「――司書殿」 報告書を提出したヌマブチが、司書室棟からの道すがら、すれ違いざまに無名の司書を呼び止めたのは、さして深い理由があったからではない。 強いて言えば、新しく発見されたフライジングなる世界での依頼を行うたびに少々厳しい表情になりがちであること、今もそのような雰囲気であったこと――くらいであろうか。「ん? あっらあー、ヌマブチさん! 何となく久しぶりー」 無名の司書は、いつもの愛想の良さを取り戻す。 その大仰な変化にも、特に思うところはない。もとより、さほど深くは知らぬ仲だ。これまでに酒の席を共にするなどで、幾度か面識こそあるにせよ。「元気してたー? そうだ、また飲みに行きましょうよ。……て、もしや禁酒中? クゥたんに怒られちゃう?」「そこはそれ、で、ありますよ」 当たり障りのない世間話に花を咲かせ、ふと言葉が途切れたとき―― ヌマブチは、ある疑問を思い出した。「良い機会故、司書殿に尋ねてみるのでありますが」「なになに?」「ミミシロ司書の死に関して、貴殿が幾分か様変わりしたとの評を耳にしていたが」「あー、うん、まあねー」「貴殿はかの司書を殺した某を恨んでいないので?」「おおっと」 あまりにも軽い認識で問われたせいか、司書はぱちぱちとまばたきをした。仕方あるまい、それがヌマブチにとっての認識であったのだから。「うーんとね、ヌマブチさん」 司書は自分で自分の肩を揉みながら答える。「ミミシロさんの死の責任って、誰にあると思う? ミミシロさんはどうして、死ななければならなかったのかしら」「それは」「あれは戦争だったの。ミミシロさんが死んだのは『あの日、あのとき、あの場所に居合わせた』からよ。あの日はちょうど懇親会があったから、多くの司書がクリスタル・パレスに集まっていた。あたしはミミシロさんも誘っていたの。もし、懇親会への参加をもっと強く勧めていれば、あんなことにはならなかったかも知れない。もし、あたしがあの場所にいたら、死んだのはあたしだったかも知れない」「それは――結果論でありますよ」「そう。あたしたちは、ミミシロさんの死の責任を取れない。誰からも糾弾してもらえない。あなたが罪びとだというなら、あたしだって同じことなのに」 ……ということなのよ、わかる? そう言って顔を覗き込まれたが、今ひとつ、腑に落ちない。 考え込むヌマブチをよそに、司書は勝手に話を進める。「あたし、お酒は大好きだけれど、いくつか決めていることがあるの。『絶対に自棄酒はしない』『お酒に逃げたりしない』『上質のお酒しか飲まない』『いいお酒を飲むときはいい男と人生を語る』ということ。気を紛らわすために暴飲するなんて、お酒を醸してくれたひとたちに失礼じゃない。だから、つらいことがあったときほど、お酒はほどほどにするようにしているの」 つまり暴飲しなきゃいいのよ、ということで、さささ、続きはあたしの司書室でね〜。 はたと気づいたときには、ヌマブチは司書室に引っ張り込まれていた。「ヌマブチさんが人生を語ってくれるなら、とっておきのお酒を出しちゃうわ。いちお、ノンアルコールもあるけどねー」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ヌマブチ(cwem1401)無名の司書(cyvn5737)=========
≒≒≒≒≒≒≒戦場の酒 高めのテーブルに積まれた書類は押しのけられ、ビアグラスがふたつ、置かれる。 アンティークのハイスツールに腰掛けて向かい合えば、まるで、カウンターバーのママさんと常連客の図だ。 壱番世界のものだろうか、青いラベルに「ヴァイスビア・エルディンガー(Erdinger)」と記された瓶から注がれたのは、きめ細かな泡立ちの、芳醇な小麦の香りを持つビールで―― 「これね、ノンアルコールなんだけども、ちゃんとヴァイスビア――小麦のビールのしっかりした味がするの。いったんビールを作ってから、わざわざアルコールを抜く工程を経ているんですって」 「……ならば、五月蝿い医者への言い訳を考える必要はないでありますな」 「ドイツではスポーツドリンクの位置づけで販売されてるのよ。クゥたんだってOKよ」 「頂戴する」 喉を通り抜けるなめらかな炭酸には、ほのかな蜂蜜の香りさえ感じる。原料には糖類など添加していないというから、これは醸造の手柄なのだろう。 「……酒とは」 「ん?」 「贅沢なものでありますな」 「……そうね。純粋に嗜好品として楽しめる状況なら」 「従軍中の兵士に支給される酒の量や質に、選り好みなど出来ぬ故」 「あらぁ。かつてイギリス海軍の軍艦では、早朝と昼食時と午後と夕食時に、ひとりにつきビール1クオートが供給されてたっていうわよ」 「1クオートとは如何なる単位でありますか」 「んと、ちょっと待ってね換算するから……、1.136リットル……?」 「信じ難い。そのような量は不要では?」 「なんかね、強制徴募でゲットした乗員さんたちが逃亡しちゃ困るから上陸許可与えなかったんで、うさばらしにお酒に逃げさせるしかなかったらしいの」 「酒浸りにして兵士として使い物にならなくなったら本末転倒でありますよ」 「だよねー。でも、供給量減らしちゃうと反乱が起きかねなかったんですって」 「飲み過ぎて泥酔する乗員も後を絶たなかったでありましょう」 「うん、もちろんたくさんいて、そーゆーひとは鞭打ちの刑」 「……わけがわからないであります」 「かつての日本軍の海軍の軍艦にも、それなりに日本酒とビールが積まれてて、艦長さんや司令官は飲み過ぎる傾向にはあったみたい」 「責任を取る立場の人間は、素行がどうあれ、状況判断さえ誤らなければよしとは思うが――」 「普段から手が震える症状が見受けられるような司令官に、適切な判断が出来るのかどうか、怪しいけどね。……でも、一兵卒は上官を選べないじゃない? 軍隊に限ったことじゃないけど」 「どんな人でなしであれ、一兵卒は上官の命令に従うのみであります」 喉を潤し、余韻とともに胃に落ちていく、口当たりの良いヴァイスビア。 だが、ヌマブチが友としたのは、戦闘と戦闘の合間にあおった、度数だけが呆れるほどに高い、火のように喉を焼く安酒ではなかったか。 「……ナラゴニアにいたときのヌマブチさんの上官て、誰が相当するのかしら?」 「さて」 短い、いらえ。 「ナラゴニアの、ターミナルへの進撃――あれを、戦争というのなら」 ヌマブチの紅の眼に走る、稲妻の鋭さ。 「軍隊では基本、作戦で発生した罪の責は総てそれを命じた指揮官が負い、執行した下士に責はないとされる。ならば、あの時、責を負うべき者は誰だったというのでありますか」 かの、罪もない愛らしい司書を、むごたらしく殺した責任は、誰に……? ふつふつと消えていく泡に話しかけるように、押し出されることば。 それは、司書への問いというよりは、自問自答の体をなしている。 指示を下したドクタークランチでありますか? 旅団の長たる園丁、ラーラージュでありますか? それとも、三日月灰人氏でありますか? 否……! 「かの司書が死んだ理由は『そこに居たから』であり、『手を下した存在が居たから』」であります。あれは己の考えに則り、己の意志で行った行為であります。殺しても構わないと判断したのは己でありますから」 泡の消えた液体をぐいと飲み干し、かたんとテーブルに置く。 そして、ヌマブチの双眸は、まっすぐに司書を射る。 「綺麗事を並べても、殺人を否とする以上、罪は生まれ責は発生する。それが無いと主張するのは、殺人に罪は無しと認める事になるだろう」 「ヌマブチさん」 「……失礼、些か論点がずれたな」 ヌマブチの声が、低くくぐもる。 語調が鋭さを増したにも関わらず、距離を置いた頑さが、ゆるりとほどける。 「理屈として、君の言葉は事実なのだろう。だが須く皆が理屈で納得すると思うか?」 「理屈、ね」 「君はそれで納得出来るのか? ひとの命とは、それほどに軽いものか?」 白刃を切り結ぶように、重ねられる問い。 「君の言葉は、あまりに綺麗過ぎる」 ターミナルは思想の坩堝だ。 どんな思考を持とうと、それを抱くだけならば糾弾される事は無い。 ――ターミナルに法は無い。 故に、線引きは自分で行わねばならぬ。 ヌマブチは、己をまともな人間と思えない。 故に問い、答を探す。探し続けている。 問い続け、答を願う事だけが、今の自分にとってのまともだと思うからだ。 わからない。 どうすれば自分に納得出来るのか。 どうすれば自分を人と認められるのか。 ずきり、と、左腕が痛む。 司書に問いを重ねるほどに。 存在しないはずの左腕が、痺れるような痛みを発する。 司書は憤るでもなく、困惑するでもなく、頷いて、二本目の瓶の栓を抜く。 ≒≒≒≒≒≒≒こころの旅 とくん、とくん、と、心音と同じリズムで注がれる、アルコール抜きの醸造酒。 「ビットブルガー・ドライブ(Bitburger Drive)。ホップの苦みがちゃんと残ってるの」 これもまた、上質なビールの味がする。 落ち着かぬ、いたたまれぬ想いに、またも左腕が疼く。 「かの司書を殺したのは己の罪。だが、罪への糾弾が欲しいのではない」 「そうなんでしょうね」 「ただ、己の認識と現状の相違への納得がほしい」 ヌマブチは言う。 まるで左腕に言い聞かせるかのように、ため息のように。 ――僕は、納得が欲しい。 「きれいごとを言っているつもりはないのよ。……たしかにあたしたちは、『きれいごとを言うのがお仕事』みたいな部分はあるんだけれどね。そして、その度に、こう返される」 司書は手酌で自分のグラスを満たす。 ――綺麗ごとを言うな。 ――きれいごとを言わないで。 ――建前だけの綺麗事など聞きたくもない。 「そう言われたら、黙り込むしかないわ。それでヌマブチさんは、何に納得したいのかしら?」 「疑問はひとつだけだ。君にとって、命とは何だ?」 「自然なことだと思うわ。生も死も」 「――自然?」 「……自然であるべき、と言ったほうが正しいかしら。けれど、自然の理を外れたあたしたちは、死ぬときは必ず『不自然』なものになる。今まで随分『本人も周囲も納得のいかない不自然な死』を見てきたわ」 「本人が納得のいく死など、あるのか?」 「自殺がそうね。あるいは、自傷行為の延長のような破滅嗜好上にある死。『お願いだから自分を大切にして、あなたにもしものことがあると哀しむひとがたくさんいる』と、どれだけ周りが嘆いても、関わり残されたひとびとが、助けられなかったことに自分を責め続けても、本人だけは満足して納得する死よ」 「らしからぬ、辛辣なことを」 「あたしも似たようなことをやらかしかけたんで、つい、ね。でも、今まで、破滅嗜好があるひとを止められたことが一度もないの。一度もよ。あたしの力不足ってことなんだろうけど」 賢しらな綺麗ごとなぞ、聞きたくもない。 不自然な死しか選べない俺たちが、自分の死にざまを自分で選んで何が悪い。 私はあの世界で死にたいの。 哀しむひとがいるでしょうなんて、きれいごとを言わないで。 あなたに止める権利なんてない。誰が嘆いても、そんなの知らない。 「そんなひとたちを見送る度に、自分でも気づかないうちに、あたし自身、何かが欠落していってるんだと思うのよね」 死者が、増えていく。 いや、誰それがどこそこで死亡したという「情報」だけが増えていく。 司書に残されるものは、彼らとの想い出と、旅客登録名簿に記された「死亡」の表記だけだ。 「でも、ミミシロさんの死は『戦争』のさなかに起きたこと。だからあたしは、堂々と『戦争』に責任を押し付けることができる。個人の責ではない、戦争被害者として悼むことができる」 「かの司書を戦争被害者の枠に押し込めて、それで君は」 「ねえヌマブチさん。逆転現象が発生しているわ」 空いたグラスに琥珀の液体を注ぎ、司書は微笑む。 「さっきからずっと、あなたはあたしに、『命の重さ』を説いている。ミミシロさんの殺害は軽く扱われるべきではないと、全身で強く主張している。他者やご自身の生死に感傷を持ち得ないはずの、あなたが」 「……。……」 ヌマブチは息を呑む。 この司書は……、この女は、 いったい、なにを、いっている? 「あたしはあの戦乱のなかで、ミミシロさんの死が、多くの被害者のひとりとして処理されてしまうことが、とてもつらかった。だって、あんなかわいい子が、あんな、むごい……」 司書は突然、ぐっと言葉を詰まらせた。サングラスを取り去った目に、涙が滲む。 ……一応、堪えようとしたらしい。 だが、 う……、うわぁぁぁ、と、 哀切極まりない号泣が響き渡る。 何度、見て来たか知れぬ、「他者の死を悼む悲嘆」の感情。 まったく持ち合わせないヌマブチは、何の感慨もなく眺めるばかりだ。 しかし――、 やがて司書は泣き止むと、驚くべきことを言った。 「ありがとう、ヌマブチさん。あたしは、ミミシロさんの死をとても重く受け止めているひとの話を、初めて聞いた気がする」 ……唖然とする、とは、こういうことか。 なぜ、この女にこんなことを言われなければならない。 どこかで、論理がねじれてはいないか? 論理の破綻は、なおも続く。 「でね、そのう……、あたし、ちょっと今、ものすごく失礼かも知れないことを、ヌマブチさんに対して感じちゃったんだけど」 「何を?」 「怒らないで、ね?」 「だから、何を」 「やっだぁ恥ずかしー」 「司書殿」 「えっと、ね。……その、ね。なんか、かわいいな、って」 「……!?」 がっしゃーーーーん!!!! 取り落としたグラスは、床で盛大に割れた。 わなわなと、ヌマブチは震える。 グラス損傷を詫びる余裕すらない。 「あーあ。これ、高かったのよー。まあ仕方ないわねー、よくあることだし、かたちあるものはいつかは壊れるのが摂理だし」 司書はすばやくホウキとチリトリで破片を履き取った。手慣れているところを見るに、本当によくあることらしい。 「あ、これだけは言っておきたいわね。ヌマブチさんがどう思おうとどう主張しようと反論は許さない」 「……うむ?」 身構えたヌマブチに、 「安酒は飲んじゃダメよ? いいお酒は人生の友だけど安酒への逃避は男を下げるのよ?」 拍子抜けすることをほざいてから、 「それはそれとして、はい、どうぞ?」 どこからか、面妖な固まりを取り出し、押し付ける。 「これは何だ?」 「やっだー。見てわかんない? バレンタインの本命チョコよぉ」 ……見てもまったくわからない。 おそらく最初はハート型であったのだろうチョコは、溶けて崩れて脳内補完なしでは原型を推察しがたい代物になっているからだ。 「僕の記憶がたしかなら、バレンタインなる壱番世界の風習は2月では……?」 「うん! よく知ってるわね」 「知識としてであれば……。そして、僕の記憶がたしかなら、本命チョコレートなるものは2月14日に意中の男性に愛情の表明とともに渡すものであると」 「うんうんそうそう!」 「今は、2月からはほど遠い季節で……。壱番世界ではとうに夏は過ぎ、秋も深まりつつあり」 「そうなのよぉー。遅れてごめんなさいね? そだ、三倍返しは年中無休で受け付けてるから」 「……?」 ……まったく、わからない。 僕は、これを、食べなければならないのか……? そして、「三倍返し」とは如何なることか。何かの呪文詠唱か? 何にしても、 まだまだ――納得などできそうにない。 ――Fin.
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