上げた。 刹那の静寂。 そして、激しい光が噴き上がる。 「――――――!」 黒燐を乗せて上空に退避した医龍の体がぐらりと傾く。どうにか安全に着地し、次の瞬間目を見開いた。 どーん。ディガーの雪玉が炸裂し、大輪の花火が咲き誇る。極彩色の光の下で、竜の火柱と氷柱はもつれ合いながら弾けた。電撃を帯びながら降り注ぐ氷と火の粉。瑞貴が咄嗟に風を起こして弾道を逸らした。ヒナタも皆の頭上に影の盾を広げる。 「すげえ。『爆発する激情~色彩噴火~』!」 ぴぴっ、ぱしゃっ。もちろん撮影も忘れない。 「ち……チハたん……」 ぶすぶすとくすぶる黒煙を遠目に、隆が懸命に涙をこらえる。だが、棗は静かに前方を指した。 「……見て……」 煙の中、ちかりと太刀が煌めく。 ――吹き散らされた黒煙の中に、細谷とチハが立っていた。 「っとと……手荒なことしてくれるじゃん、オジサン。なかなか楽しかったけどね!」 元の姿へと戻ったモックが細谷にサムズアップしてみせた。 神の力を失い、雪像も城も雪の塊へと還っていく。 「……何なのじゃ。これのどこが雪合戦なのじゃ」 尻もちをついたジュリエッタはわなわなと拳を震わせた。彼女はずぶ濡れだった。もっとも、炎竜が溶かした雪は雨となって等しく戦場に降り注いでいたのだが。 「みんな、大丈夫か? あったまってなー」 へたり込む面々の間を瑞貴が火炎玉を灯して回った。 「少女。あんたは寒くないのか、その格好で」 「ああ、俺には火の加護があるから……」 アジの問いに瑞貴は諦め顔で応じた。 「……収束、でしょうか」 「リベル殿」 呆然とするリベルにジュリエッタがつかつかと歩み寄る。 「ジュリエッタ、大丈夫?」 「……エミリエ殿……」 駆け寄ってくるエミリエ(本物)をジュリエッタはゆらりと振り返り、そしてプッツンした。 「要は双方が悪いのじゃ! 頭を冷やすがよい!」 溶け残った雪の中に司書二人を突き飛ばす。不意打ちを食らった二人はジュリエッタに言われた通り頭を冷やされる羽目になった。 「一対一で正々堂々戦ってみせよ! さすれば気分も晴れるじゃろうが!」 「まあまあ、落ち着いて」 ルゼがどこまでも穏やかにジュリエッタを制した。手には紅茶のカップを乗せたトレイを捧げ持っている。 「なあ、エミリエにリベル。周りをよく見てごらん? 手助けをしてくれたロストナンバー達もこの有様だ。特に隆はひどい目に遭ってね」 「一部はルゼさんのせいだけどな! あー、まぁ」 すかさず突っ込んだ隆はごほんと咳払いした。 「とりあえずさー、二人が和睦しないと終わらねーからエミリア謝っちゃえよ。俺も擁護するから。エミリアの大人なところ見たいなー」 「隆、エミリ“エ”だ」 「……ごめんルゼさん」 「それはともかく、隆の言う通り、この辺で和解といかないかい? これ以上戦っても決着はつきそうにないしさ」 司書たちは答えない。 だが、控え目に視線を交わすのが誰の目にも見て取れた。 「よし。めでたしめでたし」 ルゼの笑い声がその場の空気を代弁した。 「じゃあ、和解の記念にこれをどうぞ。美味しい美味しい紅茶だよ」 「恐れ入りま……」 「わー、ありが……」 沈黙。一瞬遅れて、司書二人はその場に崩れ落ちた。 「ど、どういうことじゃルゼ殿」 「紅茶の中にハバネロを入れたんだよ。さぞ体が温まるだろうと思ってね」 ルゼはにっこり笑って宣言した。 「これにて落着。――喧嘩、両成敗」 「ルゼさん……恐ろしい人……!」 隆は白目を剥いて悲鳴を上げた。 「君ッ! 雪玉花火なんて、いいセンスしてるね! ナイスアート!」 「え……ぼくは何も……」 ヒナタに肩を叩かれ、ディガーが首を傾げている。傍らに立つ優はそっと目を逸らした。言えない。言えるわけがない。ディガーが放った雪玉は優の特製だなんて。――雪玉の中にナレッジキューブを仕込んでいたなんて。 「冷えたお体に温かい紅茶はいかがでしょうか。もちろんハバネロは入っておりません」 「お汁粉もあるよー」 医龍と黒燐が皆を労って回っている。もちろん、汁粉の椀は真っ先にフラーダとワードに渡した。泣く子には飴を与えておくに限る。 「……美味しイ……」 「うきゅ! フラーダ、これ、好き!」 「……鷹丸……ベルゼ丸……」 「きゅ!? ワード、泣く、駄目!」 じわりと涙ぐむワードをフラーダが慌てて抱擁した。 「やー、お疲れお疲れ」 ハギノが餅を片手にふらりと現れた。超有能な忍は安全な場所に隠れていたようだ。 「あそこのかまくら、キミの? 餅焼こうよ、餅。お汁粉の足しにしてもいいしさー」 「わあ、いいね! ……でも、お餅はどこから出したの?」 「ふっふー、それは教えられないなー」 「忍者、さっきは世話になった。医務室はどこだ?」 ひらひらと笑うハギノにアジが声をかけた。おすそ分けしてもらった汁粉を手にしている。 「エミリエとリベルの見舞いに行きたいのだが……楽しい行事を催してくれた礼も言いたいしな」 (うわあ……僕の助言を鵜呑みにしちゃってるよ……まぁ後で訂正しておけばいいか……今はしないけど) 医務室を訪れたアジはジュリエッタと鉢合わせることになるのだが、それはもう少し後の話である。 「……疲れた。あの鎖野郎、今度見たらただじゃおかねェ。でも今日は帰る」 「お待ち下さいませ」 モップを担いで立ち去ろうとしたミケランジェロをチハが呼び止めた。 「皆様のためにお風呂を沸かしたいのですが、先程の竜をもう一度呼び出していただけないでしょうか?」 「俺はボイラーじゃねぇぇぇぇ!」 堕神の咆哮が響き渡った。 ◇ ◇ ◇ 「――報告は以上でございます」 細谷はシド(本物)の前で静かに話を結んだ。 「あー……よく分かった。とりあえず引き分けってことでいいのか?」 「そういうことになりましょう。こちらも実のあるひと時を過ごしました。それに」 「それに?」 「リベル司書の荒ぶるお姿を拝見する日が来るとは思ってもみませんでした」 この時、リベルがくしゃみをしていたかどうかは定かではない。 「そうだね。皆も同じ気持ちじゃないだろうか」 イェンスがゆったりと微笑む。雪焼けで顔が赤いのはご愛敬だ。ディガーものんびりと応じた。 「うん、楽しそうだったねー。ぼくも楽しかったし、よかったよかった」 「久々に体動かせて良かったよ。だからシドさん、あんまりあの二人を叱らないでやってくれないか? ……そりゃ色々あったけどさ」 健は頬を引き攣らせて笑っている。そのうち本物の笑顔になるのだろうか。 モックが首を傾げて健の肩に手を置いた。 「どうしたんだい? 何か顔がこわばってるけど。楽しかったんなら笑わなきゃダメダメ!」 「あ、ああ」 「終わり良ければすべて良し、です」 メイド姿に戻ったチハがおかわりのココアを注いで回った。 「わー、ぐっちょり……雪遊びって、後が大変なんだよね。風邪引いちゃう」 着衣をびしょ濡れにした黒燐がくしゅんとくしゃみをする。この後、チハが瑞貴の火を借りてチェンバー内に雪見風呂を沸かし、希望者に振る舞われることとなった。無論、即席の浴場施設は戦車の馬力を駆使してあっという間に作り上げた。 「……そろそろ……おやつの時間……」 「お、俺はなつめちゃんの銭湯に行くっ!」 しかし棗はセクタンを頭に乗せて皆に背を向け、隆もその後を追いかけたという。 その頃、医務室ではリベルとエミリエが意識を取り戻していた。 「……美味しい」 「温まりますね」 期せずして互いの声が重なり、二人は顔を見合わせた。両者の手にはお汁粉と日本茶。茶筒を手にしたジュリエッタがほっと息をつく。 「じゃろう。気がたかぶった時は甘味とお茶が一番じゃ。……わたくしも一杯飲んでおくべきじゃったの」 「いや。あの裁きはなかなか見事だったぞ」 目を泳がせるジュリエッタの肩をアジが軽快に叩いた。――細かいことは気にするな、と。 (了)
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